吉祥寺駅北口を降り徒歩1分程度の場所にある「ハーモニカ横丁」を散策しつつ、もつ焼きなどと共に「キャベツ煮込み」を味わっていた。
モツ煮込みの大鍋の中にキャベツの塊を投げ入れ、10数分したらば「キャベツ煮込み」の出来上がりである。
10数分の煮込みであるが充分に火が通っており、柔らかくしなびており、煮込み汁のエキスなども一緒に味わえたのであり満足至極の味わいであった。
近頃では俄かにマスコミへの露出が増えているのが野田佳彦首相であり、とても切迫した政局の一面が浮かび上がってくる。本日は内閣改造だという野田内閣のやりくりであるが、それに伴って「政治生命を掛けて云々」の欺瞞が益々浮かび上がっているのである。
大飯原発の再稼動における強硬姿勢が一つであり、もう一つの要点が、消費税税率アップに関する欺瞞的発言である。
予め示しておくが、おいらは消費税の税率アップに対しては反対ではなく、基本的には賛成である。その時間的な実施については様々な論が飛び交ってはいるが、小沢一郎氏の論拠には与する事はできない。だが、何でもかんでも消費税アップによって我が国の政治経済状況を好転出来る等という野田流のマスコミ戦略に対して、とても強い反対の思いを強くしている。
「政治生命を掛けて云々」と云う文言は前時代の自民党の政治家が重用していた、ある種の定番的な言辞ではある。こんな文言を、民主党代表の野田氏が放っていること自体が、政治的混乱、困惑の原因ではあり、野田氏においては、過去の経緯や政権交代以前の過去政権の責任についての不要なメッセージを放すことの無いようにと願うばかりではある。
大連立と云う自民とのいかさまに陥るべきならずということを、声は小さいがここに発しておきたい。
先日、地元の立ち飲み系居酒屋の店長から「ミノは硬すぎるのでお勧めできませんよ」という、ぶっきらぼうな言葉を投げかけられ、それ以来ずっと「ミノ」を食べる機会をうかがっていたおいらであった。
そもそもその店長には、「歯が悪いので硬い食べ物は受け付けない」とか「揚げ物類はメタボ的なので好きではない」などと、常日頃から鬱陶しい言葉を発していたのであり、その腹いせにか或いは好意的にか言葉を掛けてくれたものだと感じている。それでも折角注文しかかったメニューを拒絶されたというときは、とてもショックなる瞬間ではあった。食べたいものが食えないという立場に立たされたのだから、そんなことはおそらく数十年以上は無かったことなのではなかろうかと思いを巡らせていたのである。
そしてやっと、地元の別の店にて「ミノ」を食する機会に出くわしていた。
牛の4つあるうちの第1の胃袋である。開いた様子が蓑に似ていることから命名されたとされている。強烈な胃酸から自らを守るために強靭な壁が出来あがっているのかもしれない。
出されてきたミノは良く観察すると、細かく包丁を刻み込まれており、焼いて食べた時の食感も、そう硬いものではなかったのだ。ハモの骨切りではないが、ちゃんと噛み切れるくらいに包丁の技が光っている。これもまた世界に誇れる日本食の一つになるのだろうなという思いを抱きつつ、やはり硬さが光るミノを頬張っていのであった。
晩酌をしてい居酒屋で、隣の客の焼きそばがとても美味そうだったので、思わず知らずに同じメニューの焼きそばを注文して食べてきたのだ。ソース焼きそばで晩酌の〆もたしかにありなのだった。
ウスターソースの懐かしい香りが引き立っており美味であった。ソースと云う調味料は塩分が高くてなかなか自宅では調理しにくいのだが、外食においてはけっこう頻繁に、大胆に口にしているのかも知れず、はてな、健康と懐かしき味覚とを天秤に掛けてみたらどちらが勝つのか判らなくなってしまっていた。
しかも添えられていた紅ショウガが赤々として食欲をそそり、食品添加物まみれの紅ショウガさえもが懐かしき食材として愛で親しんで頬張ってなどしていたのである。こんなことだから生活習慣病の原因となるメタボ体質を発症させているのであるとの自覚は持つものの、少年の頃からの慣れ親しんだ食生活はいかんともしがたいものがあるのだ。
それで今宵の晩酌の〆はソース焼きそばではあるが、ブログの〆としては川柳短歌的に〆てみるのである。
メタボ的
ソース焼きそば
口にして
しょうがないかと
ショウガ頬張る
