日本にはどうして「みどりの党」等の健全な第三極が育たないのだろうか

本日朝のTBSTV番組「サンデーモーニング」では、石原慎太郎の都政投げ出し会見に対して、河野洋平氏がとても良いことを語っていた。

―――(http://dametv.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-7084.htmlより引用)

河野洋平氏「 (笑)僕はね、あの辞職の記者会見を聞きましたけどね、もう非ーー常に不愉快でしたね。「諸般の事情に鑑みて辞める」って、諸般の事情って一体何なのか?あれ聞く限りね、自分の都合ですよね。もう自分がここが最後のチャンスだと思うから、都知事のほうは辞めて、国政やると。言っているように僕には聞こえました。

そしてねぇ、あのー、色々仰っるけれども、もう一方的に『アレはダメだ。コレはダメだ』と。自分の意に沿わないのは『アイツはバカだ』と。もうどうしてあんな立派な小説を書く方がね、ああいう、、その、話をする時には、あんなに口汚くね、罵るか。

もう少し、都知事の会見てのはちゃんとした言葉で、ちゃんと相手の立場も考え、自分の主張も冷静に述べるという事が何故できないのか。

だから私は、やっぱり人間的に相当欠陥があるんじゃないかという風に、私は思いましたね。ええ。」

河野氏「あれはつまり、永年勤続25年の表彰を院議を以てするってんで、みんな本会議場に集まっている時に『俺は辞める』とこういうわけですよね。(あれは何ですか?:関口) なんかあのー、あの時の演説を見ると、何やってもみんな上手く行かないから、あの『ダメだ』と、、『みんーなだらしがない』と。なんかあのー、あのー」

―――引用終了

おいらが抱いている思いのだいぶの部分を河野氏のコメントが代弁していたという思いではあった。

そしてたしかその後で、河野洋平氏は、石原や橋下が目論む極は本来の「第3極」では無いのだと喝破したのだ。この見識はとても素晴らしく端倪すべからざるものではあった。

そもそもと云えば石原や橋下が目論む「第3極」とはいんちき的出鱈目極まる政治集団に過ぎないのである。こんなものが本来の「第3極」である訳がないのである。こんな代物がマスゴミの餌になっているのであるからしてマスゴミの現状は異常的状況である。

本来の「第三極」とは、「反原発」の運動を展開する集団の代表者たちであり、例えばヨーロッパに於ける「みどりの党」的なものであるべきだと、河野氏は語っていたが、まさしくそのとおりなのである。

これまでおいらは、河野洋平氏に対して、自民党の総裁まで担った自民党的政治家の一人として評価の埒外に考えてはいたのだが、「みどりの党」的な政党の誕生を願うことと共に、ここにきて河野洋平氏をとても評価しておきたいと考えるようになっている。

もちろんのことおいらの所属が「みどり企画」であることとは全然関係はないのだ。

東京都政を投げ出した、或いは利用した石原慎太郎の見識を疑う

昨日夕刻の所謂「東京都政投げ出し」会見を行った石原慎太郎に関するニュースで、本日のマスコミはジャックされている。悪い冗談がマスコミニュース媒体を通し糞尿的に垂れ流されているという感を強く持つ。改めて彼への都政投げ出し会見に対しては、強い憤りを禁じ得ない。

あれほど大々的に公言をし、招致への甚大な予算を使った「東京オリンピック」はどうするつもりなのか? 或いは、築地の市場移転問題は解決できるのか? 等々、その無責任さは度を越していると云えよう。石原慎太郎に対しては一度も政治的に支持したことの無いおいらがこの思いなのである。何遍も支持してきた東京都民に対して、国政がどうのこうのという言い訳は決して成り立つ訳など無い。

更に悪質的冗談のたぐいが、国政進出云々のくだりである。自民党議員として活動していたときに「総理」の目がないことを知って、自ら国会議員を辞職した慎太郎は、以下のように述べている。

