ハマグリより小ぶり、アサリより大きくて、身が締まった「ビノス貝」を食した

代表的な二枚貝と云えばハマグリやアサリであるが、ハマグリに似て大きな二枚貝で身が大きな「ビノス貝」を食した。

この名の由来が「ビーナス」から来ているというのであり、見た目の優雅さにも成程と思わせるものがある。

欧米県の中でも特にアメリカではポピュラーな二枚貝の代表である。ハマグリを小降りにしたようで、食感もハマグリを凝縮したように噛み応えも味わいも充分なものがある。

アサリの漁場関係者からは、余計な邪魔者だとして邪険にもされたようである。だがこの身もまた味わい深いものだと知られては、よそ者扱いなどできないのである。

実はこの貝は「成長貝」と呼ばれてもあり、大きくなるとハマグリを追い抜いて10cm以上にも達するというのだ。ハマグリを小さくしたものだとかアサリの邪魔者だとか云った安易な評価は相応しくないのだ。

今年もまた「戻りカツオ」の旨い味わいに出会わしたのだ

今年も戻りカツオが美味しい季節となった。春から夏にかけて北方オホーツク近くの海を漫遊したカツオたちがたっぷりと栄養を蓄えて、日本近海の海へと戻っている。その鮮やか鮮烈な赤みにピンクの刺しが入ったような様は、独特のカツオの脂の乗り方を映している。

脂が乗っても決してくどくなく、かといって白身魚のような自己主張の薄くて他の食材に頼りがちな食味等とも、明らかな一線を画して、カツオ本来の持つ味わいである。そんな戻りカツオに出会ったおいらは、今年もラッキーであったと云えよう。

強烈な海洋魚としての一仕事を終えて、逆に南下のルートを選択させるのだから、それはカツオの生態という現象を超えた自然界の摂理が働いているはずである。

北上してのち南下するというユーターンルートを辿ってみると、黒潮の流れに押されるように北上したカツオたちが北海道沖の海水が冷えて南下に切り替わるポイントに、もっとも想像力を刺激される。潮の流れに逆らって南下のルートを選択する海の猛者たち。彼らはきっと、勝ち誇った道を捨てつつ帰るべき故郷を探す旅に出たのではないかと想像するのだ。

あぶったイカこと「剣先するめ」を頬張りつつ、しみじみの一献

「剣先するめ」というメニューを注文して待つこと十数分間。おいらは焼き場の炭火の上に乗せられたするめが体を捻っていくその姿に見惚れていた。

思わず知らずに「舟歌」の歌詞を口ずさんでいた。嫌いな演歌歌手の八代亜紀の姿までもを脳裏に浮かべており、大変に迂闊な所業であったと思う次第だ。

演歌は好きではないが、時と場所と+αにて、途轍もなく深い心情を仮託させるものとなっていくのであり、まさに八代亜紀の「舟歌」こそはその最たるものだと云えよう。かくまでに演歌が、其のメロディーと共に染み込んでいたのは驚きであり、演歌恐るべしなのである。


お酒はぬるめの 燗がいい
肴はあぶった イカでいい
女は無口な ひとがいい
灯りはぼんやり ともりゃいい
しみじみ飲めば しみじみと
想い出だけが 行き過ぎる
涙がポロリと こぼれたら
歌いだすのさ 舟唄を

この日のおいらはぬるめのお燗を憧れつつも、燗に手を付けることはなかった。燗に手を付けたが最後、自宅に戻ることなど不能となって飲んだくれてしまいそうであり、その場を凌ぐのが、いわゆるひとつのおいらの理性の発現であると思われた。それくらいに演歌の世界に引き込まれていた。

