前橋名物のとんとんうどんを味わった

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豚肉で町おこしをという掛け声で始まった上州前橋の料理が、トントン料理である。「トントン汁」はトントン料理を代表するメニューとして地元に浸透しつつ在る。前橋市内の名だたる料理人11人(チーム名:前橋の食を作る料理界の11人)が考案した前橋のオリジナル豚汁。その特徴とは下記の通りとされている。

1 群馬県産の豚肉と豊富な野菜を使い具だくさん。
2 きのこをバターソテーしてから入れるため、味はまろやか。
3 白と赤の合わせ味噌使用のため、コクがありちょっと洋食風。
4 〝豚のつみれ〟や〝ねじっこ〟(すいとんのようなもの)が入った昔懐かしい味。

一般的な豚汁ともけんちん汁とも違っていて、上州前橋の土着的な風土にマッチした味わいが伝わってくる。ちょいと甘辛な味がしつこくもあるが、却って土着的な特徴を際立たせているのである。ゴボウ、ジャガイモ、大根、コンニャク、等々の根菜類に厚揚げや小麦粉の練物等が加わって、食覚や味覚のバラエティーが広がっている。豚汁という地味目な料理が逸品的B級グルメとしての存在感をアピールしていることを実感させられる。

簡単に述べればトントン汁にうどんを加えたのが「トントンうどん」ということになる。お腹の減った昼食や夕食のメニューとしてもまた、逸品の料理として認定しておきたいものである。

■パーラーレストラン モモヤ
群馬県前橋市千代田町2-12-2

人形町「筑前屋」の「トロたんタタキ刺」に舌鼓

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朝どれの新鮮なモツが評判の店、人形町の「筑前屋」を訪問。串焼きの前に頼んだ「トロたんタタキ刺」が意外や意外の美味だった。トロタンといえば、舌の脂が乗った部位だと想像したが、想像していた程の脂身は無く、前歯で簡単に噛み切れるほどの柔らかさ。さっぱりした新鮮もつの味わいが口腔内を充満したのだった。

■筑前屋 人形町総本店
東京都中央区日本橋人形町2-7-16

「ハナミズキ」に遅い春の訪れを実感した

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あっという間に桜が散ってから、これまでずっとモヤモヤ気分のおいらではある。そんな中で、偶然にもハナミズキの凛として爽やかな花に接して、改めての春を感じていたのである。

桜に比べると、さすがに華やかさには一段劣るが、そのどんよりとしたピンク色した姿から発する花の姿は、どんよりとしてしかも確たる春の香りだと感じさせていた。ともあれ、「ハナミズキ」に遅い春の訪れを実感したという訳なのでありました。

「アジの干物」は最もポピュラーな朝食料理

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アジの干物の焼きものを食した。そもそも、アジ(鰺)という魚は日本人にとって最もポピュラーともいえるが、そんなアジの最もポピュラーな料理が、アジの干物焼きだと云えるかも知れない。朝食の一品としては調理がしやすくて飽きが来ない。これが例えばアジではなくて金目鯛の干物であれば、ご馳走感は絶大だが、飽きが来てしまうような気がしてしょうがないのである。

八王子地元民に人気の「八王子油そば」を食した

昼時、おいらは地元民に人気の「八王子油そば」を食したのだった。

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太麺を調理油としての油に和えて食べるというメニューである。ずっと此のメニューは油過多により、健康には不向きの、不健康なものとばかりに感じていた故に、殆ど食べたという記憶が無いのである。だが本日は、ひょんなる機会から食することになっていたのだった。実際に食したその麺は、想像通りのストレートの太麺、そして和えていた油はピリッとして辛味が深くて、想像以上の食べ応えなのだ。しかも此の時のおいらは大盛りを注文していて、大わらわ。食し終わるにはゆうに40~50分の時間を要してしまっていた。思いの外に、油味は感じ取ることなくして食することとなっていた。

