新旧「おでん」の食べ比べでほっこり

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寒さが身にしみる昨今は関東風のおでんが美味しくなった季節である。だがおでんは近頃何度か接していたが、あまりおでんを食した気分にはならなかった。立川で途中下車して、おでんを頬張っていた。寒い夜には熱々ふうふうのおでんに限るのであり、途中下車したかいがあったというものなのだった。

其の酒場には、旧来のおでんとネタと共に、新しきおでんネタと称すべき様々なネタがあり、古くからのおでん種の他に、例えば「オムレツ」「タコ串」「チーズじゃがいも」等々のメニューは、マル、三角、四角の定番的旧おでんネタと共に、おいらの好奇心と胃袋を刺激していたのだ。おいらの好奇心と胃袋を刺激していたのだ。

冬に温かいおでんを頬張ればお腹も心も温まり、居酒屋巡りの醍醐味を味わえるのだった。おでんをお替りしたのは珍しいくらいだが、それだけ温まってきました。

上州前橋の嶺公園で墓参り

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上州前橋市の北端、赤城山の麓にある嶺公園に隣接した墓地に、亡き妻が眠っている。命日を控えた本日は其処へ墓参りに出かけた。

毎年お盆やこの時期などなどに墓参りをしているのだが、今年もまた冬晴れにもかかわらず、この時期の冷たい厳しいからっ風に襲われてしまった。この冷たい風が、記憶の底に埋もれかかっていた「赤城おろし」という名のからっ風である。凛とさせる空っ風と赤城の山並みを眺めつつ、帰路についたおいらではある。

「ハマグリの酒蒸し」で冬の体調管理

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ハマグリ料理には、吸い物、鍋の具材、等々と様々な活用法があるが、とてもシンプルで味わい深いのが「ハマグリの酒蒸し」である。他にバター蒸しという料理があり、調味料としてのバターがハマグリ料理に独特のコクを与えている。酒蒸しのほうがよりハマグリのシンプルな味を味覚できるのだからこちらのほうかラッキーだろう。

栄養的にはビタミンB2を比較的多く含むので、動物的タンパク質ともあいまって、身体に優しい味わいに満たされるのである。ハマグリは二枚貝の中では大きな部類であり、アサリに比べて食べ応え、噛み応えも大きなものがある。しっかりした味覚もあり、食べ応えの満足感もまた大きなものである。

「ふわふわオムレツ」で酒が進んだ

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オムレツを肴に一献。美味しいオムレツを食べることができた。美味しいものは箸よりもやはり酒がすすむのは何時ものこと。ふわふわとして柔らかくそしてクリーミィである。この触感は他には見られない代物ではある。近頃の大衆居酒屋で美味いオムレツを出す店は少なくなっている。手に職を付けた味職人が減ったということ、そして悪しきコスト追求がその要因ではあろう。時間とコストを天秤にかけたコストパフォーマンスはこれに勝るものはないと云えよう。そんな状況の中で美味いオムレツを出している居酒屋のメニューには、敬服に値するのである。

葛飾立石「江戸っ子」のカレーに舌鼓

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葛飾の立石は下町風情が満開なので、おいらは度々訪れている。今回訪れたのは「江戸っ子」というお店。もつ焼きや煮込みが美味いと評判の地域定番的居酒屋である。同店オリジナルの「ボール」というハイボールの一種と思われるアルコールで喉を潤していれば、食欲は益々充溢していていく。葛飾区内下町呑兵衛達の聖地たるにゆるぎのない名店である。

今回注文したのは野菜カレーなる、日本人のソウルフード的な珍しいメニューであった。インドやタイのカレーではなくて、トロリとした小麦粉の食感が効いた日本のカレーであり、此の店のメニューだけあり、モツの出汁が効いている。「ボール」との相性も良くてほろ酔い心に舌鼓を打っていた。

■江戸っ子
東京都葛飾区立石7-1-9
03-3694-9593

「コブクロ刺し」をつまみに一献

kobukuro01豚の子宮をボイルしたものが「コブクロ刺し」であり、食感はと云えばおいらが大好きな種類の、適度にもっちりそしてまた、コリコリとして、噛み応え充分ありである。刺身とはいえども実際は、ボイルされて提供される。数あるモツ刺しの中でもおいらの好きなメニューである。そもそもコブクロ(子宮)とは、人間を含めて女性の哺乳類における生殖器のひとつであり、これを食すると云うことは女性器の一つを身体に含めると云う行為を指しているのであり、これはおいらも含めて男性人にとっての、所謂一つの女性ホルモン摂取の行為ではないかと考えている。男子たるべき人間が、簡単に味わってはいかんという構えは持っていたはずだが、ついつい欲に任せて注文してしまうのだ。ところではてな、女性人はどうなのだろうか? あまり焼肉、焼トン店にて女性が「コブクロ」を突付いている姿は記憶に無いものである。

