チューリップの球根を植えたのです

近くの公園で開催されていた「植木市」会場で「チューリップ球根のつかみ取り」というのをやっていた。一寸した興味でやってみることに。

ラッキョウか梅酒を漬ける大き目のガラスビンの中に球根が詰まっていて、その中に手を突っ込んで掴み取るというものだ。ふつう5個程度なのだそうだが、おいらはそのとき少々気合を入れたためか8個を掴み取っていた。掴むまでは良かったのだが中々手がガラス瓶から外れない。やはり取り過ぎかと感じたが、大事な球根を潰さない程度にするする徐々に、動かしながら、何とか取り出すことができた。

掌に乗せて見れば、まさに球根型した姿形やマチエールがなんとも可愛らしく、大切に育てたい気分がむらむら沸いてきて、球根植えに励んだというわけだ。

家の前の草むらがぼうぼうになっていたところを整理して、とりあえず土を10センチ程度掘り起こして球根をセットした。久しぶりの土いじりで手と足は土色に。草を刈っていたら30~40センチ程度の蛇に遭遇してびっくり! それでも一昨日の雨で土もしっとりと湿っていたので、作業は特に問題も無く終了したのだ。

チューリップは代表的な秋植え球根なので、今が時期的にはちょうど良いようだ。だが植物を育てた場所ではなく土づくりも何もしていない土地なので、ちゃんと育ってくれるかは全く予測は出来ない。あとは土と太陽と雨や空気や、土中生物やらに上手く育ててくれることを願うばかり。目指すはオランダ式の庭園造りなのだ。

月島や浅草の「もんじゃ焼き」が、どうもいけ好かない理由

関東人のおいらだが、もんじゃ焼きよりお好み焼きが好きなのだ。

10月10日は「お好み焼きの日」

鉄板の上で「じゅーじゅー」と焼いて食べるから、10月10日は「お好み焼きの日」なんだとか。ということで本日は、広島市と東京タワーが企画して「広島お好み焼きまつり」なるイベントが開催されている。業界団体があれば何かと「◎◎の日」を作りたがるが、これもまたそんな業界事情がもたらしたもの。我田引水、牽強付会も極まれりといったところだろう。

■広島お好み焼きまつり
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4547019.html

おいらは関東人であるが、関東風もんじゃ焼きよりお好み焼きが好みである。子供のころは駄賃を持って、地元の薄暗いもんじゃ焼き屋でもんじゃをほおばった経験があるが、あれはちといけ好かなかった。その当時、何が原因かっていうのははっきりしなかったが、今にして思えばそれが子供の幼稚な食べ物であり、すなわち邪道な食生活のひとつとして捉えていたからかもしれない。小さなへらを使ってねっとりした小麦粉のかすを食べるというスタイルも好かなかった。

地元群馬のもんじゃ焼きは、具といえるものをほとんど用いず、土手を作ることもしなかった。東京の子供たちに比べれば、当時からかなり貧乏性が身に付いていたのだ。つまり、本来はうどんやお好み焼きとして提供されるべきものが、子供相手だと手抜きの「もんじゃ焼きに」なってしまう。もんじゃとは腹を空かせた子供が駄賃を使って糊口をしのぐ程度の食べ物ではなかったということが、皮膚感覚(あるいは胃袋感覚)として強く記憶されているのだ。

月島のもんじゃは虚飾のブランド

いやそれ以上にいけ好かなく感じるのは、東京の月島や浅草で提供されているもんじゃである。それらは云ってみれば飾り物である。単にショーウインドーの中でのみ存在理由を持つ虚飾のブランド。ガラスで閉ざされた空間(つまりが窒息しそうになるくらいの月島空間等)においてのみ自己主張するだけの代物だ。

実際にじゅーじゅーとして焼かれたものを口に含めるならば、「お好み焼き」の方がはるかに食事の満足感を与えてくれる。焼き方にも歴史の重みが有り、文化的優位性においても「お好み焼き」に分が良いことは明白である。

一説によれば「もんじゃ焼き」は群馬が発祥だという。浅草や月島を敵に回してそう主張するからには根拠があるのだが、その根拠のひとつが、もんじゃこそ「貧乏食」の代表だという。つまり、高級具材をごてごて入れて焼くもんじゃなど、本来あるべきもんじゃではないというのだという主張である。群馬出身者としてこの主張には身に染みるものがあり、おいらもまた「もんじゃ焼きは群馬が発祥である」説を主張したい。故郷の群馬に帰郷して口にするもんじゃならば悪くは無いのである。

■いせさきもんじゃまつり
http://www.isesaki-yeg.jp/monja/

熊本風豚骨の「桂花ラーメン」は時々食べたくなる味なのだ

新宿へ立ち寄るとついつい食べたくなるのが「桂花ラーメン」。元々は熊本の地域ラーメンだったが、古くから新宿へと進出しており、もはや東京人にもなついている味である。おいらも学生の頃から親しんだなじみの味なのだ。

