たまには洋風料理。初夏野菜の「ポトフ」も悪くない

先日「ゴーヤチャンプル」で使用した豚肉製品「SPAM」の余りをどうしようかと思案していた。そして今日、ふと「ポトフ」にしてみようと思い立ち、実行に移したのでした。

八百屋に並んである初夏の野菜の中から、キャベツ、新玉葱、セロリ、パプリカ、そして季節は外れるが人参、じゃが芋らに加え、大蒜、生姜、そしてSPAMを加え、全ての食材を大振りにカットして煮込むこと30分あまり。

今回は圧力鍋も使用することなく、しまってあった洋風料理向けのホーロー鍋を持ち出しての料理である。

じんわりと染み出た野菜の甘味が出色の味覚である。少量の洋風出汁ブイヨン以外は、塩等の余計な味付けは禁物。30分して皿に盛ったところへ少量の黒胡椒を振りかけて味わっていた。

大振りの野菜類には出汁が染み込み、中まで柔らかく煮込まれていた。中でもセロリのしんなりした味わいはまた、これまでにない特異な風味が嗅覚を刺激していた。パプリカは煮込むことにより独特の甘味を増していた。そしておいらの大好物の玉葱もまた、出汁が染み込みほっこり食感もナイスな味わいなのであった。

これだけ野菜の旨みと出汁が染み出たスープを味わったのはとても久しぶりだった。今度はこのスープを使ってカレー料理に応用していこうと考えていたところなのだ。

「SPAM」で沖縄本場仕込みのゴーヤチャンプルをつくった

八百屋の店先ではゴーヤが目に付くようになった。これからもっともっと出荷量が増えていく夏の食材だ。

ゴーヤを使った料理は「ゴーヤチャンプル」が最もポピュラーだが、それでもメニューは限られている。外食メニューで「ゴーヤチャンプル」を注文しても、本来のゴーヤチャンプルとは違った料理が出されてがっかりすることも少なくない。その多くは豚肉が使われていることから来る違和感だ。

沖縄料理としての「ゴーヤチャンプル」では、豚肉ではなく「ランチョンミート」という豚肉の加工食材が用いられる。大雑把に云えば、豚肉を主材料にしたコンビーフ様なものと云えるだろう。ゴーヤをはじめとする沖縄のチャンプル料理にはこの食材が欠かせない。それなのに、猫も杓子も、ゴーヤを炒めた料理がゴーヤチャンプルとしてメニューに上がっているのを見るのは心苦しいものがある。料理人の勝手なメニューが、沖縄の伝統料理を駄目にしているのだ。

本日おいらが調理した「ゴーヤチャンプル」は、「SPAM」のランチョンミートを使用してつくった、沖縄本場仕込みのものだ。

「SPAM」というのは米国産の加工食品であり、塩分も高く、あまり身体に良い食材だとは云えないのだが、今回のものは「塩分20%カット」をうたっており、しつこい味ではなかった。

使用した食材は、ゴーヤ、ランチョンミートの他に、舞茸、もやし、木綿豆腐、卵、といったシンプルなものばかり。チャンプルーして調和させることを前提にして、使う食材は全て大ぶりにカットして使用。調味料は、醤油、味醂、砂糖、和食出汁の基にオイスターソースを少々。これによって沖縄料理独特のコクが出るのだ。

こうして自家製の「ゴーヤチャンプル」が完成した。家では初めて、沖縄風のチャンプルー料理が出来たのではないかと、密かに自画自賛したいくらいなのだ。

ひじき+辛味大根の煮物で夏バテ&放射能対策

昨日使用した「辛味大根」を活用する料理はないものかと思案していたのだが、いつもの定番料理「ひじきの煮物」に辛味大根を加えることによって、立派な夏季向けのメニューとなっていたのだ。

辛味大根は摩り下ろすのではなく細かく刻んでおいて、水で戻したひじき、干し椎茸、人参、等々の食材と合わせ、そして煮込んでいく。

白い大根の色味は見た目の姿を主張しないが、却ってその分、大きな味覚のポイントを主張しているのではないかと感じる。それくらいにひとつの味覚のアクセントを刻んでいるのだ。

