つくねは大きければ良いというものではないが、近頃食べるつくねは大きいものが主流とみえる。鶏肉に軟骨や他のモツ部類を加えてミンチにしてから団子状にして焼き上げる。タレと絡まった鶏肉類の香りがとても食欲を刺激していた。
団子は一つの塊であり、食べ応えは極まりなくジューシーであり、其の肉汁には頬が落ちてしまうくらいだったのである。
大きい「つくね」には、あたかもまるで料理屋におけるまかない料理の様な、焼き鳥屋の裏メニュー的趣があるということを感じ取っていた。
吉祥寺の焼きトンの名店「いせや」の井の頭公園店を訪問した。昨年には古き良き風情をかもしていた旧店舗の取り壊しが行なわれ、新装となってからは初めての訪問となっていた。
http://www.midori-kikaku.com/blog/?p=6234
久しぶりに訪れた同店は新装となっていて、公園から眺めた外見はまるで高級料亭かと見紛うほどの奇麗なつくりである。懐かしい店舗の姿をイメージしつつ訪れたのだが、些か想像以上の変わりようであった。
休日だということもあり、店内に入るには行列に並ばなくてはならなかった。待つこと10分程度で、店内に踏み入れることが出来た。こ奇麗な店内は以前の雰囲気を残しつつ、カップルや家族連れが大部を占めていた。
そしておいらはかつてのメニューを懐かしむかのように、串焼きとシュウマイを注文して頬張っていたのである。
味は以前と変わらずのまま。1本80円という価格もそのままである。串焼きのタレはサラサラしていて素材のワイルドさをそのまま活かせている。店員の心意気はかつてのままであったということを目にしていたのであった。
寿司屋で一献やっていたところ、「アワビの刺身(肝付き)」があるというので注文してみたら、10cmはあろうかという大きなアワビの貝殻に乗って出てきた刺身と肝にはびっくり。久しぶりに味わう味もまた満点だったのである。
普段よく食べているアワビの身は下湯でしたものがほとんどであり、硬くてコリコリとした印象だったが、このアワビの刺身はとても柔らかくてコリコリというよりもサクサクとした食感が印象的だった。
そして珍しく食したその肝はと云えば、軽くボイルされていたようだったが、鮮度の良い内臓の苦味がまた味覚を刺激していた。イカ墨や秋刀魚の肝らの旨さを簡単に凌駕するくらいのパンチのある旨みに魅了されていたのであった。
アワビの餌は昆布やワカメなどの海草類が主体であり、海の幸の恵みが凝縮されていることがよく理解されたのである。
先日「iPhone5c」を機種変更にて購入してから1週間が経過している。じつを云えば購入の日には「iPhone5s」を購入するつもりだったのであり、それが叶わなかったことで、失望にちかい思いを抱いていたのだ。だが1週間が経過した今になって思えば、ダサいデザインを我慢すれば「iPhone5c」のほうが正解だったとさえ思えるのだ。
実際そのデザインはダサいというよりは凡庸と云うべきものだが、凡庸さが今のこの時期にてはかえってオリジナリティーを主張するような状況だとも思われる。「iPhone5s」のような煩い主張は消えていて、かえって使用感もアップするかのようなのだ。
それにしてもこの1年数カ月間の「Android」を使っていた期間の違和感は何だったのだろうか? ネットサーフィンすれば反応が鈍い。内蔵電池の消耗が激しすぎていつ使用不能になるかと思わせる。しかも電話をかければ反響音が煩わしくて会話に集中できない。…等々と、元「iPhone」ユーザーとしては可成り苛立ってたと云えよう。やっと本来的のスマホに再会したというくらいの思いであり、それが購入前の予想以上に好感触だったのである。
近頃は減ってきていたが、海鮮料理店等々にて時々「鮮魚」が泳ぐ水槽を見かける。先日もまた海鮮居酒屋にてそのような水槽を見かけていたのである。
