映画公開を控えた吉田修一の「悪人」を読む

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今年9月11日よりロードショー公開される「悪人」の原作本を読んだ。朝日文庫から上下2冊のセット本として販売されている。著者は吉田修一。2002年の「パークライフ」という作品で芥川賞を受賞している。2007年に初版発行されたこの長編小説「悪人」は、朝日新聞夕刊の連載小説として執筆された作品で、大佛次郎賞と毎日出版文化賞をダブル受賞しており、話題の作品でもあった。

「話題の作品」と書いたが、実は先日文庫版を初めて手に取り読み進めていたのだが、中々ピンとこない。とても読み難いというのが第一印象なのだ。全くと云ってよいほど感情移入することができない。2冊セットの長編とはいえ、これだけ読みこなすのが苦痛に感じられる小説作品というものも少ない。

多用される「九州弁」の会話は地方色豊かであり、いかにもローカルな設定を狙ったものと覚えるのだが、その反面で関東出身のおいらにとっては読み難く苦痛でもある。もっと直截的に述べるならばかなり耳障りなものでしかない。一面でプロットばかりが強調されるかのような描写が積み重ねられ、そればかりが読書体験の澱みのように堆積されていく。決して望むべき類いの読書体験ではない。気持ちよく好奇心を発揮させていくなど不可能であり、著者の一人相撲につき合わせられていくのは興ざめだ。

作家が「神」の視点を得て作為的、恣意的にプロットをつくりあげるという手法は、もはや19世紀に否定されたものであり、21世紀の今日においてこんな手法がまかりとおっていることは残念である。芥川賞をはじめ文壇の数々の賞を受賞した作家の作品として、多少の期待を持って最後まで読み進めたが、これだけ読書が徒労に思えたことも珍しい。我が国の文壇というものが、まだまだ閉ざされた一群の人間達による偏屈な集団であることを示してさえいるかのようだ。

9月に公開される同名映画を観に行くかまだ決めてないが、多分DVDなどで鑑賞することになるのだろうと思う。主役に妻夫木聡と深津絵里、脇役に岡田将生、柄本明、樹木希林、新人の満島ひかりといった役者が演じている。役者の人選は悪くない。

珠玉の念仏がきらきら輝く「瀬戸内寂聴×AKB48」の授業

雑誌「the 寂聴」の最新号では、寂聴さんとAKB48とのコラボレーション的な「授業」が特集されていて興味深く読んだ。辻説法を得意とする寂聴さんが若いアイドルグループたちに向けて「授業」を行なうという設定だが、思春期の悩み相談から、「恋のコツ、愛のヒミツ。」等々に至る様々なテーマについて対談したのを纏めた特集である。

人生経験が豊富な寂聴さんは、年の差70歳といった若い女の子相手に人生、恋、愛、男、女、結婚、仕事、成功、…等々について、軽妙な遣り取りで答えを導き出していく。人生経験が未熟な若い教師では中々こういう答えは導き難い。だが人生経験ばかりが突出している授業ではない。寂聴さんが若い女の子に対してこうしろああしろといったものが更々ないのが、この「授業」の最大の見せ場であるかのようにも映っている。

かつて、TBSのニュースキャスターだった筑紫哲也氏に対して「自分の位置を確認するための指標」等と過大に評価されることがあったのだが、その実はあまり説得力のない念仏を何度と無く唱えていたに等しいものであったといってよい。筑紫がマスコミ媒体を通じて放っていた喋りというものは、ある種の「念仏」のようにしか響かなかった。相当な筑紫信者でもなければそれ以上の積極的な評価は困難である。何度も何度も同じ事柄を素材を変えて繰り返していたことが、如何にもぶれないキャスターの如く評価されていたのは滑稽でもあった。

瀬戸内寂聴さんの放出している言葉、喋りは全く異なるメッセージを示している。一面においてそれは「念仏」の様でもあり、それ以上なのである。彼女においては、彼女の独特の若さ、熱情、大いなる好奇心等々で、そうした評価を凌駕している。

寂聴さんには今後ともお元気に活躍していただき、百歳を過ぎて旺盛な姿をみせていただきたいと切に願うのである。

当然過ぎて白けた。香山リカ著「しがみつかない生き方」

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かねてより気になっていた1冊の本、香山リカさんの「しがみつかない生き方」を読んだ。初版発行が2009年7月30日。ちょうど1年前に発行され、様々な書評でも目にしていた。殊にあの勝間和代の馬鹿げた主張の数々に対抗する文化人として、香山リカの同書が論壇の遡上に載っていたことなどもあり、早くこの本の論拠を目にしたかった。

