タウリン豊富なタコブツは、定番メニューの一つなのだ

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魚介類のタコには、肝臓その他の内蔵類の健康には無くてならないタウリンという栄養成分が豊富であり、おいらも時々、意識してタウリンを摂取している。と云う訳で食したのは「タコブツ」だ。刺身の様な包丁捌きは見られない。ただ、ブツッと切って器に載せて出されると云う代物。だがそんなことはお構いなしに生気の源のタウリン等が身体を軽くしてくれる。この効果は恐らくイカを遥かに凌いでいるのだろうと思われる。

体調が勝れない日々の食生活にて心がけているのは、胃腸を楽にして過ごすこと。こってりした脂モノや肉食類は却ってマイナスであることを、おいらのこれまでの実体験が物語っている。肉類や脂っこいものを食せば、翌日の大便の色がとても悪しき泥臭さで染まれていくのだ。であるからしておいらは翌日の便の色の健康色を保とうとして、野菜類と魚介類の摂取を基本にしているのだ。

府中の梅まつりで一足早い春に触れた

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府中市郷土の森博物館では「梅まつり」が開催中だ。散策路が整備された広大な敷地には1100本の梅の樹が立ち並んでいる。会場の入口近辺の梅はまだまだ蕾ばかりであり、梅まつりと称するには些か拍子抜けの感がしたが、会場の奥に歩みを進めるに連れ、紅白の梅の花たちの可憐さに目を瞠るのだった。最奥の一帯には黄色い梅の一種こと「ロウバイ」が、こちらは早咲きの品種と見え満開なのだった。春の香りを黄色い花びらの中で嗅ぎ取ることができ、ぽかぽか陽気も幸いして、一足早い春を感じることとなっていた。

■郷土の森 梅まつり
2015年2月7日(土)~3月15日(日)※期間中無休
府中市郷土の森博物館
東京都府中市南町6-32
大人200円、中学生以下100円、4歳未満無料
9~17時(入館は~16時)

前橋「モモヤ」の「とんかつうどん」に舌鼓

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上州前橋市内には豚カツの美味い名店がある。そんな中で味わったメニューが「パーラーモモヤ」の「とんかつうどん」なのだった。帰省する度にちょくちょく訪れていた「モモヤ」ではあるが、「とんかつうどん」はインパクトのあるメニューではあった。

上州では一般的な細めのうどん麺に醤油味のスープに、薄くスライスされたヒレカツが乗っている。更にトッピングとしてのヒレカツが添えられていて、食べ応え感が満点なのだ。おいらはまたこのメニューを口にして、大いにトントンメニューを味わっていた。上州的なうどんの出汁と薄い豚カツの咬み応えとが相まっていて、とても美味しく味わっていたのだった。

そもそもは、上州前橋は豚肉料理が有名であり、「TONTONのまち前橋」を標榜しているくらいに豚肉料理が人気である。そんなトントンの町のメニューとしての「とんかつうどん」に舌包みなのであった。

パーラーレストラン モモヤ
住所/前橋市千代田町2-12-2
電話番号/027-231-5017

「山芋磯辺揚げ」で大地の恵みを味わう

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山芋の磯辺揚げを食した。大地の食材としての山芋をふんだんに味わえるメニューであった。それは山芋を海苔でくるんで揚げたというシンプル簡単なメニューである。粘々の山芋が油にくぐらすとぷくっと膨れて見せている。滑稽でもあり、愛嬌もあり、見た目にも愉しませてくれる。家では揚げ物はなかなか作り難いから、外食メニューで時たま口にすることになる。見た目にもふっくら感のある美味しい磯辺揚げに接すると、見ただけで涎が垂れてくるのを感じるくらいだ。揚げて食べれば、粘々感は消失するのだが、味は濃厚になり、山芋のふっくらとして大地の恵みさえも感じさせてくれるのだ。