水槽の中に泳いでいたのは、主に鯵の数匹であった。そもそも鯵といえば日本人に食される大衆魚の代表的な魚であり、その活き活きとして泳ぐ姿が魚好きの目には印象的に染み付いているのであるからこそ、魚好きの味覚を満足させてきているのだ。
それなのに此の水槽の中で泳ぐアジの姿を見る限り、とても活き活きした姿には見られなかった。逆にとても憂鬱な魚の姿に接してしまったというべきであろう。
脂が乗った鯵はこの上なく旨いのだが、この水槽の中での運動不足的にメタボ化された鯵というのは其れとは別物であった。
鯵の旬のシーズンというには残念な出会いだと感じた次第なのである。
関西の限定的食材だとみていた「水茄子」を地元の居酒屋で目にして、思わず注文してしまっていた。以前に大阪等の関西へ旅行中に食べた「水茄子」には新鮮な発見と驚きがあった。何となれば茄子を生で食べる習慣などは、関東出身のおいらにとっては皆無であり、想像だにしていなかったからではある。茄子を生で食べたらそのアクの強さに辟易してしまうこと必至であり、茄子という食材は、焼くか煮るか炒めるかして食べるものだと相場が決まっていた。それを関西では「水なすの刺身」などと称して提供しているではないか! まるで異国の食文化に接したようでもあったのだ。その水茄子とやらは、灰汁が少なく、水分を多量に含んでおり、ほのかな甘みもある。うんツマミとして充分に成り立つのであり、悪くない。
その後調べたところ、水茄子とは茄子の一品種であり、水分を多く含んでいてかあくが少なく生で食べられるのが特徴だ。関西地方ではよく流通しているが、関東でこれを見かけることは珍しい。久しぶりに口にした「水茄子の刺身」は、さくさくとしており、さっぱりとした食感がこの季節には相応しいことを実感させたのである。
鶏肉の唐揚げ料理は数多くの地域にて地元料理となっているが、上州にも「上州カミナリ揚げ」という逸品的メニューが存在する。鶏肉を揚げたものだが、その衣にはスパイシーな香辛料がじっくりと味付けされている。さらには鶏肉自体にも味が染みこみすぎているほど味が染みていて、口の中では満腹感でいっぱいになっていた。
そしてこれはまるで、信州自慢の「山賊焼き」に匹敵するかそれ以上かの思いが立ち込めていたのだ。揚げ物料理なのに鶏肉の活き活きさとスパイスの刺激がマッチしていて、地元が誇るべき鶏料理の一つであるという評価にいたったのである。
信州の山賊焼きとは、鶏肉のから揚げだが、東京でよく食べるものとは味付けや調理法が異なっている。主にモモ肉を使用し、醤油とにんにくの付けダレに数時間置きじっくりと漬け込む。それに片栗粉をまぶして揚げる。素朴な料理だが、パンチのある味わいが信州らしい。これを蕎麦に乗せたのが「山賊蕎麦」であり、信州では天ぷら蕎麦にも負けないくらいにポピュラーなメニューとなっているのである。
それ以上のインパクトをもたらした「上州カミナリ揚げ」こそ天晴れである。
先日からおいらの「Android」スマホが調子悪かったことなどから、本日は地元のドコモショップを訪れて、最新の「iPhone5c」を機種変更にて購入していた。1年数カ月前にドコモの「Android」スマホを購入してから未だ2年縛りの渦中であったが、「Android」スマホと「iPhone」の其れとの使い心地を考えて、結局は「iPhone」に買替えということになっていたのだ。
高級機としての「iPhone5s」は予約注文で何時入荷されるか判らないということだったから、多少の躊躇をおして「iPhone5c」の購入を決めたのだった。
1年と数カ月ぶりの「iPhone」だが、少しばかり扱っていた限りにおいては基本的な「iPhone」使いの基本は踏襲されているようであり、使い勝手もすこぶるスムーズに移行されたというべきなのであろう。
