やっとかなった「ほや酢」の登場は、東北復興の一歩だと思いたい

いつもの居酒屋で「ほや酢」のメニューが数ヶ月ぶりに再登場していた。

つまりはずっとずっと東北の大震災以来、このメニューは無くなっていたのだ。東北の漁港や加工工場、その他諸々の施設が壊滅的な被害にあい、「ほや」を漁することがずっと出来なくなっていたという事情があったのである。

居酒屋の女将さんは少し前に語っていたのだ。

「ほや」は取れなくて、取れても非常に高くなって、とても買うことが出来なくなってしまったんですよ。東北の漁港からほや漁がほとんど出来なくなっているんだ…」

だが漸く「ほや」も入荷が出来て居酒屋メニューに再登場していたのだから感激もひとしおなのである。

ほやの身と肝が溶け合って、何ともいえない風味を奏でていた。肝には少々の酢で締めてもらったほうがより身がぎゅっと締まって引き立つのである。このメニューには東北の料理家達の研鑽の跡を見ることが出来るのだ。

御徒町ガード下の「佐原屋」で美味いホッピーを呑んだ

上野アメ横に接する御徒町界隈には数多くの居酒屋が乱立するが、長きに渡って営業し続ける店舗は極めて少ない。毎年のようにその街並みの光景は替わっていくし、季節の移り目とともに看板の貼り替えはひきもきらない。だがそんな中でも古くから呑兵衛達に愛されてきた繁盛店も存在する。そんな店の代表格が、御徒町駅ガード下の「佐原屋」なのだ。

本日は2番目の土用の丑の日であった事から何かを期待して訪ねてみた。鰻のメニューは何も無く、さりげなくその事を訊ねたところ、2、3軒隣の鰻屋さんへ行ったらどうかというようなそっけない応えであったが、隣に陣取っていた兄ちゃんがその鰻専門店の常連だとかで話がはずみ、ホッピーも普段以上に美味しく味わえたのだった。

ちなみに当店のお勧めはといえば、とんぶりメニュー、中でも「山かけとんぶり」は絶品なり。まぐろの切身と山芋の相性は言わずもながらだが、そこに山のキャビアこととんぷりの鮮烈なプチプチ感が加わることにより、3つの素材が3倍ならず3乗にも掛け合わされた程の濃密な味わいを放つのだ。このメニューは佐原屋以外で食べたことは無く、多分家庭でも食されることは無いものであろうから、佐原屋のオリジナルなレシピとして表彰してあげたい、それくらい嬉しい感動的なつまみなのである。その他、「だしやっこ」等のオリジナルメニューもうまかった。機会があったら「だしやっこ」のこともレポートしたいのだが、今宵はこれまで。

サバの味噌煮をつまみで食べたらとても良かった

サバを使った定番メニューとくれば、サバの味噌煮、しめサバ、サバの文化干し、蒲焼き、等々となるが、サバの味噌煮は特に昼の定食屋で定番のメニューであり、注文度がかなり高い。そうかといっても夜の居酒屋で注文してみればまた新たな感動が発生したのであり、昼食メニューとはちと違う、一風違った趣だったのでここにレポートしておきたいと思ったのである。

定食屋のサバ味噌の切り口とは違い、背骨をざっくりと残して寸胴切りにしてある。見た目の美味しさが引き立っている。そして箸を付けて一口。う~む、なかなか味噌味が利いているようでありグッドな出来栄え。サバに味噌は良く似合うのは当然だが、塩味が程よく中和される味噌という絶妙な調味料の仕事の様については改めて尊崇の思いを強くしたのだ。

そもそもサバは足が速いので、生食されることは滅多に無い。その代わりに保存食として古今東西より珍重されきており、サバ味噌などはそんな珍重的文化メニューの代表格なのだ。そんな珍重的文化メニューを昼の定食のみに押し付けていたことの不条理は、これから明らかになっていくだろうが、それはともあれ夕食のつまみ的食としてのサバ味噌が絶品であることを今日は逸早くキャッチしたのであるから、ラッキーだったと云うべきであろう。

