「タコの天ぷら」は残念ながら「タコの唐揚げ」に負けるのだ

地元の居酒屋にて「タコの天ぷら」という不思議的奇異なメニューを目にしたので、とりあえずは恐い物見たさ的好奇心にて注文してみたのだった。

おいらは実はこれまでに「タコの唐揚げ」というある程度の逸品的メニューに遭遇してから大いにその「タコの唐揚げ」に入れ込んでいたことがあったのである。

http://www.midori-kikaku.com/blog/?p=3981

嘗て書いたのは、タコの唐揚げは一般的な茹で蛸よりも食味が豊富であり美味いというようなことをかいたのだつたが、今回の「タコの天ぷら」に接しては、まるでそんな気にはならないのだった。すなわちこんなメニューは邪道的であるというと。

何故に唐揚げよりも天ぷらが駄目なのかについては、色々な分析が可能である。

その一つには、天ぷらの衣が繊細すぎていてタコに絡まないということ。どういう風にか衣をまとわっているが、そのどこかにほころびが見えているのだ。そしてその二つ目の理由は、衣がタコにマッチしないということだ。あまり深い物理学的理由は判然としないのであるが、それでもどうしてもタコの身は天ぷらの衣にはそぐわないということを、強烈に知りいったと云うべきなのであろう。

タコは唐揚げには適するが、天ぷらには適しないということを、これから証明していきたい。

土鍋で「松茸ご飯」を作った。やはり松茸はご飯との相性が抜群

折角活きの良い松茸を入手したにもかかわらず、昨日はネット上で出ていた「松茸のホイル焼き」なるものに気持ちを奪われ、昨日は調理法を誤ってしまったのではあった。ここは基本に立ち返り、「松茸ご飯」で味わい直すことにした。さらにはこれもまた昨日の反省の一部となるが、出汁や調味料の分量は極々控えめにして、松茸の香りに期待することにした。

土鍋にさっと研いだお米を入れ、3~5㎜程度にスライスした松茸を載せて、ガスの火に掛ける。「はじめちょろちょろ、なかぱっぱ、ふつふついったら火をひいて、赤子が泣いても蓋取るな」というご飯焚きの基本を踏襲しつつ、蒸気を発する鍋に耳をすませていると、否応なくも香ってきたのが、待ち望んでいた松茸の香りであった。とても品のある、植物性の特長的な香りではあり、他の食材に置き換えることが不可能な、まさにオンリーワン的芳香であると云えよう。動物性食材では決してこんな特別な芳香に出くわすことなどはなかった。松茸は特別な秋の食材であることを改めて認めざるを得なかった。

土鍋で炊いた「松茸ご飯」の松茸は、サクサクとしてその食感も極上のものではあり、ご飯と一体化して逸品料理と成立するのだ。おこげの味わいもまた格別である。炊き込みご飯は数多あれども、ご飯との相性的にこの松茸ご飯を超えるものには出合ったことが無い。栗も他の茸も、野菜たっぷりの五目的炊き込みご飯も大好きだが、ただご飯との相性といったポイントで判断するならば、松茸の炊き込みご飯に敵わないのではないだろうか。

昨日も書いたが、今回の松茸は韓国産と云うことであり、国産のような高価な値は付けられてはいなかった。それかあらぬか色々な調理法を試してみたくもなっていたのではある。「松茸ご飯」を作って余っていた1本の松茸は、ガスコンロの上で火にあぶり「焼き松茸」にした。とても強い芯の噛み応えはこれまた松茸ならではのものであった。

今季初の松茸料理は「松茸のホイル焼き」

上野のアメ横で松茸を購入した。店員に確かめたところ韓国産ということである。未だ傘が開く前のもので、身はしっかりと太っている。見るからに旨そうな気配がしていた。

焼き松茸がもっとも美味しい調理法だということは判っているが、本日はちょっと浮気して「松茸のホイル焼き」というものをつくってみたのだ。たぶんおいら史上、初の試みであった。

通常の茸のホイール焼きのレシピで出汁と醤油の量が多すぎたせいか、松茸の香りや味がしぼんでしまったようであり、やはり失敗のようではあり、少々後悔が残っている。未だ残りがあるので明日はやはりというのか、松茸ご飯か焼き松茸を作って味わおうと決めたのだった。

