剥いて楽しく頬張って嬉しい「きぬかつぎ」

冬に美味しい里芋を、皮付きのまま蒸し上げて出される居酒屋メニューである。「きぬかづき」と云うメニューを見たこともあるが、どうやらどちらかが誤謬のようなのだが、我国には2つの説が飛び交っておる状況にあり、果たしてどちらが誤謬なのかは今のところ判然としていない。

あまり大きくならない小芋を調理するのが一般的であり、指で里芋の皮をなでるだけでつるんと剥ける。これが楽しい。

そして白身を露にした里芋の身を口に頬張れば得も云えぬとろんとした味わいに酔いしれるのだ。これが食せる季節はそう長くはないのであり、今度は自宅の料理にてチャレンジしてみたいと思ったのであった。

「共喰い」が売り切れで、仕方なく田中慎弥氏の「切れた鎖」を読んだのだ

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1月27日には芥川賞作家の受賞作、田中慎弥氏の「共喰い」が発行されていたのだが、おいらはそんなことも知らずその日に赴いた書店にて「切れた鎖」を買って帰った。書店には「売り切れ」の貼り紙も無く、何時発売されるのかも知らなかったので、田中慎弥ブースに陳列していた中から「切れた鎖」を選んでいたに他ならなく、出版社や書店の思惑とは無関係な場所にておいらの読書体験が進行していたと云うことのみではある。

さてそんな経緯から「切れた鎖」を読了したのだったが、これが結構、稀有な読書体験を齎してくれたのだった。表題作の「切れた鎖」は、或る名家の三代にわたる妻による確執がテーマとなっており、刺身のつまのようにて、夫なり彼氏なりの男性が登場している。それに加えて傍流のシチュエーションとしての在日人による教会との確執が描かれていく。小説のテーマは混在しており、どれがメインの其れかは人夫々の判断に委ねられている。純文学に相応しい構成であると云えるのかも知れない。ただし、物語は時系列に則って進んでいくわけではないので、時々留まっては物語の筋道の整理をする必要などが生じてくる。これもまた物語の読書体験としては稀有なものであった。

巻末の「解説」にて、安藤礼二氏は書いている。

―――(引用開始)―――

田中慎弥は、コミュニケーションの即時性と即効性が求められる現代において、きわめて特異な地位を占めつつある作家である。わかりやすい伝達性や物語性とは縁を切ってしまい、自身の無意識から発してくる原型的なイメージの群れを、その強度のまま、表現として定着させようとしている。そこで問われるのは、無意識の破壊的なイメージ、すなわち妄想の主体となる、閉じられた「私」の問題であり、そのような「私」を可能とした家族の問題――特に、いったんは時間の外に失われながら、ついに亡霊のように回帰してきては「私」を脅かす「父」の問題――である。

―――(以下略)―――

バナナの朝食を摂ったのだ

朝食にバナナとヨーグルトを食した。最近はダイエット志向も手伝って、このパターンの朝食が増えている。たしか数あるダイエット法の中には「バナナダイエット」があったはずだとググってみたところ、あるわるはの大盛況だ。特に朝食にバナナという「朝バナナダイエット」に注目が集まっている。

バナナは胃に優しいとかカリウム豊富だとか、そんな当然のことが、「公式サイト」やらに書かれている。おいらは決して、そんなものを見てバナナ朝食を始めたのではないぞっ。

こんな薄っぺらなブームに乗せられたらせっかくのバナナが台無しだね。今度はバナナともう少しバランスを考えた朝食をとることにしようと考えている次第である。

橋下徹の「大阪都構想」の思い上がり

本日未明の「朝まで生TV」にて、橋下徹を囲んでの「大阪都構想」に関する云々の議論がなされていたのだが、けだし厚かましくも思い上がりによる橋下徹の議論展開に対してはとても胸糞悪き思いを充満させてしまったのであり、稀にみるほどのTV番組の如何わしさを露呈させるものであったと云わねばならない。

メインコメンテータの橋下に配慮して生番組の撮影は大阪にてなされていた。それは敵陣に乗り込んで行なった撮影とは云い難く、敵陣に塩を送ってなおかつもTV局自らの防衛力の放棄を示した行為にも異ならなかったのである。司会者田原の表面上は威勢の良い司会っぷりとは裏腹に、番組構成上の様々な汚点が垣間見える、悪しき典型の番組と成り下がってしまっていたのであった。

