東京の下町をこよなく愛した作家、永井荷風さんは、名作「墨(変換不能文字)東綺譚」の随筆的後記「作後贅言」のなかで、銀座にふれて次のように記している。
「もとの処に同じ業をつづけているものは数えるほどで、今は悉く関西もしくは九州から来た人の経営に任ねられた。裏通の到る処に海豚汁や関西料理の看板がかけられ、横町の角々に屋台店の多くなったのも怪しむには当らない」
この文章を、「関西」を「欧州」、「九州」を「亜細亜」、「海豚汁や関西料理」を「イタリアンもしくはエスニック」、「屋台店」を「立呑み店」に置き換えてみるならば、まさしくそのまま、現在の銀座を云い当てていると述べても過言ではない。つまりは、現代銀座を荷風さんの先見の明を借りた表現にて述べるとするならば、以下のような表現が成り立つ。
「もとの処に同じ業をつづけているものは数えるほどで、今は悉く欧州もしくは亜細亜から来た人の経営に任ねられた。裏通の到る処にイタリアンもしくはエスニックの看板がかけられ、横町の角々に立呑店の多くなったのも怪しむには当らない」
さらに述べるならば、銀座の表通りには「エルメス」「ルイヴィトン」をはじめとして高級ブランドのショップが軒を連ねている。「エルメス」「ルイヴィトン」は誰もが知るが、そう有名でもない二流、三流のブランドショップの名を知っていないと、銀座界隈における会話でつま弾きにされてしまうのである。おいらもそうしたつま弾き的痛恨の目にはしばしば遭遇しているのだが、かといって二流三流のブランドの名など覚えようという気はさらさら持ち合わせては居ないのである。そもそもは「ブランド」といった概念の生成過程における矛盾は、銀座のみならず日本国全般に覆い尽くされていると云って良いだろう。
先日は鳩山首相も引用した、インドのガンジー元首相の言葉「七つの大罪」を正しく理解するならば、「富みなき労働」を作り出しているものこそ「ブランド」にほかならない。悪しきブランドの弊害は、日本国全般を蔓延しつつあるくらいに重大な問題である。銀座がこれからブランド化していくことは、即ち日本国が虚業化、空洞化していくことに繋がっていく。この一連の動きこそ、止めていかなくてはならない鳩山内閣の使命なのである。