井上真央の主演映画「僕の初恋をキミに捧ぐ」

当代随一の人気アイドルの井上真央が主役を演じる、純愛少女映画「僕の初恋をキミに捧ぐ」を鑑賞。青木琴美の同名の原作漫画を実写映画化したものだ。

原作漫画は「少女コミック」(小学館)に2005~2008年の間連載され、750万部という驚異的な売上を誇っている作品。全寮制のエリート高校に入学した「繭(井上真央)」と「逞(岡田将生)」との恋のお話である。キヤッチコピーとして「僕たちの恋愛には、タイムリミットがある」との台詞が、映画公開中の映画館で踊っていたことを記憶している。。今や純愛映画の定番、欠かすべからざるものとなった感のある「死」と「別れ」とが、少女漫画タッチで映画作品に独特の気品を添えている。昨年10月に映画は公開され、まずまずの入場者数であったようだ。だが現在公開中の「ダーリンは外国人」や大ヒット作となった「花より男子」と比較すれば、些か地味な印象を与えられさえしていた。

ところがこの映画のポスターが、おいらの視線を釘付けにしていたのである。若い男女が――たぶん高校の教室の中であろう――キスをしあうという、どこにも有り得るシチュエーションなのだが、やはり人気実力ともにピカイチの女優にかかれば、その一瞬の輝きは永遠に近付く光景ともなって見るものを飲み込んでいくようであった。

散らない花は無いことは明瞭なる道理であることを知りながらも、旬の花の艶やかな輝きに、年甲斐もなく見とれてしまったという訳なのである。当時公開されていた映画は見逃していていたところ、先日はTSUTAYAの新作棚にてこれを発見。早速レンタルし鑑賞したという訳なのでありました。

安原顯著「奇人・怪人伝 シュルレアリスト群像」を読む 2

書名からもうかがえるように、著者の切り口はおしなべてステレオタイプである。面白可笑しく読者に啓蒙していくことが目的だとすれば、わかり易くもあり興味関心も引くのであり、この方法が駄目だということにはならないしプラスの評価も可能なのだが、ここではあえてマイナス面の要素を拾い出してみることにする。

例えば、ガラ、エリュアール、ダリといった著名人を取り上げた第1章に続く第2章で、アントナン・アルトーを俎上に載せているのだが、神経症、遺伝性梅毒、麻薬中毒、精神病患者、等々の人間的には芳しからぬ評価言葉が並んでいて、「奇人・怪人」を体よく料理しようという魂胆が見え隠れする。ピカソや数多のシュルリアリストたちとの交流を持った岡本太郎ならば、このようなぞんざいな評価を行なったことは決してなかったはずである。

つまり、一見するとシュルリアリストたちの生涯を俎上に載せつつ彼らの存在理由を評価していこうというポーズ、スタンスが取られながらも、その実は安原顯という人間は、シュルリアリズムを道化の遊び道具か何かと同様の捉え方をしている。「奇人・怪人」と持ち上げながらも、読者への読後感を極めて低い評価、全く道化としてのシュルリアリストとして印象付けていくのである。よくある凡庸な啓蒙家としての安原顯は果たして「自動書記」に関する真の理解がなされているのかという疑問さえ沸いてくるのである。案外真実とは簡単なところにあったのかもしれない。

安原顯著「奇人・怪人伝 シュルレアリスト群像」を読む

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安原顯(安原顕という表記もある)の著書「奇(奇の字は田へんで難しいので変換できない)人・怪人伝」を古書店で見つけたので読んでいるのです。※もっと普通に書くならば、安原顯の「奇人・怪人伝」を古書店で見つけたので読んでいるのです。

安原顯と云えば、相当に個性的な編集者だったようである。「個性的な」と書いたのはいわゆるひとつの愛嬌であり、相当に憎まれ嫌われていたと云うのが、もっぱら世間一般の評価だ。そんな安原顕が今頃になって脚光を浴びているのかと云えば、ベストセラー「1Q84」の作者こと村上春樹先生との関係からであろう。「1Q84」に登場する辣腕編集者こと小松は、安原顕がモデルになっているという言説が、村上フリークのみならず幅広い文学愛好家たちによって囁かれているくらいなのである。村上春樹作品の、しかも社会ニュースにも取り上げられているベストセラー小説のモデルとして名前が取り上げているのだから、本人もさぞかし草葉の陰から喜んで見ているのだろうと想像する。