下町流「元祖酎ハイ」の琥珀色の正体に興醒め

下町の餃子系居酒屋で、メニューにあった「元祖酎ハイ」の名前につられ思わず注文して飲んでみた。

出てきたグラスを眺めると、透明なはずの酎ハイの色味がほのかな琥珀色に染められている。焼酎の代わりにウイスキー等の洋酒を用いているのかと予想して口に含めるが、洋酒の気配も感じさせない。焼酎のキリリと締まった喉ごしも無きに等しかった。

「元祖」とうたう割にそのインパクトは薄かったのである。アルコール度も低めなのだろう。むかしはよく飲んでいたそのほろ苦い味わいが喉に伝わってこないので、少々がっかりしていたのだ。今では多種類販売されている「サワー」の類と違い「酎ハイ」の魅力はと云えば、炭酸と焼酎の出会いが生み出すほろ苦さなのだ。そもそもこれがなけれは「酎ハイ」の名前に値しないものなのである。

まったく合点がいかなかったおいらは、店の親仁に「この琥珀色の正体は何なのか?」と尋ねてみた。するとかえってきたのが「元祖酎ハイの素というのを使っているのです」という答えなり。う~む、素朴過ぎるこの答えに、一瞬間うろたえてしまったおいらではあった。

ネットで早速調べたところ、おやじが「元祖酎ハイの素」と語った正体が「天羽の梅」という名前で販売されている代物だということが判明した。原材料に「梅」は一切使っておらずに合成着色料、保存料を多量に用いた飲料物であったと知り、興醒め至極なのではあった。

タイ国の代表的味覚「トムヤムクン」をヌードルで味わう

タイの国民的料理と云えばまずは「トムヤムクン」のスープ料理を連想する。何度か飲料に浴することとなったが、これを日本で調理するのはほぼ不可能と感じさせる、辛味と酸味を主とした、複雑な風味が特徴的なスープ、複雑な味覚の料理だ。

タイ料理専門店にて、この「トムヤムクン」スープにルードルが入った「トムヤムクンヌードル」にありつく機会を持ったのだった。

独特の風味と味覚をもたらすのは、ひとつに海老の独特な調理法にある。そもそもその語源をたどれば、「トム」は煮る、「ヤム」は混ぜる、「クン」はエビのこと。エビ入りトムヤムスープという意味であり、特に海老の身から取り外した殻を、バイマックルー、プリッキーヌ、カーといった香辛料をチキンスープで煮て作ったスープがベースとなってタイ料理の基本が作られている。

更にそのスープをベースにして、タイ料理の多くが提供されている。今回食した「トムヤムクンヌードル」もそのひとつだ。

漁業が盛んなタイ国の料理の中でも群を抜いて、このトムヤムクンスープが世界の食通の舌をうならせているのである。我が国とはだいぶ異なる食文化の発展的形態である。

それだからこそう~ん!と感嘆させる、世界に冠たるスープが存在するのではある。

秋の茸料理のニューウエーブこと「茸の塩辛炒め」に意外性の舌鼓

涼しい秋の風が吹き去っていることで、秋の季節感が染みてくる。

元々は秋の食味を味わせてくれるのが、秋の茸のいろいろなのだ。という訳で、しめじ茸等の茸の美味い料理を味わったので、記しておきます。

茸とネギとを炒めた後に、イカの塩辛にて味付けをしたものである。イカの塩辛が塩味を引き立てつつ、ピリッとしたアクセントを加えている。

これはまさに秋の茸料理のニューウエーブと云ってよく、いずれ近いうちに、もっと大量の茸類を使って、更に美味しい茸料理を自宅調理したいと思っていた。

岩海苔の磯風味がはえるラーメンデパート宮城の「ファンモン麺」

これまで何度かレポートしている、八王子のラーメンデパートこと宮城の「ファンモン麺」を食した。

八王子の観光大使を務めている「ファンキーモンキーベイビーズ」がプロデュースした麺料理となっており、時々は口にしたくなるような特別な魅力を有している、逸品料理の一つとして考えている。

