老舗書店「煥乎堂」も時代の波に取り残されていた

上州前橋に本店を構える老舗書店「煥乎堂」を訪れた。明治初年創業という伝統を持つ県内随一の総合書店として、地元の人々から親しまれてきた。おいらも物心ついた少年期から愛着を持ってこの書店を通ってきていた。川端康成さんがノーベル賞受賞した直後の小学生の頃には同店2階の文学コーナーを訪れ、女性店員のお姉さんに川端文学の美しさやお勧め作品のレクチャーを受けていたのであり、その講義内容はぼんくらな国語教師らを超えていた。いわばその場所は特別なスポットなのである。
http://www.kankodo-web.co.jp/

ところがそんな由緒ある老舗書店に異変が生じている。年々、訪れる度に客が減っているのだ。もっとも端緒なきっかけが「KEYAKI WALK」という一大ショッピングモールが駅南口の郊外にオープンしたことによる。ショッピングモール内には「紀伊国屋」書店が出店し、スペースや扱い書籍の数、等々で県内他店を圧倒している。

かつては「書物の宝庫」と自他共に認めた煥乎堂書店だが、現在は残念ながらその面影はない。陳列されている書籍群のほとんどは都内の有名書店ならばどこでも入手できるものばかりであり、「地元コーナー」扱いものの充実度も、過去の数十分の一という印象だ。げんに地元出身「司修」本の過去出版本はほとんどなく、近作数冊が並べてあるのみ。紀伊国屋KEYAKI店に後塵を拝していることは客観的に認めなければならないだろう。

実家の暮れの定番は「カニスキ鍋」

上野のアメ横に立ち寄り上州の実家に帰省した。アメ横の目当ては蟹であるる。いつも買い求める大降りの冷凍タラバ蟹と、今年は毛蟹を併せて購入して帰省電車に乗り込んだのだった。

この数年間、我が実家の暮れの定番は「カニスキ鍋」となっているので、今日もまたそんな鍋料理に精を出したのだった。

鱈よりもワイルドな味わいがナイスな「ドンコ鍋」

これから冬も真っ盛りの季節には、美味い鍋料理を発見することも所謂一つのテーマとなっていく。その第一弾として記念しておきたいのが、「ドンコ鍋」だ。実にラッキーな偶然から地元の居酒屋にて食することとなった。

湯豆腐鍋には欠かせない「鱈(タラ)」の様な白身の淡白な味わいである。然しながら鱈の身と比較すると、ワイルドな味諏に満ちており、身はざっくりと筒切りにされており、いささか小振りだがワイルドな白身のエキスを味わいたいときには取って置きのメニューとも云うべきなる、おすすめ食材てあり、鍋料理なのである。

ドンコとはハゼの一種とされており、姿形もハゼを一回り大きくした様な格好である。だが鱈よりはかなり小振りである。何とも特徴を示し難いが、ドンコの身はとても美味だったことは間違いないのだ。

断捨離をしたくはあれども知恵も技もなし

昨今の日本社会は「断捨離」がブームであるようだ。ヨガの「断行(だんぎょう)」、「捨行(しゃぎょう)」、「離行(りぎょう)」という考え方が基本にあるとされていて、老若男女が思い思いの断捨離を行なっている光景に出会すのだ。

朝方の通勤電車の中で見かけた初老の女性が、何やら大きめの、A4版程度かそれ以上はあろうかという大判のMOOKを開いていたので、ついつい覗き込んで見たりしていたら、所謂「断捨離本」なのである。熱心にそのMOOKに見入る姿には、それこそ断捨離への厚い思いを感じ取ってもいたのだった。

こういうおいらも「断捨離」には思いを強くしており、この年末こそは断捨離を断行したいという密やかなる計画を抱いているのだ。引っ越しの度に数を減らしていた書物は最近になってまたぞろ数をとかすをを増やしており、我が家における余計な収容スペースを要している。一度読了した書物を手元に置いておく意味などはほとんど無いことを、「断捨離」以前の考察から感じ取っていたのであり、何とか早く処分したいと思っているところなのだ。

だがいかんせん、生来のものぐさ的性格が災いして、未だに成し届けないままのおいらなのである。

ところで「断捨離」関連のベストセラー本は、やましたひでこ、近藤麻理恵の両氏によるものである。ともに「ときめくもの」か否かを捨てるか捨てないかの基準に置いているようであり、ときめきの無いものなどはどんどん捨て去ってしまいなさい! というメッセージを発信している。このメッセージが新鮮に映るのは、今日的な社会状況が背後に控えているからに他ならない。

