群馬のアンテナショップで青だるまに遭遇 だが、セルリアンブルーには遠い青にがっかり

 

上州群馬のアンテナショップ「ぐんまちゃん家」で、青だるまを見かけた。青は「サムライブルー」の青だ。ワールドカップに出場中の日本チームを応援するために作られた特製品の代物だという。いかめしい顔の下には日の丸があしらわれている。それはもうべたなデザインそのものなり。価格も今年の年号にちなんで2,010円という値が付けられていたのだった。「百個用意して並べたんですけど、大人気でもう3つしか残っていないんですよ」と、店舗関係者は興奮気味の様子なり。

だるまが赤色と決めてかかるのは愚の骨頂だが、果たしてサムライブルーの青だるまの存在意義はありやか? そんなことを天邪鬼なおいらは考えてみたくなったりするのである。何故にブルーなんだ? 何故にライトで鮮やかなセルリアンブルーではなくダークな青なんだ? などとそんなこんなが脳裏を駆け巡る。ブルーを色々調べてみれば、様々な色合いのブルーがあることに気付く。サムライブルーばかりがブルーではないぞと思う今宵なのである。

改めてサムライブルーに塗り固めたる青だるまを見詰めてみれば、何か気張った佇まいばかりが印象強く眼下に飛び込んでくる。そんな印象ばかりが強く焼き込まれており、今ひとつピンと来ない。敢て買いたくなる気持ちが湧いてこないのである。青色の中でも特に好きになる色ではない。

ブルーと感じて考えて先ほどに思わず記した「セルリアンブルー」には、些か思い入れがある。おいらの出身高校のライバル校とされている高崎高校(通称「たかたか」)の校歌の歌詞には、ハイカラな「セルリアンブルー」が高らかに謳われている。おいらの地元よりもハイカラなる語感で、強烈にアピールしたのが「セルリアンブルー」なのだ。ちなみにこの校歌の作詞者は草野心平。作曲家は芥川也寸志である。聴いて損はないと思えるのでここにリンクして紹介してみます。ちと音量が大きいので注意してくだされ。

http://www.takasaki.ed.jp/suiransai/sui04/sound.html

さて今夜は、ワールドカップの対デンマーク戦を控えている。夜更かししてサムライジャパンの試合を観戦しようかと、少々考え込んでみたが、やはり止めにしとこ。もしリアルに見たい気持ちが本気で何処かに宿っていたならば、その時間帯にふと目覚めたりして応援の時間を過ごすことになるのかも知れないが、いずれにせよ明日になれば知るべし結果なのではあるから、一喜一憂するまでもなかろうに。成り行きに任せるのが一番なり。

秋元康プロデューサーによる「AKB48」戦略の実態

「AKB48」と書いて「エーケービーフォーティエイト」と読ませる。2005年に誕生した秋葉原を本拠地として活動するアイドルグループの名称である。このプロデューサーがご存知、作詞家の秋元康氏だ。先日6月9日には「AKB48」の「総選挙」なるものが行なわれたと、スポーツ紙はじめワイドショーTVを賑わせている。ずっと2位に甘んじていた大島優子が昨年の1位前田敦子を逆転し優勝したという。選挙ブームにあやかってか「総選挙」などと名付けてイベント告知するやり口は、秋元康ならではである。

6月9日に開催された開票イベント会場では、2000名ものAKB48マニアが終結し、さながら政党の決起集会であったとされるほどの異様な盛り上がりなのである。投票結果の順位発表後の挨拶では、メンバーのほとんどが涙を流していた。これもまた秋元康によるプロデュースのたまものであった。

http://www.akb48.co.jp/

秋元康氏と云えば、かつて「おニャン子クラブ」をヒットさせたプロデューサーとして知られているが、当時の秋元は作詞家として関係していたTV番組「夕やけニャンニャン」の1スタッフであり、その大部を秋元に依っていたのは明らかであったが、しかしながらプロデューサーとして全てを仕切っていたのではなかった。当時のゴールデンコンビと呼ばれた一方の作曲家は後藤次利氏であり、おニャン子クラブの最人気アイドル、河合その子と結婚している。ちなみに秋元氏が結婚した相手もまた元おニャン子クラブの高井麻巳子であった。芸能作詞家として特段の才気を発揮していた秋元康ではあるが、芸能界で仕事を続けていく上での苦悩もにじませている。ブームが去ったあとの作詞家としては、やはり不安があったようでもあった。

そんなこんなの経過を経ての「AKB48」ブームである。つんくプロデュースによる「モーニング娘。」のブームを横目にしながら、新しい戦略として採用したのが「総選挙」戦略である。アイドル同士を競わせ、あるものには栄光を与え、あるものには屈辱の姿を晒していく。「総選挙」という名前を借りた芸能話題づくりの戦略なのである。

新しくナンバー1の称号を勝ち取った大島優子には見覚えがあった。藤原新也さんの初監督による映画「渋谷」に出演していたのだ。渋谷に巣くうギャルの一人として存在感のある演技が印象的であった。可愛いというよりもしたたかな「今」という時代のアイドル像を示しているようだった。

鳩山由紀夫は現代の近衛文麿か?

