茹でより一段と野性味が増して旨い「焼き空豆」を食べた

空豆を焼いて食べたのだ。大ぶりのさやに大ぶりの緑色の豆がおさまっている空豆は年中食材とは云い難く、季節感を伝えてくれる。今の時期は収穫量も多く、旬の食材の一つである。

通常は茹でて味わうものだが、焼いても旨く、少々硬いが身が締まっていてかえってその野趣を味わうことができる。特に弱火でじっくり時間を掛けて焼いた空豆には頬が緩んでしまうくらいだ。

さやごと火に掛けるので焦げたさやを目の前にするとグロテスクではある。それでも手で裂いてみれば、鮮緑色のはじけるような豆の生命感を感じるのであり、そんな豆の身を見るにつけ夏近き季節の到来を実感することとなった。

子供の頃から頻繁に食べたという記憶は無く、今でもなお希少な食材であろう。我が国においても、蚕豆、四月豆、五月豆、夏豆、冬豆、雪割豆、 大和豆、雁豆、唐豆、南豆、等々と、地域それぞれにその呼び名は様々であるという。中でも一般的な「空豆」という呼び名の由来は、さやが空に向かって身を付けていることから付けられたネーミングであり、関東出身のおいらにとってはやはり「空豆」という呼称が一番しっくりくるのだ。

高円寺「大将」の「スタミナ漬け」はこれからの季節にお勧め

高円寺に途中下車して居酒屋「大将」にて一献傾けていた。

本日のお勧めメニューには「スタミナ漬け」というクエスチョン的メニューがあったので、早速注文してみたところ、出てきたのは、モツの中でもとりわけ「ハツ」の部位が主体のものが、酢漬けにされていたものであった。

有りそうで無かったような奇抜なメニューではある。コリコリとしたモツの感触が冷たい酢漬けという調理工程を経て、こうなったというのが先ずは判るというのがこのメニューの存在感ではある。

このようなメニューは云わば奇抜と云うより以前に有り得ないような類いの品ではある。それでもおいらはこの酒のつまみについては好意的な思いを抱いていた。これからの夏真っ盛りに向かう季節において、このメニューは呑兵衛には有り難いメニューとなっていくのだろうなという思いを、多大なものにしていたのではある。

夏間近を感じさせる「ゴーヤ(ニガウリ)」の味わい

5月8日は「ゴーヤの日」である。

暑さを感じる季節になった。昼間の暑さは汗が滲み出るほどであり、夏にはまだ早いが、春本番と云ったところだろうか。未だ夏には早いのだが、地元のスーパーには早くも濃緑色した「ゴーヤ(にがうり)」が棚に陳列しており、夏の到来を予感させるには充分な光景であった。

ゴーヤの表面にある濃緑色のイボイボは夏の汗を象徴するかのように強力なエネルギーを連想させるに充分であり、その独特な苦さとも相俟って、夏には欠かせない食材として定着している。主産地が我が国最南の沖縄であることも、そんな存在感を強靭に後押ししている。これから幾度となく食卓に上る食材であることは確かである。

早速購入し「ゴーヤチャンプル」を調理。沖縄料理のチャンプルの味付けとは多少違えて、鶏ガラスープとオイスターソースで中華風の味付けを付与してみた。ゴーヤと云う素材自体の存在感が強いため沖縄風との違いは些細なものだが、それでもおいら流のレシピとしてはこれがポピュラーな味付けとなっている。ちなみに卵とじにしないのもゴーヤの苦さが削がれてしまうからであり、おいら流である。

今時のベトナム的ブームだと云う「牛筋ベトナムカレー」

現代のベトナムでは「牛筋カレー」が主流なんだそうである。特に、飲み屋で出される牛筋カレーは、鍋で煮込んで出されて、そんなカレーにバゲットを浸しながら、ワインを飲むのがベトナム流、通の作法と云うことなのらしい。フランス流にアレンジされたベトナム流のたしなみかたなのだろう。

おいらもベトナム風を真似て、「牛筋カレー」とバゲットで一献やってみた。

牛筋は隠れ素材的に所謂出汁の素のような扱いではあった。韓国料理の牛筋の存在感とは雲泥の差があったと云えよう。ともあれ、エスニックの香り漂うベトナムカレーは、ココナッツの風味が生きていてまろやかであり、スパイスもほどほど程度に効いていて、食べやすく食欲をそそっていたのであった。暑い春の日にはスパイスの効いたカレーはなまった身体によく効くのだった。