西荻窪「戎」の邪道系旨メニュー「イワシコロッケ」

居酒屋メニューの中にはウケを狙って顔を出すだけの邪道メニューが少なくない。特に激安を売りにしたチェーン店のメニューには、毎月毎月品を換えてそういた邪道系料理がメニューブックを飾っている。これは駄目だと思いつつも、1度くらいは試してみようかと、ついつい注文してしまうもののようなのだ。ほとんどが月単位、季節の変わり目には姿を消すが、ある一定の比率でこうした料理が店舗の売り上げを支えていることは疑いないのである。

ところがこうした邪道系メニューの中でも一定の、ユーザーの舌を捉えたものもたまに在る。西荻窪「戎」の「イワシコロッケ」は、地元の呑兵衛たちに支持された珍しい料理と呼んでも過言ではないだろう。

■イワシコロッケ
コロッケの具材の脇役は、牛肉、タマネギ、人参、あるいは山芋、茸、等々数在れどもあくまで主役はジャガイモである、とずっとそう思い込んでいた固定観念を覆させるかも知れないメニューである。レシピは簡単であり、通常のコロッケの具材のジャガイモにイワシがプラスされたというもの。半分がコロッケ、もう半分がイワシフライの味なのだが、妙にイワシの味がとんがっている。コロッケの主役がジャガイモではいけないのだと主張しているかのように、妙に口の中で生き生きとして主張するのである。イワシフライばかり食べていても、イワシの主張のトンガツタ様を感じることは無かったであろうが意外な味覚の主役となって、イワシの存在感を知らしめたのだと云うことになるのだろう。

今日摘んでも明日には芽を開く「明日葉」のおひたし

今日摘んでも明日には芽や葉を開くということから「明日葉」と命名されたと云う。それほどの生命力を持った青菜として知られた健康食材。だが実際にはそれほどの(名前ほどの生命力)が存在するわけではない。それでも都内をはじめとする居酒屋にはこの「明日葉」メニューが人気だ。

多少癖のあるアクがあることから天ぷらにして出される店が多いようだが、おいらの好物は素直に湯掻いただけの「明日葉のおひたし」だ。アクはあってもそんな野生の風味をこそ味わえるのがおひたしなのだから、無理して天ぷらにして揚げる必要は無いのである。何かといえば「アクをとって…」等と云う料理研究家たちのコメントが目に付くが、そんなものは日本料理のマイナス的要因であり、決して肯定すべきものではないと云うことを主張しておきたい。

ともあれこの時期に「明日葉」を食べないと云う手は無い。モロヘイヤなどと云うライバルも存在するが、モロヘイヤ以上に明日葉の効能は高いと思う。積極的に摂取すべき食材なのだ。

思いがけない「ウナギ三昧」の日だった

今更のように梅雨があけて猛暑が都内を襲撃している。こんな日は道を歩くだけでも直射する陽射しに為す術もなく、流れ出る発汗をくい止める方策さえ判らず、ただ体力の消耗におびえるばかりだ。

経験的に「うなぎ」が夏の体力消耗に効果ありということを知って/いるおいらは、無意識裡にうなぎを求めていたのだろう。今年の土用の丑の日は7/21と8/2の日だというから未だ少々先の話ではあるのかもしれないが、強烈なうなぎに対する渇望が襲いかかってきたのが今日だったという訳なのだ。

土用の丑の日にはうなぎを食べるという習慣は、文政時代に平賀源内さんが提唱したという説が一般的だが、ただ体力の落ちる夏場に栄養補強するという意味合いばかりではなさそうなのである。かえって、夏場にはうなぎが売れない業者達の苦肉の策として、土用の丑の日が提唱されたという珍説もあるくらいであり、二百年もの時代をさかのぼって時代考証を行おうとしても無理な話であり、ここはそっと、うなぎと平賀源内さんとの個人的な相性の良さを思い浮かべてみるくらいが宜しいのだろう。