旬のブロッコリーを炊き込みご飯とキンピラにて味わう

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旬のブロッコリーを用いた料理を作って食した。この季節はブロッコリーが美味しくなる季節である。通常は茹でて食べたりするのが慣わしの食材なのだが、ちょいと趣向を変えて炊き込みご飯にしたら、これがすこぶる意外性の高いヒットメニューであったのだ。炊き込みご飯が炊かれる其のときから、室内は馥郁としたブロッコリーの香りが充満していた。まるで春の香りのごとくである。春季の炊き込みご飯にこれほど似合う食材は無いのではなかろうかとさえ感じさせてしまうのだ。そしてブロッコリーを用いたもう一つの料理が「キンピラ」なのであり、またまた季節感を充満させるに相応しい逸品なのであった。茎の部分が絶好のキンピラ食材になるのである。ビタミンB、C、カロテン、鉄分、等々の栄養素を豊富に含んだブロッコリーは、この時期が旬であり、とくに葉のついたものは国産品として流通し、人気である。蕾の塊の部分をさっと茹でればその独特の香りや触感に魅了される。食材となるのは蕾のところばかりではなく、茎の部分も栄養価が高く、捨てるにはもったいないので、おいらはこの部分をきんぴらにして食べる習慣がある。今回も蕾を調理した後の茎を用いてきんぴらにした。少々固いが食物繊維が豊富で、牛蒡とともにきんぴら料理にはもってこいの食材なのである。

「山芋磯辺揚げ」はとっても良い味わい

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山芋が美味くなっている昨今、「山芋磯辺揚げ」を食していた。すなわち山芋の磯辺揚げを食したのだった。大地の食材としての山芋をふんだんに味わえるメニューであった。それは山芋を海苔でくるんで揚げたというシンプル簡単なメニューである。粘々の山芋が油にくぐらすとぷくっと膨れて見せている。滑稽でもあり、愛嬌もあり、見た目にも愉しませてくれる。家では揚げ物はなかなか作り難いから、外食メニューで時たま口にすることになる。見た目にもふっくら感のある美味しい磯辺揚げに接すると、見ただけで涎が垂れてくるのを感じるくらいだ。揚げて食べれば、粘々感は消失するのだが、味は濃厚になり、山芋のふっくらとして大地の恵みさえも感じさせてくれるのだ。ところで旨い「マグロ山かけ」の条件とは、何か? 先ずにはマグロは新鮮な赤身であることが必須条件である。へたに脂の乗っている中トロの身などはいただけない。山かけの山芋については、あまり条件として制限すべきではないが、やはりしっとりとした食感をもたらすくらいには細かなすりおろしが求められるであろう。その他の条件としては、美味い海苔と新鮮な大葉等の薬味がトッピングされていることである。

「タコブツ」は妙に欲しくなる定番メニュー

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タコブツを食した。タウリン豊富なタコのブツは居酒屋で口にする定番メニューのひとつである。魚介類のタコには、肝臓その他の内蔵類の健康には無くてならないタウリンという栄養成分が豊富であり、おいらも時々、意識してタウリンを摂取している。刺身の様な包丁捌きは見られない。ただ、ブツッと切って器に載せて出されると云う代物。だがそんなことはお構いなしに生気の源のタウリン等が身体を軽くしてくれる。この効果は恐らくイカを遥かに凌いでいるのだろうと思われる。体調が勝れない日々の食生活にて心がけているのは、胃腸を楽にして過ごすこと。こってりした脂モノや肉食類は却ってマイナスであることを、おいらのこれまでの実体験が物語っている。肉類や脂っこいものを食せば、翌日の大便の色がとても悪しき泥臭さで染まれていくのだ。であるからしておいらは翌日の便の色の健康色を保とうとして、野菜類と魚介類の摂取を基本にしているのだ。