寒いこれからの季節に「牡蠣鍋」は欠かせない

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こんな時季は「牡蠣鍋」に限るのである。牡蠣が美味しい季節となっている。こんな時季は「牡蠣鍋」に限るのである。牡蠣は冬季の主役になり得る食材である。社会一般的には「海のミルク」等とも呼ばれるが、コクや味の個性においてミルクの比ではなく優れているだからこその「牡蠣鍋」を十二分に味わえる季節は、今を置いてないということが云えよう。繁華街の横丁の居酒屋で、そこそこと美味なる「牡蠣鍋」に遭遇することとなった。冬の季節に牡蠣鍋が美味いことは論をまたないが、本日という冬日の日に、其の夜間において、牡蠣鍋は特別な存在感を示していたことを記しておきたいのである。なんとなれば冬の寒気には牡蠣の苦味とコクがとてもおいらの喉に心地よく触れていたということなのだ。冬の夜に「牡蠣鍋」がすこぶる美味いことには理由がある。其の訳の一端として考えられるのが、豊富なるカルシウムの存在である。牡蠣は冬季の主役になり得る食材である。社会一般的には「海のミルク」等とも呼ばれるが、コクや味の個性においてミルクの比ではなく優れている。薄曇り色していた牡蠣のむき身が、熱湯をくぐっていたその先には、ぷっくりとして白鮮やかな牡蠣の身が、視線を和ませてくれたり、美味しさの手引をしてくれたりと、大活躍なのではある。だからこその「牡蠣鍋」を十二分に味わえる季節は、今を置いてないということが云えよう。ほかほかと温まった最後には「饂飩」を注文していた。出てきたのは太目の噛み応えのあるもの。具材のエキスを吸って濃縮されたスープは多少の塩辛さが気になっていたのだが、太目の饂飩がスープのエキスを吸っており、想像以上に濃厚な味わいがグッドなのではあった。

北寄貝(ホッキガイ)の焼き物を食した

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「北寄貝(ホッキガイ)」の焼き物を食したのだった。学術名では「姥貝(ウバガイ)」と呼ぶ稀有な貝であるのが「北寄貝(ホッキガイ)」。二枚貝の中でも北国にて収穫され、かつ冬季には味覚的な旬を迎える貝類の代表が「ホッキ貝(北寄貝)」である。殻は厚く堅いが中の身は赤黒い奥深い身の味わいに魅了される。主に北海道で収穫されるものが東京関東圏内にて流通しており、北国からもたらされた貴重な二枚貝と云うイメージが染み付いている。通常、寿司ねたとして見かける北寄貝は、赤と白とのツートン色が特徴的だが、刺身の北寄貝はと云えば、もっとデリケートな色合いに感動させられる。奥深い褐色系の色合いが何とも見事だ。

「イカ焼き」は一夜干しが美味い

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イカの焼き料理は多種類があれども、普通のイカの焼き物はと云えば、一夜干しを焼いたものが美味いのである。殊に東京の居酒屋で喰らうイカ焼きは、生イカよりも一夜干しのイカに限ると云ってよい。生よりも、あるいは相当日干しされたスルメイカの類よりも、一層のイカの味覚が凝縮されるのが、一夜干しイカの焼きメニューなのである。

ところで日本人は世界一「イカ(烏賊とも書く)」を食べる国民であると聞いて誰も驚かないが、日本の魚介類の中で「いか」が一番食べられていると云われたならば、多少意外な感じがしないであろうか? マグロやアジやカツオといった魚類は、料理店やスーパーマーケットの鮮魚棚には大量に並べられ、日本人の口から胃袋へと運ばれているのだが、イカの多くはスーパー、料理屋、魚屋で売られる以上に、コンビに等で売られている「スルメ」「サキイカ」「イカ軟骨」等の加工品、酒のつまみとなって日本人の胃袋に運ばれているものとなっている。コンビニで目にする加工品とは少々違い、グルメに好まれる酒のつまみが「イカの一夜干し」である。八戸や房総や北海道の産地にて取れたイカを、その土地で一夜干しにされるものが大変美味なのである。生で焼いたイカの場合は少々独特なえぐみがあるのだが、それが取れてしかもしっとり柔らかなる豊穣な味わいは、まさに「イカの一夜干し」ならではのものである。タウリン、亜鉛等の必須成分を多く含み、EPA、DHAという血栓予防の栄養素を有しているから、もっと注目されて良い食材である。