さてそうして帰宅途中の街中を歩いていると、立ち寄った居酒屋のメニューに「うなぎ蒲焼」「うなぎ肝焼き」というメニューが視界に襲ってきた、というのは少々大袈裟だが、視界に程よく飛び込んできていたのだった。思わずそのメニューを注文したのは云うまでもない。うなぎ専門店や高級料亭ではなく大衆居酒屋にてうなぎを食せるのは、思いがけない幸運だったというべきだろう。このところうなぎの取引価格は上昇の一途を辿っているというニュースを、つい数日前に目にしたばかりだ。

このうなぎが国産品か海外からの輸入物かを確認することはできなかった。しようとしたところで店員が知って居る訳でもなく、たとえ知っていようとも答えようともしないだろう。だからその解答は不明ということでしかない。

特筆すべきなのはそのうなぎが体幅5センチはあろうかというくらいに大振りでいて、工場での調理仕込みのものではなく、蒸して焼いて出されたものだったということだ。人の手間をかけた料理と工場にて大量生産された調達品との違いであるが、今宵のうなぎは手の込んで提供された旨みを味わうに充分なものであった。

大魚から逃れるための翼を得た「トビウオ」のタタキは美味だった

海上に羽根を広げて飛び跳ねる様がそのまま「トビウオ」の名の由来とされる。それくらいにトビウオとその滑空する姿とは一体的セットとなって、我々のイメージに刻まれている。本日はそんなトビウオのタタキにありつくことが出来たのだ。

皿に乗って出てきたのは、やはり羽根の付いたトビウオのかしらだ。やはりと思わず書いてしまったのは、以前にも何度かこの盛り付けの光景を視界に焼き付けていたからに他ならない。トビウオといえば、その羽根付きのかしらと一緒に皿に盛られて提供されてきたものである。

とは云いながらも、今回のトビウオの羽根っぷりは凄いものだったので、やはりと云うのかカメラに収めることになった。羽根っぷりもさることながら、共にそのかしらのいでたちも天晴に写っていたので、共にアップしておきます。

高度3メートルほどの高さを300メートルもの距離にて飛び続けていく。まさに翼を持った魚類と呼んでも良いほどである。

味わいもまた淡白でありながら筋肉質の繊維を強く頬張っているようでもあり、美味であると云うしかない。

そもそも羽根が生えて空を飛ぶようになったのは、マグロやカツオなどの巨大魚からの追跡を逃れるためのものなのだ。豊饒の海にはそうした数々の魚達の思いが溶け込んでいる。

詩人の谷川俊太郎さんは、「クレーの絵本」(講談社刊)の中の一節「黄金の魚」にて、哀しい魚たちの生態を一編の詩にして表現した。名詩の中の名詩である。今ここで示すのは条件が整わなくて不充分であるので、いずれ改めて取り上げていきたいと考えているところだ。

武蔵小金井「大黒屋」のレバー刺しで一献

武蔵小金井駅にて下車し、「大黒屋」で一杯引っ掛けて帰宅した。

お目当ては「レバー刺し」だった。北陸地方の焼肉店での生ユッケ食中毒事件の煽りを受けて、近いうちに「レバー刺し」が専門店のメニューから消えてしまうのではないかという推測が駆け巡っている。そんなニュースを目にして、近く消えてしまうのではないかという「レバー刺し」が無性に食べたくなってしまったという訳なのである。

レバー刺しは、それ程にポピュラーではないが、時々は行きつけの店にて口にしていた。食中毒の体験も無く(ちなみにおいらは、牡蠣やキムチで当ったことがあり、食中毒の恐さは充分に認識している)、これからそういう局面に面会しようとは考えたことも無かった。

