地元禅寺の和尚さん逝去の手紙が届いた

我家が檀家でもある、地元上州の禅宗寺院の住職をされていた和尚さんが、先月亡くなったという手紙が届いて、悲しみにくれている。昨年末に法事でお寺を訪れた際には、元御住職が小脳に関する難病を患っているという話をお聞きしていた。国立の群馬大学医学部病院でも治療できない難病だと言われていたそうであるが、こんなに早く逝かれるとは予想もできなかった。そのときにもっと早く病院にお見舞いをして、これまでの感謝を伝えたかったこと、それが出来なかったことを悔いている。

先祖からの菩提寺である東京都内の某禅寺から上州のそのお寺に引き継いでいただくために訪れたとき以来、とても気さくに接していただき、禅の教えも身近に感じることができていた。「般若心経」を朗読するようになったのも、和尚さんからその経典をいただいてからのことである。はじめは「御住職」と堅苦しく接していたのに、何度かお会いするうちにいつの間にか「和尚さん」と呼んで接することが出来ていたのも、そのお人柄のゆえなのだろう。先月に亡くなった和尚さんは密葬を済ませたとのことであり、来月には本葬にあたいする「津送の儀」が執り行われるとのことが、手紙に記されていた。常人とはまた違う天国への道のりをたどっているということなのかもしれない。あらためて和尚さんのご冥福をお祈りしたい。

アサリの出汁が効いた「スンドゥブチゲ」

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韓国鍋の代名詞である「チゲ鍋」の中でも最もポピュラーなのが「スンドゥブチゲ」だ。韓国料理専門店では此の鍋の味を競っている様子は、韓国料理店に入るたびに感じていることだ。

「スンドゥブ」とは「純豆腐」の韓国読みであるので、素材としての豆腐には特別な食材が用いられている。姿形もまた味わいも柔らかくて、辛味の効いたチゲ鍋にはなくてならない食材である。

そして「スンドゥブチゲ」にもう一つの必須食材が「アサリ」である。アサリの出汁がこの鍋料理の味の一体感をつくり出しているのてあり、なくてはならない。海鮮食材としての出汁

特別な豆腐に鮮度の良いアサリで調理された「スンドゥブチゲ」は、日本人であるおいらの舌にもこびりついている。旨い酒と共に口にしていたいと云うべき定番料理の一つなのである。

夜食に「蒟蒻(こんにゃく)と色ピーマン炒め」はとっておき的メニューだ

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地元のスーパーにて「色ピーマン」を見かけたので、蒟蒻とともに購入して帰り、、夜食に利用した。名づけて「蒟蒻(こんにゃく)と色ピーマン炒め」である。

蒟蒻を油で炒めたメニューは、カロリーが極少的に抑えられており、しかも蒟蒻自体が天然食物繊維の宝庫となっているために、夜の食事としてはよく作っている。今宵は「色ピーマン」という、食物繊維に加えてビタミンCやカロテンが豊富だときているのだから両者あい合わせて見たのであり、思い通りの味わい深いメニューにありつけたという訳なのであった。

もともとは濃緑色したピーマンは、熟させて収穫すると赤、橙色、黄色等に色づいて、甘味も増していく。近頃ではこの種の「色ピーマン」を見るのも珍しくなくなっているので、炒め物としてはもってこいである。

だが「色ピーマン」に似て「パプリカ」なる代物も、近頃の我が国の食材市場に侵入しており、これらはほぼ外国産のものとなっており、我が国では認められない農薬やらその他の添加物が注入されていることから、注意が必要である。メニュー名に「色ピーマン」とあるものを選びたいものである。

大根の味わいを累乗した以上の旨い「カクテキ」を味わう

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大根のキムチこと「カクテキ」を食した。辛くてさっぱりしていて、サクサクポリポリとしたその食感が絶妙であり、胃袋にも優しそうである。辛さをもたらす唐辛子じたいの味わいもまた、優しい味わいがしていた。その味わいは大根料理としての発見をもたらすものでもあったので、その印象的なる邂逅についてはとてもインパクトに満ちていたのだ。

