吉原かおりさんの「カプセルアパート」展に見る今時の居住事情

新宿の「Place M」ギャラリーでは、吉原かおりさんの「カプセルアパート」写真展が開催されている。


http://m2.placem.com/schedule/2010/20101210/101210.php

「カプセルアパート」とは、カプセルホテルのスペースを少し広くしたような1.5畳ぐらいの場所で、そこを居住用として借りるのだという。ネットカフェを渡り歩くよりも安定した生活が送れそうだ。

写真家の吉原さんは神戸から上京し、7年ほど前にカプセルアパートに住み着くようになった。それ以来居住者たちを撮影してきた作品群の、数十点が展示されている。海外からの旅行者、会社員、フリーター、等々、職種も人種も性別もまちまちだ。居住者のプライベート空間でもあるその場所を写真に収めつつ、人間とは何か、自分とは何かと、無意識に問い続けていたという。2007年に東京、大阪のニコンサロンで展示され評判を呼んでいたが、今年11月に同名の写真集の発行を機に、写真展も企画された模様。写真集に掲載された写真は、高級機八ッセルブラッドで撮影された「6×6」版の作品だが、それらのシリーズとは別に、通常の35ミリサイズの写真が展示されている。

「ずいぶん若い子が住んでいるんですね?」

案内してくれた吉原さんにそう尋ねると、

「これ、私なんです。7年前の…」

と、笑って答えた。作者の吉原さんは現在30歳で、とても大人びて見えていたので、本人であるとは気付かなかったのだ。所謂セルフポートレイトである。自らがモデルとなりセルフタイマー機能で撮影したという。まだ幼さを感じる23歳の女性が、時に澄ましたりおどけたりして狭いカプセルの中でポーズを取っていた。作家自身の過去をこのように記録して残したことは、とても貴重な行為である。少しの衒いもなくこんな作品発表が出来る吉原さんに脱帽だ。

沖縄や中国北京などで、このようなカプセルアパートが生まれたとニュースになったが、東京の中心部にもこのようなアパートは存在している。今はまだ限定的なスポットだが、これからネットカフェに続く居住空間として注目されていくのではないかと思う。

■吉原かおり写真展「カプセルアパート」
2010年12月10日~12月16日
場所:Place M
東京都新宿区新宿1-2-11 近代ビル2F
TEL 03-3341-6107

今年の流行語年間大賞に「ゲゲゲの~」が決定

ユーキャンが主催する2010年度の「新語・流行語大賞」の年間大賞に「ゲゲゲの~」が決定したというニュースが飛び込んできた。今年もっとも流行し印象に刻まれた言葉としての認定である。水木しげるさんの妻、武良布枝さんが著わした「ゲゲゲの女房」を基にしたドラマが大ヒットしたという背景を受けての受賞である。水木しげるブームは想像以上に広く浸透していたということが証明された格好となった。授賞式には水木さんの妻で「ゲゲゲの女房」の作者でもある武良布枝さんが出席し、受賞のトロフィーを受け取った。水木しげるファンの一人としてこの決定を喜びたい。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101201-00000519-sanspo-ent

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武良布枝さんが2008年に発表してヒットした「ゲゲゲの女房」は、今年になって、NHKのTVドラマ化されて国民的な関心を集めた。さらに映画化もされており(12/より全国公開予定)、今やブームの頂点を極めているといった感もある。

著書には、水木さんとのお見合いの馴れ初めからはじまり、赤貧の時代を生き抜きそして作品がヒットして一躍時代のスポットを浴び、家庭では二女の母として苦労しながら逞しく生き抜いている、そんな一人の女性としての、飾ることの無い言葉が綴られている。極めて感動的なエッセイとなっている。

受賞語として「ゲゲゲの女房」ではなく「ゲゲゲの~」とされたのは、このブームには、夫である水木しげるさんの存在の大きさを認めてのことであろう。偉大な夫あってこその妻の栄光か?