古きを温めてしかも新しい、今時の「ナポリタン」の味わい

その昔は「スパゲッティ」と云えば「ナポリタン」か「ミートソース」と決まっていたのだ、確か…。今は昔の「ナポリ」のスパゲッティが、復活のきざしなんだそうではある。

そんな最中、下町の居酒屋にて「ナポリタン」という〆のメニューが出されていたので注文してみた。

幼い頃に田舎の洋食屋で出されたように、ステンレス製のキッチュなプレートにフォーク、そして、ナポリ、ポテトサラダ、キャベツ、しし唐があしらわされていた。昭和の洋食屋の佇まいではあった。

フォークを口にあてがってみれば、やはりケチャップの濃い味わいが攻めてきた。だがこれこそはおいらが幼少の頃に愛でていた味わいの基本だとも云えるものだった。少し濃い目のケチャップ味と、柔らかく伸びてしまったくらいのスパゲッティーの感触とが、「ナポリタン」の基本的味わいであるのだが、その基本を今尚踏襲して提供されるメニューが存在することは慶びてあったと云う外は無い。

地元で食べた「筍焼き」は大地のアクの味がした

筍は春に大地に芽を出してその日に採られ出荷される。少し育ってしまったものは筍にはならないのであり、云わば幼生の食材だと云えるのである。そんな旬の筍を焼きのメニューで食したのだった。

春ももう後半に近づいて、筍の出荷もピークを超えたようであり、希少性も失せ、注目度も低いのだが、こんな時期こそ美味なる筍が味わえると常々期待しているところなのである。

焼く前の大きな筍を目にしていたが、実際に焼き上がって提供されたものはとても小さかった。そして幾重にも重ねられた皮は硬くて厚くてとても人間の歯では噛み切れる類のものではなかったのである。

食した部分は少なくて、でも焼き色も少々付いていて、目にも口にも愉しませてくれていた。味付け、調味のほうはと云えば特別な工夫など無く、それが却って筍本来のアクのえぐみを強く感じさせていた。これは筍の本来の味わいの一部であり、摘むことなどあってはならないと感じ取っていた。それかあらぬかこの晩春の筍には、おいらも特別な思い入れを強くしている今日なのではあった。

黄色の花弁が開いて庭のチューリップは5色の揃い咲き

ずっと蕾を閉じたままだった黄色のチューリップが花を咲かせ、庭のチューリップは5色の揃い咲きとなった。

赤と白のチューリップが初めて蕾を開いたのが、もう10日程前のことである。その後ピンク、紫、そして黄色のチューリップが花を咲かせたのだった。

狭い庭にしては似つかわないくらいに咲き誇っていたのであり、朝雨に濡れて花弁を開いている姿は凛としてとても優雅であった。

中でも最も優雅に凛として咲いていたのは紫パープル色のチューリップであったように感じた。大仰に自己主張などせずにゆったりとして群れの中腹に佇んでいた。花弁の色への特別な感情は、他のチューリップの存在を一瞬、忘れさせるほどであったと云ってよい。

今が旬の「ホタルイカ」の、刺身を食した

今時は「ホタルイカ」が旬である。ボイルされて酢味噌が和えられるメニューがほとんどであり、他には「沖着け」などがメニューに上っている。だがその他の希少メニューには「ホタルイカの刺身」なるものも有るのであり、この度はそんな絶品的メニューにあずかったのであり紹介して欲しくなりましたのだ。

今回「ホタルイカ」の語彙にてググってみたところ、刺身即ち生ホタルイカには、内臓には旋尾線虫という寄生虫が生息しているとされている。激しい下痢、腹痛があり、腸閉塞を起こす場合もあるが、たいていは腹痛が起こったり皮疹が出る程度、とのことであるが、生ホタルイカを食べると何だか寄生虫が沸くかの如くの表現ではある。

同様の事象は牛の「レバ刺し」にも当てはまるのであろう。「ホタルイカの刺身」が某寄生虫に汚染されているから市場に出してはいけない。或いは寄生虫に侵されているかもしれないので市場には出すな、等々の政治的パフォーマンスは、まるでちんどん屋の流しの芸のごとくに情けないの一言ではある。

