二枚貝の中では大きな部類であり、アサリに比べて食べ応え、噛み応えも大きなものがある。
吸い物、鍋の具材、等々と様々な活用法があるが、とてもシンプルで味わい深いのが「ハマグリのバター蒸し」である。調味料としてのバターがハマグリ料理に独特のコクを与えている。バターの他に酒蒸しというものもあるが、ハマグリにはバター蒸しに敵わないといえよう。
栄養的にはビタミンB2を比較的多く含むので、動物的タンパク質ともあいまって、身体に優しい味わいに満たされるのである。
先日から、野手溢れる「野蒜(のびる)」の魅力に取り憑かれている感のあるおいらである。先日は久々に口にした興奮などを交えて野蒜(のびる)をレポートしている。
http://www.midori-kikaku.com/blog/?p=7650
野蒜と漢字で書いてあとでかっこ付きのルビを振っているのは、漢字では難しすぎるし、かといってひらがなの「のびる」では全然すっきりしないことから、仕方なくそうしていることをおくみとりいただきたいなと思っている次第である。
さて本題に入るが、野蒜(のびる)という野生食物は生で口にする以外に、キムチ漬けにしても、格段に美味いのだということの発見について述べたいのだ。爽やかな鮮度あるピリリ感を保ったままに、キムチ漬けしたピリ辛の「野蒜キムチ」は、いつになく満足な味わいのキムチ料理であった。
ネットを検索すれば、味噌漬け、キムチ漬け、等々のメニューがヒットしているが、確かに生野蒜(のびる)に負けず劣らずの旨味を主張するべき価値がある。生で驚き、漬物にしてさらに舌鼓を打つ。これぞ野蒜(のびる)ならではの存在感。もっと注目されてよい食材であることは確認できたのである。
我家が檀家でもある、地元上州の禅宗寺院の住職をされていた和尚さんが、先月亡くなったという手紙が届いて、悲しみにくれている。昨年末に法事でお寺を訪れた際には、元御住職が小脳に関する難病を患っているという話をお聞きしていた。国立の群馬大学医学部病院でも治療できない難病だと言われていたそうであるが、こんなに早く逝かれるとは予想もできなかった。そのときにもっと早く病院にお見舞いをして、これまでの感謝を伝えたかったこと、それが出来なかったことを悔いている。
先祖からの菩提寺である東京都内の某禅寺から上州のそのお寺に引き継いでいただくために訪れたとき以来、とても気さくに接していただき、禅の教えも身近に感じることができていた。「般若心経」を朗読するようになったのも、和尚さんからその経典をいただいてからのことである。はじめは「御住職」と堅苦しく接していたのに、何度かお会いするうちにいつの間にか「和尚さん」と呼んで接することが出来ていたのも、そのお人柄のゆえなのだろう。先月に亡くなった和尚さんは密葬を済ませたとのことであり、来月には本葬にあたいする「津送の儀」が執り行われるとのことが、手紙に記されていた。常人とはまた違う天国への道のりをたどっているということなのかもしれない。あらためて和尚さんのご冥福をお祈りしたい。
韓国鍋の代名詞である「チゲ鍋」の中でも最もポピュラーなのが「スンドゥブチゲ」だ。韓国料理専門店では此の鍋の味を競っている様子は、韓国料理店に入るたびに感じていることだ。
「スンドゥブ」とは「純豆腐」の韓国読みであるので、素材としての豆腐には特別な食材が用いられている。姿形もまた味わいも柔らかくて、辛味の効いたチゲ鍋にはなくてならない食材である。
そして「スンドゥブチゲ」にもう一つの必須食材が「アサリ」である。アサリの出汁がこの鍋料理の味の一体感をつくり出しているのてあり、なくてはならない。海鮮食材としての出汁
特別な豆腐に鮮度の良いアサリで調理された「スンドゥブチゲ」は、日本人であるおいらの舌にもこびりついている。旨い酒と共に口にしていたいと云うべき定番料理の一つなのである。
