暗イウチハマダ滅亡セヌ(太宰治より)

本日体は調が優れぬために、一日ぼんやりと読書なりをして過ごしていたのでした。「吉本隆明のメディアを疑え」という一冊を主に読書していた。吉本隆明さんの本を読むのは久しぶりである。その本で、吉本さんも尊敬する太宰治さんの小説に述べられていたと紹介されていたのが、表題の言葉なり。非常に重くてジーンと感じてくる。すべての日本人にとって非常に貴重な言葉であると想うなり。

出版されていたのが2002年4月なり。小泉純一郎が我が世の春を謳歌していたまさにその時期である。様々に吉本さんの提言が述べられていて、それはそれで重みのあるものなのではある。だがしかし、吉本さんの提言やらは無視されながらその後の時代は推移したのである。

小泉純一郎なる政治家は確かに他の政治家以上に洗練されてかっこよかった。当時は何か明るい未来を期待させたのかもしれない。しかしながら現代日本にとっては類まれなる悪党と云わざるを得ないくらいに重い責任を負っている。

余計な明るさこそ無用なり。こんなシンプルな真実を理解できないでいた小泉純一郎やそのかぶれ信者やほか関係者は、深い反省が必要である。それさえ真っ当に出来ていない日本の現状とはなんぞやである。

私はいつも都会をもとめる 2「銀座のホッピー」(C)萩原朔太郎

たまにはおいらも、都会の味をもとめて銀座で一献傾けることもある。今宵のテーマは、銀座のホッピーとその味についてである。

銀座にも当然のことながらホッピーを出す店は多数存在している。頑固親父が仕切っている老舗店舗についても、次第にその垣根は低くなっているとみてよさそうである。焼鳥、焼きトンを出す店にその傾向は顕著とみえる。例えばメニューに「ホッピー」は載っていなくても「ホッピーください」と云えば当然のようにホッピーを出してくるお店は腐るほどある。あるいは「ホッピーはないんですか?」と問いかけると、気まずそうに「そんなことはないですよ」といいつつ、周囲を気にするようにしながらホッピーを出してくれた店もあったのである。それぞれに事情は異なれども、今やホッピーを置いておかずには居酒屋経営もまずい局面に呈しているということなのであろう。

時代は発泡酒全盛だが、しかしながら発泡酒が居酒屋経営に対して何の貢献ももたらさなかったことに比べれば、ことホッピーの果たす役割はいや増すばかりと云ってよいのである。

ところで銀座で飲むホッピーの値段はといえば、価格がまちまちである。「ホッピー=150円」というメニューに気を良くして飲んでいたら、最後に高級焼酎代を請求されたというケースもあったのだ。ご用心してください。

私はいつも都会をもとめる (c)萩原朔太郎

このところ、1年を超えて銀座をウォッチし続けているおいらである。「何故、銀座なのか?」と問われれば、「仕事柄」だと、残念ながら答えるしかなさそうなのではあるが、それでも、正邪併せて、都会としての銀座が醸し出す特有の景色や匂いに、いつの間にやら虜にされそうな、からめ取られつつある自分自身を意識せざるを得ないのだ。

そんなおいらが銀座を散歩しながら撮影したスナップショットの中から、数点をアップしておきます。

思い返せば、かつて萩原朔太郎さんが東京銀座を謳った当時の銀座と現在。根源的なところはほとんど変わらないのではないかと想うのだ。都会としての磁場を放った銀座が発する様々な匂いを掬い取ろうとして、いつもシャッターを押している。思わず知らずに、そうしていながら癒される自分が、確かに存在することを発見している、昨今なのである。

萩原朔太郎が描いた「虎」の風景

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トラ年、新年、初仕事。いささか世間は浮かれ気味の中、おいらは朔太郎さんの隠された傑作詩の「虎」を想い出すのだ。

虎 (萩原朔太郎「氷島」より)