美味い「ワカサギのフライ」にありつくと故郷が恋しくなる

定食屋で「ワカサギのフライ」を食べる機会に遭遇した。これがまた、ワカサギの苦味やエグミを取り込んでいてなかなかの味わい。フライとして調理されるべき食材であると、新たな認識を得たものでもある。

つまりは少々くどくなるが、キスなどの淡白小魚などとは異なり、ワカサギは淡水魚特有のエグミ、苦味、アクの強さを有しており、これが天ぷらにすると少々物足りない料理となってしまう。フライが上等なのである。洋食よりも和食を好むおいらだが、ワカサギ関係においては洋食系フライ料理に軍配を挙げてしまうのだ。これもまた仕方がない浮世の道理と云うものか。

野性味溢れるワカサギフライをがぶりと噛めば、口中に至福のエグミがまんいつしてくる。フライを食べた後で卵とじにしてどんぶりにかければ、これまた至福の「ワカサギ丼」の出来上がりである。上州榛名湖の氷上で釣ったワカサギを丼にして食べたときの感動は、感動の食材との邂逅であり、ずっと忘れることはない。美味い「ワカサギのフライ」にありつくと故郷が恋しくなる由縁である。

健康相談にて妙齢の女医嬢から「あと3kg体重を落としましょう」とアドバイスされた

先日の健康診断にて血を抜かれた検査の結果が悪かったので、「健康相談」の招集通知が送られて来ており、気も漫ろに相談会場へと向かっていたた。ドアをコンコンとノックして入った部屋には、ただっ広い中で妙齢の女医さんが一人、おいらを待ち構えていたのだった。挨拶もそこそこに、妙齢女医さんが生活習慣が健康に大切であることを得々と講釈し始めていた。こういうときに「判っているさ!」という素振りを見せては失礼に当たるのであり、おいらはただ女医さんの話に頷いて、講釈を聴く羽目になっていたのであった。

十数年前に受けた人間ドックのときからの持病でもある「高尿酸血症」に加えてさらにマイナス点が加味されていたおいらの身体ではあるが、疲れやすくなったことを除けば別段に生活に支障を来すものでもないのではある。だから初めは素っ気なく受け答えをしていたのではあったが、然しながら折角の健康相談というチャンスを無為に過ごすのも勿体ないなと感じたおいらは、妙齢の女医嬢にこんな質問をぶつけてみることにした。

「おいらの身体は毎晩の晩酌によるアルコールが原因で弱ってしまっているのですが、アルコールを断つ良い方法はありますか?」

かつて身内にも断酒会に通っていた人間がいるので、半分くらいは本気の質問てあったのだが、女医嬢はほとんど表情を変えることなく、

「お酒の買い置きは止めましょう。それから、1日2杯までにしましょう…」

等々と、とても熱心にアドバイスしてくれていた。自己申告によるおいらの1日の酒量は「3杯程度」だったが、実は4~5杯は行ってしまうこと屢々なりなのであり、自己申告とのギャップも大きかったが、女医嬢の冷静な受け答えとおいらの願望とのギヤップもまた大きかったと云えよう。「1日2杯に出来たら初めからしとるわ~!」てな関西弁が出ても可笑しくないシチュエーションだったのである。

それにしても「生活習慣病」の改善策というものは、これこそ本人の自己責任によるものであり、「お酒は2杯にしなさいね」と云われながらもついつい3杯、4杯とグラスを継ぐおいらが悪いのは当然ではある。心して掛からねばならないと重々と反省の今宵なり。

妙齢女医嬢はその後もアドバイスを続けてくれて、「あと3kg、体重を落としましょう。そうすれば数値も改善すると思いますよ」と勧めてくれていたのだ。「たかが3kg、されど3kg」なのかもしれないと、女医嬢のアドバイスに従ってみることにした。1日30分程度の散歩」や、「午後8時前の夕食」やら「お酒を1本控えること」やらで、3ヶ月の間に3kg落とすことが出来るというのだ。どれもがおいらにとっては至難の業ではあるが、3kgマイナスに向かってチャレンジすることにした。今日のまとめではある。

小ぶりで身が淡白なのが天ぷらにうってつけの「キス天ぷら」を食す

スズキ科の魚のキスと云えば、もっぱら日本では天ぷらにて食されている。小ぶりな種類が多い為かは知らぬが、キスといえば天ぷら以外の料理はほとんどマイナーなものとして留まっている。