弱った胃袋に対して程よい刺激感が何よりも嬉しい。夏バテはおいらの場合、ほとんどが胃袋の衰弱によって生じるものだが、辛味大根効果が胃袋の衰弱を予防してくれるのではないかと期待させてくれる。下手な胃薬を飲むよりも効果的であろうことは、経験から実感されるものである。

しかも「ひじき」「干し椎茸」等の乾燥食材には所謂「デトックス効果」が注目を集めている。即ち「毒出し」効果の存在が指摘されているのだ。

今まさに我が国民の多くが放射能汚染に晒されている中にあって、このデトックス(毒出し)の効用は特筆されるべきである。

放射能に対抗する手段は、決して海外の食材に求めるのではなく、我が国の伝統食材としての「ひじき」「干し椎茸」等々が持つデトックス効果に求めるべきである。

放射能を含んだ食物からくる「内部被曝」から身を守る効果が、これらの伝統食材の中に備わっているということを、多くの人々が知るべきなのだ。

東北産「切干大根」の香りにうっとりなのだ

先日、東北地方の食材を使って東北の人達を支援しようというキャンペーン会場に出ていた「切干大根」を買っていたので、それに干し椎茸、人参を加えて、切干大根とその他の煮込み料理を作ったのでした。

これらはかねてからのおいらの定番料理のレパートリーに入るものなのです。久しぶりの定番料理の執行なり。

切干大根、干し椎茸、人参を、同様の5ミリ程度にカットして、薄口醤油、味醂、砂糖少々、2本の唐辛子、そして鰹出汁で煮込むこと20分程度。そして常温で冷ますこと30分程度。決して短くはない時間を経て「切干大根他の煮込み」は完成したのだ。

水でもどした食材を鍋に入れて火に掛ける。水でもどされた切干大根が煮込まれるにつれて、ツーンと鼻を突くような刺激的な香りが漂ってきたのだ。小さいがキリリと光り自らを主張する存在感が巨大なのである。さすがに東北産の食材ではある。

主役はあくまでも「切干大根(東北産)」なのである。その食材がものすごくの香りを漂わせていたのだということ。なおかつとても凛として爽やかな刺激に幻惑されつつあるおいらがまたそこに居るのである。

春キャベツで、ふっくらもちもちのお好み焼きを作った

実家の両親が云うのだが、「近頃のキャベツは硬くてかなわない、昔のキャベツは柔らかくて味が濃かった」のだそうだ。そんな昔のキャベツの味はとうに忘れたおいらだが、確かに怪訝なこともある。半分カットでビニールに包まれたキャベツなどは、1週間以上日持ちして腐らない。昔のキャベツはすぐ腐ってしまい、腐りかかりの匂いを嗅いでいた記憶もある。確かに昔食べていたキャベツと最近のスーパー売りのものとは違うようだ。品種改良で日持ちがし腐らなくなったキャベツは、そのぶん硬くなり、味も淡白なものとなってしまったのだ。

そんな中、八百屋の店頭で「春キャベツ」を見つけたときは、思わず近づいて触感を確かめたくなった。一番外側の葉に触れると、何となくいつものとは違った柔らかさ。顔を近づければ仄かな春の香りさえ漂っている。早速買い求めて調理してみたのだ。

瑞々しい春キャベツを細かく刻んで、お好み焼きを作ることにした。たっぷりのキャベツにお好み焼き粉だけのシンプルな取り合わせ。それを厚めのたまにして鉄板の上で中火で焼いたのだ。キャベツに弾力があるからなのか、生地は薄っぺらくなることも無く、ふっくらとしたお好み焼きに仕上がったのだ。

口にしてみれば、キャベツの筋は熱によって程よく緩和され、もちもちした食感が拡がって来る。お好み焼きが春キャベツという特別な種類を使用することによってこれだけふっくらとしたものに変身するのだ。最近の料理の中ではヒット作といえるかもしれない。

