くさやの匂いが似合う居酒屋

いまどき「くさや」を食したいと希っても、どこでも簡単に食せられる訳ではない。あのつ~んと鼻に来る、独特の腐ったような匂いは、人によっては食欲を減退させるばかりか嘔吐をもよおす異臭ともなりかねない。異臭と闘って食するに値するメニューなど、そうそう滅多に出遭えるものではない。

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多数派を取り込むメニューばかりが幅を利かすのが、どこの居酒屋でも当たり前になってしまった今や、ほとんどの店にてこのメニューは、取り扱い厳禁の一品となってしまったようである。無性にくさやが食したくなったときなど、自然と足が向くのが、ここ小金井の「大黒屋」なのである。今宵もふとくさやの面影につられてぶらりと足を運んでみたのでありました。

トビウオ、アジなど、日によってくさやとして出される種類はまちまちであり、それがまた楽しいのだ。今宵はたぶん、アジと思われるくさやにありつけることができ、満足至極。良い味わいの大衆日本酒とも相まって、ほろ酔い気分を満喫しているのでありました。

くさやの後のすっきり感が嬉しい明日葉のおひたし。

くさやの後のすっきり感が嬉しい明日葉のおひたし。

此処「大黒屋」の名物メニューはくさやばかりではない。「明日葉のおひたし」「レバ刺し」など、辛党には嬉しいメニューが並ぶ。ずっと仲良くしていきたいお気に入り店の一軒である。

古里で観たハレの日の狂騒

久しぶりに故郷前橋の土地を踏んだのでした。

上州の方言で言う「だんべい(だろう)」からこの祭りが命名されたという

「だんべい祭り」とは、上州の方言で言う「だんべい(だろう)」から命名されたという

ちょうどその日は、前橋の祭り「だんべえ祭り」などが開催されていましたので、おいらも郷里の家族での食事会を終えた後に駆けつけたのでありました。そこで見かけた光景が、上記の写真のようなものでありましたので、些かおいらも途方に暮れた瞬間を味わったのでした。いわば余所者として眺めていたお祭りの光景。シャッター街などとも呼ばれて久しい故郷前橋の商店街にて、このような祭りが開催されていました。壊れかけている商店街の息吹を快復させようという、関係者の思いが強く圧し掛かってきたものでした。シャッター街にかけたのではありませぬが、おいらもカメラのシャッターは、何度も何度も頻繁に押されていたのでした。

ただ此処で感じたことのひとつには、新しい「祭り」の形態に戸惑う一面があった。新しい「祭り」の形態に戸惑うのはおいらが変わったのが要因なのか、あるいは古里の質が変貌を遂げていたからではなかったのか? 

この「だんべい祭り】とは、青森の「ねぶた」、札幌の「ソーラン祭り」、高知の「よさこい鳴子踊り」などをヒントに企画されたイベントだという。

実際にはどちらも変わっているのに違いない。その両者と云っていいのだろうか? その両者があまり打ち解けないものになっていることに、うら寂しさを禁じ得なかったのでした。

酒井法子の便乗本がうざい

酒井法子さんの事件から、漸くほとぼりが冷めようとしているとき、彼女をだしにしたたぐいの書籍が数冊発刊されている。

改めてアマゾンにて検索したところ、「碧いうさぎの涙 酒井法子のタブー 」、「酒井法子 孤独なうさぎ 」、「酒井法子隠された素顔 」がリンクに引っかかっていた。そのうち2冊は、書店にて立ち読みしたが、父親がヤクザであったなどの古色蒼然としたネタと今回の騒動とを掛け合わせただけのしょうもない代物である。もう1冊の「酒井法子隠された素顔 」は恐縮おやじこと梨本勝が著したということになっているが、書店では見かけなかった。こんな便乗商売に加担するくらい梨本勝も落ちぶれたのかと想うと、ちと寂しい。