地元のスーパーにて「色ピーマン」を見かけたので、蒟蒻とともに購入して帰り、、夜食に利用した。名づけて「蒟蒻(こんにゃく)と色ピーマン炒め」である。
蒟蒻を油で炒めたメニューは、カロリーが極少的に抑えられており、しかも蒟蒻自体が天然食物繊維の宝庫となっているために、夜の食事としてはよく作っている。今宵は「色ピーマン」という、食物繊維に加えてビタミンCやカロテンが豊富だときているのだから両者あい合わせて見たのであり、思い通りの味わい深いメニューにありつけたという訳なのであった。
もともとは濃緑色したピーマンは、熟させて収穫すると赤、橙色、黄色等に色づいて、甘味も増していく。近頃ではこの種の「色ピーマン」を見るのも珍しくなくなっているので、炒め物としてはもってこいである。
だが「色ピーマン」に似て「パプリカ」なる代物も、近頃の我が国の食材市場に侵入しており、これらはほぼ外国産のものとなっており、我が国では認められない農薬やらその他の添加物が注入されていることから、注意が必要である。メニュー名に「色ピーマン」とあるものを選びたいものである。
大根のキムチこと「カクテキ」を食した。辛くてさっぱりしていて、サクサクポリポリとしたその食感が絶妙であり、胃袋にも優しそうである。辛さをもたらす唐辛子じたいの味わいもまた、優しい味わいがしていた。その味わいは大根料理としての発見をもたらすものでもあったので、その印象的なる邂逅についてはとてもインパクトに満ちていたのだ。
胃袋にも優しそうだったという印象には根拠がある。水分が豊富であり、食物繊維もまた充分に豊富だ。そんな特別な食材に、辛さとともに旨味がプラスされているのだから、プラスアルファ、累乗された美味しさを味わえたと云えるのだろう。インスタントなキムチの基などでは決して作れない味わいである。
そもそも大根料理には奥が深いものがある。例えば大根とともに煮込んだ煮物は、大根が脇役になるにもかかわらずに、無くてならない食材が大根だ。鰤をはじめとする魚の脂が染みた大根は脇役としての大根の良さをアピールしている。あるいは美味いおでんの大根は、具が出している複雑な味わいを充分に染み入れているからこそ、美味くなっているのである。
かつておいらが住んでいた処の板橋界隈に足を運んだ。20代のころだからもうそうとう過去の出来事になるが、東武東上線の上板橋駅周辺の郊外地区に、おいらが住んでいたアパートがあった。東上線「東武練馬」駅に下車し、そこから「上板橋」方面へと足を歩を進めていたのだった。「東武練馬」駅から「上板橋」方向へと向かう道は、かつての「川越街道」が走っていたのであり、標識には「旧川越街道」と表記されていたのである。
さて、上板橋近くの街並みに入り込んで、おいらはかつて足繁くに通っていた居酒屋を探していた。まずは居住していたアパートを探し出し、そこから周辺半径50メートルの界隈を散策していた。ところが其れらしき店舗を見つけ出すことが出来ないのだ。入り下った路地界隈の道幅は過去と同様にとても狭くて、此処にはこの店、あそこにはあの焼鳥居酒屋があったはずだという場所にも、そのような店舗の陰は見つけることが出来なかった。
「上板橋」駅前周辺に辿り着き、「上板橋南口銀座商店街」を歩くと、とても小さな路地(これが「上板橋南口銀座商店街」だった)の周囲に、まるで初めて訪れた街並みを見たような気分に覆われていた。かつての居住地こと板橋は昔の板橋にあらず、なのであった。
豚の肝臓をステーキ風に焼いた「レバテキ」という、ある種不思議なメニューにありついていたのである。東京都台東区内御徒町界隈の居酒屋「佐原屋」にてそのメニューが提供されている。
