おいらは土鍋でご飯や炊き込みご飯を炊くことが多いが、おこげがうまく炊けたときにはラッキーだと思う。電気炊飯器ではなかなかお焦げができないことがかつて気になっていたことから、自然と土鍋で炊くご飯にはお焦げを期待するのだ。
嚼み応えのあるカリカリとした食感や香ばしさが魅力であり、美味い炊き込みご飯の条件の一つとして挙げたいくらいなのだ。
上州前橋に帰省しているとき丁度「風のまち音楽祭」に出会していた。10月4、5日に渡って開催されていた「風のまち音楽祭」というイベントで、偶然にも「バーボン・ストリート・ブルース」を演奏するグループの姿に接して、意外な出逢いに歓んでいたのであった。
演奏していたのは「ザ・ソラオショー」というグループ。主に高崎市内を拠点としているグループのようである。北関東で唯一のウクレレジャクバンドだということである。ストリートでの演奏が得意で、聴いている人をワクワク楽しくさせる音楽が目標だと、公式チラシには記されていた。
「バーボン・ストリート・ブルース」という曲はおいらがもっとも敬愛するミュージシャンの高田渡先生の名曲であり、この名曲を彼らなりにアレンジしながら前橋の市民を楽しませていた。これは前橋出身のおいらにとってはとてつもなく感動的なビジョンとしての一齣であったのだった。
「街並みと音楽との調和・共生」を目指して、中心市街地で開催する市民参加型の音楽祭です。ーーというのが、公式サイトにおける同音楽祭についての説明である。前橋の市街地(現実的には旧市街地)の商店街における様々なスポットを会場にして、この「風のまち音楽祭」は開催されていた。主催者、関係者の熱い思いはそこかしこに示されていておいらの胸にもググッと伝わっていたのである。
■風のまち音楽祭
http://kazemachimusic.blog84.fc2.com/
秋田県を旅している中で「じゅんさい鍋」という思いがけない逸品に出くわしていたのだった。訪れたその居酒屋では夏にも鍋料理を提供しているということで、中でも秋田の名産のじゅんさいをふんだんに利用しており、これぞ秋田の鍋と云うべき逸品であったのだ。
じゅんさいという食材は秋田という土地柄と不分別にあり、すなわち秋田で採られていてこそのじゅんさいなのである。白神山地から湧き出て流れ着く清流によって育てられるのがじゅんさいである。ぬるっとしたゼリー状の食感は、白神山地の恵みの存在を抜きにして存在し得ないものとなっている。
秋田の代表的な鍋と云えば「きりたんぽ鍋」だが、「じゅんさい鍋」の味付けの基本は、このきりたんぽ鍋を踏襲している。醤油ベースの甘辛いスープには、秋田の伝統料理のレジェンドを感じていた。泥臭いくらいにぐっとのどを潤す味付けだった。夜の酒が進んだことは云うまでもないのだ。
度の途中で盛岡で途中下車し、じゃじゃ麺の元祖の店「白龍」に立ち寄った。店舗の在るのは盛岡城跡公園に接した場所で、桜山神社参道と呼ばれる一帯にある。この一帯が市の再開発だとかで取り壊しされる計画も在ると以前に聞き及んだりしたことから、かねてよりとても行きたい店の一つとなっていたのだ。盛岡では何度か郷土食の「じゃじゃ麺」を食してきたが、元祖店としての「白龍(ぱいろん)」にはこれまで訪れたことが無かったのである。
盛岡郷土食の「じゃじゃ麺」とは、うどんのような麺を時間をかけて柔らかく茹であげ、その上に特製秘伝の胡麻味噌が乗っている。さらには刻まれたきゅうりとネギとおろし生姜と紅生姜がトッピングされているのだが、同店の「じゃじゃ麺」を食するには幾つかの掟がある。。先ずはこれらをかき混ぜることから食事の工程が開始される。よーく混ぜて食べてくださいというアナウンスが店舗関係者からされているので、充分にかき混ぜてみる。そして口に運んだ麺の味はと云えば、濃い味噌の味とともに黒胡麻の風味も豊富である。一寸関東人のおいらにしては濃い味の塩気が襲ったが、ガツンとしたインパクトはナイスな好印象を抱かせていた。掟の最後には、食べ終わった皿に生卵を割ってよーくかき混ぜてそれにじゃじゃ麺の具と茹で汁とでスープを作って啜る、というものだ。掟にしたがって作って食べてみたが、想像通り、云わば特別な発見など無いままにスープを啜っていたのである。
