今と昔ではまるで隔世の感がある「ハムカツ」に関する一考察


居酒屋にて「ハムカツ」のメニューを食した。大衆居酒屋における定番的メニュー、すなわち「おすすめ」のボードに日々書かれて提供されるものではなく毎日日常的に看板に乗っている代物だったが、ついぞ注文することにためらいがあった。だがここは社会体験、後学のためと割り切って、注文することにしたのだった。

提供されてテーブルに乗ったのは、厚さ1cmもあろうかという分厚い代物だった。そもそもおいらが少年期に食していたハムカツとは、だいぶ風体が異なっている。こんな分厚いハムカツは、大衆料理メニューとは云い難いという印象を持ったのだった。

世に云う鍵っ子としての思春期を送ったおいらは、夕方近くになって帰って来た母親からはよく、このハムカツのおやつをもらって食べていたものであった。そのときのハムの厚さはと云えば、2〜3mm程度のものだったことを明瞭に記憶している。トンカツやメンチカツとは一ランク下の食べ物という印象だったが、間食としてのおやつには最適だったのであろう。だからハムカツはあくまで薄いハムを挙げたものでしかあり得なかったのである。

ところが昨今のハムカツと来たら、とんでもない、まるでトンカツにも匹敵するくらいの厚さである。トンカツと競ってどうするんじゃ! という突っ込みをしたくなるくらいの異様な風体。こんなハムカツは本来の正当的ハムカツじゃあないぞ! ということを主張しておきたいのである。

いつの間にやら時代の空気は「ハムカツ」に好意的てはある。トンカツにも増してカロリー高そう。しかもハムカツに特化したブログがブログ界をも席巻しつつあるという。嗚呼何たるおそれいりやの鬼子母神か。

「亜美ちゃんは美人」作家の綿矢りささんの美人度を考察

昨日の綿矢りささん作品「亜美ちゃんは美人」の話題の続きである。果たして作家本人のりささんは、「美人」と「もっと美人」の間のどの位なのかと云うことが気になってしょうがないのである。紛れもない美人作家のりささんであるが、彼女は自分を果たしてどの程度の「美人」と捉えているのか? と云うことが今回のテーマである。

「亜美ちゃんは美人」の亜美ちゃんのイメージは、芸能人で云えば例えば戸田恵梨香であり、その注目度は群を抜いている。誰もが認めるであろう美人中の美人だ。そしてもう一人の美人の「さかきちゃん」はと云えば、たとえば、井上真央のようであり、AKB48の前田敦子か大島優子のようでもある。綿矢りささんがどちらに近いイメージかと問われれば、やはり井上真央であろうか…。

普段はNHK番組を滅多に視聴しないおいらであるが、年末年始を実家で過ごしたことから、NHKの「紅白歌合戦」を視聴しながらの年末を過ごしたのであった。そのときに視ていた井上真央さんの司会者ぶりは、その初々しさがハラハラどきどきの、あたかも保護者的気分を醸し出していたのである。そして最終のシーンにて流した涙はまるで、女優が流した涙の中では特別な位に異質な尊いものだと感じ入っていた。そんな姿と綿矢さんとが何故だか被ってしまったと云う訳なのだ。即ち「亜美ちゃんは美人」の作家の綿矢りささんは、例えば井上真央のイメージなのだ

ハードボイルドはあり得ない綿矢りささんの「亜美ちゃんは美人」

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綿矢りささんの新作小説集「かわいそうだね?」には、もう一つ「亜美ちゃんは美人」という作品が収録されている。作品の完成度やストーリーの勢いやらりささんらしさやらでは表題作品に一歩を譲るが、このサブ作品も中々の力作であり、りささんの作家活動の今後に期待を抱かせる出来栄えであるので、ここに紹介しておきたい。

美人のさかきちゃんと、さかきちゃんよりもっと美人の亜美ちゃんの二人の主人公の物語。さかきちゃんは亜美ちゃんの友達だが、実は亜美ちゃんのことが嫌いだという、云わば女の「悪意」にも近い心情が展開されていく。