一夜干以上に干されたイカの身はからからと、見た目は薄っぺらかったのだが、一口二口と口に含めるにつれ、その奥深い味わいにうっとりとしている。イカの身は横に繊維が走っており、ここが頗る見事なのだが、その繊維にそって手でさばいて取り分けることが出来る。丁寧に取り分けたイカの身を口に頬張るのだが、唾液がイカに絡まるまでには多少の時間が要するので、すぐに飲み込んだりすることは出来ない。それがかえって、あぶりイカの奥深い味わいを、味わい抜く技を提供しているとさえ思えてきた。

石原伸晃の「福島第一サティアン」発言が意味するもの

自民党の総裁選挙に立候補して以来、にわかにマスコミへの露出が増え脚光を浴びている。ニュースステーションはじめ、数多のTV番組への出演において、軽薄の発言を繰り返している。

そんな中で論難の的となっているのが、「福島第一サティアン」発言に関するあれこれである。

http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp3-20120914-1016643.html

曰く、東京電力福島第1原発事故で汚染された土壌の保管先に関し、「福島原発第1“サティアン”しかない」と、オウム真理教の関連用語に例えたのだった。

おいらはこれまで特別に石原伸晃をウォッチしてきた訳ではないが、この男の失言癖は生来的なものと思われる。「北方領土」と「尖閣列島」とをごちゃまぜにした発言は某TVでの生番組にて目にしたが、まるで小中学生が大切なキーワードを取り違えてしまって、周囲の番組関係者が慌てて取り繕うといった光景が垣間見られていた。これに類する事柄は枚挙にいとまがないものだと思われるのだ。

石原伸晃によるそれらの間違いを、単なる思い違い、考え違いだと判断するのは間違っている。「福島第一原発」を「福島第一サティアン」と取り違えたのは、普段日常的にこうした比喩を口にしていることが先ずは推測が可能とされる。ごく身内の仲間同士の発言に手はいつもこの比喩が口にされていたという推測である。

そしてマスコミにおいてもむ同様の発言が2度以上にわたって繰り返されたことは、前述した推測の根拠を補強するに充分なものではある。

「庶民」「市民」と称される日本国民の大多数を見下して、石原伸晃という男は政治活動を日々履行していると云ってよい。こんな男が日本の最高権力者となった暁には、これまでにない災難が日本国民の上に覆いかぶさってくるだろうことは容易に想像可能なのであるからにして、支持していない他党の出来事としては決して見過ごすわけにはいかないのである。

野田佳彦の再選必定という民主党代表戦のあほらしさ

民主党の代表戦が告示されているが、日本国民としての観客として対応するならば、これほど興醒めな戦は無いと云って良い。

思い込みばかりが強く、即ちそれは野田という凡々野郎の自己満足を満たすばかり的政局を、これからも続けるのかという、あまりにも無残な希望をぐじゃぐじゃにする思いに漠然とするばかりである。

些少なりとも希望を抱かせたのが、数日前における民主党ずいいつのイケメン政治家こと細野豪志氏の野心に対するものであった。すべからく我が国の政治家(政治屋)たちは日本国総理大臣を目指すのであるからして、凡々野田の後塵を拝することなど潔くせずに、野心を発揮してほしかった。だがそんな観客の希望も、ぐじゃぐじゃと瓦解されることとなってしまった。

これにて野田の再選が決定的な規定路線となってしまった。対立候補の原口一博などは、反TPP等々、口先三寸では真っ当なことを述べてはいるが、かつて小沢の傀儡政権に乗っかろうとしてうごめいていた輩としては、誰も信用する人間、政治家には値しない。他の候補たちはまるで知名度も落ちた泡沫候補ではある。

「ほぼ朝だけダイエット」で、半年間で約5kgのダイエットを達成

おいら自身のダイエットの記録である。

翻って確認すると、本年の2月の某日から、自らのダイエットに励んでいたおいらである。某健康指導医の女医さんに「3ヶ月で3キロ体重を落としましょう」と云われて、1ヶ月に1kg程度を目安にダイエットを行なってきた。3ヶ月で目標の3kgのダイエットを達成し、その後も2kgの減量に成功しているという訳である。

