村上由佳の「ダブル・ファンタジー」は必読書なり

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最近読んだ小説の中で、ドキドキワクワク感が最高だったこの小説の帯には、「ほかの男と、した? 俺のかたちじゃなくなってる」と意味深なキャッチがある。実はキャッチではなくて、小説中の会話からピックアップしている言葉である。「読者騒然、『週刊文春』史上最強の官能の物語、ついに刊行!」という、ちゃんとした帯書きもある。

誰が称したか「体で書いた本」というくらいに、詳細な性描写が素晴らしい。あるあるレベルでは描ききれないだろうSEX描写のオンパレードなのである。

それまで余り熱心ではなかった村上由佳作品だが、この一作は経験豊富な名シェフが差し出す料理のごとくに、絶品の味わいである。差し出す料理人の器量によって、評価が左右されてしまうのは、こと恋愛小説否、ポルノ小説、おっと失礼、否いなアダルトな高級恋愛小説において致し方ない。容姿に難のある作家の手によって差し出されたとするならば、このような最大級の評価は(おいらの個人的評価はさて置いても)与えられることが無かったであろう。ファンタジーの中にはリアリズムがぎっしりと詰め込まれてあるところが、ワクワク感を引き出す壷なのである。

「ダブル・ファンタジー」という書名は、「男」と「女」の、体は重ねあうが心は決してまじわうことないファンタジーという意味あいをまとっている。「心」と「体」が決してまじわうことないと捉えてみたら、たしかに哲学的ではあるが、とても残念至極なり。ファンタジーはドキドキ感を裏切らない代物であって欲しいと思う。…たしかに年を取るとそう思いがちになる。

おいらはこの「ダブル・ファンタジー」読了後に、作者、村上由佳の過去作品に接したものだが、甘ったるい青春小説節に辟易してしまった。さてはこのギャップこそ、体を張ったことの成果だったのであろうか? だとすれば、いろいろなる妄想が膨らんでくる。おいらはついつい村上先生の私生活が気になってしょうがないのである。

蒸し野菜に舌鼓!

いつもながら今宵はまた、いつもながらの行き付けの居酒屋に立ち寄り、いつもながらのホッピーを飲んでいましたのですが、隣の客が発した言葉「蒸し野菜」には、今宵とても感動的な発見をしたので、ちょっとばかり紹介しておきます。

今宵初めて食した「蒸し野菜」は、れんこん、ズッキーニ、かぼちゃ、ブロッコリー、それにソーセージ、エトセトラなどが一緒になって蒸せられる。極めてシンプルな料理ではあるが、作り置きなどしない真っ向料理の同店ゆえに、一から蒸していたことは天晴れ至極にござ候。

以下は雑談ではあるが、少々お付き合いを。本日は朝から、都心の中央区銀座はピリピリムードであった。おそらくオバマ米国大統領の訪日を受けての予備的な警備であったのだろう。ところがどっこい、おいらはこれには過剰反応してしまったのだ。かつておいらが画学生としての青春期を過ごしているとき、街中でしばしば警官に呼び止められたものである。

「ちょっと! そのかばんを見せてもらえませんか」

口調は穏やかではあったが、仕草は有無を言わせぬものと見えた。かばんの中には大量の絵の具などの画材類が入っているのを見届けると、警官は何事もなかったように挨拶をしてその場を離れたものだ。おそらくその巨大なかばんの中に爆弾が仕掛けられているとでも思っていたのだろう。まったく猜疑心もいいところてなのである。そこで例えば「逃げた」らばどうなったであろうかという友人との議論が、その後に真面目にあったということからして有無を言わせぬということの証明だろう。

米国大統領の来日とあれば、多少の市民生活の不自由は享受するくらいの気持ちはあるのだが、一体このこの状況についての納得はできかねるのである。何か別の事件や、別の目的などが存在していないかと実は疑っているのである。

ホルモン焼きに合うホッピー

関西の味に関東のホッピーがfit

関西の味に関東のホッピーがfit

地元のホルモン焼き店に久々に足を運んだ。そこで発見したこと、まさにホッピーはホルモンに合う。「hormon に fit」なのである。

ホルモンとは牛や豚の内臓のことであり、これを炭火で焼いて食するのが「ホルモン焼き」である。ホルモンという言葉の起源は数種有るようだが、もともと食べずに「放るもん」、すなわち捨てるものの意味であるという説と、ホルモンが医学用語で云うところの「ホルモン」から来ており、活力の源というイメージがぴったりしたことから定着されたという説が有力である。

どちらの説を採る立場においても、その発祥は関西であり、ことに食い倒れのまち大阪のイメージによく合う(fit)なのである。そんなホルモン料理に、ホッピーはよく合う飲み物であった。

色々なブログをネットサーフィンしていると、「ホッピー」は関西には馴染まないなどという記述を目にするが、これは噴飯ものである。おいらが4~5年前に大阪グルメを取材旅に訪れたとき、ホッピーは大阪の大衆居酒屋にたしかに根付いていた。ただ、その薦め方が少々違っていた。