鳩山由紀夫首相がついに辞任を表明した。予想はしていたこととはいえ、大変ショックが大きい。実質的に戦後初めての政権交代による内閣が、これ程あっけ無く崩壊したという事実は、これからの日本社会の行末に暗雲をもたらさずにはいかないだろう。

今更指摘してもせんないことではあるが、この内閣にはプロの参謀が居なかったということが、政権の混迷や崩壊に繋がったとみることができる。ここ数ヶ月間、徹底的に大手から弱小までの様々なメディア(弱小なので「マスコミ」とは呼べない)の餌食となってしまったことの責任は、鳩山首相のブレーンが負うべきである。平野某では政治家としての能力も資質も無いことは明白であるし、平田オリザなる滑稽なアマチュア文化人の名前を目にするにつけ、鳩山人脈の薄さを感じてもいた。何故に糸井重里級のプロの文化人を起用しないのか、大変に訝しく感じていたものであった。政党政治を基本とする民主主義的政治社会にとって、政治家がプロの文化人をブレーンとしているか否かは、今後もっと重要視されていくべき要素となるだろう。

もう一つ、本日の事態に直面して述べておかねばならないことがある。ショックだというだけで済ませて置けないこと。それは、鳩山由紀夫は近衛文麿か? という疑問である。鳩山由紀夫氏を戦時中の近衛文麿になぞらえて論じていた雑誌記事のことが未だ脳裏を離れないのである。

団塊の世代から遥かに遅れた戦後に生を受けたおいらではあるが、近衛文麿の生涯のあれやこれやについては、以前からよく聞き及んでおり、たしかに鳩山氏とは類似点が多いのである。貴族然とした風貌や物腰。社会主義的思潮に対する関心の高さとある種の強い偏見(これは関心の高さから来る反意的な誤解が大部を占めている)。そしてもう一つが長身の身なりから来るのであろう自画自讃的振る舞いである。簡単に謝ってはしゃあしゃあとしていられる態度というのは、これらが三位一体となって現れるものであると分析されるのである。

さてそろそろまとめに入るが、近衛文麿の時代を振り返るに思うことは、彼が首相を辞任してからの混乱である。東条英機とともにA級戦犯の汚名を浴びることを潔しとせずに自害した近衛文麿。彼は一途潔癖な政治家ではあったのだろうが、現実の大衆の悪意というものを過小評価していたようでもある。清濁併せ呑む度量が政治家には必要である。鈴木貫太郎という政治家が、敗戦後の日本の基礎を作ったと云うことは忘れてはならないのだ。ちなみに鈴木貫太郎はおいらの出身高校の先輩なので(それだけではないが)尊敬しているのである。

暇つぶしの贅なる機器「iPad」狂想曲 [2]

今日の銀座は朝っぱらから「iPad」狂想曲で賑わっていた。2日前から並んでいたというくらいに異様に長い行列が銀座通りを覆っていたのであったのだから喫驚なのである。本日販売が開始された「iPad」を求めて並んだ人々の群れである。だがおいらは昼の休み時間にこの場所に訪れ、Apple Store店内に普通に入れたのはもとより新作「iPad」にも触り続けていたのであるのだから、マスコミが流す似非情報と実譲情報との乖離を今更ながら知り得たということなのでもありました。

それでおいらが「Apple Store」にて実際のiPadを触って確認した画像がこれ。行列の前に触っていたユーザーはしきりにゲーム関係のアプリをいじっていたが、おいらはゲームは全然関心外なのでスルーして、インターネット関係をチェックしてみたのです。まずはおいらがほぼ日更新している「みどり企画のブログ」をチェック。なかなか見応えのある画面なりである。そして次に向かったのが「twitter」のページであった。そこで文字入力をしようとしたところで軽いトラブルに遭遇。文字入力をしようとするとバーチャルなキーボードが表示されるのだが、タイピングをしようとするのに上手く行かない。中々に難儀なのである。