そして先日やっと手にとって読んだこの本の感想はといえば、まあまあ、極くごく「当たり前」のオンパレードであった。結論が当たり前なことは、同書のキャッチコピー「「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール」を目にしたときから判ってはいた。しかしながらその論拠もまた当たり前とあっては、些か白けるばかりでもある。

一言感想を述べるならば、勝間和代の主義主張にアンチであれば誰もが抱くであろうポイントをまとめたに過ぎない。だがこれだけ丁寧にまとめたのであるからして、アンチ勝間に受け入れられたのである。

時代はそれだけ、勝間和代的なムードにジャックされているのか? 等とも思わざるを得なかった。もはやブームとも云えない。すべて人間の行為の根拠を「成功」への努力に収斂させようとするかのごとくのものである。荒っぽいというだけでは云い足りない。

人間の存在理由を、そのすべてを、成功法則、効率なる概念で捉えようとするかの勝間的ブームは愚の骨頂であるが、そんな「愚」を祀り上げていくかのムーブメントは、さっさと終わらさねばならない代物の代表とも云ってよいだろう。

村上春樹的ビールの飲み方の虚実

夏の猛暑日になくてはならないのが冷やしたビールであるが、こう猛暑日が続くと、胃袋も悲鳴を上げている。かといって猛暑をビール無しで済ますことはできないので厄介なのである。暑さを冷やすというよりも、暑さを誤魔化す、紛らわすといった効果を期待してビール缶に手が伸びる。

かつて、村上春樹さんは処女作「風の詩を聴け」にて、登場人物の鼠に次のように語らせている。

―――――――【以下「風の詩を聴け」からの引用】
「ビールの良いところはね、全部小便になって出ちまうことだね。ワン・アウト一塁ダブル・プレー、何も残りゃしない。」
―――――――【引用終了】

ずっと若いときは、名句だと感じて疑うことが無かった。ただ最近になって、必ずしも真実とは云えないということを感じとっている。ビールは飲めば飲んだぶんだけ、確実に身体に溜まる。小便として出て行くなどとは決して云えないのである。

吉本隆明が「貧困と思想」で嘆いた現代日本の現状

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不況不況の大合唱は鳴りをひそめたとは云え、先の見えない状況はいっこうに変わる気配など無い。数年前から小林多喜二の「蟹工船」のブームがさかんに取りざたされているのだが、かつて「蟹工船」が発表されていた時代に於ける新しい息吹きさえもが見えてはこないのである。見えているものと云えば、いまだ横行するリストラという名の不当解雇、ワーキングプアの増大、そして時代が共犯者となって引き起こされる大量の凶悪犯罪、等々といった暗澹たる世界。

このような状況を目の前にして、思想家、吉本隆明氏が述べている言葉は、重くしっかりと状況を見据えている。「貧すれば鈍する」といった類いの浅薄な通俗論議とは、真逆の論調なのである。

さて、同書の中で吉本氏は、現代文学の世界に於いて「蟹工船」を越えるくらいの作品が現役作家から生まれてこないことを嘆いていた。たしかにそうだろう。同様の思いは常々感じているところである。

純文学作家たちが「文壇」という名の閉ざされた村社会で胡坐をかいている。そうした状況からは真に感動的な文学作品など生まれ得る余地など無いのかもしれない。誰が今の状況に突破口を開いて、あるいは描いていくのだろうか? はたしてそれは可能なのだろうか?

雑誌「考える人」で村上春樹のロングインタビュー掲載 [その2]

村上春樹さんのロングインタビューを読んで、最も強く感じ取ったのは、「物語」についてのメッセージであった。「物語」については、おいらもかつて主宰していた「みどり企画の掲示板」にて、次のように書き込んだことがある。

―――――――【以下、過去のおいらの掲示板投稿からの引用】
振り返って自分なりのルーツを訪ねてみたのです。すると、下記のようなイメージが浮かんできたような、はたまた思い当たる思春期の出会いなどが想い浮かぶ。

十代だったそのころのぼくは、片翼飛行機のパイロットだったようにして、急切なる思春期を送っていたようだったのです。それはまるで、巨大な積乱雲の中に閉じ込められて、錐揉み状にして墜落するセスナ機よろしく、誰の力を借りることも出来ずに、しかも自分ではもう力役を尽くした後の飛行だったように、自分にとっての切羽詰ったものがあったのです。

アートや文学にのめり込む事によって、当時の片翼飛行の試運転が持ち直したというようなイメージが強く思い浮かんで来るのです。片翼なりに自らの飛行を続けていくため、急降下錐揉み的墜落を免れるために、あるいはさいきんメロディさんからも教えられたことですが前を見て生きるために、当時のぼくは欠けた片翼をどうにか支えて飛行可能にする手段をアートに挺身する道を選んだのだ・・・というのは甚だ大仰に過ぎますが。そんな心持ちがあったということは云えると思います。
―――――――【引用終了】

