赤城おろしという名のからっ風に吹かれた大晦日

上州赤城山の麓にある峰公園に隣接した墓地に、亡き妻が眠っている。毎年お盆やこの時期などなどに墓参りをしているのだが、今年はいつになく冷たい厳しいからっ風に襲われてしまった。そしてこの冷たい風が、記憶の底に埋もれかかっていた「赤城おろし」という名のからっ風であることを思い出したのだ。

本日のニュースによれば、北から南まで全国中に寒波が襲い、全国的に大雪を降らせているという。だが、こと上州近辺の関東平野一帯だけに晴れ間が訪れているようだ。一見して妙な真空スポットが現出したようだが、そうとは云えないのだ。北国が寒波に襲われた日に赤城山が立ち塞がって関東平野を守りつつも、からっ風という乾いた冷たい風を吹かせることになる。

駐輪場に止めた自転車が倒れたり、乾いた風に喉をやられたりというのは日常茶飯事である。それでも北国の吹雪、寒気を遮って立ち塞がる赤城山に敬意を払いつつ赤城おろしを受け止めている。こんな乾いた風景が、結構好きでもあるのだ。

天気予報によると明日もまた全国的に大雪が降る中で、上州および関東圏は好天気の予報だ。「ニューイヤー駅伝」の舞台がここ上州でもあり、このイベントに対して赤城おろしが大きな影響を与えていることを実感するのである。

師走にごった返す、上野のアメ横界隈

年の瀬も押し迫ってあと2日(1日と数時間)である。上野のアメヤ横丁界隈では、地元に帰省しに帰り行く地方出身者達が立ち寄り、地元に土産物などを買っていく街として有名だ。

実はおいらも、本日は帰省する前の土産物購入の為に上野アメヤ横丁を訪れたのであった。マグロ、タコ(酢ダコ)、イクラ、スジコ、数の子等々の海鮮もの売場に人々が群がっている。中でも鮨詰め行列の人々が足を止めて混雑なのが、蟹売場周辺。「北海道」ののぼりを揚げて営業する店、かぶりものをした店員が接待する店など、最近のトレンドのようだ。普段は賑わう舶来洋品専門店、乾物売場はこの時期ばかりは影を薄くしている。

まずは海鮮丼で腹ごしらえした後は、目的のタラバ蟹の売場界隈へと歩を進めた。「8000円」の値札が踊っている商品の前に行くと「2500円でいいよ!」という掛け声が踊っている。割引率にして約7割引だ。悪くない。結局はそんな売場界隈の中で手にとって気に入った、ふっくりと中身が詰まっていそうなタラバ蟹を手にして、帰省列車に乗り込んだのでした。

「カツ丼カレー」はやっぱり外れだった

「カツカレー」ならぬ「カツ丼カレー」というメニューが目に付いたので、試しに注文してみた。

まずはカツ丼の具、所謂カツの卵とじをひと口頬張る。豚肉も軟らかく程よく噛み応えあり。そして、カレーの中にカツ卵とじを浸して食べたところ、ピリリとしたカレーのスパイスが、卵とじのべちゃっとした甘さに似合わず、惨憺たる味わいであった。

その後はカツ丼はカツ丼として、カレーはカレーとして、別々に混ざることがないように分けて食したのだ。こういうものこそ、外れのきわものメニューの最たるものだろうと考えた次第なり。名古屋には、このようなきわものメニューが多いと聞く。このように何でもかんでも合わせれば新しいメニューが出来ると考えるのは、もののハーモニーということを欠いている。とても野蛮な思考癖と云わねばならないのだ。

世の中にはハーモニーを欠いたメニューが散在している。そもそもブログでもやっていなければ、このようなメニューを試すこともなかったであろう。もののハーモニー欠いた、謂わばアンハーモニーの味覚を体験することを得たのであり、たまにこうした体験をしてみるのも悪くないのだ。

年末この時期のTV番組はどれも酷いな

年賀状印刷をしようとセットしたプリンターの調子が悪く、給紙がうまくいかない。連続プリントはおろか、1枚印刷が出来ないのだ。それでもだましだまし給紙の位置、方向などを調整して終了。結局、印刷だけで2日間もかかってしまった。

やっと揃った2011年版年賀状を投函、ぎりぎり正月に間に合うだろう。年中行事とはいえ、これが終わらなくて年末が落ち着かなかったが、何とかほっとしている本日なのだ。