ネットブックと比較して、反応は頗る良いのであるが、内実が伴っていないというのが印象であった。さて、おいらはこれからこの「iPad」を購入するべきか否かという問題であるが、とりあえずは購入することなくこのまま過ごしていこうということを結論として擁いた次第である。新しいメディアを取り込むためにはそれなりの理由付けが必要であるが、今回の「iPad」騒動にとっては有意義な理由付けが見つけられなかったということに依っている。

パクリと拡大のシンボル。上海万博をどう捉えるか

中国の上海万博が開幕して、マスコミはまたぞろ異様な騒ぎ様を呈している。番組総合司会者のみのもんたなどは司会稼業もそっちのけで出張レポート。ミス上海だかミス万博だとかにエスコートされてでれでれ。しまいには「上海万博の陰は見つからなかった」などとしゃあしゃあ喋って悦に入っているのだから呆れるのである。

そもそも国威発揚のお祭り騒ぎでしかない上海万博に関して、中国館、日本館の案内をしたところで何にもならない。それよりも、封印されたPRソングの行方はどうなっているのか? 岡本真夜の楽曲はオリジナリティーが保障されるのか? 盗作の当事者として名前のあがった繆森の正体は? 等々の追及すべきポイントは少なからず存在するのに、どことしてメスを入れる姿勢さえ示しては居ないようなのである。

1970年の大阪万博を翻ってみれば、そこには岡本太郎の「太陽の塔」なるシンボルが存在していた。良しきにつけ悪しきにつけ厳然として在ったし、今尚、千里万博公園の広場に立ちはだかっている。40年という歳月は「太陽の塔」を褒め称えてそこに住まわせているのではなく、異様な葛藤を生じさせても居る。美術評論家・倉林靖氏の言葉を借りるならば「圧倒的に浮きまくっているのだ」。「人類の進歩と調和」といった美名の下に開催された40年前の大阪万博は、岡本太郎をはじめとする当時のアーティストたちを巻き込み、長期間のイベントにドラマを添えていた。一面でそれは体制が「前衛」というムーブメントを取り込むための大規模なる仕掛けであったことは否定できない。だが大阪万博が終了してからの40年こそは、岡本太郎を含むアーティストたちの多くが新たな闘いを挑んだ時代だったと云えるのかもしれない。

上海万博を40年前の大阪万博の時代背景と比較して「中国は40年前の日本の姿だ」云々の議論ほど、実態に目を背けたものは無いのである。

岡本真夜「そのままの君でいて」の、上海万博盗作騒動


岡本真夜さんの15周年記念アルバム「My Favorites」が発売延期になってしまった。このところニュース欄を騒がせている中国上海万博のテーマ曲「2010年はあなたを待っている」のパクリ騒動が発端である。一聴して判るくらいに岡本真夜さんの「そのままの君でいて」と「2010年はあなたを待っている」とは酷似している。しかも2フレーズ目はわざわざ単調なリズムに変えて原曲を改悪しているのだからあきれ返るのだ。

おいらのWalkmanには、岡本真夜さんの「そのままの君でいて」が録音されていて、早朝の慌しい時間においてはとても心安らぐ楽曲の響きを有り難く感じていたりしているのである。そんな岡本さんが、上海万博のテーマ曲に採用(?)されたということは、それ自体は素晴らしいことである。これからの課題として、剽窃的ソングの呆れたメロディーを、中国側が全て退けるかどうかがポイントとなるのであろう。剽窃した中国の作曲家が、詰まらない主張などしないことを願う。

永遠不朽の坂本龍馬人気を利用する政治家たち。

今日、ソフトバンクの孫正義氏が妙なツイートをしていた。追跡してみると、NHK「竜馬伝」に関するトピックスのことを色々PRしていた模様なり。

http://twitter.com/#search?q=%23ryomaden

まさにリアルタイムで番組の感想が書き込まれていく。まさしくこれは龍馬のファンクラブの集いであろう。twitterというメディアの一面を垣間見た思いである。坂本龍馬に関して常識的な知識しか持ち合わせていないおいらは、とてもファンクラブの集いに参加しかねるが、だがそれ以上に、これだけの熱狂渦巻く人間たちの群れには距離を置いていたい。ファンクラブを超えて信者同士の会話というのはどうも苦手である。

それにしても坂本龍馬人気は一時期の長嶋茂雄並かそれ以上と云えよう。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」がはじめて刊行されたのが1963であり、50年近い年月が経過する。司馬遼太郎作品のみならず、映画界での「竜馬暗殺」、漫画では「巨人の星」の星一徹が熱狂的な龍馬ファンとして登場する。様々な仕掛けとともに龍馬人気は永遠不朽のものとなったのである。