「春の雪」襲来の夜に「タラチリ」を食したのです

まるで「春の雪」の襲来したごとき寒波が襲った夜に、「タラチリ」をつくって食した。豆腐、タラ、白菜、葱、昆布、の急ごしらえの、スローフードの鍋だった。

暦は季節を先取りする。季節は春分の日も通り越して、すでにれっきとした春なのである。春なのに雪が降るとはけしからんなどと云いたい訳ではないのだ。春の季節に雪があるという光景はある種の怖れ、自然への畏怖を感じさせるものである。そもそも自然は人間どもによって管理、コントロールされるものではけっしてないし、人間にとってそのような権利もある訳が無いのである。このような奢りは全ての人間には認められるものではない。

奢るものこそ久しからずなのである。日本国民みずからが奢ることなく、自然の摂理と向き合っていくことは人間としての基本的な掟である。とても陰鬱な夜ではある。少なからずの放射能に汚染された、核の脅威を含んだ春の雪が降ってきたのだから尚更なのでもあった。

さて、寒い夜には「鍋」に限るが、急ごしらえの鍋として食したのは「タラチリ」であった。豆腐、タラ、白菜、葱、昆布、等の食材を集めて鍋にしたシンプルな鍋だが、しかしながらこの取り合わせには絶妙なハーモニーを感じさせるに充分なのだ。おいらも大好物であり、シンプルでありながら食の文化を感じ取ったメニューであった。

余談になるが、おいらが幼少期、青少年期の頃に、「湯豆腐」といえば「タラチリ」のことを指していた。だが上京した頃をさかいにして、日本全国の常識に照らし合わせればそうではないらしいことを認識していた。とくに上方、京都出身の友人などは、

「タラの入った鍋は湯豆腐ではない」
「湯豆腐は豆腐を味わう伝統的な食物だ」

等々の薀蓄を聞かされたものだった。まるで「湯豆腐」は「タラチリ」より上等なメニューであるかの主張であり、おいらはこれを認めることは出来なかった。今宵は纏めることも出来ないのだであるが、その反論もいずれ述べていきたいものである。

パプリカ入りのチャプチェはいける。お勧めの一品

大震災後の食品流通事情の悪さの中で、控えものとして地味に並べられているアイテムを使った料理をレポートしていきたい。先日の「カレー」に続いて取り上げるのが「チャプチェ」である。

即席麺、カップラーメンに続いて、うどん等の乾麺もまた品薄となってきているようだ。そんな中で控えめに並んでいたのが「チャプチェの素」。ご存知「チャプチェ」というのは韓国の代表的な春雨料理ではあるが、これまでおいらは特段に意識して口にしたことは無かった。春雨料理といえば「麻婆春雨」「春雨サラダ」等の中華料理がメジャーである。それに比べるとなかなか日本には馴染が薄いし、こと韓流マニアの中でもそれほど重要視されたというものではない。

だが、ある種偶然にこのメニューに接して食したときのおいらは、まさに新しき歓迎すべき味覚への遭遇に、心を動かされていた。この料理で用いられる春雨は、従来からの馴染のものに比べて太くて弾力性が高い。新鮮な食感が舌を撫で回していた。

そしてもう一つ強調したいのが、パプリカとのマッチングである。チャプチェとパプリカが、凄く良くマッチングするのであることは驚きだった。

「チャプチェの素」の調理食材に指定されているのが、ピーマン、ニラ、キュウリ、であった。ピーマンが不作していたのかどうかは知らぬが、棚に在ったパプリカの鮮やかな色彩に目を留めたおいらは、迷わずに籠に入れていた。そしてそれが大正解であったということなのだった。まるで果実のようなエキスが、韓国風の調味料には良くマッチングしていて美味である。新しさとともに新鮮な素材の魅力を感じ取っていた。

パプリカは近頃ではよく目にし、時々は調理に使用することがある。ピーマンに形が似ていて大振りで、肉厚である。ピーマンのような苦味も少ないため、子供に人気の食材だと聴いたこともあった。ピーマンを南国風にアレンジした食材という印象である。パプリカの本場国ハンガリー等では、生食にて食されるともいう、それくらいにマイルドなピーマンなのだ。