ダイエット法は百花繚乱ではあるが、基本的には、以下の3点に集約されるだろう。

1食物の量を減らし、摂取カロリーを控える。
2運動量を増やす。
3代謝的な身体作り。

この中での「1」のポイントに焦点を当てたのが風本真吾ドクターが提唱する「朝だけダイエット」である。

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「先ずは、朝食を抜きましょう」と云い、それで一般的な朝食のカロリー量の400キロカロリーを減らすことが出来るというのが基本的な論拠となっている。朝食をとればダイエットにも効果的、等々と云う世間一般の常識とは一線を隠した、掟破りのダイエット法だという印象もある。

然しながらおいらはこのダイエット法を一部的に取り入れて、実際にダイエットに成功した。記すならば、「ほぼ朝だけダイエット」の実践であった。

平成の明智光秀こと石原伸晃が最高権力者になるのか(1)

政治家という職種の人間はほど知らずに権力欲に長けているとようであり、ことに総裁選、代表戦といった類の、数年に一度のメジャー級合戦に臨むときこそその本領をあらわにするものだと見える。

自民党の石原伸晃などは其の典型とも云え、父親譲りの奇異なレトリックを駆使しつつ、虎視眈々と最高権力の奪取には余念が無い。自民党の「ポスト谷垣」の座がすなわち我が国の最高権力者の座に直結するわけであるから、その言動にはのっぴきならないものを感じさせている。

現自民党執行部のNo.2の座に座っていながら、よほど座り心地が悪かったのであろう、一番の親分こと谷垣総裁に対し「谷垣さんのためにやってきた訳ではない」と、反旗を翻して立候補表明を行なった。それが原因の一角だろう、谷垣が立候補断念を示したことで、石原伸晃への評価が渦巻いているのだが、特に副総裁が述べたとされる「平成の明智光秀のようだ」というコメントが、火の燃料を注いでいた訳であり、一定の定番的評価として浸透している。

石原伸晃という政治家を積極的に評価しようという国民は、たぶんごく少数であろうが、それでもなお石原陣営は勢いがあり、自民党総裁選の本命と目されるほどになっている。自民党の総裁選びが石原支持に働く、石原伸晃支持に収斂するのであれば、知見のある多くの国民ははなはだ惨めな立場に立たされることになる。

出汁を充分吸って味の染み入った「黒おでん」

静岡ではポピュラーなのが「黒おでん」。黒い出汁でおでん種をじっくり煮込んで、たっぷりと味を染み込ませている。

黒いのは「黒はんぺん」のみならず「大根煮」も充分に黒いのだ。

黒い出汁の基本は、牛筋からとっているので、コクがあり且つコラーゲンも豊かに息づいているのであり、東京でもしばしば見かけるようになってきている。ローカルな地域グルメがいよいよ全国区の予感なのだ。

細野豪志の民主党代表選出馬は、悪くない選択だ

民主党の代表選挙に所謂イケメン政治家こと細野豪志氏の出馬がとりざたされている。最低の野田の後任であれば誰でもましだ、誰でも良いだろう、等々という退廃的な気分を払拭する契機に成り得る。他にポスト野田の真っ当な戦略を描き得ない民主党の選択としては、悪くは無い戦略ではある。

何よりもまずは、駄目総理の野田再選の芽は早めに摘み取っていくことが肝心なのだ。

次の選挙では、民主党が第一党から退き自民党が比較第一党を得ることがほぼ必定と云われる状況の中で、細野豪志がはたしてどのような戦略をとるかについても関心は継続されていく。ここで野田的大連立のストッパーとなっていくことは細野豪志にとっては最も重要なスタンスなのである。