とにもかくにも元祖の「じゃじゃ麺」を体験したことで、これから我が家でもこのインパクトある盛岡の郷土食を作ることができるかもしれない。そんな貴重な味覚体験であった。
■白龍
岩手県盛岡市内丸5-15
日本海に沿って走るJR五能線に乗り、青森県の港町・鯵ケ沢を訪れた。駅近くでレンタサイクルを借りて走った。港町ならではの湿った潮風に吹かれながら通りを行くと、数分で海岸沿いの幹線通りに突き当たっていた。地元界隈では「焼きイカ通り」等とも称される道であり、イカの天日干しが並ぶことがあるという。残念ながらそんなイカ干しの風景に遭遇することはなかったが、様々なイカ漁の痕跡に接することが出来たのだった。
イカや他の海産物と並んで鯵ケ沢の名産品がヒラメである。ヒラメは都内で食べると相当な値段を覚悟しなくてはならない白身魚の高級魚であり、それが大量に収穫されることから、此の地ではヒラメは「漬け」にして食されるのが一般的なのだという。ヒラメを漬けて丼にしたのが「ヒラメの漬け丼」。此の地の名産的メニューとして認知されている。おいらが食した「ヒラメの漬け丼」は、塩辛さ控えめの甘辛の漬け汁にじっくり漬けられた逸品で、高級魚のヒラメを思いの外に味わうことが出来たのであった。
久しぶりのぶらり旅に出た。目指していたのは青森と秋田に跨る白神山地の其の入口の、十二湖と呼ばれる湖沼地帯であり、中でも「青池」と呼ばれる憧れの池がターゲットなのだった。
JR五能線の各駅停車に乗り「十二湖」駅で降り、そこからバスに揺られて数十分で「キョロロ」という物産店前のバスの終点地に辿り着いた。そこから車を拒絶する遊歩道を歩いて数分の処に目的の青池は存在していた。旅の途中で一時俄雨に見舞われたことがあり天候が気掛かりだったが、青池に到着して目にしたときのその風景は適度の曇り掛かった中での遭遇だったが、余計なものがない分、ストレートに青沼の発する表情と向かい合うことが出来た。初の対面で出遭った青池は近付くなり、其の湖面を目に焼き付かせてしまったのだった。確かに云われているような濃青色の色面に覆われていて、こんな色の出処を先ずは探っていた。何か仕掛けがないのか? という云わば懐疑的なる思考に脳内を占拠されていたということであるが、そんな懐疑心を断ち切る現実との遭遇に厚い期待感を抱いていたということのほうが重要なのである。
バスの終点地を降りてから青池までは500メートル程度で徒歩数分のの距離である。此処までを終点と決めて帰路に付く観光客は多いが、其処からの散策コースが実は同地帯の本当の見せ場となっていたのだった。
青池からさらに奥に歩を進めてブナの原生林を歩いて行く。ブナの巨大な樹々に囲まれてマイナスイオンが醸し出す空気感が絶品である。空気に色があるとすれば此れこそは青色と云うべきであろう。ブナという樹木は秋には黄色紅色の紅葉色を身につけるというが、残念ながら季節はまだそんな秋の旬には一寸早かったようではある。「沸壺の池」の指標を目にしたのはそんなことなどを考えていた頃のことだ。散策に数十分を要していた頃に出逢ったのが、「沸壺の池」であった。池に辿り着く前から滝の水が流れるかの如くの音に引き寄せられていた。滝の音としてはとてもピュアに感じる音色である。実は辿り着いて判然としたのだが、此の音は滝の音などではなくして、白神山地から沸き上がる伏流水が流れ出て集まってきていた湧き水の音だった。此れを聞いた時はそのとても衝撃なインパクトに感動し、何故だか心が湧き水で洗われたような気分だったのである。
