サザンオールスターズ「TSUNAMI」の不思議なタイトル

ペルーが震源地の津波騒動も、ようやく収束しつつあるようです。日本では最大1.45メートル、海面が上昇したというが、その緩やかさは、「津波」というイメージにはほど遠かった。まるで「大洪水」と混同しているかのようだ。

それはさておき本日は、2000年の300万枚超の大ヒット曲「TSUNAMI」を想い出した。第42回レコード大賞の受賞曲でありサザンオールスターズの代表曲である。歌詞とメロディーが一体となったバラードであり、歌謡曲史上稀に見る大衆性と音楽性との融合が果たされた名曲だと思う。

♪見詰め合うと 素直に お喋り出来ない
 津波のような侘しさに
 I know.. 怯えてる
 めぐり逢えたときから 魔法が解けない
 鏡のような夢の中で
 思い出はいつの日も 雨

最愛の人に捧げるラブソングなのに、どうして「TSUNAMI」なんだろうと、かねてより不思議だった。たしかに津波のように押し寄せては引き、引いては押し寄せるという、そんな逃れ得ない愛のイメージである。だが「大洪水」のような自然の驚異ではなくて、甘っちょろいイベントとして捉えたのだとしたら、ちょっとずれている。

「東郷青児展 女性礼賛」にみる女性観とアカデミズム

八王子市夢美術館では「東郷青児展 女性礼賛」が開催されている。

http://www.yumebi.com/

知人から無料招待券をもらっていたので出かけたのです。東郷青児といえば、かれこれ云十年も昔の高校生の頃、たしか二科展の展覧会場で作品に接して以来の邂逅である。東京の美術大学に入学してからは、東郷青児といえばアカデミズムの象徴のような存在であり、アプリオリに刷り込まれた情報がネックとなり、とても観に行く気分などにはならなかったのだ。基本は今尚変わっていないが、人間が丸くなったのか、戦後画壇の巨人などとも称される彼の原画のタッチをこの目で確かめたいなどという好奇心が、重い一歩を踏み出させたのである。

入場者もまばらな展示会場に入る。最初のブースにはフランスで修行時代の、モンパルナスのエコールド・パリ風の作品群が目に飛び込んでくる。とりわけ興味をそそられたのが「スペインの女優」という作品だ。欧米系の女性はタイプではないが、潤いを帯びて端正な顔立ちが食指をそそるのである。東郷さんとは女性の好みは大分異なるが、共有できる趣向が発見できていささか満足であった。

次に廻ったブースからは、お馴染みの東郷スタイルの作品が壁面を埋め尽くしていた。70年代の女性誌によく見られたスタイルのイラストたちは、東郷さんの影響力がもの凄く強かったのだろうと推測するのだ。美術展のサブタイトルには「大正そして昭和を駆けたモダンボーイ」とある。今でこそイラストレーションのスタイルは百花繚乱の趣きであるが、イラストレーションが商業美術の世界に受け入れられ、浸透していった時代の背景には、東郷青児さんの甚大な影響力が存在していたのである。そのことを本日は確認することが出来たのでありました。

むかえ酒した今宵のメニューたち

昨晩は送別会があり、二次会で飲んだ日本酒やらその他のアルコールメニューが終日身体から離れずにやっかいであった。今宵は地元の居酒屋暖簾をくぐって一杯やって、すっきり。久々の迎え酒した気分にて候。

そんな今宵のメニューを2点ほど紹介します。

そのまま食べても珍味のかに味噌だが、蟹の甲羅にどっさり乗ったかに味噌をあぶって食するのです。

納豆の磯辺揚げてんぷら。

21世紀の時代は再び高田渡さんを追い求めていた。

[高田渡] ブログ村キーワード

昨日24日、NHK教育番組「知る楽」では、高田渡特集の第4回(最終回)が放映された。生涯最後というライブ映像も映し出されていて、とても貴重な映像など面白く視聴したのである。

高田渡さんをテーマにした映画「タカダワタル的」は、おいらも公開すぐに映画館に足を運んだユニークな作品であった。1年間という異例のロングラン上映だったという。渡さんを崇拝する監督の柄本明は、本物のフォークを謳う高田さんの生き様を通じていろいろなことを知らしめたかったと語っていた。古くてかつ新しい高田渡さんの生き様は、若い層にもひたひたと浸透していた。この映画が高田さんの再評価に寄与していたことは特筆される。個人的な思い入れを映画という公共のメディアに載せて知らしめるというやり口は、ほかに知ることが無いくらいである。