新党ブーム、離党ブームであるが、そうした政治家の言葉からはきまって「坂本龍馬」の言葉が出てくるのも、龍馬人気のもの凄さゆえのことだろう。鳩山邦夫の離党の会見で述べた「龍馬さん云々」のコメントは滑稽でさえあった。あるときは「革命の闘士」、ある場所では「憂国の獅子」として、我田引水的に解釈され崇拝されるのは、龍馬がNo.1である。政治的信条はどうあれ、これだけ名前が利用される当の龍馬さんは、草葉の陰でどのように感じているのか知りたいところである。

twitter界隈ではエイプリルフールが大流行の様子である。

 http://twitter.com/search?q=%23usotwitter#search?q=%23usotwitter

年に1度だけ嘘が許される日だということで、嘘の出来栄えを競ったりしているのはなにやら滑稽至極なのだが、全てが滑稽な訳ではない。凄い嘘の名手は居ないかとチェックしてみたのだ。考えるに人間の嘘というものには幾つかのパターンが存在する。

その一つが「自慢的嘘」である。。「俺はこれくらいビッグな人間であるのだっ」という普段はつけない嘘を、この日とばかりについてみるケースである。一時的な恍惚感へと誘うのだろうが、そのような嘘は早晩ばれることが必至である。ばれた時の反動的落胆は想像に余りあるものがある。余程の誇大妄想狂でなければこんな嘘はついてなんら得することがない代物である。

二つ目の嘘が「口説き的嘘」である。思いを寄せる人の気を引きたいという一心でつく嘘だと云ったらよいだろうか? おいらを含めて誰にも有るだろうというよくあるケースである。このケースの場合、特定の対象が居なければ意味を成さないのであり、たとえうまくいったところでこれまたいずればれる運命である。うまく行ったらばれるのであるからして将来的な自身の未来の首を絞めていることになるのである。こんな嘘はついて得することがないと心得るべきだろう。

もう一つの顕著なパターンが、「良い子的嘘」である。昔々に良い子していて褒められたことが懐かしいのか、ひたすら良い子を演じて悦に入る。いい大人になって良い子を演じるのも骨が折れるが、折角つく嘘に「良い子的」項目を取り入れなければならない大人こそ情けない大人たちである。

twittrでは嘘を自動生成する機能が備わったサイトが人気なのだ。ちなみにおいらも自分の嘘とやらを自動生成してみたが、全然ピンとこないし洒落にもならないのである。投稿の中からいくつかキーワードを抽出して組み立てなおしているという、それだけの代物である。朝のTV番組でやっている「今日の運勢」と同じく無視するに越したことはないのである。実はもっと大きな嘘をつきたいと考えていた。嘘とはつき通してこそ嘘の値打ちが上がるのである。今夜は少々の嘘をついたが、笑って見逃してください。

尾崎豊を聴きながら振り返る「卒業」という名のセレモニー。

朝、晴着の若い女性を何人も見かけた。何があるのだろうかと思案していたが、「卒業」というセレモニーの日なのだということが判った。近頃の大学、短大の卒業式と云うのは大学構内ではなく巨大なホール等のイベント会場を借り切って行なわれるそうだ。きっと日本武道館やらは大盛況の1日だったことだろう。

ところで「卒業」と云えば、社会への第一歩ととらえる向きが一般的であるが、学校支配からの卒業という一面も忘れることはできない。教育という名の管理、支配に反発を抱いていたおいらにとって卒業とは、早く乗り越えるべき通過点でしかなかった。だから今振り返っても、卒業式で何を得たかはもとより何が起こり何をしたかということさえ覚えていないのである。自分とはあまりにもかけ離れたイベントであるということを、今更ながらに感じている今宵である。

それかあらぬか、今宵は尾崎豊の「卒業」を無性に聴きたくなったのである。ジーンと歌詞をかみ締めつつ聴き入っていたのである。尾崎豊はかねてよりのファンである。カラオケに行って「I Love You」「Oh My Little Girl」「シェリー」などはよく歌うが、こと「卒業」については未だに人前で歌ったことがない。何故かとも思うが「卒業」を人前で歌うには特別な勇気とやらが要るのかもしれないと感じているのだ。それくらいに大きな意味を持つ名曲である。尾崎豊はある意味での「腫れ物」であったのかも知れないと思うことがある。腫れ物にはあまり近付きたいとは思わない。だが、それだけ彼は特別な存在であったということは間違いのない事実であった。