「牛スジ煮込み」で酒が進むのだ

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おいらが好きな「煮込み」と云えば、一般的なモツ煮込みよりも「牛スジ煮込み」である。牛スジのゼラチン質や繊維質が豊富であり低カロリー、しかも馥郁とした出汁が味わえるというのであり、どこぞの酒場に足を運んだときには先ずは此の牛スジ煮込み料理を物色している。美味い牛スジ煮込みは其れくらいに求むべき酒のつまみでもある。一般的に「煮込み」という料理には「もつ煮込み」と「筋煮込み」が双璧をなしている。おいらの好みはといえば筋の煮込みの中でもとりわけ「牛筋煮込み」ということとなっている。牛筋とはアキレス腱の部分や腱がついた肉の部分を指しており、にはゼラチン質が豊富に含まれており、脂身は少ない。ホルモンの部位とは異なり、あまり小売 店のショーケースには並ぶことが少ないと云う。専門店での調理法が映える部位なのである。名店の「牛筋煮込み」は、ほぼ飲兵衛たちの支持によって長い命脈 を維持しているのだと云っても良いのだろう。近頃の好みは〆として素麺にかけて食べることだ。これも文句なしにGoodだった。そうして今宵も酒が進むのである。本日もまた地元のスーパーマーケットで新鮮な牛スジを仕込んでいて、自家製の牛スジ煮込みづくりにチャレンジしたのだった。購入した牛スジを3〜5cmにカットして、その他、人参、玉葱、蒟蒻の具材を用意して、圧力鍋にて煮込んだのだ。味付けは少量の醤油と塩と生姜の細切れのみであり、牛スジから滲み出る出汁とコラーゲンが味の決め手となっていた。

「ブロッコリーのきんぴら」は見た目以上の味わい

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ビタミンB、C、カロテン、鉄分、等々の栄養素を豊富に含んだブロッコリーは、この時期が旬であり、とくに葉のついたものは国産品として流通し、人気である。蕾の塊の部分をさっと茹でればその独特の香りや触感に魅了される。食材となるのは蕾のところばかりではなく、茎の部分も栄養価が高く、捨てるにはもったいないので、おいらはこの部分をきんぴらにして食べる習慣がある。今回も蕾を調理した後の茎を用いてきんぴらにした。少々固いが食物繊維が豊富で、牛蒡とともにきんぴら料理にはもってこいの食材なのである。

ホヤ酢に接する度に東北を思い起こす

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久しぶりのホヤ酢ことホヤの酢漬けにありつくことが出来たのだった。酢の鮮烈さホヤの身の濃厚さとが抜群にマッチしている。主に東北地方で収穫されるホヤの身は大震災の影響もあり、なかなか口にする機会も減ってしまっていた。だが復興のシンボルとしてのホヤは、ようやく震災前の状況に復活しつつあるようだ。日本における主な生息地は東北の北東部であろう。一部では「海のミルク」などと称されることもあるようだが、決してミルクのような味わいはないだろう。むしろ、磯の香りがぷんぷんと漂っていて、とてもはじめての人にとっては箸を付けたくないような、そんな香りの肴なのである。外見はグロテスクなことからなかなか口にしない日本人も多いというが、この味を知ってしまったら食べないわけにはいかないと云えるくらいに逸品の味わい。軽く酢で〆たものが素材の味を引き立てている。東北の地場食材としてもっとも愛着に満ちた逸品である。まさに東北からの恵みの味だ。上京して間もない頃のおいらは、「ほや」は食べられなかったと記憶している。原始的記憶以降のものであるので、その信憑性は大である。いつから「ほや」が食べられるようになって、しかも何時からかは「ほや」こそ酒の肴の逸品であると思うようになったのであるから人生はまた不可思議なのである。日本における主な生息地は東北の北東部であろう。一部では「海のミルク」などと称されることもあるようだが、決してミルクのような味わいはないだろう。むしろ、磯の香りがぷんぷんと漂っていて、とてもはじめての人にとっては箸を付けたくないような、そんな香りの肴なのである。。