「お客さん。ホッピーには少しのアルコールしか入っていません。もっと豪華に飲むには、焼酎で割って飲むのがお薦めですよ…」

こんな会話はこと関東では聞いたことが無いのである。

人毎の 口に有也 したもみぢ(松尾芭蕉)

東京もいよいよ色づいてきて、吾輩の家の近くの公園にも、紅葉の季節が訪れつつある。散歩した公園にも、色づく様子が見られたので、携帯カメラで撮っておきました。

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ところで俳句にはとんと縁の無いおいらだが、松尾芭蕉さんといえば話は別格なのであります。かの「奥の細道」はまさに、おいらが度々東北を旅するときのあかりの様なものでありますゆえ、存在が別格なり。実は前々から胸に突っかえて居る句があるのです。

人毎の 口に有也 したもみぢ(松尾芭蕉)

実は「したもみぢ」という言葉が引っかかっているのです。紅葉は「下から」色づいていくのだから「したもみぢ」なのか? あるいはそれ以外の特別な意味があるのではないのか? 

我が国の和歌には「したもみぢ」なるキーワードが多数存在する。例えばこれなど。

したもみぢ かつちる山の ゆふしぐれ ぬれてやひとり 鹿のなくらん

紅葉は下から順々に色づくという。それを意味して「下もみぢ」というのか? だが「したもみじ」は、「舌紅葉(したもみじ)」と読めないこともない。人は時々前言撤回する、つまり裏切る。それを意味して「舌もみぢ」というのではないのだろうか?

芭蕉さんの句だからというわけではないが、人生訓として読んでみると、「下紅葉」より「舌紅葉」のほうがずっと、芭蕉さん的ではないのか、なんて考えているところなのです。

銀座のレトロな穴場ギャラリー

これまで銀座のネタはといえば、飲み食いの話題にばかりであったことを反省し、今宵は芸術の秋にも相応しく、画廊の話題など少々。

ビル自体が骨董品である。

ビル自体が骨董品である。

レトロなアコーディオン扉が懐かしいエレベーター

レトロなアコーディオン扉が懐かしいエレベーター

誰が呼んだか「画廊の街銀座」は、犬も歩けば画廊に当たるっちゅうくらいに画廊がひしめきあっている特異な街なのですが、そのほとんどは画商という、得体の知れれないモンスターが仕切っているので、例えば地方から上京したばかりのお上りさんとか、日本観光の最初の日を銀座に訪ねたビジッターさんたちにとっては、格好の鴨となるおそれが大なのであり、ご注意遊ばせなのである。お上りさんの目をしながら画廊に入ったが最後、「お客様、お目が高いです!」というお褒めの言葉に続いてあらゆる高等画商テクニックの実験台にされること必至である。おいらも同様の経験豊富では有るので身につまされること大なのであり、余計なお節介を述べたものなり。

ところで吾輩が銀ブラしながら時々訪ねるスポットに、銀座1丁目の「奥野ビル」があります。一見して時刻が止まってしまうくらいにレトロなビルであり、一度そこに足を踏み入れたことのある人間にとって、そのゾクゾク感を追体験しようとして、何度も足を運ぶことになること必至なり。馬鹿なミーハーどもが集る、かの「メゾンエルメス」なんてものは女子供に任せておけば良いのであります。

レトロなビルに相応しく、大昔の銀座三越に採用されていた、アコーディオン扉のエレベーターに乗って、画廊散策するのはとてもお薦め体験です。人も住む住居が有るというこのビルの中には、十数件の画廊がひしめき合っていて、ゾクゾクとして画廊の扉を開けたときの快感は、他では味わうこと無いものであったと実感している。それくらい貴重な「奥野ビル」。銀ブラしながらゾクゾク感味わえるスポットが、時代とともに減ってしまった。古きものを簡単にぶっ壊す悪しき風潮に「渇!」なのである。

今日は股々、そんなゾクゾク感を期待して同ビルを訪れたのだが、ただし、特別な出会いや発見はなかったのである。残念!

レヴィストロース逝去の報に接して

ご存知構造主義の大家、レヴィストロース博士が逝去したという報道が目に入ったのは昨日だった。御年百歳。いわゆる大往生であろう。

http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2659474/4848350

かつておいらも彼の著書「悲しき熱帯」などを、難しすぎるなと感じながらも熱心に読みこなそうとしていたものである。いわゆる近代主義とは西欧中心主義にほかならず、そこにメスを入れていた思想家の一人として、我が国の吉本隆明は特筆されるが、吉本にも負けず劣らずの思想的営為を世に認めさせた思想家こそは、レヴィストロークさんだったのだろうと思います。彼の残した「構造主義的」な足跡の数々は、人間への根源的な思索がぎゅうぎゅうと詰まっているがゆえに、極東の小国である日本のおいらにも、ずきずきと突き刺さるものがある。世界の巨星が逝ったことをしみじみと感じているのである。

