復旧復興のシンボルになるだろうの「JR八戸線」に乗車

八戸からJR八戸線に乗って久慈へと向かった。JR八戸線といえば、東日本大震災で埋没し、全面ストップとなっていた路線である。昨年のこのころに旅したときには八戸から鮫駅までの限定的開通であった。其の時の鮫駅周辺はといえば未だ津波の甚大な被害を色濃く残していた。特に八戸港周辺の住居等の建物は其のほとんどが津波の餌食となり、地域の根幹を無くしてしまっていた。津波の猛威に潰されたのは、例えば、ガソリンスタンド店舗であり、漁業関係者のコミュニケーション広場であり、八戸市民との交流の広場であった。これらの修羅場的スポットを巡りつつ、おいらは言葉を失っていたといえるのだろう。

そして再度の乗車となったわけである。2時間あまりの乗車時間のほとんどは、山間谷間を突き進むばかりではあったが、其の中で瞬間的にも写り行く稀有なる光景の其れあれという光景を、おいらはキャッチしていきたいと希っていた。

そんなことからおいらは、穏やかな東海岸の風景を先ずはキャッチしていた。これまでは通常の電車による通過的事象でしかなかったことが、これだけに重大な意味と重みとを担っているのだから、おいらもしゃきっとしていたことは間違いない。これからは、特に南北リアス線をウォッチして近いいつか乗車したいと思う。

古き床しき軽米町の風景

東北新幹線が青森まで伸びて高速化が進んだ反面で、軽米町を取り巻く交通事情は不便となっている。少し前までは盛岡から高速道を使っての高速直行便こと高速バス「ウインディ号」は廃止されてしまって、軽米インターの降車場から町まで、てくてくと歩かねばならない。かつて久慈行き何度も利用した久慈行きのバス便も今は無い。陸中大野というバス停まで行って乗り換えねばならないのであり、そこで待たされる時間を思えば何だか億劫になることこのうえないのだ。

あり余る時間をとにかく歩き回った。東北も猛暑のまっ只中と見え、汗が滲み出している。まるで蒸し風呂の中にいるようだ。後からチェックしたら「16283歩」という堂々の1位のステップ数を記録したのだ。歩くということが日常生活の中での最も大切な健康法であることを再認識したのである。

軽米には古くて床しき景色が残されており、そんな風景に接すると、なんともいえない満たされた気持ちで一杯になる。宿をチェックアウトして、定期バスに乗車するまでの4時間あまりを散策して過ごすことになった訳であるが、古くて懐かしい土地の有難さに満たされていたのだ。

岩手県軽米町のアマランサス畑に見惚れていた

東北への旅に出掛けている。夕刻前には岩手県の軽米町に到着。この町は亡くなった妻の出身地であり、心の故郷である。懐かしい町なかを散策していると、いつもの事だが季節の花々が四季の顔でもって迎えてくれた。丘を登っていると目にしたのは赤々として重量感あるアマランサスの畑であった。この地は「雑穀」の故郷としても有名であり、もう少ししたら収穫のときを迎える。もうすでに刈り取りも始まっている畑もあるという。

軽米のアマランサスは「アマランサスうどん」として商品化もされており、おいらもときに触れてこの地のアマランサスを食してきた。濃赤色のその鶏のトサカにも似た姿から、「ケイトウ(鶏頭)」という名前がある。南米由来の穀物という説があり、さらには軽米町にて江戸時代から栽培されていたという記録もあり、その優れた栄養価等から「仙人穀(センニンコク)」とも呼ばれている。アマランサスは精白米に比べても、カルシウム約30倍、鉄分約50倍、繊維質約8倍を含んだ、いま注目の高栄養価穀物である。

上杉隆氏による「新聞・テレビはなぜ平気で『ウソ』をつくのか」(2)

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同書においてかなりのスペースを割いているくだりが、鉢呂吉雄元経済産業大臣が、福島の原発事故現場を視察して後に、マスゴミによっての不条理な中傷を受けて辞任に追い込まれたという件についてである。

彼は述べている。

―――以下引用
私はこれまで、既存メアンフェアであると指摘し続けてきたが、この一件はアンフェアどころか、犯罪行為ですらあると言っても差し支えないと思う。完全なデマを流し、選挙で選ばれた政治家の地位と社会的身分を剥奪したのだから。
―――引用終了

西荻窪「焼とりよね田」の巨大な「つくね目玉焼き乗せ」

久しぶりに西荻窪の「焼とりよね田」に立ち寄った。同店の名物「つくね目玉焼き乗せ」は、その巨大さもさることながら、時々食べたくなる逸品である。

鶏肉の身と軟骨とを砕いて巨大な肉団子をつくって其れを炭火で焼いていく。団子は一つであり、食べ応えは極まりなく、そのジューシーな肉汁には頬が落ちちてしまうくらいである。