玄米効果が現れたのだ

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先月から玄米食を再開したおいらである。白米の代わりに玄米ご飯が基本の食生活を1ヶ月近く続ける中で、体調の変化を自覚している。先ず現れた変化は、便通がみるみる良くなったこと。以前は運動不足等が影響してか3日以上の便秘が普通だったが、今ではほぼ毎日の便が日常的になった。これは実際に期待以上の効果と云えよう。それに伴って腰回りが軽く感じるようになった。ベルトの穴の位置が1つ分移動して、特に食事制限をしているわけでもないのに、ウエストが若干ではあるが細まっている。このまま上手くいけば、巧まざるダイエットが成功するかもしれない。

マグロのブツ切りで一献

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我が国の刺身の代名詞であるのがマグロの刺身。刺身でなくブツ切りで食しても、特に赤身の良さは味わえる。マグロはカツオの天敵ではあるが、確かにその赤身は美味なり。マグロは1番では無いが確かに美味い、ただし赤身に限るのだ。決して大型の高級マグロではない。けれども江戸前の食材としては、たぶんこちらのほうがメイン食材であったと想像されるのである。

焼きそばに紅ショウガはよく似合う

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晩餐の締めにて焼きそばを食した。添えられていたのが定番の「紅ショウガ」である。千切りにされたショウガを赤い色素に染めてひときわ鮮やかな添え物としての紅ショウガが出来上がる。比較的脂質が多い焼きそばの脂っぽさを中和させる作用がある。云わば焼きそばに紅ショウガとはベストパートナー。焼きそばに紅ショウガはよく似合うのである。ショウガに接する機会と云えば、他にも寿司に添えられるガリがある。ガリの方が実際には色素や調味料を用いていないので、よりフレッシュな味わいだ。だがおいらは寿司のガリよりも焼きそば用の紅ショウガの方が好きなのだ。脂っぽい焼きそばとのコンビネーションに満足するからだろうか、或は別の理由があるのか知らぬが、此の紅ショウガを食べたくなったときに焼きそばを注文するというおいらの癖はこれからも継続して続いて行くのだろう。

漬物の定番「白菜漬け」は昔ながらの郷土食かもしれない

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美味い「白菜漬け」を食した。おいらが子供の頃には「白菜漬け」は毎日の食卓に無くてはならないくらいの定番ではあったのだが、近頃はあまり口にすることのないメニューとなってしまっていた。だが今でもこの「白菜漬け」は、おいらにとっての郷土食のひとつに数えられるべきメニューなのである。その昔は白菜漬けをご飯に巻いて、白菜巻きにして食べていたことなどを回顧している今日このごろなのである。

今年は富士山の方角に向かって恵方巻を食した

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今年の恵方巻の方角は西南西だという。おすらも今年もまた地元のスーパーで恵方巻を買って帰り、西南西の方向に向かってかぶりついていたのである。じつはおいらの住む土地から西南西の方向はと云えば丁度、日本一の山こと名峰富士山の方角にあたっているのであり、心情的には富士山への祈りにも似たものではあった。あらためて名峰富士山へのリスベクトの思いを込めつつ、何時富士山に登れることかはいざ知らずに、未だ果たせない富士山頂登山への思いを込めることとなっていたのだった。

ブリの脂が染みて美味い「ブリ大根」

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冬の定番メニューこと「ブリ大根」を味わった。出世魚の代表ことブリは今の冬が旬だ。冬のブリのうまみを、これまた最大限に生かした料理は「ブリ大根」ということになる。「ブリ大根」の基本とは、大きくカットした大根にブリの旨味を吸わせて味わうということになる。大根は大きくカットせねばならないのであり、薄切り などにされた大根では此の味わいは体験出来ないのである。そしてそれなりの調理時間を必要とされる。大根の煮時間も20分は下ることがなく、決して簡単レ シピではあり得ない。そんなこんなの条件を満たしつつ「ブリ大根」を調理。新鮮なブリの切り身を用意した以外は、取りたてての調理法を使った訳ではなかったのだが、程よいブリのあまさがおいらの喉を唸らせるに充分なる出来前ではあった。冬季の酒のつまみ的料理として、これ以上の 奥深い味は無いものだと実感させるに充分である。

