“魂の陰影を剥ぎ取る”建築写真集「瞬間の連続性」を刊行しました

みどり企画の出版事業部であるみどり企画出版では、このほど7人の写真家集団による建築写真集「瞬間の連続性」を刊行しました。「建築」という身近な素材をモチーフにしながら、日常的には余り接することのできない、特別な一瞬間の表情等が巧みに捉えられた作品集です。

現代美術作家の上野憲男さんが、巻末に同写真集への手書きのコメントを寄せてくれているのでここにご紹介しておきます。(誌面では手書きのそのままで掲載していますがここでは活字に置き換えてご紹介します)

――――――――――――
魂の陰影を剥ぎ取る

日本初の高層ビルディング「霞ヶ関ビル」の写真をシャッター音も心優しく包むようにして撮影した川澄明男の作品はその設計者の名と共に今にして輝きを放ち続けている。

その川澄明男を師と仰ぐ小林研二をリーダーとする建築写真家集団。無機的な建造物に“やるせない”位の生命を映し出すPhotographer達。

硬い石の中にも鋭い鉄鋼、硝子の中にも、そして木や紙、植物にも、あらゆる材質の骨格の中に、風のようなしなやかさで吹き抜け、魂の陰影を剥ぎ取り、現代美術作品と見まごうような見事な映像を造形化した。

本写真集がスタートと言うこの「瞬間の連続性」は今後、益々鋭敏に豊かに展開してゆくことは間違いないだろう。

上野憲男
――――――――――――

■瞬間の連続性 the continuum of moments
ISBN978-4-905387-01-5
定価:本体1000円(+税)
発行:みどり企画出版
企画・編集:川澄・小林研二写真事務所
判径:250×250mm
頁数:60ページ
体裁:並製本

http://midorishop.cart.fc2.com/ca0/2/p-r-s/

新春2日の心情等、ネットブック、ネットショップへの未練や期待も少々

新年2日ともあれば、街中何処も寂れているというのが戦後十数年間の習いとなっていたのだった。だが昨今の正月事情はそんなこんなの習わしをものともせずにぶち壊しており、新時代の習わしを仕組みつつある。これはいたって世の中の健全なる斯業にありて今後の健全たる習わしに悪影響が及ぼされること無きように希うばかりである。それにしてもネットブック環境はとても酷いものであり、日本語の変換さえままならずにあれやこれやの失敗事ばかりなり。いずれはこんな酷い状況は解決していかねばなるまいという志は強く持っているものなり。

謹賀新年 2012

謹賀新年 2012 本年も宜しくお願いいたします。とはいえ年末からの「2012年は元気な年に」「明るい年に」の合唱コールには流石に辟易しつつ、今年は先ず古きを温めて、発酵させることから始めてみたいと思い立った。その具体的狙いや成果については今後またの機会に…。

新春恒例の上州駅伝のルートでもある街道を自転車で走って、昨日もふれた「KEYAKI WALK」の中を歩いた。旧市街地の機能がごっそりとこのモールに移ったように、元旦早々賑わっている。建物の入り口を潜り抜ければまるで青山や原宿の町並みの様な錯覚を与えてしまうくらいである。

時間潰しにシネマの「源氏物語 千年の謎」を観てすごす。光源氏役の生田斗真は様になっていたが、ストーリーのほうはまるで史実の登場人物をつぎはぎしただけの代物でがっかり。まるで色物映画と見紛うばかりだ。角川書店刊行の原作本によるものだとされるが、こういうのが現代風のメディアミックス作品の代表的作品と云うのかな。

老舗書店「煥乎堂」も時代の波に取り残されていた

上州前橋に本店を構える老舗書店「煥乎堂」を訪れた。明治初年創業という伝統を持つ県内随一の総合書店として、地元の人々から親しまれてきた。おいらも物心ついた少年期から愛着を持ってこの書店を通ってきていた。川端康成さんがノーベル賞受賞した直後の小学生の頃には同店2階の文学コーナーを訪れ、女性店員のお姉さんに川端文学の美しさやお勧め作品のレクチャーを受けていたのであり、その講義内容はぼんくらな国語教師らを超えていた。いわばその場所は特別なスポットなのである。
http://www.kankodo-web.co.jp/

ところがそんな由緒ある老舗書店に異変が生じている。年々、訪れる度に客が減っているのだ。もっとも端緒なきっかけが「KEYAKI WALK」という一大ショッピングモールが駅南口の郊外にオープンしたことによる。ショッピングモール内には「紀伊国屋」書店が出店し、スペースや扱い書籍の数、等々で県内他店を圧倒している。