■焼とりよね田
東京都杉並区西荻南3-11-10

牛モツ、牛スジ、ハチノスの3点取り盛り揃えの「牛モツ煮込み」

通常「モツ煮込み」と云ったら、牛の小腸の部類のモツを煮込んで出されている。蒟蒻、牛蒡、大根、人参、等々の野菜は貴重な脇役としてその役割を果たしている。だがモツの煮込み系料理と云えば、「牛筋煮込み」「ハチノス煮込み」「豚モツ煮込み」等々の種類があるのであり、一概に「煮込みは牛の小腸を煮込んだ料理」と断定するのは間違いがある。

牛筋煮込みも、ハチノス煮込みも、或いは豚モツの煮込みも、それぞれに味わい深さが存するのであり、どれが一番秀逸かと云うことは決めかねるものではあるのだ。おいらの個人的な酒肴で、おっとっとと趣向で述べれば「牛筋煮込み」に一票を投じたいくらいに好みなのだが、然れども「牛モツ煮込み」「豚モツ煮込み」「ハチノス煮込み」が無くて済ませられるかと問われれば、否と答えるしかないのではある。

そんなこんなことを考えていたところへ、目に飛び込んできたメニューが、牛モツ、牛スジ、ハチノスの3点盛り揃えの3点盛りの「牛モツ煮込み」であった。

メニュー表を読めば、たしか牛の3種類の部署のモツが丁寧に煮込まれているとのことである。反射的に注文していたものではあった。3種類の盛り揃えとは最初は邪道かなという印象を強くしていたのだが、口にひと口含ませてみれば、これが想像以上に満足のいく味わいだったのではあった。刷り込まれた思いこそが邪道なのだと合点していた次第哉候。

今回もまた明らかとなった東京電力の隠蔽体質には呆れるしかない

東電擁護を発する馬鹿げた一部の馬鹿市民の声を背景にしてなのか、東京電力はここにきて、福島第1原発事故当時の映像を公開した。

然しながら肝心の音声が抜けていて、真実の究明には程遠い内容のお粗末極まりないものであることが明らかとなっている。

この東電からの映像の公開を受けて、菅直人前総理は、「音声どこかにあるはず」というコメントを発表している。

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20120806-00000984-fnn-pol

まさに「マスゴミ」のレッテルが相応しいのがフジ産経メディアである。こんなフジ産経メディアからの不条理極まりない相当なパッシングにあった菅直人さんによる、素直なメッセージなのであり、この音声を公開せずに、菅直人悪者説を報じ続けるマスゴミの邪悪な意図とも繋がっていると見るしかないのである。

現実として見る限り此処までも報道機関は汚猥糞尿の類いにまみれてしまっており、糞尿の垂れ流しを続けているというのが実態なのである。

不条理を垂れ流すのは「マスゴミ」ばかりではない。一部のお馬鹿極まる日本国民市民によっても増長されるのであるからして彼らの犯罪性に対しても論じていくべきである時代なのであろう。

赤羽「まるます家」の鯉のあらいと鯉こく

母が入院している見舞いで上州に帰省していた帰りに、赤羽で途中下車して「まるます家」に立ち寄った。鰻と鯉が名物の大衆居酒屋であり、入場するのに待たされるのがしばしばで、本日も5分程度は待った後の一杯ではあった。鰻は今年も何度か食べていたので、まずは「鯉のあらい」を注文。やはりそのピンクの張りのある艶やかな見目が食欲をそそったのだった。2品目は「鯉こく」こと鯉の味噌汁を注文。これもまた田舎味噌の風味が効いていて美味であった。お腹も一杯でそしてお酒も多少は注ぎ足していたのではあり、帰りの中央線ではうとうとと最寄駅を乗り越して高尾駅まで行っていてしまったのだった。う~む、若いときとは違うのであり気をつけねばならない。美味い酒と肴とは身を滅ぼしかねないのだということを思った次第なのではある。

Android版、ドコモ的スマホの使い心地(2)歩数計で健康管理

Android版、ドコモ的スマホの使い心地レポートの第2弾である。

初期設定にてインストールされていた使う気もないアプリの数々を、数日かけて削除したのではあるが、なお削除できないアプリがかなりある。そのうちの一つが「歩数計」である。メインアプリの一つと見えてなかなか削除が出来ないのであるが、そんなことから使い始めていると、次第にこのアプリの意味合いが判然としてきており、日々の健康管理に役立てている。

