本日、我が家やその周辺には「計画停電」が訪れた。夕刻が深まって、予定時刻を30分ほど過ぎた頃、「ガチャ」という電気が落ちる乾いた小さな音とともに、それは思い掛けなくやってきた。予想はしていたとは云え異様な出来事だった。だが大地震で被災した人たちの苦しみ、悲しみに比べれば微々たるものであり、耐えて行く以外にないのである。
普段は煌々としたネオンを振り撒くコンビニエンスストアの入口が、ネオンの消失とともにまるで寂れた廃墟のように映っていた。店内にはいつもある品々が並んでいたのだが、消費者に取り入ろうとするような媚びた匂いは消え失せていた。
帰宅途上の町並みはまるで表情を控えた無言の役者たちのように静かにしていた。我家の玄関を開け、2階への階段を登るときには、只々黒い視界の先の物事に手探りで辿るようだった。まるで小学生の頃に初めての暗闇を体験した時のように、怖れと不安を感じ取っていたのだろう。
TV、パソコン等の電気機器が使用できないのはもちろん、書物を開くことさえ不可能となる夜の時間を、只々、キャンドルを前にして過ごすことしか術はなかった。おいらの家の2階の祭壇には十数個のキャンドルが置いてあり、その中の数個にマッチで火をつけて時間を過ごした。
ただ一言で述べるならば静謐な夜だった。とは云えこの時間はこれまでに過ごしてきたどの時間と比較しても明らかに異質でいておいらの興味を引いたのであった。それはまるで、高貴な思索に接する貴重な時間だとして受け取ることとなっていた。目の前に繰り広げられる炎の息遣いが、とても軽やかで優雅であり、満更ではなかったと感じ入っていたのだった。
約2時間の時を経て電気は開通していた。感傷を味わおうとしていたおいらの願いとは裏腹に、また通常の夜に戻っていたのだった。TVは付けたくなくなった。しばらくはTV無しの生活を味わっていきたいと思ったのです。