御徒町の「佐原屋」が新装オープンで、新メニューに舌鼓なのだった

御徒町の「佐原屋」が新装オープンで、新メニューに舌鼓なのだった

御徒町ガード下の名店「佐原屋」は、このたび店舗改装を行ない、新装オープンを迎えたのだった。

何週間か前訪れた際には同店舗が閉まっており、よもや店を閉めたのではとの思いが去来したのだったが、そんな思いも杞憂と消えていた。

名店のアイドルの女将が入り口で挨拶してくれた。数週間ぶりの懐かしい出会いであった。

ここでは新しいメニューにも出くわしたのである。その最たるものが「御飯」であり、定番の「納豆とんぶり」をご飯にのせて、こりゃいつか夢にも見ていたような晩酌のつまみにもありつけていた。「とんぶり納豆御飯」がそれであった。

■佐原屋本店
東京都台東区上野5-27-5

暑い日に見た目も味も食欲をそそる「胡麻坦々麺」

昼の昼食時は暑い中に在り、食欲不振に陥ること多し。そんなときは兎に角街中を散歩してランチメニューを調査して回る。

ふと見かけた「胡麻坦々麺」の看板メニューにそそられて注文してみたところ、胡麻たっぷりピリリと辛味の尖った、しかも見た目もオレンジと黒胡麻の斑スープが麗しい逸品に出くわしたのだった。

元々は中国西安等の寒い地域が発祥のメニューであり、身体がほかほかにさせる効用が、一種の薬膳メニューともされるのだが、近頃では暑い夏にこそいける。汗をかきながら食べると身体の芯からリフレッシュさせてくれる。

辛さで暑い夏を乗り越えるのは決して易しい取り組みではなく、だからこそ舌に合うピリ辛メニューに出合うとそれだけで嬉しく感じるのであろう。

高田渡さんも愛した吉祥寺「いせや公園店」の灯がまた消えていく

吉祥寺の焼き鳥の名店「いせや公園店」の店舗が、今月6月末を限りに取り壊されるという。あと数日と云う期限を間際に、消え行く名店を訪れていたのであった。

ところがどっこい、この取り壊しのニュースを知ってか知らずか、店の前には数十人の行列が出来ていた。本日は給料日の2日過ぎであるが、花の金曜日でも無ければそれ以外に特別な暦ではない。それが行列の賑わいであることに先ずは吃驚したのである。

細かなことは省くが結局本日は、いせやの焼き鳥は味わうことなく同店を去っていた。これで最後の別れかとも感じてジーンとする思いでもあった。

取り壊しのあとには近代的な鉄骨立てのビルが出来て、いせや公園店も再開するのではあろう。然しながら、これまでの公園店の風情が消え失せることは間違いない事実ではある。木造のいせや名店の風情は、今後は復活することは無いのである。

「無線LAN」設定で我家のネット環境は変わるだろうか?

我家もやっと「無線LAN」環境を獲得した。先日購入していた「無線LANルーター」の設定を、本日ようやく終えることが出来たのだった。

これで自宅のデスクトップパソコンを始め、ノートパソコン、iPhone、そしてマックPCが、どこでもインターネット接続可能となった。

ネットワークに関する知識はほとんど無き素人であり、ましてや無線接続などちんぷんかんぷんだったが、何とか設定に漕ぎ着けていた。

明日からはこれまでと違ったネット利用が可能になるかもしれないと、些かの期待を抱いているところであった。

宮古市「浄土ヶ浜」の絶景についての考察

昨日はトラブル続きの東北新幹線内の作業にてアップできなかった、宮古市内「浄土ヶ浜」の絶景をアップしておきます。

訪れたのは一昨日の午後3時ごろであった。雲は素早く流れていき、それに伴い島々への光さす風景は常に変化していたのであった。光景の変化はすなわち此処「浄土ヶ浜」の魅力でもあり、時間時間で刻々と変化する光景に見惚れていたのである。

此れこそは圧倒的な自然の営為に基づく風景(ビジョン)なのである。数多の芸術作品がその全てを人間個人の営みに負っていることを考えれば、大いなる自然の描いた絶景的風景は、人間の営為を軽々と越えていると云ってもよいかもしれない。それくらいに圧倒的な光景に遭遇していたのだった。

