敏子さんあっての岡本太郎だったことを、改めて思う

本年が岡本太郎さんの生誕100周年と云う事情もあり、岡本太郎がおいらにとってのマイブームとなっている。

我が国の美術家たちの中でも太郎さん以外に好きな作家は数多存在しており、青木繁、佐伯祐三、福沢一郎、司修、等々と挙げればきりがないくらいだが、中でも岡本太郎さんくらいにストレートにその生き様に憧憬を抱かされた芸術家は居ないだろう。

上手にマスコミを利用し、操り、ときには道化の役割を担いながらも、彼独自の強烈なメッセージを発し続けた、そんな太郎さんの生き様は、些かも薄れることなく現代にその光彩を放っている。

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本日読んでいたのは「日本の伝統」という一冊。おいらも思春期の頃に熱い思いで読み込んでいた一冊である。元本の「日本の伝統」(光文社刊)の出版が1956年と云うことであり、ゆうに50年以上の月日を過ぎているが、そのメッセージは色褪せることがない。太郎さんが45歳のときの、日本文化全般を扱った名著である。

改めて読み進めるにつれ、言葉の表現力の多彩さ、強烈さ、ユニークさに圧倒させられていた。そしてその陰には、岡本敏子さんというパートナー、実質的な夫人の存在の重みが強く感じられたのである。

敏子さん、旧姓平野敏子さんと太郎さんは、太郎さんが36歳の頃に出会い、それ以来、実質的な妻としての敏子さんの陰日向における活躍があった。太郎さんの難解で突拍子もない言葉の意味を理解しながら、それを一般市民へのわかりやすい言葉として翻訳していく。更にそれのみならず、活き活きとした息遣いが増幅された言葉として、紡ぎだされていたのである。よくある「ゴーストライター」としての仕事を遥かに超えている。まさしく敏子さんあっての岡本太郎のメッセージだったのであった。

余談になるが、何故太郎さんは愛する敏子さんと結婚しなかったのだろうかという疑問が存在している。晩年に敏子さんは太郎さんの「養女」として、岡本籍に入ることになったのだが、何故に妻ではなく養女だったのかという疑問だ。フランスナイズされた「独身主義」を通すためだとか、母親(岡本かの子)の存在が理由であるとかの解説がなされているが、それだけで了解できるとは云いがたいものがある。

仏蘭西滞在時代の太郎さんは相当なプレイボーイであり、ガールフレンドの数はとても多かったという。そして帰国してからの生活はといえば、ガラっと変化してしまったのかもしれない。一人の女性に満足できずにいた太郎さんの姿がイメージされる。

それでも二人は永遠の同士だったのであろう。太郎さんの思いを何倍、何十倍にも増幅させて、敏子さんが言葉を紡いでいく。驚くほど深く強固なパートナーシップであった。

地元居酒屋の「ままかり」で一献傾けたのです

先の週末から今日までにかけて障害となる「計画停電」はほとんど実施されず、関東圏居住者は平常な生活を取り戻した様にも思われる。東北地方で被災した人たちには申し訳ないが、これが復旧、復興の第一歩となることを願うばかりである。

大震災の直後からは店仕舞い、国外逃亡をしたかに思われていた、中国人の経営による中華料理店にも明りが灯り始めている。「節電営業中」等々の貼り紙を貼って通常営業の一歩を始めたというところだろう。

放射能が恐くなって帰国した中国人も多いと聞くが、とりあえずは原発関連ニュースで収束の方向だととの情報を得て、国外逃亡を回避したのかもしれない。

さてこんな今宵は、地元の居酒屋で久々に一献を傾けていた。そして美味しい「ままかり」のつまみなど食していたので報告しておきたい。

「ままかり」というのは小さな青魚を酢漬けにしたものである。ニシン科の魚で「サッパ」と呼ばれる魚が原料とされている。「まま(ごはん)にあやかりたい」ということから命名されたというのが一般的な説だが、定かだとは云えないようだ。

しかしながらに確かにご飯が食べたくなったのである。ご飯を注文、オーダーすることは、通常の居酒屋ではご法度の様でもあり、今回は控えていたのである。

がしかしながら機会があれば自宅ででも何処でもだが、「ままかりご飯」を味わいたい、食したい。そんな思いを強くしたのでありました。

八王子「福の湯」のコーヒー風呂で温まってきました

帰宅途中に銭湯「福の湯」の看板を見つけて、ひと風呂浴びて帰ってきたのでした。その「福の湯」では大浴場の隣に「コーヒー風呂」というコーヒー色した浴槽があり、試しに入ってみたところ、いたく感動したわけなのです。