春玉葱の「オニオンサラダ」に舌鼓

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春玉葱の「オニオンサラダ」を食したのだった。この季節の春玉葱はスライスしたものを食するに限るのである。何しろこの時期の早生のものがもっとも瑞々しく独特の辛味も生食に似合っている。おいらは「オニオンサラダ」にはまっている。地元の居酒屋にて屡々注文するメニューである。オニオンこと玉ねぎとは、先ずは生野菜の主役になるべき食材であり、その鮮烈なる香りは野菜の頭柄としても充分に主張することが可能である。このメニューのポイントはと云えば、玉葱をスライスして使うことである。スライスしたての玉葱はとても刺激的な匂いがあり、涙を誘うほどである。それほどの刺激的野菜としての玉葱は、実はとても健康的な食材なのでもある。血液をサラサラにする成分としても注目が高まっている。成人病の原因とされる血漿を予防する成分としての硫化アリルが玉葱には多く含まれているのである。玉葱に含まれる硫化アリルという成分はビタミンB1の吸収率を高めるのであり、スタミナ増強にはもってこいではある。常温ではニンニク様の匂いがあるので扱いにくいのだが、少々の水分にて浸しておくことでこれを解消することが可能である。

「江戸前寿司」の日本酒で一献

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おいらは日本酒が好きであるが、痛風予防等々の理由で、あまり近頃は飲む機会も少なくなっている。そもそも、日本酒、ことに熱燗を口にしたときの、先ずは湯気と日本酒特有のあまさが相俟って鼻からそそって入り来る得も云えぬ香りに感激する。ことに今日この頃のような寒気に被われている日々においては尚更である。日本酒を飲むのは月に1度程度と決めている。生活習慣病対策においては残念ながらではあるが欠かせないこととなってしまった。月に一度の掟破りの贅沢だから、つまみは何にしようかと思案したのだったが、結局は大衆寿司店の寿司と決めた。懐も寒いこの節には大衆寿司店も通い慣れた店となっている。

美味しい「オムライス」に出逢うと嬉しくなる

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美味しい「オムライス」に出逢うと嬉しくなるものである。先日もふと立ち寄った故郷の喫茶店のランチメニューで、とても懐かしいオムライスにありつくことが出来たのだった。オムライスと云えばおいらが上州にて生を受けて以来、幼少の頃からとても好きだったポピュラーな料理であった。上州前橋市内のレストランではよくこのオムライスを食べて味いっていたという想い出が浮かぶのだ。我家で食べたのはおそらくは玉子の包み方がぞんざいであったりしたのだが、それでもケチャップライスとそれを包み込む薄い玉子焼きのハーモニーには幼い頃のおいらの食欲を頗るそそっていたものなのだった。それくらいにおいらにとっての懐かしき味わいがこのオムライスには凝縮されているのである。そもそもオムライスとは元々洋風料理ではあるが、かつて食べてきたオムライスといえば、チキンライスにケチャップ味という、和風洋食の味わいが濃厚に漂っていたものだ。卵料理の中でももっともその恵みをストレートに味わえる大衆料理として、長らく日本人の舌と胃袋を満足させてきていたのである。そんなこんなを思いつつ味わうオムライスには、故郷の想い出がえらく凝縮していたということなのだった。

酒の箸休めのNo.1は「シラスおろし」だと思う

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シラスの身と大根おろしの清涼さが一体となったのが「シラスおろし」。これが意外やと、酒の箸休めとして逸品であったことを思い知ったのだった。

体力の消耗も著しいと感じているこのごろである。胃袋の調子が悪くなるのも例年のことだが、なかでも今年は最悪のレベルではないかと考えられる。夜にはホッピーだけ口にして眠りたいくらいの暗鬱なる気分なのである。無理して注文していたのが「シラスおろし」であった。大根おろしの独特な辛味は活動を低下された胃腸を刺激してくれるので、これくらいは弱った胃腸のカンフル食材となってくれる。アミラーゼ、プロテアーゼ、リパーゼなどの消化酵素が豊富に含まれているとされ、自然と大根おろしを欲したくなるのもむべなるかなのごとし。