―――以下公式サイトから引用

日本のことを「国家としての明確な意思表示さえできない、さながら去勢された宦官のようである」と断じた。そして「現在の政治に対する国民の軽蔑と不信はまさに自分自身の罪科である」と自らの非力さを詫びたのだった。

―――引用終了

慎太郎の自尊的ふるまいは昔からのことであり驚かないが、侮蔑の言辞をはなったまさに国政への偏執的執着を抱き続けてきたこと、そしてこの期におよんでの中央政界復帰宣言であり、こんな出鱈目な慎太郎の見識は異常である。そしてこのタイミングはまさしく橋下「維新」利用による総理の座への偏執的腐りきった野心なのであり、こんな人間が総理になった日の我が国の将来がまさに暗澹としたイメージとして現実化しつつある。

野田佳彦のおかげで未だに品薄の「ドジョウ鍋」を食らったのだ

ドジョウ総理こと野田佳彦のおかげで、都内の飲食店にはドジョウ料理を提供する店が相変らず少ないのだ。高級店やらドジョウの専門店が独占している状況が続いている。詳細については判らないが、ドジョウの仕入れ値も高騰しているらしい。

そんな状況の中で先日は、ほとんど偶然的に「ドジョウ鍋」にありつくことが出来たのだった。結構大きめの土鍋に、ドジョウ、ゴボウ、豆腐、小ネギ、等々が極和風的に調理されていて、久々にその泥くさく骨くさくもあるドジョウの美味さを味わっていた。

骨くさくもありつるっとしている特異な食感は、まさしくドジョウならではである。その存在感はと云えば、薄っぺらい政治的言語を撒き散らす野田佳彦如きの比ではない。野田佳彦の言葉は聞くたびに飽き飽きするのに対して、ドジョウの料理は、口にするたびに新鮮な感動に囚われる。こんな差異が有するのに自分をドジョウになぞらえた野田佳彦などは、ドジョウ以下の生物である。

角田美代子こと女鬼畜に篭絡された男達の哀れ

兵庫県尼崎市における角田美代子による猟奇事件に関して、長男の卒業と引き換えに辞表を提出したという中学校長のコメント、関連記事がニュースの的となっている。

身内やかなり遠い身内的家族に対してほとんど不条理的な因縁をつけて、当該家族を崩壊に導いたという、角田美代子こと女鬼畜に対しては、当初は?と云う思いが蔓延してはいたが、やはりこのようなことは起こり得るのだということを認識している。

女鬼畜のターゲットとされた人間達は、此れ以上ないくらいの不条理的な哀れを感じ取っている。

「君子危うきに近寄らず」といった故事諺が、未だ生きていることを思い知っていた。

「週刊朝日」の敗北は、もしかしたら週刊誌業界の敗北の予兆なのかも知れない

本日発行の「週刊朝日」誌上冒頭にて、「おわびします」と題された大仰どころかな一文が掲載されている。同誌の「ハシシタ 奴の本性」の記事に関する、橋下徹大阪市長および関係者に対して全面的なおわびを表明している一文である。

橋下徹が当該週刊誌発行の「朝日新聞出版」を差し置いてその親会社である「朝日新聞社」に攻撃の矛先を定めたことには彼流の理由があるのだ。色々と彼流の説明が報道媒体を駆け巡っているが、つまるところは、メジャーの朝日を篭絡すること、これか゛目的だと思われる。

ひとつの仮定の話としてもし橋下が「週刊朝日」に抗議のターゲットを向かわせていたらば、おわびはおろか、遺憾の表明もされることなく法廷へと持ち越されていたのであろう。「週刊文春」「週刊新潮」等々の出版社系週刊誌が辿る常識的なルートである。

だが橋下はこれを嫌って、週刊誌発行元の親会社をターゲットにしてしまった。その理由は橋下が会見で語っているように、100%子会社の親会社が朝日新聞であるということのようである。