そしてもう一人の重要登場人物が、亜美ちゃんの彼氏の問題児こと崇志君だ。いかがわしい職業人であり、態度も常識はずれてでかくあり、とても美人の亜美ちゃんには似つかわしくないのだが、男性経験豊富な当の亜美ちゃんが、初めて好きになったというくらいに惚れてしまったという、云わば悪男の典型。元の級友やら家族やらがこぞって二人の「

結婚」に反対している中で、さかきちゃんがとった行動がまた出色なのだった。女同士の「好き」と「嫌い」の狭間に揺れ動いたそのときのさかきちゃんの心情に思いを仮託しつつ、おいらはまた別の思索にふけっていたのだった。

すなわち当小説のプロットにおける「美人の中の美人」こと亜美ちゃんは、りささんの化身ではなく別の女性だったのか? と…。とすれば、「美人の中の美人」こと亜美ちゃんよりは劣る美人のさかきちゃんの視点から、この小説のプロットが出来上がっているのだろうと…。

とても可愛く美人小説作家、綿矢りささんの立ち位置について、あれこれと詮索することにも事欠かないのであり、綿矢マニアにとっては必読の作品なのである。

浅草の名門居酒屋「ニュー浅草」本店は何だか酷く寂れていたのだ

浅草の浅草寺にお参りした後で、何処かで一杯やる店を探していた。有名な「神谷バー」は行列が出来るくらいの混雑であり、並ぶことが大嫌いな(殊にグルメ雑誌やらで取り上げられている店舗における行列の一員になることなどまっぴら御免なる)おいらは、さっさとその場所を離れて、名店街を散策していたのだ。

そんなときに偶然、「ニュー浅草」本店に出喰わすことになったおいらは、その看板に吸い寄せられるようにして入口の門を潜っていた。

店内に入ると、巨大な提灯に迎えられたのだった。ちょうど、浅草雷門の提灯にも似ていて、浅草らしさをアピールしていたと云えるだろう。

個人的に「ニュー浅草」で思い出すのは、神田神保町界隈の「ニュー浅草」支店における、様々な光景である。出版関係者の集いの二次会でその場所を利用することが多かった。神田に存在する「浅草」が本場の居酒屋と云う、憧れる条件を有していて、個人的にも何度か利用したことがあった。同様に中野にも同支店が存在し、近辺の取材やらではが終了した暁には、よくその場で癒しの時を過ごしていたものだった。

そうして今回の、いわば偶然的な本店来訪である。簡単に説明すれば、「ニュー浅草」は「神谷バー」と「ホッピー通り」の間に位置している。其処はまさしく浅草商店街の真ん中に近い。だが、店内に足を踏み入れたおいらがまず感じたことは「寂れているな」の一言であった。支店の活気がここでは感じられないのだ。しかも、つまみとして注文した「肉じゃが」やらその他諸々も、ありきたりであり、隣の客の焼き鳥もパッとしなかった様也。あまりに常識的過ぎて興味を半減させていたのだった。

もしかすると本店よりも支店の方が活気があって、本店は単なる飾りなのではないかと感じていた次第なのであった。

春の七草を鍋仕立てで食してみた

本日1月7日は七草の日。「七草かゆ」をつくって食するのか日本全国一般のならわしである。ここ数年はならわしに則り「七草かゆ」をつくっていたが、本年はちょいと志向を変えて、鍋仕立てによる七草を食することにしたのだった。

基本的に七草と云えば、スズナ、ハコベラ、ナズナ、スズシロ、ホトケノザ、ゴキョウ、セリの七種の薬草を指している。薬草とは云いつつも、スズナはカブ、スズシロは大根のことを指しており、セリは定常的にスーパーに並んでいる食材だ。これらの七種をまとめて調理することに特別な意味か存することは明白であろう。即ち、日常的素材に少しばかりの祭りの要素を取り込んだという、伝統的なイベントなのである。