小さな浴槽で漢方湯をはじめとした様々な湯船に入ってきたが、コーヒー湯というのは初めてだった。湯船の前にある説明書きには、

「カフェインとテアニンが皮膚を引き締め、美肌がどうの…」

云々といった効用書きがあった。しかも

「コーヒーの芳醇な香りが気分をリフレッシュして…」

云々とまであっては、入って温まらない手はなかったのである。

コーヒーが果たして美肌に効果があるとは思えないが、何よりも香りを愉しめた。インスタントコーヒーを浴槽にばら撒いたのではなくて、確かにコーヒー豆の入った麻袋が浴槽の片隅に添え付けられていたのである。それを手にしたときのおいらには、淡いコーヒーの香りが漂っていた。

現在、自宅の風呂釜の調子が悪く、外で風呂を浴びる生活が続いている。健康ランド等の入浴施設を利用することが多いが、本日改めて、銭湯の良さを実感したのだ。

本日これから、「銭湯散歩」というテーマを、当ブログに加えていきたいと考えたのでありました。

久々に食したバチマグロの握りは美味かった

行きつけの寿司店で、勧めのメニューにあった「バチマグロ」の握りを食した。美味であった。

本マグロや黒マグロほど高価ではないが、マグロの特徴的な味わいを充分に愉しむことが出来る。握り寿司はマグロからというのが代表的な日本人の味覚のようだ。常々「マグロよりカツオが上等」という主張を行なっているおいらなのだが、流石にこの味わいのポピュラリティーは認めざるを得ないものがある。

バチ、メバチ、メバチマグロ、等々、地方によって呼び名はまちまちであるが、おもに日本近海の漁場で収穫されている。体型はずんぐりとしていて2m程度が標準である。

前記とだぶるが決して大型の高級マグロではない。けれども江戸前の食材としては、たぶんこちらのほうがメイン食材であったと想像されるのである。

公園の早桜が三分咲き

八王子市内の公園では桜が咲き始めていた。三分咲きといったところだろうか。来週あたりは早桜の本番が訪れると思われる。

春はすでに到来しているのだが、それに触れようとする人は極めて稀なようだ。これが日本人の習性なのだろう。おいらだって、桜が咲いたなどと大はしゃぎしたいわけではないのだ。

一見して自粛ムードが満開の昨今であるが、テレビの一部番組は軽薄なお笑い番組の垂れ流しを始めている。

タモリやその他笑いの巨匠が一時的にテレビから遠のいていたのは幸いであったと感じさせてしまう。彼らは今この時点で他にやることがないのだろうか? 極めて異常なテレビ関係者たちの姿であると受け取っている。

八王子市夢美術館「夢美エンナーレ」展での投票結果発表

以前にこのブログでも触れたが、八王子市夢美術館にて開催された「夢美エンナーレ」展が昨日終了しし、参加者の投票による受賞作品が発表された。

http://www.midori-kikaku.com/blog/?p=3451

http://www.yumebi.com/acv25.html

小嶋大慶氏の作品「八王子車人形の自画像」が大賞に選ばれた。地元の伝統芸能である人形浄瑠璃の一種である車人形をモチーフにした作品である。本人も人形遣いをするようだ。八王子市内にある「造形大学」の学生だという。こんな地元の伝統をモチーフにした作品が、若い作家によって描かれたと云う事は、この時に初めて知ったのだった。

準大賞は飯塚景氏の「言葉にならないものは沈黙しなさい」と、新出こずえ子氏の「Ancient Blues」の2点。

予め予想していたのだが、これらの作品は、おいらは投票しなかった作品であった。これらの伝統的な作品に対して、おいらは肯定的に投票しようという思いは抱けなかった。

おいらの投票した3点(一人3票の投票が許された)の中で、奨励賞に選ばれていたのが阿山隆之氏の「水牛と鳥」である。1973年生まれと云うことなのでそれほど若くは無い。先日は若いエネルギー云々という評価をしたのが誤りだったのかもしれないと、忸怩たる思いが去来している。

年齢的に若い作家が伝統的なモチーフに埋没しているとともに、そう若くは無い作家が奔放な作風で魅了している。こんなギャップがあったのかと、いま改めて認識を新しくしているところなのである。