胃袋にも優しそうだったという印象には根拠がある。水分が豊富であり、食物繊維もまた充分に豊富だ。そんな特別な食材に、辛さとともに旨味がプラスされているのだから、プラスアルファ、累乗された美味しさを味わえたと云えるのだろう。インスタントなキムチの基などでは決して作れない味わいである。

そもそも大根料理には奥が深いものがある。例えば大根とともに煮込んだ煮物は、大根が脇役になるにもかかわらずに、無くてならない食材が大根だ。鰤をはじめとする魚の脂が染みた大根は脇役としての大根の良さをアピールしている。あるいは美味いおでんの大根は、具が出している複雑な味わいを充分に染み入れているからこそ、美味くなっているのである。

かつての居住地こと板橋は昔の板橋にあらず

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かつておいらが住んでいた処の板橋界隈に足を運んだ。20代のころだからもうそうとう過去の出来事になるが、東武東上線の上板橋駅周辺の郊外地区に、おいらが住んでいたアパートがあった。東上線「東武練馬」駅に下車し、そこから「上板橋」方面へと足を歩を進めていたのだった。「東武練馬」駅から「上板橋」方向へと向かう道は、かつての「川越街道」が走っていたのであり、標識には「旧川越街道」と表記されていたのである。

さて、上板橋近くの街並みに入り込んで、おいらはかつて足繁くに通っていた居酒屋を探していた。まずは居住していたアパートを探し出し、そこから周辺半径50メートルの界隈を散策していた。ところが其れらしき店舗を見つけ出すことが出来ないのだ。入り下った路地界隈の道幅は過去と同様にとても狭くて、此処にはこの店、あそこにはあの焼鳥居酒屋があったはずだという場所にも、そのような店舗の陰は見つけることが出来なかった。

「上板橋」駅前周辺に辿り着き、「上板橋南口銀座商店街」を歩くと、とても小さな路地(これが「上板橋南口銀座商店街」だった)の周囲に、まるで初めて訪れた街並みを見たような気分に覆われていた。かつての居住地こと板橋は昔の板橋にあらず、なのであった。

豚の肝臓をステーキ風に焼いた「レバテキ」という不思議なメニュー

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豚の肝臓をステーキ風に焼いた「レバテキ」という、ある種不思議なメニューにありついていたのである。東京都台東区内御徒町界隈の居酒屋「佐原屋」にてそのメニューが提供されている。

豚の肝臓(レバー)を大降りにカットして、それをフライパンの火に炙って、ほぼ完成する。シンプルかつエコロジー極まる。そのメニューは、我が国にてはありそうで無かったという不思議な、しかもありうべきメニューとして評価したいと思ったのである。

豚のレバーは、こと牛のレバーに比べて、あまり我が国の食卓に上ることが少ないのかもしれない。だが栄養素的に牛レバーに劣っていることはゅう少ないので、豚のレバーはビタミンB群の補給のめんからも、至極有効な食材である。

牛肉至上主義的な肉市場の常識をとっぱらって、豚肉のレバー、あるいは豚の内臓類については、もっともっと珍重してよいメニューなのである。

イカの身をイカ墨味で炒めた「イカスミ炒め」は目と口で味わうべし

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イカの身をイカスミ味で炒めた「イカスミ炒め」を食したのだ。イのてカの身を、イカスミ(イカワタとも云う)で味付けして炒めるという、至極シンプルな料理であるが、これが何度食べても逸品の味わいなのに感動するのだ。

イカの身はまずは軟骨や内臓を取り除いて、幅1cm程度の細切りにされている。新鮮なイカならば種類は問わないが、ある程度の量のイカスミが必要なのであるから、ヤリイカがてきしてい
る。ゲソも美味しく味わえるのでなおさらである。

