今年も「ヤモリ」が我が家に住み着いた

今年も夏になるころから「ヤモリ」を見かけるようになった。主には窓ガラスの外からそのシルエットをのぞかせている。その独特な吸盤やらコケティッシュな仕草やらにて、とても愛嬌を振り撒いている。おいらも愛玩動物にしたいくらいに好きな生物のひとつなのだ。

4本の足の指には吸盤が備わっているので、壁や木の高いところまでするすると素早い行動が特徴的である。ハエや蜘蛛などの小動物を餌にして活発に動き回るのがこの季節のようだ。

もともと人間の生息範囲とヤモリのそれとは、特別な区分があった訳ではなく、人間や小動物のすむ所が生息範囲なのだ。

古より日本には、「ヤモリが家にいる間は、その家には悪いことがおきない」という言い伝えがある。この言葉を信じてヤモリとは良き隣人として生活していきたいと思うのである。

吉本隆明さんに教わった「無言」という存在の重要性

吉本隆明さんに教わってきたことは多々あれども、その最も大きなことは、「無言」という現象への理解であったように思う。
「無言」とは「無意思」や「無思想」ではないことは明らかである。言葉にならない意思を込めて「無言」が存在するのである。ためにする議論等が蔓延っている現在社会において、敢て「無言」を貫く意味やその重要性を教えてくれているのである。

吉本隆明さんに教わってきたことは多々あれども、その最も大きなことは、「無言」という現象への理解であったように思う。

「無言」とは「無意思」や「無思想」ではないことは明らかである。言葉にならない意思を込めて「無言」が存在するのである。ためにする議論等が蔓延っている現在社会において、敢て「無言」を貫く意味やその重要性を教えてくれているのである。

夏野菜大盛りでオムレツをつくった

夏が本番ともなれば、夏野菜を主役にして料理に励まないといけない。そういうことは定理に近いことなのであり、今年もまた来たかなの風情なのである。

先ずは夏野菜の獅子唐辛子、パプリカ、茄子等の夏野菜を準備し、それを細かく刻んで、具の材料とした。卵を割って、そこに用意した夏の具材をいれて、用意する。

大盛りの夏野菜に対しては少々少ないくらいの卵を割って、夏野菜に絡めて、玉子焼きにした。途中で皿に取り出して反転させたのであり、その上下の焦げの様子は適度な仕様に仕上がっていた。

土用の丑の日の「うなぎ」は、立ち飲み屋にて食することとなった

本日は土用の丑の日なのであり、朝からつまりは起きて間もない時から、「うなぎ」を食べる算段を企んでいたのであった。

かつてこの日には、静岡県三島市内の専門店にて、鰻重のふくいくとして濃厚な味わいの鰻に食することができていた。過去の記憶でありそれ以上の意味合いは皆無なのではあるが、当日の鮮明な記憶に抗うことなど出来ずに記述しているのである。

されとて本日の鰻ではある。下町の鰻専門店やら、それ以外での鰻の常設、常提供的店舗を眺めてきつついたのではある。そして結局は、立ち飲み店のに辿り着いていたという訳なのである。

旬の時期の「枝豆」の恵みは甚大なり

某酒場にて「枝豆」を食した。何時でも食べられるメニューかと誤解されている向きもあるが、事実は旬のもの以外は冷凍保存されて出てきた代物であり、その豆のつややら張りやら、毛深さやら、更には栄養度やらにおいて、かなりの低下傾向を認めてしまう。つまりは旬の時期の「枝豆」以外は「枝豆」を名乗る資格は無いと云ってしまおう。

改めて「枝豆」の基本を述べると、世界の穀物市場にて超メジャー級の「大豆」の青春期の青刈りした青豆だということになる。成長して熟する大豆の前の云わば将来性を区切って、青刈りするのであるからして、カロリーやら栄養素やらとは別個の存在感が示されているのである。

この時期に青い豆をひたすら求める呑兵衛たちの行状には、暑い時期のホットな願望が憑依しているように見えてならない。つまりは、世の中の呑兵衛たちの願望を示すかのようにして、青々とした枝豆が呑兵衛たちの喉を潤している。目で見て青々とした枝豆の姿形は、夏の風物詩としての姿に相応しいのだと云えよう。

かけ蕎麦の定番「かき揚げ」を酒のつまみで食した

「かき揚げ」というメニューはおいらの好きな定番メニューであり、殊に温かい蕎麦こと「かけ蕎麦」に無くてはならない。世間一般的には「かき揚げ蕎麦」と呼ぶのだが、特に朝食にはこのメニューが欠かせないのである。

