岩手県軽米町の古舘製麺所から、先日取り寄せていた「雑穀麺セット」その他が届いたのだった。これまでに何度も注文していた雑穀麺の逸品だ。
今回はいつものセットに加えて「やませそば」を注文していた。「やませそば」とはすなわち、地元軽米町で穫れた蕎麦の実をもとにして、やませ(山背)こと冷たく湿った北風によって乾燥された乾麺のこと。
北国では凶作の原因ともなるやませだが「やませそば」にとってのやませ(山背)はやませそばをより美味しく逸品にさせている。
岩手県軽米町の古舘製麺所から、先日取り寄せていた「雑穀麺セット」その他が届いたのだった。これまでに何度も注文していた雑穀麺の逸品だ。
今回はいつものセットに加えて「やませそば」を注文していた。「やませそば」とはすなわち、地元軽米町で穫れた蕎麦の実をもとにして、やませ(山背)こと冷たく湿った北風によって乾燥された乾麺のこと。
北国では凶作の原因ともなるやませだが「やませそば」にとってのやませ(山背)はやませそばをより美味しく逸品にさせている。
我が国巷間では「ナポリタン」が見直されておりブームだという。おいらも近頃は、ナポリタン専門店とやらののれんをくぐって食することもしばしばなのである。
人気の秘密は懐かしさと新しさ――などと、数あるグルメ雑誌誌上では喧伝されてはいるが、おいらは実は、あまりそうした専門店のナポリタンを好きではない。と云うのかあまり好きではなくなってしまっていた。一口食するに、なにしろ油っこくて、とりわけバター味が効きすぎているのであり、バターをふくむ食用油の使い方が望ましくないのである。では自分で作ってみようではないかと思い立ちて、先日はおいら流の「ナポリタン」作りとあいなっていたのであった。
先ずはふつうにスーパーで売られているスパゲティを茹でておき、そして次に、ナポリタンの一般的な具材でもある、玉ねぎ、ハム、ピーマンといった食材を、オリーブ油かサラダ油を使ってフライパンで炒めていく。バターは使う必要がない。というよりも使うこと自体が邪道なのである。
くどくてバタ臭いバター風味はナポリタンにとっては脇役的であり、無くてもよろしい。そして日本的ナポリタンの味の決め手となるのが、ケチャップの味付け。ケチャップこそはナポリタンの味付けを決定づけるものなのだ。
トマトを主原料にして、それに砂糖、食塩、酢、スパイス、等々を加えて、ケチャップという和やかな調味料が作られる。洋食に合う調味料という以外に、和食にも合う。トマトケチャップとしての面目躍如である。事実、おいらは少年の頃には納豆にケチャップをかけて食べるのが好きだった。トマトケチャップの酸味と爽やかさは、それまでの伝統的な調味料にはなかった新鮮さを目覚めさせたのであり、トマトケチャップの扱いについてのを認識を新たにしていたのである。
約2日ほど前に、久しぶりに当ブログのデザインを更新してみました。今回の更新の主目的は、パソコン以外の、スマホ、タブレット等々の様々な媒体に対応していくことでありました。
具体的には、レイアウトを扱うCSSというコードを新しいメディアに対応させることが、今回の更新の目指した目的だった。
そもそもは、おいら自身が出先でブログをチェックしているときに、表示される文字が小さかったりという不具合を感じていたのであり、それを解決するための一方策としての手段であった。
久しぶりにイワシ(鰯)の刺身にありついていた。鰯と云う海魚は身体形が小さいことや陸上げされるとすぐに弱ってしまう。腐りやすい…等々のことからこういう呼び方をされてしまった魚である。同じ位の体長の鯵に比べても、何となく弱いイメージが付きまとってしまう。う~む、鰯の個性とは果たして何だろうか…?