「高野豆腐煮」は胃袋と心にも優しい

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豆腐を凍結乾燥させて作られる保存食の高野豆腐。これを具材に煮込み料理を作ったら、高野豆腐とともに煮込んだ人参、南瓜、玉葱のエキスをしっかりと染み込ませており、予想外に美味也。特に胃袋が弱っていた昨今のおいらには、口からすんなりと喉を通って胃袋を満たしてくれ、とても優しい味わいだ。そのむかし風邪をひいた時などに食べていた病人食よりもよりふさわしいのではないかと思った。

立川ウドの酢味噌和えで一献

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多摩地区の立川がウドの産地だということであり、立川ウドのメニューがこの季節には散見されるのだ。主には立川ウドの酢味噌和えであり、新鮮なウドのシャキシャキ感が、酒の肴にはもってこいである。ウドという植物は単にがたいが大きいだけでなく、その身の瑞々しさが特筆される。水分量が極めて大きく、サクサクとした触感のほとんどがその瑞々しさによっているということが云えよう。厚さ2mm程度にスライスされたウドが、酢味噌に味付けされて提供されていた。一口齧ってみるととてもサクサクとして瑞々しさが際立っていた。栄養素などが薄くてもこの触感だけは特別なものであると納得。もっと厚くスライスしてじっくりと時間を掛けて煮込んだならば、もっとおいしく調理できるのではないかと想像した次第なり。

「モツ鍋」の〆は沖縄ソバが最適と知ったのだ

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地元の九州料理専門店にて、モツ鍋を食したのだ。今年も漸く長い冬にさよならしようかという季節に、こんな時にこそ美味い鍋を食しておかねばもったいないかと思ったのだ。鍋料理は多々あれども、モツ鍋は今季はそれまで食べた記憶が無かったから、早速そのモツ鍋を注文していたのだった。モツ鍋の具となるものは白モツと呼ばれる牛の小腸、或いはその他の内臓モツ類に、キャベツ、ニラ、玉ネギ、ニンニク、唐辛子が基本となる。スープの味付けは、味噌か醤油の濃い口のもの。キャベツとニラから滲み出る甘味と水分とが、具材に奥行きを加えてゆくのだ。モツの量はそう大量に入れる必要も無く、そもそもカロリーは低くて、しかも野菜の比重が高いことから一時は「ヘルシー鍋」とも称されていたことがあった。煮込んだモツは柔らかくなるが、シコシコしたその食感を噛んで味わうのが楽しみの一つだ。そうこうして鍋の具を食した後には〆となるのだが、今宵は特別に「沖縄ソバ」を注文したらば、これが当たりだったのである。こくのある甘辛いスープを吸って、中華麺よりも食べ応えがあり、しかもうどん麺のようには胃袋への負担感も少ないのである。モツ鍋と沖縄ソバとの相性の良さを知らしめるには充分であったのだった。

豆腐を揚げる自家製の「厚揚げ」は居酒屋料理の定番也

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豆腐を油で揚げて作るのが「厚揚げ」である。豆腐屋の定番商品ではあるが、居酒屋メニューとしても定番になっている。地元の居酒屋には「自家製厚揚げ」というメニューがあるのだが、これが存外酒の肴としていける逸品なのだ。所謂「揚げ出し豆腐」とは異なっていて、しっかりとした衣がさくさくとした食感を醸しており、中は絹豆腐のトロリとして繊細な風味が舌を襲う。生の豆腐を注文を受けてから植物油で揚げて調理されるものなのだからであり、それだけ手が込んでおり、料理人の思いが詰まっているのだ。厚揚げとはどこのスーパーにも置いてある日常的大衆メニューであり、取り立てて騒ぐこともないのは重々承知なのではある。だがしかし、この自家製厚揚げは特別なものなのだ。八王子の-某大衆居酒屋では「自家製厚揚げ」というメニューが人気だ。外はカリカリでいて中身はジューシーな絹漉し豆腐の温かく旨い食感が舌を刺激する。群馬の田舎では、厚揚げのことを「生揚げ」と呼んでいる。生のままの絹漉し豆腐をそのまま油に潜らせる。10数分を経て揚がり上がったほくほくのものを、葱、生姜、鰹節をのせ醤油を掛けていただく。まさしくほっかほっかの豆腐の旨みに加えてカリカリとした殻の食感がたまらない旨さのハーモニーを醸し出すのである。