早速「iTunes」に、昔から貯め込んでいた音楽データを同期させてみた。iOSを7にアップデートすること以外は、とてもスムーズに移行することができた。明日からはまた「iTunes」の音楽が手元に有るというだけでも買替えの意義は有るだろう。
秋の彼岸頃の季節になると、妖艶な真紅の花を咲かせる曼珠沙華。別名・彼岸花とも呼ばれ、彼岸の日をピークにその満開の時期を迎える。埼玉県日高市高麗の「巾着田」を取り巻く地域には、100万本もの曼珠沙華が一帯に咲き誇り、その勇姿を人々の目に焼き付けている。高麗の「巾着田曼珠沙華祭り」はいまがはえどき、今年はちょうど、例年に無くピッタリの満開時期に訪れることができたのだった。
家の近くの道端にも曼珠沙華を見かけるが、やはり巾着田のその群生する姿は圧巻である。鮮紅色の花の姿はまるで彼の世の世界からの導きの姿のように魅了しており、思わず顔を近づけてしまう。秋の香り云うべきその香りを嗅ぐと日々の雑念が消え失せるような錯覚にも捉えられていた。
白い曼珠沙華はまた芳しく、そのいろは他の紅色の花弁に劣ることなく、独特な存在感を示していた。
銀行業界の内輪を描いたドラマ「半沢直樹」の最終回が本日終了した。最終回ということで意識して視聴していたが、何か拍子抜けの感が否めなかった。巨悪の象徴としての銀行役員の行状は追及されたが、視聴者を巻き込むカタストロフィーを演出できたとはとても云えない。
相当な視聴率を得ていたようで、劇中「倍返しだ」の台詞とともに社会現象ともなっている話題のドラマである。現代版下克上的チャンバラ劇と捉えればそれなりに楽しめたが、銀行業という貸金業の実態がリアルに描かれているとは云い難く、追求も甘いと云わざるを得ない。半沢直樹ブームが貸金業への憧れを助長させてなどしてしまえばそれこそ貸金業者の思うつぼでもある。
銀杏の炒め料理を食した。秋たけなわのころに旬を迎えるイチョウの木の実の銀杏を、秋が未だ訪れて間もなきこの時季に遭遇し、思わず注文してしまっていた。今季初の銀杏料理であり、思いがけずの逸品的酒の肴に遭遇していた。
銀杏とはそもそも、イチョウ木から育てられた果実のことである。先日は台風の影響で、未だ実りを待たないイチョウの実が銀杏並木の下にあるのを発見していた。
イチョウの葉が黄色に色付いてみせるのはまだまだもっと先のことだが、秋に入ればイチョウは実を宿そうとして気合いが入る。普通の実が熟するにはまだまだ時が早いはずなのだが、銀杏もどこかで静かに実を蓄えている。これから秋全開の実りの季節が非常に待ち遠しいと思えるのだ。
群馬県特産の農産物の一つに「赤城しぐれ大根」がある。赤城という名称が示す通りに、上州名山こと赤城山の麓にて生育されているご当地野菜の一種である。別名では「紅しぐれ大根」なる呼び方もあるようだが、上州出身のおいらにとっては赤城しぐれ大根の呼び名がしっくりと来る。
赤い色素が目に付くのだが、赤城しぐれ大根の赤紫色の色素は、抗酸化作用の強いポリフェノールだということであり、健康食材としても注目すべきなのである。しかもこの赤城しぐれ大根は、酢や甘酢等で漬けると一層にその赤みを増していくのが特徴也。だからであろうかこれまでに見たことが無いくらいに鮮やかな赤みに見とれていたくらいなのであった。
厚めに切られた大根漬けは、口に含めばすこぶる瑞々しくて、これが大根漬けだということさえ忘れてしまっていたくらいである。瑞々しいことは水分が多いということの他に、味覚や嗅覚に与える刺激がフレッシュであるということなのだ。あっさりとして瑞々しくて、しっかりとした食感が何とも云えずに満足感を満たしてくれるのだ。
武蔵野うどん専門店の「たまや」で久しぶりに美味いうどんを味わったのだった。