先日のエントリー記事でも記したが、水木さんの出世作「ゲゲゲの鬼太郎」は、元は「墓場の鬼太郎」という題名で発表されていた。講談社の漫画賞を受賞してTVドラマ化が検討されていたときにネックとなっていたのが、著作権の問題だったとされている。「墓場の鬼太郎」でのドラマ化が困難であったことをうかがわせる。

「ゲゲゲの~」というネーミングは様々な意味が含まれているが、水木しげるさんが語ったという説明がもっとも分かりやすい。水木さんは自分の「しげる」という名前をうまく発音できずに「げげる」となってしまう。だから「ゲゲゲ」で良いんだと語った逸話を、「ゲゲゲの女房」の本の中で披露している。ゲゲゲのプロデューサーとしての肩書きを持つ夫人ならではの、重い告白であると云えるかも知れない。

エッセイ本の中では、二人が見合いをした後4日で結婚したという、超スピード婚となった舞台裏を公開している。そんなエピソードの数々は、我々の世代とのギャップを浮かび上がらせもする。当時は自由恋愛の結婚などは珍しく、見合い結婚以外の道は無かった、お見合いで結婚相手を決めるのが運命だった、等々の心情を淡々と綴っているくだりはとても印象的だ。

新米野次大将の丸川珠代というのは一体何様なのか

近頃のニュース番組を見ていると、キャンキャン煩い丸川珠代の黄色い声が響いてくる。丸川珠代といえば元テレビ朝日の社員アナウンサーでありながら、安倍晋三に見初められて国会議員に出世した、云わばマスコミ女子アナウンサーの出世頭であり、皮肉な修飾を被せれば、玉の輿的政界入籍劇とも云ってよい。政界デビューと共にときを経ずして国会議員との結婚入籍を果たしたことも、記憶に新しい。

機を見るに敏なる丸川氏の機敏な習性が見て取れるが、正直な感想を示すならば、やっぱりなぁ、この人も、政治家に憧れて生きてきた人なんだなあ。でもやはり、政治家の資質はまったくなんだなあ…、ということ。ときの総理大臣を理不尽に罵倒して悦にいっている手合いこそ、政治家として三流以下、全く相応しくない。だれかこういう常識を丸川に教えて欲しいとせつに願う。

ところで、アナウンサー時代の丸川を知っている同僚、タレントからは、「彼女は政治家になって変わった」という感想がもれている。東京大学卒業という知性派であり、器量もそこそこ。普通に生きていれば何の遜色も無く居られたはずだが、政治家に転身したために、こんな野次まみれの世界に現をつかす毎日か。後ろで糸を引く石原伸晃たちの魂胆が透けて見える。

小椋佳の矛盾だらけの詩でヒットした「シクラメンのかほり」

最近は花屋の前を通る度にシクラメンの鉢植えをよく見かける。高校生の頃にはよくこの鉢植えを買い求め、油彩画のモチーフにしたものである。石膏デッサン、人体デッサン等と共にこうしたポピュラーな静物の素材は、写実的描写力を培うのに格好のアイテムであった。何年ぶりかでシクラメンを購入したのだ。

この花弁は独特な形態をしている。一見チューリップの花弁の様でもあるがボリューム感はほとんど無く、目を近づければ蝶の羽根の様でもあるが、規則性もまるで無い。つまりシクラメンをシクラメンらしく描くことは結構なコツを必要とする。ボリューム感だけを強調すればそれはシクラメンとは云えない。とたんに別種の代物になってしまうのだ。

ところで、失恋を歌った有名な曲に「シクラメンのかほり」がある。云うまでも無いが1975年に布施明が歌ってヒット、その年のレコード大賞を受賞した曲である。布施の甘い歌声が世の中の特にギャル層に浸透し、当時のTV、ラジオで流れない日は無いというほど、毎日のように聞かされていたことを回想する。

曲のヒットに連れて、世間一般からは「“かほり”ではなく“かをり”だろう」という疑問の声が沸き上がる。歴史的仮名遣によればどうしてもおかしいのだが、小椋佳の妻の名前が「佳穂里(かほり)」ということから、正しいものとしている。詩の内容が失恋のものなのに妻の名を出すこと自体、矛盾だ。さらに指摘されたのが、「シクラメンには香りと呼ぶものが発せられない」ということだった。こちらの方も妻の名前で誤魔化されたという印象が拭えない。まあいちいち目くじら立てる問題ではないが、歌謡史の中でも特異な事例として記憶に刻まれている。

時々マスコミ媒体では、フォークの名曲だとして紹介、解説がされるが、誤りである。曲の提供者が小椋佳であることがその理由のようだが、本人や周りの取り巻きの思い込みはともかく、日本のフォークミュージシャン、アーティストのほとんどは、小椋佳がフォークシンガーであることを認めていない。現にフォーク解説の第一人者ことなぎら健壱の「日本フォーク私的大全」では、小椋佳の名前さえ取り上げられていない。メディア等の産業と結託した商業レーベルの曲には、フォークの魂が宿っていることなどは無いのである。

小沢一郎の特異なる顔相が物語るもの

政治家小沢一郎氏に関するニュースが駆け巡っている。「政治と金」という古くからのテーマであるからして少々のことでは収まる気配は見られない。ところでニュース番組で刷り込まれる小沢一郎の顔相については、一言云っておきたいのだ。