東電に踏み絵を踏まされたマスコミ関係者に猛省を求める

週末以外はほとんど毎日のように、多摩地区には「計画停電」が襲っている。今宵もまたそんな停電に遭遇した。

予め判っていた停電だが、関東住民の全てがそのように整然としているわけではない。現在の計画停電情報は、ホームページ上で予告されるものが現実的な唯一の情報でもあり、ネット未使用者にとってはとても不親切なものに感じさせている。現においらの実家などでは、何時来るかわからない「計画停電」に、とても戸惑わされているのが実情なのだ。

テレビでは告知できないということが、東京電力による「計画停電」問題の一つのポイントとなっている。同じ市内でもグループが違うということが、混乱に拍車をかけている。しかも今日の発表によれば、グループをさらに細分化するのだという。まるで東京電力の思うがままの行政政策によって関東市民の生活が牛耳られているといってもよい。

現状が極めて不条理な現実にあるのだということを、関係者の全てが自覚するべきである。これらについての啓蒙が不充分であることは、大手電力会社によるマスコミ操作に要因があることを想像させるのだ。

東京電力をはじめとする大手電力会社はこれまで、数多くのマスコミ関連に対し、「原子力発電は安全である」という誤ったメッセージを発信することを強要してきたといえる。そしてその為に、数多くの傀儡マスコミ業界の運営に力を注いできたという現実がある。

かつての知り合いの出版編集プロダンション社長は、東京電力のパンフレットの編集を手がけていることをおいらにアピールするとともに、「今の時代に“反核”なんて事を云っていては駄目なんだよ。核開発は安全なんだよ…」等々と、呆れた主張を述べていたものだ。いくらかの収入のために、とうのほんにんみずからが踏み絵を踏まされたと云う事も自覚せずにいるとは、まるで馬鹿げた呆れたマスコミ人種であったのである。

このような類のマスコミ操作は東電はじめ電力会社の力をもってすれば、日常的なものであったろう。東電の「踏み絵」を踏んで、良心を捨て去った関係者、当事者たちには猛省を促したいと思うのだ。

岡本太郎さんの青春が投影された「青春ピカソ」

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岡本太郎さんの生誕100年記念の今年、書店のブックフェアにて「青春ピカソ」を購入し、読了した。

「ピカソに挑み、のり超えることがわれわれの直面する課題である。」という、巨大な意志を持って制作活動を行なった太郎さんによる、極めて個人的なピカソ論となっている。「個人的な」という意味は、ピカソを超えたいという太郎さんの切実な思いに加えて、ピカソという愛するべき存在に自分自身のありうべき姿を投影しているからだろう。

太郎さんは生涯に2度ほど、絵の前に立って涙を流したという。その一つが「セザンヌ」であり、もう一つが「ピカソ」だった。そのときの岡本太郎さんが放ったという言葉が凄い。

「ピカソの作品は私とともに創られつつあるのだ。」というのだから。

その後の太郎さんの活動はまさに、ピカソとともにあったのだろう。果たしてピカソを超えることが出来たのかは不明、否定的であるが、太郎さんだからこそ挑んで花開かせた世界がそこにあった。

「春の雪」襲来の夜に「タラチリ」を食したのです

まるで「春の雪」の襲来したごとき寒波が襲った夜に、「タラチリ」をつくって食した。豆腐、タラ、白菜、葱、昆布、の急ごしらえの、スローフードの鍋だった。

暦は季節を先取りする。季節は春分の日も通り越して、すでにれっきとした春なのである。春なのに雪が降るとはけしからんなどと云いたい訳ではないのだ。春の季節に雪があるという光景はある種の怖れ、自然への畏怖を感じさせるものである。そもそも自然は人間どもによって管理、コントロールされるものではけっしてないし、人間にとってそのような権利もある訳が無いのである。このような奢りは全ての人間には認められるものではない。

奢るものこそ久しからずなのである。日本国民みずからが奢ることなく、自然の摂理と向き合っていくことは人間としての基本的な掟である。とても陰鬱な夜ではある。少なからずの放射能に汚染された、核の脅威を含んだ春の雪が降ってきたのだから尚更なのでもあった。