サカナ科の愛称として、おいらも「カツオ」と称されており、かつての友人達には「マグロ」「トロ」等の仲間が居たのであり、当時おいらたちに仲間入りしたいという女性に「キス」さんが居たのである。小ぶりで淡白で色白で知的であり、多分キスがしたくなるような、魅力的な女性だったと記憶している。そんな彼女の調理法に天ぷらしかないことには、些かの違和感を禁じ得ないのだ。

焼いたり煮たりしては、このキスと云う魚の持ち味が殺がれてしまうのであり、刺身にするのには少々身の押し出しが足らない。創作料理用の食材にもピンと来るものが無い。

或は冬の湖面の下に生息する「ワカサギ」に似ているかも知れないが、ワカサギが主にフライにして食されるのに対してキスは専ら天ぷら専用ではある。骨も細くして繊細なことこの上なき食材であるが故の天命であったと云うことなのか…。

JR東日本の企画で立ち飲み店「缶’s Bar」がオープン

秋葉原駅周辺を歩いていたところ、あるビルの1階ホールに蝟集する人々の姿が目に飛び込んできた。ほとんどは黒か紺色スーツを身にまとったサラリーマンたちであり、彼らに混ざってOL、おたく青年たちがまばらに入り込んでいる。近づいてみたところ、「缶’s Bar」という立ち飲み店であった。

入り口周辺には大量に並べられた缶詰めの棚がそびえている。それを眺めながら入った客は、各々好きな缶詰を手にとってカウンターへと進み、これまた好きな酒とともにの注文を行なう。缶切りがさりげなく置かれており、会計を済ませた缶詰は客が自ら缶を開けていく。そんなセルフサービススタイルが自然にマッチしている。立ち飲み店の新しい姿と云えよう。

棚に並べている缶詰は、鮭、ツナ、オイルサーモン、コンビーフ、貝類、焼き鳥、うなぎの肝缶等々、多岐にわたっており、中には「おでん缶」なるアキバ名物もその一角を占めていた。品揃えの多様さ、おたく受けするマニアックさ等から、アキバならではの品揃えと頷くこと請け合いなのだ。

こじんまりとした狭いスペースながら、店員等の関係者が多く見受けられていたのだが、この店はJR東日本関係の社内ベンチャーの一種の、さる企画で立ち上がったのだという。オープン当初の賑わいはまるでお祭り騒ぎである。この喧騒が果たして何時まで続いていくことやら、注目していきたいところではある。

■缶’s Bar
東京都千代田区神田花岡町1-19
JR秋葉原駅総武線高架下

東京で、今年2番目の雪

近頃の天気予報は当たるようで、今日は天気予報の予想通りに、東京など南関東地方一帯に大雪が訪れた。

今年2番目の降雪であり、東京で見る雪にしては大雪である。都下の積雪は5cmを超えていると思われるが、明朝までに都心でも1~2cmの積雪が見込まれるという。朝の通勤は要注意である。

ありそで無かった「マグロのタタキ」だが、味はいまいち

「マグロのタタキ」というメニューを目にして思わず注文してしまった。ありそで無かったというメニューである。そして出てきたのが上の写真。マグロの身を軽く炙りスライスしたものだった。つまりは「カツオのタタキ」のマグロ版だ。見た目もカツオのタタキによく似ている。

そして口に運んだところが、まるで大味であり、パリッとした皮の風味も食感も香ばしさも無く、カツオのタタキとは似て非なる味わい。繊細なカツオの味覚は微塵も味わえない。やはりタタキのメニューはカツオのものに限るのである。

カニ味噌にまつわるエトセトラ

先日某居酒屋にて「カニ味噌」を食したのだが、箸は全然進まなく、ホッピーのつまみとしてはこれは低級ものなりと感じていたのだった。かといってその場所でご飯を注文するわけにも、或いは日本酒熱燗でちびちびやっていくわけにもいかずに、所謂まずい時間を過ごしていたのであった。

そもそもカニの味噌というのはカニを丸ごと食うときに必然的に遭遇するべき珍味であり、それを何匹否何杯もの部分ばかりを寄せ集めてみたところで、ホッピーのつまみはおろか、一般的メニューにもならないのだ。珍味が珍味たる所以は全体中の一部位としてのハーモニーとして味わうべきものなれど、そんなハーモニーを奏でない代物などは、本来の珍味とは云い難いのである。