虎なり
昇降機械(えれべえたあ)の往復する
東京市中繁華の屋根に
琥珀の斑なる毛皮をきて
曠野の如くに寂しむもの。
虎なり!
ああすべて汝の残像
虚空のむなしき全景たり。
―銀座松坂屋の屋上にて―

凍える手先をすり合わせ、なぐさめ程度の暖を取りながら、おいらは「虎」が産まれたという銀座松坂屋の屋上へと向かっていた。館内を抜け屋上をまたぐ扉を開けると、ヒューヒューと空っ風のような乾いた息吹がおいらの顔を撫でた。懐かしい息吹である。

しばしの間、空っ風もどきに打たれた後に、おいらは屋上階にめぐらされている金網の外へと眼を伸ばしてみた。普段見慣れたはずの濃い化粧した銀座都市が、また違う姿を見せていた。化粧の頭に隠されていたのは、都市を機能化させるべく様々な様相を見せている。それはまた、隠された都市の一素顔だったのかも知れない。

藤原新也「渋谷」少女たちの世界観

藤原新也さんの「渋谷」を読了した。

この本に登場する人物は多くない。主に3人の少女と、写真家藤原新也さんとの交流にスポットが当てられており、それ以外の人物や事象については、たぶん意識的にであろう、あえて脇役の役をあてがえられている。3名の少女にスポットを当てた新也さんの想い入れは相当なものだったろうと推察されるのである。

おいらがルポライターとして、渋谷あるいは青山、六本木、原宿、等々の街中に行き交う少女たちを取材・執筆していたのは、かれこれ20年近くの時を隔てたときであった。当時の少女たちはと云えば、軽々しく高校中退を語って自らを主張していたり、あるいはメディアにはびこる軽薄な語彙を身にまとっては、自らをアピールしていた。そんな現象をおいらは「メディアキッズ」と称しながらの、取材体験が続いていたのだ。

「高校生の崩壊」(双葉社)という1冊にまとめたそのドキュメントは、教育の現場における「崩壊」をテーマとしていた初めての書籍である。その嚆矢となるべき1冊であった。良い意味での軽さ、織田作之助流のいわゆる軽佻浮薄さを、おいらは好意的に受け止めて、レポートを書いていたという記憶を持っている。だが確実に、「渋谷」の登場人物たちは変貌を遂げたのだろう。藤原さんでなければ決して表現・証言し得なかったであろうやり取りを目にする度に、渋谷は大変な事態に突入しているであろうことを想うのである。

広瀬川白く流れたり〔萩原朔太郎より〕

亡き妻が眠る公園墓地を訪れた後、前橋文学館へ立ち寄った。あいにく年末年始の休館中であり中に入ることはできなかったが、久しぶりに広瀬川沿いの歩道を歩いたとき、とても懐かしくほっとした気分になれたのだ。

おいらは幼少期のころをこの川沿いの借家で過ごしたことなど、夢かうつつか思い浮かべているのである。広瀬川を望む風景こそおいらの原風景なのではないかと、密かに想っているところなのである。

前橋の街中を白く流れる広瀬川。

前橋の街中を白く流れる広瀬川。

広瀬川

広瀬川白く流れたり
時さればみな幻想は消えゆかん。
われの生涯(らいふ)を釣らんとして
過去の日川辺に糸をたれしが
ああかの幸福は遠きにすぎさり
ちいさき魚は眼にもとまらず。

吾が国における現代詩の巨匠こと萩原朔太郎さんは、このように郷愁の想いとともに広瀬川を謳っている。この傑作詩により、前橋に流れる広瀬川は、仙台の広瀬川以上に詩情豊かな趣きをたたえているのだ。

前橋文学館の前では萩原朔太郎の彫像がむかえてくれる。

前橋文学館の前では萩原朔太郎の彫像がむかえてくれる。

広瀬川に向かって佇む前橋文学館は、萩原朔太郎をはじめ郷土前橋にゆかりのある文学者たちの自筆原稿、日記、手紙、等々貴重な資料が収められている。何度たずねても飽きることが無く、時々思いだしては足が向かうという場所なのだ。