注文したのは「田舎汁うどん」というメニュー。つけ汁には秋のきのこをふんだんに用いたきのこ汁にプラスして素揚げしたナスがトッピングされている。秋の味覚としてのきのこの味に足すこと、あと引く夏野菜としてのナスの味覚を含めて調理しており、この上なき位ーくらいにすこぶる美味しいのであった。
全国多々あるうどん達と比較して、とても腰のある、かつ噛み応え満点のうどんが特長である。メジャー系のさぬきうどんと比較しても遜色は無いのであり、そんな噛み応えうどん的美味を求めて、武蔵野界隈という限定的界隈をひき破って、八王子や多摩地区を含む広大なファンが求めてやってくる。
さらに追加的な楽しみなのが、トッピングとして提供される「半熟たまごの天ぷら 」だ。半熟に熱したたまごをなんと天ぷらにしてしまうという驚愕のメニューなのだが、これが武蔵野うどんには抜群の相性なのだ。もちろん今回も追加注文していたのだ。
■たまや
東京都八王子市中町11-4
042-621-7767
故郷群馬から帰京する途中で、赤羽にて途中下車して大衆酒場「まるよし」にて一献傾けていた。ホッピーやもつ焼きが主メニューのありふれた酒場ではあるが、今では希少となっている「コの字居酒屋」の名店である。こんな酒場でホッピーを飲むことはありふれていそうで決してそうではなくて、とても有り難い機会の一つと云えるのかもしれない。いつものホッピーを注文しつつありふれたもつ焼きやらっきょうを頬張る機会は、あまり訪れるものではなくなってきているのである。
もつ焼きの他にもモツ類の刺身があるが、食べたかったコブクロ刺しは品切れなのでありお預けとなってしまった。また同店を訪れる理由付けともなり、益々この店が貴重に感じられることとなっていた。
食べたらっきょうは「塩らっきょう」ということであり、何時もの甘酢漬けとは異なっていて、素材のピリリとした食感、食格を感じることができたのだった。東京下町の呑兵衛にとってはらっきょうは毎日の乾きを満たす食材なのかも知れないのかと考えていた。毎日の食材が特別なものである必要などはなく、塩で漬け込まれたという此の店の味わいがピッタリするのだということも思うことができた。
■まるよし
東京都北区赤羽1-2-4
03-3901-8859
帰省する途中で立ち寄った上野アメ横界隈にはいつものように生魚のブースとやらが設けられているかのようであり、旬の魚の姿に接するにはもってこいなのであった。そんなアメ横内鮮魚店を覗いていたら、鯖がまた活き活きとしていて美味しそうなのであった。
そんな本日的序章もあり、帰省した上州の居酒屋では「しめ鯖」の活き活きしたメニューを目にして早速注文したのだ。秋に収穫される魚の中でも身が締まっており美味である。海無し県としての群馬県ではほとんどが生以外のしめ鯖として食されるが、秋の味覚としても一級のものではある。
鯖は昔から「生き腐れ」と云われるくらいに足が速い(腐敗しやすい)魚なので、酢で締めて日本全国に出荷されるのが一般的だ。生のままの刺身として提供できるのは、漁獲した当日でしかあり得ないのだ。そして素人料理で作った鯖の刺身には要注意。特に加熱用の鯖を捌いて酢漬けにするなどはもってのほかなのである。食したしめ鯖は、確かな仕事が施されている一品であった。酢のとがった酸味はほとんど無くて、青魚としての鯖の豊かな味わいが嬉しいくらいに口腔中に広がって来る。この季節の味覚としても特別なものだと云えるだろう。
八王子の焼き鳥店の名店といえば「小太郎」が先ず挙げられる。鶏や豚のモツ類を焼いた焼き鳥、焼きトン類はもちろんだが、それ以上においらの好みなのが「玉ねぎベーコン巻き」だ。
大雑把にカットした玉ねぎにベーコンを巻き、串刺しにしてじっくりと焼いて出される。それを特製のつけダレにつけて食するのがルールだ。そのつけダレとの相性が抜群なので時々これが食べたくなり足を運んでしまう。