ところで些か前置きが長くなったが、安原顕の著作についても触れておこう。「奇人・怪人伝 シュルレアリスト群像」と云う書を先日は古書店にて目にして購入したのだった。副題に「シュルレアリスト群像」とあるように、そうとう「シュールリアリズム」のアーティストたちに対する尋常ならざる強烈な思い入れを感じ取っているのだろう。早稲田大学文学部仏文科を中退し、大手出版社に入社。その後は輝かしきキャリアに彩られていたようである。だがしかし、晩年はといえば、そう幸福ではなかったようなのである。

飲み屋に行くとたびたび目にする光景。>>「おれは早稲田出て出版やっていたんだ。村上春樹はおれが育てたんだ。知らなかっただろう!」等といったおやじのボヤキなどが聴こえてくるのである。

さてさて今日のブログはここで止まってよしと幕を閉じる訳ではない。安原顕の「奇人・怪人伝」についてももう少し触れていこう。
(以下、この稿続く)

豊饒の海をモチーフに、ブログのデザインを更新しました

当ブログのトップイメージを更新してみました。昨年9月にスタートしてからずっと、これまでの基本デザイン(ワードプレスでは「テーマ」と呼ぶ)を選んで以来ずっと、トップイメージには背景画像を配してブログイメージをアップしていこうと目論んでいたのでした。しかしながらなかなかトップイメージに相応しい画像が見つからなかった。そのまま徒らに時間ばかりが経過していたのである。

先日、南房総の千倉へ旅していたときに、ふと出逢ってデジタルカメラに収めた風景が、思いもよらずに今回の更新の機会を与えてくれたようなのである。

ここから少々野暮な解説などをさせてもらうが、当ブログデザインのカラーは「グリーン」「ブラック」の2色が基調色となっている。ワードプレスにて「テーマ」を検索するページにて「グリーン」「ブラック」とチェックして選んだのがこのテーマではある。「グリーン」のイメージは気に入っているのだが、「ブラック」の色調がどうも今ひとつなのである。中途半端な気持ちを抱えつつずっと引き摺ってしまっていた。後悔の念が鬱積していたのであろう。後から気付いていたのだが、このテーマ「horisontal」はとても人気薄のテーマであるらしい。ワードプレスの公式サイトに掲載されているテーマの中では人気ワーストのテーマだったのである。これもある種の出逢いなのであろう。おいらの情熱にメラメラと火が点いていったのは当然の成り行きであった。

千倉で出逢った海の風景は暗くてとても豊穣なる佇まいを見せていた。決して軽くは無い人生を背負って相対していく風景としては、これからも失いたくないものとして視界に飛び込んできたものなのである。だからこうして、ブログのトップイメージにまで取り込んでみたくなったという訳なのである。

銀座で食した「肉巻きおむすび」

東京銀座のおむすび専門店「金の芽」にて「肉巻きおむすび」を食した。元来は宮崎県が発祥の地域グルメの「肉巻きおにぎり」として、全国に浸透していったニューフェースである。「おにぎり」ではなく「おむすび」とメニューにあるのは、この店舗が「おむすび」の専門店であることによっている。

おむすびに牛の薄切り肉を巻いてそのうえで焼くのが基本的なレピシのようである。銀座の「おむすび」も、そんな基本的レシピは踏襲しているようだ。

肝心なのはその味わいである。お米ご飯のおむすびに肉を巻くといった、一見シンプルにも見えるレシピではある。だがこんなことは戦前の日本人は誰も考え得なかったのであろう。それを「気まぐれレシピ」と見るか「コペルニクス的転回のレシピ」だと評価するかによって、味の評価にも大いなる影響を与えかねない。はっきり云っておいらの評価は前者である。宮崎の気まぐれなシェフによる気まぐれレシピという評価を与えたい。