博多の豚骨ラーメンに近いが、豚骨に鶏ガラを加えて煮込んだスープが特徴的だ。豚骨のみのスープに比べればより複雑で、個性的な味わいなのだ。そして麺も太目であり、博多麺との違いも際立っている。もちもちと歯ごたえがあり、これが濃い目のスープに良くなじむのである。

トッピングには叉焼、煮卵、メンマ、ネギといった一般的なものの他に、キャベツ、高菜漬けなどが用意されているので、度々来ても飽きることが無い。

■桂花ラーメン 新宿東口駅前店
東京都新宿区新宿3-25-6

「たこのとんび焼き」は試す価値ありの珍味

蛸は一般的にアホ馬鹿野郎の象徴とされるが、ただし口は達者である。意味の無い、あるいは無価値の言葉ばかりを矢継ぎ早に口にして自分の言葉に酔う様は、さながら寅二郎映画に出てくるたこ社長そのまにて、世に蔓延るものではある。そのほとんどは内実の無い詐欺師の実態ながらも、口先八丁で世の中を泳ぎ回るのだ。全くもって不条理というしかない。

脳の中身は空っぽなれども口だけが達者で世の中を泳ぎ回る馬鹿社長、おっと違った蛸社長、そんな蛸の口を取り出して火で炙ってみたならば、結構美味かったということを発見したのです。

そのメニューの名は「たこのとんび焼き」。コリコリとした軟骨の食感がなんとも云えない。ガスの火で炙れば上質のモツの様でもあり、しかも磯の風味も楽しめる。なかなか侮れないメニューなのでありました。

たまにはタコ馬鹿社長の口先をちょん切って食べてしまおう。そんな気分にもさせる珍味なのである。ちなみにタコには「タウリン」という必須アミノ酸が豊富に含まれており、生態活動を行なうにとても良い栄養素なのだから、沢山食べてみるに越したことは無い。

小沢一郎の特異なる顔相が物語るもの

政治家小沢一郎氏に関するニュースが駆け巡っている。「政治と金」という古くからのテーマであるからして少々のことでは収まる気配は見られない。ところでニュース番組で刷り込まれる小沢一郎の顔相については、一言云っておきたいのだ。

加齢のひとつの目安ともされる目の下のくま。そのくまが極端に下方に垂れ下がって拡がっている。そんな顔相が、今の小沢一郎の表情の底流を特徴付けている。尋常ならざる苦労をこの政治家は体験しながら、今日のここまで登り詰めて来たのだろうことが、明らかなる「顔相」「人相」によって見て取ることができる。その苦労の中身は「権力闘争」「自己顕示」という類のものであるからして、賛美される筋合いのものではない。

1942年、昭和にすれば17年の5月24日生まれの68歳。戦時下に生を受けたが、一般的には戦中世代ではなく戦後の世代に属するとされる世代である。戦後世代のトップランナーともてはやす向きもあるようだが、次に来る「全共闘世代」と比較すれば、明らかに老け込んでしまっている。その間の溝というのは甚大なものであると云って良い。

誤解してほしくないのは、おいらはここで世代論を展開しようとしているのではない。目的はそれとは逆のものなのだ。

世代的にそう古くはないはずの小沢一郎氏なのだが、世代の代表的な顔相から飛び抜けて「老け顔」であることを意識せざるを得ないのである。これが本稿の趣旨であり誤解は禁物である。

一体にこの政治家は、今後のどのような「夢」の実現を図ろうとしているのか? 想像する度にぞっとする。寒々として投げやりな想いが全身を駆け巡ってしまうのは、果たしておいらだけのことなのであろうか?

脂が乗った「ブリのしゃぶしゃぶ」は食べ頃なり

寒気を感じる季節になると、ブリに脂が乗ってくる。よく知られるようにブリは代表的な出世魚であり、ハマチからブリへと成長するにつれて、その味わいもまろやかなものとなっていく。これからがブリの旬である。

ブリ料理といえば、ブリの照り焼きやブリ大根が有名であり、それぞれに日本の食卓になくてはならないものであるが、最近居酒屋メニューに加わったものに「ブリのしゃぶしゃぶ」が挙げられる。ぶりを5ミリ程度に切った切り身を用意する。それをしゃぶしゃぶの要領で鍋の湯に浸して食べるというものだ。これに生ワカメと葱のスライスとを合わせて食するのがおすすめ。

「赤味噌ラガービール」は本物の名古屋名物に足りるか?

