映画「ノン子38才」の舞台、寄居の「もつ煮込み」

寄居で途中下車して町内を散策していると、「金太郎」という居酒屋の看板が飛び込んできてして自然ななり行きで杯を傾けていた。そもそもこの街はと云えば、映画「ノン子36才」のロケーションの場所となっており、映画関係者の注目を浴びている。なかんずくこのおいらが訪問した「金太郎」店は駅前に2店あり、一つは焼き鳥の専門店であり、もう一方の店は七輪焼きの店であったので、おいらは迷うことなく「七輪焼き」の方の店に入って、まずはホッピーを注文。

映画「ノン子38才」の舞台としてこの街が注目されており、云わばよくある普通の小地方都市である寄居が、実は地味でありながら凄い街であるということの、人気度がアップしている。

殊に「金太郎」という居酒屋のモツ煮込みは、映画「ノン子38才」の主役女優の坂井真紀さんがとても満足したうえに、某TV番組のお取り寄せ商品にも指定して人気度もともに高まっていたのだ。

この時期の菜の花の蕾は絶品の味わい

菜の花が一面に咲き誇る風景を故郷ではよく観たが、東京の街中ではなかなかそんな勇壮な風景にお目にかかることはない。その代わりにか、菜の花の蕾が凝縮した菜の花料理に接することがしばしばある。今の時期は千葉県などの温暖地の菜の花だろうか、これから群馬をはじめ北国の花が、黄色い絨毯のような満開の花畑をかたちづくるのだろう、とそんなことを想像しながら、菜の花料理を味わっている。

菜の花料理の多くはお浸しとして提供される。中でも和辛子でピリリとさせた醤油ベースの調味料が添えられたものがスタンダードとなっている。辛味がでしゃばってはいけないが、ピリリとした辛子の刺激は、幼い生命力が満ちた蕾のお浸しには絶好の取り合わせではある。

「辛味煮込み」料理についての考現学的考察

居酒屋の定番メニュー「煮込み」について、その味付けに変化が生じていることを痛感しているのだ。甘い味付けから辛味を効かせたものへとの変化である。そもそも料理の技とは味覚を競うべきものなり。それが辛いか甘いか、そのどちらかが勝利を得ることになるならば、それがもとでのライフスタイルの変化が起こって当然である。辛いものを好むか、或いは甘い味覚を好むかということは即ち、ライフスタイルへの甚大な影響をもたらすからである。そうなってしまったときには外的なライフスタイルの変化を強制させられることを覚悟せねばならない。

そんなこんなことからして昨今の「辛味煮込み」の隆盛を捉えるならば、煮込みは確実に辛味傾向にあると云って良い。そして辛味煮込みの具材の基本はというのが、牛筋なのだ。これはまさにチゲ鍋になくてならない具材であり、コラーゲンの宝庫と云えよう。韓国料理の最も重要な具材に数えられる代物なのだ。

味噌仕立ての煮込みの具材は小腸、大腸のモツ部分が主体であるが、これから辛味系モツ煮込みが覇権を競っていくにつれて牛筋という部位の需要がいや増していくことが必至である。

今年も庭のチューリップが恥らいの紅を付けた

我が家の庭にはチューリップが植えられており、桜が散るこのころになると蕾を開かんとする。長い冬の寒さに耐えて地表に幹を伸ばし、もうすぐに開花の時を迎える。今年は昨年より数日遅かったようだが、可憐で恥らいの紅を見せていたのだ。

少し前に花を咲かせたヒヤシンスは、可憐な花びらから春の香りを振りまいていたのだが、強風にも煽られたせいだか、すぐに花びらを閉じて幹を横たえてしまった。花の命は短かけれど、とても儚く感じさせていた。

地元の花屋では何種類ものチューリップが可憐な姿を示している。庭に育ったチューリップはそれら以上に可憐でかつ華麗な姿を見せてくれるだろう。

ジュリーこと沢田研二さんの「F.A.P.P(フクシマ・アトミック・パワー・プラント)」

F.A.P.P(フクシマ・アトミック・パワー・プラント)
作詞:沢田研二 /作曲:柴山和彦


♪――――――――

太陽と放射能 冷たいね
子供はみんな校舎の中育つ
死の街は死なない かけがえのない大事なふるさと

我が家へ帰れない 希望はあるけど
こんなにしたのは誰だ

BYE BYE A.P.P BYE BYE 原発
苦しみは いつも複雑すぎる 当然
BYE BYE A.P.P BYE BYE 原発
HAPPINESS LAND 終息していない福島

