咲き誇るばかりが桜の姿なのではない

多摩の桜は今が見ごろ。八王子「富士森公園」へ出かけて見た桜は満開なのに、人の姿は少なかった。

こんなときに花見で浮かれていてはいけないという、日本人特有の気質の表れだろう。とはいっても桜の姿を目にして心が安らがないはずもなく、こんなときこそじっくりと桜鑑賞といきたいものだ。ちょうど多摩地区では今が桜の満開期である。じっくりとこの目に刻み付けておきたいと、富士森公園へと向かったのだ。

この公園で主流を成す染井吉野の桜は花びらがほの淡いピンクなのが特徴であり、力強さにはいまいち欠ける。一度に咲いてパッと散るという桜のイメージは、この淡いピンク色が相俟って、儚さを印象付けている。

大きな幹の中から枝を伸ばして、そっと咲いた桜を見かけた。派手さはないがこちらの花弁には、艶やかさやエネルギーを感じさせる。大勢で群れを作るのではなく、そっと息衝いているという姿はまた興趣をそそる。

ここまできたら後は散るだけだ。そんな潔さを見て取ることのできる桜は、今の季節にしか出会えないのだから、そんな出逢いを大切にしていきたいと思うのである。

斉藤和義の「ずっとウソだった」に拍手を送りたい

近頃はどのマスコミを開いても「頑張ろう、ニッポン」のオンパレードが続いている。別段そのことに意義を唱えるつもりもないが、これを思考停止と呼ばずして何と呼ぼうか。自粛ムードが高じて社会全体の思考停止状態が続いていくとなれば、由々しき状況であると云わねばならない。

そんな状況の中で、斉藤和義の「ずっとウソだった」ソングの発表はユニークであり、なおかつ極めて創造的な行為であった。ご存知のヒット曲「ずっと好きだった」の替え歌として歌われ、YouTubeにアップロードされた。その直後からネット上ではこの歌の話題が沸騰していたという。斉藤和義を語る偽者ではないか? いや本人だ! 等々の喧しいやり取りが行われてきた。

そんなこんなの末梢的なやり取りに対しては、斉藤和義本人がUSTREAMの生歌披露で吹っ飛ばした。番組で自らが替え歌を披露したのだから天晴の一言である。オリジナル曲を遥かに上回るインパクトとメッセージ性を有した名曲である。

図らずとも騒動となった状況下にて、可笑しなやり取りがまだあった。ビデオ画像が投稿されたYouTube上にて、その投稿を削除しようとして奔走した人間どもがいた。投稿しては消え、また一般投稿者がアップした投稿ビデオを、さらにまた何者かが削除していた。いわばいたちごっこ状態を生じていたのだ。

その投稿ビデオの削除に関与していたのが誰か? という命題に移るのだが、そんなに難しい問題ではない。斉藤和義が所属するレコード会社、ビクター音楽産業の関係者であろうことは、推察容易なのである。これほどまでに堕落したレコード会社とアーティストたちの関係性については、稿を改めて論じていきたいものだ。

岡本太郎グッズに注目なのだ

全国的なものかどうかはさておいて、東京国立美術館「岡本太郎展」における岡本太郎さん人気は凄まじい勢いを呈しているようだ。会場前に設置された通称「ガチャガチャ」と呼ばれるグッズマシンでは、大勢のマニアが競うように行列を作って、太郎グッズを求めていた。

「岡本太郎アートピースコレクション」と名づけられたそのシリーズは、全部で8種類あり、8種が揃ってコンプリートということになる。どれが出るのか判らないが故に何十回もガチャガチャを続けるマニアが登場する始末なのだ。彫刻作品のミニチュア版レプリカであり、手元に置いておきたいというマニア心を刺激する。