「贅沢は素敵だ」の今日的な意味について。

最近「プチ贅沢」というのが流行りなのだそうな。不況のあおりでなかなか贅沢はできかねるが、かと云って禁欲生活を続けていくばかりでは心も萎む。良いことなど何にもないのである。おいらもたまにはプチ贅沢などしたく想い、通勤帰宅列車に特急指定席券など買い込んでしまうのである。本日もまたそんなプチ贅沢気分で帰宅したのでありました。東京駅発高尾行き中央ライナーの指定席に乗車。追加料金500円なり。

さて話は少々古くなるが、かつて「贅沢は素敵だ」というキャッチコピーで華々しい脚光を浴びていたのが、コピーライターの糸井重里さんである。いわずもがなの解説になるが、戦時中にはお上から強制された「贅沢は敵だ」をもじっている。一言「素」の文字が入っただけで意味合いは逆転する。過去のメジャーコピーは一転して古臭い黴臭いものとなり、新たなるコピーが活き活きしたものとなり蔓延するのだから面白い。歴史を茶化し、文明を茶化すこんな芸当は、糸井さんの専売特許と云っても過言ではない。

それにしても「贅沢は素敵だ」の社会は過去のものになりつつある。不況といった状況ばかりではない。贅沢を望まないライフスタイルは、今や珍しいものではない。おいらもまた贅沢な資本主義的生活は飽き飽きであり、もっとまともなる生活に切り替えていきたいと考えているところなのである。

銀座は今や即席インタビュアーたちのメッカなのだ

映像の時代、ネットの時代と、人々がもてはやしている間に、そんな時代のスキマをねっては、キャッチインタビューが横行している。キャッチセールスならぬキャッチインタビューである。東京の真ん中にある銀座は、まさしく即席インタビュアーのメッカだと云ってよい。欲得に目がくらんだミーハーたちを鴨にして食する光景がみられるのである。

眞鍋かをりが事務所を提訴、の真新しさ

ブログの女王こと眞鍋かをりのブログ更新が止まってしまった。芸能活動自体がストップしているようだ。芸能ニュースによれば、事務所に対しての契約解除を求めて訴訟を起こしていたというのだから穏やかではない。

タレントと所属事務所とのいさかいは別段珍しいことではない。よくある典型的なのが、その昔は良い仲だったのが仲違いして、別れたい、縁を切りたいとタレント側(その多くが女性)が三行半をいい渡すというケースである。若い頃には芸能デビューをさせてもらった恩人社長なのだが、デビューして名前が売れた後には何かと余計なお節介を焼きたがる。うっとうしいこと甚だしいのである。

こうしたケースの場合は、親会社がタレントを引き取ることで終息するパターンが多いようだ。そもそも芸能界というところは親会社、子会社、孫会社といった、厳然たるヒエラルヒーが存在する特異な世界である。舎弟は親父の云うことに逆らうことはできない。もし逆らったならば村八分どころか、生存の糧をすべて取り上げられてしまうのである。前時代的な徒弟制度以上の階級制度である。

今回、眞鍋かをりさんがこうした芸能村社会の慣習ではなく、自ら訴訟といった手段に出たことは特筆に価するだろう。頑張れ真鍋! と、甚大なエールを送りたいと思うのである。

バンクーバー 滑って転んで 鼻血ブー


TVでは川柳をやっていたのにつられて川柳でまとめてみました。バンクーバーオリンピックは全然盛り上がりませんね。

国母のステージ外での言動が最大の関心事というのだから情けない。結局国母くんは、得意の回転を決められずに転倒、出血。鼻血ブーな姿でインタビューに答えていた様が生々しく記憶に刻まれていくのである。

今日の最大の見せ場だった男子フィギュアも高橋の4回転ジャンプが決まらずに銅メダル。それでも男子フィギュアでのメダルは初めてだというのだから、記録的には満更ではない。かといって、拍手喝采を叫べないのは、冬季オリンピックに対する飽きなのではないだろうか。

PHSユーザーが、今宵PHS史を回顧するのだ

朝、インターネットを開くと「ウィルコム、更生法申請」のニュースが目に飛び込んできた。地味なニュースではあれ、おいらはユーザーとして人事ならない関心を注がざるを得ないのだ。思い返せば2000年の初頭くらいから、もう丸11年以上ずっと、PHS電話を使い続けていることになる。短所として指摘されていた移動途中での通話切れもほとんどなく、反面の長所であった電磁波が少ない(100分の1というレポートもあった)ことや、ネット通信に適していたということから、ずっと使い続けてきたわけである。