イカ墨の色素成分はメラニンである。さらにはアミノ酸の含有率が高く、健康成分を多く含んでいる。黒いしきそはそれだけみればまがまがしくもあるが、調理に用いられたものを観察していくと、とても深遠なる色彩であることを発見する。そもそもは、イカ墨を原料とした顔料のことを「セピア」と呼ぶのであって、黒い色彩とばかりとは限らないのである。深い褐色の黒味をふくんだ色彩なのであり、その色彩表現力は強力なのである。イカの身をイカ墨味で炒めた「イカスミ炒め」は目と口で味わうべしなのである。

「イカソーメン」はけっして邪道的メニューにはあらず

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その昔のおいらの友人は、「イカソーメン」を見る度に口を開けば貶していたものだった。その彼曰く、「ただのイカの身を細くしただけのものだ」「イカの本来の姿を見せにくくしている」「イカの身をソーメンつゆで食することなど出来ない」…云々と。

彼の気迫に気圧されて一時はおいらもそんな気分になってしまったが、やはり「イカソーメン」はそれなりの存在感と旨味とユニークさを有しているということを、先日は「イカソーメン」に箸をつけながら感じ取っていたという訳なのである。

鮮度の高いイカの刺身は、白いながらに透き通った艶とも云うべき彩度を感じさせるのであり、そんな鮮度眩いイカの身を、細く切りそって素麺仕立てにしたものは、イカの刺身とはまた違った食感と共に味わいのバリエーションをもたらしてくれるものではある。さらに加えて述べるならば、鮮度の良い細く切りそろえられている生イカの身の光沢は、その透明度や光輝度に勝るものが無いくらいの稀有なる姿かたちを示していたということでもある。「イカソーメン」はけっして邪道的メニューにはあらず

その昔のおいらの友人は、「イカソーメン」を見る度に口を開けば貶していたものだった。その彼曰く、「ただのイカの身を細くしただけのものだ」「イカの本来の姿を見せにくくしている」「イカの身をソーメンつゆで食することなど出来ない」…云々と。

彼の気迫に気圧されて一時はおいらもそんな気分になってしまったが、やはり「イカソーメン」はそれなりの存在感と旨味とユニークさを有しているということを、先日は「イカソーメン」に箸をつけながら感じ取っていたという訳なのである。

鮮度の高いイカの刺身は、白いながらに透き通った艶とも云うべき彩度を感じさせるのであり、そんな鮮度眩いイカの身を、細く切りそって素麺仕立てにしたものは、イカの刺身とはまた違った食感と共に味わいのバリエーションをもたらしてくれるものではある。さらに加えて述べるならば、鮮度の良い細く切りそろえられている生イカの身の光沢は、その透明度や光輝度に勝るものが無いくらいの稀有なる姿かたちを示していたということでもある。決して「イカソーメン」を侮るべからずなのである。

我が家のチューリップが漸く花を咲かせた

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例年に比べて発育が遅いのではないか危惧していた我が家のチューリップが、漸く花を咲かせたのだった。4月11日という日は、過去の記録と照らし合わせてみれば、別段に遅いということでもなかった。危惧が杞憂に終わったということで、一安心なのであった。

今年のチューリップは、完全なる放任的な条件で育っていたのであり、芽を出したときからにして例年以上に期待を膨らませてしまっていた。放任チューリップの花が果たして咲いてくれるのかも判らぬままに、毎日の観察を続けていたところ、遅いと思われていたその芽は何時しか蕾をつけ、そうして期待通りの花を咲かせていた。

まだまだ開花を待つチューリップは我が家の庭を席巻しているのであり、これからの成長が益々に愉しみなのである。

久しぶりに「みどり企画ギャラリー」を更新しました

久しぶりに「みどり企画ギャラリー」を更新しました。

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http://www.midori-kikaku.com/gallery/

内容については、おいらのこの1~2年の間に描いたタブローを追加し、ページデザインは、ギャラリーページに相応しいものに変更しました。

 

