ニュースペーパーの新ネタ発見

ご存知、政治現象を風刺するお笑い集団「ザ・ニュースペーパー」の新ネタが見てみたいと、久々にYouTubeにて検索してみたところありました。

かつて、小泉純一郎から始まって、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎と、四代続いた総理大臣の滑稽至極の物真似は、まさに抱腹絶倒させる毒々しさとリアリティーを有していたものである。丁度、政権交代前の熱気が彼らの芸のパワーを後押しさせていたともみえる過去の光景である。だがここにきて、彼らの出番は減ってしまったようなのである。

鳩山内閣の船出の前後には、また新しい「偽鳩山」が芸を披露していたものであった。だがパッとしないままに終焉を迎えたのであろうか? いくら対象を観察したところで、それ自体が芸をパワーアップさせていく原動力とはならないことを露呈させていた格好でもある。諧謔の根底には研ぎ澄まされた観察力とともに、混沌へと導く爆発力が不可欠なことを、あらためて確認するところなのである。

このままザ・ニュースペーパーが埋もれた芸人人生を歩むことにになるのか否か? それはあらたなる攻撃対象=敵を見出すことから始まっていくのであろう。

老後の生活に関する一考察

昼間、おいらの携帯電話に見覚えのないナンバーからの通信が数回あった。そのつど立て込んでいたこともあり放置していた。その後、帰宅途中の電車内で鳴ったので、そっと出てみる。相手は初老の声で、「○○の弟ですが…」と名乗っていた。他の乗客を気にしつつ、小声で会話を続けていると、電話相手のお兄さんの某作家さんが、昨年亡くなったということを知った。それでご丁寧に、お礼の電話をしてくれたという訳である。知らずに年賀状を出してしまった詫びを述べてその電話を切った。

亡くなったと知らされた作家は、生前は相当なキャリアを積んだ人物である。おいらがお会いしたのは某編集プロダクションの事務所で、二~三回のことであり、それほど深い付き合いはなかったのだ。数年前での御年は70年代とみえたが、当時も現役で、企業史や個人史の執筆を請け負っていたとのこと。相当なキャリアを積んだベテラン作家が、老後になって他人の自分史や企業史の執筆(その中には割に合わない「ゴーストライター」としての仕事も含まれる)を請け負うのだろうかと、以前のおいらはいぶかしくも感じていたものであった。だがやはり、時代がそうさせているのであろう。日本が急激にアメリカナイズされていた当時の世相を思い起こす。

老後くらいは、自分がやりたい仕事だけやって過ごせる人生を送りたいものだ。そうしみじみと想う今宵なり。

「α(アルファ)ブロガー」に関する一考察

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先日「アルファブロガー」(翔泳社刊)というアマゾンで注文した書籍が届き、2~3日前から読んでいる。かつてはもしおいらの記憶が確かならば、「みどり企画の掲示板」にも書き込みしていた、田中宏和なる人物が、「『1Q84』村上春樹の世界」というムック本では「αブロガー」と紹介されていたので、それを目にして以来おいらは、「αブロガー」に対する興味関心が高じていたのであった。

その書籍には、「Best Eleven!」なる11名の「αブロガー」をはじめとする我が国の高名とされるブログの書き手たちが紹介されている。なかでも人気の高いブロガーのインタビューも設けられているので、ブログの状況を一望するには都合の良い一冊である。「ネタフル」「百式」「極東ブログ」「織田浩一」「R30」「磯崎哲也」…。読み進むにつれ、おいらの関心は、高名なるブロガーたちが如何にしてPVを稼ぐかに収斂されていったのであるが、そんな彼らのテーマはほとんどが「ビジネス」で占められていたのである。やはりというのか、ブログ人気はITのシステム関連事業者がそのトップを走っていたことを知らしめる結果となってしまった。とても残念な結果である。

村上春樹の「1Q84」が空前のベストセラー人気を博したのが、純文学の復権かという、一縷の希望を生じさせたのが、つい先日のことではある。ただ日本国の世の趨勢はといえば、相変わらずにビジネス書類が席巻している。ネットの世界はそれに輪をかけている。そんなことを知ってしまった今は、「αブロガー」に関する興味関心など、急激に失せてしまったのである。けだし売れるブログなど邪道なり、なのである。