生涯を吟遊詩人として旅していた高田さんの最後のツアーは、北海道の白糠町であった。亡くなった最期を記すことになった、ゆかりの地なのだという。その日、悪性の風邪を患い40度の高熱をおしてのライブだったという。何百回聴いていた「生活の柄」だが、最後のライブとて記録された映像は圧巻であった。

「全部が新しいし、凄いんです。響くものは響くんです」となぎら健一がコメントしていた。人間の普遍的な日々の生活を歌にし、疾風怒濤の生涯を駆け抜けた高田さんに乾杯なのである。

苫米地英人著「テレビは見てはいけない」

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昨年9月に初版発行されたphp新書の1冊である。タイトルに興味をそそられ立ち読みしているうちに、そのまま購入してしまった。

著者・苫米地英人と云えば、オウム真理教事件とのからみで何度かTVメディアにも登場していた人物である。「オウム信者に対する脱洗脳を手掛ける脳機能学者」という触れ込みで、ヒーロー扱いだったことを記憶している。当時から関心は深かったのだが、以来彼の著作に向き合う機会などなくここまで来たのだが、つい先日、偶然にもこの新書を手にしていたという訳である。

一読した印象で云えば、「これは自己PRの書なのだな」との一言。表題に掲げている大仰なテーマとは裏腹に、本文中には「サイゾー」「キーホールTV」といった著者が関係しているメディアの固有名詞がちりばめられている。おいらがここでそのような固有名詞を記すことこそ、PRに加担することになるので甚だ心痛いのである。最小限度の記述にとどめたつもりだ。

高邁なテーマを表題に掲げながら、卑近なPR活動に落とし込むといった姑息な目的が透けて見えている。

旬なる珍味「バクライ」(ホヤとコノワタの塩辛)を食す。

人間たるもの、なかんずく呑兵衛などと云われる人種どもは、何ごとも栄養補給の為だと考えてつまみを摂るものではない。旬な食材やら珍味やらを見かけると、ついつい御しきれずに口にしなくてはならないのが、呑兵衛どもの習い性なり。

本日はとある店にてありついた「バクライ」(ホヤとコノワタの塩辛)は、そんな条件を満たす一品であった。ホヤの刺身や塩辛は、時々は口にする機会を持つが、本日の「×コノワタ」についてはこれまで口にしたことなく、初体験であったのである。

コノワタとは、ナマコの腸(ハラワタ)を指して云う。これ自体が珍味。ナマコはナマコでコリコリとして味わい深く美味であるが、そのハラワタを想うに、口になどしたためしがなかった。ホヤの独特のエグミをまた程よく中和させて、美味なのであった。

1978年藤原新也さんが「逍遥游記」で木村伊兵衛賞受賞。

おいらがまだ多感な時代、この1冊に出逢ってまさに震えていたことを想い出す。何か魂を震撼させるに足るオーラが、書籍の後ろから立ち上ってくるのを感じていた。「逍遥游記」(朝日新聞社)から立ち昇るかの巨大な視野から発せられるオーラが、おいらの心の中を射抜くようにして聳え立っていた。

前にも後にもこの体験に勝る写真との邂逅は無かったといってよい。太宰さんの小説文学とはまた異質なものであった。どうしてこんな写真が撮れるのだろう? おいらの疑問は解明されること無く現在も続いているのである。じゃんじゃんっと。

映画「人間失格」は、太宰治の名を借りた風俗映画なり

太宰治原作の映画「人間失格」を鑑賞した。けれども「あれ、こんなんだっけ?」 という印象を、映画が終わるまでずっとぬぐえなかった。名作の名を借りてリメイクされた風俗映画と云わざるを得ないのだ。原作の「人間失格」は太宰治の代表作でありしかも彼の思想性が際立った純文学作品である。この側面が映画では、すっぽりと抜け落ちていて甚だ腑に落ちない。原作に太宰治さんの名前を冠しているのだから、もっと真面目に制作してもらいたいたかった。