このように見た目がカラフルで味はまろやか、パプリカ入りのチャプチェ料理は、最近のおいらの家料理メニューの中では、新しく定番に加えたいくらいにヒットメニューなのでありました。

頭からがぶりと齧れる、丸ごとイワシの圧力鍋煮

生のイワシをスーパーで見かけて、丸ごとイワシの圧力鍋煮に挑戦した。

見た目は少々グロテスクだが、頭から背骨までのイワシの骨が軽く齧れて、天然カルシウムが摂取できた。そもそもイワシはEPA、DHA豊富な青魚の代表選手でもあり、血栓予防食としてはこれ以上無い理想食材。それを丸ごとがぶりとやれるのだから試さない理由は無かったのである。

生のイワシに、醤油、砂糖、味醂に加えて梅干と生姜と大根を添えた煮汁を圧力鍋にセットして、30分程度弱火で加熱しじっくりと煮込んだのだ。火を止めて蒸らすこと15分程度、蓋を開ければプーンとワイルドな青魚の香りが鼻を突いた。

皿に取り出して身を一口。う~む、魚の身もホクホクに煮込まれている。そして背骨をがぶりと齧れば、まるで口の中で小骨が崩れ落ちるような有様であり、すいすいと食が進んだことこのうえなかった。頭の部分はこれもがぶりとやってみたが、少々と雑味が残る荒っぽい食感は漂っていたものの、まるで異次元のすこぶる貴重な食感であった。缶詰の魚を食べるのよりもずっとずっとワイルド感が増していく。

今回のイワシで圧力鍋調理の基本を押さえたので、これからはもう少しバリエーションを広げて様々な生魚の圧力鍋煮にチャレンジしていきたいものである。

「ちぢみほうれん草」は寒い冬にこそ食する価値ありの逸品食材

本年は大雪のため、冬もの野菜類の収穫が悪いのだという。大根、ほうれん草、等々が分厚い雪の陰に隠れて収穫不能になっているニュース画像を、何度か目にしている。そんな今年にふと目にした食材が「ちぢみほうれん草」であった。群馬県館林産とある。迷わず購入したのだった。

そのちぢみほうれん草の風貌には皺が深くに刻まれていており、見るからに分厚い雪に押し潰された凍えた畑の風景を容易に想像させている。

上に伸びようとしても巨きな圧力に阻まれて伸びることが出来ないで、根を張るように伸びている、まるでぐれた少年少女のようにひめたる生命力の存在を感じ取らせるのに充分な姿かたちなのである。

とりあえずこの「ちぢみほうれん草」をゆがいてお浸しにしてみた。濃緑の葉はよりいっそう鮮やかさを増し瑞々しい。その生命力に見とれていた。味はすこぶる濃く、そしてすこぶる苦かった。それだけ味わいも恵みも共に、凝縮されているということなのであろう。

葉山のきとこわ的大衆料理の「蓮根の甘酢漬け」に感嘆

朝吹真理子さんの「きことわ」に出てきた「蓮根の甘酢漬け」を作った。小説のクライマックスでは、蓮根料理ばかりが食卓に出されていた家族の中で、ある日貴子が作ったこの「蓮根の甘酢漬け」に父親が感嘆するシーンが、とても印象的に描かれている。

蓮根を薄くスライスしてさっと下茹でをする。甘酢の漬け汁は酢と砂糖、それに少々の醤油、味醂、唐辛子を湯立てたものを用意した。蓮根と漬け汁をあわせて冷蔵庫で2時間ばかり寝かせたら出来上がりだ。

蓮根のさくさくとした歯応えに甘酢が程よく染み込んで美味なり。まろやかな酢の香りが快く口腔を刺激する。まさしく感嘆に値する料理なり。蓮根料理のレパートリーがこれでまた増えたようだ。

