村上龍氏を「社会派」と呼ぶには虚しさがつきまとう

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村上龍氏の「55歳からのハローライフ」は、社会派小説と呼ぶべきスタイルの作品である。昨日は同書の読後感について、「その昔の村上龍さんの熱い作品のあれこれに接していたおいらには、ある意味とても残念でもある。」と書いた。もはや前衛作家としての村上龍氏はこの世には居なく、端正な社会派ノベルをつむぐ老成した村上龍が居るのだ。何故に村上龍がこの作品を書いたのか? 社会派スタイルの作品をつむぐ必然性があるのか? といった疑問を払拭することができないのである。

登場人物は50代以降の中年たちだが、会社をリストラされてホームレスになることに怯えていたり、定年退職した後の夫の奇矯な言動に嫌気が指して熟年離婚した元妻が婚活したりするのだが、それらの姿は寂しさを通り越して虚しさに満ちている。中高年の希望などというものを感じ取ることは、最後まで無かったのだ。

「55歳からのハローライフ(村上龍著)」の書評(序編の1)

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自宅と実家との行き帰りを経ていたおいらの年末から新年にかけては、さながら「読書週間」となってしまったようではあった。

大晦日の日に読了した「絶望のにおいらよりは国の幸福な若者たち」に続き、古事記関連の文庫本、温泉関連のMOOKに加えて、本日は村上龍さんの「5歳からのハローライフ」という新著を読了していた。

いつもいつもこのブログでは、無謀にもよみ終わってすぐに関連のあれこれをアップしているので、全然煮詰まっていない生煮えの不味いことこのうえない評価、評論を記述してしまうのであり、今年こそはそんな悪癖を改めようとは考えているところである。だからこれからは、熟する時間を一定時間込めてからの、読書日記、読書コメントにしていきたいところなのである。読書関連のエントリーが、数回にわたって記述されていくだろうことを赦していただきたい。今回のエントリーもその一般的なものではある。

「55歳からのハローライフ(村上龍著)」に関しての基本的要素を記するならば、人生のの折り返し地点を越えた、50代後半からの登場人物の、第何回かは知れぬが再チャレンジをテーマにして描かれている、とても社会性溢れる「連作中篇」の物語である。ちなみにおいらよりは年上だが、所謂「団塊の世代」よりも遅れて生を受け取った世代が主人公となっている。

5つの中篇の物語である。特に云えば、定年退職における社会システムから外れた中高年の疎外感や孤独感がテーマとして設定されている。その昔の村上龍さんの熱い作品のあれこれに接していたおいらには、ある意味とても残念でもある。