資本主義の安っぽい最終楽園(藤原新也讃)

故郷に帰省している。

ごくごく個人的で恥ずかしい話であるが、今朝起きて、藤原新也の「渋谷」を置き忘れていたことに気付いた。ほろ酔い散策の失態であり珍しいことではない。帰省の電車で読み進めるつもりでいたが、当てが外れてしまった。置き忘れた場所は見当がついてはいるが、何よりも時間が惜しくなり、地元の一大ショッピングモールにある紀伊国屋書店を訪ねて同書を再購入した次第なり。

昨日読んだところを記憶で辿りつつ、いま一度再確認する。藤原新也さん原作の映画「渋谷」の予告編ムービーにて表出された、印象的なシーンが、この本の冒頭にて、同様のシーンとして記述されている。原作のメインとなるのがここかと合点。出し惜しみしない原作者の心意気だろうか。第2章「仮面の朝と復讐の夜」では、紫染みた実験的な写真の数々とともに、1章を要約したともとれる文章が踊っている。実験的な写真については新也さん自らがあるインタビューで解説していた。渋谷に生きる少女が見た色を失った風景を表現したような…。(出典データを確認できないのです)

資本主義の安っぽい最終楽園というべき街をなぜかいとうしいと思う俺

写真とは別のページにて要約されたこの言葉は、にわかには肯定しがたいものではあったが、おいらの心にズドンと一発の爆弾を落としていた。それは例えば、おいらの故郷の大先輩である萩原朔太郎先生の詩に接したときの気持ちにも似たものであった。朔太郎先生は、田舎を拒絶することにより、教科書にも載っているかの有名な詩を書いていた。「わたしはいつも都会をもとめる」と。

藤原新也原作映画「渋谷」が1月公開

 

藤原新也のファンであることを公言したにもかかわらず、おいらはまだ、あまり新也さんのことを知らないことに気付いた。未だ読んでない本が何冊もあるし、過去に「印度放浪」「逍遥遊記」に接したときの圧倒的な、魂を震わすような衝撃は、時と共に薄れてしまった。この稀有なアーティストと時代を共にしていることの有難さを、大切にしなければいけないと本日は真面目に考えたのでした。

そして本日買い求めたのが「渋谷」という一冊なり。同名の、というより新也さんが原作者としての映画「渋谷」が、1月9日から渋谷「ユーロスペース」という映画館にて公開されるという。新也作品の「待望の初映画化」と公式サイトには踊っている。

http://shibuya-movie.under.jp/

余談だが、YouTubeから動画の埋め込みをはじめて行なった。以前にもチャレンジしたが、簡単なことを見落としていたばかりに失敗していたのだ。おいらのブログテクも1ミリ進歩しました。

藤原新也「黄泉の犬」を読む〔3〕

 

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センセーショナルな新也さんの一枚。この撮影の舞台裏を「黄泉の犬」で明かしているが、ネタ晴らしになるのでそれには触れないことにする。

藤原新也の「黄泉の犬」を読了した。これまでに読んだ彼のどの書よりも能弁であり、饒舌である。ときに雄弁家の本だと感じさせる程の、滑らかで情熱的なスピーチを聴いている気分にさせてしまうくらいだ。

ときに彼の本はといえば、その韜晦な筆致によって、おいらを含めたファンによって支持されていたはずである。だが何なのだろう? この隔たりに感じる思いは?

古今東西、芸術家は誰しもが多面的な資質を持ち合わせているものである。新也さんの場合もこれにもれないケースのひとつなのだろう。そにしても、これほどオープンな、過去の彼自身の著作の裏側をもあらわにしてしまうような潔さ。

彼はこのレポートを、大手出版社の大衆雑誌「週刊プレイボーイ」に選んだのだという。大衆的な読者に対して、彼の云いたかった、メッセージしたかったことは、ほとんど漏らすことなきく表現されていると云ってよいのだろう。まだまだ藤原新也は変わり続ける。そして成長し続けているのである。天晴れ!