おいらは収集マニアではないのでそこまではしないが、あの顔のグッズはぜひ欲しい。また機会があったらチャレンジしてみるつもりだ。

http://www.kaiyodo.co.jp/taro/index.html

サラリーマンの街、神田で「ひつまぶし茶漬け」を食す

神田を歩けばうなぎの店にぶつかる、というのは些か大袈裟ではあるが、サラリーマンの街こと神田界隈には、うなぎ専門店が多数存在している。例えば「西口商店街」の1本道を歩いただけでも3軒のうなぎ専門店に遭遇したのだ。

仕事の打ち合わせで神田に赴いたとき、そんなうなぎ専門店のうなぎ料理の「ひつまぶし」を食したのです。

ひつまぶしというのはご存知のように、うなぎの蒲焼を細かくして、重箱にまぶしたもののメニューである。まずはそのままにひつまぶしの美味しさを味わい、途中からはお茶をかけて「お茶漬け」にして食べるというのが一般的な食し方なり。

一つのお重箱メニューで2度楽しめるということから、このような食べ方が広がっていったのだ。

お茶漬けにしたひつまぶしは、香ばしいうなぎの身とお茶の爽やかさが相俟って、とても美味なる味わいのハーモニーというべき味覚を愉しませてくれたのでした。

庭のチューリップが緑色の蕾を見せた

去年の秋に球根を植えたチューリップが育ち、緑色の蕾を見せていた。

http://www.midori-kikaku.com/blog/?p=2354

去年は植えてからもなかなか芽を出さないでいたので、一時はあきらめてほうっておいたのだが、おいらが知らないうちに芽を出してすくすく育っていたのである。それだけ長い期間に根を張って育っていたのだから見事である。

カラカラの天候が何日も続いていたのに、よく育ってくれたものである。肥料をあげた覚えもない。葉は瑞々しく、葉脈の中には生きた細胞が詰まっていることを示していた。

久しぶりに近づいて葉脈の中を覗いていると、緑色した蕾を発見。その姿はまるで嬰児のように小さな産声を発して泣いているようにも見えたのだ。

もう少ししたら、原色の花を咲かせるのだろう。だがつかみ取りで入手した球根なので、何色に色づくのかも見当がつかない。早く見てみたいものなのである。

秋刀魚の開きには日本酒の熱燗がよく似合う

富士山には月見草が、カレーにはらっきょうが、そして、秋刀魚の開きものには日本酒の熱燗がよく似合うのである。

本日、地元の小さな居酒屋に立ち寄り、いつもの串焼きを食していたのだが、隣の客が秋刀魚の開きなどを注文して焼いている姿などを目の当たりにして、おいらも思わず同じものを注文していた。

そうして冷凍秋刀魚の開きの焼き物にありついたのであった。秋に収穫される秋刀魚がこの季節に出ているというのは、ほぼ全てが冷凍の開きものであることは明らかであった。だがおいらは無性にそれを食べたくなってしまったという訳なのであった。

こんがりと焼けた冷凍秋刀魚の開きが目の前に出てきたときに、甚大なる食欲とともにふと欲しくなったのが日本酒の熱燗であった。魚の開きに日本酒という、これくらいに相性の良い取り合わせはほとんどないのではないかと思えるくらいに秀逸な関係性を保っている。

魚の開きがあってこその日本酒であり、日本酒の特に熱燗があってこその魚の開きなのである。この強固な関係性は、他のいかなる食文化にも対抗できるほどの強烈無比なものなのである。そう確信しつつ、本日の筆ならぬキーボードを置くことにする。

中華版「レンコンの甘酢漬け」を味わったのです

中華料理店でメニューをめくっていると「レンコンの甘酢漬け」というメニューが目に付いてハッとした。今年の芥川受賞作品「きことわ」にこのメニューが登場したことを想い出したからだ。当ブログでも以前にそのことを記している。

http://www.midori-kikaku.com/blog/?p=3269

主人公・貴子さんがこのメニューをつくり、父親がその味にいたく感激するというシーンがある。葉山を舞台にしたこの小説世界の中で、重要なシーンを占めるこのメニューこそ、葉山的なセレブ料理であり、日本的なものだと思い込んでいたからだ。だが中華料理店にてこのメニューがあるというのは一体どういうことなのか?