そういえば「渚にまつわるエトセトラ」という歌謡曲の一節には、カニにまつわる以下のフレーズがある。

♪カニ 食べ 行こう
 はにかんで 行こう
 あまりにも 絵になりそうな
 魅力的な 白い ハッピービーチ

二人組デュオ「パフィー」が歌った4枚目のシングルで、そこそこ売れたのでパフィーはカニ業界の関係者からは神か仏かパフィー様かのごとくに崇められていると伝え聞く。作詞は井上陽水で作曲が奥田民生という当時のゴールデンコンビ。尊敬する陽水さんの作詞だとは考えにくかったのだったが、大ヒットした「アジアの純情」に続く徒花的陽水ワールドであったことは明らかであった。この詩がまた実にちぐはぐであり、バブル崩壊後の90年代後半の世相を反映させてもいた。渚へと向かったパフィーは過去のあれこれを吹っ切るようにして明るく乗り込んでいくのだが、彼女たちがハッピーなる渚でいかに大量のカニを食べたところで、残滓として堆積されるのは空疎な徒労感であったろうと想像されるのである。

今朝の雪にはぶっとんでしまった

今朝の雪にはぶっとんでしまった。TVニュースでは何度も降雪のニュースを繰り返していたので、家を出る前から憂鬱な気分にハートは蔓延されていたのだった。

♪   雪やこんこ 霰(あられ)やこんこ。
降つては降つては ずんずん積る。

などと歌っていた少年の頃の思いとはまるで裏腹に、都会生活にとっての雪は、魔物である。

ならば雪国の風景は何故に愛着をもたらすのだろうか? わざわざ雪を見に先日は北アルプスの雪見に出かけたのだ。雪国に降る雪と大都会東京に降り落ちる雪とはまるで違った風景にも思える。

以上、都会生活にとっぷりと浸かった人間の戯言ではある。

野田佳彦によるどじょうバブルで、庶民生活は逼迫しているのだ

先日、都内下町南千住の居酒屋「大坪屋」に立ち寄った際に、当店の売りの看板メニューである「どじょう鍋」が提供されなかったのだった。もとより「大坪屋」といえば、おいらが度々下町行脚のときには訪れるスポットである。

http://www.midori-kikaku.com/blog/?p=2200

「どじょう鍋」を注文したおいらに鸚鵡返しに「どじょうは仕入れがないんです」と返答した女将、そのときの大きな掛け声でその場は収まったのだが、しかしながら疑問は却って益々増大していた。どじょうが売りの居酒屋にどじょうが入荷しないという異常事態である。

庶民の行きつけの居酒屋で、庶民の味こと「どじょう鍋」が、かの野田佳彦のぼんくらおたく風演説で、バブルに突入してしまい、今時流通するのは駒形あたりかあるいは料亭等の特別な場所に限定されてしまったのだ。どじょうバブルを惹起させた野田の責任は甚大である。彼はこの落とし前をどう取るつもりなのか聞いてみたい。

もとより「どじょう」には責任はないのである。おいらもどじょうが大好きである。どじょうを持ち出し、中途半端に会田みつおさんの詩を引用したいんちき野田佳彦。

野田は相田さんの詩を盗用しながらも自らの恣意的な解釈によってオリジナルを歪めていたのであり、詩人に対する尊敬の念をもかけている。一流の詩が台無しである。つまり野田は会田さんの名詩をいい加減に引用しつつ馬鹿下駄政治的メッセージにりようし、馬鹿げた政治的メッセージとして利用していたのだから、その罪は軽くない。 続きを読む

黄金色したほくほくの「石焼き芋」に舌鼓なのだ

自宅への帰り道の自転車を走らせていたら、ふと「石焼き芋」販売の車に遭遇した。小さな車両に煙突を小脇に抱えた鉄釜の焼き芋機がとても懐かしい郷愁をそそっていたのであり、一度通り過ぎた道を引き返して、焼き芋一丁を注文。「小さいので良いですからね」というおいらの声に、「サービスだ、まけとくよ」という生きの良いかけ声が返って来た。これまた懐かしのロウを刷り込んだ焼き芋用の紙袋に入れられて、ほくほくの焼き芋が渡されたのであり、冷めないうちに早く帰って食べようと云う思いで、自転車のサドルを力一杯にこいで帰って来たのだった。