当時はネット掲示板でのやり取りが、結構熱く取り交されていたのを、遠い眼差しにて想い出す。メロディさんや、いか@ちゃん、きくちゃんたちからのコメントやら茶々やらを受けて、掲示板は益益の盛り上がりを見せていたのだ。

そして今回の、村上春樹さんのインタビューに接したのだが、そこで述べられていた春樹さんの大量のメッセージの中でも特に胸に届いたのが「物語」に関しての春樹さんのそれであった。だが、その内容についてはおいらがそれまでに認識していたものとは異なるものであった。そんな春樹さんのメッセージの一部を引用してみる。

―――――――【以下「考える人」の春樹さんインタビューからの引用】
物語という穴を、より広く、深く掘っていけるようになってから、自分を検証する度合いもやはり深くなっています。もう三十年以上、それをやりつづけているわけだから、より深く掘れば、違う角度から物事が見えるし、より重層的に見られるようにもなる。その繰り返しです。逆に言うと、より深く穴を掘れなくなったら、もう小説を書く意味はないということです。
―――――――【引用終了】

考えれば村上春樹さんの作品といえば、お見事というくらいに日本文学的テーマの定番でもある「自我」とは無縁である。そのスタンスを徹底して保っている。天晴!と云いたくなくなるくらいにそれは徹底している。だからそれが主たる要因で「芥川賞」を逃していたのである。けれどもここに来て村上春樹さんの評価は国際的に高まっている。「ノーベル文学賞」の候補者として何回も名前の挙がっている有力候補者なのである。「芥川賞」と「ノーベル文学賞」とを計りにかければ、「ノーベル文学賞」に分があることは明らかである。日本文学的テーマの「自我」を捨象したことが「ノーベル文学賞」候補者として有利に働いたのかもしれない。

さて、村上春樹さんとおいらとの「物語」に対するアプローチの違いやら共通項やらについて述べていきたいのではあるが、些かの深酔いやら参議院選挙の興奮やらにて、次稿に持ち越すことにしたのです。ご容赦あれ。

雑誌「考える人」で村上春樹のロングインタビュー掲載 [その1]

[その1] 「1Q84」には続編があるか否か?

季刊誌「考える人」(新潮社刊)の最新号にて、村上春樹さんのインタビューが掲載されている。箱根の場所にこもって行なわれたという2泊3日のロングインタビューである。

インタビュアーは新潮社の松家仁之氏。この名前は初めて目にするが、おそらく「1Q84」等の、村上春樹さんの著作の担当編集者であろうと推察可能である。春樹作品に対する理解度の高さはもちろんだが、それ以上に濃い関係性の上に築かれたインタビューである。たしかに難しいテーマを遡上に載せながらも、春樹さんとインタビュアーとの会話はしっかりと噛み合って進んでいく。長年培った親和性というものを感じさせる。インタビュー嫌い、マスコミ嫌いで有名な春樹さんだが、少しも構えることなく様々な質問に丁寧に答えていく様は、多分初めてのものだろう。

現在の日本文壇の最大の関心事とも目されるのが、「1Q84」の続編についてであろう。BOOK4は、あるいはBOOK5は有るのか無いのか? それについても春樹さんは答えているのだが、結論から書くならば、言質を与えるような確かな答えを提供はしていない。だが推測するための大きな足がかりとなるコメントは残している。その一部ではあるが紹介してみよう。

「『1Q84』に続編があるかどうかよく聞かれるんだけど、いまの段階では僕にもわかりません。というのも、三年間ずつとこの小説を書いてきて、いまはすっからかんの状態だから。本当にみごとにすっからかん。(中略)
だから、『1Q84』のBOOK4なりBOOK0なりがあるかどうかは、いまは僕には何とも言えない。ただ、いまの段階で言えるのは、あの前にも物語りはあるし、あのあとにも物語があるということです。その物語は僕の中に漠然とではあるけれど受胎されています。つまり続編を書く可能性はまったくないとは言えないということです。」

「受胎されています」。この言葉の意味は極めて大きい。すなわち受胎しつつあるものを春樹さんが自ら堕胎などすることは無いであろう。その確信がこめられている。これだけ語っていただいたのだから、おいらは必ず続編があると確信したのだ。3楽章より4楽章である。総合小説の条件でもある。村上春樹さんがそのことを知らない訳が無いのである。
(この稿続く)

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空虚に響く「ブログ論壇の誕生」の中身

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佐々木俊尚の「ブログ論壇の誕生」を先日読んだ。著者・佐々木俊尚氏は、毎日新聞社からアスキーへとわたり、現在はIT、ネットを主テーマに著作活動を続けているフリーのジャーナリスト。「ブログ論壇」という思い切ったテーマ設定に興味を覚え、購入したという訳である。