かつては「書物の宝庫」と自他共に認めた煥乎堂書店だが、現在は残念ながらその面影はない。陳列されている書籍群のほとんどは都内の有名書店ならばどこでも入手できるものばかりであり、「地元コーナー」扱いものの充実度も、過去の数十分の一という印象だ。げんに地元出身「司修」本の過去出版本はほとんどなく、近作数冊が並べてあるのみ。紀伊国屋KEYAKI店に後塵を拝していることは客観的に認めなければならないだろう。

断捨離をしたくはあれども知恵も技もなし

昨今の日本社会は「断捨離」がブームであるようだ。ヨガの「断行(だんぎょう)」、「捨行(しゃぎょう)」、「離行(りぎょう)」という考え方が基本にあるとされていて、老若男女が思い思いの断捨離を行なっている光景に出会すのだ。

朝方の通勤電車の中で見かけた初老の女性が、何やら大きめの、A4版程度かそれ以上はあろうかという大判のMOOKを開いていたので、ついつい覗き込んで見たりしていたら、所謂「断捨離本」なのである。熱心にそのMOOKに見入る姿には、それこそ断捨離への厚い思いを感じ取ってもいたのだった。

こういうおいらも「断捨離」には思いを強くしており、この年末こそは断捨離を断行したいという密やかなる計画を抱いているのだ。引っ越しの度に数を減らしていた書物は最近になってまたぞろ数をとかすをを増やしており、我が家における余計な収容スペースを要している。一度読了した書物を手元に置いておく意味などはほとんど無いことを、「断捨離」以前の考察から感じ取っていたのであり、何とか早く処分したいと思っているところなのだ。

だがいかんせん、生来のものぐさ的性格が災いして、未だに成し届けないままのおいらなのである。

ところで「断捨離」関連のベストセラー本は、やましたひでこ、近藤麻理恵の両氏によるものである。ともに「ときめくもの」か否かを捨てるか捨てないかの基準に置いているようであり、ときめきの無いものなどはどんどん捨て去ってしまいなさい! というメッセージを発信している。このメッセージが新鮮に映るのは、今日的な社会状況が背後に控えているからに他ならない。

誤解を恐れずに書くならば、やましたひでこ、近藤麻理恵の両氏による書物などはまやかしであり、本来のヨガの精神とはほど遠いものであると云ってよい。まやかしが跋扈するという現代日本社会を象徴しているかのごとくの「断捨離本」に関しては、疑ってかからなければならない。ヨガや或は禅宗の教えとも連なる本物の断捨離を行なうには、おいらもこから勉強しながら技を磨かねばならないということを痛感しているのである。

師走の上野「アメ横」界隈を散策

師走のこの時期になると、買い物客でごった返すのが上野のアメ横。ほぼ毎年のように暮れ正月の帰省前にはここアメ横に立ち寄って買い物をしていくおいらである。今日はその下見も兼ねての散策である。「庶民のアメ横 楽しい買物」という巨きな横断幕が入り口で迎えていた。

マグロ、カニ、ホタテ、等々、鮮度良好の魚介類売場に混じって、伊達巻、カマボコ、等おせち食材の売場も賑わっていた。おせち食材は多少ものもちが良いことから、今ごろが購入のピークだと見られる。そしてここアメ横だからこそなのだろう、クリスマス関連ものがほぼ見られなかったことがとても新鮮に感じ取られた。

上野から御徒町にかけてのガード下界隈には、古くからの居酒屋が林立している。やはりここはいつもの「佐原屋」にて一杯引っ掛けることになる。身体が温まるおでんとともに、これまたいつもの「納豆とんぶり」を肴にしてホッピーで喉を潤す。

もう一週間もしないうちにお正月を迎えるが、「佐原屋」はといえば、チェーン店ではなく自営店であることを良いことに、9日までの長期休養が予定され、母さん、娘さんはじめとして店員嬢たちは、今から浮き浮き気分の様なり。

新しく発見したメニュー「ハスキン」を注文。出てきたのは蓮のきんぴらであった。どおってことは無い、が、好きなメニューであることには違いなく、蓮根のシャリシャリした触感をかみ締めつつ、師走のときを過ごしたのでありました。

八王子の「宮城」で、河本次長発案の「このトラーメン」を喰らう

八王子市南口にあるラーメンのデパートこと「宮城」。ご存知「ファンキーモンキーベイビーズ」が売れない頃から贔屓にしていたラーメン店であり、ファンモン考案の「ファンモン麺」は、全国から彼らのファンが食べにくるくらいに全国区のラーメンメニューだ。