ほっとしているのも束の間、暇つぶしにかけている年末のTV番組は酷いな。ほとんどの局で特番だとか流しているのは、顔も知らない芸人やらタレントやらを集めて、内輪ネタで大騒ぎ。特番だから3時間もの長時間の垂れ流しだ。

それに加えて番組の低級化、低俗化はバラエティばかりではない。ニュースの時間といったら、またまた市川海老蔵ネタで大騒ぎ。結局は示談で手打ちとなったことを、これまた大仰な記者会見で述べていた。

たしか父親の市川団十郎は、少し前の記者会見で「示談はない」と説明していたんではなかったのか。それが一転、示談会見とやらには驚いた。歌舞伎役者の口も政治家に負けず劣らず軽いんだなぁ。1ヶ月以上引っ張った割にはニュース番組の決着もこのくらいかと、唖然としてしまった今宵なり候。

山路徹との不倫で女を上げた麻木久仁子さん

戦場ジャーナリストの山路徹という男。当代切ってのモテ男とばかりに、TVニュースを賑わせている。麻木久仁子、大桃美代子といった美女にモテまくり、ある時は不倫関係、ある時は二股ヒモ生活に明け暮れていたそーな。

一方の当事者、大桃美代子からはツイッター上で不倫関係を暴露されてしまった。そのニュースを最初に耳にした時においらは、大桃も洒落たメディアの使い方をするものだなぁと、謂わば感心していたのだが、騒ぎがここまで拡大するとは思わなかった。発信源である大桃自身も同様に感じたに違いない。

それにしても麻木久仁子の女っぷりは凄い。アラファイ(50歳前後の人間)でありながらあれだけの色気、若さを保っている人間など、そうそう見つかるものではないのだ。やはり「恋」という媚薬こそが、彼女の若さ、美貌の維持に大きく寄与していることは明らかである。

しかも麻木の女っぷりは外見だけではない。愛する男(少し前までは夫)の為に、金銭的援助さえ行なっていたというのだから、敬服の至りである。世の男ならばほとんどが、麻木さんみたいな美女に貢がれたいと希っていると思うのだが、どうだろうか? 過去の一時期にせよそのような行幸に浴した山路氏には、嫉妬さえ覚えてしまうほどだ。

そもそも不倫文化の国、フランスには、年齢を感じさせないい女を沢山輩出している。例えばフランス女優のイザベル・アジャーニは、年齢を感じさせない女として長らく世界に君臨していた。アジャーニこそは、恋や不倫に寛大な風土、国民性が生み出した稀有な女優だと云えるだろう。おいらは多少生理的に、アングロ・サクソン人種を嫌悪する傾向があるのだが、フランス人についてはケルト系とその混血が主流であるので別格である。アジャーニはアルジェリア系の混血であることを自ら公言しており、更にあの美貌の由来を感じ取るのである。

そして男優に目を開けば、フランス系男優の雄と云えばアラン・ドロンということになる。山路徹という男にアラン・ドロンの面影を投影させることは不可能ではない。彼の発する声質は、かつてドロンの声優を務めた野沢那智以上に嵌ってしまうだろう。金銭問題等々の渦中に投げ込まれた山路氏が、たとえこの後にジャーナリストを失業しても、声優、男優の道が残されているのであり、まだまだ捨てたものではない。

まぁこれも、所謂ひとつの余計なおせっかいということではあるのだが…。

花&フェノミナンはこれからもやってくれると確信した、クリスマスのライブ

天晴! やはり花ちゃんは凄かった。途轍もないエネルギーでライブ会場のメンバーを恍惚の渦に巻き込み魅了したのであった。昨日25日のクリスマスの夜に開催された「花&フェノミナン」ライブの夜に熱く燃えたライブは、今なおおいらの心に響いて消え去る気配もないくらいだ。

実はネット上には先日から、このライブが「花&フェノミナン」の最後のライブになるのではないかという情報がもたらされていたのだから、心安らかにはいられなかったのだ。

 どうもありがとうございました!
 花フェノは12月25日の
 ライブをもってしばらく
 活動を休止いたします。

というようなインフォメーションが「花&フェノミナン」の公式サイトに踊っていたのであり、もしやしてこれから「花&フェノミナン」の最後のライブ、歌声が聞けなるなるのかと、おいらは非常な失望感に捕らわれていたのだった。けれどもおいらが会場に居た花ちゃんに確認したところ、