時代は「自己テキスト」の時代である。ブログをはじめとしたITメディアの拡大により、市民は簡易なる自己表現の手段を持つことになった。同書においてもそうしたITネット社会の拡大を基にした綿密な状況分析が述べられている。IT、ネットの専門ライターであるだけに、その検証の筆力には脱帽である。だが、論点を強引に彼自身の結論へと引っ張り込もうとする意図を見て取るにつけ、当初の脱帽は、眉唾へと変わっていた。読了してみれば、彼自身が設定した仮説的論点をこれでもかこれでもかと拡げていくような、なんだか空虚な主張に染められていて、仕舞いには白々した読後感に襲われている。何なんだろうこの空虚な主張の根拠とは?

最大の疑問は「ネット論壇」なるもの自体が存在し得るのか? という疑問である。「論壇」と云えば聞こえは良いが、所詮不特定多数同士の主張のし合い。しかもそのほとんどが「匿名性」によって庇護された者同士の「議論」である。そもそも本来の議論の名に値しないネット上の遣り取りに根拠を置く代物を指して「論壇」と称すること自体にかなりの無理が生じているのだ。ネット上のコミュニケーションには可能性もあるがその限界も存在する。そのことを忘れてはならないのである。

毀誉褒貶激しかったという瀬戸内寂聴さんの「花芯」を読んだ

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瀬戸内寂聴さんの「花芯」という小説は1958年に三笠書房から出版されている。当時は本名の瀬戸内晴美という名を名乗っていたのだが、とは云いつつもおいらは全く知らないのだが、当時の文壇からは非常に冷たい仕打ちを受けることになっていたようなのだ。この作品を初めて読んだのである。

「美は乱調にあり」にて綿密にフィールドワークされた作品世界の中には、大胆な想像力を羽ばたかせて描写されたドラマが見てとれているのだが、「花芯」にとってはそんな「大胆な想像力を羽ばたかせて描写されたドラマ」の想像力が一段と鮮明に息衝いている。36歳というときに執筆された寂聴さんの「花芯」は、云わば「女性の女性による女性のための性」を追求していた作家の大いなる野望を、今の時代に示してくれる。けだし傑作なのである。

瀬戸内寂聴「美は乱調にあり」で、辻潤が示した軟弱男の性

瀬戸内寂聴さんが1966年に発表した「美は乱調にあり」を読んだ。先日もこのブログに記 したが、寂聴さんの米寿を祝って昨月に復刊されたばかりの小説。大正の時代において女性の人権を主張する雑誌として知られる「青鞜」の同人、編集者として活躍した伊藤野枝という 女性が居たが、女性解放の闘士とも目される彼女に焦点を当てて描かれた、いわゆる評伝文学作品で ある。

作家の寂聴さんは野枝やその周囲の登場人物の足跡を事細かに巡り、膨大な関連資料に当 たり、大正期という当時の時代の空気、息遣いまでも鮮明に記述してみせている。微に入 り細をうがちつつ探求していく作家の好奇心には、とても目を瞠るものがある。また同時 にここには大胆な想像力を羽ばたかせて描写されたドラマが、そこかしこに挿入されてい る。特に、主人公の野枝や平塚らいてうという婦人運動家の恋愛、情事に関する描写には、そんな寂聴さんの強大な想像力の羽根がいかんなく発揮されている。どこまでが史実に基づいたノンフィクションでどこからがフィクションなのか、その見境もわからないまま、寂聴さんの小説世界に入り浸ってしまうのである。

野枝をめぐって恋愛関係に落ちた男は少なくないのだが、やはり辻潤(2度目の結婚相手)と大杉栄(3度目の結婚相手)の二人との関係は、ドラマチックな野枝の生涯に強烈な影響力を与えたものであった。翻訳家として仕事をし野枝の理解者でありつつも、煮え切らない軟弱な態度で野枝に希望と絶望とを与えた辻潤に対して、大杉栄のほうはいかにも堂々としており、野枝は辻を捨てて大杉栄に走ってしまう。夫がいた野枝もあきらかな不倫だが、しかも大杉には糟糠の妻に加えてキャリア女性の愛人がいた。当時は珍しいであろう四角関係の当事者でありながら、野枝は野生あふれる生命力で大杉への愛に突き進んでいくのだ。

自分勝手な恋愛論をひけらかす大杉と3人の女性たちの、そんな四角関係の終焉をドラマ仕立てで描きつつ、暗澹とした時代の中での大らかな性の描写もまたためらいがない。だが一番緻密でリアリティを感じさせるのは、辻潤との駆け落ちのような恋であったと思われるのだ。