今年も「ワラビ」が美味しい季節になったのだ

ことし初の「ワラビ」を食した。とても美味であった。

毒性が強いとか発癌性があるとか云う理由で「ワラビ」は一時期、不遇な非人気の時代を過ごしていたことがある。然れども科学的根拠の信憑度は未だ確たるものを見せてはいないようであり、今時の「ワラビ」は、美味だが毒かもしれない、食べ過ぎたら癌になるかもしれない、等々と云った巷間流布する悪しき評判と共にあると云ってよい。

旬の食材であるのにこうもマイナスイメージを背負ってしまっては、薄幸のイメージを背負ってしまった様でもある。何とかならないものであろうか…。

数多き山菜の中でもとりわけ存在感が強く、あくもまた強いのがワラビの特徴か。

少年のころ、ワラビ取りに出かけたのは母の実家の近くであった。群馬県利根郡の森の奥深くに続く歩道を歩いて行くと、寄り道するたびにワラビの群れに遭遇し、いつの間にかマイバッグの中にはワラビが充満していた。ワラビと共にゼンマイも同時期に収穫していたものではあった。

庭のチューリップは赤色系類が今朝満開

昨日の強烈な大雨で我家の庭のチューリップの成長があやぶまられたが、今朝確認したところ、庭に咲いていたチューリップは殊に赤色系類が満開であった。大雨の影響など微塵も感じさせないくらいに生き生きと茎と葉とそして花弁を満開に開花させていたのであった。そして他の種類のチューリップは満開に向かって生命の羽根を伸ばしていたというところであった。

然しながら赤色係累のチューリップにも様々な種類が存在しており、その品種を突き止めるには少々の時間と手間が要ったのである。この鮮赤のチューリップの品種は、どうやらイルデフランスという種類のものらしいということが判明した。

鮮やかさと優雅さと、そして早生の品種としての跳びっきりの活き活きしさがこのチューリップの姿を厳かに感じさせていた。春のチューリップにもそれなりの生き様が感じ取られていたのであった。

映画「ノン子38才」の舞台、寄居の「もつ煮込み」

寄居で途中下車して町内を散策していると、「金太郎」という居酒屋の看板が飛び込んできてして自然ななり行きで杯を傾けていた。そもそもこの街はと云えば、映画「ノン子36才」のロケーションの場所となっており、映画関係者の注目を浴びている。なかんずくこのおいらが訪問した「金太郎」店は駅前に2店あり、一つは焼き鳥の専門店であり、もう一方の店は七輪焼きの店であったので、おいらは迷うことなく「七輪焼き」の方の店に入って、まずはホッピーを注文。

映画「ノン子38才」の舞台としてこの街が注目されており、云わばよくある普通の小地方都市である寄居が、実は地味でありながら凄い街であるということの、人気度がアップしている。

殊に「金太郎」という居酒屋のモツ煮込みは、映画「ノン子38才」の主役女優の坂井真紀さんがとても満足したうえに、某TV番組のお取り寄せ商品にも指定して人気度もともに高まっていたのだ。

この時期の菜の花の蕾は絶品の味わい

菜の花が一面に咲き誇る風景を故郷ではよく観たが、東京の街中ではなかなかそんな勇壮な風景にお目にかかることはない。その代わりにか、菜の花の蕾が凝縮した菜の花料理に接することがしばしばある。今の時期は千葉県などの温暖地の菜の花だろうか、これから群馬をはじめ北国の花が、黄色い絨毯のような満開の花畑をかたちづくるのだろう、とそんなことを想像しながら、菜の花料理を味わっている。

菜の花料理の多くはお浸しとして提供される。中でも和辛子でピリリとさせた醤油ベースの調味料が添えられたものがスタンダードとなっている。辛味がでしゃばってはいけないが、ピリリとした辛子の刺激は、幼い生命力が満ちた蕾のお浸しには絶好の取り合わせではある。

「辛味煮込み」料理についての考現学的考察

居酒屋の定番メニュー「煮込み」について、その味付けに変化が生じていることを痛感しているのだ。甘い味付けから辛味を効かせたものへとの変化である。そもそも料理の技とは味覚を競うべきものなり。それが辛いか甘いか、そのどちらかが勝利を得ることになるならば、それがもとでのライフスタイルの変化が起こって当然である。辛いものを好むか、或いは甘い味覚を好むかということは即ち、ライフスタイルへの甚大な影響をもたらすからである。そうなってしまったときには外的なライフスタイルの変化を強制させられることを覚悟せねばならない。

