新じゃが、新玉ねぎで「麻婆じゃがいも」をつくったのだ

春のこの今の季節には「新じゃがいも」「新玉ねぎ」と云った季節野菜が旬のアイテムとして八百屋やスーパーに顔を見せており、大々的なセールスの的ではある。そんな季節の食材を使って調理してみたのが「麻婆じゃがいも」である。「新じゃがいも」「新玉ねぎ」の旬が揃いぶみでとても瑞々しい味わいであった。

薄皮が故に皮をむかずにそのまま煮込むのが、この場合の正当なレシピである。それでも煮込むこと15分程度は要したであろう。柔らかくなったところでとろみ調味料の片栗粉を投入し、続けて2~3分煮込んで完成。辛味は控えめに、新じゃが、新玉ねぎの生き生きしさが味わえるメニューとなったのである。

「田中慎弥の掌劇場」は駄作が多いがそこそこ楽しめる小作品集だ

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ご存じ「わたしがもらって当然」発言で、一躍ときの人となっている、芥川賞作家こと田中慎弥氏の最新作品集である。出版元は毎日新聞社。おいらは全く知らなかったのだが、田中氏が無名のころの2008年頃から、もう新聞連載など行っていたのであり、それらの小作品をまとめて編集出版されたのが同書である。

購入して半分くらいを読了しているところであるが、ほとんどの印象はと云えば、所謂「習作的小品」と云った印象だ。例えば川端康成氏の「掌の小説」に匹敵するインパクトや完成度はまるでなかった。そもそも「…掌劇場」と云った同書のタイトルは、川端康成氏の「掌の小説」の線を狙っていたものであり、二匹目か三匹目かのドジョウを狙ったものだと推察されるが、それが只の小作品集となって編集出版されてしまったことはいと残念なことではある。気鋭の芥川賞作家の力量を問う前に、出版元の編集的お粗末さについて問題とするべきであると考えている。

そんなこんなの印象はさておいて、作家の田中慎弥氏は小作品の執筆を楽しんでいることが散見され、作家が執筆を楽しむのとほぼ同様な楽しさを感じ取ることができた。

一例で「男たち(一幕)」には、舞台上に10人ほどの男が登場する。麻生、金、オバマ、小泉、三島、太宰、石原、吉田、鳩山、そしてもう一人の鳩山が登場している。もう一人の鳩山とは由紀夫の弟か祖父かではあるが、そんな些少な推理的アイテムが散りばめられているとともに、執筆当時の時勢へのアイロニーもまた表現されている。容易に想像されるように、ここで表されているのははちゃめちゃてき悲喜劇である。ドラマツルギーの一つの要素でもある悲喜劇の一種なのだ。

だがそんな浅薄なアイロニーが読者を感動させることなどは全く無くて、ただ単に面白さの一種としての刺激でしかないことに気付くのである。果たして読書の体験というのは、今や純文学といえどもこの程度の代物に成り下がってしまったということなのであろうか?

浅草の「伝一郎」にて「キムタク炒め」を味わった

花見に浅草へと乗り込んでいった後で、「ホッピー」の看板に引き付けられるようにして入ったのが天空酒場の「伝一郎」。まるで仮の芝居小屋かと思わせるような木造の建物。天空との境は半透明の板で仕切られていて開放感が漂っている。

賑やかな店内に入るとモヒカン刈りの青年が注文を取りに来た。パンクロックのボーカルでもやっているのだろうか。バイトがこんな店では正規職にも感じさせ溶け込んでいるから不思議だ。大衆居酒屋らしく串焼き、煮込み、唐揚げ等々がメインのメニューであり、先ずはホッピーと共に串焼きの盛り合わせを注文する。

咽と胃袋とを潤わせながらメニュー表をめくっていると「キムタク炒め」というメニューが飛び込んできた。初めて聞くメニューであり、料理の写真の代わりにキムタクこと木村拓哉の写真が添えられている。キムタクが好き好んで食べる料理なのか? 或いは…?? との疑問は抱きつつ、試しに注文することにしたのだ。

そして出てきのが上の写真である。一見して赤々としたキムチが大量に使用されているメニューを見てすぐさま合点がいった。これは「キムチがたくさん入って炒めた」料理だから「キムタク炒め」なのだということ。

何だ駄洒落じゃないかとほくそ笑みながら、当のキムタク本人も駄洒落CMで世間を賑わせていることを思い出し、所謂一つの駄洒落症候群の具体的現象をこの目と舌とで確認したという訳なのである。

キムチの他には玉葱と少々の豚肉、それに白胡麻、唐辛子などが用いられていて、キムチの瑞々しくピリリとした食感を生かしていてそこそこいける味わいであった。

■伝一郎 浅草炭火焼き天空酒場
東京都台東区雷門2‐20‐8

桜橋界隈で満開の桜に出会った

この週末が都内の桜のピークだと聞き、浅草から桜橋へと向かった。

今年は相当遅い桜前線の様相と思っていたが、例年より1週間程度の遅れであったようである。隅田川沿いの歩道を歩くと、薄桃色の桜の大群が迫ってきた。

想像以上の満開桜であった。

高尾山におけるお勧めグルメ「ごま団子」と「天狗ドック」

先日は高尾山へ登山した際、けっこうな体力を消耗しており、ご当地グルメのお世話になっていたのであった。

観光リフトの山頂の「山上駅」に降り立ったすぐの展望台付近には、「天狗ドック」となる代物が大々的にアピールされていたのであり、体力と空腹解消を求めるべくごく自然な成り行きでおいらはその「天狗ドック」にかぶり付いていた。天狗の鼻のように巨大な長さ50cm近くはあるほどにはみ出したそのソーセージを齧り付いていたのであった。驚かせ系地域グルメの中でもそのインパクトは絶大であったと云って良い。

