安原顯著「奇人・怪人伝 シュルレアリスト群像」を読む 2

書名からもうかがえるように、著者の切り口はおしなべてステレオタイプである。面白可笑しく読者に啓蒙していくことが目的だとすれば、わかり易くもあり興味関心も引くのであり、この方法が駄目だということにはならないしプラスの評価も可能なのだが、ここではあえてマイナス面の要素を拾い出してみることにする。

例えば、ガラ、エリュアール、ダリといった著名人を取り上げた第1章に続く第2章で、アントナン・アルトーを俎上に載せているのだが、神経症、遺伝性梅毒、麻薬中毒、精神病患者、等々の人間的には芳しからぬ評価言葉が並んでいて、「奇人・怪人」を体よく料理しようという魂胆が見え隠れする。ピカソや数多のシュルリアリストたちとの交流を持った岡本太郎ならば、このようなぞんざいな評価を行なったことは決してなかったはずである。

つまり、一見するとシュルリアリストたちの生涯を俎上に載せつつ彼らの存在理由を評価していこうというポーズ、スタンスが取られながらも、その実は安原顯という人間は、シュルリアリズムを道化の遊び道具か何かと同様の捉え方をしている。「奇人・怪人」と持ち上げながらも、読者への読後感を極めて低い評価、全く道化としてのシュルリアリストとして印象付けていくのである。よくある凡庸な啓蒙家としての安原顯は果たして「自動書記」に関する真の理解がなされているのかという疑問さえ沸いてくるのである。案外真実とは簡単なところにあったのかもしれない。

安原顯著「奇人・怪人伝 シュルレアリスト群像」を読む

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安原顯(安原顕という表記もある)の著書「奇(奇の字は田へんで難しいので変換できない)人・怪人伝」を古書店で見つけたので読んでいるのです。※もっと普通に書くならば、安原顯の「奇人・怪人伝」を古書店で見つけたので読んでいるのです。

安原顯と云えば、相当に個性的な編集者だったようである。「個性的な」と書いたのはいわゆるひとつの愛嬌であり、相当に憎まれ嫌われていたと云うのが、もっぱら世間一般の評価だ。そんな安原顕が今頃になって脚光を浴びているのかと云えば、ベストセラー「1Q84」の作者こと村上春樹先生との関係からであろう。「1Q84」に登場する辣腕編集者こと小松は、安原顕がモデルになっているという言説が、村上フリークのみならず幅広い文学愛好家たちによって囁かれているくらいなのである。村上春樹作品の、しかも社会ニュースにも取り上げられているベストセラー小説のモデルとして名前が取り上げているのだから、本人もさぞかし草葉の陰から喜んで見ているのだろうと想像する。

ところで些か前置きが長くなったが、安原顕の著作についても触れておこう。「奇人・怪人伝 シュルレアリスト群像」と云う書を先日は古書店にて目にして購入したのだった。副題に「シュルレアリスト群像」とあるように、そうとう「シュールリアリズム」のアーティストたちに対する尋常ならざる強烈な思い入れを感じ取っているのだろう。早稲田大学文学部仏文科を中退し、大手出版社に入社。その後は輝かしきキャリアに彩られていたようである。だがしかし、晩年はといえば、そう幸福ではなかったようなのである。

飲み屋に行くとたびたび目にする光景。>>「おれは早稲田出て出版やっていたんだ。村上春樹はおれが育てたんだ。知らなかっただろう!」等といったおやじのボヤキなどが聴こえてくるのである。

さてさて今日のブログはここで止まってよしと幕を閉じる訳ではない。安原顕の「奇人・怪人伝」についてももう少し触れていこう。
(以下、この稿続く)