本日は同店で、変わったラーメンを食したのだ。その名も「このトラーメン」という。命名者でありメニューの発案者、はお笑いコンビ「次長課長」の河本次長だという。

このラーメンの特徴と云えば、白味噌味のスープに細麺のストレート、そして刻んだタマネギが大量にトッピングされていること。トッピングされた刻みタマネギは、八王子ラーメンの基本を踏襲しており、熱々の味噌スープにも、良いハーモニーを奏でていた。

発案者の河本次長はこれに「七味」を大量に掛けて食べることを勧めている。だがこの七味はラーメンには似合わない。どう味わっても似合うことは無いのである。

■宮城
東京都八王子市子安町4-26-6
TEL 0426453858

鉢植えの「ポインセチア」を買って帰った

鉢植えの「ポインセチア」を買って帰った。

この時期、クリスマスの季節になると、街中の至る場所でこのポインセチアを見かける。日照時間が短い冬になると色を付ける。極小な花の周りに一段と鮮明に広げているのはポインセチアの苞(苞葉とも云う)である。

濃赤色と緑色とのコントラストが色鮮やかであり、クリスマスを彩る色彩としてはこれ以上ないくらいにピッタリくる。クリスマスのイベントには縁薄いおいらではあるが、濃赤と濃緑のコントラストが街中を彩る季節に、サンタの外套やトナカイが被る帽子のようなポインセチアを眺めるのは嫌いではない。

村上春樹さんのヒット作品「ノルウェイの森」の装丁色として一世を風靡した「赤と緑」もこのポインセチアの赤と緑に縁深く繋がっている。春樹さん自らがこの2色の色彩には拘って実現したというが、西洋起源の御伽噺の基底色とも云えるのだから、赤と緑の出逢いの妙については何度も何度もこの目で鑑賞し尽くされると云うことは、決して無いのであろう。

クリスマスの鉢植えとして愛好されるポインセチアだが、実は同植物はメキシコ等中央アメリカを起源としており、寒さには弱いのだと云う。これから春にかけての手入れが大変であろうと、今から心配の種が増えてしまった。

冬至の日にゆず湯に浸かったのだ

本日は冬至。昼の時間がもっとも短い冬本番を告げる暦の日だ。寒気に凍えていた夜、地元の大浴場にてゆず湯に浸かり温まった。

イベント湯には大量のゆずを皮と実とに引き裂いてネットに閉じ込まれていた。風情はいまいちなれど、ぬるめの湯に浴しているおいらに、ゆずの柑橘系の刺激が鼻を突いたのだった。天然系柑橘の香りが心身に染みたのは間違いなかったが、ビタミンが全身から染み入ってくれればよいが、本当はどうしたものだろうか? 

こんな日は湯ざめなどしないように、温かくして早めに眠ろうと思うなり。

早朝散歩で、チジミほうれん草と霜柱を発見

寒気の襲来は日ごとに強まり、朝の床離れは悪化する限り。だがこんな季節の朝にはとても感動的な自然の造形美が隠れているのだ。

冠雪した富士山を眺めながら朝の散歩をしていると、公園近くの家庭菜園には霜が降ったチジミほうれん草が大きな葉を広げていた。数年前から冬になるとこのほうれん草を食するが畑で育つこの野菜に接したのは初めてだったので、些か興奮を覚えたものだ。

近づいて畑を凝視すると綺麗な霜柱が立っていた。微小な結晶の完成度に魅了された。

苦味走った「サッポロラガービール」でほろ酔いなのだ

居酒屋でビールを注文すると、よく「キリン、アサヒ、サッポロがありますがどれにしますか?」と訊ねられる。

そんな時のおいらは特別に銘柄を決めているわけではなく、苦味が欲しくなったらキリン、ドライが飲みたくなったらアサヒ、そしてまろやかなホップの風味に気が向いたらサッポロと、まあその時々の気分で注文すること多し。

だが今回注文した「サッポロビール」は黒ラベルの生ではなくして「サッポロラガー」が出てきたので、一寸した驚きなのであった。

ラガービールの伝統を踏襲しているようで、苦味がツンと喉を刺した。心地よい刺激であった。

これぞミスマッチの味覚の極北「イカとじゃが芋の北海焼き」

北海道の旬の素材である「イカ」と「じゃが芋」をフライパンで焼いて提供された料理。イカとじゃが芋という取り合わせは、じゃがバターに乗せる「イカの塩辛」が定番となっており、先日はそのメニューの美味しさについて記したばかりである。