ヴィム・ヴェンダースによる「もし建築が話せたら…」

先日当ブログにて紹介した東京都現代美術館での企画展「建築、アートがつくりだす新しい環境」展では、とても興味深いブースがあった。

ヴィム・ヴェンダース「もし建築が話せたら…」という、3Dインスタレーションのブースである。

イメージとしての例えばアップル社の社屋が連想される建築物が、声を放って語りかけている。

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ある場所が気に入って
そこで長い時間を過ごしていると
声が聞こえてくることがあります。
場所には声があって
建築は話をするのです。
そう、あなたに話しかけています。
聞こえますか?
話し方は本で勉強しました。
私は勉強することが得意なのです。
勉強のための建物だから、何の不思議もないけれど。
私は本が好きです。
本を読む人たちが好きです。
さあ来て、読んで、学んで。
中に入って、そして歩き回ってほしい。
行ったり来たりしてほしい。
私はいつでもここにいます。
動くことができないから。
みなさんのように旅ができたらどんなに良いでしょう。
もちろん私も、他の場所のことは知っています。
でも、本を通じた知識しかないのです。
(以下略)
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ちょうど我が「みどり企画出版」では、建築写真集「瞬間の連続性」を刊行したところであり、建築が語りかけるかのごとくのシーンも、ページのかしこに見て取ることができるのである。

同写真集のお求めは、下記アドレスからどうぞ。

http://midorishop.cart.fc2.com/ca0/2/p-r-s/

■瞬間の連続性 the continuum of moments
ISBN978-4-905387-01-5
定価:本体1000円(+税)
発行:みどり企画出版
企画・編集:川澄・小林研二写真事務所
判径:250×250mm
頁数:60ページ
体裁:並製本

おやじ評論家風情を頷かせるであろう綿谷りささんの最新作品「かわいそうだね?」

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20歳のときに「蹴りたい背中」で由緒ある日本の芥川賞を受賞して以来、何かと気になる作家の綿谷りささんが手がけた最新作品の「かわいそうだね?」を読了した。

先輩αブロガーのイカちゃんもかつて絶賛していたように、綿谷りかさんの賢こ可愛らしさは特別なものであり、芥川賞を受賞しようがしまいが、綿谷ワールドはおやじのハートを引きつけて止まない。

云わばストーカー的色彩を放っては、日本全国のおやじ評論家風情があれやこれやと評するものだから、りささんも何かとやり難いのではないのかと推察しているのだが、当「かわいそうだね?」においてはとてもりささんらしい、期待を裏切ることの無い作品として出世の道を得たとも云えるだろう。

主人公の女性は百貨店でブランドものの販売を担いつつ、彼とその彼の元カノとの板挟みになって悩みもがいていく。本人にとっては切実であろうがあまり社会一般の行く末に影響を与えることの無いという、ノンポリ的物語が展開していくのだ。

いまを時めく20代後半の女性の感性を満開に匂わせながら、りさワールドに導いてくれるのだから、おやじ評論家風情も願ったり叶ったりであろう。

結末に近づくと勃発するドタバタ的悲喜劇の顛末は、ドラマのプロから見たらば突っ込みどころ満載の出来栄えかと、即ち未熟なストーリーテラーによる展開かと感じる向きもあろうが、おいらは却ってその未熟さが、清々しさにも通じるものとして受け取っていたのである。

20代の後半にこのような作品を世に問うて、この後のりささんは30代の熟女のときを迎えていく訳なのだが、若きときへのレクイエムとしてこの本を読んでいくのも、あながち間違った志向ではないのである。

東京都現代美術館にて「建築、アートがつくりだす新しい環境」展が開催

建築写真集「瞬間の連続性」に関わったこともあり、このところ、建築物等の物理的社会環境と人間生活との関係に深く関心を抱くようになった。ちょうど今現在、東京都現代美術館にて「建築、アートがつくりだす新しい環境」展が開催されていることもあり、鑑賞に訪れていた。

■「建築、アートがつくりだす新しい環境」展
2011年10月29日(土) ー 2012年1月15日(日)
東京都現代美術館 企画展示室3F・1F
〒135-0022 東京都江東区三好4-1-1
http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/129/