かつて、「みどり企画」のHPを開設したのとほぼ同時期に掲示板運営を行なっていた。ある時期に急激に掲示板が盛り上がってしまったことがあったのだ。当時はまだ導入したての「モバイルパソコン」などを使って、掲示板管理にも勤しんでいた。モバイルパソコンにPHS通信の組み合わせが必須のアイテムとなっていたものである。おいらの記憶が確かならば、PHS通信がもっともデジタル通信に特化していたことから、おいらの胸ポケットのPHS電話機は大活躍していたものであった。(遠いまなざし…)

その後、モバイルのネット通信にもNTTドコモやGEなどが参入してくるにつれ、PHS(ウィルコム)の影が薄くなっていったという現実である。

報道によれば、今後もウィルコムのPHSは存続されていくとの見通しだが、ユーザーとしては素直に信じ込めない状況である。料金値上げやら使い勝手の落ち込みやら相当なデメリットが予想されるのである。そろそろ替え時なのかなと考えているところである。嗚呼、これからまた友人、知人に電話番号変更の連絡をしなくてはならないと考えるにつれ、頭が痛いのである。

受け継がれるべき高田渡さんの語り

高田渡のトリビュートアルバム「石」を聴いている。シンガーソングライター・こうもとあいさんがカバーする「私は私よ」のコケティッシュな高音の歌声が心地よく響いてくる。とてもこまっしゃくれた歌詞なのだが、高田渡さんの稀有な世界観、女性観を覗き聴かせてくれてジーンとくるのだ。かつて何処かのライブ会場で、渡さんが低音を響かせたこの曲を聴いていたはずなのに、どんなうたい方をしていたのか想い出せない。けれどとても懐かしく響くのである。こういう現象をデジャヴとでも呼ぶのだろうか。

高田渡の後継者を自任するなぎらけんいちは、例えば「生活の柄」を歌わせたら自分の方が上手いのだが、どうしても渡さんには敵わないということを語っている。渡さんの持ち味は「語り」の持ち味に凝縮されている。渡さんの「語り」はそれくらい人を魅了する力を持っているのだ。

研ぎ澄まされた音楽世界に身を置きつつ、全国を放浪行脚して大勢の高田信者を増やしていた彼はまさに、放浪詩人に値するだろう。TV界や芸能産業などから自ら距離をとりつつ、全国各地でのライブ廻りを続けていた渡さんだが、各会場で接した人々のみが受け取ることができた何かが、渡さんの語りの中にはぎゅうぎゅうと詰まっていたのである。彼の語りはユニークであるが、とても親しみやすいものでもあり、皆が真似をしたがる。けれども実際、真似することはとても難しいことを実感するのだ。

本日これから放映されるNHK教育の「知る楽」のテーマは「反骨人生 時代に背を向けて」となっている。「反骨」という看板を掲げて勧誘活動やらサークル活動、友達ごっこをする風潮はたえて消え去ることはないが、渡さんが全国を廻って伝えていた反骨の姿こそ、そんな風潮とは真逆のものであり、もっとも尊いものと思うものなり。渡さんの歌を歌い、彼について語るときごとに、益々それを実感するのである。

永井荷風さんに見習う日記の奥義(或はブログと日記はどこが違うのか?)

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ブログを続けていくにつれ、果たして日記とどのように違うのか? プロフとは? twitterとは? 掲示板とは? などという思いに駆られることが少なくないのだ。今宵はちょいと振り返って、ブログと日記の違いや共通点などについて、少々真面目に考えてみようなどと思ったのである。

明治から昭和にかけての風俗を独特の筆致で描いた文豪、永井荷風といえば、数々の小説などの文学作品を世の中に発表していくことと同時進行的に、毎日の記録を日記として書き残していくことを、日課として課していたことでも有名である。それらの膨大な日記は「断腸亭日乗」というシリーズ本としてまとめられ、戦後には発刊され評判を呼んでいる。荷風さん研究の貴重な資料ともなっているのだ。彼が37歳の時から始まり79歳で大往生(当時の寿命からしてそういって間違いなかろう)するまでの42年間、1日も欠かすことなく続けていたというのだから恐れ入る。「ほぼ日刊」などと称しているおいらが恥ずかしくなるくらいの凄さなり。

そもそも「断腸亭日乗」というタイトル自体がユニークである。「断腸の思い」という一言を想起させる「断腸亭」とは、その昔荷風さんが住まわれていた一室の別名とか。そして「日乗」とは「日記」の別名である。世に艶福家として名にしおう荷風さんの日記らしく、小説では発表しなかった下寝た日誌なども躊躇うことなくあれこれと記されている。さらには、仲間内での小言なり誹謗中傷なりが散見されていてとても興味をそそるのである。