藤原新也「黄泉の犬」を読む〔2〕

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昨日「薄っぺらい」と書いていたこと、本日は藤原新也さんの本を読んでいたら、「スカスカ」という言葉がえらい勢いで表現されている。こちらの方が妥当であると思い、これからは「スカスカ」という表記に変えようかと思ったのです。

閑話休題である。

藤原新也という凄い人を、おいらは過去に一度だけ、じかに触れたことがあった。それは確か「ノアノア」という、藤原さんのドローイングをまとめた書籍が出版された頃のことである。詳細はまたまた思い出せないのだが、90年代のある時期ということにてご勘弁願いたい。

「メメント・モリ」をはじめとする藤原さんの著書には事細かに目を通していた当時のおいらであった。そして、彼が個展を開くという情報を目にして、そのたしか銀座のある画廊へと足を運んでいたのでした。銀座の画廊はといえば、おしなべて広くない。すなわち作品やら作家やら、オーディエンスやらが、狭い空間に密集してしまうものなのであるが、そこに居た藤原さんの確固たる存在感には圧倒されたのだ。大きなキャンバスをその画廊に広げて、藤原さんは筆を走らせていたのです。じっくりとキャンバスを睨む彼の目線はその途中に入り込むことさえできないくらいにとても光っていた。おいらは大好きな藤原さんに交わす言葉もなく、その場を味わいつつ後にしたのであった。そんなことをある美術出版関係者に話したところ、「ああ、インスタレーションだね」という、あっけない答えが返ってきた。「うーむ」。おいらは次の句を継ぐことさえできなかったのである。

「黄泉の犬」の第2章を読み進めていくに連れ、そんな情景が頭を過ぎって離れなくなってしまったので、ついつい書き記してみたかったという次第なりなのです。今宵は「黄泉の犬」の細部には立ち入りたくないような、いささか個人的な気分にてキーボードを走らせているのです。

ところで全く別なブログに関する話題です。ブログの巨匠ことかもめさんが、オリンパスの一眼レフデジタルを買って、盛んに魅力的な作品アップをしていますので、紹介しておきますです。藤原さんがかつて愛用していたと同じ「オリンパス」のカメラを使い、その手さぐり的な手法が瓜二つなのではないかと思ったなり。

http://blog.goo.ne.jp/kakattekonnkai_2006/

翻って想えば、おいらもまたオリンパスの「OM1」なる機種を父親から譲り受けて使っていたことがあったのです。一眼レフカメラでいながらコンパクトであり、レンズの描写力もまた一流である。そうしたことからの愛用機種であった。

藤原新也「黄泉の犬」を読む〔1〕

オウムのほかに、「旅」もまたテーマだと思われる。

オウムのほかに、「旅」もまたテーマだと思われる。

一昨日の日記に対するコメントで、mimiさんが藤原新也さんの「黄泉の犬」を推薦してくれていたので、ネットで調べてみたところ、つい先日にはその文庫本が発売されたばかりであることを知る。初本の単行本発行が2006年10月であるから、3年2ヶ月ばかりを経ての文庫本化ということになる。それ自体は少しも驚くことなどない。早速、銀座コアという銀座5丁目に聳えるビル内の書店にて購入する。そして帰宅途中の電車内にて読み進めていたと言う訳である。

一読して、ぐいぐいと引き込まれるのである。テーマがオウム真理教に関わる類いのノンフィクション(というか、おいらが好きな言葉で云えば「ルポルタージュ」なり)であることに、二重の意外性を覚えつつページをめくった。第一章「メビウスの海」を読み進めつつ確信するに、これは紛うことなき一流のルポルタージュである。

冒頭のテーマがオウム真理教に関連するのであるから、作者も読者も、また間を取り持つ編集者たちも身構えているのだろうことは容易に察しがつく。さらには、麻原しょうこうの実兄へ、身一つでの突撃取材を試みたりするのだから、話題性も衝撃度も充分である。