主役を演じた生田斗真はじめ石原さとみ、坂井真紀、寺島しのぶ、伊勢谷友介らの俳優たちはそれぞれの持ち味を出していて悪くない。問題があるとすれば、脚本と監督の資質である。酒と女と薬に溺れて堕落していくというストーリーはとてもステレオタイプである。原作には居ない中原中也なる詩人まで登場させて、ストーリーをごちゃごちゃにさせていく。戦前昭和の文壇なりを描いたつもりだろうが、風俗を通り抜けて通俗の極みである。猪瀬直樹原作の太宰治映画「ピカレスク」に出てくる中原中也に比べれば実在感は上回っているのだが、そのぶん太宰先生の存在感が薄くなっていることを、脚本家なりはどう考えているのだろう。

ネガティブなことを書いて筆を(キーボードを)置くのは気がひけるので、吾なりにこの映画の見所を書いておこう。まず、石原さとみさんが主人公を誘う笑顔が可愛い。坂井真紀さんの主人公を惑わす仕草が前時代的である。主人公に誘惑されていく室井滋さんの自堕落な様が哀愁をそそる。主人公に身も心も肩入れしていく三田佳子さんが艶かしい。つまりは太宰さんがモデルの主人公を取り巻く、女性たちの有り様が、この風俗映画の物語を潤わせているのである。女優陣の演技は見て損は無いだろう。

眞鍋かをりが事務所を提訴、の真新しさ

ブログの女王こと眞鍋かをりのブログ更新が止まってしまった。芸能活動自体がストップしているようだ。芸能ニュースによれば、事務所に対しての契約解除を求めて訴訟を起こしていたというのだから穏やかではない。

タレントと所属事務所とのいさかいは別段珍しいことではない。よくある典型的なのが、その昔は良い仲だったのが仲違いして、別れたい、縁を切りたいとタレント側(その多くが女性)が三行半をいい渡すというケースである。若い頃には芸能デビューをさせてもらった恩人社長なのだが、デビューして名前が売れた後には何かと余計なお節介を焼きたがる。うっとうしいこと甚だしいのである。

こうしたケースの場合は、親会社がタレントを引き取ることで終息するパターンが多いようだ。そもそも芸能界というところは親会社、子会社、孫会社といった、厳然たるヒエラルヒーが存在する特異な世界である。舎弟は親父の云うことに逆らうことはできない。もし逆らったならば村八分どころか、生存の糧をすべて取り上げられてしまうのである。前時代的な徒弟制度以上の階級制度である。

今回、眞鍋かをりさんがこうした芸能村社会の慣習ではなく、自ら訴訟といった手段に出たことは特筆に価するだろう。頑張れ真鍋! と、甚大なエールを送りたいと思うのである。

バンクーバー 滑って転んで 鼻血ブー


TVでは川柳をやっていたのにつられて川柳でまとめてみました。バンクーバーオリンピックは全然盛り上がりませんね。

国母のステージ外での言動が最大の関心事というのだから情けない。結局国母くんは、得意の回転を決められずに転倒、出血。鼻血ブーな姿でインタビューに答えていた様が生々しく記憶に刻まれていくのである。

今日の最大の見せ場だった男子フィギュアも高橋の4回転ジャンプが決まらずに銅メダル。それでも男子フィギュアでのメダルは初めてだというのだから、記録的には満更ではない。かといって、拍手喝采を叫べないのは、冬季オリンピックに対する飽きなのではないだろうか。

PHSユーザーが、今宵PHS史を回顧するのだ

朝、インターネットを開くと「ウィルコム、更生法申請」のニュースが目に飛び込んできた。地味なニュースではあれ、おいらはユーザーとして人事ならない関心を注がざるを得ないのだ。思い返せば2000年の初頭くらいから、もう丸11年以上ずっと、PHS電話を使い続けていることになる。短所として指摘されていた移動途中での通話切れもほとんどなく、反面の長所であった電磁波が少ない(100分の1というレポートもあった)ことや、ネット通信に適していたということから、ずっと使い続けてきたわけである。

かつて、「みどり企画」のHPを開設したのとほぼ同時期に掲示板運営を行なっていた。ある時期に急激に掲示板が盛り上がってしまったことがあったのだ。当時はまだ導入したての「モバイルパソコン」などを使って、掲示板管理にも勤しんでいた。モバイルパソコンにPHS通信の組み合わせが必須のアイテムとなっていたものである。おいらの記憶が確かならば、PHS通信がもっともデジタル通信に特化していたことから、おいらの胸ポケットのPHS電話機は大活躍していたものであった。(遠いまなざし…)