流石に汗をかくことはなかったが、息せき切って帰ってすぐに、石焼き芋を真ん中から二つに割ってみた。すると期待以上の鮮やかな黄金色した芋の身の部分が視線を凍えつかせるようにしていた。何度も何度も飽きることなく焼き芋の黄金色の身に視線を集中していたおいらは、ピンと張った芋の繊維の優雅さにも見とれていた。

そしてほくほくとして熱い焼き芋を頬張ったのだった。美味いことはもちろんだが、この品種はおいらが子供の頃に食べた頃にはなかったものである、きっとそうに違いない! という発見に、こころ時めかされていた。昔の焼き芋は素朴で美味かったが、こんなに瑞々しく水分を含んではいなかった。だから多少ぱさぱさしていたのだった。それなのに今日日の焼き芋と来たら、とろけそうなくらいにジューシーで瑞々しいのだ。これには驚きを隠せなかった。味もクリーミーであり、very good!

「TPP亡国論」(中野剛志著)の結論としての「おわりに」を抜粋引用

―――(引用開始)―――

TPPへの参加など、論外です。

この本で申し上げたかったことは、結局のところ、その一言に尽きます。

第一に、これまで議論してきましたように、TPP賛成論には、基本的な事実認識の誤りがあまりに多すぎます。例えば、日本の平均関税率は二・六%とアメリカよりも低く、農産品に限っても、平均関税率約一二%は決して高いとは言えず、穀物自給率はわずかしかないほどすでに開国しています。TPPに日本が参加しても、日本の実質的な輸出先はアメリカしかなく、アメリカの実質的な輸出先は日本しかありません。アジアの成長を取り込むなどというのは不可能です。

そして、アメリカの主要品目の関税率は低く、すでに日本の製造業は海外生産を進めています。その上、アメリカがドル安を志向しているのですから、関税撤廃にはほとんど意味はありません。そもそも、日本はGDPに占める輸出が二割にも満たない内需大国であり、輸出に偏重すべきではありません。

第二に、TPP賛成論者は、経済運営の基本をあまりに知らなすぎます。本書をお読みになったみなさんにはご理解いただいたと思いますが、需要不足と供給過剰が持続するデフレのときには、貿易自由化のような、競争を激化し、供給力を向上させるような政策を講じてはいけないのです。デフレ下での自由貿易化は、さらなる実質賃金の低下や失業の増大を招きます。

グローバル化した世界では輸出主導の成長は、国民給与の低下をもたらし、貧富の格差を拡大します。内需が大きいが需要不足にある日本は、輸出主導の成長を目指すべきなのです。そして、何においてもまずは、デフレ脱却が最優先課題です。しかし、貿易自由化と輸出拡大の推進は、そのデフレをさらに悪化させるのです。

第三に、TPP賛成論者は、世界の構造変化やアメリカの戦略をまったく見誤っています。リーマン・ショックは、住宅バブルで好況に沸くアメリカの過剰な消費と輸入が世界経済を引っ張るという、二〇〇二年から二〇〇六年までのグローバル化が破綻した結果です。アメリカは、この世界経済のいびつな構造を是正するため、そして自国の雇用を増やすため、輸出倍増戦略に転換しました。TPPは、その輸出倍増戦略の一環として位置付けられており、輸出先のターゲットは日本です。

特に、アメリカは国際競争力をもち、今後、高騰すると予想される農産品を武器に、TPPによる輸出拡大を仕掛けてきているのです。大不況に苦しむアメリカには、アジア太平洋の新たな枠組みを構築しようなどというつもりはなく、その余裕すらありません。

要するに、TPPへの参加というのは、世界の構造変化もアメリカの戦略的意図も読まず、経済運営の基本から逸脱し、その上、経済を巡る基本的な事実関係すらも無視しない限り、とうてい、成り立ちえない議論なのです。TPP参加の合理的な根拠を探す方がよほど難しいのではないのでしょうか。

―――(以下略)―――

飛騨高山にて山下清画伯の「放浪の天才画家 山下清原画展」に遭遇

飛騨地方への帰りに立ち寄った高山で偶然、「放浪の天才画家 山下清・原画展」に遭遇した。どうしてこの小都市にてこんな珍しい企画展が開催されたかも判らずに、兎も角も展覧会場に足を踏み入れてみたところ、おいらが初めて目にする山下画伯の原画が、会場を埋め尽くしていたのだった。