新藤兼人映画監督が100歳で逝ったというニュースが飛び込んできた。先日は49作目の監督作品映画「一枚のハガキ」の話題で注目を浴びたばかりであった。流石に体力の衰えは隠し様が無かったとみえたが、一語一語噛みしめるように発していた言葉が印象的であった。
とにもかくにも100歳まで映画制作の現場の一線で居られた監督の逝去は、大往生ということばが相応しいだろう。まことにもって天晴れであり、合掌の思いを強く感じているのである。
独立系映画プロダクションと云う、経営的にはとても厳しい状況に自らを置きつつ、新藤監督は映画の製作に尽力していた。売れてなんぼの商業映画が跋扈している日本映画界にあって、とても厳しい試練を自らに課していたのだと想像している。長いものには巻かれまい。お馬鹿な仲間はけっして作るまい。愛妻あっての映画監督。乙羽信子さん万歳三唱。…等々の思いを今は改めて強くしているのである。
実はおいらはかねてより、乙羽信子さんのファンであった。あの清楚で凛として可愛らしい風貌にはとても魅せられていたものである。「裸の島」「原爆の子」「裸の十九才」「絞殺」等々の作品は乙羽さんのリアリティ溢れる演技と共に、新藤監督の巧みな演出がプラスされてのものであることにとても感動的な思いであった。映画監督と女優との稀有なる遭遇が、これらの名作を産んだのであった。
野田佳彦が民主党代表かつ首相となって、民主党政治はまさしく第二の自民党政治そのものとなりはてている。少し前まで、鳩山由紀夫、菅直人、両氏の首相在任中当時に些かでも存在していた期待感など、いまや微塵も無い。
期待感の消失と共に在るのは失望感では在るが、失望感と云うしろもの以上に在るのは、ある種の変革的ビジョンである。
野田佳彦、小沢一郎、或いは輿石、岡田、前原、等々の政治家に関するビジョンが無い分に却って、脱民主党ビジョンが近い将来の現実的ビジョンとして浮かび上がってくる。
本日の管直人前首相の参考人聴取を経て、福島第一原発事故に関する裏舞台の詳細はほぼ明らかになったと云ってよい。官邸と東電、保安院とのギクシャクした関係が明らかになったが、其れ等も予想していたとおりである。ここにおいて関係者のコメントが集約されているのだが、「言った、言わない」の、低俗な議論を一蹴する事実が明らかにされているのだ。
そんな中でのもっとも唾棄すべき発言は、元東京電力会長の勝俣恒久によるものである。衆人環視の状況で事実が明らかになっているにも関わらず、全面撤退とは云っていない等と虚偽答弁に終始しつつ大見得をきっていた。それでことが済むとでは思っていたような節があり、当時のマスコミ論調は「東電は全面撤退とは云っていない」という邪悪な報道が踊っていた。この経緯において勝俣恒久が大きく暗躍していたことは明らかである。
先日行われた参考人聴取では、東電が「撤退」するということを云ったことは無いなどという、ふざけきったたコメントを放っている。今にしてこの発言の真意を問えば、マスコミを思うが儘にして蹂躙してきた過去の事実が浮かび上がってくるのである。
そして勝俣は「官邸がダイレクトに(福島第一原発の)吉田所長に連絡するのは好ましくない」と言ってのけたのである。
「国有化してちゃんとした経営になった企業というのは、今まで見たことがない。とんでもない勘違いをしておられる。公的資金を注入するにしても、過半数より3分の1に留めるべきで、できるだけ早く、通常の企業に戻るのが一番だ」
駄弁を遥かに超えて、ふざけた発言である。こんなことを一流企業の幹部が発言していることこそ、東電の体質の深部が窺われるというものである。
よって、元東京電力会長の勝俣恒久には引退したからそれで終わりというものではなく、厳罰を処すべきである。こうした大災害を未然に防ぐには、断乎たる処置が必要である。
空豆を焼いて食べたのだ。大ぶりのさやに大ぶりの緑色の豆がおさまっている空豆は年中食材とは云い難く、季節感を伝えてくれる。今の時期は収穫量も多く、旬の食材の一つである。
通常は茹でて味わうものだが、焼いても旨く、少々硬いが身が締まっていてかえってその野趣を味わうことができる。特に弱火でじっくり時間を掛けて焼いた空豆には頬が緩んでしまうくらいだ。
さやごと火に掛けるので焦げたさやを目の前にするとグロテスクではある。それでも手で裂いてみれば、鮮緑色のはじけるような豆の生命感を感じるのであり、そんな豆の身を見るにつけ夏近き季節の到来を実感することとなった。