シラスとは魚の稚魚を指して云うが、流通されて食卓に上るのはほとんどが鰯の稚魚である。イワシの稚魚を「シラス」と呼び、湘南地方ではとても珍重されている。湘南地方のみならずの全国的な旬の食材として、とても貴重であり、味わい深いものとなっている。その姿はまるで白く透明な、海の宝石のようでもある。

旨い「マグロ山かけ」の条件とは?

yamaimo01旨い「マグロ山かけ」を食したのだ。海の幸と山の幸とがドッキングしたメニューとしては、これ以上のものがないくらいに逸品的なるメニューである。そもそも旨い「マグロ山かけ」の条件とは何であろうか? 先ずにはマグロは新鮮な赤身であることが必須条件である。へたに脂の乗っている中トロの身などはいただけない。山かけの山芋については、あまり条件として制限すべきではないが、やはりしっとりとした食感をもたらすくらいには細かなすりおろしが求められるであろう。その他の条件としては、美味い海苔と新鮮な大葉等の薬味がトッピングされていることである。このマグロと山芋との相性の良さは筆舌に尽くし難きものがある。何時からかおいらはずっとマグロの料理には山芋が必須であると考えるようになっている。マグロの刺身も切身もブツも、山芋がなくては味気ないのだ。マグロだけのメニューはさながら気の抜けたサイダーか甘ぬるいカレーのようでもあり、何かぴんと来ないことしきりなのである。

今が旬の「桜鯛の刺身」を食した

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今が旬の「桜鯛の刺身」を食したのだった。

この時期は「桜鯛」が旬である。とは云ってもこの魚は特別な魚類ではなくて、この時期に収穫される真鯛を指して「桜鯛」と呼ぶのが慣わしなのだ。

一般的に流通する真鯛よりも小ぶりの鯛であり、身は引き締まって、桜色をしているというのが特徴。塩焼きや煮付けの料理もあるが、身が締まった白身の魚であるからにして、刺身として食すれば最も桜鯛らしさを味わえるのである。

今年の桜は旬が短くて、満喫した気分も無いまま時を過ごしてしまったのだが、こんな旬の桜鯛を味わえてみれば、些か満足気分も感じていたという次第なのではある。

春の筍の味覚は煮物で味わうのだ

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筍(タケノコ)が美味い季節になっている。生のタケノコも売ってはいるが、なかなか調理がしづらい食材なのである。先ずはアクを落とすために、米ぬか等と一緒に茹でて下処理をしたりしなくてはならない。おいらはこの下処理が苦手なので、手っ取り早くタケノコ料理を味わえる、地元の居酒屋に出没していてその機会を待っていたのだった。そうしていよいよ、タケノコの煮物料理にありつける機会に接したという訳なのである。

実際に食した筍メニューはと云えば、ふきや菜の花の芽やらと一緒になっていて、純粋にタケノコの煮物を味わうという条件には程遠い様ではあったのだが、それでもタケノコの旬の味覚を味わうには充分なのであった。春の筍は、煮物で味わうのがベターだと思ったのでありました。

寒い日には「青葉 八王子店」の中華そばが身に染みるのだ

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春の予感も吹っ飛んで冬の寒気が襲う日には、温かいラーメンが食べたくなる。おいらはちょうどお昼が終わる頃に、同「青葉 八王子店」を訪れて中華そばをすすっていたのだった。寒い日にすする其のラーメンは、一口目にはピリリと熱さが舌を刺激する。ラーメンスープの表面には、麺全体を温かく包み込むように、熱い脂の膜が敷き詰められているのである。寒い日に青葉の中華そばをすすりたくなる仕掛けが此処にはある。

「青葉」と云えば中野の本店が有名だ。そんな著名度もあり、八王子店も昼時、夕食時となると行列にならばなくてはならないという程の人気店になっている。昼のピークを過ぎた頃に並ばずに同店の中華そばにありつけたことはある種のラッキーでもある。周りを見渡すと他の客達の半数以上が「つけ麺」を注文している。中華麺を冷やしてドロドロとして濃厚なスープに付けて食べるというスタイルだが、こんな寒い日にはやはり、オーソドックスな中華そばを注文して正解であった。