親会社が子会社のあれこれに責任を持つべきという常識論を超えて、橋下は攻撃を強めている。

もはや「週刊朝日」はもとより親会社である「朝日新聞」紙上にては、橋下徹への公正的批判記事は求めることができぬのである。そして他の読売、毎日、等々の新聞媒体に対しても同様の思いを強く抱いてしまう。

この現象は、ただ単に「週刊朝日」がひよって謝罪してしまったということ以上の、未来への禍根を記してしまったということなのだ。朝日以外の週刊誌のこれからを注意深くウォッチしていこうとかんがえているところだ。

ほろ苦を超えて苦み走った、人参の葉のお浸しに舌鼓なのだ

吉祥寺の八百屋にて、葉付きの人参を購入したのだ。根っこのところの人参の背丈を超えて伸びていた人参の姿形に魅了されたからではある。

元々人参には葉が付いているのだが、スーパーやほとんどの八百屋にて出ているものは葉をそぎ落とされた代物ばかり。根っこのところの人参が、ほぼ我が国にては常識的な「人参」の姿形なのではあろう。そんな常識を打ち破る姿形を、この葉付きの人参に見出していた。

先ずは人参の葉を茹でて、お浸しにしてみた。葉の部分にも硬い茎があり、その茎の部分はとても硬くてとても食用には適さないと見えていたので、油で炒めてラーメンの具にしたのだ。

残った人参の葉のお浸しを口にすると、ほろ苦以上にインパクトのある苦みが口腔を襲っていた。今では全国的ポピュラーな食材ことゴーヤを凌駕して、更に心地よい刺激でもあった。苦み走った野菜の筆頭的な存在ではある。

ほろ苦を超えて苦み走った、人参の葉のお浸しに舌鼓なのだった。

今年の「B-1グランプリ」で、青森県八戸の「せんべい汁」優勝を祝う

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121021-00000022-mai-soci

例年開催されるB級グルメの祭典「B-1グランプリ」で、今年は青森県八戸市の郷土食「せんべい汁」が見事優勝、グランプリ受賞の栄誉に輝いたという。

八戸にはこれまで何度も足を運び、「せんべい汁」もその度に味わってきたおいらにとっては、とても嬉しい受賞のニュースではあった。

汁ものでありながらそのほとんどが地元産鉄鍋にて調理される鍋料理の一種であり、主に地元八戸産の野菜類、根菜類を数種類合わせて醤油ベースのスープで煮込み、それに地元名物の「南部煎餅」を具に加えて煮込むという代物。

当地ではポピュラーな「南部煎餅」を鍋料理の具にするという、ある種の奇抜なアイデア料理のようだが、結構その料理の伝統は長いものがある。

Wikipediaで「せんべい汁」と検索すると次のような説明文に突き当たる。

―――以下引用
せんべい汁は、江戸時代(幕末)の天保の大飢饉の頃に八戸藩内で生まれたとされる。その後200年余りに渡って現在の南部地方一帯で食べられてきた。

2002年(平成14年)12月1日の東北新幹線八戸駅延伸開業および2003年(平成15年)4月1日から6月30日まで開催される北東北デスティネーションキャンペーンに向けて、八戸商工会議所の観光振興対策検討委員会が2000年(平成12年)3月に「八戸観光開発プラン」をまとめ、同年9月に「八戸観光開発プラン推進特別委員会」を設置。これを母体として翌2001年(平成13年)7月には官民挙げた『新幹線八戸駅開業事業実行委員会』が誕生した。同実行委員会は「食文化創造部会」を設置し、創作郷土料理や八戸らーめんの企画を行う一方、八戸屋台村 みろく横丁を設置するなど、「食文化創造都市・八戸」を目指して多彩な事業を行った。
―――引用終了

郷土食は数多かれども200年と云う長い歴史において育まれてきたものは、そう多くはなく稀有な郷土食の本丸である。

余談であるが、岩手及び青森の南部地方においては、煎餅ではなく小麦粉を伸ばして具にした「ひっつみ」という料理がある。こちらのほうがより素朴に地域の食材を味わえるのであり、こちらのほうがおいら的には好物なのである。本物の郷土食と云うものは「B-1グランプリ」等のおちゃらけた場所では受けないだろうが、静かに根強く息づいているものなのである。