その後、モバイルのネット通信にもNTTドコモやGEなどが参入してくるにつれ、PHS(ウィルコム)の影が薄くなっていったという現実である。

報道によれば、今後もウィルコムのPHSは存続されていくとの見通しだが、ユーザーとしては素直に信じ込めない状況である。料金値上げやら使い勝手の落ち込みやら相当なデメリットが予想されるのである。そろそろ替え時なのかなと考えているところである。嗚呼、これからまた友人、知人に電話番号変更の連絡をしなくてはならないと考えるにつれ、頭が痛いのである。

受け継がれるべき高田渡さんの語り

高田渡のトリビュートアルバム「石」を聴いている。シンガーソングライター・こうもとあいさんがカバーする「私は私よ」のコケティッシュな高音の歌声が心地よく響いてくる。とてもこまっしゃくれた歌詞なのだが、高田渡さんの稀有な世界観、女性観を覗き聴かせてくれてジーンとくるのだ。かつて何処かのライブ会場で、渡さんが低音を響かせたこの曲を聴いていたはずなのに、どんなうたい方をしていたのか想い出せない。けれどとても懐かしく響くのである。こういう現象をデジャヴとでも呼ぶのだろうか。

高田渡の後継者を自任するなぎらけんいちは、例えば「生活の柄」を歌わせたら自分の方が上手いのだが、どうしても渡さんには敵わないということを語っている。渡さんの持ち味は「語り」の持ち味に凝縮されている。渡さんの「語り」はそれくらい人を魅了する力を持っているのだ。

研ぎ澄まされた音楽世界に身を置きつつ、全国を放浪行脚して大勢の高田信者を増やしていた彼はまさに、放浪詩人に値するだろう。TV界や芸能産業などから自ら距離をとりつつ、全国各地でのライブ廻りを続けていた渡さんだが、各会場で接した人々のみが受け取ることができた何かが、渡さんの語りの中にはぎゅうぎゅうと詰まっていたのである。彼の語りはユニークであるが、とても親しみやすいものでもあり、皆が真似をしたがる。けれども実際、真似することはとても難しいことを実感するのだ。

本日これから放映されるNHK教育の「知る楽」のテーマは「反骨人生 時代に背を向けて」となっている。「反骨」という看板を掲げて勧誘活動やらサークル活動、友達ごっこをする風潮はたえて消え去ることはないが、渡さんが全国を廻って伝えていた反骨の姿こそ、そんな風潮とは真逆のものであり、もっとも尊いものと思うものなり。渡さんの歌を歌い、彼について語るときごとに、益々それを実感するのである。

有楽町ガード下の「満腹食堂」を初体験したのです(☆)

黒ホッピーしかないと云って出てきたのがこれ

有楽町のガード下付近を歩いていると、とても目に付く店がある。店名を「満腹食堂」という。店構えからしてとてもレトロな雰囲気が漂う。今日はこの店を初体験したのであった。まずはいつものホッピーを注文である。だが店員の対応は頗る悪い。

「うちのはグラスに入ってますけど、いいですか?」

なにやら最初から高圧的モードなのである。そうかそうか、ここは銀座によくある「樽生ホッピー」を出す店なのか…。それならばそれでよしと、気を取り直して再注文する。またまた店員の反撃である。

「うちには黒だけなんですよ。白はないんです」

またまた訳のわからない高圧モードがぶり返している。おいらはもうどうでもよくなって、だったらそれでよしと、白けた黒ホッピーを飲んで帰ってきたという訳なのである。出てきた黒ホッピーは、白けたプラスチック製のカップで出てきた。つまみはよくあるソーセージとポテトの盛り合わせ。出てきたポテトはマクドナルドで出されるようなポテトフライであった。これもがっかり。☆(星五つ満点で星一つって云うところですね)ジャンじゃんっと。

永井荷風さんに見習う日記の奥義(或はブログと日記はどこが違うのか?)

