上州前橋市や甲州甲府市などの関東平野の地域にて大雪が猛威を襲っている。昨日は関東圏内の主な幹線としての高崎線が止まってしまって大きな衝撃を受けたところであったが、未だに大雪寒気の猛威は去ってはいないのである。
特に示されるのは、関東近辺における除雪車がなかなかあてにならないようなのだ。すなわち関東近辺の除雪車が機能していないということである。市内の幹線登路には除雪を目的にして様々な機材が投入されているが、それらが本当に除雪には役立っているのであろうか? という疑問が拭えないのだ。
スーパーで「豆苗」という食材を購入する機会が増えている。一言で説明するならばえんどう豆ことグリーンピースの若菜である。主に朝食の味噌汁の具として利用しているが、うどんや鍋料理にあわせる具材としても重宝している。時間をかけて煮込んでもシャキシャキとした食感が残っていて食べ応え噛み応えが充分なのであり、和食の出汁も染み込んでいて相性が良いのである。
しかも此の食材は、食べ所としての若芽のところをカットして食用にした後にも、残った根と豆の部分を水に浸するならば再度芽が育っていき再収穫、再々収穫ができるのだ。ビタミンCやビタミンB群も豊富であり、栄養価も極めて高く、日々の付け合わせ的自家製野菜としてとても重宝しているのだ。
本日は先週末以上の大雪である。溶けきらない雪の上にはサラサラの新雪が降り積もり、その厚みは30cmをゆうに超えている。日常的な都会生活環境としてこれ以上の大雪に遭遇した記憶がない。すなわち雪国等への旅行時体験を除けば、本日はおいらの経験した最大の降雪体験であろう。観光地で触れる大雪は楽しみだが都会生活で出会す大雪は脅威でもある。自然が脅威の対象になることを実感させられた日である。ニュースでは八王子市内のアーケードが大雪が原因で崩落して怪我人が出たという。明日の予想では雪が雨に変わり本日以上の暴風が襲って来るという。何時までこんな悪天候が降り続くのかと、憂鬱な夜を過ごさねばならない。
おいらが好きな「煮込み」と云えば、一般的なモツ煮込みよりも「牛スジ煮込み」である。牛スジのゼラチン質や繊維質が豊富であり低カロリー、しかも馥郁とした出汁が味わえるというのであり、どこぞの酒場に足を運んだときには先ずは此の牛スジ煮込み料理を物色している。美味い牛スジ煮込みは其れくらいに求むべき酒のつまみでもある。
先日は地元スーパーマーケットで新鮮な牛スジを仕込んでいて、自家製の牛スジ煮込みづくりにチャレンジしたのだった。購入した牛スジを3〜5cmにカットして、その他、人参、牛蒡、そして干し椎茸の具材を用意して、圧力鍋にて煮込んだのだ。味付けは少量の醤油と塩と生姜の細切れのみであり、牛スジから滲み出る出汁とコラーゲンが味の決め手となっていた。
一日寝かせた煮込みはコラーゲンが煮こごりのような様相を示していて、煮こごりを暖めて味わった其のスープの味わいこそ煮込み料理の真髄であるかと感じ取っていた。ともあれけだし、煮込み料理は牛スジ煮込みに限るのである。
一般的に「煮込み」という料理には「もつ煮込み」と「筋煮込み」が双璧をなしている。おいらの好みはといえば筋の煮込みの中でもとりわけ「牛筋煮込み」ということとなっている。牛筋とはアキレス腱の部分や腱がついた肉の部分を指しており、にはゼラチン質が豊富に含まれており、脂身は少ない。ホルモンの部位とは異なり、あまり小売 店のショーケースには並ぶことが少ないと云う。専門店での調理法が映える部位なのである。名店の「牛筋煮込み」は、ほぼ飲兵衛たちの支持によって長い命脈 を維持しているのだと云っても良いのだろう。
佐竹河内守といういかさまベートーヴェンことペテン師の話題がいっこうに収まる気配がない。これでもかと云うくらいの出鱈目な虚言と作話のあれこれには日本中の誰もが唖然としたようであり、其の様相は或る種の公共的正義感の噴出の元となった気配さえある。ネット界隈における「祭り」にも近しい騒動である。だが問題は其れだけには留まらない。想定外の騒動の広がりには、現代日本社会に根深く棲息する虚言および作話に対する関係性が存在しているのである。