そんなこんなことからして昨今の「辛味煮込み」の隆盛を捉えるならば、煮込みは確実に辛味傾向にあると云って良い。そして辛味煮込みの具材の基本はというのが、牛筋なのだ。これはまさにチゲ鍋になくてならない具材であり、コラーゲンの宝庫と云えよう。韓国料理の最も重要な具材に数えられる代物なのだ。

味噌仕立ての煮込みの具材は小腸、大腸のモツ部分が主体であるが、これから辛味系モツ煮込みが覇権を競っていくにつれて牛筋という部位の需要がいや増していくことが必至である。

今年も庭のチューリップが恥らいの紅を付けた

我が家の庭にはチューリップが植えられており、桜が散るこのころになると蕾を開かんとする。長い冬の寒さに耐えて地表に幹を伸ばし、もうすぐに開花の時を迎える。今年は昨年より数日遅かったようだが、可憐で恥らいの紅を見せていたのだ。

少し前に花を咲かせたヒヤシンスは、可憐な花びらから春の香りを振りまいていたのだが、強風にも煽られたせいだか、すぐに花びらを閉じて幹を横たえてしまった。花の命は短かけれど、とても儚く感じさせていた。

地元の花屋では何種類ものチューリップが可憐な姿を示している。庭に育ったチューリップはそれら以上に可憐でかつ華麗な姿を見せてくれるだろう。

ジュリーこと沢田研二さんの「F.A.P.P(フクシマ・アトミック・パワー・プラント)」

F.A.P.P(フクシマ・アトミック・パワー・プラント)
作詞:沢田研二 /作曲:柴山和彦


♪――――――――

太陽と放射能 冷たいね
子供はみんな校舎の中育つ
死の街は死なない かけがえのない大事なふるさと

我が家へ帰れない 希望はあるけど
こんなにしたのは誰だ

BYE BYE A.P.P BYE BYE 原発
苦しみは いつも複雑すぎる 当然
BYE BYE A.P.P BYE BYE 原発
HAPPINESS LAND 終息していない福島

地球が怒る 何度でも
大人はいつも 子供を想い悩む
死の街が愛しい あらゆる不安に苛まれても

偽善や裏切りも これ以上許すの
何を護るのだ国は

BYE BYE A.P.P BYE BYE 原発
哀しみはは ひとりひとりで違うよ 当然
BYE BYE A.P.P BYE BYE 原発
HAPPINESS LAND へこたれないで福島

NO 長崎  MORE 広島
人は何故 繰り返すのか あやまち 当然
BYE BYE A.P.P BYE BYE 原発
HAPPINESS LAND 世界が見てる福島
世界が見てる福島

♪――――――――

往年のアイドル、ジュリーこと沢田研二氏の作詞およびボーカルによる、反原発のメッセージソング。とても心を揺さぶる名曲である。

アイドル時代のジュリーを知らない若い世代にとっては、この歌も凡庸なメッセージソングの一つとしか聞こえないかもしれないが、元アイドルが時代を引き継いで、今のこの時代の歌を歌うと云うことは、格別に重大な意味が存在するように思う。時代と向き合うことの重要さを今こそ感じ取らざるを得ないとひしひしと感じている。そんなときはおそらくこれまでおいらの人生には無かったこと、なのであるから…。

プロの作詞家ではないから、詩の内容や言葉遣いには稚拙な要素が存在し、それが却ってこの曲の存在感をより印象付けている。ジュリーはまだまだ現役であり、アイドルであり、素晴らしい曲を作っていたということを記しておきたい。

新じゃが、新玉ねぎで「麻婆じゃがいも」をつくったのだ

春のこの今の季節には「新じゃがいも」「新玉ねぎ」と云った季節野菜が旬のアイテムとして八百屋やスーパーに顔を見せており、大々的なセールスの的ではある。そんな季節の食材を使って調理してみたのが「麻婆じゃがいも」である。「新じゃがいも」「新玉ねぎ」の旬が揃いぶみでとても瑞々しい味わいであった。