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ブログを続けていくにつれ、果たして日記とどのように違うのか? プロフとは? twitterとは? 掲示板とは? などという思いに駆られることが少なくないのだ。今宵はちょいと振り返って、ブログと日記の違いや共通点などについて、少々真面目に考えてみようなどと思ったのである。

明治から昭和にかけての風俗を独特の筆致で描いた文豪、永井荷風といえば、数々の小説などの文学作品を世の中に発表していくことと同時進行的に、毎日の記録を日記として書き残していくことを、日課として課していたことでも有名である。それらの膨大な日記は「断腸亭日乗」というシリーズ本としてまとめられ、戦後には発刊され評判を呼んでいる。荷風さん研究の貴重な資料ともなっているのだ。彼が37歳の時から始まり79歳で大往生(当時の寿命からしてそういって間違いなかろう)するまでの42年間、1日も欠かすことなく続けていたというのだから恐れ入る。「ほぼ日刊」などと称しているおいらが恥ずかしくなるくらいの凄さなり。

そもそも「断腸亭日乗」というタイトル自体がユニークである。「断腸の思い」という一言を想起させる「断腸亭」とは、その昔荷風さんが住まわれていた一室の別名とか。そして「日乗」とは「日記」の別名である。世に艶福家として名にしおう荷風さんの日記らしく、小説では発表しなかった下寝た日誌なども躊躇うことなくあれこれと記されている。さらには、仲間内での小言なり誹謗中傷なりが散見されていてとても興味をそそるのである。

さてそろそろ結論である。日記もブログも、毎日こつこつと続けていくことに意義がある。気負わず焦らず、ときには気を抜きつつ、出来るだけ長々と続けて行きたいという思いを強くしたのでありました。

綿矢りさの「夢を与える」。創作の背景に何があったのか?

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先日から読み進めていた綿矢りさの「夢を与える」を読了した。世の中の人々に「夢を与える」仕事、つまりタレントという仕事を天職として選んだ、ある一人の女の子を中心に物語が綴られている。彼女の出生前から大学受験後のある時期までを描いた、300ページを超える長編小説である。

初版が2007年2月であるから、刊行されてもう3年が経っている。2004年の「蹴りたい背中」による芥川賞受賞という華々しい経歴から数えれば、6年が経過したことになる。作家というよりアイドルタレントのようなデビューを飾った、綿矢りささんの初々しさは衝撃的であった。おいらも昔主宰していたネット掲示板界隈では、彼女の話題で盛り上がっていたことを想い出す。

今更になってこの本を書店で手に取ったことは、あの当時の懐かしく甘酸っぱい少女小説を期待していなかったといえば嘘になる。あるいは少女から才女へと移り行く成熟の軌跡を覗き見たいというある種の願望が、短くない読書の時間を後押ししていたのかもしれない。だがそうした期待や願望は、見事に打ち砕かれてしまったようだ。

ネタばらしはしないが、「夢を与える」人間となるべく育った主人公は、結局のところ夢を与え得なかったというお話。しかも底が見えそうな、浅薄な展開である。りささんが半分足を突っ込んでいるだろう「芸能界」をテーマにするには、彼女も周囲の雑音に足を引っ張られ過ぎたのかもしれない。誰かによる入れ知恵やら環境的な影響が、物語の創作に薄汚れた添加物を付加していたとすれば、とても残念なことである。大人になるとはこういうものだと断じられるものではない。

「フォト蔵」に「きらきらファッション」を公開しました

登録したばかりの「フォト蔵」に「きらきらファッション」を公開アップロードしました。とても簡単な手続きで、スライドショーとして見られるので、遅れてきた「フォト蔵」ユーザーとしては少々感激モードに入ってしまいました。

http://photozou.jp/photo/slideshow/306040/1124129

みどり企画の「きらきらファッションショー」でもお馴染みの、衣装デザイナーこときらきら泉さんの手づくりファッションです。オーガニックコットン、日本の古布、インドのワイルド・シルクなどの自然素材を使って、大変魅力的な衣装がデザインされています。

現在のホームページに続く第2弾として撮影されていたものの、みどり企画HPでは長らくお蔵入りにされていた貴重な写真たちです。モデルは神田さおりさん。この機会にぜひご鑑賞ください。

http://www.midori-kikaku.com/kirakira/

ちなみに、よしこさんが作成した公式ホームページ「きらきら泉…at Works」はこちらです。同じ写真が使用されています。どちらもおいらの撮影です。

http://www4.ocn.ne.jp/~xaba/index.htm

写真共有サイト「フォト蔵」に登録

遅ればせながら「フォト蔵」に会員登録をした。先日までは「flickr」にしようかどうかと迷っていたのだが、結局、使い勝手やら日本語全面対応(笑)などといった些少の違いから、フォト蔵を選択したということになる。

flickrを欧米向に特化して発信するという案も捨てた訳ではない。「twitter」や「facebook」を欧米人とのコミュニケーションに特化して利用しているユーザーが少なからず居ると同様に、このスタイルもまた捨てがたいと思うからである。

