安原顯著「奇人・怪人伝 シュルレアリスト群像」を読む 2

書名からもうかがえるように、著者の切り口はおしなべてステレオタイプである。面白可笑しく読者に啓蒙していくことが目的だとすれば、わかり易くもあり興味関心も引くのであり、この方法が駄目だということにはならないしプラスの評価も可能なのだが、ここではあえてマイナス面の要素を拾い出してみることにする。

例えば、ガラ、エリュアール、ダリといった著名人を取り上げた第1章に続く第2章で、アントナン・アルトーを俎上に載せているのだが、神経症、遺伝性梅毒、麻薬中毒、精神病患者、等々の人間的には芳しからぬ評価言葉が並んでいて、「奇人・怪人」を体よく料理しようという魂胆が見え隠れする。ピカソや数多のシュルリアリストたちとの交流を持った岡本太郎ならば、このようなぞんざいな評価を行なったことは決してなかったはずである。

つまり、一見するとシュルリアリストたちの生涯を俎上に載せつつ彼らの存在理由を評価していこうというポーズ、スタンスが取られながらも、その実は安原顯という人間は、シュルリアリズムを道化の遊び道具か何かと同様の捉え方をしている。「奇人・怪人」と持ち上げながらも、読者への読後感を極めて低い評価、全く道化としてのシュルリアリストとして印象付けていくのである。よくある凡庸な啓蒙家としての安原顯は果たして「自動書記」に関する真の理解がなされているのかという疑問さえ沸いてくるのである。案外真実とは簡単なところにあったのかもしれない。