薄皮が故に皮をむかずにそのまま煮込むのが、この場合の正当なレシピである。それでも煮込むこと15分程度は要したであろう。柔らかくなったところでとろみ調味料の片栗粉を投入し、続けて2~3分煮込んで完成。辛味は控えめに、新じゃが、新玉ねぎの生き生きしさが味わえるメニューとなったのである。

高尾山におけるお勧めグルメ「ごま団子」と「天狗ドック」

先日は高尾山へ登山した際、けっこうな体力を消耗しており、ご当地グルメのお世話になっていたのであった。

観光リフトの山頂の「山上駅」に降り立ったすぐの展望台付近には、「天狗ドック」となる代物が大々的にアピールされていたのであり、体力と空腹解消を求めるべくごく自然な成り行きでおいらはその「天狗ドック」にかぶり付いていた。天狗の鼻のように巨大な長さ50cm近くはあるほどにはみ出したそのソーセージを齧り付いていたのであった。驚かせ系地域グルメの中でもそのインパクトは絶大であったと云って良い。

そしてもう一つの、こちらが本命的グルメであるが、「ごま団子」の滋味豊かな、しかもワイルドな味わいに、うっとりと舌と喉とを潤わせていたのだ。たっぷりと豊富な黒胡麻をすって生地に練り込まれた団子を、遠火の炭火でじっくりことことと時間をかけて焼いていく。そこにあっさり風みたらし団子的醤油味の餡をかけて提供されている。その味わいは登山客を魅了するに充分なものがあったのである。

上野で久しぶりに「どじょう鍋」を食した

帰宅困難者となっていた昨日のおいらは、上野へと向かっていた。低廉価格のホテルでチェックインを済ませると、アメ横界隈へと向かっていた。そもそも「爆弾低気圧」とも呼ぶ台風並みの暴風雨の影響で、下町上野の繁華街も閑散としていて人通りもまばらであった。ガード下の本道を逸れてある看板、即ち「八起」が目に付いたおいらはその暖簾をくぐっていたのだった。つい先日には赤羽の同名の居酒屋の名前が引っ掛かっていたこともある。

そこで偶然にも出会ったのが、麗しの「どじょう鍋」である。他で食したのとは少し違い、と云うよりもだいぶ違って、卵とじの調理法で出されていたのだった。そんな卵とは余計な食材では決して無くて、充分に旨みとマイルドさとに加えて及びの+アルファーは、エグミであった。こんなエグミこそは生命を生きさせる。生き生きとさせていくための必須の要素なのである。エグイ=生きるという方程式を忘れてはいけないのである。

馬鹿総理こと野田は、自らをどじょうになぞらえながらも、どじょうのエグミには知識が及ばないようである。こんないんちき野郎の総理大臣は早く退散してもらおう。

季節外れの春の嵐で、今日もまた帰宅難民となってしまった

本日の気象はまるで台風が襲来したかの豪雨である。

おいらもそんな豪雨に巻き込まれており、所謂「帰宅難民」となってしまった。

お気楽なTVではプロ野球ジャイアンツ戦を放映しており、台風シーズンに味わった時とはこれまた違って居たのである。

機会があれば、詳細は後日に。

アンコ椿は恋の花なのであろうか?

♪ あんこ椿は あんこ椿は
♪ あ・・・・あ すすり泣き

作詞 星野哲郎
作曲 市川昭介
唄 都はるみ

この「アンコ椿は恋の花」における「あんこ」というのは、当方方言による美女の形容詞だということであり、例えば沖縄方言の「ちゅら」という言葉に似ているのかもしれない。それはどうあれ、先日に調布市深大寺を散策した時に購入していた我が家の椿、岩根絞りの椿が、可憐な花を咲かせていたので、写真をアップしておきます。

白と紅白とのコントラストが思いの外にビューティフルであり、可憐な乙女が恋の花に身を焼き焦がれていくさまが、まさに都はるみのヒット曲のごとく可憐かつ鮮やかに浮かび上がってくるのである。

紅は紅のみでは単調な色彩であり、そこに白い色が加わることにより、云わばお邪魔虫が介入することにより、より恋模様をイメージさせていくのである。たかが紅色、されど紅色であり、そこにお邪魔に白が介入することによって、恋の色として定着するのであった。

只の紅色の「椿」。これはおいらの実家に生息していた椿の花である。