国産スダチが乗った「スダチ酎ハイ」でほろ酔い

ホッビー好きのおいらではあるが、ホッビーが置かれていない飲み屋も未だ沢山あるのだ。

そんな店ではよく「酎ハイ」を注文することが多い。特にこの時期には「スダチ」をぎゅっと絞って飲む「酎ハイ」がまた格別である。

透き通った焼酎割りのグラスの上にスダチが乗っている。それを手で絞ってみれば、柑橘の酸っぱい香りが広がる。ほろ酔いのピッチはいや増すのであり、ついでに酒の注文も進むという訳である。

スダチと云えば最近は、焼き秋刀魚の添え物としてポピュラーとなっている。焼き秋刀魚とともに目にし、絞ったことが何度かあっただろう。

外国産檸檬のように農薬の心配もなく、小ぶりな柑橘である故に、ギュッと絞るのも簡単だときているのである。国産の焼酎との相性はまた格別なものではあった。

注文した「スダチ酎ハイ」の写真撮影に没頭していたおいらに対して、居酒屋の店主は「スダチは絞らないと味が出ないよ」と、声をかけていた。その言葉に反応するようにギュッと絞ったスダチの香りはと云えば、レモンやオレンジやミカンや、その他諸々の柑橘系の果実を遥かに凌駕する、鮮度と香度と刺激度と、その他諸々の指標にて秀でていた。

酎ハイにはスダチがよく似合うのである。

明らかにすべきは橋下徹の出自ではなく彼の政治的誤謬である

橋下徹大阪市長が今週発行の「週刊朝日」の記事に噛み付いて、またぞろ話題をかっさらってしまっている。佐野眞一氏と取材班による「ハシシタ 奴の本性」という連載がそのターゲットだという。

おいらは先日、この雑誌記事を立ち読みにて読んだが、大阪市長選前の「週刊文春」の記事の後追い的印象しか感じ取ることなかったものではあった。著名なノンフィクション作家によるレポートとしては感情的筆致が随所に見られ、些か筆が荒れているという印象を持っていた。

早速、反撃的攻撃を仕掛けた橋下徹であるが、彼はほとんど野生動物的な反射的攻撃力を有しており、これこそがおそらく日本の政治家の誰もが持ち合わせぬ極めて稀有な資質なのである。

肝心なのは、決して橋下徹の出自ではなく、彼の政治的誤謬についてを明らかにすることである。これまで我が国における政治評論家やノンフィクション作家の誰もがこのテーマにて論を展開してこなかった、或いは出来なかったことこそ、橋下徹の特異な存在性を表している。

佐野眞一氏が今後どのようにレポートを展開していくかは判らないが、出自やそれに関することばかりに拘れば、より一層の反撃的ターゲットを振り撒くのであり、老婆心的心情ながらも危惧しているところである。

大衆居酒屋にて、このほど解禁された「ふぐ刺し」を食した

大衆居酒屋にて、このほど解禁された「ふぐ刺し」を食したのだ。

「三久ふぐ」という種類なんだそうである。おいらが大衆居酒屋にて食したふぐ刺しの種類である。

東京都の条例では禁止されていた「ふぐ」料理の一部が一般的飲食店において解禁されたのであることから、新規メニューへの邂逅となったのである。

酒のつまみの量としては適正な、小さな器に盛られた其の量はとても少量であり、大口を開けたらば一口で食してしまえるくらいである。

定価は400円也。こんな少量でこの価格では、マグロの大トロとも競い合うべき価格ではある。

店員にその種類を尋ねたところ「三久ふぐ」というらしい。「サンキュー」の語彙に引っ掛けて命名されたものなのか、あるいはもっと古来に命名されている品種なのかは今のここでは判らない。

口に含んで味わったところ、やはり、とても淡白な味が染み透ってきた。味付けに添えられていたポン酢の濃厚な味わいには少々負けてしまっていた様相ではある。ポン酢無しのこのふぐを食べたかったというのが本音ではあった。