ちなみに本日のステップ数はここまで8533歩であるという。東京都下多摩地区の郊外から都心に出て行くだけでステップ数は多くを刻んでいると見え、おいらの予想をはるかに超えて、おいらは都内をステップしているらしいことが判明したのだ。

新しいスマホを購入して以来、何日かは1万歩を超えている。想像以上の運動量であると感じている。

Android版、ドコモ的スマホの使い心地(1)

ドコモのスマートフォンに乗り換えてから、一ヶ月弱が過ぎた。使い始めた当初は、想定外のバッテリーの消耗をはじめとして、お節介極まりないひつじのメール、頼んでもいないのに働き続けるアプリの数々にはとことん辟易していた。ひつじからのメッセージやアプリの働き具合は玉石混交にあると思うが、とにかくお節介なアプローチが去来し鬱陶しくてならなかったのである。

mimiさんによる適切な指南もあり、おいらは新しく購入したAndroid版、ドコモ的スマホの設定をとことんいじくり出していた。その概要は下記のとおり。

その1 使わないアプリはすべて削除(アンインストール)しようとしていた。だが削除できない基本的アプリは未だ大量に残ってあるのが現実だ。

その2 GPSやBrootoothなどのオプション的な基本的設定はすべて解除した。

上記の設定変更により、当初はバッテリーが1日ももたなかった状況は、1日+αくらいは長めに延長されている。余計なメールやバイブレーションによる告知も影を潜めているようだ。

今年も「ヤモリ」が我が家に住み着いた

今年も夏になるころから「ヤモリ」を見かけるようになった。主には窓ガラスの外からそのシルエットをのぞかせている。その独特な吸盤やらコケティッシュな仕草やらにて、とても愛嬌を振り撒いている。おいらも愛玩動物にしたいくらいに好きな生物のひとつなのだ。

4本の足の指には吸盤が備わっているので、壁や木の高いところまでするすると素早い行動が特徴的である。ハエや蜘蛛などの小動物を餌にして活発に動き回るのがこの季節のようだ。

もともと人間の生息範囲とヤモリのそれとは、特別な区分があった訳ではなく、人間や小動物のすむ所が生息範囲なのだ。

古より日本には、「ヤモリが家にいる間は、その家には悪いことがおきない」という言い伝えがある。この言葉を信じてヤモリとは良き隣人として生活していきたいと思うのである。

吉本隆明さんに教わった「無言」という存在の重要性

吉本隆明さんに教わってきたことは多々あれども、その最も大きなことは、「無言」という現象への理解であったように思う。
「無言」とは「無意思」や「無思想」ではないことは明らかである。言葉にならない意思を込めて「無言」が存在するのである。ためにする議論等が蔓延っている現在社会において、敢て「無言」を貫く意味やその重要性を教えてくれているのである。

吉本隆明さんに教わってきたことは多々あれども、その最も大きなことは、「無言」という現象への理解であったように思う。

「無言」とは「無意思」や「無思想」ではないことは明らかである。言葉にならない意思を込めて「無言」が存在するのである。ためにする議論等が蔓延っている現在社会において、敢て「無言」を貫く意味やその重要性を教えてくれているのである。

夏野菜大盛りでオムレツをつくった

夏が本番ともなれば、夏野菜を主役にして料理に励まないといけない。そういうことは定理に近いことなのであり、今年もまた来たかなの風情なのである。

先ずは夏野菜の獅子唐辛子、パプリカ、茄子等の夏野菜を準備し、それを細かく刻んで、具の材料とした。卵を割って、そこに用意した夏の具材をいれて、用意する。

大盛りの夏野菜に対しては少々少ないくらいの卵を割って、夏野菜に絡めて、玉子焼きにした。途中で皿に取り出して反転させたのであり、その上下の焦げの様子は適度な仕様に仕上がっていた。

土用の丑の日の「うなぎ」は、立ち飲み屋にて食することとなった

本日は土用の丑の日なのであり、朝からつまりは起きて間もない時から、「うなぎ」を食べる算段を企んでいたのであった。

かつてこの日には、静岡県三島市内の専門店にて、鰻重のふくいくとして濃厚な味わいの鰻に食することができていた。過去の記憶でありそれ以上の意味合いは皆無なのではあるが、当日の鮮明な記憶に抗うことなど出来ずに記述しているのである。

されとて本日の鰻ではある。下町の鰻専門店やら、それ以外での鰻の常設、常提供的店舗を眺めてきつついたのではある。そして結局は、立ち飲み店のに辿り着いていたという訳なのである。