初春の菜の花は、炊込み御飯にもよく似合う

菜の花料理に舌鼓を打ったおいらは、菜の花の炊込み御飯作りにチャレンジしたのです。菜の花に、大根、人参、筍を加えて、いつものように専用土鍋で炊けば、美味しい春の味的炊込みご飯の出来上がりである。

ほろ苦い春の味わいに加えて、見た目も淡く初春の彩り。御飯がこんなに味わい深く思えたのも久々の体験だ。

春の風物詩として古くから親しまれてきた、黄色く輝く菜の花畑を目蓋に浮かべつつ、黄色い花を咲かすことなく食用にされた菜の花の蕾の姿には、限りない生命力が漲っているように見えた。人間は自らの生殖のためにこうした食物から生命力を横取りしているのかもしれない。けだし人間というのは罪深きものなり候。

風呂より圧力鍋が相応しい「ふろふき大根」の味わい

旬の食材である大根のふろふき大根を食したのです。大根を軟らかくなるまで煮込むには、少し前まではゆうに1時間以上の時間を必要としたが、最近は圧力鍋を使って、20~30分程度も煮込めば充分軟らかくなる。今回いただいたふろふき大根も圧力鍋を使用して調理されている。調理時間の短縮に圧力鍋の果たした役割は甚大なるものがあるのだ。

とてもシンプルな大根料理でもある「ふろふき大根」は、充分に煮込まれた大根に、味噌だれをかけて食される。味噌に味醂、醤油、砂糖、酒、等を合わせて煮詰めるのが味噌だれ作りの基本である。

ほっこり味わいのふろふき大根を味わいながら、おいらは「ふろふき大根」という名前の由来について思いを馳せていた。一説によればその「ふろふき」とは「風呂吹き」から来ており、風呂で大根を吹かしたことから由来するという。風呂の湯で大根を煮込むのではなく風呂で大根を吹かすというのが味噌ということだが、その真相は定かではない。いずれにせよ大量の湯にて大根を煮込んだ(吹かした)ものというのが語源ではあるようではある。

もののレシピ本によれば、米のとぎ汁を加えた昆布の出汁で煮込むのだという。そうすることにより、白くて上品な味わいのふろふき大根ができるというのだが、おいらは鰹出汁と醤油味で煮込んだ大根のほうが好みである。昆布出汁には違和感がある。それらの理由については後に別稿で改めて述べていきたいと考えている。

魚の味醂干しは日本の食の叡智を感じさせる逸品なり

味覚のハーモニーを奏でる大衆食品の逸品として、昨日のタレ焼き鳥に続いて挙げておきたいのが、魚の「味醂干し」である。アジ、イワシ、サバ、サンマ、等にて一般的に用いられる「開き」「干物」といったものに一アレンジが加わったものだ。一般的な干物の美味さは認めながらも時々は「味醂干し」を焼いて食べたくなる。やはりおいらの味覚に染み付いて離れることのない懐かしい逸品なのだ。

そもそも「味醂」という調味料とは酒類の一種であり、14~15%のアルコール分を含んでいる。もち米を主原料としており、日本酒よりも甘味が強く、黄色味の強い琥珀色を呈しているのが特徴である。江戸時代の頃には酒として飲用されていたこともある。近頃のスーパーでは「味醂風調味料」等というものが出回っておるが、これにはアルコール分が存在しないか低かったりしており、腐敗の危険性も高い。極めて邪道的調味料なのであるからして要注意なのだ。

味醂干しに用いられるのはこの味醂の他に、醤油と砂糖が一般的だ。これはまさに日本的な三位一体的調味料のトライアングルと云ってもよく、味醂干し料理の奥深き伝統を垣間見せるのである。

調理法は干物と同様にガスコンロに乗せて中火でじっくりと焼き込めば、魚のストレートな味わいに加えて天然味醂の甘さが旨さを引き立てるのだ。このプラスα的な甘味が味覚のポイント。しかも甘味が強いからといって決してもたれることもない。しかも塩分制限をしている患者にも優しいということでもあり、おいらも好物にしているのです。