「少し、少しだけ休みますよ。そしてまたやりますよ」

ということでありました。また先々活動を再開することを打ち明けてくれたので、少々安心もしていたのでしたのです。

この日のライブ会場は国立の「地球屋」。まず最初に「KORAKORA」のライブから始まり「THE FOOLS」へとバトンタッチ。そしてとりの「花&フェノミナン」へとバトンが渡るのに2時間以上の時間が経過しており、会場は前2ライブでの興奮でごった返していた。そしていざ鳳「花&フェノミナン」の登場と相成ったのです。

ファンならば皆知っている「君の月の部屋」からライブがスタート。

♪ 君の胸のぬくもりと 河の流れる音はおんなじだ
  国境をかけひきで 飛び越えるより
  あいしてる その一言で
  宇宙まで飛び越える 上も下もないところまで ♪

う~ん、響く! これ以上ないくらいに響き渡るリズムだ。そしてたしか、3曲目。「光の中へ」。これこそは至極名曲である。

♪ いくつもの 出逢いの旅の空
  すすけた顔で あなたと笑えば 道は転がっていく

  例えばそこが 世界のどんづまりでも

  目を開ければ そこには道があり
  ぼくらにはまだ行くところがある

  わずかなほんとうのことが この道には溢れてる
  風に吹かれた 唄うたいが 自由をまた唄にする ♪

次の道に踏み出すための一歩としての休養期間なのだろう。まだまだ彼らはやってくれると確信したのです。

村上春樹原作映画「ノルウェイの森」の限界〔1〕

村上春樹さんの原作、ベトナム系フランス人トラン・アン・ユン監督による映画「ノルウェイの森」を、遅ればせながら鑑賞した。単行本、文庫本を併せ総計1000万部以上を売り上げたヒット作が原作ということもあり、書店では毎日、同映画のPRビデオが流れている。懐かしいビートルズのメロディーがあれだけ流されていると、見ない訳には行かなくなってくるもんだ。仕方ない、見てみるか…。初めから過度な期待は持たずに府中の映画館へと向かった。

http://www.norway-mori.com/top.html

本編が流れて数分後に驚かされた。なんと糸井重里さんが大学教授役で出演し、ギリシャ悲劇についての講演を行なっているではないか。村上&糸井コンビで共著を持っている二人の仲だからこんな配役もあるかと、妙に納得させられる。村上ワールドの案内役として、うってつけの人選である。

スタッフカメラマン、マーク・リー・ビンビンによるカメラワークも悪くない。長回しシーンにも独特の揺れがある。常にカメラの視線が揺れている。決してうるさくも不安定さも感じさせることなく動いている。成程、村上ワールドの表現者としてのことだけはあるなと思う。監督とカメラマンとの良いコンビネーションだ。

だが直子役の菊地凛子ちゃんはちといただけない。元々村上春樹の大ファンでありオーディションでも積極的にアピールしたというのだが、彼女にこの役は不向きだろう。国際女優であり美人でもある。だがやはり、小説の世界の「直子」像を傷つけてしまっていると感じさせずにはおかないのだ。とても純な直子が病気を発症し、謂わば壊れていく様を表現できる資質を感じない。彼女を起用した必然性を感じ取ることが出来ないのだ。とはいえ仮に、井上真央、戸田恵梨香、新垣結衣、等々の人気女優が演じたところで、直子を演じ表現できるという保証など無いだろう。無いものねだりというものである。

もう一人の主役、松山ケンイチは、特段の美男子というではなく丸っこい顔立ちやら雰囲気に、春樹さんの面影があり、好意的に受け止めることが出来た。喋り方もこれならば、村上ワールドに登場する主役として異議は無い。

ところで主役二人の会話は、原作のそれとはだいぶ異なっている。春樹さんは映画制作に先立って、監督やプロデューサーに対して、「僕の台詞は映画向けじゃないから直したほうがいい」と語ったとされている。監督、プロデューサーへのプレッシャーを低減させようとする心遣いだったのかもしれない。細かい処ではあるが、「あれっ、こんな台詞があったっけな?」という違和感を持ってしまった。納得できないところも何箇所かあるので、これから原作を読み直して検証したいと思っているところなのだ。