ところで本日昼間はと云えば、先日当ブログでも紹介した阿山さんの個展に足を運んでいたのだった。

http://www.midori-kikaku.com/blog/?p=7577

 

先日に訪れたときとは一転して綺麗にレイアウトされたギャラリーの作品の一つ一つに、更なるインパクトを受けていたのであり、おいらも今更ながら制作への意欲を沸き立てていたというのであり、近作を整理しつつ、ギャラリーにアップすることを思い至ったという訳である。

小鯵の刺激が嬉しい「鯵の南蛮漬け」

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小鯵と呼ばれる子供の鯵を丁寧に下ごしらえし、油で揚げた後に、酢・醤油・砂糖・唐辛子、玉ねぎ、人参、等々の漬け汁に漬け込んで、「鯵の南蛮漬け」は調理される。それだけ手間と時間をかけており、刺激的な酢鯵の味はか格別な思いがする。

春爛漫の味いを醸すような「茗荷の梅酢」

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茗荷(みょうが)が美味しい季節がち近づいてきた。日本以外の他国にてはほとんど食されることの無いという食材である。春の息吹とともに芽を出し、香り豊かな茗荷の花弁を開いていく。

そんな茗荷に梅酢を漬け込んだという「茗荷の梅酢」にありついたのである。

よくある甘酢漬けとは違って、素材の野性味が絶えることなく伝わってくる味わいだ。例えばらっきょうの「甘酢漬け」と「塩漬け」との違いにも似ている。甘酢漬けのほうは口にはやさしいが、決して味わいが豊富な訳ではなく、却って単調な味覚を押し付けているのだが、塩ラッキョウのほうはといえば、単調な味わいを打ち破り、そもそもの素材のワイルドな味わいを活かしているのだ。

結局のところ、茗荷は生で食するのが美味しいのだが、梅酢という漬汁で漬け込んだ「茗荷の梅酢」もまた茗荷料理のレシピ的逸品のひとつとして記しておきたいと考えていたのである。「茗荷の梅酢」は悪くない。しかも逸品の味わいである。

久しぶりに食した「マグロの漬け丼」は美味だった

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マグロ料理の定番メニューには「マグロの漬け丼」というものが存在するのであり、決して一時の人気、ブームに拘泥することなく、定番メニューとしての存在感を長年にわたって維持しているのである。

その「マグロの漬け丼」のレシピといえば、マグロの刺身を醤油漬けにして、酢飯を盛った丼にかけるという、とてもシンプルなものとなっている。シンプルなメニューの味わいを左右するのはもちろんのこと、その素材の善し悪しであり、新鮮なマグロの切り身を漬け込んだ「マグロの漬け丼」には、とても舌をうならせるものがある。

「マグロの漬け丼」に合うマグロの切り身は、大トロとか中トロとかいう部位である必要は無くて、赤身がしっくりするのであり、しかも、マグロの筋が見えていたりする切り身にも、「マグロの漬け丼」はしっくりとくるのである。先日口にした「マグロの漬け丼」とはまさに「マグロの漬け丼」としての代表的な姿かたちを保っており、充分に美味みをあじわうことができたのだった。

大豆がダブっている「納豆豆腐」を試食したところ…

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某居酒屋にて「納豆豆腐」なるメニューを目にした。豆腐に納豆が乗っているのだな、ということは容易に予想が付くメニューであった。が然し、豆腐と納豆といえばどちらも「大豆」が原材料となる食材なのであり、ダブってしまっているのは明白である。漫画「孤独のグルメ」風につぶやくならば、「豆腐と納豆で、大豆がダブってしまった」という台詞となるのだろう。

本日は多少ためらいながらも、兎に角「試食的」に、当メニューを味わってみたのだった。そして、出てきた料理は想像したとおりのものたった。

味は決して悪くは無かった。大豆と大豆の競演でも、これだけ味のバリエーションが豊かなのだから、想像以上の出来栄えであると云うべきかもしれない。かといって自分でこの料理をつくりたいとも思わない。これはまさしくかなりの決定的な矛盾を孕んだ料理だということになる。