という訳なのであるが、ふとした気紛れにて、夜のいきつけの酒場にて「かき揚げ」を注文してみた。何時もの蕎麦のトッピングの代物よりは色とりどりであり、カラー的仕様といった印象哉。玉葱を基本にして、人参、ピーマン、等々の豊富な野菜の具があつられていたのであり、あまり夏の旬の食材が無かったことが不満ではあったが、それでも噛みこむにつれて食感とともに、野菜のうま味が口腔内を充満していた。


ついでにと云ってはなんだが、先日は別の酒場にて食したかき揚げメニューの「赤海老のかき揚げ」をアップしておきます。こちらも美味いことは確かだが、今回のかき揚げの味わいやインパクトには欠けていたのである。

飛騨特産の「赤かぶ漬」を東京で見かけると無性に食べたくなる

飛騨地方に旅した際に、特産の「赤かぶ漬」を食して以来、同漬物のファンになっているおいらである。飛騨特産の地域食であるから、岐阜県の飛騨地方でしか食べられないものと思っていたところ、都内の居酒屋メニューにそれを発見。早速思わず知らず的に注文していたのだった。

材料となっているのは、飛騨紅丸かぶという、根っ子や皮部分が赤いかぶの一品種だ。カットすれば中身は白く、飛騨南部の開田村付近で古くから伝えられてきた赤かぶだという。これを天然の塩で付け込むと、中身までが赤く染まってくるという。伝統的な食文化と天然の配合とが融合して存在しているという逸品なのだ。

上野の立ち飲み「カドクラ」の繁盛には理由がある…たぶん

立ち飲み店は近頃は都内の様々な場所に存在している。新宿、渋谷、上野然り。そんな中でも上野の「カドクラ」は特別な1店であると云えよう。

何処よりも繁盛している。歩道を隔てた近くには、同じ立ち飲み店のライバル「たきおか」をその人気度にて圧倒している。常に立ち飲みのテーブルが埋まっている店など、ほかに見つけようにも見付け難いくらいだ。

同店のメニューにも工夫があり、先ずはタモリがTV番組で絶賛したという「ハムカツ」だが、薄いハムを重ねてこんがり揚げるという工夫がある。立ち飲み店の主流メニューは揚げ物だが、この店の揚げ物には一工夫以上のプラスがあって、呑兵衛を引き付けているのだ。

煮こごりは魚のものだけではなく、モツにも「モツ煮こごり」があった

下町の居酒屋にて「煮こごり」というメニューを目にし、早速注文したところ、何時もの煮こごりとは風体が違うのであった。

何時もはゲル化したゼラチン質の中には魚の切れ端が混ざっていたはずのものだが、この度の煮こごりの中から透けて見えていたのは、モツの切れ端である。成程哉。魚ばかりではなくモツの醸し出した脂からもまた煮こごりが出来るのだなと、合点していたのだ。

魚の繊細な脂身のゼラチン質を凝集してつくられるものと比較してみれば、大雑把な印象が強く残ってしまう。まるで科学実験などして作られたような風情ではあり、のほほんと口に運んでいくわけにはいかないものがある。

猛暑の夏日には「シャリキンホッピー」が有難い

連日の猛暑日である。こんな日の夕飯は、冷たいホッピーをぐいっといきたいところである。

じつはぐいっと冷たいホッピーを味わうには、「シャリキンホッピー」という手があったのである。先日はそんな猛暑の折に、「シャリキンホッピー」にありつくことができたのだった。

シャキシャキのカキ氷の中身はといえば全くの焼酎であり、焼酎のカキ氷かきごおりというのが正確な表現である。

中野区内の某居酒屋店にて味わった「シャリキンホッピー」は、猛暑に打ちのめされていたおいらの体からハートから、とても癒してくれたことは間違いなくて、またその後の帰宅の道すがらにおいては、先験的な唱導的なことを行ってくれていた。

もはや酔っ払ってしまっては関係ないのかも知れないが、酔っ払い親父の悪しき行いとやらを大目に見てくれるような作用がホッピーのなかんずく「シャリキン」には存在するのかも知れぬと思いつつ、しとどに酔っ払って帰路に就く自分があったのである。