マグロは1番では無いが確かに美味い、ただし赤身に限るのだが

マグロはおいらことカツオの天敵ではあるが、確かに美味なり。

体長からして巨大であり、おいらことカツオはマグロの存在に怯えていると云ってもよい。

だが然しながら、俊敏性や活動力、等々においてはカツオのほうが勝っている。

マグロの特長はと云えば、ずんぐりむっくりの大洋航海のイメージ様が先ずもって浮かび上がる。

大洋を我物顔に泳いでいる姿である。こんな悠揚せまらぬ泳ぎの風情はマグロならではのものではある。大海を泳いで主役の有様なのだ。

サッカー日豪戦、実質的に勝っていた試合がドロー

サッカーアジア予選の日豪戦。ひょんなことからサッカーファンが大勢集う酒的交流場での観戦となっていた。サッカー日豪戦、実質的に勝っていた試合がドロー。とても後味が悪い印象の試合となってしまった。

実質的に勝っていたはずの試合が、審判の不可解な判定によるPKと、その結果としての同点弾の被弾。まさかのドローではあった。

アウェーでの試合ではドローもまた意義のある結果かもしれないが、それにしても勝てた試合であるのを審判のミスジャッジで駄目にされたのだ。納得いかないのは当然である。アウェーでのハンディなのか? 否、サッカー後進国のハンディーなのか?

精進料理的メニューの「湯葉刺し」に舌鼓み

痛風発作中のおいらであるが、散歩がてらに居酒屋にて一献は止められなかった。

それでもつまみの種類には気を配った。特に肉類のものはすべて(おそらくは)拒否しつつ、「湯葉刺し」に舌鼓みを打っていたのだ。

数多ある精進料理メニューの中でも特別な存在感を持っている。インパクトが大でありながら、痛風持ちの人間にも優しいという稀有なメニューではあった。

夏といえば冷やしそうめん

夏の暦に伴い、食生活、食の好みが否が応でも変化しつつある。熱いものやカロリーの高いもの、脂っこいものには食指が動かない。逆に冷たいもの、低カロリー食を求めてしまう。そんな時期での「冷やしそうめん」に舌鼓を打った。

吉祥寺「ハーモニカ横丁」で食べた「キャベツ煮込み」

吉祥寺駅北口を降り徒歩1分程度の場所にある「ハーモニカ横丁」を散策しつつ、もつ焼きなどと共に「キャベツ煮込み」を味わっていた。

モツ煮込みの大鍋の中にキャベツの塊を投げ入れ、10数分したらば「キャベツ煮込み」の出来上がりである。

10数分の煮込みであるが充分に火が通っており、柔らかくしなびており、煮込み汁のエキスなども一緒に味わえたのであり満足至極の味わいであった。

野田佳彦どじょう政局と「政治生命を掛けて云々」の欺瞞

近頃では俄かにマスコミへの露出が増えているのが野田佳彦首相であり、とても切迫した政局の一面が浮かび上がってくる。本日は内閣改造だという野田内閣のやりくりであるが、それに伴って「政治生命を掛けて云々」の欺瞞が益々浮かび上がっているのである。

大飯原発の再稼動における強硬姿勢が一つであり、もう一つの要点が、消費税税率アップに関する欺瞞的発言である。

予め示しておくが、おいらは消費税の税率アップに対しては反対ではなく、基本的には賛成である。その時間的な実施については様々な論が飛び交ってはいるが、小沢一郎氏の論拠には与する事はできない。だが、何でもかんでも消費税アップによって我が国の政治経済状況を好転出来る等という野田流のマスコミ戦略に対して、とても強い反対の思いを強くしている。

「政治生命を掛けて云々」と云う文言は前時代の自民党の政治家が重用していた、ある種の定番的な言辞ではある。こんな文言を、民主党代表の野田氏が放っていること自体が、政治的混乱、困惑の原因ではあり、野田氏においては、過去の経緯や政権交代以前の過去政権の責任についての不要なメッセージを放すことの無いようにと願うばかりではある。

大連立と云う自民とのいかさまに陥るべきならずということを、声は小さいがここに発しておきたい。

とても硬い「ミノ」のもつ焼きを食べた

先日、地元の立ち飲み系居酒屋の店長から「ミノは硬すぎるのでお勧めできませんよ」という、ぶっきらぼうな言葉を投げかけられ、それ以来ずっと「ミノ」を食べる機会をうかがっていたおいらであった。

