昨日「中華三原」のことを書いたせいなのか、無性に三原の店内が懐かしくなってたまらなくなってしまった。という訳で、何ヶ月ぶりかで、銀座の名店「中華三原」の店の前の行列に並んだのでありました。
今日のお目当ては「炒飯」である。あまり注文する人はいない。だから後回しにされるメニューである。何十分も並ばねばならない覚悟を持ってのチャレンジなのだ。実は以前、この店で、一人黙々と炒飯に喰らい突く銀座風体のおやじを目にしたときから、「今度来るときは炒飯」と胸に決めていたからなのである。
迷いは大きなものがあった。折角の並んで待つ十数分を、秋風吹きすさぶ風街に立っていなければならないのである。それならば折角のご褒美として誰もか賞賛する「タン麺」にありつくべきなのではないかと、おいらも自分自身を省みながら悩んだのである。だが結局、おいらは初志貫徹を貫いたのであった。
席についてからも五分程度の間はあったかとおもう。そしてやってきた「炒飯」。↓写真参照。
昭和の風情が漂う脂っこい炒飯である。ここのオリジナルの叉焼をふんだんに使っているせいか値段も高めで800円なり。じっと見つめる限り、特別な炒飯には見えない。普通盛というのに多めである。通常の大森に近い。盛り土されたかのごとくの炒飯の表面には、フライパンで焼かれたおこげのようなしみも見えてくる。一体これがかの銀座名店の炒飯であるのか? 甚だ疑問の時間を過ごして、いざ炒飯をほお張る。そうそう、これが昭和の味だったのである。脂っこい炒飯にかぶりついて食する光景など、今やほとんど過去の遺産だとして軽んじられる光景が、まさにおいらの身に起こっていたのであった。美味い炒飯は脂っこくてよいのである。しかもトッピングとして添えられているのが「たくあん」。たくあん和尚が愛した逸品である。脂っこさに辟易したときに、このたくあんをつまんで一呼吸置く。これが通の、炒飯の食し方なのである。つまり「炒飯にはたくあんがよく似合う」なのである。
炒飯と格闘しても冷え切った体はいっこうに温まらない。ほとほと「秋はタン麺だな」という教訓を胸に、今度はタン麺を食うぞと誓ったのである。