だが、ユッケ悪ければ全て悪しのような風潮の煽りで、今年中にもレバー刺しは法的にも葬られてしまうかのような状況に、違和感を禁じ得ない。法的に食材を葬ってしまうことの副作用を考えるに、馬鹿げた風潮だろうとつくづく思うのである。

カツオの刺身は、今が最もの旬なのだ

カツオの刺身が話題に上るのは、初春の「初ガツオ」か或いは秋の頃の「戻りガツオ」の時期であるが、実は今のこの時期こそがカツオの旬なのであり、刺身の味わいも絶品なのである。

この時期のカツオの刺身を食べなければ、かつおの旨さを本当に味わったとは云い難い。旬のカツオを食してこその、かつおマニアなのだ。

マグロよりも小ぶりではあるが上品な味わいであり、人間の健康生活に必須の成分であるところのEPA(エイコサペンタエン酸)やDHA(ドコサヘキサエン酸)の含有量が多いと云うことが挙げられる。

しかも季節の旬を味覚で味わいつつ季節を愉しめるのだからこのうえも無い食材だと云って良いだろう。

余談ではあるが、「カツオのたたき」と云うメニューをおいらは好きではない。カツオは刺身で食するのが基本であり、最もその味わいを享受できる調理法なのである。

小ぶりだが高級魚の「のどぐろ(あかむつ)」にありついた

のどの中が黒いから「のどぐろ」等という有難からざる名前で呼ばれているが、正式名称は「あかむつ」と云い、味は絶品のお墨付きの高級魚なのだ。

炉辺焼きの居酒屋店にて炭火で焼いたのどぐろを見かけて思わず注文してしまった。

その身は引き締った白身魚で、淡白だが独特の脂身を含んでいる。小ぶりのものであったがその身の独特な味わいは満喫することができたのだった。

食べ終わった魚ののどの中の方を覗いてみたが、特に黒い部分というものを発見することはできなかった。成長すると40cmにもなるという巨大魚だから、その成長魚ののどの何処かには黒い部分や斑点などが見られるのだろう。

そんなのどぐろは、日本海の猟師町に行かなければ遭遇できない、それこそが本物の高級のどぐろなのかも知れないと思った。

都内の居酒屋「南部屋」で食した「ひっつみ」の味わい

仕事帰りに「南部屋」という居酒屋の看板を見つけ、引き摺られるように自然と足を運んでいた。「南部」とは、岩手県北部と青森県南部の、かつての南部藩の領地を指している。明治の廃藩置県で岩手と青森に分離されてしまったが、この地域一体は一つの歴史文化圏なのだ。

足を踏み入れたその居酒屋は仕事帰りのサラリーマン達で賑わっていたが、地元の銘酒「南部美人」の酒瓶やポスターが店内にあること以外は通常の居酒屋と大した違いは見当たらない。メニューを眺めても、刺身や焼き鳥、肉じゃが、肉豆腐、等々とありきたりのものが並んでいる。些か拍子抜けである。

そんなことを思いつつ、お勧めではないレギュラーの所謂グランドメニューに目を走らせていると「ひっつみ」を見つけたので早速注文してみた。

何度かここでも書いているが、「ひっつみ」とは小麦粉などの粉類を練ってつねって具にした汁物のことを指している。全国的にホピュラーな戦時中に食された「すいとん」に似ているが、スープ汁につねって入れた具の、その姿形や触感が独特なのである。

青森県側には「せんべい汁」という郷土料理があり、それとの類似もよく指摘される。だが味わいは「ひっつみ」に分があると、常々おいらは感じているところなのである。何よりも麦やその他の雑穀に対する愛着が齎した料理が「ひっつみ」だということだ。小麦粉以外でも、ひえ、あわ、そして最近ではアマランサス、韃靼そば等を用いた「ひっつみ」料理も提供されている。