さて、寒い夜には「鍋」に限るが、急ごしらえの鍋として食したのは「タラチリ」であった。豆腐、タラ、白菜、葱、昆布、等の食材を集めて鍋にしたシンプルな鍋だが、しかしながらこの取り合わせには絶妙なハーモニーを感じさせるに充分なのだ。おいらも大好物であり、シンプルでありながら食の文化を感じ取ったメニューであった。

余談になるが、おいらが幼少期、青少年期の頃に、「湯豆腐」といえば「タラチリ」のことを指していた。だが上京した頃をさかいにして、日本全国の常識に照らし合わせればそうではないらしいことを認識していた。とくに上方、京都出身の友人などは、

「タラの入った鍋は湯豆腐ではない」
「湯豆腐は豆腐を味わう伝統的な食物だ」

等々の薀蓄を聞かされたものだった。まるで「湯豆腐」は「タラチリ」より上等なメニューであるかの主張であり、おいらはこれを認めることは出来なかった。今宵は纏めることも出来ないのだであるが、その反論もいずれ述べていきたいものである。

パプリカ入りのチャプチェはいける。お勧めの一品

大震災後の食品流通事情の悪さの中で、控えものとして地味に並べられているアイテムを使った料理をレポートしていきたい。先日の「カレー」に続いて取り上げるのが「チャプチェ」である。

即席麺、カップラーメンに続いて、うどん等の乾麺もまた品薄となってきているようだ。そんな中で控えめに並んでいたのが「チャプチェの素」。ご存知「チャプチェ」というのは韓国の代表的な春雨料理ではあるが、これまでおいらは特段に意識して口にしたことは無かった。春雨料理といえば「麻婆春雨」「春雨サラダ」等の中華料理がメジャーである。それに比べるとなかなか日本には馴染が薄いし、こと韓流マニアの中でもそれほど重要視されたというものではない。

だが、ある種偶然にこのメニューに接して食したときのおいらは、まさに新しき歓迎すべき味覚への遭遇に、心を動かされていた。この料理で用いられる春雨は、従来からの馴染のものに比べて太くて弾力性が高い。新鮮な食感が舌を撫で回していた。

そしてもう一つ強調したいのが、パプリカとのマッチングである。チャプチェとパプリカが、凄く良くマッチングするのであることは驚きだった。

「チャプチェの素」の調理食材に指定されているのが、ピーマン、ニラ、キュウリ、であった。ピーマンが不作していたのかどうかは知らぬが、棚に在ったパプリカの鮮やかな色彩に目を留めたおいらは、迷わずに籠に入れていた。そしてそれが大正解であったということなのだった。まるで果実のようなエキスが、韓国風の調味料には良くマッチングしていて美味である。新しさとともに新鮮な素材の魅力を感じ取っていた。

パプリカは近頃ではよく目にし、時々は調理に使用することがある。ピーマンに形が似ていて大振りで、肉厚である。ピーマンのような苦味も少ないため、子供に人気の食材だと聴いたこともあった。ピーマンを南国風にアレンジした食材という印象である。パプリカの本場国ハンガリー等では、生食にて食されるともいう、それくらいにマイルドなピーマンなのだ。

このように見た目がカラフルで味はまろやか、パプリカ入りのチャプチェ料理は、最近のおいらの家料理メニューの中では、新しく定番に加えたいくらいにヒットメニューなのでありました。

東京国立近代美術館にて「生誕100年 岡本太郎展」開催中

昨日も述べたように、今年が岡本太郎さんの生誕100周年に当たることから、数々の記念展が企画進行中である。中でも目玉となるのが、東京国立近代美術館にて開催中の「生誕100年 岡本太郎展」である。大地震の影響で一時開催が中断されていたが、3月19日(土)より再開された。

http://taroten100.com/index.html

同展は、プロローグ、エピローグとあわせて9章の展示室によって、それぞれに独立したテーマ性を持たせた展示方法がとられている。岡本氏が生涯にわたって追求したテーマのそれぞれが、それぞれ具体的迫真的な作品群とともに検証されていくわけであり、成程よく練り込まれて企画開催された堂々たる展示会となっている。

おいらが今回の展示会にて特別なインパクトを受けたのが、最初の展示ルーム「ノン」である。そこでは12体の彫刻作品が展示されているのだが、それら彫刻作品がものとしてのもつ存在感、躍動感、呪術性、神秘性、それに加えて岡本氏個人のオリジナリティーが充満しており、岡本ワールドを象徴しているようであった。