八王子ラーメンの基本を踏襲した宮城ラーメンをベースに、濃緑の海草のようなもの「岩海苔」がどぼっと載っている。大量の海藻がトッピングされているのであり、この海草こそが、メンバーモン吉がお気に入りの岩海苔なのだ。ファンモンプロデュースによって生まれたのだ。つまり、「ファンモン麺」とは「ファンモンのファンモンによるファンモンのためのメニュー」だということになる。たしかに岩海苔は八王子ラーメンのスープに良く馴染んでいて美味しいのだから、ファンは口コミネットワークなどを経て、益々ファンモンの味に群がるのだろう。

■ラーメンのデパート 宮城
八王子市子安町 4-26-6
電話 0426-45-3858

秋の風味が味わえる「舞茸グラタン」を作った

秋の旬の味はと云えば、秋刀魚や松茸を思い浮かべる。然しながら松茸は高級食材であり、中々食する機会には恵まれないのが現実だ。普段のスーパー店にて手軽に手にして秋味を味わいたいと思いつつ手にしたのが「舞茸」であった。

実は舞茸も季節に依らずに年中出荷されている。おそらくはおいらが購入した舞茸もまた、年中出荷の非天然ものであるのだろう。

少し前まではこの秋の味覚食材は、山中に舞茸狩りに出た人々がこれを見つけるたびに「舞い上がるほどに」嬉しがって狂喜したと云うことから「舞茸」の名前が冠せられたという説があるくらいである。とても貴重であり、かつ栄養価や季節感を高くしていた食材であった。

と云うことで先ずはこの舞茸を食材にして調理したのが、「舞茸グラタン」だったのである。

舞茸をはじめとして茸類はグラタン料理に似合っている。洋風料理でありながら季節感を感じさせるものとしては、この「舞茸グラタン」に勝るものが無いとさえ思えてくるくらいなのである。

味わいは期待を裏切ることなく、舞茸の食感やら秋味とやらを感じさせて満足のものであった。いずれは高級食材の松茸をグラタンにして味わいたいとは考えているが、この舞茸グラタン以上の味わいを経験させてくれるのかについては疑問が残っている。

特別なつまみである「ガツキムチ」に関する考察

ホルモンの一種のガツをキムチ風に漬け込んで出されるこの料理。まっ赤ッかな色が印象的である。そんな「ガツキムチ」を食した翌日は赤い便のキムチを見て過ごすことが必須なのである。

それでも可也旨いのがこの「ガツキムチ」。それだけは認めていてくれ。

便がまっ赤っかになっても、これを食べた痕跡が残るならばこの赤々とした便を保存したい、等とのたまうた人は居なかったようなのであり、これをもって締めとするのです。

某大衆居酒屋で飲んだ「フグのヒレ酒」にうっとり

ほとんど偶然的に立ち寄った某居酒屋にて「フグのヒレ酒」なるメニューに遭遇。早速飲んでみることにした。

高級料理とは大違いであり、通常のグラスの中には、普通の日本酒の中に焼かれた形跡のある多分フグのヒレなのだろう代物が埋もれていた。埋もれていたという表現は妥当か否かはおいらも自信が無いのだが、あまりにも無防備に配置されていたそのフグのヒレの様相は、その焼き方もいい加減なものとして映りつつ、焦げ目が目に付いていたし、ちゃんとして時間をかけて焼いたという形跡はまるで無かったのである。

出てきた「フグのヒレ酒」のグラスに先ずは鼻先を近づけてにおいをかいでみる。何年か相当昔に経験した「フグのヒレ酒」の面影は無きに等しかった。

それでもおいらは酔いと勢いとにまかせて飲み干していたのだが、飲み干した後味は決して悪くはなかった。飲み終えて見たフグの焼かれたヒレは、食べる気持ちを起こさせるものではなかったが、軽く咬んでみれば、焦げ目の味わいの中に、フグのヒレの焼かれた味わいを舌に感じることが出来たのであった。