ベーコンの脂が玉ねぎに染みて、ポン酢よりあまくさらりとしたタレと相まって、頬がとろけるような味わいなのだ。
■小太郎
東京都八王子市子安町1-7-8
http://yakitori-kotaro.com/
蒸し暑い夏が漸く過ぎようとするころにじゃがバターを食した。北海道産「北あかり」という品種で、「男爵」と「ツニカ」を掛け合わせて作り上げられた新品種だという。肉質は黄色みがかり、他のじゃかいもなどに比べて甘みが強いのが特徴。バターとの相性が抜群だ。北海道という寒冷地に育ったじゃがいもは昼夜の寒暖差が大きいことから特に甘味が豊富だとされている。これから秋にかけての、食欲の秋季節到来に対する期待感が高まってきている。
そういえば先日は、洋風的じゃがいも料理の「じゃがいもグラタン」を食したばかりであった。茹でたじゃがいもにたっぷりのチーズを掛けて焼きあげるという、とてもシンプルな料理なのであり、洋風、和風のジャンルを超えて愛されている。素朴な料理だからこそ、旬のじゃがいもが特に美味しく感じられるのであろう。
ゴッホ作「モンマジュールの夕暮れ」という作品が発見されたとして、ニュースが駆け巡っている。にわかには信じ難いニュースであるが、いろいろな証言的事実を鑑みあわせれば、新規のゴッホ作品発見のニュースは真実であったと云えよう。
http://www.cnn.co.jp/video/11602.html
だがそれ以上に興味深いのは、何故にこの「モンマジュールの夕暮れ」という作品が、長く偽作とされていたのか、ということである。ゴッホらしくないとか、色彩感が地味だ、とか、その他様々な要因が関係していると思われるのであり、少々おいらも追及したくなっているところなのである。
先日は立石の「鳥房」にて「若鶏唐揚」に舌鼓を売って以来、下町的立石グルメにはとても味をしめていたのであり、その影響もあり立石界隈を散策探訪していたのであった。訪れたのは「江戸っ子」というお店。もつ焼きや煮込みが美味いと評判の地域定番的居酒屋である。
近頃は少々もつ焼きに飽きていたおいらは、先ずは煮込みを注文した。白モツを中心に鮮度の良いモツをじっくり塩味で煮込んだモツは、さっぱり感覚で食欲を刺激していく。同店オリジナルの「ボール」というハイボールの一種と思われるアルコールで喉を潤していれば、食欲は益々充溢していて、結局は同店の売りメニューであるもつ焼きを注文することになっていた。
一皿4本というのが注文の基本となっていて、おいらはタンとレバーのセットを注文していたのだが、とてもボリュームが有り、食べるに時間がかかっていた。葛飾区内下町呑兵衛の聖地たるにゆるぎのない名店であったのである。
■江戸っ子
東京都葛飾区立石7-1-9
03-3694-9593
本日は朝から2020年の東京オリンピック開催決定のニュースで喧しい限りだが、東京の目黒では「目黒のさんま祭り」が行われ大盛況だったということである。
http://www.asahi-net.or.jp/~xq7k-fsm/sanma.htm
目黒まで赴くことができなかったおいらは本日、まるでテレビTVニュースに観る映像に釣られ引かれる様に焼き秋刀魚が食べたくなり、地元の食事処で秋刀魚の焼き魚を味わっていた。
東北近辺の海水の温度が高くなったために、東北地方の秋刀魚の収穫は最低だということであり、北海道沖で水揚げされた秋刀魚が目黒のイベントを支えたのだという。本日食した秋刀魚が北海道産であるかは確かめなかったが、おそらく北海道で水揚げされたものであろうと推察される。
目黒へ行った気になって食べた秋刀魚ではある。内臓の肝が詰まった秋刀魚は苦味が迸っていて秋の味覚が充分である。やはり秋刀魚は焼き秋刀魚に限るということを思い起こされたのである。