猛暑にはまだ早いこの季節、都会の「向日葵(ひまわり)」に遭遇した

未だ夏本番にはちと早い。そんな時期、季節にて、都会の路上で「向日葵(ひまわり)」に遭遇したのだった。

名は体を表すということなのであろう。「日に向かう葵」と云う名称に恥らわずに南の一方向を向いていた。

都会の中心地は今日はとても暑かったのであり、猛暑と云ってもよい位なのではあった。そして、都会の向日葵の奏でていた曲はまさしく、とても好きな楽曲であった。

見た目は「レバ刺し」だが、味はすっきり爽快の似非レバ刺し「レバコン」を食した

レバーの生食すなわち「レバ刺し」の提供が法律で禁止されて以来、モツ部位の単価が下がっている。牛レバーだけではなく、他のモツ部位に関しても同様である。漠然と危ないからという理由で、科学的根拠も薄弱な理由にて追放された「レバ刺し」は、関係者や愛好者たちを落胆せしめている。

特別な愛好家でもないおいらではあるが、それでも科学的根拠の薄いレバ刺し追放の流れには抵抗を感じる。そもそも「レバ刺し」とは戦後数十年来食べ続けられてきた大衆的料理の一種なのであり、時の為政者たちにより強制的に排除されてよいものではない。

そんな状況下にて人気を博しているのが「レバコン」すなわちレバーのような外見をまとったこんにゃく食材なのである。

まるで見た目は「レバ刺し」そのものである。カウンターで調理している光景を眺めていたときのおいらは、禁断のレバ刺しを提供しているのだと、涎の雫を垂らしかけたのが早合点だったのであり、それに気付くのも久しく新規人気メニューの「レバコン」を注文していたのだった。

出てきたレバーもどきを噛んだ印象は、まるでレバーではなかった。蒟蒻の爽やかな味わいが口腔に広がっていた。生姜、大蒜、そして胡麻油の定番的味付けを施して口に運べば、たぶん酔っ払った後ではこれが似非レバーであることは判別し難いであろうと感じ取っていた。

すっきり爽快の味わいの「レバコン」は、同居酒屋にてとても人気メニューではあった。これからその人気がどこまで続くのやら。とても興味が尽きないのである。

この時期の「もろきゅう」のもろみ味噌には感動する

夏野菜の代表格の一つがきゅうり哉。瑞々しい生のままで食しても、それ自体で充分美味しいのではある。それにもまして美味しくするのが、もろみ味噌だ。

「もろきゅう」というメニューで提供されるのが、きゅうりにもろみ味噌を添えたもの。一般的な味噌以上にきゅうりの味覚を高めてくれる。

一見したところは味噌の一種にも見えるが、じつはこれが、醤油の醸造過程においてつくられるものだという。麦・大豆・米などとそれらの麹を原料にしてつくられる。味噌よりもあっさりしている分、夏のきゅうりには良く似合うのかもしれない。

丑の日には少々早いのだが「鰻の蒲焼」を食した

大衆食堂の鰻ではあり、鰻の名店が提供するものとは味が貧困ではあるが、それでも鰻丼、鰻の蒲焼の基本が踏襲されていることがみてとれており、安心して食することとなっていた。

たれの味はやはり甘めであり、これが王道なのではあろう。辛党がいくら辛味のたれを主張していたところで、鰻料理には適合しないことは明らかなのである。やはり伝統料理の伝統的味付け、料理法に対しては、数歩以上に引いて譲歩しなくてはいけない。

スマホをソフトバンクからドコモに替えてみたのだ

これまで使っていたスマートフォン、ソフトバンクの愛用機種こと「iPhone4」を、ドコモの機種に替えてみたのだった。

変更へと導いた最大の要因は、ソフトバンクの電波が地方の郊外地である田舎ではつながらなかったことである。大都市圏、中都市圏においての使い勝手はとても良好であり不満は無いのだが、こと地方に赴いた時には難儀の連続なのであった。

新規購入したのは「ARROWS X LTE」という機種。ドコモの「Xi」システムに対応しているという「NEXT」系の最新機種の1台ではあった。

ソニーやシャープ社製の機種は人気が高いと見えて、予約受付であったのであり、すぐに購入できる国産の機種に選択したということになる。もっと良い機種があっただろうに、待つのが辛いの選択なのではあった。

新機種は恐らくプラスチック素材を主材料としており、これまでの「iPhone4」と比較してとても軽く感じられたのであり、携帯性はアップしているのであろう。決して悪くは無い。