おやじダイエット部の「糖質ダイエット」の真偽の検証

おやじダイエット部の「糖質ダイエット」の真偽の検証についてである。

おいらは今年の初めから某女医さんの勧めもありダイエットに励んでいるところだ。今年の初頭からこれまでに、約5kg程度のダイエットを成功させた。主には朝食を抜くという「朝だけダイエット」の理論を基にして、朝食を抜くというダイエット法の実践ではあった。

それでも未だ多少のダイエットが必要と思えて、近頃では尚続けて「糖質ダイエット」という方法を実践し始めているところだ。

ご飯や饂飩やラーメンの主材料の糖質系主食系の食材を抜くというようなダイエット法なのである。おいらはそんなダイエット法を信じている訳ではなくて、試しにどういう結果が齎せるかを実証的に示したいということからの、ダイエット的実践ではあった。

たぶんこれからもまた、「糖質ダイエット」によって、徐々なる体重的低下の実践的結果が表明されるのではないかと思われる。これからのおいらのダイエットにもご注目ください。

橋下徹の「日本維新の会」との闘いはこれからが本番

「日本維新の会」代表の橋下徹が、昨日はといえば、本来すべき大阪市政をほっぱらかして、東京都内の政党関係者たちへの挨拶回りを行なったという。中央政界への進出、殴り込みとしてのパフォーマンスではある。

日本共産党を含む全ての政党関係者がそんな橋下の挨拶を丁重に向かい入れたということには、些か奇異な思いがしなくもないのだ。こうした日本政治の土壌は、根っこのところから腐り始めているのだろう。

大阪出身の橋下に対して、「テレビ業界が生んだ腐れ物」「まるで細木数子の田舎芝居のようだ」等々の指摘もあり、それはそれで間違ってはいないのだが、然しながらそれらの指摘、比喩的批判はインパクトに欠けるのである。もう少しリアルに橋下を評価すべき言葉があるはずなのに、未だに行き通ってはいないのであり、いずれおいらもリアル的アンチ橋下のニックネームを公開したいと考えている。

かつての独逸国におけるヒットラーの演説を、わかかった戦後生まれのおいらは残念ながらリアルに見ることが無かったのであるが、記録された数多のヒットラーの演説をみるにつけ、そんなヒットラー的演説のエッセンスを橋下は巧妙に取り入れていることは明らかであり、日本国の選挙民の大多数を虜にしつつある。

これからがまさしく、橋下徹の「日本維新の会」に対する闘いの本番となっていくのである。日本国の将来がかかった闘いを、橋下の思い通りにさせてはいけないことを、此処ではっきりと認識しておかなければならないのである。

イチョウの季節には早いが、銀杏の串焼きを味わった

イチョウの季節には早いが、銀杏の串焼きを味わったのだ。イチョウが色づく季節は銀杏が美味しい季節でもある。色味もまたイチョウの黄色を凝縮させたような深みのある黄色を有している。今はまだイチョウの季節には少々早いが、銀杏は今時からの味わいの季節である。

銀杏の調理法は色々あろうし、特に茶碗蒸しや土瓶蒸しなどの日本料理にはとても貴重な脇役的食材となっている。

そんな銀杏を串に刺して炭火で焼くというシンプルな銀杏の串焼きを味わったのである。独特の苦みが喉を刺激して、天然の漢方食材を口にしているようでもあった。フラボノイドを大量に含むイチョウの葉はドイツなどでは医療品の成分としても認められているようであり、そんな効能が働いているのであろう。