山の芋ハンバーグはもっちもっちの食感が秀逸なのだ

山芋ならぬ「山の芋」を摩り下ろしてハンバーグにした。元々粘度の高い食材であり、つなぎも何も要らない。百パーセントの山の芋ハンバーグである。

大ぶりに丸くしてから伸ばしてから、少量のサラダ油をひいたフライパンに乗せて焼いていく。ジリジリと云い始めたらば強火中火から弱火に火加減を落としながらリセットする。表面、裏面共にそれぞれ5分程度焼いたらならばハンバーグ生地の調理の仕上がりである。

続いてソースの調理にかかる。今回は玉葱、蓮根、白菜を細かく刻んでじっくりと煮込んだ後に、塩、味醂、醤油に片栗粉でとろみを付けて、そこに昆布とカツオエキスを加えて和風に仕上げてみた。冬野菜をメインに用いたことがポイントであり、これぞマクロビオティック料理の真髄ではないかと考えるのである。

最初の焼面(表面)では少々強火にて焼き進めたのが故に、少々の焦げを作ってしまった。それでもこんがりとした表面の食感は程よいこんがり感が感じられてブラボーだったのである。

最後に少々焦げ気味のハンバーグ生地とマクロビ的ソースとをあえて、2~3分程度煮込めば出来上がり。外はカリカリでいながら中身はもっちもっちの食感が、これまで味わったことのないくらいに秀逸であった。山の芋に火をじっくりと通すことにより、もっちもっち的な食感が強くアピールする、そんな逸品料理なのでありました。

圧力鍋があればポトフ作りも簡単に

数年前に新しく圧力鍋を購入して以来、調理も大変楽をしている。特にじっくり時間をかけるべき煮物等がいとも簡単に出来てしまうのだから有り難い。昔からあった圧力鍋は10リットル以上の大きなものだが、常に手元に置いて使いこなすのは難しかった。やはり手軽な3合炊き程度のものが使いやすい。

ただただじっくり煮込むという欧州田舎料理の「ポトフ」。昔は5時間以上は時間をかけなくてはならないとされてきた。ところが最近は、圧力鍋があればものの30~40分で出来てしまう。

大根、ジャガイモ、人参、玉葱、椎茸を大ぶりにカット。それに荒挽きウインナーを加える。充分な水分を張り、味付けは少々の塩のみだ。近頃は調味料を使わない料理のほうがピンと来る。味覚が以前とは変わっているようだ。スープには豚肉の出汁と野菜から出た旨み成分が溶け出して、とても品の良い出来栄えである。

ミルク味はこれならいける「シチューロールキャベツ」なのだ

冬の食材キャベツを旨く食したいと、ロールキャベツを調理したのでした。

いつもは大体がトマト味で調理しているが、冬にはシチュー味が相当か等と考えて、シチュー味にて煮込むことにした。ジャガイモ、ニンジン、玉ネギの基本野菜に大蒜、生姜、エノキ茸を加えてグツグツと煮込むこと40分余り。ミルク、シチューのルウを加えてさらに10分以上煮込んで出来上がり。

野菜類は程よく角が取れて丸くなり、ロールキャベツはスプーンでカットできるくらいに柔らかく、ほっかほっかに仕上がったのです。

個人的な嗜好になるが、おいらはどうも牛乳、ミルク味といったものが苦手である。脱脂粉乳の給食で育った最後の世代にもあたるのだが、当時の食生活におけるミルク感は、最低ランクの評価を与えたいくらいなのであり、ミルクとは吐気をもよおす食物の代表格として記憶にインプットされてきた。ある種のトラウマ的体験として根付いていると云ってよい。

だがミルク味のシチューは別格なのだった。ジャガイモ、玉ネギ料理があまく仕上がり、鶏肉、豚肉、等の肉類にもより味わいが深まっていく。おいらの実家でもカレーと共に定番のメニューとなっていたようである。

さて肝心のシチュー味的ロールキャベツだが、野菜の旨みがシチュースープに溶け出して、それをロールキャベツが吸い込んでおり、想像以上に深いこくとホットな旨みを味わったのでありました。ただのシチューだとこうはいかないのだ。ロールキャベツという、いわば主役の存在が在ってこそ、脇役シチューの味わいが際立っていたということなのだ。