メニューには「抹茶サワー」とあったが実は「青汁サワー」という味のお酒に酔っている

久しぶりにJR中央線「阿佐ヶ谷」駅に降りてぶらぶらとガード下を散策していた。ちょっと右に逸れて横丁に入ったところで懐かしい赤提灯の姿につられて一献傾けていた。

豚系の串焼きや黒おでんなどが売りの大衆居酒屋であって、まずは当たりの予感ではある。注文した串焼きや黒おでんなどは旨かったが、レモンサワーやその他の酒類がいまいち。ちなみに今時の首都圏居酒屋にて「ホッビー」がメニューに無いというのも腑に落ちないのではあり、果たして此処は当たりなのか外れなのか? 些か心ふるえる展開となっていたのだ。

そんな状況にて目にしたのが、隣の人々がこぞって注文していた青緑色した焼酎割り。メニュー表には「抹茶サワー」とあったが、飲んでみればやはりと云うのか、「青汁サワー」という味のお酒であったのである。

もっと深い味わいを期待していたときの気分からは拍子抜けだが、決して不味くはなかったし、健康にも良さそうではあり、青緑のお酒に舌鼓をして帰ってきたという今宵なのではある。

おいら流の「断捨離」を実施中(1)

思うところあって、おいら私的私流の「断捨離」を実施しようとしているところだ。

通常、今日の日本において、この様な所業を「断捨離」と呼んでいるようではある。そんな慣わしが一般化しているのであり、おいらもそんな風潮に乗っかろうなどという思いはまったく無かったのだがそれにしてもとても抵抗感が強くあった。

何となればこの我が国における「断捨離」ブームを巻き起こした某女性が、よく判らない商売を行っているからではある。もともとは仏教禅宗の教義からの教えである「断捨離」が、まるで我が国における商的キーワードのごとくに流通している。こんなことは断じて看過すべきではないことを、敢て記しておきたいと思っていた。

先ずは蔵書の整理から始めていた。それほど多くない蔵書を選別していくうちに、手にしていくべきではない書物の輪郭が、何となく浮かび上がっていた。先ずは「図書館にある書物は手におかない」、そして「アマゾンで入手できるものは持つべきではない」¨。

等々の思いを巡らせつつ、おいらの蔵書は時間とともに減っていく毎日なのではある。

琥珀色した浅草神谷バーの「電気ブラン」

浅草の名店「神谷バー」にて電気ブランを飲んだ。独特な琥珀色した佇まいにまずは魅了された。

昔々に新宿ゴールデン街にて飲んだ電気ブランで悪酔いしてしまったことがあった。基本はブランデーベースだというがゴールデン街のそれは違っていた。飲み方が悪かったのかもしれないという思いをずっと抱いていた。

浅草「神谷バー」の「電気ブラン」は、アルコール度30%という程の強さを感じさせぬにとてもまろやかであったのであり、添えて出された氷水の助けを借りることもなかった。

夏バテ防止の昼食には「沖縄チャンプルそば」がお勧め

昨日に引き続き、沖縄チャンプル料理の話題をひとつ。

昼のころにふと沖縄専門店に立ち寄ったらば「チャンプルそば」というメニューに出くわしたのでした。昨日の話題に引き続き沖縄パワーがおいら近辺にて充満していることを、充分に納得させる状況ではある。

ゴーヤをはじめとする夏野菜を充分に炒めてから沖縄のそば(ソーキそば)の上にかけて提出される。ソーキそばの上にゴーヤチャンプルの具が乗ったというかたち、格好となっている。

野菜がどっさりと沢山乗っていて、一目見ると長崎の「ちゃんぽん」を連想させていた。「ちゃんぽん」と「チャンプル」の関係は、今ここでつまびらかにすることは不可能だが、何らかの関連性が存在することは明らかではあり、チャンプルあってこその「長崎ちゃんぽん」なのかなと夢想していた次第なり候。

八王子で口にした至極美味なるフランスパン

八王子駅南口の再開発事業で南口界隈は様相が一変した。ビッグカメラが入ったビルに寄り添うような現代的モダンなロータリーが中心に陣取っていて、おいらは実はあまり好きな風景として感じ取ることは出来ないでいる。

