おいらは学者ではないので、いわゆる「構造主義」を詳細に学んだこともなければ、文化人類学の概要についてさえ覚束ない知識しか持ち合わせていない。レヴィストロースの思想的立場が奈辺にあるのかさえ疑わしいのだ。しかしながら彼の著した書物に目を通していると、常に強烈に訴えかけてくるものがある。それは思考のしなやかさである。
私事になるが、かつておいらが美大の4年生であったころ、教育実習とやらで実家に近い母校の高校に2週間ばかり通っていたことがあった。指導教官との打ち合わせでおいらが教育実習のテーマとして主張したのが、「コラージュ」である。このとき、レヴィストロースのコラージュ理論(「ブリコラージュ理論」ともいう)が頭の中にあった。指導教官にはレヴィストロースの「レ」の字も漏らさなかったが、レヴィストロースの影響下にあったことは隠しがたい事実である。2週間という時間は中途半端な時間であり、生徒達によるコラージュ作品はほとんど完成を見なかったと記憶しているが、日常から抽出された素材を彼らがどう扱うかに、おいらの関心はあったのだろう。つまり、おいらが知らない素材を、若い生徒達がどのように持ち寄り組み合わせるか、実験してみたのである。
その後、「コラージュ」という概念はおいらの中で展開されることなく、おいらの関心はジャン・デュビュッフェらによるアンフォルメル絵画に移っていった。美術、音楽に対する造詣も深かった彼のコラージュ理論は、西洋近代主義の垢を払い落とすことにとても役立ったのである。