冬の恵みを味わう「イカ墨大根」なのだ

春の七草の一つにも数えられている食材が「大根」だ。「すずしろ」と雅な趣を奏でて呼んでいた野草が実はアブラナ科の大根であった。

七草粥に味を占めて調理してみたのは、大根を大降りにカットして作った大根煮。ときどき気が向くと圧力鍋を持ち出してやる定番料理なのだが、今回の食材のパートナーに選んだのがイカである。丸ごとイカには「イカ墨」と呼ばれる内蔵が存在し、この部分が得も云われぬ出汁となるのだ。

圧力鍋でじっくり煮込んだ大根にたっぷりイカ墨の出汁を吸わせれば、それはもう至福のイカ墨大根の出来上がりなのです。

大根煮といえばおでんにはなくてはならない具であり、おいらも「おでんの中で何が好きか?」と問われれば、「大根だ」と答えることにしている。実は以前は、多少日和っていた時期もあり、「牛蒡天」だ「ちくわぶ」だと云ってはいたのだ。

けれどもやはり「大根」の存在に敵う訳もないことを充分に認識し、今更ながらに大根の恵みの素晴らしさに感動したりもするのだ。

春の七草粥を食しつつ、正しい食生活について考える

早く通風を脱したいという思いで菜食を続けている処なのだが、丁度よい頃合に、本日1月7日は人日の節句、別名「七草の節句」なり。即ち七草粥を嗜む日となっている。

という訳で兎にも角にも大急ぎで七草粥を作ったのでした。先日からの通風は、ピークの5~6割程度の猛威を振るっており、街中を歩くにもままならないくらいである。これまでの食生活が祟ったのかと、本日は改めて反省をした次第なり候。そして食生活改善の良き一歩となるのが「七草粥」であろうと踏んだのだ。最近は有難いことに「春の七草」として七草粥の材料パックが売られている。パックの内容は以下の七種である。

せり
なずな
ごぎょう
はこべら
ほとけのざ
すずな
すずしろ

淡白な七草の味を出来るだけ味わおうと、味付けは、一振りの塩のみにて調理した。すずな、すずしろはほのかな甘味があり、せり、なずなは程よい苦味成分がじんわりと傷んだ内臓を癒してくれそうだ。

塩以外に一切の調味料を廃して調理した七草粥は、七草それぞれが個性的な味わいを有していることを示していた。多少大袈裟な表現を用いるならば、甘い、辛いといったそんな言葉に出来ない、食物そのものの味わいを愉しむことが出来たのである。

食物は生命を授かる全てのものにとって大切な代物だが、そもそも人間とくに現代人は食生活を蔑ろにし過ぎるのだ。欲望に任せて好みの食物をあさる姿はまさに、餌をあさる狂犬と大した違いなどなく、いつとち狂って豚や牛を襲うかも知れぬ。そうならないように人間が食べるものは確かなものを吟味する必要がある。

七草のように、大地に静かに根を生やし生きている野草類には、食欲ではなくして心に直に通じて染み入るものがある。栄養素や科学的分析では決して捉えきれない、昔からの人間と食物との関係性が存在している。食欲と食物との関係はいずれ破綻を来たすことになるが、古くからの叡智として受け継げられた食文化は、貪欲な人間たちに正しい道を示してくれるのだろう。

こんな野草粥は、本日に限らずこれからときどき調理して食したいメニューなのだとつくづく思う。七草はなかなか揃わないだろうか、三草、四草ならばいろいろ揃うことだろう。これからもときどきは、野草粥を有り難くいただきたいと考えている今宵なのである。

日本の伝統的ラーメンに於ける「叉焼」「メンマ」「なると」の三味一体的トライアングルについての考察

自家製叉焼をつくったので、折角なのでラーメンを調理してみた。叉焼をもっとも美味しく味わえるのが、醤油ラーメンである。そして、他に合わせるトッピングに、メンマとなると等を用意した。

