久しぶりに帰省して眺めた春の桜はしみったれていた。朔太郎先生がかつて謳ったとおりの姿であった。
憂鬱なる桜(萩原朔太郎「青猫」より)
憂鬱なる花見(憂鬱なる桜が遠くからにほひはじめた)
夢にみる空家の庭の秘密(その空家の庭に生えこむものは松の木の類)
黒い風琴(おるがんをお弾きなさい 女のひとよ)
憂鬱の川辺(川辺で鳴つてゐる)
仏の見たる幻想の世界(花やかな月夜である)
鶏(しののめきたるまへ)
それだからおいらも、古里上州にて桜見物の良い想い出がなかった訳である。いま東京へ帰り着いて、「仏の見たる幻想の世界」を夢想している。