否が応でも現代社会に向かい合うとき、いかなる人間も現代建築が与える影響を受け取らざるを得ない。個人的にはマンション等の「集合住宅」に嫌悪の念を抱いているおいらだが、個人的感情にて現代生活の全てを選び取ることは不可能である。避けてする暮らし方などしたいとも思わないのだ。

建築家をはじめ建築に関与する写真家、デザイナー、映像作家、等の職業人の多くは、無機物としての建築に生命を宿すことを夢見つつ、極めて些細なことから天才的なアイデア迄をも駆使して、日々の営みを行なっているように思える。そんなこんなを体現できる展示会となっている。

“魂の陰影を剥ぎ取る”建築写真集「瞬間の連続性」を刊行しました

みどり企画の出版事業部であるみどり企画出版では、このほど7人の写真家集団による建築写真集「瞬間の連続性」を刊行しました。「建築」という身近な素材をモチーフにしながら、日常的には余り接することのできない、特別な一瞬間の表情等が巧みに捉えられた作品集です。

現代美術作家の上野憲男さんが、巻末に同写真集への手書きのコメントを寄せてくれているのでここにご紹介しておきます。(誌面では手書きのそのままで掲載していますがここでは活字に置き換えてご紹介します)

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魂の陰影を剥ぎ取る

日本初の高層ビルディング「霞ヶ関ビル」の写真をシャッター音も心優しく包むようにして撮影した川澄明男の作品はその設計者の名と共に今にして輝きを放ち続けている。

その川澄明男を師と仰ぐ小林研二をリーダーとする建築写真家集団。無機的な建造物に“やるせない”位の生命を映し出すPhotographer達。

硬い石の中にも鋭い鉄鋼、硝子の中にも、そして木や紙、植物にも、あらゆる材質の骨格の中に、風のようなしなやかさで吹き抜け、魂の陰影を剥ぎ取り、現代美術作品と見まごうような見事な映像を造形化した。

本写真集がスタートと言うこの「瞬間の連続性」は今後、益々鋭敏に豊かに展開してゆくことは間違いないだろう。

上野憲男
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■瞬間の連続性 the continuum of moments
ISBN978-4-905387-01-5
定価:本体1000円(+税)
発行:みどり企画出版
企画・編集:川澄・小林研二写真事務所
判径:250×250mm
頁数:60ページ
体裁:並製本

http://midorishop.cart.fc2.com/ca0/2/p-r-s/

新春2日の心情等、ネットブック、ネットショップへの未練や期待も少々

新年2日ともあれば、街中何処も寂れているというのが戦後十数年間の習いとなっていたのだった。だが昨今の正月事情はそんなこんなの習わしをものともせずにぶち壊しており、新時代の習わしを仕組みつつある。これはいたって世の中の健全なる斯業にありて今後の健全たる習わしに悪影響が及ぼされること無きように希うばかりである。それにしてもネットブック環境はとても酷いものであり、日本語の変換さえままならずにあれやこれやの失敗事ばかりなり。いずれはこんな酷い状況は解決していかねばなるまいという志は強く持っているものなり。

謹賀新年 2012

謹賀新年 2012 本年も宜しくお願いいたします。とはいえ年末からの「2012年は元気な年に」「明るい年に」の合唱コールには流石に辟易しつつ、今年は先ず古きを温めて、発酵させることから始めてみたいと思い立った。その具体的狙いや成果については今後またの機会に…。

新春恒例の上州駅伝のルートでもある街道を自転車で走って、昨日もふれた「KEYAKI WALK」の中を歩いた。旧市街地の機能がごっそりとこのモールに移ったように、元旦早々賑わっている。建物の入り口を潜り抜ければまるで青山や原宿の町並みの様な錯覚を与えてしまうくらいである。

時間潰しにシネマの「源氏物語 千年の謎」を観てすごす。光源氏役の生田斗真は様になっていたが、ストーリーのほうはまるで史実の登場人物をつぎはぎしただけの代物でがっかり。まるで色物映画と見紛うばかりだ。角川書店刊行の原作本によるものだとされるが、こういうのが現代風のメディアミックス作品の代表的作品と云うのかな。