という訳で、結論としては、焦げた焦げ目のフグヒレの味わいに大いに埋没して、うっとりと酔っ払ってしまったというおいらなのではある。

ハマグリより小ぶり、アサリより大きくて、身が締まった「ビノス貝」を食した

代表的な二枚貝と云えばハマグリやアサリであるが、ハマグリに似て大きな二枚貝で身が大きな「ビノス貝」を食した。

この名の由来が「ビーナス」から来ているというのであり、見た目の優雅さにも成程と思わせるものがある。

欧米県の中でも特にアメリカではポピュラーな二枚貝の代表である。ハマグリを小降りにしたようで、食感もハマグリを凝縮したように噛み応えも味わいも充分なものがある。

アサリの漁場関係者からは、余計な邪魔者だとして邪険にもされたようである。だがこの身もまた味わい深いものだと知られては、よそ者扱いなどできないのである。

実はこの貝は「成長貝」と呼ばれてもあり、大きくなるとハマグリを追い抜いて10cm以上にも達するというのだ。ハマグリを小さくしたものだとかアサリの邪魔者だとか云った安易な評価は相応しくないのだ。

今年もまた「戻りカツオ」の旨い味わいに出会わしたのだ

今年も戻りカツオが美味しい季節となった。春から夏にかけて北方オホーツク近くの海を漫遊したカツオたちがたっぷりと栄養を蓄えて、日本近海の海へと戻っている。その鮮やか鮮烈な赤みにピンクの刺しが入ったような様は、独特のカツオの脂の乗り方を映している。

脂が乗っても決してくどくなく、かといって白身魚のような自己主張の薄くて他の食材に頼りがちな食味等とも、明らかな一線を画して、カツオ本来の持つ味わいである。そんな戻りカツオに出会ったおいらは、今年もラッキーであったと云えよう。

強烈な海洋魚としての一仕事を終えて、逆に南下のルートを選択させるのだから、それはカツオの生態という現象を超えた自然界の摂理が働いているはずである。

北上してのち南下するというユーターンルートを辿ってみると、黒潮の流れに押されるように北上したカツオたちが北海道沖の海水が冷えて南下に切り替わるポイントに、もっとも想像力を刺激される。潮の流れに逆らって南下のルートを選択する海の猛者たち。彼らはきっと、勝ち誇った道を捨てつつ帰るべき故郷を探す旅に出たのではないかと想像するのだ。

あぶったイカこと「剣先するめ」を頬張りつつ、しみじみの一献

「剣先するめ」というメニューを注文して待つこと十数分間。おいらは焼き場の炭火の上に乗せられたするめが体を捻っていくその姿に見惚れていた。

思わず知らずに「舟歌」の歌詞を口ずさんでいた。嫌いな演歌歌手の八代亜紀の姿までもを脳裏に浮かべており、大変に迂闊な所業であったと思う次第だ。

演歌は好きではないが、時と場所と+αにて、途轍もなく深い心情を仮託させるものとなっていくのであり、まさに八代亜紀の「舟歌」こそはその最たるものだと云えよう。かくまでに演歌が、其のメロディーと共に染み込んでいたのは驚きであり、演歌恐るべしなのである。


お酒はぬるめの 燗がいい
肴はあぶった イカでいい
女は無口な ひとがいい
灯りはぼんやり ともりゃいい
しみじみ飲めば しみじみと
想い出だけが 行き過ぎる
涙がポロリと こぼれたら
歌いだすのさ 舟唄を

この日のおいらはぬるめのお燗を憧れつつも、燗に手を付けることはなかった。燗に手を付けたが最後、自宅に戻ることなど不能となって飲んだくれてしまいそうであり、その場を凌ぐのが、いわゆるひとつのおいらの理性の発現であると思われた。それくらいに演歌の世界に引き込まれていた。

一夜干以上に干されたイカの身はからからと、見た目は薄っぺらかったのだが、一口二口と口に含めるにつれ、その奥深い味わいにうっとりとしている。イカの身は横に繊維が走っており、ここが頗る見事なのだが、その繊維にそって手でさばいて取り分けることが出来る。丁寧に取り分けたイカの身を口に頬張るのだが、唾液がイカに絡まるまでには多少の時間が要するので、すぐに飲み込んだりすることは出来ない。それがかえって、あぶりイカの奥深い味わいを、味わい抜く技を提供しているとさえ思えてきた。