さてそろそろ結論である。日記もブログも、毎日こつこつと続けていくことに意義がある。気負わず焦らず、ときには気を抜きつつ、出来るだけ長々と続けて行きたいという思いを強くしたのでありました。

みずほ銀行が井上真央をCMに起用した理由

真央ちゃんといっても浅田真央ではなくて井上真央である。井上真央といえば、映画やTVドラマに引っ張りだこの当代きっての人気アイドルである。可愛らしいのはもちろんだが、同じ人気アイドルの新垣結衣、戸田恵梨香たちと比較して、凛とした気品がある。愛くるしいだけのおバカタレントたちとは一線を画していると云ってよい。

 

かつておいらは、カード評論家として数多のアイドル・テレカを評価鑑定していたことがあった。


「必勝アイドル・テレカ虎の巻」

それらは「必勝アイドル・テレカ虎の巻」(JICC出版局発行)の1冊にまとめたのだが、今の時代がもし、テレカ全盛の時代であったならば、井上真央のテレカは間違いなく、超の字の付く程のプレミアム的価値を生んでいたはずである。たんに人気の高いということにプラスするαが、井上真央の何処かに潜んでいるのである。企業CM関係者にとっては、もっともスカウトのし甲斐のあるアイドルであったのだ。

今回彼女が起用されることになったのが、みずほ銀行のカードローンCMである。「カードローン」などと小奇麗な呼び名で繕われているが、何てことはない。所詮は消費者ローン、即ちサラ金のCMである。当代きっての人気アイドルをCMに起用することができて、みずほ関係者はさぞホクホク顔を隠せきれない事だろう。

そう古くはない昔には、一流人気タレントといえば、出演するCMのジャンルや内容を取捨選択していたものであるが、今や何でもござれである。吾が国は今ここに来て、ある種のルビコンの川を渡ってしまったのではないのか? という疑念が生じる。行き着く先はといえば、アメリカナイズされた殺伐として味気ない渇きの風景か…。いやいやそんなことはあってはならないのである。

銀座の「ブランド」考現学或は鳩山内閣の使命

東京の下町をこよなく愛した作家、永井荷風さんは、名作「墨(変換不能文字)東綺譚」の随筆的後記「作後贅言」のなかで、銀座にふれて次のように記している。

「もとの処に同じ業をつづけているものは数えるほどで、今は悉く関西もしくは九州から来た人の経営に任ねられた。裏通の到る処に海豚汁や関西料理の看板がかけられ、横町の角々に屋台店の多くなったのも怪しむには当らない」

この文章を、「関西」を「欧州」、「九州」を「亜細亜」、「海豚汁や関西料理」を「イタリアンもしくはエスニック」、「屋台店」を「立呑み店」に置き換えてみるならば、まさしくそのまま、現在の銀座を云い当てていると述べても過言ではない。つまりは、現代銀座を荷風さんの先見の明を借りた表現にて述べるとするならば、以下のような表現が成り立つ。

「もとの処に同じ業をつづけているものは数えるほどで、今は悉く欧州もしくは亜細亜から来た人の経営に任ねられた。裏通の到る処にイタリアンもしくはエスニックの看板がかけられ、横町の角々に立呑店の多くなったのも怪しむには当らない」

さらに述べるならば、銀座の表通りには「エルメス」「ルイヴィトン」をはじめとして高級ブランドのショップが軒を連ねている。「エルメス」「ルイヴィトン」は誰もが知るが、そう有名でもない二流、三流のブランドショップの名を知っていないと、銀座界隈における会話でつま弾きにされてしまうのである。おいらもそうしたつま弾き的痛恨の目にはしばしば遭遇しているのだが、かといって二流三流のブランドの名など覚えようという気はさらさら持ち合わせては居ないのである。そもそもは「ブランド」といった概念の生成過程における矛盾は、銀座のみならず日本国全般に覆い尽くされていると云って良いだろう。

先日は鳩山首相も引用した、インドのガンジー元首相の言葉「七つの大罪」を正しく理解するならば、「富みなき労働」を作り出しているものこそ「ブランド」にほかならない。悪しきブランドの弊害は、日本国全般を蔓延しつつあるくらいに重大な問題である。銀座がこれからブランド化していくことは、即ち日本国が虚業化、空洞化していくことに繋がっていく。この一連の動きこそ、止めていかなくてはならない鳩山内閣の使命なのである。

鳩山由紀夫首相スピーチにおける「正」と「邪」

twitterにて鳩山由紀夫首相をフォローしている(フォローされてもいる)せいだか知らぬが、首相の施政方針演説の内容が気にかかって仕様がない。「命を守る政治」を声高々に宣言したということはマスコミの報道で知ったが、その内容の詳細についてはなかなか詳細が伝わってこなかったのである。具体的なイメージが、いまいちピンと来ないのだ。