そもそもとして我が国日本人が作話師、虚言師に対しての嫌厭の思いを強くしていたことは戦前よりの史実において明らかであり、そんな嫌厭の情に歯向かうかのごとくのごとくに佐竹河内某などの詐欺師が横行しているのだ。かつてはおいらの記憶が確かならばそんな詐欺師は小っ恥ずかしいという思いを抱きつつ、世の中の察りの式場なりその他諸々の派手なる場所には小っ恥ずかしい思いからにて近ずからなかったのだが、昨今の詐欺師風情においてはそんな基本的な倫理観さえ失われてしまったということなのであろう。
本日にマスコミへファクスされたという言い訳等は、そんな小っ恥ずかしい思いを感じ取ることなく増長された嘘ペテンの虚言の数々だと云うべきである。こんな似非アーティストはこの世から居なくなってほしいと思うのはおいらだけではないだろう。
40数年ぶりの大雪による寒々とした日々である。これからも数日は続くと云われる寒気の日々には、温かい鍋が有り難い。殊に冬季の旬の魚であるアンコウの鍋であれば有り難きこといっそうなのである。
ありついたのは味噌とピリリとした辛味のきいたスープがベースの「アンコウ鍋」であった。アン肝やその他の七つ道具とも呼ばれるアンコウの様々な部所が具に採用されている。尾ビレ、胸ビレ、卵巣、白身、胃袋、等々とそれぞれの部所が独特な食感と味覚とをもって主張している。
鍋料理の絞めには雑炊が定番だが、たっぷりのアンコウの出汁を含んだ米の味わいはとてつもない美味だということを思い知った。ピリ辛味噌味と相俟って、冬の代表的な鍋料理に認定しておきたい逸品の鍋料理なのである。
東京都知事選挙が行われ、ますぞえ氏の勝利に終わった。マスコミの予想通りの結果となってしまったのだった。おいらが支持して投票していた細川護煕候補が敗れたという結果を受けて、やはり此の選挙における戦術的な誤りがあったのだという思いが拭えないのだ。
その第一番目の要因、敗北の要因として指摘すべきは、小泉氏への過度な期待や思い入れ、過大評価、過信にあったのだ。毀誉褒貶渦巻く小泉純一郎氏に対しては、おいらは未だに不信の念が拭えていない。かつて米国流の新自由主義的経済を日本に持込み、様々な日本的な優れた伝統をことごとく破壊していったことの元凶は、やはり当時の小泉元総理の存在を無くしては考えられないからなのである。
時代が変わってもなお変わらずにあり続ける現実の実態が在る。新自由主義などと呼ばれる猛威は現代日本の社会にも未だに負の遺産を与え続けている。小泉に頼った脱原発のアピールなどは、けだし絵に描いた餅的なジャンクフード的なる代物であったと認識すべきなのである。
暦は立春を過ぎて春に向かうはずがまさかの降雪に見舞われたのである。降雪は未だ止むことなく続いており、東京はまるで雪国と化している。殊に東京を含む関東地方の積雪量は半端無く10cmはゆうに超え観測史上最大の降雪量を記録しそうな勢いなのだ。古里上州前橋に居るおいらの父によれば、前橋に住んで以来こんな積雪に見舞われたことはなかったと語っているくらいである。
明日は東京都知事選が行われる日でもある。おいらは既に期日前投票を済ませているので関係ないともいえるが、意外な影響下にある。こんな大雪により投票率の低下が想定されるが、はたしてそれがどんな結果をもたらすことになるのだろうか? 細川氏と彼を支えて選挙に臨んだ様々な人達の熱意や努力やその他諸々が、無駄にならないことを願っている。
日本人でありながらこのところご飯食が減っていると自覚しているおいらである。ご飯が足りないのは日本の食文化の基本を蔑ろにすることと近しいのであり、そんな思いから炊き込みご飯作りに勤しんだという訳なのである。
筍(タケノコ)と云えば春を告げる食材である。竹林の中で険しい冬の季節を耐えた竹の子供たちが地中から生命の息吹を挙げて育ち行く、其の瞬間を収穫してしまうのだから、人間たちの業の深ささえ認識させる。春の息吹が食卓に上っていくという典型的な姿を筍は表している。それだからしっかりと土鍋でつくって食してみたかったのである。
サクサクとした筍の食感は、他の炊き込みご飯に比較して特別な感触であり、筍にしか表現出来ない春季独特の味わいなのである。