豚の肝臓(レバー)を大降りにカットして、それをフライパンの火に炙って、ほぼ完成する。シンプルかつエコロジー極まる。そのメニューは、我が国にてはありそうで無かったという不思議な、しかもありうべきメニューとして評価したいと思ったのである。
豚のレバーは、こと牛のレバーに比べて、あまり我が国の食卓に上ることが少ないのかもしれない。だが栄養素的に牛レバーに劣っていることはゅう少ないので、豚のレバーはビタミンB群の補給のめんからも、至極有効な食材である。
牛肉至上主義的な肉市場の常識をとっぱらって、豚肉のレバー、あるいは豚の内臓類については、もっともっと珍重してよいメニューなのである。
イカの身をイカスミ味で炒めた「イカスミ炒め」を食したのだ。イのてカの身を、イカスミ(イカワタとも云う)で味付けして炒めるという、至極シンプルな料理であるが、これが何度食べても逸品の味わいなのに感動するのだ。
イカの身はまずは軟骨や内臓を取り除いて、幅1cm程度の細切りにされている。新鮮なイカならば種類は問わないが、ある程度の量のイカスミが必要なのであるから、ヤリイカがてきしてい
る。ゲソも美味しく味わえるのでなおさらである。
イカ墨の色素成分はメラニンである。さらにはアミノ酸の含有率が高く、健康成分を多く含んでいる。黒いしきそはそれだけみればまがまがしくもあるが、調理に用いられたものを観察していくと、とても深遠なる色彩であることを発見する。そもそもは、イカ墨を原料とした顔料のことを「セピア」と呼ぶのであって、黒い色彩とばかりとは限らないのである。深い褐色の黒味をふくんだ色彩なのであり、その色彩表現力は強力なのである。イカの身をイカ墨味で炒めた「イカスミ炒め」は目と口で味わうべしなのである。
その昔のおいらの友人は、「イカソーメン」を見る度に口を開けば貶していたものだった。その彼曰く、「ただのイカの身を細くしただけのものだ」「イカの本来の姿を見せにくくしている」「イカの身をソーメンつゆで食することなど出来ない」…云々と。
彼の気迫に気圧されて一時はおいらもそんな気分になってしまったが、やはり「イカソーメン」はそれなりの存在感と旨味とユニークさを有しているということを、先日は「イカソーメン」に箸をつけながら感じ取っていたという訳なのである。
鮮度の高いイカの刺身は、白いながらに透き通った艶とも云うべき彩度を感じさせるのであり、そんな鮮度眩いイカの身を、細く切りそって素麺仕立てにしたものは、イカの刺身とはまた違った食感と共に味わいのバリエーションをもたらしてくれるものではある。さらに加えて述べるならば、鮮度の良い細く切りそろえられている生イカの身の光沢は、その透明度や光輝度に勝るものが無いくらいの稀有なる姿かたちを示していたということでもある。「イカソーメン」はけっして邪道的メニューにはあらず
その昔のおいらの友人は、「イカソーメン」を見る度に口を開けば貶していたものだった。その彼曰く、「ただのイカの身を細くしただけのものだ」「イカの本来の姿を見せにくくしている」「イカの身をソーメンつゆで食することなど出来ない」…云々と。
彼の気迫に気圧されて一時はおいらもそんな気分になってしまったが、やはり「イカソーメン」はそれなりの存在感と旨味とユニークさを有しているということを、先日は「イカソーメン」に箸をつけながら感じ取っていたという訳なのである。
鮮度の高いイカの刺身は、白いながらに透き通った艶とも云うべき彩度を感じさせるのであり、そんな鮮度眩いイカの身を、細く切りそって素麺仕立てにしたものは、イカの刺身とはまた違った食感と共に味わいのバリエーションをもたらしてくれるものではある。さらに加えて述べるならば、鮮度の良い細く切りそろえられている生イカの身の光沢は、その透明度や光輝度に勝るものが無いくらいの稀有なる姿かたちを示していたということでもある。決して「イカソーメン」を侮るべからずなのである。