ホッピーによく合うメニュー

肌寒さが身にしみる秋本番である。昨夜もまたおいらは、ホッピーのあるお店へと足を運んでしまいました。それはそうと「ホップス」はサントリーが出した発泡酒であり、麒麟ではありませんよ。みなみさまお間違えなきようご注意遊ばせまし。もちろんここで云う「ホッピー」ともまた関係ありません。

そもそもホッピーが最初に市民権を得たのは戦後間もない頃のことで、当時のビールもろくに飲めなかった貧しい小市民が、ビールテイストの炭酸飲料として糊口を凌いでいた、云わば代用品であったのだが、近頃ではあの恐ろしい痛風の原因因子であるプリン体が少ないことから、おいらみたいな高尿酸血症人類に好まれているのである。甲類焼酎と組みあわせれば、ビール以上の健康飲料なり。

些か前書きが長くなったが、地元のサラリーマンたちが足繁く通う某居酒屋店の、創作的おすすめメニューを発見したので紹介しておきます。

イカとアボガドの辛子マヨネズあえ

イカとアボガドの辛子マヨネズあえ

イカは生でなく、程よく湯通しされていてなまぐさくなく、アボガドとの相性が絶妙である。芥子マヨネーズもオリジナルで辛すぎたりせず心地よい。オリジナルメニューをさらりと出せるこんな店は、何度足を運んでも飽きることがないのである。

プラモデル作りに苦戦中なり

シャッターのバネの調子がおかしいのです。

シャッターのバネの調子がおかしいのです。

学研の「大人の科学」という雑誌に「二眼レフカメラ」のおまけがついていたので、ふろくにつられて買ってしまった。ふろくつきで2500円、決して高い買い物ではない。プラスチック製とはいえちゃんと35ミリフィルムを使えて撮影可能という代物だ。

けれどその後がいけない。少年の頃にはプラモデルを組み立てるのは得意で、友人に見せびらかしたりもしていたものだが、昔とった杵柄が、云十年もたっておいそれと通用するはずもなく、悪戦苦闘なのである。

肝心のシャッターの組み立てがうまくいかない。子供の頃の器用さがウソの様にてこずっている。本当に使えるカメラはできるのだろうか? もし幸いにも組み立てが成功した日には、自作カメラを持って撮影日記などつけたいものだが、一向にその日はやって来そうにないのだ。

ホッピーの将来は如何?

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銀座のガードしたでホッピーが飲めるのは嬉しい

ホッピーについて先日は、当ブログでも「ホッピー党宣言」とやらをしてしまったという事情も有り、ホッピーの将来は如何なる苦渋が待ち受けているか、などといった消極的思考に雁字搦めにされていたものだったのでした。でも今日からは心と身体を入れ替えて、幸ある「ホッピーの将来」をかなでていこうなどと考えているのであります。
そこで考えたこと。

【ホッピーのある店】の条件とは?

【その壱】
まず第一に圧倒的なのが、もつ焼きやである。焼き鳥、焼きトンと、その種類はまちまちだが、両者をあわせて、そのたぐいの店のほとんどには「ホッピー」があるのだ。(※まあ地元の事情で無い店もありましょうが…)

【その弐】
余りに形式に格しきばらずに、ほどほく調和した新規嗜好なりを積極的に取り入れている店。逆に言えば頑固おやじ系の店には例えば麒麟のラガーしかおいてなかったり、サッポロのラガー(小売店にはない)しか無かったりするので、残念である。

泰明小学校のアートイベント

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今日から11月である。秋本番。この時期11月に入ると寒さが身にしみることをいつの間にか学習するとともに、ここ数年来、おいらがかつて画学生としての時を過ごした多摩美の秋本番の芸術祭に足を運んでいたものだが、今年はひょんなことから多摩美ではなく、中央区銀座の「泰明小学校」を訪れていた。「銀座あおぞらDEアート」と銘打ったアートイベントが催されていたからである。

誰が名付けたか「画廊の街銀座」の、画廊、画商が中心となって企画された、若手のアーティストたちの作品発表の場となっている。銀座の一等地に構える名門小学校だけあり、狭いながらに堂々の佇まいには「天晴れ」の一言。最近は仕事柄、ここ銀座を縄張りにしてきたおいらだが、名にしおう泰明小学校の前を何度も通り過ぎながらも、一歩もそこへ足を踏み入れること叶わなかったこともあってか、まずは泰明小学校のグランドの土を踏んだことの嬉しさ、感慨が込み上げる、何茶って…。

美大生や美大卒業して間もない若手の作品群が、狭い会場を取り巻くように並べられていて、やはり想像以上に目の収穫有り。画廊、画商が関係しているとはいえ作品を売買するといった光景はほとんど見られず、そのぶん打ち解けた、若手アーティストとの自然なふれあいがあり、大変希少な時間を過ごすことができたのでした。

若手の出展者の中には、卵のオブジェを作って販売していた多摩美の後輩女子が居て、重ねて展示されていた卵のオブジェたちの中で、ひときわ輝いていた自筆メッセージ入りの作品を、250円という格安でゆずってもらってすごい満足感やらを味わったのでした。