誤解を恐れずに書くならば、やましたひでこ、近藤麻理恵の両氏による書物などはまやかしであり、本来のヨガの精神とはほど遠いものであると云ってよい。まやかしが跋扈するという現代日本社会を象徴しているかのごとくの「断捨離本」に関しては、疑ってかからなければならない。ヨガや或は禅宗の教えとも連なる本物の断捨離を行なうには、おいらもこから勉強しながら技を磨かねばならないということを痛感しているのである。

寒い特別な日の「ブリカマ焼き」

本日もまた寒い日であった。熱燗、お湯割りと云った酒類が居酒屋で飛び交っている中、おいらは相も変わらずに定番のホッピーをすすっていたのだった。ところで今日の日はある種の特別な日であり、亡き妻へのささやかなプレゼントなどを用意して時を過ごしていた。

地元で立ち寄った居酒屋で、「ブリカマ」ことブリのカマ焼きを食した。遠火でじっくりと時間をかけて焼き上げて出されたそのカマ焼きは、想像した以上にさっぱりと、塩味も控えめに味付けされて、とても美味であった。鯛の身よりもコクがあり、味わいも深いものであった。ブリと云う魚もまた調理の仕方次第で、特別な料理になり得るのだった。

師走の上野「アメ横」界隈を散策

師走のこの時期になると、買い物客でごった返すのが上野のアメ横。ほぼ毎年のように暮れ正月の帰省前にはここアメ横に立ち寄って買い物をしていくおいらである。今日はその下見も兼ねての散策である。「庶民のアメ横 楽しい買物」という巨きな横断幕が入り口で迎えていた。

マグロ、カニ、ホタテ、等々、鮮度良好の魚介類売場に混じって、伊達巻、カマボコ、等おせち食材の売場も賑わっていた。おせち食材は多少ものもちが良いことから、今ごろが購入のピークだと見られる。そしてここアメ横だからこそなのだろう、クリスマス関連ものがほぼ見られなかったことがとても新鮮に感じ取られた。

上野から御徒町にかけてのガード下界隈には、古くからの居酒屋が林立している。やはりここはいつもの「佐原屋」にて一杯引っ掛けることになる。身体が温まるおでんとともに、これまたいつもの「納豆とんぶり」を肴にしてホッピーで喉を潤す。

もう一週間もしないうちにお正月を迎えるが、「佐原屋」はといえば、チェーン店ではなく自営店であることを良いことに、9日までの長期休養が予定され、母さん、娘さんはじめとして店員嬢たちは、今から浮き浮き気分の様なり。

新しく発見したメニュー「ハスキン」を注文。出てきたのは蓮のきんぴらであった。どおってことは無い、が、好きなメニューであることには違いなく、蓮根のシャリシャリした触感をかみ締めつつ、師走のときを過ごしたのでありました。

宮城みゆきさんの「名もなき毒」は、これからの人間社会の「毒」を象徴しているのかもしれない

[エラー: isbn:9784167549091:l というアイテムは見つかりませんでした]

クリスマスの今日の話題には些か相応しくない書名かもしれないが、本日、宮城みゆきさんの「名もなき毒」を読了したので記しておきます。

地元の某書店のランキングに依れば、文庫本の売行きNo.1なのだそうである。決して売れていると云う理由だけではなかったが、数年ぶりに宮城みゆきさんの作品に接していたのだった。時代の空気というものを小説と云うメディアに描くのが得意なこの作家には、かねてから注目していたのだが、作品に接するのは数年のブランクが存在していた。

物語はまず、青酸カリという「毒」による無差別殺人的事件を描きつつ展開していく。被害にあったのは5名、彼らのほとんどの間に特別な関係性は見当たらない。このうちの幾つかが便乗犯によるものだと云うことで、幾重にもの重層的な物語が展開されていくのである。

そしてもう一つの「毒」が描かれていくのだが、そのテーマ的主人公が、原田いずみというトラブルメーカーの困った女性なのだった。某大手企業の広報室のアルバイトとして雇われた原田いずみは、数々のトラブルを起こした後に解雇され、広報室に関係者に対して毒殺ならぬ「睡眠薬殺」を企てる。そして全国的な指名手配犯としての後半の犯行が待っていた。彼女の姿に描かれた生態こそがもう一つの「毒」となっていた。

世の中の数々の「毒」をテーマにして、所謂「市民」の関わりが物語の中心的なテーマとなっていくのだ。

そもそも人間存在の「毒」というのは、今始まったことではなく、昔からの人間存在の中で在ったものではある。だがしかしながらそういう言葉では示せないくらいの「毒」は、改めて現代人にとっての脅威の的となっているのだ。