太宰治さんの62回目「桜桃忌」に、三鷹「禅林寺」へ向かう

本日は太宰治さんの101回目の誕生日であり、62回目の命日でもある。玉川上水に山崎富栄とともに入水自殺したのが6月13日だったが、遺体が発見された日がこの6月19日となっており、この日が公式的な命日とされている。今日は数年ぶりに、太宰治さんの菩提寺、三鷹の禅林寺に足を運んだのです。

毎年のように行なわれる「桜桃忌」のセレモニーには今回時間が合わずに参加できなかった。けれども彼の墓の周りには、常時10名程度のファンに囲まれ見舞われており、今更ながら太宰さんの人気の高さをこの目に植えつけたのである。交わされる会話を聞いていれば、太宰さんの古里、青森出身で東京の大学を卒業したという女性陣たちの姿が視界に飛び込んできた。20代と見える元文学少女たちである。たぶん全員が独身なのだと思われ、交わされる言葉も、男としての太宰治の評価に集中していたようだ。死してなお生身の女性に惚れられ親しまれるという文学者は、おそらく太宰治さんがその1等賞なのだろう。他には彼のような熱狂的ファンを想像するこささえ難しいくらいなのである。

ここ禅林寺は、太宰治さんに加え森鴎外(森林太郎)の墓がちょうど向かいに陣取られており、文学を巡るツアーの一角として重要な場所となっている。今日もまた口笛を携えたおばさんたち十数名のツアーにも遭遇し、些か面食らったものである。

「こちらがお父様。そしてこちらがお母様のお墓です。…」

と案内していたツアーの牽引おばさんは、ついでのように

「そしてこちらが、太宰治さんのお墓です。…」

などと、取り繕うような説明をしていて、おいらを含めて太宰治ファンからの抗議の視線を浴びせられることになったのである。

太宰治さんのらっきょうの皮むきから学ぶ、自我の儚さとその痛み

 

先月の19日に漬けた自家製らっきょうを、少しばかり瓶から取り出して食してみたのです。

http://www.midori-kikaku.com/blog/?p=1491

う~ん。濃目の甘酢たれに負けることなくらっきょうらっきょうしているのに、ほっとしたような感動を味わう。噛み締めれば、しっかりとした野性味が味覚を刺激する。そんな刺激がこの6月という季節を思い起こすことになりとても清々しく感じ入った。毎年この時期にらっきょうを漬けていたのは、過去の想い出であった。そんな甘味な想い出を取り戻すかのように今年は無理してらっきょう漬けに挑んでいたというのが、今日までの経緯である。

そしていつもこのらっきょうの漬け込む時期には、太宰治さんがらっきょうについて記した小説の一節を思い起こさずにはいないのであった。

「Kは、僕を憎んでいる。僕の八方美人を憎んでいる。ああ、わかった。Kは、僕の強さを信じている。僕の才を買いかぶっている。そうして、僕の努力を、ひとしれぬ馬鹿な努力を、ごぞんじないのだ。らっきょうの皮を、むいてむいて、しんまでむいて、何もない。きっとある、何かある、それを信じて、また、べつの、らっきょうの皮を、むいて、むいて、何もない、この猿のかなしみ、わかる? ゆきあたりばったりの万人を、ことごとく愛しているということは、誰をも、愛していないということだ。」(太宰治「秋風記」より抜粋)

洒落た文章の背後に流れているのが、芸術家としての太宰さん自身の矜持であり、そしてそれはまた彼の自我が皮むかれ、中身を晒され、かつその上で、自身の空疎な姿を衆目に公開してしまうと云ったことへの忸怩たる思いの表出である。何重にも重ねられつつ、それこそまさに道化としての姿かたちを描写しているかのごとくでもあった。

米寿の瀬戸内寂聴さんの念願叶った、金原ひとみとの対談

5月に発売された雑誌「寂聴」にて、瀬戸内寂聴さんは憧れの金原ひとみさんとの対談を実現している。以前の当ブログの日記にも記したが、寂聴さんはかねてよりの金原ひとみのファンであり良き理解者でもあり、「ハイドラ」という近作のあとがきに熱狂的な賛辞を贈っているのだ。

http://www.midori-kikaku.com/blog/?p=1048

記事を読めば、やはりこの二人は初めての顔合わせのようである。お互いに惹かれ合い刺激され合い実現した対談であるだけに、両者とも力の篭った言葉のぶつけ合いである。金原嬢のほうがとても緊張した面持ちを、スナップショットで披露しているのが微笑ましい。やはり米寿の底力と云って良い。

