鳩山由紀夫首相がついに辞任を表明した。予想はしていたこととはいえ、大変ショックが大きい。実質的に戦後初めての政権交代による内閣が、これ程あっけ無く崩壊したという事実は、これからの日本社会の行末に暗雲をもたらさずにはいかないだろう。
今更指摘してもせんないことではあるが、この内閣にはプロの参謀が居なかったということが、政権の混迷や崩壊に繋がったとみることができる。ここ数ヶ月間、徹底的に大手から弱小までの様々なメディア(弱小なので「マスコミ」とは呼べない)の餌食となってしまったことの責任は、鳩山首相のブレーンが負うべきである。平野某では政治家としての能力も資質も無いことは明白であるし、平田オリザなる滑稽なアマチュア文化人の名前を目にするにつけ、鳩山人脈の薄さを感じてもいた。何故に糸井重里級のプロの文化人を起用しないのか、大変に訝しく感じていたものであった。政党政治を基本とする民主主義的政治社会にとって、政治家がプロの文化人をブレーンとしているか否かは、今後もっと重要視されていくべき要素となるだろう。
もう一つ、本日の事態に直面して述べておかねばならないことがある。ショックだというだけで済ませて置けないこと。それは、鳩山由紀夫は近衛文麿か? という疑問である。鳩山由紀夫氏を戦時中の近衛文麿になぞらえて論じていた雑誌記事のことが未だ脳裏を離れないのである。
団塊の世代から遥かに遅れた戦後に生を受けたおいらではあるが、近衛文麿の生涯のあれやこれやについては、以前からよく聞き及んでおり、たしかに鳩山氏とは類似点が多いのである。貴族然とした風貌や物腰。社会主義的思潮に対する関心の高さとある種の強い偏見(これは関心の高さから来る反意的な誤解が大部を占めている)。そしてもう一つが長身の身なりから来るのであろう自画自讃的振る舞いである。簡単に謝ってはしゃあしゃあとしていられる態度というのは、これらが三位一体となって現れるものであると分析されるのである。
さてそろそろまとめに入るが、近衛文麿の時代を振り返るに思うことは、彼が首相を辞任してからの混乱である。東条英機とともにA級戦犯の汚名を浴びることを潔しとせずに自害した近衛文麿。彼は一途潔癖な政治家ではあったのだろうが、現実の大衆の悪意というものを過小評価していたようでもある。清濁併せ呑む度量が政治家には必要である。鈴木貫太郎という政治家が、敗戦後の日本の基礎を作ったと云うことは忘れてはならないのだ。ちなみに鈴木貫太郎はおいらの出身高校の先輩なので(それだけではないが)尊敬しているのである。