簡単で即効性のある解決策などは存在しない。

八王子の「宮城」で、河本次長発案の「このトラーメン」を喰らう

八王子市南口にあるラーメンのデパートこと「宮城」。ご存知「ファンキーモンキーベイビーズ」が売れない頃から贔屓にしていたラーメン店であり、ファンモン考案の「ファンモン麺」は、全国から彼らのファンが食べにくるくらいに全国区のラーメンメニューだ。

本日は同店で、変わったラーメンを食したのだ。その名も「このトラーメン」という。命名者でありメニューの発案者、はお笑いコンビ「次長課長」の河本次長だという。

このラーメンの特徴と云えば、白味噌味のスープに細麺のストレート、そして刻んだタマネギが大量にトッピングされていること。トッピングされた刻みタマネギは、八王子ラーメンの基本を踏襲しており、熱々の味噌スープにも、良いハーモニーを奏でていた。

発案者の河本次長はこれに「七味」を大量に掛けて食べることを勧めている。だがこの七味はラーメンには似合わない。どう味わっても似合うことは無いのである。

■宮城
東京都八王子市子安町4-26-6
TEL 0426453858

鉢植えの「ポインセチア」を買って帰った

鉢植えの「ポインセチア」を買って帰った。

この時期、クリスマスの季節になると、街中の至る場所でこのポインセチアを見かける。日照時間が短い冬になると色を付ける。極小な花の周りに一段と鮮明に広げているのはポインセチアの苞(苞葉とも云う)である。

濃赤色と緑色とのコントラストが色鮮やかであり、クリスマスを彩る色彩としてはこれ以上ないくらいにピッタリくる。クリスマスのイベントには縁薄いおいらではあるが、濃赤と濃緑のコントラストが街中を彩る季節に、サンタの外套やトナカイが被る帽子のようなポインセチアを眺めるのは嫌いではない。

村上春樹さんのヒット作品「ノルウェイの森」の装丁色として一世を風靡した「赤と緑」もこのポインセチアの赤と緑に縁深く繋がっている。春樹さん自らがこの2色の色彩には拘って実現したというが、西洋起源の御伽噺の基底色とも云えるのだから、赤と緑の出逢いの妙については何度も何度もこの目で鑑賞し尽くされると云うことは、決して無いのであろう。

クリスマスの鉢植えとして愛好されるポインセチアだが、実は同植物はメキシコ等中央アメリカを起源としており、寒さには弱いのだと云う。これから春にかけての手入れが大変であろうと、今から心配の種が増えてしまった。

冬至の日にゆず湯に浸かったのだ

本日は冬至。昼の時間がもっとも短い冬本番を告げる暦の日だ。寒気に凍えていた夜、地元の大浴場にてゆず湯に浸かり温まった。

イベント湯には大量のゆずを皮と実とに引き裂いてネットに閉じ込まれていた。風情はいまいちなれど、ぬるめの湯に浴しているおいらに、ゆずの柑橘系の刺激が鼻を突いたのだった。天然系柑橘の香りが心身に染みたのは間違いなかったが、ビタミンが全身から染み入ってくれればよいが、本当はどうしたものだろうか? 

こんな日は湯ざめなどしないように、温かくして早めに眠ろうと思うなり。

青春小説と呼ぶには勿体ない、ヤンネ・テラーの「人生なんて無意味だ」〔2〕

ヤンネ・テラー女史による「人生なんて無意味だ」という作品は、とても厳かにかつスピーディーにストーリーが展開する。

26ある章のそれぞれ全ての章にて、新しい展開に驚かされてきたとでも云おうか。極めて緻密な厳然たるストーリー性が存在しているのだ。

ネタバレになる怖れがあるので詳細は記せないが、同書の結末の印象は、決して晴れ晴れとしたものではなかった。我国の国情を勘案すれば、PTA関係者だかが声を荒げて抗議するたぐいのものであるとも云えるくらいだ。

かと云って誤解なきように記すのだが、同書は哲学的の内容に満ちているわけではなく、あくまでドラマツルギーを基本に据えた物語なのである。

これはとっても稀有な、世界的世界観を有する小説作品なのだ。

青春小説と呼ぶには勿体ない、ヤンネ・テラーの「人生なんて無意味だ」

[エラー: isbn:9784344020979:l というアイテムは見つかりませんでした]

デンマークの女流作家、ヤンネ・テラー女史による現代文学作品。13〜17歳の思春期の若者達が登場人物であることから、青春小説として扱われることがしばしばだが、その内容は厳か過ぎるくらいのものがあり、けだしこの作品を青春小説のジャンルに括るのは至極勿体ないことと思うなり。