久しぶりの「ヒラメの刺身」に舌鼓

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「左ヒラメに右カレイ」の修飾語で有名なヒラメの刺身を味わった。透明な白身の中には、白く繊維質の紋様が現れているのだが、其の独特の触感はまさしくこの繊維質に依るものである。

数ある白身魚の中で、繊細で蛋白で奥深い味わいが特徴的な高級魚であり、刺身で味わうにはもってこいの魚であり、おいらも久しぶりに口にしていた。

このヒラメの旬はと云えばこれからの冬季なのであり、冬の季節の到来の味わいなのではあった。

「根菜の生姜味噌煮込み」でほっこり

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冬の野菜と云えば、大根、山芋、南瓜、そしてほかほか食材の生姜と云った根野菜が旬であり美味しいのである。そんな冬の根野菜をたっぷり使って「根菜の生姜味噌煮込み」をつくったのだ。冬季の季節料理と云えばこの冬野菜根菜をふんだんに使った「根菜の生姜味噌煮込み」にとどめを刺すのだと云ってよいくらいなのである。根野菜に加えて椎茸、ホウレン草という冬野菜が味の奥深さを醸し出している。冬の根菜類をじっくりと煮込んだ根菜の煮付けは、まさに寒い冬の身体を芯の中から温めてくれる料理、冬の定番的常備食となっている。大降りにカットして煮込んだ人参の味わいが滋味豊かに味覚を潤している。少々多めに作っておき、後で蕎麦のタレ汁にすればまた2度美味しいのだ。これから我家の常食のひとつになっていくだろう。

シクラメンは、其の香りより独特の花弁の表情に惹かれる

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花屋の前を通る度にシクラメンの鉢植えをよく見かける。高校生の頃にはよくこの鉢植えを買い求め、油彩画のモチーフにしたものである。石膏デッサン、人体デッサン等と共にこうしたポピュラーな静物の素材は、写実的描写力を培うのに格好のアイテムであった。何年ぶりかでシクラメンを購入したのだ。この花弁は独特な形態をしている。一見チューリップの花弁の様でもあるがボリューム感はほとんど無く、目を近づければ蝶の羽根の様でもあるが、規則性もまるで無い。つまりシクラメンをシクラメンらしく描くことは結構なコツを必要とする。ボリューム感だけを強調すればそれはシクラメンとは云えない。とたんに別種の代物になってしまうのだ。ところで、失恋を歌った有名な曲に「シクラメンのかほり」がある。云うまでも無いが1975年に布施明が歌ってヒット、その年のレコード大賞を受賞した曲である。布施の甘い歌声が世の中の特にギャル層に浸透し、当時のTV、ラジオで流れない日は無いというほど、毎日のように聞かされていたことを回想する。曲のヒットに連れて、世間一般からは「“かほり”ではなく“かをり”だろう」という疑問の声が沸き上がる。歴史的仮名遣によればどうしてもおかしいのだが、小椋佳の妻の名前が「佳穂里(かほり)」ということから、正しいものとしている。詩の内容が失恋のものなのに妻の名を出すこと自体、矛盾だ。さらに指摘されたのが、「シクラメンには香りと呼ぶものが発せられない」ということだった。こちらの方も妻の名前で誤魔化されたという印象が拭えない。まあいちいち目くじら立てる問題ではないが、歌謡史の中でも特異な事例として記憶に刻まれている。時々マスコミ媒体では、フォークの名曲だとして紹介、解説がされるが、誤りである。曲の提供者が小椋佳であることがその理由のようだが、本人や周りの取り巻きの思い込みはともかく、日本のフォークミュージシャン、アーティストのほとんどは、小椋佳がフォークシンガーであることを認めていない。現にフォーク解説の第一人者ことなぎら健壱の「日本フォーク私的大全」では、小椋佳の名前さえ取り上げられていない。メディア等の産業と結託した商業レーベルの曲には、フォークの魂が宿っていることなどは無いのである。

