美味いどじょうが食べたいのだが、近くにどじょうの店は無し

野田佳彦という「どじょう総理」が誕生したことにより、どじょう人気が高まっている。地味で泥臭いが実行力があって頼もしい…等々の評価のためか、どじょう人気はバブル期の株価の様でもある。

念のために記しておくが、おいらはどじょう総理が誕生するずっと前からどじょうが大好きであった。おいらこそは野田総理にも引けをとらぬくらいなどじょう大好き人間なのである。のみならず、当ブログにもどじょう料理については数回記述している。

http://www.midori-kikaku.com/blog/?p=4477

http://www.midori-kikaku.com/blog/?p=2200

あらためて振り返ってみれば、たまに行くならこんな店、としての「どじょう料理」を紹介してきたが、いざどじょうが食べたいと思ったときに、近くにどじょうを提供する店が無いことに気付いた。地元のよく行く居酒屋のメニューには「どじょう鍋」があったのだがいつも「売り切れ」だった。今年に入ってからはメニューに墨で塗りつぶしてあった。嗚呼残念。

そんなこんなの経験を繰り返しているうちに、どじょうと云う川魚は、馴染みがありそうでいて実はそうではなくて特殊で稀少な川魚のではあるまいかと考えていた次第なのである。

野田総理がそれほどに特別な存在であるとは毛頭思えないが、ことどじょうの存在については、とても稀少であり特別な存在感を持つのであると、ここ数日の間ずっと考えていたと云う訳なのだ。

どじょうを食べると須らく、泥や骨の味覚を一緒に味わうことになる。泥と骨とは、今日的政治家の資質としての大切な資質であると云うことなのかもしれない。ただし野田総理がそんな資質を有しているのか否かについてはもう少し観察、洞察の必要がありそうなのだ。