明日から多少のモバイルスタイルが変わっていくのであり、それはまた刺激的な事柄なのではある。

「原発なんて要らない」という言葉を、いまこそ云わねばならない

遅ればせながら云う「原発なんて要らない」という言葉を。毎週金曜日には、首相官邸前にて、「脱原発」「再稼動反対」の抗議デモで埋め尽くされるという。おいらも「脱原発」「再稼動反対」の思いは一緒であり、抗議デモに参加したい思いは山々なのであるが、中々仕事の関係にて足を運ぶことが出来ないままでる。デモに参加している人たちへの連帯の気持ちを込めて、遅ればせながら「脱原発」「再稼動反対」の声を表明しておきたい。

野田内閣が発足して以来、原発推進への流れが加速しており、福島原発事故への反省、検証への声は一挙に押しつぶられようとしている。こんなことがあってはならないのであり、日本国のまっとうなる市民であるならば「脱原発」「再稼動反対」の声を挙げるべきである。

お馬鹿な大衆翼賛的保守メディアは、此処に来て尚、原発推進の動きを強めているようであり、こういった下劣的メディアに乗っかって原発推進を標榜するかの馬鹿野郎たちには問題の本質を早く理解、把握してほしいと願うばかりである。

思い掛けなく出合った下町浅草の「鯨の赤肉刺し」に舌鼓なのであった

上の写真は牛肉ではなく鯨肉である。

鯨肉というものは希少品であり、千葉県房総半島南端の一部地域でしか食べられないものだとばかり考えていたが、某下町の居酒屋にて食することが出来たのであり、ここに報告しておきます。

予め断っておくが、専門店が浅草に在ることは知り得ていたが、其処とは別の店ではある。其の店は決して高級店ではなく、メインストリートの路地を入った処にある普通の店構えの店舗であった。

注文して出てきたのは(上の写真参照)、見るからに赤身肉の相貌をたたえており、まるで高級牛肉の赤身かとも惑うくらいである。鯨肉は哺乳類の肉類に分類されるのであるからして、その相貌が牛肉に類似したとしても驚くには当らないのだが、それでも一等品の肉質であることが見て取れたのである。

夏の野菜の茄子を食するに「ナスの素揚げ」はうってつけ

いよいよ夏本番であり、夏野菜としての「茄子」料理が昨今、とても注目されているのである。

茄子の炭火焼きはお勧めであり、シンプルな夏野菜を味わうにはもっとも適切であろう。其れに続くシンプルな茄子料理として「茄子の素揚げ」が挙げられるのだ。

本日はそんな茄子の素揚げを食したのであり、夏の到来を味わうことが出来た。

揚げ物自体はおいらはあまり好きではなくして苦手である。おいらに限らずおそらく体脂肪を気にするメタボ人種にとっては、共通の認識であると思う。

だが茄子の素揚げ料理に関しては、その体脂肪率に及ぼす影響は小さく、そもそも茄子と植物油との相性はすこぶるよろしいのである。表面にピンと張った油面が茄子自体の美味さを倍増させている。

此れからの時期に「冷やし麺」「冷やし蕎麦」「冷やし冷麺」「冷やし饂飩」「冷やしソーメン」等々には茄子の素揚げはベストなトッピングなのである。

シンプルかつ夏の代表的料理としての「茄子の素揚げ」は、今後は注目されるメニューとなっていくに違いない。

名脇役で散歩の達人こと地井武男さんの想い出

地井武男さんが主演した追悼TV番組「大崎郁三の事件散歩」(テレビ朝日)を見ている。テレビ朝日の案内によれば遺作となった主演新作と云うことだ。元刑事で、刑事事件に首を突っ込んで謎解きをする、地味だが中々味のある主人公の設定である。

名脇役が主役を張って、これだけ味わい深いドラマが成り立つのだから、ただのバイプレーヤーで無いことは確かである。

ところでおいらにとって、地井さんに関する最も想い出深い作品は、「放課後」という映画作品であった。

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主演を栗田ひろみ嬢が演じており、地井さんを誘惑するというコケティッシュな役割に胸時めかせていたのであり、その当時栗田嬢のファンであったおいらはと云えば、その相手役としての地井武男には嫉妬心さえ抱いていたといえるだろう。

彼はいい男、もてる男の象徴として映っていたのであり、それくらいに存在感ある役者ではあった。

人気番組「ちい散歩」で見る姿は、まさに元気はつらつを地で行くようであり、こんなに元気だった彼が逝ってしまった事をリアルに信じることが出来ないままなのである。

胸深く残る想い出に感謝を込めて、合掌。