思うに、我が国の現役ルポライター(これは和製英語であるからにして、おいらの好きな言葉なり)の誰が、この藤原新也の、ぐいぐい引き込んでいく筆致なりで感動を与える作品を書き得たであろうか? 例えてみれば、一時期は「ニュージャーナリズム」の旗手などとも持て囃されていた吉岡忍の作品のどこが、この一冊に匹敵するくらいのインパクトを与え得るものであったかを問えば、おいらの答えは決まっているのである。所詮、吉岡忍などの書いたものなど取るに足らないものであると。

余談であるがその昔、知ったかぶりの後輩が吉岡忍を称して「ニュージヤーナリズム」を云々した挙句に、「小林さんも読んだほうが良いですよ」と、アドバイスまでしてくれた。そして読んだらもう、その薄っぺらさに呆然としたことなど、蘇って思い出すなり。

という訳にて、今宵のおいらは、第一章「メビウスの海」(p87)までを読み終えると、文庫本を外套のポケットに仕舞い、いつもの行きつけの居酒屋に駆け込んだのでありました。そして酔っ払って帰ってから、本の表紙などスキャニングして、結構大儀な作業なのでありました。

第2章「黄泉の犬」からは、明日以降また気合を入れて読み進めていく覚悟なのです。

藤原新也の21世紀エディション「メメント・モリ」

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藤原新也というア-ティストは凄い人である。漆黒の闇を写し取ることの出来る稀有なアーティストなのである。

もはや古いニュースなのであるが、昨年の冬に、彼の代表作「メメント・モリ」の新バージョンが発行された。「21世紀エディション」と帯文に記された当書は、あまり注目されることも無く、ひっそりと書店に並んでいた名著である。

「メメント・モリ」-何度この言葉をつぶやいたことだろうか。すべて思春期に遭遇した藤原新也さんの一冊に依っている。彼岸の国から響いてくる言葉とともに、現代へワープしたかのごとくに写る風景写真のかずかずに、今更ながらに心惹き込まれている。いささかなさけな話であるが、心が癒されたいときなどこの本を開いてみずから慰めていることなど多し。特別なる一冊也。

「α(アルファ)ブロガー」に関する一考察

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先日「アルファブロガー」(翔泳社刊)というアマゾンで注文した書籍が届き、2~3日前から読んでいる。かつてはもしおいらの記憶が確かならば、「みどり企画の掲示板」にも書き込みしていた、田中宏和なる人物が、「『1Q84』村上春樹の世界」というムック本では「αブロガー」と紹介されていたので、それを目にして以来おいらは、「αブロガー」に対する興味関心が高じていたのであった。

その書籍には、「Best Eleven!」なる11名の「αブロガー」をはじめとする我が国の高名とされるブログの書き手たちが紹介されている。なかでも人気の高いブロガーのインタビューも設けられているので、ブログの状況を一望するには都合の良い一冊である。「ネタフル」「百式」「極東ブログ」「織田浩一」「R30」「磯崎哲也」…。読み進むにつれ、おいらの関心は、高名なるブロガーたちが如何にしてPVを稼ぐかに収斂されていったのであるが、そんな彼らのテーマはほとんどが「ビジネス」で占められていたのである。やはりというのか、ブログ人気はITのシステム関連事業者がそのトップを走っていたことを知らしめる結果となってしまった。とても残念な結果である。

村上春樹の「1Q84」が空前のベストセラー人気を博したのが、純文学の復権かという、一縷の希望を生じさせたのが、つい先日のことではある。ただ日本国の世の趨勢はといえば、相変わらずにビジネス書類が席巻している。ネットの世界はそれに輪をかけている。そんなことを知ってしまった今は、「αブロガー」に関する興味関心など、急激に失せてしまったのである。けだし売れるブログなど邪道なり、なのである。