ところで「青池」と「沸壺の池」の湖面の水の色が何故ブルーなのか? といった疑問については、過去には様々な調査探求が行われたというが、その実態については不明であるとのこと。素人ながら考えるに、通常は周囲の緑の樹木の色を反映して緑色となるべきところを、何かの要因で濃青になってしまったということ。つまりは緑色からある色素即ち黄色が削ぎ落とされたから濃青となったのだ、という仮説が成り立つ。おいらはこの仮説を信じているが、仮説が真説に格上げされるといった見込みについては、今のところは無いのである。
県都の前橋は実際問題として寂れている。全国の多くの商店街がそうであるように前橋の旧市街地の商店街はシャッターを閉め切った店舗が数多く並び、人通りも疎らとなっている。旧市街地の中央通りと弁天通りは、近頃ではTV番組や映画やCM撮影の場所として認知されている。此のストリートにて撮影されたCMは、今やメジャー級の売れ行きを呈しているのである。
■「妖怪ウォッチ2 元祖/本家」2でる篇
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■ALSOK フィーバー編
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それはそうとして、今は寂れつつある前橋の旧市街地呑龍ストリートにて「ヤギカフェ」という新興の喫茶店を訪れたところ、此れがとても新しいコンセプトと料理とビジョンとその他諸々の要素を抱きつつオープンしていたのでとても面白かったのである。旧市街地の横町ながらだが、フレッシュな息吹を感じさせてくれる。これからも帰省した時には立ち寄りたいという名店を発見したということなである。
秋の味覚の代表魚はなんといってもサンマ。今年も例年並みに脂の乗ったサンマが豊漁のようであり、昼からサンマの丼にありつくことになった。丼一面を覆い尽くすサンマの刺身に加えて大きめのシラスが丼の中央に盛られた「サンマとシラス丼」である。酢飯にちょいと添えられた生姜のみの味付けで、他には醤油など何も要らない。シンプルに味わえるだけ贅沢感がある。初秋のサンマは、秋深くなってからのサンマよりも脂の乗りが良いのだと云う。カツオと違って北から南下のルートを旅するサンマは、旅をするにつれてその身の脂身を減らしていくのだという。南下の旅が相当にハードな運動量を必要としているらしく、まさにダイエットの旅だという。
中華料理店で一献やるときに先ずチェックするのは、ピータン料理である。中華のつまみでピータン料理は一番かもしれないくらいに偏愛している。あまりこのところ、夜の中華料理店へ行くことがなかったのだが、先日は久しぶりに旨いピータン料理にありつくこととなっていた。ピータンが食べたくなったおいらはまたまた地元の中国料理店の扉を開けて、「ピータン豆腐」をオーダーしたのでありました。豆腐とたまねぎの刻みがピータンに合わさって、癖の強いピータンの味わいがマイルドに中和されていた。ピータンという中国料理は、本来はアヒルの卵を用いてつくられるものだが、最近では鶏卵が原料となるものが少なくないのだとか。そもそものピータンのレシピはといえば、1ヶ月あまり、塩、石灰、木灰、その他の混じった甕に卵を入れて密封される。白身は独特の茶色のゼリー状となり、この食感がたまらないのだ。元黄身の部分もまた、卵の成分を自らの作品に表徴とさせるがの如くに独特な味わいを提供している。このような不可思議な食材はあまり目にしたことが無い。
曼珠沙華をいつも通り過ぎる都会の路地で見かけた。鋭い真っ赤な花弁が咲きまくるその光景は流石の曼珠沙華である。天晴至極の様相を呈していると云ってよい。ところで曼珠沙華とは別名で彼岸花とも呼ばれており、秋の彼岸の到来を示している。今年の彼岸花の生育はほぼ予定通りの生育的スケジュールにのっとっているかのごとくだ。
