婚活毒女こと木嶋佳苗被告裁判(2)男の落ち度とは?

昨日は木嶋佳苗被告裁判の一つの視点として、エッセイストの北原みのりさんが指摘した「男の落ち度」について触れた。男女間のトラブル、事件を惹起させる要素として「女の落ち度」と同様に「男の落ち度」が追及されてしかるべきであるという客観的視点とともに、やはり常識的には考え難い「男の落ち度」が蔓延しつつあることを感じ取るからであった。

一時代前までは、悪女、毒女と云った類いの女性は人並み優れた美貌がなくてはならなかった。男は女の美貌に目がくらみ、危険な罠へと囚われていくというのが、小説、映画、その他諸々のストーリーの常道であり、だからこそ男の「純情」が価値ある代物としてテーマと成り得たのである。

然しながら木嶋佳苗被告ときたら、人並みはおろかほとんどの男性陣にとっての興味関心の埒外であり、通常ではこんな女に引っ掛かるはずがないと云えるくらいのタイプなのだから、或いは逆転の興味津々状態であったといえるのかもしれないし、そう考えるしか納得がいかない。ともあれ、「何故にこんな女に引っ掛かるのか?」という男の関心と、「どうしてこんな女が男を蹂躙できるのか?」といった女の興味とが、綯い交ぜに交錯した故の、今日的に腐乱した興味関心のターゲットとなっているということが云えるのである。

「女ならば誰でも良い」「結婚できるなら騙されたとて構わない」「ロマンチックな恋愛がしてみたい」…等々の、当世男性陣に蔓延る情けなくもある願望が、木嶋佳苗被告を産み出す肥やしになったということは確かなことなのであろう。