神の焔の苛烈を知れ(太宰治の遺言〔1〕)

太宰治さんの生誕百周年というのに、本年これまでにあまり関心も示さずに過ごしてしまった。本日はそんな太宰治原作映画を鑑賞しようかなどとレンタルビデオ店に立ち寄ったのだが、そんな作品のビデオは無かった。吾ながら拙いの一言なり。世間一般においては、太宰さんの原作による映画が沢山に公開されていたり、雑誌には太宰さん特集が組まれていたり、さまざま賑わせていたことに接して、偉い、とてもえらかった太宰さんの足跡をいま一度辿ってみたいと考えたしだいてあります。題して「太宰治の遺言〔1〕」なのである。

ある日太宰さんはおいらの神になっていた。詳細は忘却の彼方にありて見出すことできないのであるが、確かに15歳を過ぎた頃のおいらは、太宰さんをあたかもまるで神であるかのごとく崇拝していた。そして毎日のように太宰治全集に齧り付いていたのでありました。

改めて想うに、太宰さんのえらさを一言で述べるならば、苛烈なる探究心である。そんな彼の探究心は己をも滅ぼすまでに徹底していたのだから益々えらいのである。昨今流行りの「自分探し」などといったお笑い種などとは比較にならない。取るに足らない「自分」を探している輩などは、とかく「自由」だとか「自我」「個性」とか云々したがるものであるが、太宰さんの自分探し的自我の探求は、「津軽」といった一作品に書き表す程度のものであった。もっとえらい太宰先生による自分探しの旅はといえば、吾が身を賭した彼の膨大な全集に眠っているのである。

そんなこんなを云々する以前に、太宰さんは、正しきデカダンスの思潮を広めていたのだし、誰にも真似できない文学的才能を発揮したのであるし、さらには戦後の出鱈目な「戦後民主主義的」世相に対する強烈な批判を呈してもいたのである。であるからにして一流文化人としての評価は枚挙に暇がないのである。たださらに以上の太宰さんのえらいところについて述べていきたいと考えたのである。という訳で今宵は「太宰治の遺言」の序章を記してお仕舞いにします。

村上春樹の短編集にみる都合の良い女性観

近頃発売された村上春樹の短編集「めくらやなぎと眠る女」には、新作に混じって1980年代に発表された作品が多く収録されている。「カンガルー日和」という作品もまた1981年に発表された作品であり、懐かしさとともに読んだ。

主人公の彼と彼女が動物園にカンガルーを見に行く、ただそれだけのお話なのである。そのむかしこの作品を読んだ状況は失念したが、何作品かを読み進めて、やはりというのか、春樹さんの世界観の一端を垣間見たような気がしたのである。何しろ春樹さん作品にはおおよそ良い関係の女性が登場してくる。きっと彼は女に不自由したことなどなかったのだろう。それはそれで天晴れなのだが、おおよそ登場する女性仝が、春樹さんの世界観をほとんど体現した存在として描かれる。つまり春樹さんの世界観が登場人物としての女性に乗り移ってしまうかのようだ。これは恋愛が成就するか否かの物語のストーリーとは関連無く表れる。他の作家になかなか見られる現象ではないのだ。軟派小説と呼びたくなる所以でもある。

写真で見る限り村上春樹さんはそれほどイケメンではなさそうだし、セックスアピールも人並み外れて強大だとも思えない。ならば彼の都合の良い女性像、女性観は、どこから発生するのだろうか? おそらくそれは、物語作家としての資質にあるのだろう。つまらない物語でも、ありきたりなストーリーでも春樹さんが書くと一段と輝いてくる。こんな作家はやはり稀有と云わざるを得ないのである。

村上春樹さんの「1Q84 BOOK3」発売。「BOOK4」も既定の路線か?

村上春樹の短編集にみる都合の良い女性観

村上春樹「1Q84」が今年度の一番だそうな

村上春樹の「めくらやなぎと眠る女」

村上春樹のノーベル賞受賞はありや否や?