木材にパワフルな作品を描く、阿山隆之個展「阿山くんの世界Ⅱ」がギャラリー木馬で明日スタートします

木材にパワフルな作品を描く、阿山隆之個展「阿山くんの世界Ⅱ」がギャラリー木馬で明日スタートします。

大胆にカットされた天然の木材をキャンバスがわりにして、さまざまな生き物をモチーフにしてパワフルなタブロー(絵画)が描かれている。阿山隆之さんの大胆で力強い線で描かれた水牛の作品は、かつて八王子夢美術館で行われた「市民公募 夢美エンナーレ入選作品展」にて出展されていて、おいらはその作品世界に接し強く圧倒されていたのであった。

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そんな、阿山さんの個展が、明日こと4月2日(火)から12日(金)まで「木馬工房 ギャラリー木馬」で開催される。阿山さんは、木馬工房に通所している自閉症の人で、絵もまたパワフルで面白い絵を書いている。先日は同工房の人から、阿山隆之さんの個展の案内があり、明日の個展オープンには少々早いがお邪魔してきたのでした。

以前目にした水牛の作品以外に、魚類をモチーフにして天然色の色彩で描かれた作品等々の多彩な作品群がそう広くないギャラリーに配置されていた。展示作業の途中であったというとても大切な時間ににお邪魔してしまったが、忙しい中でギャラリーの中にも案内してもらっていたのであり、大変に恐縮しつつ、明日からの個展にわくわくの思いを強くしていた。週末の休日にはまた訪れてみたいと思っている次第である。

ギャラリーを運営する木馬工房は、八王子市役所隣にある身障者の就労支援継続B型の事業所だという。同工房では、木工・印刷・ガラスなど障害がある方が通い仕事をしている。また、アート活動の一貫で、昨年建替に伴い、昨年11月にはギャラリーをオープンしたそうである。阿山さんの描き出す作品が同工房にて制作されていることも、同工房の関係者たちのサポートがあってのことなのだろう。ぜひとも足を運びたい、運んでもらいたい展示会である。

■阿山隆之個展「阿山くんの世界Ⅱ」
4月2日(火)~12日(金)
10時~17時(最終日16時まで)

■木馬工房 ギャラリー木馬
東京都八王子市元本郷町3-17-13
(八王子市役所すぐそば)
TEL 042-624-3340

花散らしの雨にはならなかった本日の桜事情についての考察

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本日もまた雨模様の日であり、桜が散るのではないか、花散らしの雨になるのではないかと、ニースサイト等では話題で盛り上がっていたようではある。おいらは上州群馬への帰省の1日ではあったのだが、鉄道列車の車窓から眺める光景に、とくに桜咲く関東平野の桜の開花事情については、とても注目していたのである。本庄駅近くの公園の桜はまさに満開の様相を呈していたのであり、そんな光景を車窓から見ることが出来たことは至極ラッキーであった。

雨模様も小雨になり、花散らしの雨にはならなかった本日の桜事情ではあった。願わくば明日くらいには、圧巻の花吹雪を見たいと思うのではある。

新玉ねぎを丸ごと焼いたこの時季ならではの「玉ねぎ丸ごと焼き」

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春先のこの時季に収穫される玉ねぎは、通常のものと比べて皮が柔らかく黄色っぽくしかも大降りであり、何時からか「新玉ねぎ」と呼ばれるようになっていた。水分が豊富で柔らかく甘みが強いのが特徴とされている。生でスライスすれば柔らかな甘味が香る玉ねぎサラダとしての逸品となる。この季節だからこそ味わえる食材である。

この新玉ねぎを丸ごと一つを丸焼きにして出された「玉ねぎ丸ごと焼き」という珍しいメニューに遭遇した。そして出されてきた料理は予想した通りの、そのままずばりの代物だった。玉ねぎを皮ごと丸焼きにして、焦げた皮を除いたものを四等分し、鰹節をまぶしていた。

