芸能ジャーナリズムの雄として、長らく日本芸能界にその痕跡を記してきた梨元勝氏が肺ガンで逝った。本日ここでは改めて、肺ガンで逝った芸能ジャーナリスト、梨元氏の功績について考えてみたい。
だがその前に一言。おいらも以前には参加していた「赤煉瓦掲示板」界隈ではいまだにデマゴギーが撒き散らかれており、まるで梨元勝死去でおいらがガッツポーズをしているような記述まである。まるでデマゴーグによる誹謗中傷の垂れ流しなのである。2ちゃんねるだけでなく未だに掲示板の書き込みの位相がこのようであることははなはだ残念である。
芸能記者、レポーターとして梨元氏が残した仕事は、主にTVという媒体を通して我々に示されることがほとんどであった。だがそれ以前に彼は、講談社の「ヤングレディ」編集部に籍を置いて芸能記者の仕事を経験している。このことはTVという媒体ではほとんど触れられずにスルーしているのだが、彼の原点がまさに此処にあるのだ。
当時の講談社「ヤングレディ」という媒体は、おいらの師匠でもある竹中労や、立花隆、等のメンバーが集っていた。当時の編集部員として仕事を共にしていた人物が語っていたのだが、それはもう戦場のように様々な種類の爆撃弾が飛び交っていたという。一つの記事なり告知なりに対して編集者、執筆者たちがそれだけ濃密な思い入れを込めていたということでもある。テレビという媒体に取り入れられるその前の梨本氏の青春期の息吹が此処にあったのだろう。
テレビという媒体を得て、水を得た魚のように飛び跳ねていた梨元氏の活躍については、改めて述べるまでもない。たがかれの信条として語られる言葉、
「たかが芸能、されど芸能」
というこの名句に隠されている思いの奥底に、真のジャーナリストとしての姿を見るのである。
芸能のことをレポートしようが、他の政治や経済、文学、芸術、その他様々のジャンルの事柄をレポートすることとの基本的なスタンスは変わらない。この基本を常に意識しながら彼は芸能レポートを敢行し続けていたように思われる。政治家も芸能人も市井の人もレポートの対象として軽重はない。その思いは彼の行動のあれこれから伝わってくるものであり、我々が見習わなくてはならないものなのである。