実は青魚の原点とも云うべき豊富なEPA、DHAが含まれており、成人病(生活習慣病)予防には必須の食材なのである。
刺身として提供される生魚は高騰の気配だが、こと「いわし」に関してはそのような動きは無くて安定しているので、いつも普段も値段の事など気にせず注文できるのである。青光りとも称すべき光輝くいわしの光明は、呑兵衛のみならず生活習慣病予備軍の人々に対して相当なる光明となって一段と光輝くはずである。
鰯には青魚特有の「EPA」「DHA」という、血液をさらさら状態にする成分が豊富に含まれている。牛肉等の「アラキドンサン」に比べて、血液の健康状態を維持するのは鰯成分が何倍も勝っているのだ。同じ魚類のカツオ、マグロも、鰯の健康成分を吸収して大海を回遊している。もし鰯の身から摂取する「EPA」「DHA」等の成分が取り込めなかったとしたら、カツオ、マグロ、その他の魚介類は大海を回遊するほどのパワーを持ち得たのかと考えてみれば、とても難しかったと云うべきである。カツオやマグロを食している日本人にとっても同様のことが云えるのだ。
今年も例年の通り「アートムーチョ」の季節がやってきた。本日5/18(土)と明日5/19(日)の2日間にわたって、「第20回 アートと音楽の祭典♪ アートムーチョ」と称して、JR八王子駅から西放射線状に伸びる「ユーロード」を会場にして開催されているのだ。
毎回のようにイベント会場に足を運んでいるが、毎回ユーロードが活気づいていることを目にする。イベント会場としてのユーロードが存在感を示すにも、このアートムーチョの存在はかかすことができないくらいだ。
イベント会場には何処よりもまず、陶器、アクセサリー、デザイン小物、等々の手作りのアートショップが並んでいるのが特徴だ。自分で撮影した写真のハガキや、自筆のイラスト作品なども並んでいる。作品発表の場所でもある。
以前に訪れた時に比べると、若い出店者が減つていることを感じていた。逆に見れば、老後の愉しみや趣味や実益を兼ねて出店している人が多かったと云えるのかもしれない。超高齢化社会での日本ではこれからますます意味を持つイベンとなるに違いないだろう。
先日の「マッサマンカレー」に味をしめたおいらは、タイの代表的料理でもある「グリーンカレー」作りに挑戦。意外にも特別な障害にも出会うことなく、しかもタイ料理店で食べたその味とも遜色ないくらいに旨い味わいなのであった。
タイ本国からの輸入品であろうグリーンカレーペーストは先日購入していたが、それは緑色のハーブ類や赤く色付く前の未熟な唐辛子等を原料としており、しかもココナッツミルクで煮込むので、おいらが自己流で調理したグリーンカレーも、これまた遜色ないくらいに綺麗な薄緑色の、独特な色合いを呈している。
カレーの具材は、鶏肉、海老、茄子、ピーマン、筍といった、タイ料理の定番素材を用いる。仕上げには、タイ料理には欠かせない「ナンプラー」を振りかけて、ピリリとして青辛いタイカレーが出来上がったのだ。インドカレーを作るよりも簡単な手順で仕上がってしまっていた。
地元の居酒屋にて「金目鯛のカブト焼き」を食した。高級魚のこれまであまり食べたことがない部所なので期待度も高まっていた。出てきた「金目鯛のカブト焼き」を見て、先ず最初にその白目に吃驚してしていた。まるで白いガラスのビー玉にも似て白光りしている。
味わいは鯛の白身の繊細さに加えて青魚の味にみる奥深いフレッシュさというものも感じ取るに充分であった。赤い身を裏返して箸を付けた白い眼の周りには澄んだゼラチン質がまとっていたのであり、おいらは有難くその部分を口にしていた。
そもそも金目鯛については金色の目だとかいう表現が踊っている。本当は白光していたり黒く濁っていたりしているのが実態だ、ということを確認した。
近頃はこの金目鯛が高級魚の仲間入りをしており、なかなか食することが難しい。都内の一般大衆相手の食堂や居酒屋では扱うことがなくなっているからだ。
金目鯛の希少性は、東京都内のみならず漁場とされる静岡県伊豆地方でも顕著であり、地元の人たちが足を運ばない高級料理店でしかお目見えすることができない状況なのだ。