加齢のひとつの目安ともされる目の下のくま。そのくまが極端に下方に垂れ下がって拡がっている。そんな顔相が、今の小沢一郎の表情の底流を特徴付けている。尋常ならざる苦労をこの政治家は体験しながら、今日のここまで登り詰めて来たのだろうことが、明らかなる「顔相」「人相」によって見て取ることができる。その苦労の中身は「権力闘争」「自己顕示」という類のものであるからして、賛美される筋合いのものではない。

1942年、昭和にすれば17年の5月24日生まれの68歳。戦時下に生を受けたが、一般的には戦中世代ではなく戦後の世代に属するとされる世代である。戦後世代のトップランナーともてはやす向きもあるようだが、次に来る「全共闘世代」と比較すれば、明らかに老け込んでしまっている。その間の溝というのは甚大なものであると云って良い。

誤解してほしくないのは、おいらはここで世代論を展開しようとしているのではない。目的はそれとは逆のものなのだ。

世代的にそう古くはないはずの小沢一郎氏なのだが、世代の代表的な顔相から飛び抜けて「老け顔」であることを意識せざるを得ないのである。これが本稿の趣旨であり誤解は禁物である。

一体にこの政治家は、今後のどのような「夢」の実現を図ろうとしているのか? 想像する度にぞっとする。寒々として投げやりな想いが全身を駆け巡ってしまうのは、果たしておいらだけのことなのであろうか?

ファザコン政治家・田中美絵子のめげない今後の抱負とは?

小沢ガールズとして民主党代表選を小沢一郎陣営の筆頭として戦い、そして敗れた田中美絵子嬢が、三流有名大衆誌「アサヒ芸能」のインタビューに答えている。題して「小沢先生と私」。負けてなお小沢一郎を慕うそのガールズとしての一途さは、他を圧倒している。一昔前の青木愛嬢のようなアイドル性や萌え要素は薄いが、親衛隊小沢ガールズとしての意欲やエネルギーはまさにナンバー1に相応しい活躍ぶりだ。

このインタビューで田中美絵子嬢は、小沢一郎の政治哲学に対する心酔ぶりを述べている。曰く、

「今までの経験と実績を生かしてこれからも私たちを指導してほしい。もちろん小沢さんにはチャンスがあるんだからもう1回総理を目指してほしい。私はもう一度、一緒に戦いたいです」

これまでの心情を吐露するからには、何か浮世渡世の見返りを求めてのものかと疑ってしまうが、そういうことでもないのらしいのだ。小沢一郎ガールズの心情については推し量ることも難しいのだが、中々一筋縄ではいかないつぼを押さえていることだけは確かなことである。すなわち小沢一郎の逆襲はすでに始まっているということなのかもしれない。

ファザコン政治家、青木愛は果たして「悪女」なのか?(3)

 

月刊誌「東京人」10月号では「悪女 時代を惑わせた妖花たち」の大特集が組まれている。だが取り上げられている悪女の代表が、阿部定、小林カウ、鬼神のお松、等々と云うのだから白けてしまう。共通するのは男を手玉にとって凶悪犯罪に手を染めた女たち、というだけのことであり、どの女も特別な魅力を有していたわけでは決して無い。こんな女に振り廻されて滅亡する馬鹿な男たちもいい恥さらしものである。

♪ 蜃気楼 惹き付けられて 蜃気楼 求めるほど愛が光る
  神秘の月明かり 照らし続けていて 
  迷いの(…解読不能…)鎖を引きちぎるの
  愛のゆくえがもし 闇の底だとしても
  きつく抱きしめて 終わらぬ夢 暖めて ♪

アイドル時代の青木嬢が歌っていた「愛は蜃気楼の中」の歌詞の一説である。一部分の歌詞が解読不能だがかなりの発展家の面影が見て取れる。深夜番組「トゥナイト」の番組中で紹介され、司会の利根川裕などは鼻の下を伸ばしてでれでれしていたことを想い出す。いわゆる小悪魔性を発揮していた。歌唱力も中々なので周囲のスタッフも期待していたようだが、それほどのヒット作とはならなかった。雑誌の「悪女」特集の女たちに比べれば、青木愛嬢のほうがより「悪女度」が高く、現代日本政界における筆頭悪女としての条件を備えている。TOSHI、小沢一郎、小沢の秘書、等々との交際を肥やしにしながら、これから本物の悪女人生を歩めるかどうかがなかなかの見ものである。

ファザコン政治家、青木愛は果たして「悪女」なのか?(2)

