今朝からずっと、吉本隆明さんが亡くなったというニュースにふれて、悲しみにくれている。
高齢ではあるがここ近年においてもなお旺盛な執筆活動を続けていたことと、今日の逝去のニュースとのギャップが中々埋まらなかったのだ。巨星が逝ったことを理解するに相当程度の時間を費やしていた。
こんなことは肉親、身内の人間以外には無かった事だし、恐らく、今後とも考え難い、とても耐え難いことがらであった。
遥か昔になるが、おいらがまだ20歳に届かない思春期の一時期に、吉本隆明さんの詩作に触れていた。
難解且つ晦渋なその詩的世界を理解しようともがきつつ、彼の思想的な著書をむさぼり読んでいた。
多分その関係性は、入れ込んでいたとか好きだったとか云った位相を凌駕しており、関係の絶対性という、吉本さんのキーワードにも繋がるような、強固な関わりがあったのだ。
おいらは所謂団塊の世代よりもずっと後に生を受けており、先輩たちの受け取り方とは異質に、吉本さんと相対していたと云えよう。最も尊敬すべきは、「思想」という代物が、舶来輸入品ではなくて確乎たる人間としての営みからのみ作り上げられるものだとして、吉本さんの思想的営為が受け入れられたということに他ならない。
思想することは生きることの同義であり、産経新聞論壇に代表されるお馬鹿な大衆保守主義や所謂戦後民主主義といった、出来合いの思潮的風潮をけち飛ばすくらいのパワーで、戦後の日本の思潮的一里塚を築き上げたのである。こんな営みを他の誰がなしえたといえよう。
晩年の吉本さんは、小沢一郎に入れ込んだり反原発を批判したりといった、おいらの考えとは異なる発言を発していたのであったが、たとえそれはなかろうぜ、といった言説に触れていても、吉本先生の思索のたまものだと受け取ることができたのである。
本日はそんな日でもあり、おいらも献杯を重ねて思考力が著しく鈍ってしまっているようであり、また日を改めて、吉本隆明先生の偉大さに触れていきたいと思うのである。