そして肝心の「南部屋」で食したひっつみについてだが、小ぶりのお椀に入って出てきたのには、再度拍子抜けだった。地元の料理だったらがっつりとボリューム感があるだろうに、こんな味見をする程度の料理にはがっかり。

居酒屋メニューだから、がっつりボリュームを出したら酒の量や他の注文が進まないだろうし、居酒屋メニューとしては当然なのかもしれなかった。

だが思い直してひっつみのちぎられた具を口にし、出汁の効いた汁を啜っていると、妙にひっつみ料理の良さに納得したのだ。やはり調理人が手でちぎったひっつみは美味いのだ。こんな素朴な郷土料理は珍しいだろう。

御徒町「佐原屋」で「納豆とんぶり」を食した

「畑のキャビア」とも称されるのが「とんぶり」。見た目がキャビアにそっくりなことから名付けられた俗称だが、そのぷりぷりとした食感や歯応え、そして他の食材とあえた時のマッチングが愉しみで、よく酒のつまみとして食してきた。

先日、御徒町駅ガード下の名店「佐原屋」にて注文したのが「納豆とんぶり」だった。

もともと納豆大好きのおいらであるが、更にとんぶりとあえることにより、ぷりぷり、プチプチとして歯応えの好い食感が加わっていた。

本家本元のキャビアと云えば、チョウザメの魚卵が材料でそれを塩漬けしたものだ。いくら高級食材と云えどもプリン体の塊ともみなされており、通風持ちのおいらにとってはまさに禁食区内の食材なのだ。

こととんぶりについてはプリン体フリーであり、そんなに気を遣う必要も無い。思いっきりに口に含んで、味わって、畑の恵みを満喫できるのだから有り難い。

少々調べてみると「ほうき草」の実だということであり、昔からほうきの材料として栽培されながら、食用にも利用されてきたという伝統食材である。

おいらも益々、このとんぶりに愛着が湧いた、御徒町界隈の一軒なのであった。

酒の〆にもってこいの「キャベツラーメン」

仕事帰りに一杯お酒引っ掛けているとき、ラーメンが食べたくなることがある。

アルコールの勢いで注文して、翌朝起きてみたら胃腸がもたれて後悔したことも少なからずあった。帰宅してから家で作るラーメンでも、ほぼ同様であり、この場合は食後直ぐにベッドでグーグーという結末をとるので更にたちが悪くなるものなのだ。

というわけで極力、酒の〆のラーメンは控えていたのだが、昨日の「キャベツラーメン」は特段の後遺症も無く、しかもアルコールで緩んだ胃腸と脳味噌をしゃきっとさせる効果もあり満足だった。

春の新キャベツには特別の愛着を感じていたが、ここに来て初夏に流通するキャベツも悪くないと感じた。大蒜、生姜の薬味を多めにして炒めたキャベツはシャキシャキとして、口直しの効果も与えてくれたのである。

茹でよりは確かに旨い「タコの唐揚げ」

そもそもタコを唐揚げにするという料理は、おいらの田舎には無かった。それどころかおいらが上京し、東京の都会の垢に染まりつつも都会生活の中で溺れていた時期においても食べたことは無い。

このメニューが全国的に注目を浴びたのはおそらく、菊正宗のCMであったのであろう。
生かあるいは茹でたタコを食するのが通常の市民の慣わしであった時分に、いきなり変梃りんなメニューがブラウン管を席巻していたのであり、驚きであった。

近頃では時々は食らうこの「タコの唐揚げ」というメニュー。食感は生タコ、茹でダコよりも弾力がありもっちりしていて悪くない。しかも柔らかくもあるが、タコのもっちり感はそのままに残されているので、特別な食感を愉しむことができる。