そもそもその店長には、「歯が悪いので硬い食べ物は受け付けない」とか「揚げ物類はメタボ的なので好きではない」などと、常日頃から鬱陶しい言葉を発していたのであり、その腹いせにか或いは好意的にか言葉を掛けてくれたものだと感じている。それでも折角注文しかかったメニューを拒絶されたというときは、とてもショックなる瞬間ではあった。食べたいものが食えないという立場に立たされたのだから、そんなことはおそらく数十年以上は無かったことなのではなかろうかと思いを巡らせていたのである。

そしてやっと、地元の別の店にて「ミノ」を食する機会に出くわしていた。

牛の4つあるうちの第1の胃袋である。開いた様子が蓑に似ていることから命名されたとされている。強烈な胃酸から自らを守るために強靭な壁が出来あがっているのかもしれない。

出されてきたミノは良く観察すると、細かく包丁を刻み込まれており、焼いて食べた時の食感も、そう硬いものではなかったのだ。ハモの骨切りではないが、ちゃんと噛み切れるくらいに包丁の技が光っている。これもまた世界に誇れる日本食の一つになるのだろうなという思いを抱きつつ、やはり硬さが光るミノを頬張っていのであった。

時期外れに出会ったゼンマイの胡麻和え

山菜と云えば「わらび」と「ゼンマイ」が代表的である。そして山菜は春の初めに生えるのが季節の訪れを感じさせるのだが、今回のゼンマイはと云えば確かに季節的にずれている。それでも瑞々しく美味しかったのであり、満足したのだった。

調理法としては胡麻和えの味付けが施されている。すり胡麻の香りがにおってくるくらいに多くの胡麻が目の中に浮かび上がってくる。

メタボ的 ソース焼きそば 口にして

晩酌をしてい居酒屋で、隣の客の焼きそばがとても美味そうだったので、思わず知らずに同じメニューの焼きそばを注文して食べてきたのだ。ソース焼きそばで晩酌の〆もたしかにありなのだった。

ウスターソースの懐かしい香りが引き立っており美味であった。ソースと云う調味料は塩分が高くてなかなか自宅では調理しにくいのだが、外食においてはけっこう頻繁に、大胆に口にしているのかも知れず、はてな、健康と懐かしき味覚とを天秤に掛けてみたらどちらが勝つのか判らなくなってしまっていた。

しかも添えられていた紅ショウガが赤々として食欲をそそり、食品添加物まみれの紅ショウガさえもが懐かしき食材として愛で親しんで頬張ってなどしていたのである。こんなことだから生活習慣病の原因となるメタボ体質を発症させているのであるとの自覚は持つものの、少年の頃からの慣れ親しんだ食生活はいかんともしがたいものがあるのだ。

それで今宵の晩酌の〆はソース焼きそばではあるが、ブログの〆としては川柳短歌的に〆てみるのである。

メタボ的
ソース焼きそば
口にして
しょうがないかと
ショウガ頬張る

新藤兼人映画監督逝去の報に触れ、天晴&合掌

新藤兼人映画監督が100歳で逝ったというニュースが飛び込んできた。先日は49作目の監督作品映画「一枚のハガキ」の話題で注目を浴びたばかりであった。流石に体力の衰えは隠し様が無かったとみえたが、一語一語噛みしめるように発していた言葉が印象的であった。

とにもかくにも100歳まで映画制作の現場の一線で居られた監督の逝去は、大往生ということばが相応しいだろう。まことにもって天晴れであり、合掌の思いを強く感じているのである。

独立系映画プロダクションと云う、経営的にはとても厳しい状況に自らを置きつつ、新藤監督は映画の製作に尽力していた。売れてなんぼの商業映画が跋扈している日本映画界にあって、とても厳しい試練を自らに課していたのだと想像している。長いものには巻かれまい。お馬鹿な仲間はけっして作るまい。愛妻あっての映画監督。乙羽信子さん万歳三唱。…等々の思いを今は改めて強くしているのである。

実はおいらはかねてより、乙羽信子さんのファンであった。あの清楚で凛として可愛らしい風貌にはとても魅せられていたものである。「裸の島」「原爆の子」「裸の十九才」「絞殺」等々の作品は乙羽さんのリアリティ溢れる演技と共に、新藤監督の巧みな演出がプラスされてのものであることにとても感動的な思いであった。映画監督と女優との稀有なる遭遇が、これらの名作を産んだのであった。