これからの季節にこそ食べたい「しめ鯖」なのだ

日本の近海を行き交う回遊魚の旬の季節は過ぎて漁獲量も減ってしまったが、これからの冬の季節にこそ美味しいのが「しめ鯖」である。青魚の中では地味な種類とも云えようが、酢で締めたしめ鯖が重用されるのもこの時期ならではのものだ。

たっぷりと脂が乗った鯖は、この時期には主に九州沿岸で漁獲されている。それがしめ鯖として流通しているのだ。

鯖は昔から「生き腐れ」と云われるくらいに足が速い(腐敗しやすい)魚なので、酢で締めて日本全国に出荷されるのが一般的だ。生のままの刺身として提供できるのは、漁獲した当日でしかあり得ない。素人料理で作った鯖の刺身には要注意。特に加熱用の鯖を捌いて酢漬けにするなどはもってのほかである。

酢で締めた魚を特に「きずし」とも呼ぶが、きずしの中ではしめ鯖に敵う味は無いとされている。つまりはその特別な味わいを求めて、この冬の特別な時期には、しめ鯖が求められるという訳なのだ。

食したしめ鯖は、確かな仕事が施されている一品であった。酢のとがった酸味はほとんど無くて、青魚としての鯖の豊かな味わいが嬉しいくらいに口腔中に広がって来る。冬の味覚として特別なものだと云えるだろう。

見た目はいまいちだがいける10種類の「海鮮ばくだん」

まぐろ、サーモン、ホタテ、いくら、たらこ、とろろ芋、納豆、かいわれ、卵黄、刻み葱を合わせて、豪快にかき混ぜて食する。豊富な海鮮食材を使った料理なのだ。

海鮮ものにねばねば食材を混ぜて食べる「ばくだん」という料理はポピュラーになったが、これだけ種類豊富なものは珍しい。例えば「まぐろと納豆」というメニューをランチで注文するときなど別々に口に入れたほうが良いとしばしば思っていたのだ。けれども海鮮ものとねばねば食材は良く似合うということを実感した今、そんな思いは吹っ切れていた。夜には熱燗のつまみにして一杯。そしてその後は、御飯とセットで食したい一品なり。

「どくだし茶」で野草の恵みを味わう

近頃常用にしているお茶がこの「どくだし茶」。どくだみを中心にして、数種類の野草(どくだみ・はとむぎ・ハブ茶・熊笹・枸杞・アマチャヅル・ウーロン茶・キダチアロエ・ビワの葉・桑の葉・柿の葉・ほうじ)をブレンドしたお茶である。かつて岩手県花巻の大沢温泉自炊部に宿泊したとき飲んだ、あの時の野草茶の味によく似ているのだ。

http://www.bidders.co.jp/pitem/41090574

どくだみという薬草は「十薬」と呼ばれ、利尿・湿疹・腫れ物・蓄膿症などに効能があるとされている。梅雨時には白い花を咲かせ、生の葉を天ぷらなどにして食用に用いられることもある。薬草特有の匂いがして好き好きであるが、慣れてしまえば気になる匂いではない。はと麦はイネ科ジュズダマ属の穀物で、お米と一緒に炊いて食用にも用いられる。ビタミンB1が豊富で、利尿作用、抗腫瘍作用などがあるとされている。その他、桑の葉、柿の葉はダイエット効果が注目されており、昔から我が国でも糖尿病予防、肥満予防に用いられている。

「どくだし茶」というネーミングは、数年前からの流行語「デトックス(毒を出すの意味)」を意識してのものだろう。余り良いネーミングだとも云えないのだが、毎日5杯以上飲んで、毒出しならぬ酒出しに励むこともある。何しろ天然野草の香りと旨みと恵みを手軽に摂取できるのが嬉しいものだ。

下町に聳え立つ東京スカイツリー、現在529メートルなり

日本一ののっぽタワービルこと「東京スカイツリー」。先月末には500メートルを突破し、今日現在529メートルとなった。634メートルの完成形には未だ100メートル以上の建築を要するが、第二展望台の形も姿を現し、最終的なタワーのイメージを披露している。先日この周辺を散策したときの印象で云えば、濃紺の青空に向かってすっきりと伸びていく様が見事なりであった。