青木愛氏は千葉県千倉の出身である。本年の5月に千倉の町を旅行していると、様々な場所で彼女の選挙ポスターに遭遇した。その光景は、小沢一郎譲りの選挙戦術で地元にたしかな基盤を築いていることを感じさせるに充分なものであった。

よく知られているように、地元の高校時代に青木愛の彼氏だったのが出山君こと、「X JAPAN」のボーカルTOSHIである。小さな田舎町のことだから、噂話も絶えなかったようであり、それだけ公に認められたカップルという関係だったということだろう。その後青木嬢は国立の千葉大学教育学部へ入学、卒業の頃にはテレビ朝日の深夜番組「トゥナイト」のレポーターデビューを果たした。「X JAPAN」でメジャーデビューしたTOSHIとはその後、ファンに対する嫉妬やらが原因で別れたとされている。

千倉の実家が経営する保育園にて保育士として働いた青木嬢だが、当時憧れだったという小沢一郎政治塾の門を叩いたことがきっかけとなり、政治の世界へと足を踏み込む。2001年のことであった。小沢からは当時から、格別の寵愛を得ていたことが知られている。ファザコン政治の土台はしかるべくして培われていたことを物語っている。

ファザコン政治家、青木愛は果たして「悪女」なのか?(1)

いわゆる「小沢一郎ガールズ」たちの中でもっとも熱い注目を集めているのが衆議院議員の青木愛氏だ。小沢一郎との密なる関係性やアイドル的風貌をそなえた資質、等々において、先日当ブログにても取り上げた田中絵美子を格段上回っているといってよい。先般執り行われた民主党代表選の期間においては、小沢一郎候補との親密なる逢引が「週刊文春」等一部マスコミにより公にされたのみならず、小沢の筆頭秘書との水戸市内ホテルにおける逢引までもが報道され、衆目の好奇の餌食とされる結果をもたらしてしまなったことは、本人が撒いた種から発生した結果とはいえ、同情の念も禁じ得ないものがある。そのわけはと問えば、青木愛氏こそは現代社会にまれなる「悪女」なのかも知れないと感じるからかもしれない。

古今東西において「悪女」の定義はひも解けば様々あるのだろうが、一般的に認知されたその条件の最たるものが「いい女」であるということだろう。「悪女」がイコール「いい女」という定義は一面で不合理である。こと数学的公式においては真っ先に却下されるべきものではあるが、世の「悪女」マニア界隈の論調においてはこの公式が定着しているのであるから、数学的世界観との齟齬が生じるのもむべなるかなと云うべきだろう。けだし数学的公式はマニア的公式に負けてしまうものなのである。しかもあっけなくその結果はもたらされてしまうのだ。

「悪女」という不合理なる存在が神格化されていく背景には、本来の「悪女」の減少、即ち希少化が挙げられる。男を弄ぶ悪い女は増えているが、そのほとんどが男の退化に依っている。馬鹿な女に弄ばれる男こそ鼻つまみ者である。悪女が悪女として認知されるためには、悪女としての資質を示さなければならない。果たして青木愛嬢は、そんな希少性を有した存在なのかということが問題なのである。
(この稿は続きます)

小沢一郎一派の一掃を願う

岡田克也幹事長はベストな人選だろう。

小沢一郎一派の悪代官風情はこの際に一掃してもらいたいものである。ついでに小沢一郎のファザコン政治の一掃をも、この際にやってもらいたいと思う。

それができないのであるならば、せめてとりあえずは毒饅頭議員の一掃から手がけていただきたいと思うのである。

民主党代表選で、小沢一郎の「夢」が潰えた記念日

本日の民主党代表選の結果は、菅直人現総理大臣の圧勝という結果に終わった。それはまた、小沢一郎候補の「夢」が潰えた記念日でもあった。

先日当ブログで「小沢一郎有利」と記した初期選挙戦の予想は外れることになり、いささか面映い思いもあるのであるが、おいらは政治予想屋ではないので大目に見て頂きたい。

http://www.midori-kikaku.com/blog/?p=2108

当初の政治マスコミ予想が外れたということは、暗黒政治の一歩を踏み出すことが阻止されたということの1点で幸いであった。本日の選挙結果に接し、民主党にも基本的な良識というものが存在したということを素直に評価しておきたい。

小沢一郎が菅直人に敗退する可能性に触れて、おいらは下記のように記した。
「小沢一郎の敗北がもしあるとしたら、こうした取巻き議員達による失言が原因となる可能性があるが、こうしたマイナス要因くらいでしか小沢敗北が期待できないというのも情けない。」(8/29「小沢一郎有利(菅直人不利、鳩山由紀夫変節)という民主党代表選の行方」より)