岡本太郎さんの数ある作品の中でも、完成度の高さと云えば、彫刻作品がダントツである。もし太郎さんが「ゲイジュツ家」としてではなく「彫刻家」として活動を行なっていたならば、日本国内の評価は変わっていただろうと思われる。太郎さんが忌み嫌った「わび・さび」の文化圏内において、もっと高評価が得られたであろうとともに、数々の文化勲章等をものにしていたことだろう。ここまでは、反語的な意味で書いていることを理解していただきたい。

太郎さんへの評価、関心は高まりこそすれ衰える兆しは無い。喩え世間の評価が衰えたとしても、おいらの評価はうなぎのぼり状態である。今年はとことん、岡本太郎という稀有な存在に拘って、当ブログおよび「みどり企画」関連の活動も続けて行きたいと考えているところなのである。

とりあえず此処では、同展示会の会場の中で岡本作品に出会っていただいて、岡本太郎をあらためて体験することを勧めておきたい。伝説的なモニュメントのレプリカもあり、彼の芸術論が展開された書物の展示もある。岡本ワールドの全貌を体験するにはもってない機会であることは間違いない。

同展示会の出口付近には、太郎さんのメッセージを受け取るというイベントコーナーがあった。ひとり一つずつのメッセージが「太郎の言葉」として提供される。ちなみにおいらが受け取った言葉は、下記のとおりであった。個人的に心を揺り動かされた言葉だったということを記しておこう。
――――――――――――
何でもいい。
見物人ではなく、とにかく
自分でやってみよう。
動いてみよう。
――――――――――――

■生誕100年 岡本太郎展
会場/東京国立近代美術館(東京都千代田区北の丸公園3-1)
会期/~ 5月8日(日)
開館時間/午前10時~午後5時
休館日/月曜日[3月21日、3月28日、4月4日、5月2日は開館]、3月22日(火)※明日は休館です!注意してください

核の時代のメッセージを込めた岡本太郎の「明日の神話」

今年は亡き岡本太郎さんの生誕100周年にあたるとして、幾つかの記念展が開催、企画されている。書店では「岡本太郎コーナー」が設けられ、どこも足を止めて画集や著作本を開く人々で賑わっている。

本日の今にして改めて思うに、岡本太郎という芸術家の存在はまさに「核の時代」と云うべき今日の姿をモチーフ、テーマにして、旺盛な制作活動にあたっていたのではないかということだ。

渋谷駅ターミナルの内部には「明日の神話」という巨大なる壁画が展示されている。否々、展示等という一時的なものではなくして恒久展示としてのその壁画は、公共施設の心臓部に存在している。この壱事実をもって、岡本太郎という存在の重さを感じ取ることは容易である。それに加えて公共アートというものに対しての逸早い取り組みを、太郎さんは日本の誰よりも先駆けて行なっていたということを感じ取るのである。

些か前書きが長くなってしまった。3/11の東日本大地震がきっかけとなって発生した、原子力発電所の爆破事故という重大な現実に遭遇して、岡本太郎さんのかつて発したメッセージが心に響いていたというわけなのだ。特に「明日の神話」に込められたものこそ、今の現代人が受け取るべき大切なものが込められていると考えている。

壁画の中央にはのたうちまくっている骸骨が、そのとき(核の時代)の尋常ならざる光景を如実に示している。そして、それこそは、今の現実に引き起こされている光景でもある。

人間が自然界の全てを支配しコントロールしようとしてきたその結果が、核兵器の存在や核施設の建設へと邁進へと繋がってきた。そして今まさに、その崩壊が引き起こされている。

今こそ「核開発」などという悪しき言葉に惑わされることの無い、人間としての日常を取り戻すべきときなのであると思うのである。

日本のソウルフード「カレー」を見直した

ここ数日間の我が家では「カレー」を使ったメニューが増えている。コンビニ等に於ける「買い占め」ならぬ「買い控え」がその主な原因だ。

おにぎり、カップ麺、即席麺等のファストフードは確かに姿を消しているが、季節の野菜やカレーのルウ等の、古くから顔馴染みの食材は陳列棚にとても控えめに並んでいた。

そんな控えめな食材を購入して、ここ数日間を過ごしている。そして改めて感じたのだが、カレーの料理こそは我が国のソウルフードではなかったのかということだ。

買い占めなどという人聞きの悪い行為に訴えることなく、通常の生活を送っていくことは充分に可能だ。そのキーワードとなるのが「スローフード」なのだ。多少の、否々、基本的な調理の手間を怠らないことで、人間にとっての基本的必要需要を満たす食事を用意することができる。こんな時こそ時間と仲良く付き合って行きたいと思う。ファストフードではなくスローフードの見直しなのだ。