先日の下落合記念館巡りの後にはと云えば、多少の脇道巡りを兼ねて京王新宿線野方にて途中下車。「秋元屋」で一献傾けていたのだった。
休日の店オープンの4時前に着いたら、同店の前には数十人の行列を目にしてしまった。此処で並ぶのもおいらは好きではなくて、野方駅周辺界隈を散策して時間をつぶしていたのだ。
オープンの時間に合わせて同店にむかってみたら、まだ店内に入れない客がいて些か興醒めに感じてもいたのである。
「秋元屋」の売りである豚肉のホルモンは鮮度が抜群で生きが良くて、種類も豊富であり、ここでしか食べられない部位もあるので、地元の呑兵衛をはじめとして絶大なる支持をはくしているようである。
その日は豚のモツ焼きをすべてタレ味で注文した。チレとかその他の希少な部位があり時間もかなりかかっていた。やっとカウンターに並べられていたモツ焼きは、口にすれば毎度ながらに美味ではあった。だがしかし、モツを食らうためにこんなに集まる呑兵衛どもと騒がしい時間を費やすことには、なんだか情けなくもあった。散歩の途中でモツ焼き屋に立ち寄ることはよくあるが、漫然として呑み屋で呑兵衛たちとの時間をついやすことに関しては避けるべき的の選択だと感じていたのだった。
■秋元屋
東京都中野区野方5-28-3
http://tabelog.com/tokyo/A1321/A132104/13006667/
昨日は「佐伯祐三アトリエ記念館」を出た後、おいらはそこから徒歩で10分ほどの「中村彝アトリエ記念館」へと向かっていた。中村彝といえば、佐伯祐三の11歳上の先輩洋画家として活躍していた。彼もまた新宿下落合界隈に住居兼アトリエを構えていたのであり新宿区にゆかりのある画家であった。
ところで中村彝記念館は本年3月17日にオープンされたばかりのフレッシュな記念館だが、アトリエの母屋は中村彝さんが暮らしていたそのままのにより近い姿を再現している。同記念館関係者によれば、絵画制作時に飛び散った絵の具で汚れた床や天井などが当時のままだという説明であり、当時の面影をより色濃く残しているのである。佐伯祐三邸より以上の広さと優雅さを備え、芝生の敷き詰められた庭には、梅、椿、ひば、金木犀、等々のこだわりの花壇によって彩られていたのである。晩年は病気にさいなまれて送ったという中村彝さんの、人生の集大成としての目撃的アイテムが、あすこにもここにもといったように点在していた。
■中村彝アトリエ記念館
東京都新宿区下落合3-5-7
そしてその後に「中村彝アトリエ記念館」を去った足で向かったのは、おいらにとってとても想い出深い「おとめ山公園」だ。その公園は、かつておいらが画学生のころには画材の詰まったバッグや20数号のキャンバスをかかえてスケッチにと赴いていた場所である。何作か作品を手掛けていたのであり、自然美溢れる風景には特別なる思い入れを抱いていたものである。
「おとめ山」というネーミングが、相当昔、画学生だったころのおいらには「乙女の山」だと連想させており、おいらはスケッチに励んでいたのであったのだが、「おとめ山」は実は「御留め山」だということを知り、ずっと足を遠ざけていた場所でもあった。今回はおそらく数十年ぶりの訪問であった。
江戸時代にはこの一帯が徳川の狩猟地で一般人の立ち入りが禁止されていたことからこの名前がある。戦後のその後に公園として開園し、自然美が残る都会のオアシスとして残されることになっている。
■おとめ山公園
東京都新宿区下落合二丁目10番
土曜の休日ながら生憎の雨模様の1日となった本日は、雨傘をさしつつ地元の散策三昧であった。小室等さんが歌っている名曲「雨が空から降れば」を思わずに口ずさんでいた。吉田卓郎、及川恒平、松山千春らがカバーしているが、オリジナルの小室等バージョンにはけっして適うものではない。
駅を出て左側、イベント通りと目される西放射線に伸びるユーロードでは、エコカーの展示会などが開催されていて、祭り好きの八王子市民にとっては些か興醒めであったであろう。八王子市の公式ホームページの案内にも載っていないというイベントであるからにして、そのイベント自体の白けムードは、通りを歩く市民の多くが抱いていた思いであったに違いない。