だが本日の雌雄を決した最後のポイントは、小沢一郎自身のスピーチにこそあったというべきだろう。以下にその詳細を述べて行きたい。

本日の投票前に行われた最後のスピーチで、スピーチライターが書いたであろう小沢一郎の演説内容には、極めて特徴的なポイントがあった。一言で述べるならば「私には、夢があります」という一節が示す、そのスタイルであった。

周知のように「私には、夢があります」という一文は、かつてアメリカの黒人運動の指導者、キング牧師による有名なスピーチ(原文では「I Have a Dream.」云々。詳細はアキンさんに聞いてください)からのコピーである。

世界の歴史に残る名演説のスピーチをコピーすることで、小沢一郎は民主党議員を洗脳できると考えたのかもしれない。だが滑稽なことに結果は、大敗北といっても良いものであった。

最後のスピーチでこの言葉をコピーした背景には、「民主党は俺のもの」的な驕りがあったのだろう。すなわち、日本の「民主党」なんてものは俺が(鳩山由紀夫たちと)つくってあげたものだから、俺がキング牧師の役を演じることで民主党議員は俺になびくだろう、等々の、なめきった意識が底流に流れていたのだろう。そしてそのような目論見は崩壊したのだった。

菅直人候補が一言引き取って「私にも、夢があります」とスピーチしたのは、当然だとはいえひとつのカウンターパンチとして有効でもあった。

小沢一郎の敗北を祝うというのも情けないが、ある種の茶番劇の敗北劇として興味深いものがある。

ファザコン政治の象徴、小沢一郎ガールの研究

小沢一郎の記者会見場では、テレビカメラを意識するかのように数名の「小沢一郎ガール」達が陣取っている。ガールと云っても歴とした国会議員なのであるが、立ち居振る舞いがまるで男性俳優に群がる追っかけギャル達にも似ていることから、自然とこのような呼び名が冠せられている。そんな小沢一郎ガールとしてメディアを賑わしている一人が、田中美絵子代議士だ。

田中美絵子
売れなかった過去には出版マスコミ界の仕事で生計を立てていたことがあり、数々のユニークな企画をものにしている。その後、「盲獣vs一寸法師」というエロス的(しかしながらマイナーな)映画にも出演した経験を有している。乳房を露出する彼女の出演するシーンは頗るエロい。まだまだ彼女の女優としての可能性は捨てがたいものがあり、おいらも大いに評価しているのである。その過去の履歴については自民党特捜班が暴露したが、「東京スポーツ」がスキャンダラスに取り上げたことによってマスコミの餌食にもなってしまった。そんな逆境にいても積極的にターゲットに当たるその姿勢は、他を圧倒している。だが何故、田中美絵子代議士は小沢一郎ギャルとなってしまったのか?

ふてぶてしい面構え、独断専行的な態度が、ある一定の取巻き連中にとっては「男らしい」「貫禄がある」「リーダーシップがある」等々の飛躍した評価となって、人格疑わしき類の支持者を集めていく。その結果として導かされるものはまさに、ファザコン政治そのものである。

「ファザコン政治」の特徴は、ある種のマインドコントロールが幅を利かすということである。そこから反面で、正当な批判力、判断力、実行力が阻害されていく。日本のビジネス社会、ある種の封建的な村社会によく見られる現象である。

むさ苦しい組織の論理を優先しようという姿、イメージが表出されている。こんな男に一国の最高権力者になって欲しくは無いということを、益々痛切に思うのである。

菅直人氏には「ファザコン政治の一掃」を公約に掲げてもらいたいものだが、だがそれをすれば党内亀裂が決定的になるだろうから、残念ながら現実的には無理かも知れない。

小沢一郎有利(菅直人不利、鳩山由紀夫変節)という民主党代表選の行方

世論の圧倒的な不人気とは裏腹に、9月に行なわれる民主党代表選は、多くのマスコミ論調によれば小沢一郎の有利なのだという。

現首相の菅直人氏が必ずしも首相に適任だとは考えていないが、この今、ここでの小沢一郎登板、待望論は無いだろう。「あいた口がふさがらない」と書いた媒体もあるがうなずくしかない。小沢の子分たちの発言を聞けば、マニュフェストの原点に帰れというのが主張らしいが、昨年の予算編成で口出しして公約を反故にさせたのは小沢であり、何をかいわんやである。低次元の代表選挙にうんざりするのはおいらばかりではないはずだ。