そしてもう一つの、こちらが本命的グルメであるが、「ごま団子」の滋味豊かな、しかもワイルドな味わいに、うっとりと舌と喉とを潤わせていたのだ。たっぷりと豊富な黒胡麻をすって生地に練り込まれた団子を、遠火の炭火でじっくりことことと時間をかけて焼いていく。そこにあっさり風みたらし団子的醤油味の餡をかけて提供されている。その味わいは登山客を魅了するに充分なものがあったのである。

高尾山では新緑の若葉が芽生えていた

高尾山へ登った。とはいっても足を使ったのはそう長いルートではなく、観光リフトに搭乗しての登山であった。

リフトに乗ったのは子供のころにスキー場で搭乗した時以来だ。久しぶりの体験であった。幅1メートルあるかないかの席に乗り込んで、空中遊覧散歩が始まった。初めのうちは山肌をすぐ近くにしながらの長閑な散歩ではあった。しかしながら中腹を過ぎたところ辺りから突如として山の崖を眼下に眺めるようになり、掌には冷や汗がにじみ、体が凍り付いてしまったのだ。足はぶらぶら、とても空中散歩を長閑に楽しむ気分ではなくなってしまっていた。

それでも山上駅に到着するころには、空気も澄んでいることを実感し清々しかった。初春の季節はまだ緑が色付くものではなかったが、灰色の枝から薄緑色の若葉が芽生えていたのを目にし、春という季節の訪れを視覚的に味わうことができたのだった。

上野で久しぶりに「どじょう鍋」を食した

帰宅困難者となっていた昨日のおいらは、上野へと向かっていた。低廉価格のホテルでチェックインを済ませると、アメ横界隈へと向かっていた。そもそも「爆弾低気圧」とも呼ぶ台風並みの暴風雨の影響で、下町上野の繁華街も閑散としていて人通りもまばらであった。ガード下の本道を逸れてある看板、即ち「八起」が目に付いたおいらはその暖簾をくぐっていたのだった。つい先日には赤羽の同名の居酒屋の名前が引っ掛かっていたこともある。

そこで偶然にも出会ったのが、麗しの「どじょう鍋」である。他で食したのとは少し違い、と云うよりもだいぶ違って、卵とじの調理法で出されていたのだった。そんな卵とは余計な食材では決して無くて、充分に旨みとマイルドさとに加えて及びの+アルファーは、エグミであった。こんなエグミこそは生命を生きさせる。生き生きとさせていくための必須の要素なのである。エグイ=生きるという方程式を忘れてはいけないのである。

馬鹿総理こと野田は、自らをどじょうになぞらえながらも、どじょうのエグミには知識が及ばないようである。こんないんちき野郎の総理大臣は早く退散してもらおう。

季節外れの春の嵐で、今日もまた帰宅難民となってしまった

本日の気象はまるで台風が襲来したかの豪雨である。

おいらもそんな豪雨に巻き込まれており、所謂「帰宅難民」となってしまった。

お気楽なTVではプロ野球ジャイアンツ戦を放映しており、台風シーズンに味わった時とはこれまた違って居たのである。

機会があれば、詳細は後日に。

丸美屋の「麻辣火鍋の素」を使って火鍋を調理したのだ

中国料理における鍋料理と云えば「火鍋」すなわち激辛のスープ鍋が基本である。先日は久しぶりに本格火鍋を食したことの余韻も相俟って、火鍋を作りたいという気分が満喫していたのであった。

しかしながら火鍋用の調味料を一つ一つ用意するのは大変であるのであり、ここはインスタント的火鍋料理の素として販売されている、丸美屋の「麻辣火鍋の素」を購入して調理したのだった。

中国の代表的辛味調味料である豆板醤を基本に、椎茸等の出汁がアレンジされている。中国山椒こと「花椒」も用意されており、中国版の辛味調味料の基本はこれでまかなえるのだが、「火鍋」の奥深いスープを作るには不十分である。鶏がら主体のスープのコクも無く、ただ辛さばかりが舌を突く。

これには中国鍋のもう一つの基本であるべき「薬膳」スープを構成すべき要素が欠けていたのであった。

自宅にとりあえず有った「クコの実」と「八角」を加えて煮込んだ。本来はこれに加えて「桂皮」「ナツメ」「朝鮮人参」等を用いるべきなのだが、準備がなかったので割愛するしかなかったのである。丸美屋のものに少々味のコクが加わっていたようではある。いわゆる一つの成功パターンではあった。


〆には激辛のスープに極細のそうめんを入れて食した。これは絶品であったことを強くここに記しておきたい。火鍋にはそうめんが良く似合うのである。

春風吹けど桜のいない花見かな

昨日の強風は生温かく、春一番の風を連想させたが、今頃の時期に吹く風を春一番とは呼ばないんだそうな。例年になく寒気が強かった今年は、春一番が吹かなかった異常気象の年としても記録されている。

ところで首都圏ではこのところ「桜祭り」の看板を目にするようになった。地元に近い都立公園でも屋台が立ち並び祭りの様相だが、何しろ肝心の桜の花が見えない。早咲きの種類が1割程度の開花だったが、通常の桜はまだ硬いつぼみを開く素振りさえ見せてはいなかったのである。例年に比べると2週間は遅れているかに見える。