「EU」のノーベル平和賞受賞を嗤う

山中伸弥京都大学教授の「ノーベル医学・生理学賞」は日本人に大きな喜びを与えたが、今年の「ノーベル平和賞」がEUに与えられたというニュースには、衝撃的な不条理の事象として受け取ってしまったのだ。

http://japanese.ruvr.ru/2012_10_14/91167341/

―――以下引用
13日チェコのバツラフ・クラウス大統領は、2012年度のノーベル平和賞にEUが選ばれたことについて「悲劇的な誤りだと思う」とコメントした。

また大統領は、次のように述べている―

「ノーベル賞は常に、特定の人物の具体的な活動に対し授与されてきた。組織体に対し、それもおまけに官僚組織体に対し授与するとは,この賞の価値を失わせるものだ。そうしたものをあえて誰かが受け取るのかどうか、私には分からない。」

クラウス大統領は、公然とEU懐疑論を展開する政治家として知られており、国家を超えたEUの権限拡大からチェコの主権を守るべきだとの発言を定期的にしている。

オスロでの平和賞受賞者発表の際、ノルウェー・ノーベル賞委員会のヤーグラン委員長は、授賞理由として、EUが平和及び紛争の平和的調整、民主主義と人権擁護を目指す戦いを成功裏に進めてきた業績を挙げている。
―――引用終了

オクラ&山芋のネバネバ食材で一献

オクラを漢字で書くと「秋葵」となる。主に秋になると実を付け、ネバネバの食感が魅力である。刻んだ時にネバネバした粘り気が出る。この粘り気の正体は、ペクチン、アラピン、ガラクタンという食物繊維で、コレステロールを減らす効果をもっている。この季節にはとても注目していきたい逸品の食材なのである。

山芋もまたこの季節に貴重なネバネバ食材だ。ネバネバの2乗の逸品的つまみで一献なのである。

北海道松前発祥の「松前漬け」はシンプルな自家製に限るのである

「松前漬け」を漬けたのだった。北海道産の千切りにされた昆布とスルメイカがセットになって売られている。これを醤油ベースのたれに2~3日漬け込んで味わう。我家の常備的つまみの一つとなっている代物だ。

「松前漬け」と称しているように、北海道松前町界隈の郷土料理を発祥としており、今では東京をはじめ全国的な漬物の一つとして広まっている。

スーパーや百貨店等々に於いては、高級食材としての数の子を用いたものが売られている。数の子が入った「松前漬け」は確かにその高級素材が入ったことにより、食感やマイルドさにおいてスルメと昆布だけのものよりも際立っている。これだけで比較すれば、シンプル的松前漬けの立場は極めて不利な状況だ。

改めて思うに自家製の「松前漬け」には数の子は蚊帳の外である。これは新鮮な数の子が手に入りにくいということに加えて、シンプルな松前漬けこそが酒の肴としてはピントの合ったつまみであるという認識に基づくものなのである。

おいらがかつて食していた「松前漬け」は昆布とスルメイカによるシンプルなものであり、酒の肴としてはとても絶品な代物なのであった。「松前漬け」のセットは安価でありながらとても酒にぴったりくる、逸品の肴として重宝していた。そんな思いを抱きつつ、自家製の松前漬けを肴に晩酌の日々なのであった。

この季節は特に美味しい里芋の「きぬかつぎ」

里芋の美味しい季節である。煮物として食する機会が多いが、皮ごと蒸して食べる「きぬかつぎ」というメニューもまた捨てがたい。

里芋の小ぶりな子芋を皮ごと蒸して、塩や味噌などの調味料で味をつけて食する。黒々とした里芋の皮は、平安時代の女性の衣装である「衣被ぎ」に似ていることから命名されたとする説が有力である。平安朝のころから食されていたと思えば、その格式も見事なものだ。

平安朝の衣装を手ではがしてみる。すると中には白々と透き通ったかのごとくに瑞々しい身に出合うのである。これまた優雅なる平安朝の食べ物を彷彿とさせている。

ジャガイモ、サツマイモといったメジャー的芋種との最大の違いは、其のツルリとした食感とともに、天然の甘味であろう。調味料としての砂糖か邪魔になるくらいに、里芋の甘味は稀有な味覚を有している。塩も味噌もつけずに味わってこその、きぬかつぎの美味さである。