例年に比べて発育が遅いのではないか危惧していた我が家のチューリップが、漸く花を咲かせたのだった。4月11日という日は、過去の記録と照らし合わせてみれば、別段に遅いということでもなかった。危惧が杞憂に終わったということで、一安心なのであった。
今年のチューリップは、完全なる放任的な条件で育っていたのであり、芽を出したときからにして例年以上に期待を膨らませてしまっていた。放任チューリップの花が果たして咲いてくれるのかも判らぬままに、毎日の観察を続けていたところ、遅いと思われていたその芽は何時しか蕾をつけ、そうして期待通りの花を咲かせていた。
まだまだ開花を待つチューリップは我が家の庭を席巻しているのであり、これからの成長が益々に愉しみなのである。
久しぶりに「みどり企画ギャラリー」を更新しました。
http://www.midori-kikaku.com/gallery/
内容については、おいらのこの1~2年の間に描いたタブローを追加し、ページデザインは、ギャラリーページに相応しいものに変更しました。
ところで本日昼間はと云えば、先日当ブログでも紹介した阿山さんの個展に足を運んでいたのだった。
http://www.midori-kikaku.com/blog/?p=7577
先日に訪れたときとは一転して綺麗にレイアウトされたギャラリーの作品の一つ一つに、更なるインパクトを受けていたのであり、おいらも今更ながら制作への意欲を沸き立てていたというのであり、近作を整理しつつ、ギャラリーにアップすることを思い至ったという訳である。
茗荷(みょうが)が美味しい季節がち近づいてきた。日本以外の他国にてはほとんど食されることの無いという食材である。春の息吹とともに芽を出し、香り豊かな茗荷の花弁を開いていく。
そんな茗荷に梅酢を漬け込んだという「茗荷の梅酢」にありついたのである。
よくある甘酢漬けとは違って、素材の野性味が絶えることなく伝わってくる味わいだ。例えばらっきょうの「甘酢漬け」と「塩漬け」との違いにも似ている。甘酢漬けのほうは口にはやさしいが、決して味わいが豊富な訳ではなく、却って単調な味覚を押し付けているのだが、塩ラッキョウのほうはといえば、単調な味わいを打ち破り、そもそもの素材のワイルドな味わいを活かしているのだ。
結局のところ、茗荷は生で食するのが美味しいのだが、梅酢という漬汁で漬け込んだ「茗荷の梅酢」もまた茗荷料理のレシピ的逸品のひとつとして記しておきたいと考えていたのである。「茗荷の梅酢」は悪くない。しかも逸品の味わいである。
マグロ料理の定番メニューには「マグロの漬け丼」というものが存在するのであり、決して一時の人気、ブームに拘泥することなく、定番メニューとしての存在感を長年にわたって維持しているのである。
その「マグロの漬け丼」のレシピといえば、マグロの刺身を醤油漬けにして、酢飯を盛った丼にかけるという、とてもシンプルなものとなっている。シンプルなメニューの味わいを左右するのはもちろんのこと、その素材の善し悪しであり、新鮮なマグロの切り身を漬け込んだ「マグロの漬け丼」には、とても舌をうならせるものがある。
「マグロの漬け丼」に合うマグロの切り身は、大トロとか中トロとかいう部位である必要は無くて、赤身がしっくりするのであり、しかも、マグロの筋が見えていたりする切り身にも、「マグロの漬け丼」はしっくりとくるのである。先日口にした「マグロの漬け丼」とはまさに「マグロの漬け丼」としての代表的な姿かたちを保っており、充分に美味みをあじわうことができたのだった。
某居酒屋にて「納豆豆腐」なるメニューを目にした。豆腐に納豆が乗っているのだな、ということは容易に予想が付くメニューであった。が然し、豆腐と納豆といえばどちらも「大豆」が原材料となる食材なのであり、ダブってしまっているのは明白である。漫画「孤独のグルメ」風につぶやくならば、「豆腐と納豆で、大豆がダブってしまった」という台詞となるのだろう。