あらためて全文を読み進めてみたのであるが、これはまっとうな政治宣言である。これくらいに高々く宣言をした政治家は、近頃の我が国首相のスピーチにはたえてなかったのではないかと感じ取れるくらいに、首尾一貫している。鳩山首相が以前に発表したとされ、米国マスコミに勝手に引用され叩かれていた某論文ほどのインパクトと正道性は失せたが、それでも一国の首相の演説に値する何かはある。なかなか政治的メッセージとしての読み応えは確かにある。

この演説に関して、平田オリザなる人物が関与している。彼がスピーチライター的な役割を担っているという報道もある。平田オリザ氏が苦学して国際基督教大学を卒業したのち、演劇の世界などで活躍中の人物であるということは周知である。少し前にはTBSのニュース番組のコメンテータとして出演していたこともあり、興味深く、かつ有能な人物であるのだろう。ちなみに「晩聲社」という出版社から多くの著作を著していたことなど今知ることとなり、あらためて読んでみたいと思っていた次第である。

鳩山首相のスピーチ内容については関係者により精査したものであろうことから、ここでは徒な助言は避けるつもりであるが、スピーチの方法、演技指導にまで平田氏の助言が回っていたとすれば、これはちと首を傾げざるを得ないのである。以下に、今回の鳩山首相施政方針演説における、演出上の誤ったポイントについて2点ほど指摘しておきたい。

1.クライマックスにあたり、前を見据えて大声を発するという手法は邪道である。

この手法は、田中角栄、小泉純一郎がかつて成果を博していた手法なのであるが、鳩山さんには決して似合わないのであります。そのことを自覚した方が良いと思うなり。この手法は悪くするとヒトラーを想起されるものでもある。ちなみに弟の邦夫さんは田中角栄さんの秘書もされていたということなので、その影響が未だに尾を引いているのかなどと思ってもみたのです。悪しき影響などなければ良いのだが。

2.ガンジー師に対する尊敬の念を表明するのは賛成だが。

日本の政治について言及するに当たっては、やはり日本人について述べていただきたい。例えば、良寛、親鸞、といった日本の仏教家や芥川龍之介、太宰治、萩原朔太郎、永井荷風、などなど、その深甚なる世界観を引用することが日本人の有権者にとってはどれだけ訴えかけることになるのか、多分、平田氏は思いもつかないことだったのであろう。

保守王国「群馬」の県民性は保守的にあらず

郷里に愛着を持つものがいれば、そんなものいらないというものもいる。先日は、新井満氏の随筆集「死んだら風に生まれかわる」を読んでいて、彼の強烈な「新潟」への郷土愛をこれでもかと云うほど目にとどめつつ感じ入ったのではあったが、吾が身を翻って思うに、そんな郷土愛がいささか薄いということを感じてもいるのである。

先日もここで書いたのだが、新井満氏が挙げている新潟県的人間は、良寛、坂口安吾、そして田中角栄である。これに習えば群馬県人的人間とは、国定忠治、萩原朔太郎、そして福田赳夫ということになるだろう。この3人を並べて見て、敬愛する朔太郎さん以外の2名にはとてもいけ好かない。郷里の恥と云ってはなんだが、ネガティブな思いしか抱かないのだ。

かつて田中角栄と総理大臣の椅子を争った福田赳夫は、東大法学部を首席で卒業したのち大蔵省へ入省する。大蔵省主計局長だった当時、収賄罪の容疑で逮捕されたことがきっかけとなり政治の世界へと入ったという。彼の出身校の高崎高校(旧制高崎中学)には、「福田の前に福田なく、福田の後に福田なし」といった、福田赳夫を称えるうたが詠まれるくらいなのである。保守本流のエリート政治家を輩出した風土は、群馬県の高崎に根差していると云えよう。だがこれにて群馬県人の多くが福田を尊敬しているかといえば、そんなことなど決してない。敵方強かれば己もまた強くなりである。却って反保守、脱保守の論陣をこの地で培ったという人間は多いのである。

おいらの出身校である前橋高校(旧制前橋中学を含む)では、田辺誠元委員長ら、かつての野党社会党の代議士を多数輩出している。過去に福田赳夫、中曽根康弘、小渕恵三の3名の衆議院議員を同時に選出していた群馬3区でもう1人、当選者としていた山口鶴男もまた前橋出身であった。しかるにおいらの出身地・前橋は、反保守、脱保守の気風は少なからずあったのである。邪道・高崎に対して、正道・前橋の気風である。