年末ジャンボ宝くじ協奏曲

有楽町駅前の宝くじ売り場は、毎日朝から、年末宝くじを求める人間たちによって長蛇の列が作られる。師走の寒さもどこ吹く風とやらとばかり、防寒具に身を包んで、ニタニタ顔の行列である。初めてその光景を目にした朝は、おいらは何か新興宗教の御託宣を受け取る集団に出喰わしてしまったのかと、思わず知らずに身構えてしまったものである。こんな集団に拉致、洗脳されてしまったらばたまったものではない…。

しかしながらその集団は、新興宗教のそれではなくて、一攫千金を求めていた人間たちによる列だったのである。云わずと知れたことであるが宝くじのみかじめ料は5割を超えている。膨大なものとなる。一部の恵まれた人を別にすれば、ほとんどの国民がせっせせっせと汗水たらして、時には胃袋に穴を開けながら、理不尽な上司に相対して受け取った貴重な給与を、こんなものに上納して良いはずがないのである。

おいらはこんごとも、取材によるネタが必要となったとき以外には、絶対に宝くじは買うまいと心に決めたのでありました。

レヴィストロース逝去の報に接して

ご存知構造主義の大家、レヴィストロース博士が逝去したという報道が目に入ったのは昨日だった。御年百歳。いわゆる大往生であろう。

http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2659474/4848350

かつておいらも彼の著書「悲しき熱帯」などを、難しすぎるなと感じながらも熱心に読みこなそうとしていたものである。いわゆる近代主義とは西欧中心主義にほかならず、そこにメスを入れていた思想家の一人として、我が国の吉本隆明は特筆されるが、吉本にも負けず劣らずの思想的営為を世に認めさせた思想家こそは、レヴィストロークさんだったのだろうと思います。彼の残した「構造主義的」な足跡の数々は、人間への根源的な思索がぎゅうぎゅうと詰まっているがゆえに、極東の小国である日本のおいらにも、ずきずきと突き刺さるものがある。世界の巨星が逝ったことをしみじみと感じているのである。

家族間殺人は大企業の責任

亀井静香大臣の言説が論議を呼んでいるという。「日本で家族間の殺人が増えたのは、大企業の責任」と、さる5日の講演会で発言したという。けだし至極最もな発言である。論議、誹謗を呼んでもなお取り消さないという気概も見事と云ってよい。

http://mainichi.jp/select/today/news/20091007k0000m010141000c.html?link_id=RAH05

繰り返すが極めてまっとうな論議であり、判断である。統計を正しく取って正しく判断すれば、おのずからこの正しい判断を導くことができるはずである。(手垢のついた「正論」などという語彙は使いたくない。あくまでも正しい判断、正しい論理というのが相応しい)

振り返るのもおぞましいが、かつて小泉純一郎一党の残滓が未だにこの日本社会に蔓延っている以上、折に触れつつ、小泉構造改革のまやかしについて批判を継続させていくことは必要である。亀井大臣の発言もその文脈において評価に値すると云ってよい。

かつて、某零細出版社の社長から、「親殺し・子殺し」をテーマにしたドキュメントの執筆を持ちかけられたことがあり、おいらもその当時、関連のデータを探っていたことがあった。某零細出版社社長は、古代史からの「デュオニソス」的神話からの切り口における論理展開を意中に思い描いていたようだが、おいらが判断するにもっと単純至極の成り行きにしか見えなかった。経済的弱者の急増+倫理的レベルの急落により、必然的にもたらされた現象の一つにしか見えなかった。「デュオニソス」的神話の哲学と、今日的「親殺し・子殺し」とが、どうしても結びつかず、折角のその提案も、丁重にお断りしたのでした。

koorogi

このこおろぎは、銀座にある「ぐんまちゃん家」に飼われていたもの。

話題は変わるが、今宵自宅に辿り着くなり、こおろぎの鳴き声に迎えられたのです。とても懐かしい響きに、一日の疲れなど吹っ飛んでしまった。狭い我が家の庭にもこおろぎが巣を作ってくれたと想えば、大変にハッスル発するである。

オリンピック招致合戦

トウキョウのオリンピック招致は、多分無理でしょうけど、ハトヤマの「環境」を押し出してスピーチした招致演説は一聴に値するかもと思ったとです。

それにもまして、オバマの招致演説にはがっくり。まるで招致演説のABCさえも理解していないボンボンのスピーチ。演説上手の誉れ高いオバマだが、スピーチライターがついていないと、こんな凡庸な演説しかできないのであろうか???