醤油ラーメンに於ける「叉焼」「メンマ」「なると」の3者はとても絵になる具材である。時代が移り変わろうともその3者のコンビネーションは衰えることが無いようだ。叉焼が醤油スープに浸ってジューシーな肉汁が溶け出したならば、その後ですかさずにメンマを取って頬張る。成程、豚肉の濃厚な味わいの後にはすっきりして繊維質のメンマの味わいが欠かせない。そして繊維質のメンマは更になるとを欲しがるのだ。なるとを頬張った後にまた、ジューシーなる叉焼が欲しくなる。ここに味覚のトライアングルが成立するのだ。この三位一体ならぬ「三味」が一体としたラーメンの具材こそは、伝統的ラーメンの姿かたちを強固にさせているのだろう。特段に理由も考え付かないが、とにかく醤油ラーメンといえば、「叉焼」「メンマ」「なると」の3者が欠かせない。

それ以外にあえて醤油ラーメンに加える具材として挙げるならば、海苔、ほうれん草、葱、煮卵、等々が提示されるだろう。だがしかしながら、「叉焼」「メンマ」「なると」の三位一体的トライアングルに比べれば、その姿かたちは主役の座を明け渡した脇役の様でもあり、とても弱々しく映ってしまう。一体全体どうしてなのか? そんな疑問に対する一番分かりやすい答えとして考えられるのは、それら3種食材が「肉」「野菜」「魚」といった食の3要素を代表しているという考え方である。科学的かつ医学的にも聞こえるので、採用しやすい論理ではある。だがしかし、疑問は解消された訳ではない。殊に注目すべきは「なると」である。これは同様の原材料からなるかまぼこにて代用するラーメンが無きにしも非ずだが、どうにも絵になり難いのである。

かつてはもしおいらの記憶が確かならば、子供の頃に食べていたラーメンには、かまぼこは無くて、なるとがトッピングされていた。では何故に、なるとではなくかまぼこが用いられなかったのか? その答えの一つがなるとの渦巻きであろう。なるとの語源は「鳴門」である。徳島県鳴門市の鳴門海峡には潮の満ち干に応じて、ダイナミックな海流の渦巻きが生じる。この渦巻きをモチーフにして渦巻き模様の練り製品が誕生したのだ。「の」の字を描いていて縁起が良いだとか、右巻き、左巻き、等々の説があるようだが、肝心なのはぐるぐるとした渦巻き模様が発するイメージである。すべてを飲み込んで渦を巻いていくイメージは、日本のラーメンにはとてもマッチングするものであったと思われる。子供の頃にはとてもラーメンが食べたかった。御飯があまり美味しくないと感じるたびに、ラーメンを欲していた。そんな過去の日本の原風景を、なるとが象徴しているとは云えないだろうか?

八角、シナモンの香り漂う自家製叉焼(チャーシュー)をつくったのです

スーパーで見栄えのする豚の肩ロース肉を発見。早速買い込んできて、叉焼づくりにチャレンジしたのでした。

そもそもラーメン用の具材として売られている出来合いの叉焼は、どれもが甘辛の濃い味付けばかりが口にたまってしまい、好みではなかった。ラーメンの具にするのは叉焼ではなく、しばしばハムを使っていたものなのだ。だから自家製の叉焼づくりには極力、甘辛さを抑えたものにしたかった。塩、醤油、砂糖は最小限にして、代わりに、八角、シナモン、生姜、葱、等々を多めに投入し、1時間ばかりじっくり煮込んだ。常温で時間をかけて冷ませば完成である。

厚めにカットして口に頬張る。八角、シナモンの香りが出来合いのものには無いくらいに、実に刺激的に広がってきた。白髪葱を挟んで、わさびを少々乗せて味わえば、また新しい刺激が口腔を満たしてくる。予想していた以上にオリジナルな叉焼に満足なのでした。

これで3杯分くらいはラーメンの具にも使える。保存食にもなるのであり、これからもちょくちょく作っていきたいメニューなのでありました。