ところがここもまた「撮影禁止」の貼り紙がいたるところに貼られてあり些か興醒めではあっのだ。主催者側の勝手な都合で「撮影禁止」にするなどはもっての外の行為では有るが、旅の途中で野暮な抗議などしても仕方がないので撮影は諦めていたのであり、貴重な山下画伯の作品の息遣いを、視覚的にお伝えできないのがいと残念である。

よく知られている花火などの貼り絵のほかに、鯛、金魚、山女魚、鯖などの魚類や蝶々、ふくろう、蟻、かたつむりなどの動物や植物、その他様々な生命体がモチーフにされていて、それが切り絵と云う手法と相俟って、極めて高貴な創作品として展示されていたのである。

中には「タイに花火」という意外な取り合わせの作品も有り、これぞ我国におけるシュールリアリズム作品の極北ではないかとも思わせるものではあった。この傑作もまた「撮影禁止」などと云う馬鹿げた主催者側の意向で紹介できないのがいと残念なり。

非難ばかりでキーボードを置くのも詰まらないのでもう一言。

山下清画伯と高山市との関係性はほとんどないと云うことである。だが、当企画展のオーナーが熱心な収集家であるなどのことからこの展覧会が実現したと云うことであり、行きずりの旅行者としては行幸であったのかもしれないと思った。

地方都市でも益々に、このような熱心な収集家による展示会が開催されていくことを望む也。

■放浪の天才画家 山下清原画展
高山本町美術館
岐阜県高山市本町2-61
0577-36-3124

奥飛騨の「新穂高ロープウェイ」で雲上散策

奥飛騨温泉郷を旅しているおいらは、第1、第2の「新穂高ロープウェイ」で西穂高へと雲上スリップ、まるで雲上散策のような格別なる経験を味わったので紹介しておきます。

奥飛騨温泉から「新穂高ロープウェイ」に乗って、西穂高の眺望を目指していた。第1ロープウェイは新穂高温泉駅から鍋平原駅までの中距離飛行で時間にすると4分程度。そこから数分歩いて第2ロープウェイ駅始発の「しらかば平駅」へ向かう。続けて「西穂高」駅行きの第2ロープウェイに、7分程度の乗車をしたのだ。これが雲上散策の始まり。

雲の中を抜けて標高2156mの終着点駅に到着した。ここ西穂高駅展望台からの眺望は、かの「ミシュラングリーンガイドジャパン」にも2つ星として掲載されており、国際的にも著名な眺望となっている。だが本日は冬日である。宿の主人はおいらがロープウェイに乗ることを告げるや否や「今日は何も見えませんよ…」と、とても事務的な口調で告げたものだった。何度も訊ねて勝手知っている場所へのコメントなのだろうが、遠くからの来客への期待感をも殺ぐような発言には些かむっとしていた。

東洋最大級だというこのロープウェイの、2階建てのロープウェイに乗車する。乗車定員はなんと120名という超ビッグサイズだ。シーズンオフの今日は巨大な社内に1、2階にそれぞれ10名弱程度だったので、右に左に前に後ろへと移動して写真撮影に集中することができた。だが急勾配のロープに引っ張られて上がるときは、些か足元もがくがくとしていたようだ寒気で揺れる車内で、はじめは、特に登りの7分間は足がすくんでしまった。途中では日本カモシカの姿をキャッチし、同乗していた客たちと確認しあっていたときも、カメラを構える姿が遅くしかもがくがくであったので、決定的シャッターチャンスを撮り逃してしまったのだ。残念至極なり。

その後は眼下に北アルプス山脈の足場を俯瞰しながらいた。所謂樹氷の姿がワイルドに視界に突き刺さってきた。もうすこしすると視界は白い雲に覆われてきていた。水蒸気の塊としての雲の中に入り込んでいたのだ。雲上の散策に相応しい光景ではある。

頂上駅付近の気温はマイナス14度とアナウンスされていた。都会暮らしではあり得ない環境ではある。防寒には気を使ったが、それでも不安は残る。実際に頂上駅に降り立ったときから少しずつ寒さが下半身を直撃していたようであり、下山後は下痢を生じてしまっていた。山頂駅近くの歩道を歩いているときにすれ違った家族の3~4歳の少女はしきりに泣きじゃくっていたのであり、それをあやす若き夫婦は必死の形相をしていた。大人は耐えても幼少の子供にはきつかったのであろう。