民主党、野田佳彦&小沢一郎による茶番政局の行方(1)

野田佳彦が民主党代表かつ首相となって、民主党政治はまさしく第二の自民党政治そのものとなりはてている。少し前まで、鳩山由紀夫、菅直人、両氏の首相在任中当時に些かでも存在していた期待感など、いまや微塵も無い。

期待感の消失と共に在るのは失望感では在るが、失望感と云うしろもの以上に在るのは、ある種の変革的ビジョンである。

野田佳彦、小沢一郎、或いは輿石、岡田、前原、等々の政治家に関するビジョンが無い分に却って、脱民主党ビジョンが近い将来の現実的ビジョンとして浮かび上がってくる。

元東京電力会長、勝俣恒久の罪

本日の管直人前首相の参考人聴取を経て、福島第一原発事故に関する裏舞台の詳細はほぼ明らかになったと云ってよい。官邸と東電、保安院とのギクシャクした関係が明らかになったが、其れ等も予想していたとおりである。ここにおいて関係者のコメントが集約されているのだが、「言った、言わない」の、低俗な議論を一蹴する事実が明らかにされているのだ。

そんな中でのもっとも唾棄すべき発言は、元東京電力会長の勝俣恒久によるものである。衆人環視の状況で事実が明らかになっているにも関わらず、全面撤退とは云っていない等と虚偽答弁に終始しつつ大見得をきっていた。それでことが済むとでは思っていたような節があり、当時のマスコミ論調は「東電は全面撤退とは云っていない」という邪悪な報道が踊っていた。この経緯において勝俣恒久が大きく暗躍していたことは明らかである。

先日行われた参考人聴取では、東電が「撤退」するということを云ったことは無いなどという、ふざけきったたコメントを放っている。今にしてこの発言の真意を問えば、マスコミを思うが儘にして蹂躙してきた過去の事実が浮かび上がってくるのである。

そして勝俣は「官邸がダイレクトに(福島第一原発の)吉田所長に連絡するのは好ましくない」と言ってのけたのである。

「国有化してちゃんとした経営になった企業というのは、今まで見たことがない。とんでもない勘違いをしておられる。公的資金を注入するにしても、過半数より3分の1に留めるべきで、できるだけ早く、通常の企業に戻るのが一番だ」

駄弁を遥かに超えて、ふざけた発言である。こんなことを一流企業の幹部が発言していることこそ、東電の体質の深部が窺われるというものである。

よって、元東京電力会長の勝俣恒久には引退したからそれで終わりというものではなく、厳罰を処すべきである。こうした大災害を未然に防ぐには、断乎たる処置が必要である。

今年も「皐月(さつき)」の花が見頃となった

5月上旬に赤々と咲いていた花は「皐月」ではなく「躑躅(つつじ)」であった。とても似ているが少し違う。「皐月(さつき)」のほうが花弁が硬く色も鮮やかである。5月の後半になってこの時期にやっと咲くのが「皐月(さつき)」である。時期的には5月の花と云うイメージではない。一般的に6月が旬である。

今年も都内の生け垣やその他の緑地、鉢植えにはこの「皐月(さつき)」が見頃となっている。1年のほとんどを緑色の衣装で過ごしながら、「皐月(さつき)」はこの時期の開花を今か今かと待っており、いっせいに咲き誇ろうとしているかのようである。

改めて感じるのは「いわし刺身」の有り難さ

東京へと戻り日常の生活がスタートしているのだが、何時もの居酒屋の注文は「いわし刺し」であった。

青魚の原点とも云うべき豊富なEPA、DHAが含まれており、成人病(生活習慣病)予防には必須の食材なのである。

刺身として提供される生魚は高騰の気配だが、こと「いわし」に関してはそのような動きは無くて安定しているので、いつも普段も値段の事など気にせず注文できるのである。

青光りとも称すべき光輝くいわしの光明は、呑兵衛のみならず生活習慣病予備軍の人々に対して相当なる光明となって一段と光輝くはずである。

「弱い魚」などと蔑んでいる人はまだこの鰯の凄さを知らないのだというべきなのである。