富士森公園のベンチも雨でずぶぬれであり、「公園のベンチで一人♪」と、耽ることも出来ないままの散歩ではあった。
「マッサマンカレー」をつくった。タイ南部が発祥のカレーで、CNNGoの「世界の料理の美食ランキング50」では1位にランてクされている。タイカレーの中では辛味が抑えられ、じゃが芋、人参、鶏肉などの野菜の甘味が効いている。南部のイスラム教徒によって広められたとされ、タイ料理の中ではマイナーなご当地料理のひとつである。
ある売り場にて偶然に「マッサマンカレー」のカレーペーストを見つけていたのだが、ペーストの原料には、赤唐辛子、小玉ねぎ、にんにく、香辛料(クミン、コリアンダー、シナモン、チャイニーズスターアニス、メイス、カルダモン)等々と記されている。使う食材は日本のカレーとさほど変わらない。カレーペーストがあれば比較的簡単に調理できるメニューである。今回はタイの調味料であるナンプラーが使えなかったが、次はナンプラーを使用して本場の味に近づけたい。
http://matome.naver.jp/odai/2131156101322152101
http://www.excite.co.jp/News/product/20110731/Directvanqex_field_news_8clgUvcFG.html
武蔵小金井駅から数分の大衆居酒屋「百薬の長」に久しぶりに立ち寄って一献。何時もながらに呑兵衛のけたたましい声が店内にこだましている。鮮度の良い同店のもつ焼きは、その種類も多いが人気の部位は早めになくなっていくのであり、常連客は日もまだ暮れない夕刻からこの店へと足を運ぶのである。常連が陣取る店内のちょっとした隙に案内されて、いつものホッピーを注文した。
先ずはもつ焼きを塩で注文。豚のカシラ、ハツ、等々の鮮度の良いモツ類は焼いた後でサクっと歯で紙切れる。歯の悪いおいらでもその違いは歴然として感じ取ることができる。
モツを食べ終わった後でメニューを眺めたところ、充分に記憶している訳ではないがたしか「松前風百薬漬け」というものを見つけて注文してみたところ、これが意外にもナイスな味わいだったのであった。
北海道松前が発祥とされる松前着けはいまや全国区の漬物として人気であり、グルメ誌等で主に報道されているのは高級食材の「数の子」がふんだんに用いられているが、おいらが昔からつくって味わっていた松前漬けにはそのようなものはなく、昆布とするめのダブルなネバネバ食材をつかったシンプルかつ奥深いものである。
そんな「松前漬け」に新しい風味を与えていたのは、この店の「松前風百薬漬け」なるメニューである。そしてその新風の所以こそ切り干し大根という食材なのだ。冬の寒い季節に収穫した大根を細切りにし、広げて天日干しする。春には切干大根として流通しているのであり、それを水でもどせば新風的「松前漬け」の素材が完了する。
冬に収穫された大根の鮮度を保ったままの切干大根は、ツンとくる生大根の刺激をも感じさせている。松前漬けのニューウエーブとして、おいらの自宅にも常備していきたいメニューなのである。
■もつ焼き百薬の長
東京都小金井市本町5-12-15
今が旬を迎えた「新じゃがいも」を使って「肉じゃが」を作ったのだ。肉じゃがはといえば、若い男女の間で少し前には「モテ系」の代表的メニューとして尊ばれてきたが、この季節の新じゃがを使った肉じゃがこそは、うまくいけばその「モテ系」のトップアイテムにも値するものである。
今が旬を迎えた「新じゃがいも」は、通常の年を通して流通されるものに比べてみれば、まずは皮が薄く柔らかく、大きさは小振りである。固い殻を纏う前の、いくぶん無防備な姿かたちを印象に写し取る。半面で見ればそれだけ瑞々しい細胞に満ちていることでもある。
肉じゃがのケースに限らずこの季節の新じゃが料理は、カットすることなくそのまま丸ごと使う。しかも皮も剥くことなく丸ごと使用するのが定番である。角が無く丸い姿かたちの新じゃがは煮崩れすることもなくて、丸ごとほくほく。こんなメニューは春ならではと云ってよい。