地元墨田区の押上、業平橋地区では、タワー完成を見越して様々なイベントが企画されているようだ。だがそんなイベント以上に興味を引かれるのが、新旧が交錯する地元の景観の推移である。古きものが取り壊されて新しいものばかりで占拠される街になって欲しくない。

一例で云えば、スカイツリーの公式キャラクターは「ソラカラちゃん」ということになっているが、それ以前にあった「おしなりくん」の方が知名度も人気も高かったのだが、主催者側の思惑などにてある種の横槍的に決定されたと想像される。嫌な噂や予感はまだまだあるのだ。東武鉄道の思惑によって、改造された似非下町が出来上がったりしては良い訳が無いのである。

なぎら健壱さんの「夕べもここにいた!」は正しい呑兵衛の手引書なり

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正しい呑兵衛の為の手引書として手元に置いておきたい1冊なり。類書に太田和彦氏の著書等が挙げられようが、どうも彼の書いたものはお高く留まっていていけ好かない。「まったりとして至高の味わいが」云々といった表現は流石に見つからないが、似た様なお説教臭さがぷんぷんと漂っている。何も居酒屋へ飲みに行った先で、海原雄山の講釈など聞きたいとも思わないのだ。

その点、なぎらさんによる同書の方は、講釈臭さが全く無く、純粋に酒とつまみと場所を愛し、呑み仲間との交流を楽しむ精神が満ちている。何しろ懐具合の心配もする必要が無いくらいに安価な店をセレクトしているのだから、普段着気分の好奇心で立ち寄るのにとても便利なのだ。吉祥寺「いせや」をはじめ、行きつけの店が何軒かあるが、まだ知らない処も多い。同書片手にこれから出向いていきたいものである。

ちなみに同書の表紙写真の場所というのが、先日「ハッピー★ホッピー」のライブ鑑賞で訪れた北千住の「虎や」である。お店を借り切っての撮影だったと想像されるが、立ち飲み居酒屋の場になぎらさんは程よく馴染んでおり、微笑ましいくらいだ。

水嶋ヒロ(齋藤智裕)「KAGEROU」の文学賞受賞と純文学の衰退

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ポプラ社文芸大賞を受賞したということでセンセーショナルな話題の、水嶋ヒロ(齋藤智裕)著「KAGEROU」。前評判とは裏腹に酷評の嵐の様相を呈している。気になっておいらも書店で3回程度立ち読みして読了。やはりと云うのだろうか、まるで映画のノベライズ化された本を読まされているといった印象であった。あるいは、妙にあれこれと手垢のついたコミック本のストーリーを作者なりの恣意性によってアレンジして作り上げられた作品とでも云おうか…。純文学としての作品を期待していた一読者としては、期待外れに留まらず失望の念を禁じえない。

閑話休題。

まあ、新人作家に対する毀誉褒貶は様々なものであるので気にすることはない。何も水嶋ヒロを芥川賞作家に匹敵する作家だと予想していた訳でもないのだ。ありのままに評価するしかない。

そしてそれ以上に暗澹たる予感として感じるのが、我が国の純文学或いは純粋芸術の衰退である。欧米各国それぞれ、純文学の作家を輩出している中で、こと日本という国にはそれを涵養する土壌があるのか否か? ちとばかり、欧米の事情とも鑑みつつ考察してみたいのだ。そんなテーマとして突き刺さってしまっている。いずれ当ブログでもレポートするつもりだ。

生シラスを食して考える、海洋国家日本の行末について

某居酒屋にて生シラスを食する機会を持った。シラスとは魚の稚魚を指して云うが、流通されて食卓に上るのはほとんどが鰯の稚魚である。駿河湾や湘南地域ではよく採られるものであり、殊に江ノ島近辺では地域の名物料理として有名である。それらの地方に行った際には極力、地域のシラス料理を探して食している。おいらの大好きな食材の一つとなっている。

東京近辺の料理屋等では主に「釜茹で」として調理されたものが提供されている。それを乾燥されたものが「ちりめん」であり、保存食としてポピュラーなものとなっている。関東では「シラス干」とも呼ばれている。そして近頃はたまに「生シラス」も目に付くようになった。どれもが御飯と一緒に醤油などを垂らして頬張れば、得も云われぬ味わいなり候。