■青葉 八王子店
東京都八王子市南新町15-1
0426-26-3225

春の雪、終日のたり、のたりかな

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そもそもは「春の海 終日のたり のたりかな」である。春の海が終日のたり、のたりとなっている情景を謳ったのは、蕪村先生ではあった。「春の海 ひねもすのたり のたりかな」この句をもじって詠んでみたくなったのである。

本日はと云えば、季節外れの雪景色なり。おいらもまた仕事先に足を運ぶことからずっとそんな季節外の雪景色には大いに迷惑至極の思いを被っていたのだった。

ところで「春の雪」と云えば、三島由紀夫先生による「豊饒の海」連作の第1作の「春の雪」を思い得ざるを得ないのである。そんな春の雪との関連で考えるならば、三島先生が本日のこのような光景を思い描き得たのかということが、特別な思いを抱き続けるのではある。名作の「春の雪」と、本日の春の雪との関連は如何?

そら豆を炭火焼にて食する

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そら豆の炭焼き食したのだった。茹でたボイル調理のそら豆もメニューにあったが、炭焼きに勝るそら豆はないなと合点しての注文なのである。そもそもは「天豆」とも呼ばれる春期の風物が「そら豆」である。青くて大きな豆粒を口にするにつけ、春期の入り口に立ったということを知らし召されていたものである。ある種繊細ではなく大味であり、房を破って一つ一つの豆を取り出さなくてはならなくてもあり、それほど人気の食材ではないとみられる。だがこの「そら豆」に対する認識を一変すべきメニューに先日は遭遇したのであった。そのメニューとは「そら豆の黒焼き」というもの。黒焼きとは如何なるものかと興味津津で出されるのを待っていたのだが、出てきたものは豆の殻をそのまま火に炙って焼いたという野趣溢れるものであったのである。手で豆の殻を破って取り出したそら豆の実は、ぴんぴんと活き活きとしていてとてもフレッシュであった。余計な調理方法を介在せずに出されたシンプルなこのメニューにはうなったのである。味もまた申し分がないのである。

「ホタルイカ酢味噌和え」を食した

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ホタルイカの酢味噌和えを食した。生のホタルイカをボイルしたものに酢味噌を和えている。さっと湯通して茹でたホタルイカは「桜煮」と呼ばれており、もっともホタルイカらしい料理だとかんがえることが可能である。その味付けに酢味噌とは、我が国の和食の定番的でもある。春が先かホタルイカが先かは知らぬが、両者が相まっての風物詩なのである。そんな神秘の光を思いながら味わうホタルイカ(蛍烏賊)の味わいは、この時期ならではの逸品である。春近くなるこの頃が云わばホタルイカの旬ということになる。春の夜には、海上に青白い光を放つ。その姿は、神秘的な光そのものではある。

「レバカツ」は意外な美味だった

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以前の健康診断では鉄分が不足という結果を受けたこともあるおいらは、鉄分補給のために、鉄分豊富なほうれん草とともにレバーの摂取を心がけている。そんな中での「レバカツ」との出逢いは新鮮なものであった。

中に込められる具材がレバーであること以外は、とんかつと同様に調理されたものである。ところがいざ口にしたところ、その新鮮なレバー、とにかく油揚げされた中身のレバーの食感、香り、ともどもに、期待していた以上のものが其処にはあったのであり、喫驚至極なのでありました。

レバーに関して云えば、その何とも云えない匂いについては好きではないのである。だが然しながら生命を維持する食材の「匂い」についてあれこれと批評することは馬鹿げていることは確かである。自然界の摂理というものは、好き・嫌いといった人間どもの嗜好を遥かに突き抜けて存在しているのだから、そんな摂理には従うしかないのである。