という訳で、最近は既存の写真データのアップロード作業に追われているのである。今あるおおよその写真データをアップし公開した後で、どんな活用ができるか、少しずつ試みていきたいと考えている。まずは「タグ」を付ける作業と、ジャンル分けに注力していこうかと、我ながら殊勝な心がけを抱いているところなのである。

話題の冷製おでんにがっかり

手が凍えるほど寒い夜なのに、久しぶりに出かけた某居酒屋にて冷製おでんなど頼んで食べたりしたので、今宵はちょいと調子が悪い。ちょいとした寒気や頭痛やらが襲ってきた。

その話題のおでんは、おでんの出汁でトマト、アスパラ、鶏肉、そして炒め玉ねぎなどを煮込んでいる。狙いは悪くないのだが、それにしても注文する客のことをまるで考えていない代物である。

帰宅途中のスーパーにて398円の鍋材料を暖めて、ようやくほっこりと暖をとっているような有様である。

高田渡の特集番組、4週連続放映中

高田さんは吉祥寺の愛酒会の人気者であった。

NHK教育の「知る楽」では、高田渡の特集番組が4週連続で放映中である。先週の第1回放映を見逃していたので、本日は早朝目覚ましで起き、5時35分からの再放送番組を視聴した。「随想 吉祥寺の森から」の杉本さんより番組情報を提供していただいていた。

http://blog.livedoor.jp/mediaterrace/archives/52082820.html

第1回放映では、高田渡さんの少年時代にスポットが当てられていた。裕福だった岐阜での幼少期とは裏腹に、破産して東京に逃れ着いてからの一家の生活は、とても苦しいものであった。飯場の労働者たちと接しながら育った渡さんのの少年時代の環境が、彼の音楽性に甚大な影響を与えていたことは想像に難くない。

高田渡さんと云えば、かつておいらが西荻窪の「ほびっと村」にて二人写真展を行った際、祭りのライブ会場で渡さんを撮影した写真の展示許可をもらうことやご挨拶などから、彼の住む吉祥寺を訪ねたことがある。南口改札前で待ち合わせた渡さんは、とても静かに現れて、とても想い出深い面会となった訳である。かねてからの行きつけであるハーモニカ横丁でのお付き合いを願い出たところ快く応じてくれたのである。ビール、焼酎と杯を重ねながら、奥さんが写真関係の仕事をしていて渡さんも写真に関心が深いことや、息子さんのことなど、とても熱っぽく語ってくれたことを昨日のことのように思い出すのだ。その日はおいらも少々深酒してしまい、帰宅するなり妻にじっくり叱られたという、ほろ苦い想い出もあったりするのである。

本日はこれから、第2回目の放映がある。テーマは「“日本語フォーク”の先駆者 」となっている。フォークシンガーの中でもとても異色であった彼の音楽が生み出された背景や必然や、その他諸々のドラマが展開されるだろうと期待しているところである。

群馬のアンテナショップ「ぐんまちゃん家」で水沢うどんを当てたのだ

マスコット「アルティ」君も大活躍である。

銀座にある群馬のアンテナショップ「ぐんまちゃん家」(銀座5-13-19)では、伊香保・渋川フェアを開催中である。

http://kikaku.pref.gunma.jp/g-info/

2Fのイベント会場に入ると、沢山のパンフレット類に「エチケットセット」までもが無料提供される。そして簡単な2問のクイズに答えると抽選の権利が与えられるのだ。1等賞は伊香保の一泊旅行券である。久しぶりに気合が入って臨んだのだ。早速簡単なクイズに合格して、次なる抽選の機械をぐるぐるっと回す。

「お目出とうございます!」の大きな掛け声とともに、チャリン! チャリン! と、鐘の音が鳴り響いたのです。見事引き当てた賞品は「水沢うどん」でありました。知らない人も多いだろうが、日本3大うどんにも称せられる名物である。3大うどんとして名を連ねる他の讃岐うどん、稲庭うどんに比べても、この水沢うどんの方が断然と品良く高級であることは明らかである。即ち、水沢うどんこそ日本のNo.1うどんと云っても過言ではないのである。

家に持って帰って食してもよかったのだが、群馬出身のピチピチOLの「うどんちゃん」に差し上げることにした。もちもちとした柔肌のうどんちゃんには、水沢うどんが良く似合うと感じたからである。