ところで曼珠沙華の本場は高麗の巾着田である。埼玉県日高市高麗の「巾着田」を取り巻く地域には、100万本もの曼珠沙華が一帯に咲き誇り、その勇姿を人々の目に焼き付けている。高麗の「巾着田曼珠沙華祭り」はいまがはえどき、今年はちょうど、例年に無くピッタリの満開時期に訪れることができたのだった。家の近くの道端にも曼珠沙華を見かけるが、やはり巾着田のその群生する姿は圧巻である。鮮紅色の花の姿はまるで彼の世の世界からの導きの姿のように魅了しており、思わず顔を近づけてしまう。
鍋料理に「豆苗」を用いたらこれがすこぶる良相性だった。このところ秋に入って、スーパーで「豆苗」という食材を購入する機会が増えている。一言で説明するならばえんどう豆ことグリーンピースの若菜である。主に朝食の味噌汁の具として利用しているが、うどんや鍋料理にあわせる具材としても重宝している。時間をかけて煮込んでもシャキシャキとした食感が残っていて食べ応え噛み応えが充分なのであり、和食の出汁も染み込んでいて相性が良いのである。しかも此の食材は、食べ所としての若芽のところをカットして食用にした後にも、残った根と豆の部分を水に浸するならば再度芽が育っていき再収穫、再々収穫ができる。ビタミンCやビタミンB群も豊富であり、栄養価も極めて高く、日々の付け合わせ的自家製野菜としてとても重宝しているのだ。
地元のイタリア料理店にてナポリタンを食した。これが単なるナポリタンではなくて「八王子ナポリタン」という地元のB級グルメだった。じつは八王子という街にはナポリタンの専門店が数多く存在するということを、おいらは以前に知ったのではあった。そんな先入観もあり、地元散歩のかたわら立ち寄ったのが「GAMバル」というイタリア料理店であった。折り紙付きの地元密着型メニューなのだ。
同店のナポリタンには刻みタマネギが乗っていて、これが八王子ナポリタンの条件なのだった。フォークに口をつけて含ませてみると、あまりケチャップらしさ、トマトらしさは襲いかかってはこない。マイルドなミルキーなる味わいなのである。そう気づいて目を凝らしてよく観察してみると、乳化してミルキーな風貌に見とれていた。トッピングされた具材もナス、パプリカ、ジャガイモ、等々と豊かであり、味覚のハーモニーにも魅了された。
八王子の飲食店は近年来「八王子ナポリタン」の普及に力を注いでいるという。「八王子ラーメン」の特徴である刻みタマネギをナポリタンにトッピングするのが一つの決まり事。だがいろいろと其れ等のメニューは試行錯誤の跡を愉しむことが出来るのである。
■GAMバル
〒192-0065
東京都八王子市新町2-16 第四美山ビル1F
TEL 042-631-9045
http://xn--w8j2bxo6d6405b.com/
変わり餃子がこのところのマイブームとなったおいらである。立川にはいろいろと餃子専門店があるとの情報を得て向かったのは「餃子のさんくみ」。店名にまで餃子を差し込んでいるところなど、とても気合が入っていることが見て取れる。
同店には初の訪問となる今回はまず、「チーズ餃子」と「にんにく餃子」を注文。通常の倍くらいの時間をかけて焼き上げられたそれらは、見た目はオーソドックスな焼き餃子だが、ボリューム感と具材のオリジナリティに目をみはった。その幅は10センチ程度はありそうだ。箸を入れると皮がもっちりとしていて馴染みやすく具材の餡も素材感が満点だ。チーズ餃子のゴーダチーズはトロットして口の中にとろけて妙にまとわりついてくるのが心地よく、にんにくはピリッとした生の刺激と食感とを味わわせてくれた。
■餃子のさんくみ
東京都立川市曙町2-30-1 1F
秋の入り口に辿り着いたら「けんちん汁」が恋しくなっていたのである。御存知けんちん汁とは、鎌倉の建長寺が発祥とされる精進料理の中の汁物料理の一種である。建長寺の汁こと「建長汁」がなまって「けんちん汁」になったといわれる説が有力である。元々けんちん汁とは、鎌倉建長寺のお坊さんによって考案された精進料理の一種とされている。肉類、魚類を用いるのはご法度と云う制限がある。普段はカツオ出汁を使うところだが、今回は昆布茶の元を出汁代わりにする。椎茸や根菜類から滲み出る天然の出汁で煮込まれるので、とても優しい味付けに仕上がったのだ。