未発達の骨が丸ごと食べられ、カルシウムの補給にうってつけであるとされている。骨粗鬆症を患う母親には、ことある度にこのシラスを勧めたりもする。天然のカルシウムを摂取するにこれほど適したものはないと思われるからだ。

海洋資源が豊富だとされていた我が国ではあるが、そんなこんなは過去の記憶になりつつあるのだろう。網にかかった稚魚をこれでもかと漁するやり方は考え直さなくてはならないのではないか? 稚魚に関する新しい漁獲量等の取り決めが必要になってくるのではないか? これからはシラスに限らず、海洋からの恵みを乱獲などすることなしに、海洋の恵みに対して謙虚に接していくことが大切だと思われる。シラス、鰯、等々のポピュラーな魚たちに対して、感謝の意識を持ち続けることが、これからの日本の食生活にとって極めて大切なことなのだろうと考えたのでした。

森山大道「路上スナップのススメ」と銀座「RING CUBE」の写真展

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今年8月に出版された森山大道「路上スナップのススメ」を先日購入した。「砂町」「佃島」「銀座」「羽田」「国道」の5章からなり、写真と文章による所謂、大道ワールドへの案内本という印象だ。

タイトルからも判るように、主にカメラマニア、写真学生をターゲットに、撮影術の裏側にスポットが当てられている。大道本としては最新作であり、ここ数年間の大道氏の新作写真や彼の取り組みに接するというだけでも一読の価値がある。仲本剛氏との共著となっているのは、仲本氏が大道氏の撮影に密着し、インタビューを交えて構成されたレポートという形を取っているからである。

写真家として活動を続けて半世紀あまり、ずっと気になる存在でありつつける大道氏。彼と併走するようにして仲本氏はスナップ術を記録し続ける。

「中途半端なコンセプトは捨てて、とにかく撮れ!」

だとか、

「写真に限らず、価値基準みたいな感覚が僕はとても希薄だから、一般的な基準や常識なんて、どうでもいいと思ってるんだよ」

だとかの、所謂「森山大道的語彙」は未だ健在であり、刺激的に心を突き刺してくる。

「路上スナップのススメ」では、デジタルカメラによる作品が目を引く。2008年頃からRICOH製のコンパクト・デジタルカメラを手に撮影された写真群が、同書の半分近くの分量を占めている。

おいらがこの写真群を初めて目にしたのは、2009年春頃に開催された写真展である。銀座の「RING CUBE」ギャラリーにて、「森山大道展 銀座/デジタル」と銘打った、撮り下ろし写真展が開催されていた。それは大道氏による初めてのデジタル写真の発表会でもあった。

銀座4丁目に聳えるギャラリーの作品群には、彼自身の影がそこかしこに見え隠れしていた。あたかもナルシスが鏡に映る自分の分身を愛したごとき光景を彷彿とさせている。散歩する大道氏と彼を追う写真家森山大道との隠れん坊みたいな、シチュエーションであった。

芸術家がナルシシズム的な資質を持つ例は珍しくないが、大道氏に至ってはあの年頃になって、童心に返って、銀座で鬼ごっこやら隠れん坊をしている姿が、とても微笑ましく目に焼き付いてしまったわけなのだ。

広角系レンズ描写が評判のRICOHデジタルだが、実際に撮影してみるとISO高感度設定下でのゴースト、ジャギー等の発生が目立つのが気になっていた。大道氏の作品群も例外ではなくそんなこんなが目立っていたが、そこはさすがに世界の森山大道。大道マジックとでもいうのだろうか、特異な表現効果をあげていた。それは特異な表現論を想起させるくらいの、インパクトを与えるに充分なものだ。

ミラーに映った大道氏の影絵、それはまるでナルシスが湖面に映った自身の姿に恋をしたまさしくその瞬間を写し取った、現代の影絵なのだと信じて疑わなかった。銀座という特異な場所で、探求するというより隠れん坊、鬼ごっこを繰り返す大道童。古希を越えてなお旺盛な彼は、来年4月にはデジタル写真のみの写真集「東京」(仮題)を発表する予定だという。これもまた待ち遠しい。