出世魚のブリを「ブリ大根」で味わう

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出世魚の代表ことブリは冬が旬だ。今年もブリがうまい季節になった。冬のブリのうまみを、これまた最大限に生かした料理は「ブリ大根」ということになる。

旬の魚のブリと冬の大根とのベストマッチが冬季の定番メニューとして定着している。新鮮な日本海のブリと大根が在れば、そう難しい調理をすることなく旬の定番メニューが出来上がるのである。今宵はそんな新鮮な日本海ブリの頭と切り身と大根がゲット出来たので、久しぶりに我が家でも「ブリ大根」を調理することとなっていた。

「ブリ大根」の基本とは、大きくカットした大根にブリの旨味を吸わせて味わうということになる。大根は大きくカットせねばならないのであり、薄切り などにされた大根では此の味わいは体験出来ないのである。そしてそれなりの調理時間を必要とされる。大根の煮時間も20分は下ることがなく、決して簡単レ シピではあり得ない。そんなこんなの条件を満たしつつ「ブリ大根」を調理。新鮮なブリの切り身を用意した以外は、取りたてての調理法を使った訳ではなかったのだが、程よいブリのあまさがおいらの喉を唸らせるに充分なる出来前ではあった。冬季の酒のつまみ的料理として、これ以上の 奥深い味は無いものだと実感させるに充分である。

立川で珍しい「馬モツ煮込み」に遭遇

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立川で買い物をした帰り道に立ち寄った居酒屋「でん助」で、珍しい馬のモツの煮込み料理を味わったのだった。以前から立川には「でん助」という美味くて安い居酒屋があると、知人から聞き及んでいたのであり、そんな噂の店に向かうおいらの足取りも軽かったといえよう。まずは噂の「馬モツ煮込み」とともに、来客者のほとんどが口にしていたおでんの盛り合わせを注文。馬のモツの煮込みというメニューは、よくある豚や牛のそれとは少々異なって、そのモツのヒダがピンと立っていて、神々しいくらいの見た目のインパクトを与えていた。ヒダが神々しくあるくらいのモツの味わいはといえば、あまり豚や牛のそれとの違いは詳らかにしにくいが、柔らかくて程よい食感のモツの身の味わいは美味であった。

■ひだりうま でん助
東京都立川市錦町1-5-28 谷野ビル 1F

八王子「小太郎」の美味い豚の串焼きにて一献

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八王子の焼き鳥店の名店といえば「小太郎」が先ず挙げられる。そんな「小太郎」にて一献。小太郎とは地元の串焼き店での有名店であり、一番の呼び声も高い。今年に入って店舗が移動しており、より広い場所にて営業が開始されている。八王子駅南口からすぐの新しい店舗では、地元の酔客で賑わっている。それはそうとして、美味い焼き鳥、モツ焼きを味わうならば「塩味」よりも「タレ味」だろう。ここ小太郎のタレは甘くなく、炭火で焼くにつれて鳥や豚のモツ肉にじっくり染み込んでいく、ナイスな仕上がりである。炭火とタレとの相性が絶妙なのだ。塩焼きで焼くモツも悪くはないが、タレ焼の持つ特別なハーモニーを感じることは出来ないのだ。以前に掲示板上で議論に上ったこともあるが、人気ある店の「タレ」にはそれぞれに個性的な工夫が存在するものである。甘ったるかったり水っぽかったりするタレ焼は論外であり、そんな店の焼き鳥は2度と食べたいとは思わない。換言すれば、美味いタレ焼を出している店は、それが故に常連としてしばしば足を運んでしまうことになる。それくらいに「タレ」とは重要な味の要素、店選びの肝となるものなのだ。

■小太郎
東京都八王子市子安町1丁目2-1

湘南海岸の味こと「生シラス」を食した

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「生シラス」にありついた。生で食する機会はなかなか無いという、天然カルシウムの宝庫である。某居酒屋にて食した「生シラス」は、見るからに鮮度も抜群。湘南産だということであり勿論冷凍ものではなかった。そして、見るからの透明度には魅了されていた。白く透明な、海の宝石のようでもある。