子供の頃から頻繁に食べたという記憶は無く、今でもなお希少な食材であろう。我が国においても、蚕豆、四月豆、五月豆、夏豆、冬豆、雪割豆、 大和豆、雁豆、唐豆、南豆、等々と、地域それぞれにその呼び名は様々であるという。中でも一般的な「空豆」という呼び名の由来は、さやが空に向かって身を付けていることから付けられたネーミングであり、関東出身のおいらにとってはやはり「空豆」という呼称が一番しっくりくるのだ。
高円寺に途中下車して居酒屋「大将」にて一献傾けていた。
本日のお勧めメニューには「スタミナ漬け」というクエスチョン的メニューがあったので、早速注文してみたところ、出てきたのは、モツの中でもとりわけ「ハツ」の部位が主体のものが、酢漬けにされていたものであった。
有りそうで無かったような奇抜なメニューではある。コリコリとしたモツの感触が冷たい酢漬けという調理工程を経て、こうなったというのが先ずは判るというのがこのメニューの存在感ではある。
このようなメニューは云わば奇抜と云うより以前に有り得ないような類いの品ではある。それでもおいらはこの酒のつまみについては好意的な思いを抱いていた。これからの夏真っ盛りに向かう季節において、このメニューは呑兵衛には有り難いメニューとなっていくのだろうなという思いを、多大なものにしていたのではある。
5月8日は「ゴーヤの日」である。
暑さを感じる季節になった。昼間の暑さは汗が滲み出るほどであり、夏にはまだ早いが、春本番と云ったところだろうか。未だ夏には早いのだが、地元のスーパーには早くも濃緑色した「ゴーヤ(にがうり)」が棚に陳列しており、夏の到来を予感させるには充分な光景であった。
ゴーヤの表面にある濃緑色のイボイボは夏の汗を象徴するかのように強力なエネルギーを連想させるに充分であり、その独特な苦さとも相俟って、夏には欠かせない食材として定着している。主産地が我が国最南の沖縄であることも、そんな存在感を強靭に後押ししている。これから幾度となく食卓に上る食材であることは確かである。
早速購入し「ゴーヤチャンプル」を調理。沖縄料理のチャンプルの味付けとは多少違えて、鶏ガラスープとオイスターソースで中華風の味付けを付与してみた。ゴーヤと云う素材自体の存在感が強いため沖縄風との違いは些細なものだが、それでもおいら流のレシピとしてはこれがポピュラーな味付けとなっている。ちなみに卵とじにしないのもゴーヤの苦さが削がれてしまうからであり、おいら流である。
現代のベトナムでは「牛筋カレー」が主流なんだそうである。特に、飲み屋で出される牛筋カレーは、鍋で煮込んで出されて、そんなカレーにバゲットを浸しながら、ワインを飲むのがベトナム流、通の作法と云うことなのらしい。フランス流にアレンジされたベトナム流のたしなみかたなのだろう。
おいらもベトナム風を真似て、「牛筋カレー」とバゲットで一献やってみた。
牛筋は隠れ素材的に所謂出汁の素のような扱いではあった。韓国料理の牛筋の存在感とは雲泥の差があったと云えよう。ともあれ、エスニックの香り漂うベトナムカレーは、ココナッツの風味が生きていてまろやかであり、スパイスもほどほど程度に効いていて、食べやすく食欲をそそっていたのであった。暑い春の日にはスパイスの効いたカレーはなまった身体によく効くのだった。
その昔は「スパゲッティ」と云えば「ナポリタン」か「ミートソース」と決まっていたのだ、確か…。今は昔の「ナポリ」のスパゲッティが、復活のきざしなんだそうではある。
そんな最中、下町の居酒屋にて「ナポリタン」という〆のメニューが出されていたので注文してみた。
幼い頃に田舎の洋食屋で出されたように、ステンレス製のキッチュなプレートにフォーク、そして、ナポリ、ポテトサラダ、キャベツ、しし唐があしらわされていた。昭和の洋食屋の佇まいではあった。
フォークを口にあてがってみれば、やはりケチャップの濃い味わいが攻めてきた。だがこれこそはおいらが幼少の頃に愛でていた味わいの基本だとも云えるものだった。少し濃い目のケチャップ味と、柔らかく伸びてしまったくらいのスパゲッティーの感触とが、「ナポリタン」の基本的味わいであるのだが、その基本を今尚踏襲して提供されるメニューが存在することは慶びてあったと云う外は無い。
筍は春に大地に芽を出してその日に採られ出荷される。少し育ってしまったものは筍にはならないのであり、云わば幼生の食材だと云えるのである。そんな旬の筍を焼きのメニューで食したのだった。