石原伸晃の「福島第一サティアン」発言が意味するもの

自民党の総裁選挙に立候補して以来、にわかにマスコミへの露出が増え脚光を浴びている。ニュースステーションはじめ、数多のTV番組への出演において、軽薄の発言を繰り返している。

そんな中で論難の的となっているのが、「福島第一サティアン」発言に関するあれこれである。

http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp3-20120914-1016643.html

曰く、東京電力福島第1原発事故で汚染された土壌の保管先に関し、「福島原発第1“サティアン”しかない」と、オウム真理教の関連用語に例えたのだった。

おいらはこれまで特別に石原伸晃をウォッチしてきた訳ではないが、この男の失言癖は生来的なものと思われる。「北方領土」と「尖閣列島」とをごちゃまぜにした発言は某TVでの生番組にて目にしたが、まるで小中学生が大切なキーワードを取り違えてしまって、周囲の番組関係者が慌てて取り繕うといった光景が垣間見られていた。これに類する事柄は枚挙にいとまがないものだと思われるのだ。

石原伸晃によるそれらの間違いを、単なる思い違い、考え違いだと判断するのは間違っている。「福島第一原発」を「福島第一サティアン」と取り違えたのは、普段日常的にこうした比喩を口にしていることが先ずは推測が可能とされる。ごく身内の仲間同士の発言に手はいつもこの比喩が口にされていたという推測である。

そしてマスコミにおいてもむ同様の発言が2度以上にわたって繰り返されたことは、前述した推測の根拠を補強するに充分なものではある。

「庶民」「市民」と称される日本国民の大多数を見下して、石原伸晃という男は政治活動を日々履行していると云ってよい。こんな男が日本の最高権力者となった暁には、これまでにない災難が日本国民の上に覆いかぶさってくるだろうことは容易に想像可能なのであるからにして、支持していない他党の出来事としては決して見過ごすわけにはいかないのである。

野田佳彦の再選必定という民主党代表戦のあほらしさ

民主党の代表戦が告示されているが、日本国民としての観客として対応するならば、これほど興醒めな戦は無いと云って良い。

思い込みばかりが強く、即ちそれは野田という凡々野郎の自己満足を満たすばかり的政局を、これからも続けるのかという、あまりにも無残な希望をぐじゃぐじゃにする思いに漠然とするばかりである。

些少なりとも希望を抱かせたのが、数日前における民主党ずいいつのイケメン政治家こと細野豪志氏の野心に対するものであった。すべからく我が国の政治家(政治屋)たちは日本国総理大臣を目指すのであるからして、凡々野田の後塵を拝することなど潔くせずに、野心を発揮してほしかった。だがそんな観客の希望も、ぐじゃぐじゃと瓦解されることとなってしまった。

これにて野田の再選が決定的な規定路線となってしまった。対立候補の原口一博などは、反TPP等々、口先三寸では真っ当なことを述べてはいるが、かつて小沢の傀儡政権に乗っかろうとしてうごめいていた輩としては、誰も信用する人間、政治家には値しない。他の候補たちはまるで知名度も落ちた泡沫候補ではある。

「ほぼ朝だけダイエット」で、半年間で約5kgのダイエットを達成

おいら自身のダイエットの記録である。

翻って確認すると、本年の2月の某日から、自らのダイエットに励んでいたおいらである。某健康指導医の女医さんに「3ヶ月で3キロ体重を落としましょう」と云われて、1ヶ月に1kg程度を目安にダイエットを行なってきた。3ヶ月で目標の3kgのダイエットを達成し、その後も2kgの減量に成功しているという訳である。

ダイエット法は百花繚乱ではあるが、基本的には、以下の3点に集約されるだろう。

1食物の量を減らし、摂取カロリーを控える。
2運動量を増やす。
3代謝的な身体作り。

この中での「1」のポイントに焦点を当てたのが風本真吾ドクターが提唱する「朝だけダイエット」である。

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「先ずは、朝食を抜きましょう」と云い、それで一般的な朝食のカロリー量の400キロカロリーを減らすことが出来るというのが基本的な論拠となっている。朝食をとればダイエットにも効果的、等々と云う世間一般の常識とは一線を隠した、掟破りのダイエット法だという印象もある。