地球が怒る 何度でも
大人はいつも 子供を想い悩む
死の街が愛しい あらゆる不安に苛まれても

偽善や裏切りも これ以上許すの
何を護るのだ国は

BYE BYE A.P.P BYE BYE 原発
哀しみはは ひとりひとりで違うよ 当然
BYE BYE A.P.P BYE BYE 原発
HAPPINESS LAND へこたれないで福島

NO 長崎  MORE 広島
人は何故 繰り返すのか あやまち 当然
BYE BYE A.P.P BYE BYE 原発
HAPPINESS LAND 世界が見てる福島
世界が見てる福島

♪――――――――

往年のアイドル、ジュリーこと沢田研二氏の作詞およびボーカルによる、反原発のメッセージソング。とても心を揺さぶる名曲である。

アイドル時代のジュリーを知らない若い世代にとっては、この歌も凡庸なメッセージソングの一つとしか聞こえないかもしれないが、元アイドルが時代を引き継いで、今のこの時代の歌を歌うと云うことは、格別に重大な意味が存在するように思う。時代と向き合うことの重要さを今こそ感じ取らざるを得ないとひしひしと感じている。そんなときはおそらくこれまでおいらの人生には無かったこと、なのであるから…。

プロの作詞家ではないから、詩の内容や言葉遣いには稚拙な要素が存在し、それが却ってこの曲の存在感をより印象付けている。ジュリーはまだまだ現役であり、アイドルであり、素晴らしい曲を作っていたということを記しておきたい。

新じゃが、新玉ねぎで「麻婆じゃがいも」をつくったのだ

春のこの今の季節には「新じゃがいも」「新玉ねぎ」と云った季節野菜が旬のアイテムとして八百屋やスーパーに顔を見せており、大々的なセールスの的ではある。そんな季節の食材を使って調理してみたのが「麻婆じゃがいも」である。「新じゃがいも」「新玉ねぎ」の旬が揃いぶみでとても瑞々しい味わいであった。

薄皮が故に皮をむかずにそのまま煮込むのが、この場合の正当なレシピである。それでも煮込むこと15分程度は要したであろう。柔らかくなったところでとろみ調味料の片栗粉を投入し、続けて2~3分煮込んで完成。辛味は控えめに、新じゃが、新玉ねぎの生き生きしさが味わえるメニューとなったのである。

高尾山におけるお勧めグルメ「ごま団子」と「天狗ドック」

先日は高尾山へ登山した際、けっこうな体力を消耗しており、ご当地グルメのお世話になっていたのであった。

観光リフトの山頂の「山上駅」に降り立ったすぐの展望台付近には、「天狗ドック」となる代物が大々的にアピールされていたのであり、体力と空腹解消を求めるべくごく自然な成り行きでおいらはその「天狗ドック」にかぶり付いていた。天狗の鼻のように巨大な長さ50cm近くはあるほどにはみ出したそのソーセージを齧り付いていたのであった。驚かせ系地域グルメの中でもそのインパクトは絶大であったと云って良い。

そしてもう一つの、こちらが本命的グルメであるが、「ごま団子」の滋味豊かな、しかもワイルドな味わいに、うっとりと舌と喉とを潤わせていたのだ。たっぷりと豊富な黒胡麻をすって生地に練り込まれた団子を、遠火の炭火でじっくりことことと時間をかけて焼いていく。そこにあっさり風みたらし団子的醤油味の餡をかけて提供されている。その味わいは登山客を魅了するに充分なものがあったのである。

上野で久しぶりに「どじょう鍋」を食した

帰宅困難者となっていた昨日のおいらは、上野へと向かっていた。低廉価格のホテルでチェックインを済ませると、アメ横界隈へと向かっていた。そもそも「爆弾低気圧」とも呼ぶ台風並みの暴風雨の影響で、下町上野の繁華街も閑散としていて人通りもまばらであった。ガード下の本道を逸れてある看板、即ち「八起」が目に付いたおいらはその暖簾をくぐっていたのだった。つい先日には赤羽の同名の居酒屋の名前が引っ掛かっていたこともある。

そこで偶然にも出会ったのが、麗しの「どじょう鍋」である。他で食したのとは少し違い、と云うよりもだいぶ違って、卵とじの調理法で出されていたのだった。そんな卵とは余計な食材では決して無くて、充分に旨みとマイルドさとに加えて及びの+アルファーは、エグミであった。こんなエグミこそは生命を生きさせる。生き生きとさせていくための必須の要素なのである。エグイ=生きるという方程式を忘れてはいけないのである。

馬鹿総理こと野田は、自らをどじょうになぞらえながらも、どじょうのエグミには知識が及ばないようである。こんないんちき野郎の総理大臣は早く退散してもらおう。

季節外れの春の嵐で、今日もまた帰宅難民となってしまった

本日の気象はまるで台風が襲来したかの豪雨である。

おいらもそんな豪雨に巻き込まれており、所謂「帰宅難民」となってしまった。

お気楽なTVではプロ野球ジャイアンツ戦を放映しており、台風シーズンに味わった時とはこれまた違って居たのである。

機会があれば、詳細は後日に。

アンコ椿は恋の花なのであろうか?