早速注文して食してみた。甘酢の味付けは中華料理にしては珍しいくらいに控えめな味わいだ。繊細でもある。サクサクとしたレンコンの食感と甘酢とのハーモニーが絶妙に似合っている。

中華と繊細という概念はまるで対立するようなイメージだが、こと「レンコンの甘酢漬け」を味わう限りにおいて、対立ではなく調和が支配している。

ただ日本料理との大きな違いは、かつおや昆布の出汁が用いられないことである。日本の酢ものといえば「三杯酢」に象徴されるような、かつお出汁に酢や醤油、味醂をあわせて味付けされるのが基本だ。中華の甘酢漬けというものは、この日本料理の基本を踏襲することはない。そもそも出汁を活用するという食文化が無いのだ。

おいらが以前に調理したものに比べると、小ぶりなレンコンであることと、それが白化粧されているかのごとき見てくれの白さが際立っている。醤油や味醂を使用していないのが大きな違いだろう。

自分の料理が勝っているなどと云うつもりはないし、日本料理と中華料理の甲乙を判断しようなどと云う企みも持ち合わせていない。中華料理が日本料理を真似しようとしたのか? あるいはその逆なのかもしれない。こんな国際交流はあって然るべきであるし、これからもどんどんと増えていくのであろう。

和風ハンバーグのような「巨大つくね」に感激

行き付けの中華食堂の、日本人の経営による料理店に行ってみたところ、やはり中国人はとっとと帰国の便についていたようなのである。余程、地震や放射能に弱いのであろう。

日本政府をはじめとしての公式情報ではない色々の情報が行き交っていることなのであろうと想像される。こんな時こそ、日本人の日本人による正しい情報の遣り取りが求められている。

本日訪れた行き付けの店では、大震災以来中国人従業員の多くが帰国してしまっていて大変なのだと語っていた。

そこで食した新メニューが「大つくね」だった。まるで欧州料理における「ハンバーグ」のような風貌である。だが少し違っていた。姿形の違いだけではない。その違いは、西欧料理の主役でもある肉料理を日本的に味付け調理したというこん跡が認められていたということからのものである。

材料は酷似しているが、食材に対しての調理法はかなりの事柄を異にしていた。確かにどちらも美味いのではあるが、日本の食材とその調理法にてその旨味をアピールする方法がとても新しいことなのであった。和食の概念を一新したと云ってもよい。

中華の「ジャージャー麺」は盛岡のとはちょいと違う

東北の盛岡で食して以来、おいらは「じゃじゃ麺」の熱烈なるファンである。本日はそれと似て非なる「ジャージャー麺」を食したのであり、また新たな出逢いに遭遇したのであった。

大震災の後には一時休業していた中華料理店が開いていたので、訪れてみたのだった。そこで食した「ジャージャー麺」は、確かに美味しかったのだが、盛岡の「じゃじゃ麺」に比べると、ちょいと物足りない食べ物だと感じ取っていた。

「じゃじゃ麺」の麺が太いうどん様のものであるのに比べて「ジャージャー麺」は一般の中華麺である。その食べ応えの無さが先ず挙げられる。そして、海鮮食材が豊富な具沢山の餡の味覚は、盛岡仕様のものに比べると、いささか物足りないものであった。冷凍の海鮮食材が盛られていたその麺類は、お腹を膨らますものとしては充分であるが、味覚を満足させるものではなかった。

元来は「じゃじゃ麺」の元祖が中華の「ジャージャー麺」であり、オリジナルな評価で云えば「ジャージャー麺」に分があることは明らかである。だがしかしながら、食の愉しみを満足させてくれるメニューとしては、「じゃじゃ麺」のほうが上手である。日本の地域に根付いたこれらのメニューに、天晴なのである。