冬に美味しい「ブリの釜焼き」

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地元で立ち寄った居酒屋で、「ブリカマ」ことブリのカマ焼きを食した。先日は富山へ旅していたおいらがブリを食べなかった反動で、ブリに特別な食指が動いたのかもしれない。遠火でじっくりと時間をかけて焼き上げて出されたそのカマ焼きは、想像した以上にさっぱりと、塩味も控えめに味付けされて、とても美味であった。鯛の身よりもコクがあり、味わいも深いものであった。ブリと云う魚もまた調理の仕方次第で、特別な料理になり得るのだった。

富山での白海老の味わいにうっとり

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今回の富山への旅に関しては、富山県立近代美術館におけるエピソードを実は途轍もなく書きたいと思っていたのだが、今ここでは肝心の鍵となる現代作家の名前が失念しており、このまま曖昧なままに書き記すことはできないと判断したのでありまして、全くもってしょうがなく、富山で食した白海老について記していこうと思います。やはり富山で食べた名産品ならではのことありで、富山の白海老は絶品でありました。ただしその料金の高きことと云ったらなくて、おいらの日常的な食生活の基準ではとても対応できないくらいのものだったので、そのことは一言申していきたいとは思いました。おいらが注文して食した白海老の刺身は、ほんの一皿の、ほんの一スプーンくらいのものであり、おいらにとっては高額のものではありました。やっぱり美味いのですからそれなりの高額の値段は予想していたのですが、予想以上に戸惑ってもいたのでした。それでも美味しかったことには紛れもありませんでした。白海老の刺身は舌にまとわりつくなりとろけるようにして、味覚の宝庫たる絶品さを主張していたのでした。白海老のかき揚げ丼では、ガッツリとした甲殻類としての全品的な白海老を味わっていて、舌鼓という以上のものを感じ取っていたのです。

白川郷、五箇山へと向かった

富山県高岡市から「世界遺産バス」に乗って白川郷へと向かった。白川郷とはこれまでずっと訪れたくて訪れる機会がなかった場所である。1995年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されたこともあり、憧れの地としての評価が高まっていた。「日本の原風景」という一般的な評価が高まるにつれ其の思いは強まり、そんなことからもあり、富山県側からの訪問という、少々強行的な訪問となっていた。

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到着した白川郷は、中国語、韓国語、タガログ語、等々が行き交うまるでアジアの異文化圏とも見紛うばかりの、特異な観光地としての趣きを呈していた。日本人よりも海外、特にアジア圏からの観光客が大挙して訪れていたのである。期待していたものとは少々異なる光景には流石に驚いていた。それはそれとして切妻造りに茅葺きの独特な家屋の様式が、白川郷の合掌造りとして大いにピーアールされていた通りに、合掌造りの民家が立ち並ぶその光景には、見惚れていたのだった。茅葺きの家屋の多くは雪に埋もれ、人々の足跡がそこかしこに残されており、住民と観光客らとの生活感を感じさせていた。合掌造りの家屋を介してそこは紛れもない生活の場所となっている。所謂観光地であり、それ以上の生活の場と云うべきだと強く感じ取っていた。

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その後、五箇山の「相倉集落」に足を運んで、観光地化された白川郷にはなかった、より一層の生活の濃厚な息吹と足跡とがその集落の場から感じ取られた。聞くところによると集落の人達は年間のおよそ半分を雪に埋もれて過ごすという。雪とともに在り雪とともに生きる人々の生活が、合掌造り集落の景気に刻まれていたのである。