そんな時期に「イカとじゃが芋の北海焼き」という奇妙なメニュー表を見かけたので早速注文してみたのだった。

まあ一言で云うなら、旬な冬の食材としての「イカ」と「じゃが芋」を一緒にしてフライパンに乗せただけのメニューであるという印象を持った。

イカちゃんには悪いが、冬にはイカの季節が到来し、しかも原発の影響も少ないので、他の北海道食材である「じゃが芋」と手を組んで一儲け企んだのではないかとも疑いたくなる。多分事実は全然違うところにあるのだろうが…。

八王子駅南口に、肴とおかずの銘店街「八王子ロマン地下」がオープン

八王子駅の南口はと云えば市内最大の高層を誇る「サザンスカイタワー」を始め、ビックカメラの入った「CELEO(セレオ)八王子」等々の新規建造物が建ち並び、再開発の真っ只中である。

そんな南口から徒歩3分という場所にはこのほど「八王子ロマン地下」なる肴とおかずの銘店街がオープンした。昭和の風情を演出した地下街に、大小二十数店舗が軒を並べる。「昼はデパ地下、夜は飲食店街。」をイメージしてプロデュースされている。

何処かから拾ってきたような古い看板やらレトログッズが至るところに散りばめられており、独特の風情を醸し出している。特に夜間は主に酒処となることで、この地域での新しい集客を見込んでいる。しかも「はっちか君」というキャラクターが、同処の宣伝キャラとして誕生している。街興し、地域興しのニューウェイブなのである。

オープニング記念として生ビールが格安で提供されていた。何店かに足を運んでみたところ、ただ単に昭和レトロだけではない、様々な試みを見て取ることが出来た。ロマン地下の一帯はそれほど広くなく、店舗のカウンターに接するように歩を進めることになる。まるで店内を巡っているような感覚を感じ取っている。感じ取らされていると云ったほうが正確かもしれない。其処で目に付いたメニューを、気軽に注文出来るようなつくりとなっている。気軽に立ち寄って一杯傾けるにはもってこいのスペースなのである。

般若心経における「色即是空」とAKB48

「色即是空」とは、漫画クレヨンしんちゃんの床の間の掛け軸にも「色即是空」という文字が書かれているというくらいにポピュラーな一文である。

そもそもは「般若心経」の中の一節として読まれているものであり、おいらも何度も読経した思い出が甦ってくるのだ。「色即是空」「空即是色」…という節は、おいらが未だ幼少の頃からにおいて馴染んでもいた「般若心経」の代表的四字熟語の代表とも云え、途轍もない思い入れが在している。

本日三の酉の市の屋台では、イカも頑張っていたのだ

本日はと云えば、年末の風物詩として由緒ある酉の市の「三の酉」にあたり、帰宅途中の商店街では屋台などが出店して賑わっていた。

「たこ焼き」等の人気屋台に混じって「イカ焼き」の店が居たので覗いてみた。鉄板の上では、身を切り刻んで輪切り模様のイカたちが、身を横たえていたのであるが、鉄板から立ち上る熱によって彼らイカたちは皆、赤々と身を紅葉様とさせていて、これまた秋の風情なのかと云う誤解を招いてしまっていた様である。秋でなくともイカは熱き鉄板の上では身を赤々とさせていくものなり。秋の風情と云うよりは屋台の風情と云ったほうがよさそうだろうか。

赤くピンと張った身に対して、屋台の兄ちゃんは包丁を入れ、真っ白いお腹を引き裂かれ、そして衆目にあからさまにしていたのだった。「嗚呼、痛そう!可哀想!」という声をおいらが発する間もなく、イカのその身はピンと張っていてしかも白く、ある種のイカ的の象徴的光景とも感じ取っていたのであったのだ。

イカの丸焼きは今もなお屋台の人気メニューとして君臨している。いかさま、と、呼ぶのは容易いが、いかさまはまたいかさまなりの人生観があるのであろう。

冬のカニ味噌は何故に美味なのか

寒さが日増しにきつく感じる昨今なり。暖冬になるだろもうという長期予想あるようだが、それにしても冬を乗り越えるには相応の対処をする必要があるだろう。

閑話休題。ところで、寒気が増すにつれてカニが美味しさを増してくる。殊に毛蟹の味噌の美味さとくれば缶詰のキャビアを遥かに凌ぐものだと思われる。世界にカニの種類は多かれども毛蟹こそは美味一番の称号に相応しい食べ物だと云えるだろう。中国人の好物とされる上海蟹も、身や味噌の美味さから云えば断然毛蟹に軍配が上がる。上海蟹に大騒ぎする中国人の食生活は、ちとばかり鎖国的様相さえかぶってみえる。中華料理の「中華的」自大主義に翻弄されてはならない。北海道の毛蟹の、殊にカニ味噌の美味しさをもう1度噛み締めていくべきなのである。