青豆と天吾が眺めた二つの月

リトル・ピープルとは何か? 新しい物語

青豆と天吾が再会叶わなかった高円寺の児童公園

「1Q84」BOOK4に期待する

リトル・ピープルとは?

村上春樹「1Q84」にみる「リトルピープル」

フランスの文化に対する考現学

代官山の「COLORS」は終わってしまったが、フランス大使館ビルのアート展示会は来年1月末まで続く。昨日は時間もなかったことで詳細やら何やらについて触れることが出来なかったので、改めてこんばんはこの稀有な展示会について紹介していきたいと思うのである。

入場料は無料である。だから少なからずに興味関心を持った人ならば絶対に訪れるべしなのである。ただし、入場の受付にて100円也のガイドブックの購入を薦められる。これは素直に購入したほうが良い。おいらもこのガイドブックの有り難味は身に染みたのだ。それからはもう見たい放題、写真に撮っても全然お構いなしなのである。おいらのように未だに実験写真に興味津々のものにとってはこれはすこぶる有難い。そのガイドブックの表紙には「創造と破壊@フランス大使館 最初で最後の一般公開」との文字が躍っている。たしかにコンセプトの意義をまんいつさせた空気が会場のあちらこちらで散見されるのである。おいらがもし仮の話でキャッチコピーを担当したとなれば、たぶんこの順序を逆にして「破壊と創造@」などというものを提示してしまったのだろう。おフランスさんの文化には、このような順序が似合わないことをここで改めて認識させられたというわけなのである。

我が国日本にとってみれば、予定調和というのが文化の基本にあるようであるが、おフランスにとってそのようなものは文化の邪道である。創造して、破壊させた物語は、決して予定調和にはそぐわないであろうが、それこそがおフランスの心意気なのかもしれないのだ。我々島国の日本国民にとって、それは重くのしかかった文化の扉を開くことの大切さを暗示してもいるのだ。日本に閉じこもっていたらば何も創造できないばかりか破壊もままならぬ。そんなこんなを感じた昨日の展示会也。

日本とフランスとその他の國の気鋭作家たちが、いわゆるレヴィストロースのブリコラージュし合う、実験場の趣である。作家たちはまるでレヴィストロースの子供たちのように振る舞っているように見えてならないのである。レヴィストロース先生は、こと文化人類学のジャンルにとどまらずに、予定調和的な近代主義に対して大いなる創造的心意気にてノンを延べつつ、未来に対して熱く語っていた。それを忘れてはいないのである。

村上春樹「1Q84」が今年度の一番だそうな

やはりというのか、純文学作品が入ったことへの驚きというのか? どちらとも取れるこの村上春樹さん現象。今年度の出版された書物の中で、村上春樹「1Q84」がもっとも売れた本だったというニュース。

「報道ステーション」ではゲストの鳥越俊太郎がこのニュースを受けて、実用書流行りの出版業界にあって文芸作品が読まれたことの意義や活字文化の重要性なりについて述べていた。同感である。実用書、ビジネス書の類いを買って読んでもそれを「読書」とは云わない。云ってはいけないのである。

勝間和代なんたらの書いた本がよく売れているようだが、こんな本を読んで騒いでいる人間の気が知れないのだ。世の中の馬鹿野郎どもが、ちょっとばかり頭が良くて要領も良くて、時流に乗っただけの某おばさんの書いた本など読んで何が面白いのだろうか? さっぱりわからんのである。こんな時流ビジネスおばはんの書いた本など読むなと云いたいのである。まあこんなことを書き連ねていたら、世に蔓延る勝間マニアなどの攻撃など受けるかもしれないのでこの辺で止めときます。

村上春樹さんの「1Q84 BOOK3」発売。「BOOK4」も既定の路線か?

村上春樹の短編集にみる都合の良い女性観

村上春樹「1Q84」が今年度の一番だそうな

村上春樹の「めくらやなぎと眠る女」

村上春樹のノーベル賞受賞はありや否や?