佐村河内守さんという音楽家が作曲発表した作品が売れに売れているという。現代のベートーヴェンだという振込みである。だがその作品の作曲者が別の人物として名乗りさえ挙げられたのであり、今時のマスコミを賑わしている。こんなニュースにはうんざり至極の思いなのである。
今週末の2/9(日)が東京都知事選挙が行なわれるのだが、週末は親の介護等で東京には居られないのであり、そんなこんなの事情から期日前投票を利用して投票をしてきたのだった。投票用紙に書いた名前は「細川護煕」でる。
1イシュウー等とも揶揄されている「脱原発」は、此れからの日本の行く末にとって大切な原理原則なのである。安倍内閣の原発輸出などもってのほかと云わねばならない。脱原発というスローガンは細川氏以外にも宇都宮氏等々の候補が掲げてはいるが、現実的な選択として細川氏以外の候補はあり得ないと判断していた。その理由の一つは、反原発への強い思いとともに、現在の自民党安倍内閣に対する「否」の思いを一票に託してきたということ。今現在の安倍内閣への「否」を投票行動で示すには、此の都知事選に依るしかないという政治状況がある。このまま安倍政権が続けば日本にとっての極めて由々しき将来の姿が想定されるのであり、此のまま由々しき政治的潮流を看過すべきではないのであるからしての投票行動であった。
本日未明には偶然にであるが、東京放送こと7チャンネルの深夜番組で、東京都知事選の候補者の政見放送を視聴した。手振り身振りの派手派手しい浮わついたますぞえ要一氏(名前をひらがなにしていることこそ有権者を愚弄している)の放送に対して、細川護煕氏は、じっくりとカメラの正面を見据えて語っていた姿が印象的であった。政治の現場から退いて十数年になる細川氏だが、現役の政治家以上に東京都における政治的物事のポイントを把握していたことを確認することが出来た。
ある種の反動的メディア等々においては細川護煕氏へのネガティブキャンペーンが盛んに振りまかれているが、そんなネガティブキャンペーンにけっして左右されてはならない。これからの東京都知事に相応しい人物は、細川護煕氏であるということを強く主張しておくのである。
本日は立春、即ち暦の教えでは春の訪れを意味している。然しながら本日は東京都を初め関東一帯に雪の訪れをもたらしている。暦の教えも頼り無く感じること甚大なりなのである。
ともあれ立春であるからして、春の香り漂う「菜の花」が夕食のメニューに載っていた。黄色い花を咲かせる菜の花は、花を咲かせる前の蕾がとりわけ美味である。毎年2月にもなればこの味が欲しくなる。春の灰汁とも云うべき鮮烈な苦みが喉を潤してくれる。しかもビタミンCやミネラル豊富であり、春季の豊富な栄養素たっぷりの、春を代表すべき食材の一つなのである。
出された「菜の花辛子合え」には辛子が添えられていた。少々の醤油を辛子に垂らして菜の花に合えて食すれば、ピリリと来る辛味が菜の花のエグミとも相俟って春季ならではの味のハーモニーを醸していたのであった。
このところ全くと云ってよいほど存在感が無かった橋下徹が大阪市長を辞任するのだという。そんな馬鹿げたニュースがメディアに踊っている。此れにより一躍大阪界隈の政治情勢が沸き立っているようなのであり、橋下の注目度が高まっている。此の光景はまるでかまって君がメディアに泣きついている様相が見て取れる。それを待っていたとばかりに受け止めて報道するメディアとの相関劇は、まさしく衆愚政治の極みと云わねばならない。橋下が企む今後の政治的日程については様々なメディアが報道しているのだが、多くの識者が馬鹿げた辞任劇の無意味性に言及しているにも拘らず、どれもがその不条理性についての言及を避けているように思われる。即ち換言すればそんなことが可能だと考えてもいなかったおいらを含む日本国民は、まるで開いた口がふさがることが当分無いような気分に襲われてしまっている。幸いなこととしておいらは大阪市民でも大阪府民でも無い。然しながら日本国民の一人としては看過出来ない事態なのだ。大阪市民ではないおいらやその他の日本国民にとっても看過すべからざる政治的状況が惹起されたようなのである。
毎週帰省している上州国前橋にて「セマクテ」というタイ料理専門店に出食わした。有名なタイ料理の「トムヤムクン」料理も目についたが本日はそれらをスルーして、ポピュラーなタイ風麺料理の「レック麺(むー)」を食したところ、此れが本格タイ麺料理の風味に驚きながら、同店のファンになってしまいそうな気分なのである。