掲載する写真については特別な毛蟹のものではない。何時かどこかで食べた「カニ味噌」というメニューを写し取っただけの代物であり、特段のカニ味噌なのではない。雑誌的には「写真と本文とは関係ありません」という注釈が必要かもしれない。

1日1便のバスに乗り、下部温泉の温泉につかったのだ

本栖湖周辺をぶらぶらと散歩しながら富士の絶景を眺めていた旅ではあった。そしてその帰り道はといえば、1日にたったの1便しかない下部温泉行きのバスに乗り込んでいた。

その道は「本栖みち」と呼ばれており、本栖湖の周辺をぐるりと周遊した後に、山梨の裏山沿いに入っていく道だ。

富士山の世界にはおさらばしつつ、見延町の街並を目指して下っていくバスの車窓から眺めた紅葉の山々は見事であった。

かなりの傾斜を下っていくバスの中で運転手さんが勧めてくれた特別なシートに陣度つて、特別な山々の紅葉を目に焼き付けていたのだった。

富士山を目の前にすると気持ちの奥底がしゃきっとするのは何故だろう?

日本一の山こと富士山。富士五湖旅行では、大月発の「富士登山鉄道」の車内からずっと富士を視界に入れつつあったのであり、富士の姿をまさに目の前にした時間と共に過ごしていたのであった。

河口湖、本栖湖には湖面に映った富士の鏡面像、所謂「逆さ富士」を捉えることの出来るスポットが有り、おいらもその場所へと足を運んでいたのだった。当日は晴天でありながらとても風が強く湖面を吹きつけていたのであり、とても逆さ富士が出現する気配は無かった。現地の人に聞いたところ、逆さ富士が拝めるのは年間に数日しか無くて、冬や春の穏やかな日に限られると云うことなり。ただ富士の麓の湖を訪れたから拝める光景ではないと云うことは明らかだった。

そんな時間の経過と共に改めて感じていたのは、富士山を目の前にした時のしゃきっとした心情だった。何故だかは判然としないのだが、兎に角しゃきっとしている、しゃきっとしてしまうと云っても良いかも知れない。

そんな富士山の存在感の巨きさを感じるのである。3776mという日本一の標高を有していながらしかも気高く、凛々しく、特別なバランスを有している。高くしてしかもバランス良く存在すると云う、いわば世界的に見ても稀有な存在としての霊峰なのだ。

其れかあらぬかおいらの気持ちも特別にしゃっきりとしていた、そういう時間と共に過ごすこととなったのだ。

本栖湖で紅葉と出会った

河口湖から本栖湖へと向かった。あまり感じることのなかった紅葉を見届けたかったからだ。秋を感じとることのないまま季節を終えるということへの抵抗感とでもいおうか。

今日もまた夏日に近い異常気象だといい、期待した秋の季節感とはほど遠かったのではあるが、紅葉に接することは出来た。

本栖湖の濃紺と赤、黄色、濃緑の樹々とのコントラストがハーモニックに視界に飛び込んでいた。四季の営みの神々しさと呼ぶに相応しいものだった。

尾崎豊の実父も彼の「遺書」に疑問を呈している

昨日当ブログにて、尾崎豊の死因が「自殺」だったという月刊文藝春秋の記事に疑問符を呈したばかりだが、其れを裏付けるように、彼の実父による「自殺ではない」というコメントが紹介されていた。

http://www.news-postseven.com/archives/20111118_71059.html

「豊は気分が落ち込んでいるときに、突発的に遺書のようなものを書くことがあった。亡くなる3年前に自殺を考えたことがあるらしいが、そのときに書いた可能性もある」

このようなコメントは、身内でなければ発し得ないものだ。実父の発した疑問であれば、それなりの重みがあるはずである。

「いまとなっては、他殺だとは思ってないけど、あれは自殺じゃない。豊じゃないからわからないけど、なんで死んだんだって…いまでも思ってます」

他殺説を実父は封印した。そしてなおかつ、尾崎豊さんの死に関する疑問符は付きまとってしまう。稀な存在感を持ったアーティストであったが故の宿命であったのかもしれないと考えている。この「宿命」という語彙にはもちろん、豊さんへの多大なリスペクトが含まれているのだが…。