大人が読んでも充分に読み応えがある現代小説として、グイグイとその作品世界に引っ張り込まれてしまったのだ。

ドイツ、フランス、オランダ、スペイン等、欧州各国の言語に翻訳されており、このほど我国日本語にも翻訳され、発刊の運びとなっている。欧州各国の読書家を中心に深く読み継がれている経緯も、成る程なと頷けるものがあるのだ。

「人生なんて無意味だ」と叫んで学校から立ち去っていったピエールと、彼の元同級生たちとの遣り取りをめぐって物語は展開していく。

どうせ意味のあるものなんて何もないんだから、何をしたって無意味だと気づいた日に、ピエールは学校へ来るのをやめてしまった。

さて、我国でもポピュラーなる登校拒否にまつわる話かと思われるかも知れないが、ストーリーはもっとずっとプリミティブかつ重たい展開を示していくのだ。決して甘っちょろい青春小説の類いで扱ってはならないと云うことを、再度強調しておきたい。

ピエールvs彼の元級友たち。「私たちは大きくなって成功しなくちゃいけない」と考えている元級友達のほとんどは、ピエールへの敵意をむき出しにして相対峙していく。先ずはピエールが気持ち良さそうに横たわっているスモモの木に対して攻撃を仕掛けたのだ。「あいつに石を投げよう」という、誰かの提案に呼応しながら、元級友達はピエールへの攻撃に精を出すこととなっていった…。

(この稿は続く)

本日の朝食は、滋味豊かな百合根の卵とじ丼

今のこの時期、百合根が益々滋味豊かに美味しくなっていく。東北岩手などの北国ではポピュラー食材でもあるこの百合根が、関東に浸透したのはつい最近のことのように思われる。だから今なおとても貴重な食材である。いつものスーパーには無かったので少々遠出して探してきたものだ。

ところで百合根の料理と云うものは、未だ我国、殊に関東圏には広まることは無い。代表的なレシピの一つは、百合根をたっぷりと用いた卵とじ料理、即ち「百合根の卵とじ」であろう。早速その定番料理をつくった。卵とじというシンプルな料理だから、百合根という希少食材の持ち味を最大限に活かせている。

百合根の味わいは、例えば品の良い芋のようであり、かつ漢方素材のようなエグミがある。事実一般的に、百合の根の多くはエグミが強くて食用には適さない。百合根として流通されているのは特別な百合種の根ではある。

昨年の芥川賞作「乙女の密告」(赤染晶子著)を読んだ

遅ればせながらであるが、昨年上年度の芥川賞受賞作である赤染晶子さんの「乙女の密告」を読了した。
[エラー: isbn:9784103276616:l というアイテムは見つかりませんでした]

主な舞台は、京都の某外国語大学のドイツ語学科。バッハマン教授と大学で学ぶ「乙女達」とのやり取りをめぐって物語が進行していく。進行しつつある物語は「信仰」がテーマでも有る。ドイツ人教授のバッハマンは「ヘト・アハテルハイス(邦題名「アンネの日記」)」をテキストにしている。

其処で繰り広げられるテーマが、アンネを密告したものは誰か? そして何故か? と云ったものとなっている。戦後ドイツ社会における最大のテーマなのかも知れないものを、我国に持ち込んで、ドラマは所謂一つの「予定調和」的ビジョンへと進んでいく。戦後民主主義の底本をなぞって仕上げた、まるでレプリカのような読後感を抱かさせる。この読後感といったらまさに、欧米社会へのコンプレックスの裏返し的世界観に他ならない。

ドラマの展開はまるで少女漫画かライトノベルのように、テンポ好く、しかも軽く、進んでいく。テーマがどうであれこうしたテンポの好さはこの作者の持ち味なのだろう。ライトノベルは我国の純文学界を席巻しつつあることの、一つの証左であるとも云えよう。

純文学賞の「芥川賞」受賞作でありながら、軽い推理小説的要素を多大に含ませた作品でもある。だが最後の落ちは味気ない。とても味気なく、妙に失望させられた。ガッカリ千万であったことをここに記しておこう。

「山芋の磯辺揚げ」「明日葉天ぷら」はおいらの定番的揚物メニュー

生活習慣病対策やその他諸々の理由から、出来るだけ揚物料理は口にしないように努めている。だがこんなおいらも、時々食べたくなる揚物料理と云うものはあるのだ。

ことに家ではなかなか揚物料理というものをつくるのが億劫になるからにして、外食では好きな揚物を物色することもしばしばなり。上に示した「山芋の磯辺揚げ」「明日葉天ぷら」はその代表かも知れない。