小沢一郎有利の状況を形成した最大の要因は、鳩山由紀夫前首相からの支持取付けである。前日まで「条件付の菅直人支持」を明言していたのが、小沢との会談後にころっと寝返った、その変節ぶりに驚いた国民も少なくなかったに違いない。

小沢・鳩山の会談で何が語られたか知る由もないが、小沢は鳩山から「お前がやるなら…」と云われたと述べ、鳩山のほうは「小沢先生が…」云々と語る。語尾の重箱を突いているのではない。小沢は高みから述べているのに対して鳩山由紀夫の語る語尾は、なんと物悲しいものだろうかと感じさせるに充分である。まるで蛇に睨まれた蛙が言葉を発すると、こんな風になるのではないのか? こんな茶番に観客として付き合わされる国民こそ大迷惑と云うべきだろう。

TV番組では小沢一郎子分一派の議員達が矢鱈に目がつく。だが中々慣れていないのか舌足らず、言い逃れ、あるいは強弁の姿がほとんどである。小沢一郎の敗北がもしあるとしたら、こうした取巻き議員達による失言が原因となる可能性があるが、こうしたマイナス要因くらいでしか小沢敗北が期待できないというのも情けない。民主党にとっても、日本の政治環境に携わる人々にとっても。

秋葉原連続殺傷犯の加藤智大は、果たして「裏切った」のか?

秋葉原連続殺傷犯である加藤智大の被告人尋問がマスコミの紙面を飾ってから、少々の時が経過した。それ以前、事件直後に抱いていた大まかなイメージを、覆するような被告人の裁判における発言が、意外な成り行きだとして報道されてもいた。取調べ時に加藤智大が語っていたとされるものと、裁判の被告人尋問で語られた内容とのギャップに、スポットが当たっていた。

確かにおかしいと思わせる内容であった。それは何かしらのおかしな作為が感じ取られていたからである。加藤自身の「自己分析」による告白内容のいかがわしさがそこにはあると感じ取らすに充分であった。あまり賢くもなさそうな被告人の口から語られた「告白」のほとんどが、虚飾に満ちていると感じさせるものであった。

先週発売された雑誌「AERA」では、「アキバ事件 被告が語った『真の動機』『加藤よ、裏切ったな』」との見出しで、加藤智大の裁判を特集している。だが実際は特集というのはオーバーであり、たかが3ページほどのレポートでお茶を濁している、些か薄っぱらな企画ものというのが妥当だろう。

被告人加藤智大が裁判で語った内容は、報道関係者のみならず、加藤被告を慕い思いを寄せる加藤ギャル達をも失望させている。仕事が無い、不細工である。女に持てない、等々のネット上の「告白」が、やらせだった、嘘だったと語っているのだから、彼に多少なりとも「同情」していた全ての人間に「失望」をもたらすに充分であった。

仮定の話にはなるが、たとえばこの告白内容が、加藤被告本人が望んで語ったものではなく、弁護人による誘導があったとしたら事は重大である。今後の裁判の行方に益々目が離せないものとなっている。

肺ガンで逝った芸能ジャーナリスト、梨元勝氏の功績を改めて考える

芸能ジャーナリズムの雄として、長らく日本芸能界にその痕跡を記してきた梨元勝氏が肺ガンで逝った。本日ここでは改めて、肺ガンで逝った芸能ジャーナリスト、梨元氏の功績について考えてみたい。

だがその前に一言。おいらも以前には参加していた「赤煉瓦掲示板」界隈ではいまだにデマゴギーが撒き散らかれており、まるで梨元勝死去でおいらがガッツポーズをしているような記述まである。まるでデマゴーグによる誹謗中傷の垂れ流しなのである。2ちゃんねるだけでなく未だに掲示板の書き込みの位相がこのようであることははなはだ残念である。

芸能記者、レポーターとして梨元氏が残した仕事は、主にTVという媒体を通して我々に示されることがほとんどであった。だがそれ以前に彼は、講談社の「ヤングレディ」編集部に籍を置いて芸能記者の仕事を経験している。このことはTVという媒体ではほとんど触れられずにスルーしているのだが、彼の原点がまさに此処にあるのだ。

当時の講談社「ヤングレディ」という媒体は、おいらの師匠でもある竹中労や、立花隆、等のメンバーが集っていた。当時の編集部員として仕事を共にしていた人物が語っていたのだが、それはもう戦場のように様々な種類の爆撃弾が飛び交っていたという。一つの記事なり告知なりに対して編集者、執筆者たちがそれだけ濃密な思い入れを込めていたということでもある。テレビという媒体に取り入れられるその前の梨本氏の青春期の息吹が此処にあったのだろう。