此のメニューはと云えば、牛蒡、人参、蒟蒻、等々の根菜類を主体にして煮込み、醤油味で素朴に味付けをしているのが特長である。根菜類は夏を終えた秋からその存在感を増していくということもあり、秋季の料理の定番的な逸品なのである。人参、大根、牛蒡、等々の根菜類が自然と貯まっていくこの季節。冷蔵庫の中の椎茸、蒟蒻等を合わせて「けんちん汁」にしたのだった。
旬の平茸が手元にあったので、これをいっぱいに入れて煮込んでみたらとても福々しい味わいだったのであり、けんちん汁には平茸がよく似合うということをあらためて実感しているという次第なのである。
秋の魚の鮭料理の中で、おいらが楽しみにしている筆頭であると云って良いかも知れないのが「秋鮭白子のバター焼き」である。まさに秋の鮭にのみ宿った希少部位を、バター料理のこくが気にならないくらいに、シンプルかつ鮮度よく味わえる。白子のポン酢もよいが、鮭の白子にはバター焼きが丁度良いのだ。
鮭の白子の部位が低脂肪高たんぱくであり、美肌効果も期待できると云うことから、女性の愛好者も多いと聞く。ともあれこの時期、居酒屋に立ち寄ったらこの鮭白子のメニューを探すべしなのである。
余談だが、最大の難点は「プリン体」が多いということで、通風もちのおいらにとっては鬼門的食材なのだが、それでもたまには口にしないとおさまらないものなのである。
美味しい秋刀魚の塩焼きを食したのだった。季節は秋になり、秋秋刀魚が美味しい季節なのである。
秋の秋刀魚のレシピは多々あれども、やはり塩焼きには他は及ばないのだ。特に生のサンマに塩を振って炭火で焼き上げた秋刀魚の塩焼きは、此の季節に何度も味わうべきメニューであることを象徴している。美味い秋刀魚は秋の季節とともにあり、秋の季節は秋刀魚の塩焼きとともにある。
顔と目と鰓の部分を注意深く観察したところ、気が漲っているその様をイメージとして認識していた。旬と云うには未だ早いが、これこそがまさに「旬」の顔だろうと感じ取るのに充分なアピールを受け取らざるを得なかったと云うべきだろうか。そんな風に旬のサンマとは向かい合っていた。その目はまん丸でいて、これまた大海を泳ぎ続けてきた逞しさを感じ取らされるに充分な代物だったのである。
前橋市内の「なかや」という店にて「ソースカツ丼」を喰らった。上州前橋が発祥とされるその「ソースカツ丼」は、豚のヒレ肉を食べやすいくらいにカットしてから揚げたという絶品のカツを揚げ物にして絶品のソースにくぐらせてご飯の上に乗せて完成したという、とてつもなくシンプルでありかつ絶品的カツ丼にありつけていたのではある。
トントンの街の上州豚はそれほど自己主張をすることなくして地元民に受け入れられているのである。「ソースカツ丼」もB級グルメの一級品として評価すべきであり、此れもまた故郷の味の一つとして認定したくなったのではある。
■かつどん なかや
群馬県前橋市千代田町2-5-5
TEL 027-234-6152
変わり餃子をみるとついつい注文したくなってしまうおいらである。「鶏皮餃子」とはいかなるものなのか? と興味半分で注文したのが上の料理である。鶏の皮を餃子の皮に見立てて包んでおり、中身の餡は鶏挽き肉をベースにスパイス等で味付けされている。こんがりと焼かれて出てきたその餃子の皮はパリパリとしてこくがあり、食べ応えも充分。餡の鶏挽き肉からジワッと溢れ出た肉汁と相まって、独特の鶏料理の一品となっている。
たまに「手羽餃子」という料理を見かけるがよく見たところこれとは違う代物である。手羽餃子はある種ポピュラーなメニューになりつつあるが、おいらはこれが中々合点がいかぬ、邪道的メニューとして捉えているところなのだ。鶏皮餃子の照りの利いた鶏皮の食感は、コラーゲン的潤いを彷彿とさせる味わいなのであり、軽く噛み切れるほどの弾力がナイスである。