武蔵小金井「百薬の長」のおでんでほっこり温まってきました

JR中央線「武蔵小金井」駅南口は再開発が進み、数年前の商店街がすっかり消え去ってしまった。代わりにコンクリートで打ち固められた広場、イトーヨーカ堂を始めとする巨大商業施設、等々が立ち並びかつての面影は無い。その点で北口には小さな商店街に人々が集まり、小都市ならではの賑わいがある。

北口を出て徒歩1分程度のところにある「百薬の長」は、駅近でありながら長い歴史を有する大衆居酒屋であり、おいらも過去にはよく通っていた。もつ焼きの種類が多く、メニューを見れば20種類もが表示されている。そんな新鮮なもつの味を求めてやってくる客が多いが、おでんや煮込みもまた侮れない。冬に温かいおでんを頬張ればお腹も心も温まり、居酒屋巡りの醍醐味を味わえるのだ。もつ焼きを6本とホッピーを2セット、そしておでんを2皿のお替り。おでんをお替りしたのは珍しいくらいだが、それだけ温まってきました。

「酒は百薬の長」という古えの言葉から取った店名はユニークだが、同店では焼酎3杯、日本酒5杯までと決められていて、それ以上はオーダーストップ。つまりは泥酔者は店に来るなという訳だ。それかあらぬか地元の常連客はよく喋りよく笑うが、大虎で暴れだす酔客などは見かけない。六本木より小金井で飲みたいと思うこの頃なのだ。

■もつ焼き百薬の長
東京都小金井市本町5-12-15

日本の伝統的ラーメンに於ける「叉焼」「メンマ」「なると」の三味一体的トライアングルについての考察

自家製叉焼をつくったので、折角なのでラーメンを調理してみた。叉焼をもっとも美味しく味わえるのが、醤油ラーメンである。そして、他に合わせるトッピングに、メンマとなると等を用意した。

醤油ラーメンに於ける「叉焼」「メンマ」「なると」の3者はとても絵になる具材である。時代が移り変わろうともその3者のコンビネーションは衰えることが無いようだ。叉焼が醤油スープに浸ってジューシーな肉汁が溶け出したならば、その後ですかさずにメンマを取って頬張る。成程、豚肉の濃厚な味わいの後にはすっきりして繊維質のメンマの味わいが欠かせない。そして繊維質のメンマは更になるとを欲しがるのだ。なるとを頬張った後にまた、ジューシーなる叉焼が欲しくなる。ここに味覚のトライアングルが成立するのだ。この三位一体ならぬ「三味」が一体としたラーメンの具材こそは、伝統的ラーメンの姿かたちを強固にさせているのだろう。特段に理由も考え付かないが、とにかく醤油ラーメンといえば、「叉焼」「メンマ」「なると」の3者が欠かせない。

それ以外にあえて醤油ラーメンに加える具材として挙げるならば、海苔、ほうれん草、葱、煮卵、等々が提示されるだろう。だがしかしながら、「叉焼」「メンマ」「なると」の三位一体的トライアングルに比べれば、その姿かたちは主役の座を明け渡した脇役の様でもあり、とても弱々しく映ってしまう。一体全体どうしてなのか? そんな疑問に対する一番分かりやすい答えとして考えられるのは、それら3種食材が「肉」「野菜」「魚」といった食の3要素を代表しているという考え方である。科学的かつ医学的にも聞こえるので、採用しやすい論理ではある。だがしかし、疑問は解消された訳ではない。殊に注目すべきは「なると」である。これは同様の原材料からなるかまぼこにて代用するラーメンが無きにしも非ずだが、どうにも絵になり難いのである。

かつてはもしおいらの記憶が確かならば、子供の頃に食べていたラーメンには、かまぼこは無くて、なるとがトッピングされていた。では何故に、なるとではなくかまぼこが用いられなかったのか? その答えの一つがなるとの渦巻きであろう。なるとの語源は「鳴門」である。徳島県鳴門市の鳴門海峡には潮の満ち干に応じて、ダイナミックな海流の渦巻きが生じる。この渦巻きをモチーフにして渦巻き模様の練り製品が誕生したのだ。「の」の字を描いていて縁起が良いだとか、右巻き、左巻き、等々の説があるようだが、肝心なのはぐるぐるとした渦巻き模様が発するイメージである。すべてを飲み込んで渦を巻いていくイメージは、日本のラーメンにはとてもマッチングするものであったと思われる。子供の頃にはとてもラーメンが食べたかった。御飯があまり美味しくないと感じるたびに、ラーメンを欲していた。そんな過去の日本の原風景を、なるとが象徴しているとは云えないだろうか?