殊に時間の有効活用出来たのが「カレー」であった。近くのセブンイレブンに置かれていたのは「ハウスバーモントカレー」と「コクと旨みの味わいカレー」だった。子供向けではないほうのルウを購入した。セブンイレブンのオリジナル・ブランドだ。1箱で10皿分というくらいにコストパフォーマンスも高いのだ。これを利用しない手はなかったのである。

カレーのメニューは豊富にある。定番の「カレーライス」「野菜カレー」は当たり前として、「カレーのモツ煮込み」「カレーうどん」「カレーそば」「カツカレー」「コロッケカレー」「カレースパゲティー」等々と数え上げたらきりがない。

しかも幼い頃から親しんできた味覚であるから、決して飽きることがない。日本の代表的なソウルフードとして認定しておきたい。

「買占めは控えて欲しい」という枝野コメントのピント外れ

枝野官房長官が「買占めは控えて欲しい」云々のコメントを出していたが、とてもピント外れの印象だ。反自民の思いで支持をしてきた民主党の現政権ではあるが、事柄の軽重を量れないかのごとき官房長官の発言は、致命的なものであると云わざるを得ない。

確かにここ数日間のコンビニにおける商品数の低下、就中、おにぎり、カップラーメン、即席麺、等々が姿を消したことが、一部パニックの原因となり得ることは推察できる。だが「買占め」などというような大きな事象ではない。

本日は久しぶりにいつものスーパーを訪れた(というより入ることが出来た)のだが、大勢の利用者が殺到していたことを除けば、商品棚それぞれの光景は、即席麺やおにぎり等の商品が無かったこと以外に、普段とそれ程に異なるものではなかった。野菜類、肉類、魚介類等の陳列棚には一定の商品が並んでいた。

地震の翌日から都内のコンビニからは、おにぎり、カップラーメンの類は消えていた。馴染のコンビニ店長、店員の人たちからは、「被災地への食糧支援にまわされている為におにぎり類は入ってこない」という説明を聞いていた。とても合理的な説明であった。

これに対して官房長官の「買占め」云々発言は、果たして本音よりのものであったのか? もしそうならば現状認識において極めて稚拙である。さらに述べるならば、そこに些かなりとも政治的思惑などが入り込んでいたとするならば、事は重大である。

日本の国民が、おにぎりやカップ麺を買い求めたとして、大した問題ではない。市場では禿鷹ファンドによる「円」の買占め、或いは国内株式市場に対する荒らしの所業がまかり通っている。これらに対する強い警告を何故行なわないのか? こちらの問題を見過ごすならば、現政権の存在理由など無いと云うべきである。

2回目の「計画停電」に遭遇して思う

本日は市街地にて「計画停電」に遭遇した。昨日に「計画停電」が実行されたおいらの住まいの場所とは別のところだ。

途中の街道の交差点では巡査さんたちが笛とランプと、そして大声を張り上げて交通整理をしていた光景が目蓋に残っている。特別な大災難によるものとはいえ、何時までこんな状況が続いていくのかという不安が消える気配がない。

大地震の後遺症として最も懸念されているのが、福島県の原発事故に関するものである。メルトダウンが起こっているのではないか? あるいはチェルノブイリの事故と同様の事態に陥っているのかと、報道各社はその実態を実に細かく発信している。

細かな発信は有意義ではあるが、一面で無用な混乱を惹起するということを考慮しているのか? という疑問さえ生じている。問題の本質を見逃してはならないのだ。

果たして福島原発にて、炉心溶融が起こっているのか否か? 素人のおいらが口を挟むことではないが、この事実があるのか無いのか、はっきりとした政府機関の発表を希望している。

その判断によって今後の展開が明らかになっていくだろうとおもわれるのだ。

思いがけなく我家に訪れた、キャンドルナイト

本日、我が家やその周辺には「計画停電」が訪れた。夕刻が深まって、予定時刻を30分ほど過ぎた頃、「ガチャ」という電気が落ちる乾いた小さな音とともに、それは思い掛けなくやってきた。予想はしていたとは云え異様な出来事だった。だが大地震で被災した人たちの苦しみ、悲しみに比べれば微々たるものであり、耐えて行く以外にないのである。