本日は多少ためらいながらも、兎に角「試食的」に、当メニューを味わってみたのだった。そして、出てきた料理は想像したとおりのものたった。
味は決して悪くは無かった。大豆と大豆の競演でも、これだけ味のバリエーションが豊かなのだから、想像以上の出来栄えであると云うべきかもしれない。かといって自分でこの料理をつくりたいとも思わない。これはまさしくかなりの決定的な矛盾を孕んだ料理だということになる。
木材にパワフルな作品を描く、阿山隆之個展「阿山くんの世界Ⅱ」がギャラリー木馬で明日スタートします。
大胆にカットされた天然の木材をキャンバスがわりにして、さまざまな生き物をモチーフにしてパワフルなタブロー(絵画)が描かれている。阿山隆之さんの大胆で力強い線で描かれた水牛の作品は、かつて八王子夢美術館で行われた「市民公募 夢美エンナーレ入選作品展」にて出展されていて、おいらはその作品世界に接し強く圧倒されていたのであった。
http://www.yumebi.com/acv38.html
http://www.yumebi.com/images/exb38_pic07L.jpg
そんな、阿山さんの個展が、明日こと4月2日(火)から12日(金)まで「木馬工房 ギャラリー木馬」で開催される。阿山さんは、木馬工房に通所している自閉症の人で、絵もまたパワフルで面白い絵を書いている。先日は同工房の人から、阿山隆之さんの個展の案内があり、明日の個展オープンには少々早いがお邪魔してきたのでした。
以前目にした水牛の作品以外に、魚類をモチーフにして天然色の色彩で描かれた作品等々の多彩な作品群がそう広くないギャラリーに配置されていた。展示作業の途中であったというとても大切な時間ににお邪魔してしまったが、忙しい中でギャラリーの中にも案内してもらっていたのであり、大変に恐縮しつつ、明日からの個展にわくわくの思いを強くしていた。週末の休日にはまた訪れてみたいと思っている次第である。
ギャラリーを運営する木馬工房は、八王子市役所隣にある身障者の就労支援継続B型の事業所だという。同工房では、木工・印刷・ガラスなど障害がある方が通い仕事をしている。また、アート活動の一貫で、昨年建替に伴い、昨年11月にはギャラリーをオープンしたそうである。阿山さんの描き出す作品が同工房にて制作されていることも、同工房の関係者たちのサポートがあってのことなのだろう。ぜひとも足を運びたい、運んでもらいたい展示会である。
■阿山隆之個展「阿山くんの世界Ⅱ」
4月2日(火)~12日(金)
10時~17時(最終日16時まで)
■木馬工房 ギャラリー木馬
東京都八王子市元本郷町3-17-13
(八王子市役所すぐそば)
TEL 042-624-3340
春先のこの時季に収穫される玉ねぎは、通常のものと比べて皮が柔らかく黄色っぽくしかも大降りであり、何時からか「新玉ねぎ」と呼ばれるようになっていた。水分が豊富で柔らかく甘みが強いのが特徴とされている。生でスライスすれば柔らかな甘味が香る玉ねぎサラダとしての逸品となる。この季節だからこそ味わえる食材である。
この新玉ねぎを丸ごと一つを丸焼きにして出された「玉ねぎ丸ごと焼き」という珍しいメニューに遭遇した。そして出されてきた料理は予想した通りの、そのままずばりの代物だった。玉ねぎを皮ごと丸焼きにして、焦げた皮を除いたものを四等分し、鰹節をまぶしていた。
少々の醤油を垂らして口にすれば、水分をたっぷり含んで甘味も増した玉ねぎの香りとともに、春の香りとでも呼ぶべき香りが口腔内に充溢したのだった。この時季ならではの「玉ねぎ丸ごと焼き」なのであった。