寂聴さんの米寿を記念して、代表作品「美は乱調にあり」が復刊されている。装丁と題字を手掛けたのが、藤原新也さんである。一見して目を瞠った。「凄い!」の言葉を胸中に発してしまった。江戸の浮世絵が現代にワープして甦ったような、熟乱を極める世界が提示されていた。そして新也さんが自ら書したという題字もまた素晴らしい。新也さんの書にはこのとき初めて接したが、美の乱舞を形にしたような趣きなり。

雑誌「寂聴」の最新号では新也さんの「書」にスポットを当てているので、その衝撃的な体験はいや増していたのである。現在この「美は乱調にあり」を読み進めているところなり。

決して貧困と呼べないつげ義春の「貧困旅行記」

「この本、すっごく面白いですよ…」

とマスター云われて読んでいたのが左の書籍。図らずもつげ義春さんの本のレビューを続けることになってしまった。行きつけの居酒屋のマスターはつげ義春のファンであり、店内の書棚には何冊かつげさんの本が陳列されている。先日はその中から「貧困旅行記」(晶文社刊)なる一冊をお借りして読み終わったところである。

確かに面白い。「蒸発旅日記」という第1章の書き出しでは、九州に旅行したときのことを記しているのだが、一面識も無かった九州の女性と結婚して九州に住み着くつもりであるということが書かれていて、緩くだが驚かされる。嘘か冗談かと思いつつも、つげさんの旅日記の記述には気負うところなど無く淡々と進められていくために、いつの間にか「それもあるかな…」というつげ世界の住人にされてしまうのである。緩い衝撃の後には、ストリップ小屋でのあれこれやら見込み結婚相手の女性との関係やらが綴られていき、結局は日常生活にあっけなく戻ってきてしまう。ただその戻り方は、旅というものを通り過ぎた後だけに、それまでの日常とは異質な世界となって立ちはだかってしまうのだ。

第2章からは、漫画家として名をなし所帯を持った生活者としての旅行記が綴られていくが、前作の「つげ義春とぼく」に示されていた若き頃の旅とは異なり、房総、奥多摩、甲州、箱根、伊豆など、近場の旅行記が中心となっている。妻子という同伴者が居れば無頼の旅を続けるのは不可能ということなのだろう。ただ、いつかは鄙びた鉱泉(温泉ではなく)を買って老後を鉱泉の親父として過ごしたいという願望を胸に、近場の鉱泉宿を訪ね歩く姿はジーンとさせるものがある。彼は今では叶わぬ夢として老後を送っているのかと思うとやるせなくなってくる。

「貧困旅行記」とは云いながらも、鎌倉の骨董屋で6万7000円もする千手観音像を買ったり、1万円以上の名旅館に宿泊したりと、おいらから見ればとても「貧困旅行」には見えねえやと呟きたくなるのは、果たしておいらのひがみなのか。

宮沢賢治の「風野又三郎」から「風の又三郎」への不可思議

月刊誌「サライ」では宮沢賢治特集が組まれている。商業誌において今なお、宮沢賢治さんは“売れる”作家の一人であるとされているようだ。誌面では、吉本隆明、天沢退二郎といった大御所作家による解説文が掲載されており、中々力がこもっている。

少年の頃から宮沢賢治という名前は、おいらにとって特別な意味合いを持っていた。誕生日の日付が同じであったこと。祖父が田舎の教師をしていて「◎◎の賢治さん」と呼ばれていたこと。そしてそれ以上に少年時代の書棚には「宮沢賢治作品集」が並べられていて自然と賢治さんの作品世界に入り浸ってしまっていたことなどが、特別な存在であったことの理由である。

賢治さんの故郷である岩手の花巻には何度も足を運び、そして彼の記念館等で賢治さんの原稿にも目を触れていた。いろいろな資料に接するにつれてもっとも不可解な謎としていたのが、少年の頃に読んでいた「風の又三郎」が実は「風野又三郎」という表題の作品であったということである。作品の内容を推敲するたびに訂正の赤字を入れていたことが知られている賢治さんではあるが、何故このような表題まで異なった作品が存在しているのか? 中々理解しがたい疑問ではあった。

本日はその賢治さんの代表作「風野又三郎」の自筆原稿の写真を目にしたのであるが、やはり「風野又三郎」の表題原稿は極めて自然な筆致にみえる。最後まで「風野又三郎」で通そうとしていた賢治さんだったとされるのだが、ではなぜ? どこからかの横槍によって作品名までが指し換わってしまったのだろうか? 今更ながらその理由が知りたいのである。