春ももう後半に近づいて、筍の出荷もピークを超えたようであり、希少性も失せ、注目度も低いのだが、こんな時期こそ美味なる筍が味わえると常々期待しているところなのである。
焼く前の大きな筍を目にしていたが、実際に焼き上がって提供されたものはとても小さかった。そして幾重にも重ねられた皮は硬くて厚くてとても人間の歯では噛み切れる類のものではなかったのである。
食した部分は少なくて、でも焼き色も少々付いていて、目にも口にも愉しませてくれていた。味付け、調味のほうはと云えば特別な工夫など無く、それが却って筍本来のアクのえぐみを強く感じさせていた。これは筍の本来の味わいの一部であり、摘むことなどあってはならないと感じ取っていた。それかあらぬかこの晩春の筍には、おいらも特別な思い入れを強くしている今日なのではあった。
ずっと蕾を閉じたままだった黄色のチューリップが花を咲かせ、庭のチューリップは5色の揃い咲きとなった。
赤と白のチューリップが初めて蕾を開いたのが、もう10日程前のことである。その後ピンク、紫、そして黄色のチューリップが花を咲かせたのだった。
狭い庭にしては似つかわないくらいに咲き誇っていたのであり、朝雨に濡れて花弁を開いている姿は凛としてとても優雅であった。
中でも最も優雅に凛として咲いていたのは紫パープル色のチューリップであったように感じた。大仰に自己主張などせずにゆったりとして群れの中腹に佇んでいた。花弁の色への特別な感情は、他のチューリップの存在を一瞬、忘れさせるほどであったと云ってよい。
今時は「ホタルイカ」が旬である。ボイルされて酢味噌が和えられるメニューがほとんどであり、他には「沖着け」などがメニューに上っている。だがその他の希少メニューには「ホタルイカの刺身」なるものも有るのであり、この度はそんな絶品的メニューにあずかったのであり紹介して欲しくなりましたのだ。
今回「ホタルイカ」の語彙にてググってみたところ、刺身即ち生ホタルイカには、内臓には旋尾線虫という寄生虫が生息しているとされている。激しい下痢、腹痛があり、腸閉塞を起こす場合もあるが、たいていは腹痛が起こったり皮疹が出る程度、とのことであるが、生ホタルイカを食べると何だか寄生虫が沸くかの如くの表現ではある。
同様の事象は牛の「レバ刺し」にも当てはまるのであろう。「ホタルイカの刺身」が某寄生虫に汚染されているから市場に出してはいけない。或いは寄生虫に侵されているかもしれないので市場には出すな、等々の政治的パフォーマンスは、まるでちんどん屋の流しの芸のごとくに情けないの一言ではある。
ことし初の「ワラビ」を食した。とても美味であった。
毒性が強いとか発癌性があるとか云う理由で「ワラビ」は一時期、不遇な非人気の時代を過ごしていたことがある。然れども科学的根拠の信憑度は未だ確たるものを見せてはいないようであり、今時の「ワラビ」は、美味だが毒かもしれない、食べ過ぎたら癌になるかもしれない、等々と云った巷間流布する悪しき評判と共にあると云ってよい。
旬の食材であるのにこうもマイナスイメージを背負ってしまっては、薄幸のイメージを背負ってしまった様でもある。何とかならないものであろうか…。
数多き山菜の中でもとりわけ存在感が強く、あくもまた強いのがワラビの特徴か。
少年のころ、ワラビ取りに出かけたのは母の実家の近くであった。群馬県利根郡の森の奥深くに続く歩道を歩いて行くと、寄り道するたびにワラビの群れに遭遇し、いつの間にかマイバッグの中にはワラビが充満していた。ワラビと共にゼンマイも同時期に収穫していたものではあった。
昨日の強烈な大雨で我家の庭のチューリップの成長があやぶまられたが、今朝確認したところ、庭に咲いていたチューリップは殊に赤色系類が満開であった。大雨の影響など微塵も感じさせないくらいに生き生きと茎と葉とそして花弁を満開に開花させていたのであった。そして他の種類のチューリップは満開に向かって生命の羽根を伸ばしていたというところであった。
然しながら赤色係累のチューリップにも様々な種類が存在しており、その品種を突き止めるには少々の時間と手間が要ったのである。この鮮赤のチューリップの品種は、どうやらイルデフランスという種類のものらしいということが判明した。
鮮やかさと優雅さと、そして早生の品種としての跳びっきりの活き活きしさがこのチューリップの姿を厳かに感じさせていた。春のチューリップにもそれなりの生き様が感じ取られていたのであった。