♪ あんこ椿は あんこ椿は
♪ あ・・・・あ すすり泣き

作詞 星野哲郎
作曲 市川昭介
唄 都はるみ

この「アンコ椿は恋の花」における「あんこ」というのは、当方方言による美女の形容詞だということであり、例えば沖縄方言の「ちゅら」という言葉に似ているのかもしれない。それはどうあれ、先日に調布市深大寺を散策した時に購入していた我が家の椿、岩根絞りの椿が、可憐な花を咲かせていたので、写真をアップしておきます。

白と紅白とのコントラストが思いの外にビューティフルであり、可憐な乙女が恋の花に身を焼き焦がれていくさまが、まさに都はるみのヒット曲のごとく可憐かつ鮮やかに浮かび上がってくるのである。

紅は紅のみでは単調な色彩であり、そこに白い色が加わることにより、云わばお邪魔虫が介入することにより、より恋模様をイメージさせていくのである。たかが紅色、されど紅色であり、そこにお邪魔に白が介入することによって、恋の色として定着するのであった。

只の紅色の「椿」。これはおいらの実家に生息していた椿の花である。

八重咲きの開花が待ち遠しい「岩根絞り」の椿

先日、調布の深大寺界隈を散策した折に「岩根絞り」と云う珍しい種類の椿に目が留まり、購入したのであった。濃紅地に白斑が大きく現れることが特徴とされており、椿の中のアウトサイダー的印象を与えている。アウトサイダー的存在はそれ自体でおいらのフェイバレット的存在でもあり、この特殊な椿の開花を、是非自宅にて目にしたくなり、遠い散歩のお持ち帰りとなった訳である。

未だ開花はせぬが、もうすぐ開花の兆候が表れている。これから八重咲きをして斑模様が特別な美しさを開花させてくれそうなのである。

八王子の老舗カレー店「インドラ」の「なすカレー」

八王子のオーナーシェフ、天野順子さんが営むインド料理店として、つまりはインド人の経営ではない日本人のインド料理専門店として地元の老舗店である。とても美味しくおいらも以前からお気に入れである。

http://www.geocities.jp/lorcachi/

久しぶりに訪れたら、チキンや野菜のカレーと云った定番メニューに加えて「なすカレー」というメニューが目に付いた。TV番組の中でも取上げられたと云うことであり、大々的にアピールされていたのであり、おいらは其れに飛びついてしまったと云う訳ではあった。

見た目は「キーマカレー」の様ではあるが、挽き肉は控えめであり、茄子が味をマイルドにさせており、瑞々しい茄子の出汁とカレーのスパイスとが相俟って、独特絶品と云える風味を醸しているのである。此れはこれでまたおいらの好物の一つとして記しておこう。ちなみにおいらの学生のときからの知己である竹中直人氏が、ユーチューブで当店について語っているので紹介しておこう。

http://youtu.be/sCLfsUYK2mM

アンチアカデミズムの巨星、吉本隆明さんが逝った(1)

今朝からずっと、吉本隆明さんが亡くなったというニュースにふれて、悲しみにくれている。

高齢ではあるがここ近年においてもなお旺盛な執筆活動を続けていたことと、今日の逝去のニュースとのギャップが中々埋まらなかったのだ。巨星が逝ったことを理解するに相当程度の時間を費やしていた。

こんなことは肉親、身内の人間以外には無かった事だし、恐らく、今後とも考え難い、とても耐え難いことがらであった。

遥か昔になるが、おいらがまだ20歳に届かない思春期の一時期に、吉本隆明さんの詩作に触れていた。

難解且つ晦渋なその詩的世界を理解しようともがきつつ、彼の思想的な著書をむさぼり読んでいた。

多分その関係性は、入れ込んでいたとか好きだったとか云った位相を凌駕しており、関係の絶対性という、吉本さんのキーワードにも繋がるような、強固な関わりがあったのだ。

おいらは所謂団塊の世代よりもずっと後に生を受けており、先輩たちの受け取り方とは異質に、吉本さんと相対していたと云えよう。最も尊敬すべきは、「思想」という代物が、舶来輸入品ではなくて確乎たる人間としての営みからのみ作り上げられるものだとして、吉本さんの思想的営為が受け入れられたということに他ならない。