然しながらおいらはこのダイエット法を一部的に取り入れて、実際にダイエットに成功した。記すならば、「ほぼ朝だけダイエット」の実践であった。

平成の明智光秀こと石原伸晃が最高権力者になるのか(1)

政治家という職種の人間はほど知らずに権力欲に長けているとようであり、ことに総裁選、代表戦といった類の、数年に一度のメジャー級合戦に臨むときこそその本領をあらわにするものだと見える。

自民党の石原伸晃などは其の典型とも云え、父親譲りの奇異なレトリックを駆使しつつ、虎視眈々と最高権力の奪取には余念が無い。自民党の「ポスト谷垣」の座がすなわち我が国の最高権力者の座に直結するわけであるから、その言動にはのっぴきならないものを感じさせている。

現自民党執行部のNo.2の座に座っていながら、よほど座り心地が悪かったのであろう、一番の親分こと谷垣総裁に対し「谷垣さんのためにやってきた訳ではない」と、反旗を翻して立候補表明を行なった。それが原因の一角だろう、谷垣が立候補断念を示したことで、石原伸晃への評価が渦巻いているのだが、特に副総裁が述べたとされる「平成の明智光秀のようだ」というコメントが、火の燃料を注いでいた訳であり、一定の定番的評価として浸透している。

石原伸晃という政治家を積極的に評価しようという国民は、たぶんごく少数であろうが、それでもなお石原陣営は勢いがあり、自民党総裁選の本命と目されるほどになっている。自民党の総裁選びが石原支持に働く、石原伸晃支持に収斂するのであれば、知見のある多くの国民ははなはだ惨めな立場に立たされることになる。

出汁を充分吸って味の染み入った「黒おでん」

静岡ではポピュラーなのが「黒おでん」。黒い出汁でおでん種をじっくり煮込んで、たっぷりと味を染み込ませている。

黒いのは「黒はんぺん」のみならず「大根煮」も充分に黒いのだ。

黒い出汁の基本は、牛筋からとっているので、コクがあり且つコラーゲンも豊かに息づいているのであり、東京でもしばしば見かけるようになってきている。ローカルな地域グルメがいよいよ全国区の予感なのだ。

細野豪志の民主党代表選出馬は、悪くない選択だ

民主党の代表選挙に所謂イケメン政治家こと細野豪志氏の出馬がとりざたされている。最低の野田の後任であれば誰でもましだ、誰でも良いだろう、等々という退廃的な気分を払拭する契機に成り得る。他にポスト野田の真っ当な戦略を描き得ない民主党の選択としては、悪くは無い戦略ではある。

何よりもまずは、駄目総理の野田再選の芽は早めに摘み取っていくことが肝心なのだ。

次の選挙では、民主党が第一党から退き自民党が比較第一党を得ることがほぼ必定と云われる状況の中で、細野豪志がはたしてどのような戦略をとるかについても関心は継続されていく。ここで野田的大連立のストッパーとなっていくことは細野豪志にとっては最も重要なスタンスなのである。

メニューには「抹茶サワー」とあったが実は「青汁サワー」という味のお酒に酔っている

久しぶりにJR中央線「阿佐ヶ谷」駅に降りてぶらぶらとガード下を散策していた。ちょっと右に逸れて横丁に入ったところで懐かしい赤提灯の姿につられて一献傾けていた。

豚系の串焼きや黒おでんなどが売りの大衆居酒屋であって、まずは当たりの予感ではある。注文した串焼きや黒おでんなどは旨かったが、レモンサワーやその他の酒類がいまいち。ちなみに今時の首都圏居酒屋にて「ホッビー」がメニューに無いというのも腑に落ちないのではあり、果たして此処は当たりなのか外れなのか? 些か心ふるえる展開となっていたのだ。

そんな状況にて目にしたのが、隣の人々がこぞって注文していた青緑色した焼酎割り。メニュー表には「抹茶サワー」とあったが、飲んでみればやはりと云うのか、「青汁サワー」という味のお酒であったのである。

もっと深い味わいを期待していたときの気分からは拍子抜けだが、決して不味くはなかったし、健康にも良さそうではあり、青緑のお酒に舌鼓をして帰ってきたという今宵なのではある。