リトル・ピープルとは何か? 新しい物語

村上春樹の「1Q84」について、特にそこで展開されている「リトル・ピープル」に想いをはせるにつれて、彼らに対する拒絶反応とともに、奥深いところではある種のシンパシー、或いは興味深い畏友ではないのか、といった想いを払拭できないでいる。かつて村上春樹さんが著した「アンダーグラウンド」というノンフィクションの最終章を、今宵読み返している。

興味深い一節がこれだ。

「(前略) 私たちが今必要としているのは、おそらく新しい方向からやってきた言葉であり、それらの言葉で語られるまったく新しい物語(物語を浄化するための別の物語)なのだ――ということになるかもしれない。」

新しい物語のモチーフを、ある意味にてオウム真理教のドラマに求めたのかもしれない春樹先生の、肉声を聴いた気がした。

翻って「1Q84」のト゜ラマツルギーにおける「空気さなぎ」の位置づけはどうだったのだろうか? 芥川賞候補作として売り出す経緯やら、最終章(あくまでBOOK2におけるものとしての)で10歳時の天吾と青豆のファンタジーとやらは、現実としての「オウム真理教」体験を浄化させた、新しい物語として、昇華されたものと、受け止め得るのか否か?

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中川昭一 死因を「アルコール死」と書けないマスコミのおそまつ

マスコミ媒体にてさんざん報道されているように、中川昭一元財務大臣が、自宅で死亡しているのが確認された。先般の衆議院選挙に落選したショックから鬱状態であったことや、諸々の心労が身体にダメージ漬けしていたことが推察されるが、問題はその死因である。

http://www.youtube.com/watch?v=1OkSbmV_dE0

「行政解剖」では死因が特定されなかったとされ、その後「病理検査」を実施したというが、はっきりした死因は発表されていない。しかもどのマスコミも、遺族関係者側による「心不全」などという不合理な発表をそのまま垂れ流しにさせているような有様である。「睡眠薬」「坑精神剤」「アルコール」といった3点セットが検出されたとされているにもかかわらず、である。これでは何の為のマスコミかと、今更ながら呆れてしまう。

おいらも中川昭一状態に見舞われてしまうことが、度々ある。そういうときには職場に入る前にマスクを着用して、中川昭一状態を気付かれないように気を遣う。気遣いを忘れないくらいは素面の要素が残っている。中川元財務大臣のケースにおいては、気遣いをもたらす程度の素面の要素さえ失われてしまったのではないかと推察する。人事ではないなと身につまされているのであるが、おそらく中川元財務大臣の死因は、アルコール性の疾病によるものであろう。急性アルコール中毒やら、アルコール性心筋症、なる病名が浮かぶ。どれもが大量飲酒を主要な要因とする疾病である。

家族間殺人は大企業の責任

亀井静香大臣の言説が論議を呼んでいるという。「日本で家族間の殺人が増えたのは、大企業の責任」と、さる5日の講演会で発言したという。けだし至極最もな発言である。論議、誹謗を呼んでもなお取り消さないという気概も見事と云ってよい。

http://mainichi.jp/select/today/news/20091007k0000m010141000c.html?link_id=RAH05

繰り返すが極めてまっとうな論議であり、判断である。統計を正しく取って正しく判断すれば、おのずからこの正しい判断を導くことができるはずである。(手垢のついた「正論」などという語彙は使いたくない。あくまでも正しい判断、正しい論理というのが相応しい)

振り返るのもおぞましいが、かつて小泉純一郎一党の残滓が未だにこの日本社会に蔓延っている以上、折に触れつつ、小泉構造改革のまやかしについて批判を継続させていくことは必要である。亀井大臣の発言もその文脈において評価に値すると云ってよい。

かつて、某零細出版社の社長から、「親殺し・子殺し」をテーマにしたドキュメントの執筆を持ちかけられたことがあり、おいらもその当時、関連のデータを探っていたことがあった。某零細出版社社長は、古代史からの「デュオニソス」的神話からの切り口における論理展開を意中に思い描いていたようだが、おいらが判断するにもっと単純至極の成り行きにしか見えなかった。経済的弱者の急増+倫理的レベルの急落により、必然的にもたらされた現象の一つにしか見えなかった。「デュオニソス」的神話の哲学と、今日的「親殺し・子殺し」とが、どうしても結びつかず、折角のその提案も、丁重にお断りしたのでした。