つげ義春の夢世界 [2] 秘湯の今昔物語

つげ義春さんが夢見た秘湯の風景はある種の桃源郷とも呼ぶべき異郷の姿を示しているが、彼が旅して訪れた現実の温泉地はさらにまた、理想的桃源郷的佇まいを示してくれている。おいらも訪れたことのある東北の温泉地は、夢と現とがない交ぜになった異郷の姿でもある。そんな中から特に二つをご紹介。

■夏油温泉

夏の油と書いて「げとう」と読ませる。その名の所以についてWikipediaでは、「『夏油』とはアイヌ語の『グットオ(崖のあるところ)』が語源とされる。」と記されているが定かなものでは無い。ただ北上の町からは遠く離れた崖の中に存在する温泉であるというのは事実である。つげさんの本では夏油温泉について、次のような書き出しから紹介されている。

「夏油温泉は、これまでの旅行案内書には、北上駅からバスで一時間、さらに徒歩三時間と紹介されているので秘湯めくが、現在は、林道を利用して湯治場まで車ではいれる。(…)」

車で行けるから秘湯で無いというのは些か暴論である。林道と云っても車同士がすれ違うことさえ困難な狭い砂利道であり、車輪をすべられたら最後、渓谷に転落しかねない危険な山道である。今でも地元の案内書などでは、運転に自信の無いドライバーは決して自家用車を運転して来ないようにと、注意を喚起しているくらいである。今なお秘湯の風情を湛えた数少ない温泉地なのである。

質素な自炊棟が並ぶ湯治場なのだが、なんとつげさんが訪れたときには「六百人のおばあさんが泊っていた」と記されているのだから驚きである。一体こんな狭い温泉宿に六百人もの高齢者が集えるのだろうかという素朴な疑問も生じてしまう。おいらも何度かこの鄙びた温泉宿にて湯治を経験しているのだが、夏のピーク時でも300人も入れば一杯に溢れてしまうだろうと考えられる。ごろ寝が常識であった昔は、狭い部屋にぎゅうぎゅうに床を並べて湯治を行なっていたということなのだろうか?

この温泉地には大小8つ程度のかけ流し温泉が存在し、そのほとんどが露天風呂である。老若男女が裸で露天風呂のはしごをするという光景が、なんとも自然に感じるのだ。都会に生活していることを不自然に感じさせるくらいの、当温泉地ならではの独特な地場のエネルギーを発しているのである。

■黒湯温泉

秋田の乳頭温泉郷の奥にある。鶴の湯温泉が人気だが、鄙びた秘湯の佇まいは黒湯温泉が上手である。つげ義春さんの画に文を寄せた詩人の正津勉は、黒湯温泉を訪ねるにあたり、柳田國男の「雪国の春」という文庫本を携えてのぞんだという。

「おもうに、その錯覚も柳翁のこの小冊への偏愛が一瞬間かいまみせた蜃気楼とでもあるいは説明もつくが、そこへどうしてすーとわたしが誘われていったものか。可笑しい。」」(正津勉)

男同士2人で何を語り、そして何を感じ取ったのか。蜃気楼と見えていた夢の世界が、秋田の雪国に現存していたことを喜んだのはなかろうか?

70年代的エロスとタナトスが交錯する、つげ義春の夢世界 [1]

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「夢」というのは通常、夜間睡眠時に限定された無意識の世界にて羽根を拡げて、朝の目覚めとともに消失していく類いのものだが、つげ義春さんの描く夢の世界は、昼間の覚醒の世界にまで侵入して人々の記憶に強烈な痕跡を焼き付けていく。

1968年に発表されたつげ義春さんの代表作「ねじ式」は、漫画界のみならず日本の極一部の愛好家に熱狂的に受け入れられたという傑作である。70年代に入ってからこの作品に接したおいらのそのときの衝撃は、今なお忘れ得ない漫画体験となって刻まれたのである。それは、「鉄腕アトム」から「巨人の星」等々と繋がる漫画読書体験とは質的に異なる、全く新しい体験であった。

最近になって、ある古書フェアーの会場で「つげ義春とぼく」というユニークなタイトルの古書に触れ、彼の描いた深遠な夢の世界の想い出が、また甦ってきたのだった。著者はつげ義春さん本人である。書名タイトルに関する考察は本日はスルーする。彼は日本全国、鄙びた温泉地を中心に多くの旅を経験してきたが「つげ義春とぼく」は、そんな旅の想い出などのあれこれを絵と文章にてまとめた1冊である。思えばかつて、いくつかの雑誌でつげさんの旅行記を目にして必死に立ち読みなどをしていた少年時代を懐かしく回顧するのだ。

誰が記述したものかは知らないが、Wikipediaの「つげ義春」のページには、ほぼこの本に書かれている内容が転記されていた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A4%E3%81%92%E7%BE%A9%E6%98%A5

(この稿は続く)