思想することは生きることの同義であり、産経新聞論壇に代表されるお馬鹿な大衆保守主義や所謂戦後民主主義といった、出来合いの思潮的風潮をけち飛ばすくらいのパワーで、戦後の日本の思潮的一里塚を築き上げたのである。こんな営みを他の誰がなしえたといえよう。

晩年の吉本さんは、小沢一郎に入れ込んだり反原発を批判したりといった、おいらの考えとは異なる発言を発していたのであったが、たとえそれはなかろうぜ、といった言説に触れていても、吉本先生の思索のたまものだと受け取ることができたのである。

本日はそんな日でもあり、おいらも献杯を重ねて思考力が著しく鈍ってしまっているようであり、また日を改めて、吉本隆明先生の偉大さに触れていきたいと思うのである。

大震災復興支援がテーマの「つくることが生きること」展

東日本大震災からまる1年の今日、復興支援をテーマにした「つくることが生きること」という企画展がスタートした。

■「つくることが生きること」
東日本大震災復興支援プロジェクト展
3月11日(日)~25日 12:00~19:00
会場:アーツ千代田3331
東京都千代田区外神田6-11-14
TEL 03-6803-2441

http://2012.wawa.or.jp/

被災地にて復興に尽力する人々の等身大のメッセージを捉えた映像作品が流され、復興とアートとの密接で強靭な繋がりを意識させる視点が強調されている。

往々にしてアートや映像の限界、無力感に襲われるが、それを打ち返すのもまた、これらのたゆみなく「つくりこまれた」映像やアートの力であろうと思うのだ。

会期中は、「六ヶ所村ラプソディー」(鎌仲ひとみ監督)、「なみのおと」(濱口竜介、酒井耕監督)と云った映像作品の上映&トークイベントも予定されており、復興への力を与える一助になると期待されている。両作品の上映日(17日)はおいらは所要で足を運べないが、とても気になるイベントである。

634mの「スカイツリー」がついに完成

ついにと云うべきか、634mの「スカイツリー」が完成したというニュースを耳にして、下町界隈に向かっていた。浅草から徒歩で墨田区へと入り、次第しだいにとそのツリーの姿は巨大になっていった。

のっぽのツリーではあるが、太陽光線を斜に浴びていたり、或は反射光を浴びたりしているその姿形は、万華鏡のように多彩ではあった。

もちもち太目の「韓国ラーメン」で夜食タイムなのだ

就寝前の3時間はものを食べてはいけませんと、指導医からきつく指導されているおいらであるが、たまに禁を破って夜食に手が伸びてしまう。若い頃の夜食とは自ずと異なり、肉、ソーセージ類は使用せず、有り合せであるけれども出来るだけ多種類の野菜を煮込むことを心がけている。

そんな夜食で最近重宝しているのが「韓国ラーメン」。所謂「インスタントラーメン」であり、韓国でラーメンと云えばこの種のものを指している。生麺が普及していないというのだが、其処には「反中国」の国家的政治的意図が働いているのではないかと訝ってしまう。韓国は日本に対して以上に中国に対するそうとうの敵愾心を抱いているのかと考えさせてしまうのだ。

仮想敵を作って国内世論を引き締めようというのは中国の得意芸であるが、韓国も負けず劣らずの、国内引き締め策に余念が無いようだ。ラーメンに生麺が使用されないという食生活は、国際国家の条件にかなう訳など無く、EPAを推し進める李明博政権の実態が見て取れるのである。

真の国際化はアメリカのいいなりになり貿易自由化することなどでは決して無く、国の独自性を維持しながら、他国の良い習慣や生活アイテムを取り入れていくことが基本となるのであり、中華生麺が日本の蕎麦や饂飩と匹敵するくらいのグレイトな麺であることを認めていくことを除いては在り得ないと云って良いのである。もちもち太目の韓国ラーメンの讃歌を記そうとしていたのだったが、そんな気分もなくなってしまっていた今宵なのであった。

如何にも危なそうなダイエットサプリ「ジーザスボディ ≪Jesus Body≫」に手を出してしまった

もうかなり昔の話になるが、八王子の長崎屋デパートは潰れてその跡には「ドンキホーテ」がお出ましとなったのだった。おいらもちょくちょくとこの安売り店には足を運んでおり、激安酒やら激安家具やらと云った物を漁っているのではある。何せこのような不況の時世ともあれば少しでも安いもの安いものへと触手が伸びてしまうのも致し方なきことと思われ候。