八角、シナモンの香り漂う自家製叉焼(チャーシュー)をつくったのです

スーパーで見栄えのする豚の肩ロース肉を発見。早速買い込んできて、叉焼づくりにチャレンジしたのでした。

そもそもラーメン用の具材として売られている出来合いの叉焼は、どれもが甘辛の濃い味付けばかりが口にたまってしまい、好みではなかった。ラーメンの具にするのは叉焼ではなく、しばしばハムを使っていたものなのだ。だから自家製の叉焼づくりには極力、甘辛さを抑えたものにしたかった。塩、醤油、砂糖は最小限にして、代わりに、八角、シナモン、生姜、葱、等々を多めに投入し、1時間ばかりじっくり煮込んだ。常温で時間をかけて冷ませば完成である。

厚めにカットして口に頬張る。八角、シナモンの香りが出来合いのものには無いくらいに、実に刺激的に広がってきた。白髪葱を挟んで、わさびを少々乗せて味わえば、また新しい刺激が口腔を満たしてくる。予想していた以上にオリジナルな叉焼に満足なのでした。

これで3杯分くらいはラーメンの具にも使える。保存食にもなるのであり、これからもちょくちょく作っていきたいメニューなのでありました。

北千住立ち飲み居酒屋「虎や」の「ハッピー★ホッピー」リカさんのクリスマスソングに天晴!

昨日は久々に訪れた北千住の街の居酒屋「虎や」にて、「ハッピー★ホッピー」リカさんのライブが開催されていたので行ってきたのでした。

「ハッピー★ホッピー」を結成する前にはジャズシンガーとして活躍していたリカさんの、取って置きのナンバーを心いくまでに堪能することが出来た、近頃には無かった体験なのでありました。おいらはクリスマスソングとやらには不案内であるが、ジャズやブルースのクリスマスソングの古典的楽曲を高らかに歌い上げていたリカさんには、天晴の一言であった。お陰で一足早いクリスマス気分を味わうことが出来たのでありました。

ライブの途中から合流した「ハッピー★ホッピー」あきひさ氏も、最終ステージではライブに飛び入り参加していて、アンコール曲は「ハッピー★ホッピー」のオリジナル曲となったのでした。やはり〆の曲はこれに限るなと思った。

北千住の「虎や」という店舗は、北千住駅西口を左手に降りて行くと、居酒屋が割拠する地域へ出食わすのだが、北千住の「虎や」という店舗は、そんな地域の居酒屋割拠ルートを少し歩いて辿り着く。お勧めメニューなどをHPにて配信しており、地元の飲兵衛たちの拠点でもあるようなのだ。この日はおでんの盛り合わせなどを頬張りながらライブに参加していた。とてもグッドな体験であった。

おいらの住居からはかなり遠いのだが、たまには訪れて一献傾けたいという居酒屋なのであったのです。ちなみにフォークの評論家として名声を博しているなぎら健壱さんもこの虎やの常連客なのだという。

■虎や (とらや)
TEL 03-3870-7998
東京都足立区千住1-39-8 トキワビル 1F

死者を食って生きる魍魎たちの生態

政界ではまたぞろ魑魅魍魎たちが、怪しい動きをおっ始めたようだ。ところで「魑魅」や「魍魎」と云えば今では絶滅間近ともいわれる妖怪の一種である。妖怪研究の第一人者、水木しげるさんによれば、魍魎とは木石の怪とも云われその特徴として、死者を食べる性癖があると教授している。以下に「妖怪画談」から引用してみよう。

(以下引用)-----------
昔から墓地のあたりに住み、葬式のときには棺桶から死者を引きずり出して食べることもあった。
また、昔は土葬であったから、墓を掘り返して死体をむさぼり食うということは“魍魎”にとっては容易なことであった。
しかし、“魍魎”は虎を恐れるので、墓の上に虎の像と柏の枝を置いておくと、“魍魎”除けになったという。
(引用終了)-----------

特異な性癖ではあるが、成程、その世界に死者が多いというのも納得なり。金庫番や元側近という多くの人間たちが不審の死を遂げている。死者が眠るところにこそ魍魎が群がるということなのだろう。