通年的なじゃがいもの皮はアクが強いためになかなか口にすることは難しいのだが、丸ごと調理に向き、薄皮もまた野性味溢れて味覚を刺激してしまうのだから食べない手は無いくらいなのである。皮が薄く瑞々しい新じゃがには出汁や肉の旨味が奥深くまでに染み込んでいくのであるから、通年食材としてのじゃがいもでは作れないという逸品として通用するのだ。
新じゃがいもの相棒食材には、豚肉に加えて、人参、椎茸、獅子唐をノミネートしてみたら、この相性もまたグッド良好なのであった。特に味の染みた獅子唐はまた思いがけなく食欲をそそる料理に仕上がっていた。
先日は上州の実家に帰省した帰りに赤羽駅にて途中下車していた。目指したのは「まるます家」という居酒屋。赤羽駅から4~5分歩くとその「まるます家」に到達する。
いつものように「恋のあらい」を先ずは注文。するとピンク色にお化粧された逸品的な鯉料理がテーブルに運ばれてきた。何ヶ月ぶりかに味わうその味は、上州こと群馬県の特産品のひとつなのであり、同店の鯉も群馬県から仕入れている。おいらとまるます家との接点は、意外と深いものがあるのかもしれない。
ともあれ、途中下車しても立ち寄りたいという気持ちを惹起させる名店の一つが、赤羽の「まるます家」だということは確かなようである。
■まるます家 総本店
〒115-0045 東京都北区赤羽1−17−7
仕事場に程近い場所には「日高屋」という中華食堂がある。おいらも時々この店に足を運び昼食をとることが多いのだが、そこでの人気ナンバー1メニューは、「野菜たっぷりタンメン」である。あるときそのことを知り、それ以来は、どうもこの店に来ると「野菜たっぷりタンメン」というメニューを注文する癖がついてしまった。
別段にこの店のタンメンの味に嵌まったという訳ではない。中華麺料理の中でのおいらの好みは、味噌ラーメンであり、タンメンの好意度は、醤油味、豚骨味にも及ばないものなのでもある。然しながら、何故ゆえにタンメンを注文してしまうのか? それはおそらく、野菜類に対する飢餓の思いがあるからなのだろう。
今流行のサプリメントの類では代用できない、生野菜がかもす味わいを求めているからなのだろう。モヤシ、キャベツ、人参がたっぷり入って、炒めて煮込んだ野菜を口にしていると、どこかで安らかな気持ちにひたってしまうのだから、これが良いのか悪いのかはわからないのだ。
無性に「ニラ玉子」が食べたくなって、玉子とニラと、そしてシメジ茸を買って帰ったのだった。
シメジ茸は石つきをとってさらに半分にカット、ニラは2~3cmほどにカットして、玉子とあわせる。日本料理で用いられる出汁類は使わない。玉子とニラの味わいが無性に恋しくなっていたからであり、それ以外の食材は茸くらいで充分であったということだ。
ニラの香りは独特であり、玉子という濃厚食材に対しても充分的に対応してくれる。玉子料理とよく似合う食材として、もっともポピュラーだと云えるのかもしれない。
出汁の味で煮込んで作る「ニラ玉子」という料理もときどき散見されるが、ニラの旨味を引き出しているとは云い難いのである。
先日から、野手溢れる「野蒜(のびる)」の魅力に取り憑かれている感のあるおいらである。先日は久々に口にした興奮などを交えて野蒜(のびる)をレポートしている。
http://www.midori-kikaku.com/blog/?p=7650
野蒜と漢字で書いてあとでかっこ付きのルビを振っているのは、漢字では難しすぎるし、かといってひらがなの「のびる」では全然すっきりしないことから、仕方なくそうしていることをおくみとりいただきたいなと思っている次第である。
さて本題に入るが、野蒜(のびる)という野生食物は生で口にする以外に、キムチ漬けにしても、格段に美味いのだということの発見について述べたいのだ。爽やかな鮮度あるピリリ感を保ったままに、キムチ漬けしたピリ辛の「野蒜キムチ」は、いつになく満足な味わいのキムチ料理であった。
ネットを検索すれば、味噌漬け、キムチ漬け、等々のメニューがヒットしているが、確かに生野蒜(のびる)に負けず劣らずの旨味を主張するべき価値がある。生で驚き、漬物にしてさらに舌鼓を打つ。これぞ野蒜(のびる)ならではの存在感。もっと注目されてよい食材であることは確認できたのである。