それでも度々足を運んでいると、とても魅力的な店舗等のスペースが在ることに気づいていだ。

南口を歩いてすぐのところにある「Delifrance」という店舗はフランスパンの専門店であり、フランス人観光客が大勢訪れていることを目にするくらいに本格派のフランスパン専門店なのだ。おいらが好きなのは季節の食材をトッピングした限定メニューなのだ。

シメジや椎茸、エノキ茸、等々のきのこ類が大量にトッピングされた秋の季節のフランスパンなのだった。とても柔らかい生地の中から、鮮度も満点のきのこ類が顔をのぞかせている。きのこきのこがとても美味いのだということを、ストレートにアピールしている。
フランスパンよ、侮れないとの心持ちなのだ。

■Delifrance 八王子店
東京都八王子市旭町1-17 セレオ八王子2F

アップル勝利、サムスンに825億円支払い命令で、日本のスマホ市場も異変必至との観測

アップルが特許訴訟で勝利し、サムスンに825億円支払い命令がなされたという。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120825-00000014-reut-bus_all

少し前までのアップル「iPhone」ユーザーであったおいらにとっては、至極自然な成り行きに感じている。「iPhone」とその直後に発売されていたサムソン社製のスマホは、その真似事製だという印象を色濃く抱いていたのであり、訴訟沙汰の成り行きに関心は薄かったが、無関心ではいなかったのである。「iPhone」のコピー的マシンがサムソン社製のスマホであるという認識ではあった。

おいらが数か月前に購入した「Android」製ドコモの製品は、国産の富士通製ではあるが、サムソン社製マシンほどではないが、とても「iPhone」に似通っている。しかもそれを悪く剽窃しているような面が存在するのだから、おいらも国産製を購入して良かった等と安心してばかりはいられないのだ。

浅草「ニュー浅草本店」の新規邪道的メニュー

最近の職場が下町界隈にあるせいか、最近は浅草界隈に出没することが多くなっている。夜はやはり居酒屋に立ち寄って一献というパターンが常なれども、落ち着いて居られる居酒屋は多くは無い。「ニュー浅草本店」はと云えばまさに落ち着いて酒が飲めて食事が出来る縄張りではある。

そんな「ニュー浅草本店」の新規メニューというものの中に「油揚げの和風ピザ」というのがあったので注文してみた。既に同店にはお餅のピザなるメニューが大手を振るっておりそんな邪道的メニューの一種なのだろうという予感はあったのではある。敵の術中に入りこむような気分にて、このメニューを注文したのだ。

やはりというのか、食してみたものは邪道的メニューの一種であった。お餅のピザ以上に安易なものであったのである。お餅のピザはお腹にたらふく感を満悦させてとてもハッピーなのだが、そんなハッピー感も味わうことが出来なかったのである。お外れ的メニューの一つではある。

「明日葉の胡麻和え」をつまみに一献


途中下車した武蔵小金井の「百薬の長」では「明日葉の胡麻和え」というメニューが踊っており、早速此れを注文した。

若々しい生命力溢れる明日葉のお浸しに、胡麻の奥深さが加味されて、一食で二度美味しいというくらいに嬉しい味に仕上がっていた。

またいつかこの味を求めて「百薬の長」に立ち寄る予感が大なのであった。

■もつ焼き百薬の長
東京都小金井市本町5-12-15

猛暑の夏だからこそ味わえる「夏素麺(そーめん)」なのだ

夏の猛暑のこんな時期こそ素麺が美味い季節である。おいらはこの時期は常に美味い素麺を求めていると云ってよく、昼食時はもとよりであるが、夕食時やその後の〆の素麺にも特別な思いや愛着を抱いているのだ。夕食、晩食、晩餐、の後の素麺は、その条件が整えたならば絶品の風流の食物となってくるのであるからして、侮れないのだ。

