いわゆる「小沢一郎ガールズ」たちの中でもっとも熱い注目を集めているのが衆議院議員の青木愛氏だ。小沢一郎との密なる関係性やアイドル的風貌をそなえた資質、等々において、先日当ブログにても取り上げた田中絵美子を格段上回っているといってよい。先般執り行われた民主党代表選の期間においては、小沢一郎候補との親密なる逢引が「週刊文春」等一部マスコミにより公にされたのみならず、小沢の筆頭秘書との水戸市内ホテルにおける逢引までもが報道され、衆目の好奇の餌食とされる結果をもたらしてしまなったことは、本人が撒いた種から発生した結果とはいえ、同情の念も禁じ得ないものがある。そのわけはと問えば、青木愛氏こそは現代社会にまれなる「悪女」なのかも知れないと感じるからかもしれない。
古今東西において「悪女」の定義はひも解けば様々あるのだろうが、一般的に認知されたその条件の最たるものが「いい女」であるということだろう。「悪女」がイコール「いい女」という定義は一面で不合理である。こと数学的公式においては真っ先に却下されるべきものではあるが、世の「悪女」マニア界隈の論調においてはこの公式が定着しているのであるから、数学的世界観との齟齬が生じるのもむべなるかなと云うべきだろう。けだし数学的公式はマニア的公式に負けてしまうものなのである。しかもあっけなくその結果はもたらされてしまうのだ。
「悪女」という不合理なる存在が神格化されていく背景には、本来の「悪女」の減少、即ち希少化が挙げられる。男を弄ぶ悪い女は増えているが、そのほとんどが男の退化に依っている。馬鹿な女に弄ばれる男こそ鼻つまみ者である。悪女が悪女として認知されるためには、悪女としての資質を示さなければならない。果たして青木愛嬢は、そんな希少性を有した存在なのかということが問題なのである。
(この稿は続きます)