名古屋市議会のリコールで忙しい河村たかしが、果たして「えりゃー、うめぇーよー」と云ったかどうかは定かではないが、名古屋の面白い名物を見つけたので報告しておきます。

その名も「赤味噌ラガービール」だ。食堂のメニューには「名古屋の『赤味噌』と麦芽の旨味が融合した名古屋の味」とある。立て看板にも「コクがあって、まろやかで飲みやすい。飲んだ後にほのかな味噌の香りが楽しめます。」とある。早速それを注文することにした。呆気に捉えられたというのが事実であるが、その実態を知りたくて、同ビールを注文してみたのだ。

一口飲んで甘い。コクが強くある。そして、やはりというべきか、赤味噌風味が感じられた。名古屋の赤味噌が甘辛く濃厚であることとの同印象である。名物としては悪くない。一言おいらの好悪で判断すれば、やはり甘辛くて、非常にくどすぎる。名物だからこそ口に出来るげてものの類いといえるかもしれない。

名古屋名物といえば「手羽唐揚げ」だとばかりに思っていた。そんなところへ突然に飛び込んできた「赤味噌ビール」である。だが色々地元には面白いものがあるようだ。

藤原新也さんの新境地を築いた名著「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」

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清々しい掌編小説のような物語が重なり合って、特異な本の世界が築かれている。テーマをあえて述べるならば、「生」と「喪失」とでも云えようか? 古くから作家・藤原新也さんが追求してきた最も重要なテーマだが、その表現方法やスタイルは少々意外な感じがする。それくらいに、以前の作品群とは異質の味付けが施されているのだ。

云わば敗者の視線でこの世を解き明かす試みとでも云えようか。作家自身の市井の人々との交友が、その素材として選ばれている。新也さんの世界観が新しい素材を得て、新しい物語を紡ぎだしている。表面的なインパクトは影を潜め、代わりに立ち昇ってくるのは充溢した生の存在感だ。極めて強く共感される生の存在感が匂い立っているような、不思議な物語が詰まった、稀有な一冊なのである。

改めて記すが、藤原新也さんといえば、写真家、或いはエッセイスト、ジャーナリスト等々の顔を持つ、マルチな才能を発揮して活動を続けるアーティストである。生と死に対する洞察力は、我が国の文化人の中でも抜きん出ており、写真やドローイングという作業を通してそのイメージを可視化させている。その手技、方法論に驚かされるばかりでなく、彼の底流に流れる思想性が滲み出ていて、感動させずにはおかない。

ときに「真実」と一体として存在する世界の「闇」を、独特のイメージとして現出させたりもする。漆黒の闇を写し取ることに関していえば、藤原新也氏以外のアーティストは存在感を失っていく。世界に唯一人ともいえるくらいに、漆黒の闇の表現者としては稀有なアーティストなのだ。

土鍋で炊いた「鯛めし」は絶品の味わいなり

土鍋のご飯づくりに凝っているおいらだが、本日は鯛めしづくりに挑戦。鯛のかしらを用意してまずは火で炙る。程よく焼き色がついた鯛かしらを、いつもの如くに土鍋に1時間ほどつけたお米に乗せて、準備よし。ことこと中火で炊き上げてから、鯛の骨をさばいて、ご飯に混ぜれば出来上がりだ。

1杯目は温かいままの鯛めしをそのままに味わう。鯛の淡白だが深みのある味わいが絶品である。2杯目には梅干を乗せ、緑茶をかけてお茶漬けにして味わう。葱、茗荷、等々の薬味をかければ爽やかな風味と相まって口の中に染み込んでいく。1品で2度3度と楽しめるのだから文句の付けようがないのである。

元来、鯛といえば愛媛県の県魚として知られており、鯛めしは地元の最も代表的な郷土料理である。青木愛嬢の古里の安房地方でもこの料理が名物だという。いちどそうした地方の鯛めしも味わってみたいものだ。

厳かなる猫の姿に出合ったのです

近くの町を逍遙散策していると、誇り高き佇まいの猫に出合ったのです。飼い猫ではないような佇まいでいて、人間に媚びることも無くじっと視線を送っている。思わず知らずに吸い寄せられるようにして、その姿を写真に写し止めたくなった。黒と白とのコントラストが実に見事である。それにもまして、その町の持つ磁場が発する光景のようにしてその猫がカメラのレンズを見詰めていた。良い出合いだと感じて何度もシャッターを切ったのである。

本場水戸の「だるま納豆」は納豆菌の恵みが一杯なのだ

納豆は子供の頃からの好物ではあったが、久しぶりに美味い納豆にありつけたのでした。その名も「だるま納豆」。茨城の特産市にて購入したものだ。水戸納豆本来の伝統製法にのっとって、藁に包まれている。この藁にこそ納豆菌が豊富であり、豊穣なる納豆の旨味を引き出すものなり。味わいもひとしお濃厚であり、納豆菌の恵みを実感するのだ。子供の頃にはよく水戸納豆売りの行商さんがラッパの音を高らかに鳴らしながら売り歩いていたものであり、そんな頃に食べていた水戸納豆は美味しかった。そんな想い出をもたらしてくれる。現在のスーパーマーケットに置かれている納豆はといえば、プラスチック容器におさまった物ばかりであり、何かひとつ味気ないのである。これからもたまには、本場本物の水戸納豆が食べたいとつくづく思うのである。