先ずはツルツル喉越しの細めの素麺が必須である。そしてトッピングされるのは、ミニトマトやナスの揚げ物などが相応しいであろう。氷が添えてあれば汁に移して夏的汁の完成である。然るに氷もまた必須と云えよう。そしてまた、細切れにされた胡瓜や錦糸卵が添えられていれば申し分が無い。何はともあれ猛暑で麻痺した喉越しを正常のそれに返していくような役割を果たしているのだから、決してこの夏の時期の素麺を侮ってはいけないのである。

新花巻の宮沢賢治のテーマパーク的エリアを訪問


昨晩は宮沢賢治さんが愛してやまなかった花巻市郊外の「大沢温泉」に宿泊した。名物の露天風呂ではこの時期矢鱈に発生するアブに襲われ、とてものんびり温泉浴とはいかなかったのであり、しかも起床したときからずっとおいらの顔面は、昨日に刺された影響でおいらの左目の上瞼は腫れ上がってしまっていたので、見開くことの出来ない半開きの不自由な視覚にて一日を過ごさねばならなくなっていた。

あまり気乗りせぬまま、新花巻駅から「宮沢賢治童話村」へと向かった。この地域には他に様々な賢治関連施設が立ち並んでいて、宮沢賢治のテーマパーク的エリアと呼べる一帯である。もう十数年前に「宮沢賢治記念館」を訪れて以来の、久しぶりの訪問となっていた。「宮沢賢治童話村」には「賢治の学校」という施設があるが、子供向けにあしらえた賢治テーマパーク的存在であり、なにかと押し付けがましくあり、おいらは好きではない。賢治ファンとしてはこのような施設が賢治ワールドの普及に役立たないどころか、安直な切り口による賢治さんの思想のガレージセールなのではないかと気が気でないのだ。相当昔に訪れたとき「宮沢賢治記念館」にて遭遇し、強烈なインパクトを受けた賢治さんの「日輪と山」という水彩画に再会するのを楽しみにしていたが、なんと展示されていたのは巨大なパネルの複製画であり、とてもがっかりしたのであった。こんな事象こそをガレージセールと呼ぶのではないだろうか?

捏ねて寝かせてちぎるという正しい工程を経た「ひっつみ」

昨日は二戸市内の某和風旅館に宿泊した。そもそもぶらり旅の常としては宿の当たり外れは毎度の賭け事ではあって、お盆シーズンのピークに電話予約が取れたのは幸いであり、しかも当館は素泊まり3500円と格安料金なのである。実は内心「ラッキー」と一人ごちていたのではある。

投宿し、数分も経つか経たぬかのうちに、格安料金の理由は氷解していた。古くて奥ゆかしい佇まいがその理由を物語っていたのである。すなわち、古の日本旅館の風情が強く蔓延っているために、現代的旅人の感性やニーズやらとの乖離が見て取れたのである。事実、こんなお盆のハイシーズンと云うのに、外来の客はおいら一人であったのだった。相当な伝統的時間を誇る作りの旅館が、いシーズンにおいて旅行客をおいら一人しか持たないという不条理は、日本人の均一的価値観としてのグローバリズムの悪しき進入が背景にあることが考えられるのだ。

さてさて宿の値踏みをするのが当ブログのテーマではないのである。当ブログ本来の主要テーマのひとつとしての「食」について記していくことにする。

東北で食した地元食の中で、おいらがもっとも気に掛けていたのが「ひっつみ」である。東京でも或いは盛岡の居酒屋のメニューでも食することはできていたが、サイドメニューとしての域を超えてはいなかった。詰まりはひっつみという料理に満足したことが無かったということだ。

それが今回の旅にて「ひっつみ」の肝とでも呼ぶものが溶け出てきたのである。「ひっつみ」の具は関東の「すいとん」のそれとは異なっているということ。その肝は、捏ねて寝かせてちぎるという工程である。小麦粉等の素材を塩水で捏ねてから寝かして、それをちぎって出汁に投入するのが「ひっつみ」の正しいつくりかたである。そんな正しい「ひっつみ」のメニューを味わっていたのであった。