普段は煌々としたネオンを振り撒くコンビニエンスストアの入口が、ネオンの消失とともにまるで寂れた廃墟のように映っていた。店内にはいつもある品々が並んでいたのだが、消費者に取り入ろうとするような媚びた匂いは消え失せていた。

帰宅途上の町並みはまるで表情を控えた無言の役者たちのように静かにしていた。我家の玄関を開け、2階への階段を登るときには、只々黒い視界の先の物事に手探りで辿るようだった。まるで小学生の頃に初めての暗闇を体験した時のように、怖れと不安を感じ取っていたのだろう。

TV、パソコン等の電気機器が使用できないのはもちろん、書物を開くことさえ不可能となる夜の時間を、只々、キャンドルを前にして過ごすことしか術はなかった。おいらの家の2階の祭壇には十数個のキャンドルが置いてあり、その中の数個にマッチで火をつけて時間を過ごした。

ただ一言で述べるならば静謐な夜だった。とは云えこの時間はこれまでに過ごしてきたどの時間と比較しても明らかに異質でいておいらの興味を引いたのであった。それはまるで、高貴な思索に接する貴重な時間だとして受け取ることとなっていた。目の前に繰り広げられる炎の息遣いが、とても軽やかで優雅であり、満更ではなかったと感じ入っていたのだった。

約2時間の時を経て電気は開通していた。感傷を味わおうとしていたおいらの願いとは裏腹に、また通常の夜に戻っていたのだった。TVは付けたくなくなった。しばらくはTV無しの生活を味わっていきたいと思ったのです。

こんな苦難の時こそスローフードの「肉じゃが」だ

地元のスーパーには、大地震の影響で午後5時30分にて閉店の貼り紙があった。慌てて食料を求めて買出しに向かったのは小さな八百屋店だった。そこで目に止まった「新じゃがいも」を購入して帰って、「肉じゃが」を作ったのでした。

「新じゃがいも」とは文字通り、新しく採れたばかりのじゃがいものこと。丁度この時期になると「新じゃがいも」或いは「新じゃが」等と名札を付けて店頭に並べられる。

皮は薄くてちょっと触ったら剥げてしまいそうだが、中身のほうは十代の青年のようにピチピチとしていて瑞々しい。食してみてこそ判るのだが、実にしっかりと身が締まっているのである。

東京電力の「計画停電」は合理的に機能しているのか?

我が家への帰り道に眺めてきた地元の風景は、節電の影響が大きいのだがそればかりではなく、ほの暗い景色に彩られていた。

ほの暗い景色というのをもう少し説明すれば、わずかな照明があるのだが周囲の人間空間を照らし得ていないことの風景とでも云おうか。電気というものと人間生活との関わりが、意外や浅薄なものではないかと感じ取っていたのである。

東京電力が「計画停電」を発表したのは昨日のことだった。「計画停電」の意味や必要性自体は理解できる。だが、この運用については極めて大きな「?(はてな・クエスチョン)」が存在していると云わざるを得ない。

最初に指摘しておきたいのは、これが東京電力はじめとする電力会社が、自らの存在理由を誇示するためのイベントではないのかという疑問、疑惑である。

福島県の第1、第2の原発においては東京電力のTVCM等にてその必要性がPRされ続けていたという経緯があり、それとともに、その必要性を改めてアピールする行為が今回の「計画停電」ではなかったのかという疑問・疑惑である。

誰かがTVでコメントしていたが、東京電力の不足分をまかなうには、全国の電力会社が協力しあえばいかにも可能であるということなのだ。それを敢えて「計画停電」のイベントに持ち込んで処理しようとしている。その根拠は極めて恣意的であると、ここに指摘しておきたいのである。

本日は「八王子画廊散歩」イベントの画廊当番

本日は「八王子画廊散歩」イベントの画廊当番であったため、午後の多くの時間を「ギャラリー芙蓉」で過ごしていた。

いろいろあったが、大地震にて東北地方の中心都市にも甚大なその影響が押し寄せているということである。宮古、気仙沼、久慈、等々の馴染みが深い街が自然の毒牙にかかったという、それは紛れも無い現実なのだ。

画廊の当番の時間に読んでいた本だとかについてのコメントは、次に持ち越すことにします。