旬の時期の「枝豆」の恵みは甚大なり

某酒場にて「枝豆」を食した。何時でも食べられるメニューかと誤解されている向きもあるが、事実は旬のもの以外は冷凍保存されて出てきた代物であり、その豆のつややら張りやら、毛深さやら、更には栄養度やらにおいて、かなりの低下傾向を認めてしまう。つまりは旬の時期の「枝豆」以外は「枝豆」を名乗る資格は無いと云ってしまおう。

改めて「枝豆」の基本を述べると、世界の穀物市場にて超メジャー級の「大豆」の青春期の青刈りした青豆だということになる。成長して熟する大豆の前の云わば将来性を区切って、青刈りするのであるからして、カロリーやら栄養素やらとは別個の存在感が示されているのである。

この時期に青い豆をひたすら求める呑兵衛たちの行状には、暑い時期のホットな願望が憑依しているように見えてならない。つまりは、世の中の呑兵衛たちの願望を示すかのようにして、青々とした枝豆が呑兵衛たちの喉を潤している。目で見て青々とした枝豆の姿形は、夏の風物詩としての姿に相応しいのだと云えよう。

かけ蕎麦の定番「かき揚げ」を酒のつまみで食した

「かき揚げ」というメニューはおいらの好きな定番メニューであり、殊に温かい蕎麦こと「かけ蕎麦」に無くてはならない。世間一般的には「かき揚げ蕎麦」と呼ぶのだが、特に朝食にはこのメニューが欠かせないのである。

という訳なのであるが、ふとした気紛れにて、夜のいきつけの酒場にて「かき揚げ」を注文してみた。何時もの蕎麦のトッピングの代物よりは色とりどりであり、カラー的仕様といった印象哉。玉葱を基本にして、人参、ピーマン、等々の豊富な野菜の具があつられていたのであり、あまり夏の旬の食材が無かったことが不満ではあったが、それでも噛みこむにつれて食感とともに、野菜のうま味が口腔内を充満していた。


ついでにと云ってはなんだが、先日は別の酒場にて食したかき揚げメニューの「赤海老のかき揚げ」をアップしておきます。こちらも美味いことは確かだが、今回のかき揚げの味わいやインパクトには欠けていたのである。

飛騨特産の「赤かぶ漬」を東京で見かけると無性に食べたくなる

飛騨地方に旅した際に、特産の「赤かぶ漬」を食して以来、同漬物のファンになっているおいらである。飛騨特産の地域食であるから、岐阜県の飛騨地方でしか食べられないものと思っていたところ、都内の居酒屋メニューにそれを発見。早速思わず知らず的に注文していたのだった。

材料となっているのは、飛騨紅丸かぶという、根っ子や皮部分が赤いかぶの一品種だ。カットすれば中身は白く、飛騨南部の開田村付近で古くから伝えられてきた赤かぶだという。これを天然の塩で付け込むと、中身までが赤く染まってくるという。伝統的な食文化と天然の配合とが融合して存在しているという逸品なのだ。

上野の立ち飲み「カドクラ」の繁盛には理由がある…たぶん

立ち飲み店は近頃は都内の様々な場所に存在している。新宿、渋谷、上野然り。そんな中でも上野の「カドクラ」は特別な1店であると云えよう。

何処よりも繁盛している。歩道を隔てた近くには、同じ立ち飲み店のライバル「たきおか」をその人気度にて圧倒している。常に立ち飲みのテーブルが埋まっている店など、ほかに見つけようにも見付け難いくらいだ。

同店のメニューにも工夫があり、先ずはタモリがTV番組で絶賛したという「ハムカツ」だが、薄いハムを重ねてこんがり揚げるという工夫がある。立ち飲み店の主流メニューは揚げ物だが、この店の揚げ物には一工夫以上のプラスがあって、呑兵衛を引き付けているのだ。

煮こごりは魚のものだけではなく、モツにも「モツ煮こごり」があった

下町の居酒屋にて「煮こごり」というメニューを目にし、早速注文したところ、何時もの煮こごりとは風体が違うのであった。

何時もはゲル化したゼラチン質の中には魚の切れ端が混ざっていたはずのものだが、この度の煮こごりの中から透けて見えていたのは、モツの切れ端である。成程哉。魚ばかりではなくモツの醸し出した脂からもまた煮こごりが出来るのだなと、合点していたのだ。

魚の繊細な脂身のゼラチン質を凝集してつくられるものと比較してみれば、大雑把な印象が強く残ってしまう。まるで科学実験などして作られたような風情ではあり、のほほんと口に運んでいくわけにはいかないものがある。