若いシェフの卵たちにとっては、こんな肉巻き料理はエネルギーの元となることだろう。それは別に「おにぎり」「おむすび」である必要性もなく、肉じゃが定食なりハンバーガーなりを求めれば良いというだけの話であると思われる。まずはこのおむすび、おにぎりは食べ難い。さらには肉+ご飯という取り合わせ自体は、メタボ的であり非健康的であると云わざるを得ないのである。

銀座の一等地において宮崎の人気メニューを提供するといったアイデアは認めるが、それ以上ではない。東京都中央区銀座にて提供されるべきメニューでは、決してないのである。

千倉、南房総への旅の跡

先日巡った千倉、南房総で撮影した写真、旅先でアップできなかったものをまとめてアップロードしておきます。急に夏化した風景とともに記憶に深く刻まれた風景たちです。

「土門拳の昭和」展が高崎市タワー美術館にて開催中


カリスマ的な昭和の写真師、土門拳の作品を展望する展覧会が群馬の「高崎市タワー美術館」にて開催されている。帰省した帰りに立ち寄ってみたのでした。

土門拳が写真の世界に入った頃の作品から晩年のものまで、ほぼ全ての時代の代表作品が展示されていて、ファンにとっては必見の展示会とも云えそうだ。青少年の頃から少なからずの関心を示してきた土門拳であるが、おいらの知らなかったあれこれにも接することができ、有意義であった。

個人的に興味深いのが「風貌」のシリーズである。当時の文学者、芸術家をはじめ政界、財界の著名人たちの「風貌」すなわち「顔」を捉えた作品群である。梅原龍三郎の撮影では何カットも注文を付けた挙句に巨匠を怒らせてしまったというエピソードなどが知られている。たしかに梅原龍三郎のこうした表情を捉えた作品は、土門拳が初めてでありその後もあまり見かけた記憶などが無い。

晩年に土門さんが取り組んでいた「古寺巡礼」シリーズには、違和感がある。あまりにもこれみよがしのショットに、圧倒されるよりも前に、何か視線を逸らしてしまうのである。視線を集中し凝視することを躊躇ってしまうのである。何故なのだろうかこの感覚は?

■高崎市タワー美術館
群馬県高崎市栄町3-23
TEL 027-330-3773

パクリと拡大のシンボル。上海万博をどう捉えるか

中国の上海万博が開幕して、マスコミはまたぞろ異様な騒ぎ様を呈している。番組総合司会者のみのもんたなどは司会稼業もそっちのけで出張レポート。ミス上海だかミス万博だとかにエスコートされてでれでれ。しまいには「上海万博の陰は見つからなかった」などとしゃあしゃあ喋って悦に入っているのだから呆れるのである。

そもそも国威発揚のお祭り騒ぎでしかない上海万博に関して、中国館、日本館の案内をしたところで何にもならない。それよりも、封印されたPRソングの行方はどうなっているのか? 岡本真夜の楽曲はオリジナリティーが保障されるのか? 盗作の当事者として名前のあがった繆森の正体は? 等々の追及すべきポイントは少なからず存在するのに、どことしてメスを入れる姿勢さえ示しては居ないようなのである。

1970年の大阪万博を翻ってみれば、そこには岡本太郎の「太陽の塔」なるシンボルが存在していた。良しきにつけ悪しきにつけ厳然として在ったし、今尚、千里万博公園の広場に立ちはだかっている。40年という歳月は「太陽の塔」を褒め称えてそこに住まわせているのではなく、異様な葛藤を生じさせても居る。美術評論家・倉林靖氏の言葉を借りるならば「圧倒的に浮きまくっているのだ」。「人類の進歩と調和」といった美名の下に開催された40年前の大阪万博は、岡本太郎をはじめとする当時のアーティストたちを巻き込み、長期間のイベントにドラマを添えていた。一面でそれは体制が「前衛」というムーブメントを取り込むための大規模なる仕掛けであったことは否定できない。だが大阪万博が終了してからの40年こそは、岡本太郎を含むアーティストたちの多くが新たな闘いを挑んだ時代だったと云えるのかもしれない。