活性酸素を除去するネバネバ成分が豊富な山芋は、油で揚げることによりホクホクとした食感を増していく。さらに海苔で包み込むことにより、磯の風味までを加えていくのだ。

おいらが子供の頃から好きだったメニューであり、とくに成人となって酒の肴を愉しんで以来、このメニューは周期的に口にしたくなる定番メニューなのでした。

そしてもう一品挙げたいのが「明日葉天ぷら」だ。おひたしではよく味わう明日葉が、あっさり揚げられることにより、つまりフライ的調理法ではなく天ぷら的調理手技によって手を加えられると、大好きな明日葉が絶品のメニューとして、顔を変えておいらの前に立ちはだかる。揚物的センスが溢れるメニューと云えるだろう。

染み出た出汁の最後の一滴まで旨い冬の牡蠣鍋

海のミルクとも称される牡蠣は、冬の季節は特にホツコリと身を肥え上げて丸々したその身を堪能させてくれるのであり、これこそは鍋料理にして味わうのが一番の味わい方だと思うなり。

白味噌は牡蠣鍋の味付けにのみ、その存在感を主張するかのように、甘くマイルドに牡蠣の身を包み込む。そしてたっぷりな牡蠣から染み出た白味噌スープは、最後の一滴まで飲み干させてしまう。メニューには無いが、ここに白御飯を入れて雑炊にしたらばさぞかし旨かろう。楽しみは先にとっておくのだ。

ギャラリー八重洲にて「世界一小ちゃい?!ミニ絵画展」開催

東京駅八重洲口近くの「ギャラリー八重洲」にて、「世界一小ちゃい?!ミニ絵画展」が開催されている。

■世界一小ちゃい?!ミニ絵画展
2011年12/12(月)~23(金)
ギャラリー八重洲
〒104-0028 東京都中央区八重洲2丁目1番
八重洲地下街中1号(外堀地下3番通り)
TEL 03-3278-0623

ちょうど葉書き大くらいの大きさのF1号キャンバス、サムホールサイズとも呼ばれる画布や用紙に描かれた作品が、1000点あまりが並んでいる。かといって全てサムホールなのではなく、「これ以上小さな作品を描けない」という理由からその数倍程度サイズの作品も散見されていた。

漫画家、イラストレーター、画家、作家など、およそ100名程度の出品者がそれぞれに10点程度の作品を持ち寄って展示された、ユニークな展覧会なのだ。戸川昌子、西村春海、種村国夫、などの見覚えのある名前の作家による作品も目にすることが出来た。

よくサムホール程度の作品は、大作のための下書き、習作として描かれることがある。おいらも、新しいビジョンの作品を描くにあたって、サムホール程度の習作を手掛けることはままに有るのだ。

だが当展覧会に展示されている作品群の大部分は、そういった習作的印象は薄いと感じたのだ。小さな画布や用紙の世界には、そんな小さな世界には、じっと覗き込んでみる興味津々の物語を受け取ることが出来る。例えば年賀状においても作品づくりが可能であろう。

早朝散歩で、チジミほうれん草と霜柱を発見

寒気の襲来は日ごとに強まり、朝の床離れは悪化する限り。だがこんな季節の朝にはとても感動的な自然の造形美が隠れているのだ。

冠雪した富士山を眺めながら朝の散歩をしていると、公園近くの家庭菜園には霜が降ったチジミほうれん草が大きな葉を広げていた。数年前から冬になるとこのほうれん草を食するが畑で育つこの野菜に接したのは初めてだったので、些か興奮を覚えたものだ。

近づいて畑を凝視すると綺麗な霜柱が立っていた。微小な結晶の完成度に魅了された。

冬に旬を迎えたカンパチの旨い刺身を味わった

冬が旬の魚と云えば、先ずは「ブリ」が挙げられるが、「カンパチ」もまた、体長1m以上になるという大柄であるとともに、ブリに勝るとも劣らぬ味わいが魅了させる。ブリの仲間とされ、体長はブリ以上にもなり出世する。

その身はブリの身よりも淡くて透き通る様な人肌色と鮮やかなピンク色をしている。先ずは旬を目で味わうのがカンパチに対するときの手順である。。これが可能な海の食材など、カンパチ以外に想像することが出来ないくらいだ。

ブリに比べて脂の乗りは控えめであり、その分あっさりした味覚である。口に含んで噛んでみれば、鯛等の白身魚とは異なって独特の味覚に潤されること、冬の味覚のベスト5に入ること間違いなしだ。