シラスとは魚の稚魚を指して云うが、流通されて食卓に上るのはほとんどが鰯の稚魚である。イワシの稚魚を「シラス」と呼び、湘南地方ではとても珍重されている。否、湘南地方のみならずの全国的な旬の食材として、とても貴重であり、味わい深いものとなっている。その姿はまるで白く透明な、海の宝石のようでもある。

関東風「串かつ」は関西の串揚げにはない美味

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普段の居酒屋にて串かつを食した。そもそもおいらは串カツが大好きである。豚肉のカツと揚げられたネギの甘味と香ばしさとの調和した味わいは、串カツならではのものであり、関西的ジャンクフードこと串揚げの比ではない。串揚げには断然勝っていると云ってよいのである。由緒正しき関東の「串かつ」とは、大阪界隈のジャンクフードの串揚げとは似て非なるものであり、串かつのネギと豚肉のハーモニーの絶妙さを思えば串揚げなどは邪道的フードとしか思えない。おいらは串カツが大好きである。豚肉のカツと揚げられたネギの甘味と香ばしさとの調和した味わいは、串カツならではのものであり、関西的ジャンクフードこと串揚げの比ではない。串揚げには断然勝っていると云ってよいのである。かねてから思うに、串揚げを食べてもなかなか満足できないものがあったのだが、しかしながら、あえて限定すれば関東風の串カツ口にしたときの感動や満足感は、他を圧倒していたものなのである。関西ジャンクフードの限界とともに、関東圏の食文化の歴史を改めて感じ取ったという訳なのだ。関西的串揚げには無くて串カツに有るものとは何か? まずはその豚肉とネギとの相性の良さであろう。豚肉の質、ランクはそれ程良いものを求めなくても、豚カツとネギ揚げとの相性の良さで、串カツの美味さは決定付けられると云っても良い。

「ブリの照り焼き」は旬のメニュー

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「ブリの照り焼き」という料理にありついた。寒い季節にはいっそうに脂が乗って旨味を増すブリは、照り焼きの材料としてはこれ以上ないくらいなのだ。甘過ぎるくらいの濃い目の味付けも、ブリ照り焼きならば納得である。食べる途中に箸を置いて眺めると、黒光りするブリの存在感に目を奪われていた。煮詰めた照り焼きのタレは黒々として照りを表現しているかのようだ。照り焼きとは、醤油に砂糖や味醂等の甘み成分を加えたタレを塗りながら艶を出して焼き上げる調理法也。オーブン等で上からじっくりと時間をかけて焼く調理法が一般的である。照り焼きの調味料はつやを出しあたかも照りを生むかのごとくであることから照り焼きというネーミングが生まれた。そもそも照り焼きという調理法自体がブリの為にあるくらいにベストマッチングなのだから外せないのだ。食べる途中に箸を置いて眺めると、黒光りするブリの存在感に目を奪われていた。煮詰めた照り焼きのタレは黒々として照りを表現しているかのようだ。

「〆鯖(シメサバ)」は今が旬だ

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秋から冬にかけて、鯖も脂が乗って美味くなる。主に酢に漬けて「シメサバ」として提供されているが、中には生のサバに薄酢に浸したくらいの新鮮なものまである。そもそもサバは足が早いのでシメサバが定番となっているのだが、シメサバか刺身かにはこだわらず、新鮮なサバであるにこしたことはないのだ。青魚らしい鮮青色の身は秋から冬の魚の中でも特筆すべき味覚を主張している。このたび地元の八王子界隈で食した〆鯖もまた、〆鯖の醍醐味を味わうに足る逸品であったのだった。先ずは大切なことだが、決して塩辛くも酸っぱくも無いということ。大量の塩で〆めた〆鯖は日持ちはするだろうが決して本来の〆鯖の美味さを有してはいないのだ。決して塩辛くは無く、酢の酸味が喉を潤してくれる。青魚でありながら鯖の紅い身の色合いがまた食欲を誘っている。この時期にこそ食べたいメニューであることは間違いない。

「やまたまや」の山芋で根菜煮込みを作った

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八王子駅前の地産品店「やまたまや」で先日購入した山芋を使って、根菜煮込みを作ったら、この山芋が期待以上に美味かったので、煮込み料理の定番にしたいと考えたのだった。山芋以外に、南瓜、牛蒡、蒟蒻、葱、等々の冬期の野菜類をふんだんに使っていたので、これこそ和風の根菜煮込みの原型であると云えよう。