テレビという媒体を得て、水を得た魚のように飛び跳ねていた梨元氏の活躍については、改めて述べるまでもない。たがかれの信条として語られる言葉、

「たかが芸能、されど芸能」

というこの名句に隠されている思いの奥底に、真のジャーナリストとしての姿を見るのである。

芸能のことをレポートしようが、他の政治や経済、文学、芸術、その他様々のジャンルの事柄をレポートすることとの基本的なスタンスは変わらない。この基本を常に意識しながら彼は芸能レポートを敢行し続けていたように思われる。政治家も芸能人も市井の人もレポートの対象として軽重はない。その思いは彼の行動のあれこれから伝わってくるものであり、我々が見習わなくてはならないものなのである。

FUNKEY MONKEY BABYSのDJケミカルの位相はとてもユニークだ

昨日に続いてFUNKEY MONKEY BABYSの話題。時折しも昨日から「八王子祭り」が開催中であり、彼らがつくった「ぼくらの八王子」なる歌が、地元の少年少女たちに披露されている。今や彼らは松任谷由実、北島三郎に続く八王子の有名人の座を射止めたと云っても良い。町中挙げてのファンモンブームには些か驚かされるが、何しろ嫌味がない彼らを悪く非難しようとする地元民は見ることも出来ない。いずれ地元のヒーローとして「観光大使」以上の座を確保することになるのだろう。

ところでそんな「FUNKEY MONKEY BABYS」のメンバー「DJケミカル」はとてもユニークである。その役割、立場、あるいは吉本隆明さん流に云えばその「位相」こそは、大変にユニークであり天晴れなのだ。

まず目に付くのが、「DJケミカル」というニックネームに反してDJをしないということ。決してDJが出来ないわけではなくしないのだという。結構DJの腕前は確かなのだが夢中になると顔が怖くなるのでさせないようにしているなどと、まことしやかな噂まで流れているくらいなのである。

メンバーの後ろに居て彼が行なっていることといえば、変てこりんで下手糞な踊りである。風貌も猿とガキンチョを足して割ったようなものがある。だが決して居ても居なくても同じというものではない。下手糞な振る舞いをすることが観衆を引きつけ、視線を彼らに向かわせてしまう。他のメンバー(ファンキー加藤、モン吉)というのはいかにも普通で、しかも好青年で、ケチの付けようがないようなキャラクターであり、対照的な「変な」「キモい」キャラクターとの相乗効果を生んでいる。

加藤智大がはまったネット掲示板の罠

秋葉原での連続殺傷事件の犯人こと加藤智大の被告尋問が行なわれている。加藤被告本人は神妙な反省の弁などとともに、自らが犯行に至った理由を幾つかの理由を挙げて述べているという。マスコミでも大きく取り上げられているその理由とは以下の三つである。

1.私(加藤智大)自身の考え方
2.掲示板での嫌がらせ
3.掲示板に依存していた生活のあり方

何とも驚くのだが、その理由のおおよそを「掲示板」が占めていると加藤智大は述べたのである。かつてはおいらも掲示板を主宰などしていたこともあり、この発言は看過できないものであった。擬似社会としてのネット掲示板を取り巻く遣り取りが、いまや実社会と擬似社会、似非社会との区別さえをもつかなくさせていたのであったようなのである。ネット社会に依存しながら真っ当な現実感覚を喪失していた加藤智大という男が居たという現実は、決して遠い世界の事柄では無くして身近なものとして迫ってくる。だがそんな一般論で遣り取りされるものとは異質の犯罪が勃発してしまったのであった。そんな男の日常とは、果たしてどのようなものであったのか?

平凡な日常、凡庸な毎日から逃避して、ネット社会に依存する人間たちは決して少なくない。実はおいらの周りにもごまんと居るのだ。これはかつて、名プロデューサーとももてはやされた小室哲哉が作詞した歌謡曲の歌詞に示されていた現象としても示されているものでもある。小室哲哉的な現実逃避、非現実的な「幻風景」への誘いというものが、犯罪の底流を形づくったというのは、果たして暴論であろうか?