生よりも凝縮した旨味を味わえる「ままかりの一夜干し」

「ままかり」という名の食用魚がいる。主に九州の薩摩地方にて郷土食として食されている。「ままかり」という名の由来は、隣の家からまま(ご飯)を借りたいくらいに食が進む美味い魚だということからきている。全長は大きなもので20cmほど、料理店や郷土居酒屋にてて提供されているのは5cm程度の小振りであることが多い。体は木の葉のように左右に平たい。背中よりも腹が下に出ている。体色は背中側は青緑色、体側から腹側までは銀白色をしている。

先日は、薩摩の郷土料理店にて「ままかりの一夜干し」なるメニューを食することが出来たのである。これまで「ままかり」は主に酢漬けや刺身で食していたので、一夜干しというメニューにはかなりの関心を抱いていたものではある。

刺身のままかりはといえば、とても淡白で繊細な味わいが持ち味だが、一夜干しとして提供されるもの、一夜干しの焼き魚は、とてもコクや旨味が凝縮していて、たっぷりと味わうことが出来たのである。身が小さく締まっている分に余計に味わいが凝縮していた。いつもよりホッピーの酒が進んでいたことは特記しておきたいと思うのである。

鰯の旨味や栄養素をじっくり味わえる「イワシのつみれ鍋」

魚が旨い季節の秋になると、鰯(イワシ)が特段に旨くなる。この時期に脂や栄養がたっぷり乗った美味なる「マグロ」や「カツオ」にありつけられるのも、イワシが居るからこそではある。

弱い魚と書くことからも想像するように、魚類の世界の中では他の種からの食物ともなっている。いわば食物連鎖の基礎を担っているとも見ることが出来るのである。

幼魚のころからシラスやちりめんじゃこ、煮干し、等々として食されてきた。成魚となっても生で食されることは多くはなくて、干して目刺しや丸干しとして食されている。ちなみにおいらはイワシの丸干しが大好物なのだが、実はこれには痛風の原因物質たる「プリン体」が多く含まれているために、禁忌的食物となっている。たまには食べるが、大量に食することが出来ないのであります。

最もポピュラーな青魚として、動脈硬化症を予防する成分に注目が集まっている。脳梗塞、心筋梗塞を事前に防ぐ食材としては、青魚がナンバー1である。健康な血管を維持することがすなわち健康な身体を保つことにつながっているのであり、EPA、DHAといった特別な栄養素は青魚からとるしかないのだ。たかがイワシとは決して云うまい。

自民の総裁選で出てきた平成の妖怪こと安部晋三で、橋下維新の風が止まった

民主、自民ともに代表選、総裁選というイベントをこなして出てきたのは、平成の妖怪こと安部晋三という政治家的エリートのボンボンであった。改めて記すまでもなくこのボンボンは、かつて我が国最高権力者の位の身に在りながら「お腹が痛い」という某難病に罹患していることを口実にしてその座を投げ出した人物である。

「病気ならば仕方ないだろう」等々の厚意的コメントがマスコミを蹂躙した中にあっても、「たかがお腹の病気ごときで仕事を投げ出すな」「男が最高権力を去るときは死ぬ時だ」「2度と政治の世界に顔を出すな」といった辛辣な評価が渦巻いていたことも確かなのであった。

それでも今回復活の舞台を得たのは、日本国民の国民性が寛大だからだということには決してならない。何やら昭和の妖怪こと岸信介の亡霊が孫の安部晋三に取りついてしまったと見るのがある種の邪推だがそれでも極めて妥当な推量かと思われる。

橋下徹の野望もついにここに来てはてりといった状況をイメージさせる。

本年の政局は橋下徹の大阪維新劇場で幕を上げたが、維新劇場が妖怪を取り込むことなどできずに終わって、出てきた平成の妖怪こと安部晋三に蹂躙される羽目に陥っている。あと数回は風を吹かすことは可能であろうが、橋下的維新の風はここにきて止まりつつある。当人が望むような神風を惹き起こすことが出来なかったことは確かである。