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このこおろぎは、銀座にある「ぐんまちゃん家」に飼われていたもの。

話題は変わるが、今宵自宅に辿り着くなり、こおろぎの鳴き声に迎えられたのです。とても懐かしい響きに、一日の疲れなど吹っ飛んでしまった。狭い我が家の庭にもこおろぎが巣を作ってくれたと想えば、大変にハッスル発するである。

絶品 椎茸のおひたし

ランチメニューだけではない、当ブログのグルメジャンルには、居酒屋メニューがあるのです。

よく出汁が染みとおって、くきまで美味なり。

よく出汁が染みとおって、くきまで美味なり。

 新潟名物のへぎそばを出す地元の某居酒屋で、おいらがいちおしお気に入りのメニューがこれ。おひたしとは云いながら、出汁でじっくりと煮込んでいる。適度に冷やして出される頃合がGOOD。くきまで美味なり。

青豆と天吾が再会叶わなかった高円寺の児童公園

滑り台に登って周囲を見渡せば、青豆が匿われていたマンションらしき建物が…。

滑り台に登って周囲を見渡せば、青豆が匿われていたマンションらしき建物が…。

少々ネタばらしになってしまうかもしれないがご容赦を。

村上春樹「1Q84」の終末場面での、主人公の二人(青豆と天吾)が、互いに求め合い再会を希求するにもかかわらず、ついに邂逅することの叶わなかったという、重要な舞台設定となった場所である。

杉並区高円寺の南口から歩いて数分、環八通りにも近い場所として設定されているのがここだ。児童公園を見下ろせる六階建てのマンションの一室に、使命を終えた青豆は匿われている。危険を避けるために絶対に外出を禁じられていた青豆だが、同公園の滑り台に居た天吾の姿を見つけるや居ても立てもたまらず飛び出してしまった。だが、非情にも再会はならず……。春樹さんも可哀想なことをしてくれたものである。

この滑り台に登って眺めた天吾の視線を想ってレンズを向けてみた。「1Q84」のキーワードともなり得る「二つの月」。二人が、クライマックスを迎えてどの様に見たのだろうかという興味は、無残にも打ちひしがれた模様。おぼろげに霞んで見えたその月は確実に一つの輪郭を有していた。やはり春樹ワールドを現実的に理解するのは至難である。

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「1Q84」BOOK4に期待する

「1Q84」BOOK3の出版が確実となった今、僕たちが期待するのは、単に第3章としてのストーリー展開だけではなく、総合小説としてのこれからの展開である。ノーベル文学賞候補となって久しい彼だが、真に賞に値する作品を発表していくことを、僕たちは見守っていくべきなのだ。

そのために前提となることは、「1Q84」はBOOK4まで展開されねばならないということである。3部作というスタイルは、総合小説というジャンルに相応しくはない。それは4部作でなくてはならないのである。

世界に目を向ければ、真に総合小説として磐石な評価を受けているものの中に、4部作作品がいかに重要な地位を占めているかが判るだろう。「ジュスティーヌ」「バルタザール」「マウントオリーブ」「クレア」と続くロレンス・ダレルのアレキサンドリア四重奏。鬼才といわれたダレルが才能を開花させ、世界にその名を轟かせた記念作だ。20世紀の現代文学を牽引したジェイムズ・ジョイスの代表作「ユリシーズ」もまた四部作。かつて日本人のノーベル文学賞候補の筆頭とされた三島由紀夫はといえば、「春の雪」「奔馬」「天人五衰」「暁の寺」からなる「豊饒の海」四部作を遺して自害したという経緯も見逃せない。