少々の醤油を垂らして口にすれば、水分をたっぷり含んで甘味も増した玉ねぎの香りとともに、春の香りとでも呼ぶべき香りが口腔内に充溢したのだった。この時季ならではの「玉ねぎ丸ごと焼き」なのであった。

久々の「担々刀削麺」で汗だくだくの美味しさだった

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暑い日であった。猛暑と云うにはまだ遠いが、街を歩くだけで汗が滲み出てきた。昼時になり街を歩いていると「担々刀削麺」の看板が目に飛び込んでいて、それにつられるように担々刀削麺の辛いスープをすすっていたのである。食欲が減退する1日だったが、胃腸の疲労に抗うかのようにその麺類に引き込まれていたのであった。特に「パクチー」と云うタイ料理に用いられる香菜の独特な一涼の爽やかな刺激が胃袋に流れ込むとき、日常の活力が取り戻されたようであった。

中華の麺料理には様々なバリエーションがあり、「刀削麺」もその一つである。小麦粉をよくこねた生地に、曲がった刀を用いて麺を作っていく。「刀削麺」を提供する中華料理店ではよくその麺作りの現場をパフォーマンス的に公開している。大きな鍋に向かって、削った麺をほうる様に投げ込んでいく独特の仕様により作られていく。今回食した店でも同様のパフォーマンスに接していたのだ。

山西省が発祥だとされるこの刀削麺の味付けは、マーラー味、坦々味、そして激辛味といったように、辛味のスープで提供されている。大味の麺には辛味の強いスープの味付けが似合うということなのだろう。

■刀削麺荘 唐家 秋葉原店
東京都千代田区外神田3-8-17 渡辺ビル

「バカガイ」こと別名「アオヤギ(青柳)」の刺身を食した

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久しぶりに「バカガイ」別名「アオヤギ(青柳)」の刺身を食したのだが、これがツルリとした食感で愉しませてくれたのだった。たしか我が国でも平安時代の頃から食用に供されていたというものであり、江戸時代に入ればポピュラーな寿司ねたとして流通されていたとされる。名前以上に珍重されるべきねたであることは間違いない。
中身は綺麗なオレンジ色の色味で魅了させてくれる、別名「バカ貝」との異名をとるのが「青柳(あおやぎ)」である。食感もまたつるっとして独特の風味を感じさせてくれる。決して侮れないこと請負である。二枚貝の外見はと云えば、蛤にも似ており、其の昔は江戸前寿司ネタの主要アイテムであったと云うことだが、最近はそんな姿を隠してひっそりとしており、マニアックな食通の舌を唸らせているかのごとくである。其の身の視覚的印象は、べろっとだらしないように舌を出したかの如くでもあり、そんな風体から「バカ貝」との嬉しからざる命名をされたと云う説がある。或は「馬鹿に捕れる」と云った、とても捕れて嬉しいのだと云う、本来は賛嘆すべき形容がその謂れであると云った説も根強く流布しているのだ。どちらの説が正統であるか? といった試みには、残念ながら手立てを失っているのであるが、それにしても、「青柳(別名「バカ貝」)」のしっとりとした食感にはいつに無く舌鼓であったのである。

ブリの煮付けを、行く冬を惜しみつつ味わった

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出世魚の代表格であるブリは、年を重ねるごとに脂身を増していくのであり、人間にとっては美味い条件を増していく。冬はブリが美味しい季節なのであり、春の訪れとともにブリへの愛着も断ち切れないのである。そんな冬のブリのうまみを凝縮させた簡単料理が、ブリの煮付けだ。ブリのカシラを素材にして、日本食のベースである醤油と砂糖と味醂といった甘辛の調味料でじっくりと煮込まれてつくられる。脂が乗ったブリの旨味を味わえる料理だった。