ところで先日は、「真鍋かをりさんもこれでダイエットできた…」云々の店内アナウンスに惹かれて図らずも、ダイエットサプリ「ジーザスボディ ≪Jesus Body≫」を購入してしまった。商品の装丁デザインを見るからに、如何にも危なそうなサプリであることが匂って来るのだが、真鍋かをりさんがダイエット成功した云々の店内アナウンスの迫力にも圧倒されてしまっていた。結局は購入し、先ほどは3粒ほど口に入れていた。使用説明の「お召し上がり方」には、「1日あたり6粒から12粒を目安に水またはお湯でかまずにお召し上がりください。」とある。3粒ならばまだまだ宵の口ではある。使用説明書と違うのは、おいらが水またはお湯ではなくお酒と一緒に口にしていることであるが、結局日常的行為であるのでことの重要度からは低いと云えよう。

健康指導の女医さんのアドバイスにより、現在ダイエットに精を出しかかっているところのおいらではある。ダイエットはそこそこ進行はしているのだが、もっと過激にダイエットをしたいという欲望がこのダイエットサプリの購入、使用へと駆り立てて行ったのだった。一定のセーブは利かせつつも、ダイエットサプリの効果についてもこれからレポートして行きたいと思っているところなのだ。

「なごり雪」と呼ぶには強烈過ぎる首都の雪景色

今朝からの寒気で目が覚めた。TVでは雪のニュースで賑わっていた。TV朝日局の番組では丁度、八王子駅前で天気レポーターが立っていて、お天気兄さんによる実況中継などが放映されており、故に朝方から家を出るのが億劫になっていた。

「天候不良による倦怠感による」等々の、さしずめ女子高生風の理由を口実にして、職場を欠勤したくもなっていたくらいであった。がしかし欠勤をしたならば、後日になってどんな噂を立てられるかも知らぬのであり、それ故に、気怠い朝の一歩を踏み出していたのだった。

日本人に「水餃子」が受けない訳

中国料理系居酒屋で飲んでいた際に「水餃子」を注文していた。何時もだったら「焼餃子」なのだが、今日は気紛れの風が吹いたようにて、普段とは違うメニューを食する羽目になったのだった。

出てきたその「水餃子」は、スープにも入っていないただの茹でた餃子であって、それに葱の切身がぞんざいにかけられていたのであり、おいらは一見して残念な思いにかられてしまったのだった。やはり焼餃子にすべきだったと考えたのも後の祭りであった。

凝視してしまったところ、その「水餃子」とやらは、薄っぺらい皮に包まれたワンタンを大きくしたような代物だったのだった。ワンタンも時々は食するが、取り立てて美味いものではない。ワンタンをわざわざ注文して酒を飲むのも、ある種の不条理と云わねばなるまい。

日本の餃子は焼くのが当たり前であり、こんがりと焼き目を付けて、其れを見た目でも味わいつつ食するのだ。それに引き換え「水餃子」ときたら、薄っぺらな生地から透けて見える肉のあんのみすぼらしき様相である。この違いは決定的であると云うべきと考えていたのであった。

しかるにして全く納得できないままにして、「水餃子」メニューを後にして、中国系居酒屋を立ち去ったのであった。

ダイエットに向くかと「チャプチェ」を注文してみた

韓国料理に「チャプチェ」という料理がある。韓国風の春雨を基本に、玉葱、人参、竹の子、ほうれん草、等々の野菜と炒めて、ゴマを振り掛けるというシンプルな料理だ。味付けの多少の相違はあるが、日本や中国の料理メニューにも、同様のものが無い訳ではないが、やはりこの手のメニューの代表格は「チャプチェ」ということになる。

巷間流布され聞くところによれば、お隣の韓国という国においては、美容整形及びそれに付随するダイエットの風潮が満開の様子ではある。おいらがチャプチェを注文した某店にても「野菜たっぷり」などと、美容に良いという点が強調されていたのであり、おいらもそんな文言に惹かれてしまったことは否定できない。

今回食したチャプチェは、辛味もほどほどに抑制されていて、味付けは程よい韓国風といった塩梅だった。日本風、或いは中国風の春雨炒めとの、云わば決定的な違いというものを捉えることは、残念ながらできなかったと告白しておかねばならない。

春雨炒めというメニューであれば、或いは日本風か中国風のものの方が優れているのかもしれない。ということを本日のクエスチョンとして指摘しつつ、キーボードを置くことにする。