「司修画集 壊す人からの指令」を購入

地元の古書店にて、司修のサイン入り画集「壊す人からの指令」を発見して購入したのです。奥付を見ると「昭和55年5月30日初版発行」とある。今から30年も昔の画集である。実は初版の発行当時においらはこの本にとても関心を持っていて、何度か購入しに書店に向かったという想い出が鮮明である。だがその度に「定価6,800円」という高価な価格に思いを遂げずに居たのであった。

今にして振り返れば、当時のおいらは6,800円の画集を購入する経済的余裕が無かったということなのだろう。懐かしくもあり、またほろ苦くもあるのだ。こんな本はそうはない。生涯をともにしたいという特別な一冊として大切にしていきたいと考えたのである。

司修という画家については、大江健三郎の著書の装丁家として初めて目にしたという記憶がある。当時、新潮社の純文学シリーズとして続々と出版されていた大江健三郎氏の小説本には、司修による自身の版画や絵画作品をモチーフにした丁寧な装丁の仕事が光っていた。クレジットには「司修」の名前が静に輝いて見えていたものである。それから少しして、おいらとは出身が同じであることを知り、より親近感を感じつつ今に至っているという訳なのである。司修さんの著した著書は、「描けなかった風景」をはじめ数冊購入して読んでいる。愛著として大切にコレクションしているのだ。

同著が出版される少し前には、大江健三郎の「同時代ゲーム」が発表されていた時代である。大江氏は司さんのこの本に対して、「ゲームと器用仕事(ブリコラージュ)」という力のこもった一文を寄せている。レヴィ・ストロースの「ブリコラージュ」を「器用仕事」と訳すことには強い違和感を感じるのだが、小説家・大江健三郎が画家・司修に宛てた極私的プライベートな献文ともなっていて興味深いのである。

内田樹著「村上春樹にご用心」は前書きが面白い

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何よりもまず前書きが面白い。

はじめに―――
ノーベル文学賞受賞のヴァーチャル祝辞

そういう表題の下で、ユニークな前書き文が始まっている。2006年の10月、ノーベル文学賞者発表の前日に、あるマスコミから依頼されて記したというコメントである。村上春樹党の党員としての凛とした筆致がとても印象的である。

この書こそ世に云う「村上春樹心酔派」の筆頭とも目されている評論家による「村上春樹論」であり、何故に春樹さんは凄いのかということを手を変え品を変えて特異なる緩い筆致で読者を巻き込みながら啓蒙しようという魂胆を(たぶん)隠し持った1冊となっている。

やはりと云うべきなのだろうか、最も興味を引いたのが、村上春樹さんの担当編集者であった安原顕氏に関するくだりである。なんと、春樹さんの生原稿を質屋だかそれに類する店に持ち込んで換金したということを詳らかにしているのだ。公となるこのような著作の中でこの様な個人的とも思えるエピソードを開陳したという意味は大きいと見るべきだろう。内田さんは安原氏に対しては相当怒っていると見えるのである。

80年代的エロスとカオスの雑誌「スコラ」がついに廃刊

1982年に創刊され、以来28年という長きにわたって世の男性たちのエロスとカオスのニーズに応えてきた雑誌「スコラ」が、今年の7月号を最後についに廃刊となった。「スコラ」という書名は西欧文明の「スコラ哲学」から由来しており、広く学問を指し示す言葉ではあるのだが、雑誌のコンテンツから受けるイメージとのギャップが印象的であった。「エロス」と呼べば聞こえは良いのだが、内実は「エロ」と呼ぶのが相応しいものであったからである。それでも時代の混沌を表徴するがごときのなんともいえない持ち味、存在感があった。

実はおいらもこの「スコラ」に関係していたことがあったのである。しがない雑誌編集者をしていたそうとう昔のことであるが、当時の「エロス」と「カオス」を象徴していたこの雑誌に一筆献上したいという思いから営業を行ったのち、幾つかの「ドキュメンタビュー」記事を掲載したのであった。「ドキュメンタビュー」とは「ドキュメント」と「インタビュー」との造語であることは云うまでも無い。その一つが井筒和幸映画監督への5ページにわたる「ドキュメンタビュー」の執筆である。このときのおいらは「二代目はクリスチャン」を撮影中であった井筒監督に会いに、京都の撮影所へと足を伸ばして数泊の取材を敢行していたのであった。

コンビニで久しぶりに開いてみた「スコラ」最終号は、おいらが若き情熱を注いで執筆していた頃とはまるで趣きが異なっていて、エロが全開となっていた。これでは「エロス」と「カオス」を求める男性人のニーズに応えることはできないのは当然である。いつからこんな詰まらない雑誌になってしまったのだろうか。とても残念である。