村上春樹の古くからのファンとして、世界に誇れる総合小説にチャレンジして欲しいなどという我儘な願いを書いてはみたが、実はすでに春樹さんにも4部作があるということを最近知った。初期の「風の歌を聴け」から「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」「ダンス・ダンス・ダンス」までを「鼠四部作」と称するのだそうだ。初期の作品のテイストはかなり軟派なトーンで埋め尽くされていたという記憶がある。確か「週刊プレイボーイ」(あるいは「平凡パンチ」だったか)に、「春樹先生に学ぶ女性の口説き方」見たいな特集が組まれていて、少年の一時期のおいらはそれらを読みふけっていたものである。

結論は、やはり春樹さんには軟派作家としてではなく、総合小説家としての四重奏作品を期待する。その延長としてノーベル文学賞があるはずである。

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村上春樹「1Q84」にみる「リトルピープル」

リトル・ピープルとは?

村上春樹の「1Q84」について、この作品がジョージ・オーウェルの「1984年」をベースにしているとの指摘は、文藝関係者以外からもことあるごとに打ち出されている。どれくらいの比重があるかないかをはいざ知らず、この指摘を否定することはもはやありえないであろう。

たしかに旧ソ連邦に象徴される高度管理社会は、巨大な悪の権化としての「ビッグ・ブラザー」を想定して議論していくことが可能であった。厳然としてある支配層による管理システムが、明瞭な顔を持って行う権力の行使は、顔の見えるものであった。だが現在においてその図式は成り立たないものとなった。村上春樹さんもその辺のところはとっくにわきまえており、新しい時代を体現する人間たちを「リトル・ピープル」と称したかったのではないか?

「オウム心理教」「ヤマギシ会」などの特定のカルト教団が、そのモデルとして設定されているものの、物語が示しているのは、そんな狭小なものにとどまってはいない。「衆愚の民」と新潮文化人だったらそう呼ぶかもしれない、ある条件に限られた一部大衆にも、「リトル・ピープル」たる資格が備わっているのかもしれない。あるいは、ネット社会における「祭り」に参入して煽り立てるネット流民たち、2ちゃんねる掲示板に群がる匿名ユーザーたちも、その例外であるはずがない。

「正義」の御旗を振り回して「ビッグ・ブラザー」を自称するタイプの人間は周囲に見なくなったが、その反面で「リトル・ピープル」の陥穽におちいっていくタイプの現代人は増えつつある。つまり、一般大衆の多くが好むと好まざるにかかわらず「リトル・ピープル」に変容する環境条件は至る所に散らばっており、そのひとつひとつを検証することに、建設的な価値は見出せなくなっているのである。

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オリンピック招致合戦

トウキョウのオリンピック招致は、多分無理でしょうけど、ハトヤマの「環境」を押し出してスピーチした招致演説は一聴に値するかもと思ったとです。

それにもまして、オバマの招致演説にはがっくり。まるで招致演説のABCさえも理解していないボンボンのスピーチ。演説上手の誉れ高いオバマだが、スピーチライターがついていないと、こんな凡庸な演説しかできないのであろうか???

昭和的レトロカレーランチ

トウキョウ銀座の、隠れ家的お奨めランチまだまだありました。それで今日も、そんな中からとっておきを紹介するのだ。昭和の香りがぷんぷんと漂う、絶品レトロカレーのお店である。

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普通盛なのにいつの間にか「大森」となっていた。

 

久しぶりに行ったら、ずいぶんでかくなった実業之日本社ビルの向かいに、昔のままのたたずまいのお店が、多分その僕が云十年前に通っていた頃のままの看板を携えて現れたのだった。

その名も「ニューキャッスル」というほどレトロなネーミング。もう笑っちゃうくらいに微笑ましいのでありました。ここのメニューはカレーのみ。普通盛の「大井」、目玉焼きが乗っかった「大森」、そして昔ながらの大森(大盛)が食べたい人向けの「鎌田」と、そのネーミングもユニークな昔ながらのままで、これまた微笑ましい。昔と違っていたのは、普通盛以下の「品川」の存在感が極めて薄くなっていたこと。これは寂しいかぎりなり。