もとより、匿名書き込みを基本としているネット社会、ネット掲示板という処においては、現実社会のたがが外れた「全能感」というものが羽根を拡げていくものである。小さな自分、ちっぽけな存在という「現実社会」から逃避し乖離した「全能的な」自己というものを主張したがる。そんな欲望が羽根を拡げたがるメディアなのである。それは、かつて数年間において掲示板の管理人を行なっていたおいらの体験から云える事実でもある。

ところで、加藤智大がスレッドを立ち上げて「管理」していた掲示板とは、某携帯サイトのものであった。この場合の「管理」というものは曖昧である。大手のネット掲示板の一部を拝借するといったものでしかない。お山の大将にもならないのだ。云わば、派遣社員として階級社会の底辺に彷徨う人間が、少し上の、中間管理職の夢を見た末の犯行だったとすれば、この巨大な「ずれ」を笑い飛ばしたりすることも出来ない。ただただ情けない犯罪の一端がここに垣間見えるのである。

日本一の銀座「鳩居堂前」の地価が急下落

先日発表された地価によれば、日本一とされる銀座の「鳩居堂前」が、4分の1もの下落を示していた。

この「鳩居堂前」は銀座5丁目にあり、よく云われる日本一の繁華街「銀座4丁目」ではない。「銀座4丁目」には、三越百貨店、和光という、銀座のシンボルとなる拠点が存在しているのに、いつも路線価ナンバー1が「鳩居堂前」というのが、以前から不可解であった。日本一の通りを歩けばいとも素っ気無い。何も無い歩道を歩いているという印象しか持てないのである。

ちなみに銀座5丁目の「鳩居堂」とは、文具や香を扱う専門店である。和文具のほかに中国の輸入品も扱っているので、特別に日本を象徴しているという訳でもない。かつて同社社長が飛び降り自殺したビルとしても(おいらは特に記憶に無いが)有名なのだという。ナンバー1には何かしら曰くが有りということなのか。

上杉隆の牙を抜かれた「週刊ポスト」記事よりUSTREAMの対談動画のほうがずっとまし

 

元内閣官房長官、野中広務氏の「官房機密費」に関する告白により、政治マスコミ、政治評論家、政治ゴロ、等々に対して様々なる金品が配給、支払われていたことが白日のものとなっている。しかしながら一方の当事者でもあるマスコミでは何もなかったかのように黙殺を続けている。全くもって異様な状況と云わざるを得ない。そんな状況に風穴を開けるのではと、大いに期待されていた上杉隆氏による特集レポートが、今週の「週刊ポスト」に掲載されている。

おいらも書店の立ち読みにてこの記事を読んだが、内容はといえばとても薄っぺらいものであると云わざるを得ない。どうしてこんな通り一遍のペラペラなレポートが、大見得を切って発表されたのか、訳が判らなくなってしまう。上杉隆といえば、少し前にはUSTREAMにて事細かに事実を喋っている。対談相手はといえば、野中氏が「機密費を返されたただ一人」として挙げている田原総一郎氏である。この生の対談を聴くほうが丁寧に編集構成された「ポスト記事」を読むより、よっぽど真実が伝わってくる。

上に示した対談は相当長い時間の重たい動画となっている。下記リンクから直接アクセスすることをお勧めする。

http://www.ustream.tv/recorded/7412783

おたくに席巻される政治業界

昨晩は諸事情あり中々眠りにつけずに、TVの電源を点けたままベッドでうとうとしていたのだが、そんなときにかかっていたのが「朝まで生テレビ」という深夜番組だった。この番組を目にしたのは何年ぶりだろうか?「懐かしい…」そんな感想を漏らしてしまっていたくらいに久々の視聴である。

ゲストの発言の語尾やあれこれに何かと難癖を付けて自分の土俵に持ち込もうとする、司会の田原総一郎は相変わらずだった。以前に比べれば切れ味も新鮮味も失せて、何時かみたTV芸を何年かぶりにて見せ付けられたという格好である。そのままTVはつけっ放しにしつつ時を過ごしていたのである。

うつらうつらしながら耳にしていた言葉は、そのすべてが「おたく」の会話に聴こえてきた。おいらはおたくが嫌いである。しかも政治おたくなど、大っ嫌いの人種である。世間一般には政治を好き嫌いで論じるなかれという向きもあるだろう。そんなことは初めから自覚している。その上で綴っているのである。

まるで政治の世界の遣り取りが、おたく同士の議論のそのままの遣り取りである。ある「A」というテーマに対して賛成、反対、等々の意見が交わせられる。そしてその結論はといえば、お宅の殿堂とも云うべき、何かしら厳かな「イコン」ともなって崇め奉られるのだ。「与党・野党」という対立項はのきに寄せられて、おたく同士の共同事業とも呼べるある種「イコン」を祭って番組が進行していく。

中島らもさんもかつてあるエッセイ本で書いていたが、これらの言葉は「おたく語」という言語なのである。他者排除用語といってもいい。(※出展「空からぎろちん」(講談社文庫))

以前から感じていたことではあったが、昨日は益々その思いを強くし、そんな風潮に「渇!」を叫んでみたくなったのである。