「レック麺」というのはタイではトムヤムクンに負けず劣らずの代表的な麺料理の代名詞的なものなのである。そもそもタイ料理にポピュラーな4種類の調味料を試しながらタイ国の麺料理を味わうという体験に遭遇したことは、おいらにとってとても嬉しい事なのであつた。
店名の「セマクテ」は、日本語の「狭くて」を連想させており、実際にもその狭い店の状況を表明しているようだが、さらにはタイ語に訳すると「welcom」とかその他色々の深甚なる意味が隠されているようなのだ。多少のギャグ的要素はあるにせよ、これから贔屓にしたい出身地元の名店なのである。
■セマクテ
http://www.dan-b.com/semakute/
群馬県前橋市千代田町4-2-11
027-232-0893
都内下町の某食堂では久しぶりにどじょう料理を味わうことができた。「どじょう鍋」というメニューも有ったが本日はあえて軽めの「どじょう汁」にした。箸で汁の中を探ってみれば、さっぱりとした味噌仕立ての汁の中からは大勢のどじょうに加えてごぼうの笹掻きやら新鮮ネギやらが顔をのぞかせていた。そして久々のどじょうを箸で摘んで口の中に頬張れば其のどじょうが持つ独特の野趣味に圧倒されていたのだった。
そもそも数年前を振り返ってみれば、自らを「どじょう」になぞらえて首相の座を射止めた野田佳彦という政治家は、実はただの無能のぼんくら。我が国戦後史上最低の首相であったといってよい。自民党政権か長く続いた戦後政治史上を眺めても、こんなぼんくら総理は他に、例示することができないくらいだった。念のために記しておくが、おいらはどじょう総理が誕生するずっと前からどじょうが大好きであった。おいらこそは野田総理にも引けをとらぬくらいなどじょう大好き人間なのである。のみならず、当ブログにもどじょう料理については数回記述している。
大阪地方発祥の鍋の代表格ともなりつつあるのが「ちりとり鍋」である。命名の由来は鍋の形態が「ちりとり」に似ているという極めて単純な理由に依っている。地元八王子に新規オープンした「串カツ田中」でこの異色の鍋を目にしたので、興味半分で食してみたら意外にもホッコリと温まることが出来たのだった。
ちりとりに似た鍋を元にして具材とスープをアレンジして地域鍋として売り出しているのである。用いられている具材は、九州博多を発祥とするモツ鍋のそのものとほとんど変わりはないと云ってよい。つまりは博多のもつ鍋のパクリ風とも云えよう。それがどういう経緯か大阪発祥の「ちりとり鍋」としてブランド化しつつあるのだから面白い。
もつ鍋のパクリ風と書いたが、大阪風の特徴も少々垣間見れる。たとえばモツに大量の辛味調味料が揉み込まれていたり、山盛りの高さで具材を盛って食するものたちを驚かせることなど、様々な試行錯誤の跡が見て取れるである。そんな試行錯誤が成功したとは云い難いが、関東にてこの鍋を喰らったものとしての率直な感想を述べるならば、大阪文化の一端を目にすることとなっていたと云えるのかも知れない。
■串カツ田中 八王子店
http://kushi-tanaka.com/201401/2014110.html
納豆はそのままでは酒のつまみになり難いが、イカと合わせるだけで逸品の酒の肴に早変わりなのだった。地元の居酒屋にて注文した「イカ納豆」は、そんなある種の一寸した驚きの気持ちを惹起させていたのである。
少々細かく観察してみると、其の納豆は細かくひき割りにされていた。ひき割りにされた納豆が此のメニューの肝でもある。納豆の豆そのものとイカの身とはあまり相性が良くないらしいのだ。
味付けはわさびと少々の醤油である。此の味はとてもシンプルであり、他の夾雑物は必要がないと思える。たとえ和食の出汁だろうが鰹節だろうが昆布だろうが必要がないと思われるのである。ピリっとしたわさびの刺激が此のメニュー全体に統一感を与えているようである。
思うにこのメニューは酒が進むこと請け負いなのであるが、納豆を補給するのにも適当なメニューなのである。近頃のおいらの食生活において納豆不足が懸念されているからこその、大切なメニューとなっているのである。