奥飛騨「新穂高温泉」で雪見露天風呂を満喫


JR中央線の松本駅を降りて奥飛騨へと向かった。

松本には雪景色で迎えられたが、例年に比べて今年の降雪量は少ないという。昨晩久しぶりに降った新雪なのだと云い、バス運転手はしきりに「異常気象だ」とアピールしていた。バスに乗車して1時間半程度を過ぎたころ、岐阜県高山市内の平湯温泉にて乗り換え便を待つ。

やはり飛騨の北、日本の屋根とも称される北アルプスに抱かれる地帯だけあり、ここはもう完全な雪景色の中。バスを乗り換えてそこから約30分、奥飛騨温泉郷の最奥の「新穂高温泉」に到着したのだ。

まずは名物の露天風呂につかる。粉雪の降る景色の中での雪見風呂は格別だ。おそらく氷点下であろう外気はこれ以上ないくらいに肌寒いが、湯の中に沈めた身体はぽかぽかと内側から温かく、清涼な気が身体中を駆けていくようである。

夕食にはこの地の名物、飛騨牛肉を朴葉味噌で陶板焼きにしたものや、「熊汁」という熊の肉を煮込んだ汁物などが並べられ、久しぶりの贅沢な晩餐。寒い季節だからこその信州の旅の醍醐味なのだ。

宿泊した「深山荘」は、蒲田川にかかった吊り橋を歩いて渡ってチェックイン。背景の山々と宿とが織り成すモノトーンの光景は、古の水墨画を想起させるものであり、おいらも吊り橋を渡りながら、何度もカメラのシャッターを押していた。

とにかくここ新穂高温泉郷の湯量は豊富だ。しかも湯熱が極めて高いのである。上に掲載したのは貸切湯であるが、二つの貸切湯のほかもっと広大な共同露天風呂がいくつもある。蒲田川を渡った場所は新穂高温泉の魅力をあますことなくアピールした温泉地であった。

■深山荘
飛騨県高山市奥飛騨温泉郷神坂720-1

中野剛志の「TPP亡国論」は上滑りだが結論は正しい

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中野剛志氏については昨年からよくTV番組にも出演していることなどから、顔と名前は知っていた。反TPPの論陣を張る若手論客という扱いで、その他のメディア、マスコミにもちょくちょく顔を見せている。

今回その中野剛志氏による「TPP亡国論」を読んだのだった。多少の期待感を抱きつつ読み進めたのでが、読後の心象は決して満足できるものではなかった。何やら上滑りした筆致がいたるところで散見され、それが妙に気になってしかたがなかったのだが、最後までそれを払拭することはできなかった。恐らくは彼の議論の相手は、狭小な経営学村の住民か、或いはスポットをやたら当て続けるマスゴミなどがターゲットなのだろう。だから狭小な村の住民やマスゴミの舞台に関心がないおいらには、ぴんと来るものが極めて少ないのだ。

TPP参加という選択が誤りであることを、括弧つきの「学問的」見地から様々に述べているのだが、何かそこには肝心のものが欠けている。例えば生きた人間の「血液」を想起させる記述が極めて少ない。学者、研究者に対する攻撃的、皮肉的な、孤児を演じる様的言動は、却って彼の人間的浅ましさを浮かび上がらせてしまっている。こういう人間が書くもの、発言するものに対しては、一定の距離を置くしかない。過大な期待などせずに、その言動の部分を利用すれば良いのである。げんに今のところ彼の論理は、正しいことを示しているのだから。

中野氏の論理は「あとがき」に集約されているので、その一部を引用してみたいのだが、本日はここまでにし、別稿にて記すことにする。

凍える某日の、西新宿の夜景

上に掲載したのは、某日、新宿西口ニコンサロンの「第59回ニッコールフォトコンテスト入賞作品展」を鑑賞した帰りに撮影したスナップである。

父親がまた入賞したので作品を見に来たのがきっかけであったが、西新宿の夜景が見たくなったと云う気持ちもこの場所へと足を運ばせていた。

大都会新宿の、俯瞰した光景を眺めつつ、おいらは都会の喧騒と(矛盾するようだがそうではない)静寂とを、久しぶりにこの目に捉えてみたくなっていたのだった。

雪も嵐もない喧騒と静寂とがない交ぜにされている、おいらが大好きな風景である。