富士山を目の前にすると気持ちの奥底がしゃきっとするのは何故だろう?

日本一の山こと富士山。富士五湖旅行では、大月発の「富士登山鉄道」の車内からずっと富士を視界に入れつつあったのであり、富士の姿をまさに目の前にした時間と共に過ごしていたのであった。

河口湖、本栖湖には湖面に映った富士の鏡面像、所謂「逆さ富士」を捉えることの出来るスポットが有り、おいらもその場所へと足を運んでいたのだった。当日は晴天でありながらとても風が強く湖面を吹きつけていたのであり、とても逆さ富士が出現する気配は無かった。現地の人に聞いたところ、逆さ富士が拝めるのは年間に数日しか無くて、冬や春の穏やかな日に限られると云うことなり。ただ富士の麓の湖を訪れたから拝める光景ではないと云うことは明らかだった。

そんな時間の経過と共に改めて感じていたのは、富士山を目の前にした時のしゃきっとした心情だった。何故だかは判然としないのだが、兎に角しゃきっとしている、しゃきっとしてしまうと云っても良いかも知れない。

そんな富士山の存在感の巨きさを感じるのである。3776mという日本一の標高を有していながらしかも気高く、凛々しく、特別なバランスを有している。高くしてしかもバランス良く存在すると云う、いわば世界的に見ても稀有な存在としての霊峰なのだ。

其れかあらぬかおいらの気持ちも特別にしゃっきりとしていた、そういう時間と共に過ごすこととなったのだ。