上海万博を40年前の大阪万博の時代背景と比較して「中国は40年前の日本の姿だ」云々の議論ほど、実態に目を背けたものは無いのである。

萩原朔太郎の「猫町」はユニークな散文詩なり

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昨晩は少々深酒したせいか終日、頭が重い。目が覚めてだいぶ経ちくらくらしてさえ居た様で千倉の海岸を目指している途中、褐色の猫と遭遇した。ぼおっとした視線を送りつつ手招きしてみると、その褐色猫君はおいらの足元に擦り寄ってきたのだ。とても友好的な態度であったので、その毛並みの良い背中や頭をさすってあげたりしていたのである。そうこうすると褐色猫君はゴロンと体を回転しお腹を見せ、小さな猫の手を回して手招きすではないか。人間に対してお腹を見せて手を回すという行為は友好のしるしなのだという。かまって欲しい、可愛がって欲しいという合図である。可愛い猫にこうされると人間誰しもか弱く軟弱な生き物になってしまう。

ところで、萩原朔太郎が散文形式で著した「猫町」という作品があるが、なかなかユニークである。猫に支配された世界に彷徨い込むという白日夢のような主人公の体験を描いているのだが、このシチュエーションは村上春樹さんの作中作品「猫の町」に似ていなくもない。可愛くて親しみ深くて友好的であったはずの猫が、ある日豹変してしまう。何か知らなかった別種の怖ろしさを有した猫たち。そんな猫の姿を登場させた文学作品は少なくないが、中でも萩原朔太郎の「猫町」は出色である。

パロル舎から出版されている「猫町」を数ヶ月前に購入したのだが、同書は版画家の金井田英津子氏がイラスト、デザインを担当しており、独特の解釈で猫町の世界へと誘っている。文字組みなどの装飾が、まるで関西風のコテコテの味付けでやり過ぎの感もあるのだが、多少の誇張として許容の範囲だ。

村上春樹「1Q84」の「猫の町」千倉を歩く

千葉県の千倉に向かった。村上春樹の「1Q84」の舞台となった土地に、千倉という小さな町がある。館山からさらに南下した房総半島の最南端の町である。天吾と長く離れて生活していた父親が、その地の療養所で闘病していて、父との関係を取り戻そうと決意した天吾は、ある日ぶらりと千倉を訪ねるという設定である。BOOK3では、病状がさらに悪化した父親を看病する為、長く逗留するという設定もある。(あまり詳しく書くとネタバレにも繋がるので千倉の説明はこのくらいにしておこう。)

さてここ千倉の町に、作家村上春樹は「猫の町」のイメージを被せ合わせている。「1Q84」の中で、ドイツの無名な作家の短編とされる物語を展開しているのだ。もしやして実在する文学作品なのかと調べてみた。ロシアのボドリスキイという作家が旧ソ連時代に発表した「猫の町」という作品がみつかったが、ストーリーはまるで違っていた。やはり春樹さんのオリジナルな物語のようだ。洒落た構成である。「空気さなぎ」の物語が綴られているがそれと同様のミニチュア版の物語と捉えればよいのだろう。

作中作品「猫の町」では、そのまちにふらりと立ち寄った旅人が登場する。その町が実は人間が猫によって支配されているという奇妙な土地であることに気づく。そしていつの間にか帰る電車に乗ることが出来なくなり、帰る手段を持たない主人公は、知らぬ間に自分が「失われた」ことを知り呆然とする――というストーリーである。「失われる」とは実世界から消失する、すなわち「死」を意味するともとれるが、あるいは死ではない別の特殊な概念を示しているのかもわからない。謎掛けが得意な春樹さんらしい暗喩である。(以下、この稿続く

高田渡作「自転車に乗って」を口ずさみつつのサイクリングは格別なり

 

高田渡さんが作った曲の中で、ベスト10、否ベスト5に入る名曲が「自転車に乗って」である。今日は休日というのにちょっとした仕事が待ち構えていたために、以前から予定していたぶらり旅はおあずけとなってしまった。かわりに自転車でのサイクリングを満喫してとてもハピーな気分なのです。

自転車に乗って川原に下りてみると、そこには中学生と思しきカップルが語らっているではないか。青春よ頑張れ! 等と叫びたいところではあるが、こういう光景はおいらの青春の時代には無かったことなのである。だから今にして尚更に吃驚強調したいという思いを強くしたのでありました。