青豆と天吾が眺めた二つの月

リトル・ピープルとは何か? 新しい物語

青豆と天吾が再会叶わなかった高円寺の児童公園

「1Q84」BOOK4に期待する

リトル・ピープルとは?

村上春樹「1Q84」にみる「リトルピープル」

村上春樹の「めくらやなぎと眠る女」

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今日、村上春樹の短編集「めくらやなぎと眠る女」を書店で見つけた。米国で出版された春樹先生の短編集の逆輸入バージョンだそうである。ピンクの装丁が洒落ている。半透明なカバーを被せるなどして手が込んでいる。ペラペラめくって少し考えたものの結局買ってしまった。

早速帰宅電車の中で表題作を読んでみる。20頁程度の短編だから丁度よい長さである。普段何もすることなくウォークマンの音を聴いているより小気味よい緊張感、充実の予感である。そんな心積もりだったのだが、4~5頁読み進めたところで上の空。目は確かに活字を追っているのだが、一向に物語りに入り込むことかなわぬ状態。失態である。こんなことはしばしばあるのだが、こと春樹先生の作品でこんな事態になろうなどとは予想だにしなかったのだから自分自身びっくりなのである。眠気が襲ったわけでもないのに何だろうこの弛緩した感情模様は…。

たぶん以前にもこんな体験はあったのだろうと思うのだ。春樹先生の初期作品といえば、短編作品については特にそうなのであるが、このようなだるい気配を物語の要素としていたことをはっきりと思い出すのだ。だるいというのが不穏当であるならば、ゆるいのである。ゆるい物語の、結末もはっきりせぬような展開を追いながらも、この想像力のユニークさは特筆される。春樹マニアは現在の春樹先生の姿をもまた予想していたのだろうと思うのである。

村上春樹さんの「1Q84 BOOK3」発売。「BOOK4」も既定の路線か?

村上春樹の短編集にみる都合の良い女性観

村上春樹「1Q84」が今年度の一番だそうな

村上春樹の「めくらやなぎと眠る女」

村上春樹のノーベル賞受賞はありや否や?

青豆と天吾が眺めた二つの月

リトル・ピープルとは何か? 新しい物語

青豆と天吾が再会叶わなかった高円寺の児童公園

「1Q84」BOOK4に期待する

リトル・ピープルとは?

村上春樹「1Q84」にみる「リトルピープル」

夢を記述することの難しさ

夢を語ることは誰でも出来るが、夢を記述することはとても難しいものだ。おいらが十代青春期にシュールレアリズム宣言に出会い、傾倒するに伴い、自身の夢の記述が如何に難題であるかを思い知った。自身の夢の世界を描こうと思えば思うほどにその難しさに遭遇していたものである。それだけ「睡眠」と「覚醒」との距離が大きかったのだろう。

昨日購入した「EDGAR ENDE & MICHAEL ENDE」で父エンデが描いている世界はまさしく、夢の記述なのだが、父エンデの個人的な夢というよりも時代に抗う人類の姿がそのリアリズムの筆にて詳細に描かれている。まさに象徴化された世界像である。微細な夢の記述が人類すべての姿かたちを象徴しているとも見えるのだから、天晴れというしかない。父エンデが実はシュールリアリストと呼ばれることを嫌っていたというエピソードにも納得である。

ミヒャエル・エンデの父子の作品集

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ミヒャエル・エンデの父子の作品集を古書店で見つけて、あわてて買い込んだのでありました。「EDGAR ENDE & MICHAEL ENDE」という、朝日新聞社から出版された美術作品集なり。

エンデ父子といえば、その昔には諸事情にていさかいの日々を送っていたという物語が耳に聞こえてきておりまして、父子の不仲などに興味が集中してしまいましたことあり。でも今日この時にては、おいらにはいささかなりともエンデ父子に対する不純な詮索など全くなく、実に純粋に、読み進めることが出来たのでありました。