注文して周りを見渡すと、隣のおやじは鶏の唐揚げを食っておった。鶏唐揚げこそはおいらも幼少の頃よりポピュラーであり栄養価が高く、文部科学省推薦のメニューだろう。
普通に調理して揚げた鶏の唐揚げはほとんどが、不味いはずが無いくらいに旨い。

鶏肉に代わるくらいにこのメニューが普及することはあり得ないということは明らかなのだが、それでも「タコの唐揚げ」のメニュー促進についてはこれからもっと気合を入れてアピールしていかなくてはならないということが云えよう。

シンプルな鮎の塩焼きに舌鼓

鮎の塩焼きがメニューに出ていたので早速注文してみた。

写真で見てもらえば分かるように、大衆居酒屋ならではの、素朴に塩をまぶしてガスバーナーで焼くだけのものだったが、充分に旬の味覚を味わうことができた。

この季節は日本の河川にて鮎漁の解禁日が目白押しとなる。九州、四国など南国温暖の地区が早いようだが、細かく見てくるとそうとばかりは云えない。河川の周辺住民の意向や地域的文化事情、歴史事情等が絡んでいるようだ

残念なのは、福島県内の河川全域において、放射線被害のため解禁日未定という措置がとられていることだ。改めて東京電力をはじめとする関係企業、団体等々の甚大なる犯罪的行為の責任を指摘せざるを得ないのだ。農業、畜産、漁業は云うまでも無く、福島県内の生活基盤はガタガタであり、壊滅的でもある。

東電が今後、賠償能力不能により倒産、解散においこまれその責任を放棄する事態になろうとも、その尻を拭くのは日本国民であることを忘れる訳にはいかない。くだらない東電擁護はげんに慎むべきである。

おいらの出身県の群馬県でも鮎漁は盛んであり、これから鮎の本場を迎える。海無し県の川魚として鮎はとても愛されてきた魚なのでありました。

北海道苫小牧産の「北寄貝」は絶品だった

学術名では「姥貝(ウバガイ)」と呼ぶ「北寄貝(ホッキガイ)」は、冬の貝だとばかり考えていたが、殊に、北海道苫小牧産としてメニューに載っていた北寄貝の刺身は、今のこの季節においても味は上々だ。

通常、寿司ねたとして見かける北寄貝は、赤と白とのツートン色が特徴的だが、刺身の北寄貝はと云えば、もっとデリケートな色合いに感動させられる。奥深い褐色系の色合いが何とも見事だ。

外見は8cm程はある大降りの二枚貝を剥いて、余計な包丁も入れずに出された刺身は、とても柔らかく、絶品の味わいであった。

通風持ちのおいらにとって、二枚貝は禁じられた食材の一つなのだが、どうしても我慢できなくなり、時々は口にしてしまう。何とも貴重な逸品食材なのである。

どて焼き煮込みが乗った「どてめし」は酒の〆には丁度良い

名古屋地方の地域メニューの中で、八丁味噌を甘辛くして煮込んだ味噌煮込み料理がおいらは好きである。

おでんをその甘辛八丁味噌で煮込んだ料理を、さるパーティー料理で目にしたときには驚いたが、然しながら味は個性的でありつつ地域食文化の息吹を味わわせられるものとなっていて満足だった。

本日酒の〆として食したのが「どてめし」なのだが、丁度甘辛八丁味噌の濃厚な風味が胃袋のアルコールくささを消し去って、中々に〆の食事には向いているなと感心していたところであった。

どてめしに乗せられるのは「どて焼き(どて煮込み)」という、牛筋に様々なもつそしてこんにゃく等を合わせて煮込んだものである。

名古屋地域の串カツにはこのどて焼きに漬けて出されるメニューがあり、これを「どて串」と呼ぶのが習いでもある。地域グルメの愛好家には格好のターゲットとなっているようだ。

関東と関西の文化圏に挟まれ揉まれて生まれたメニューであるから、八方美人的性格がどことなく現れてしまっているのは致しかたの無いところだろう。

そんなことよりももっと大切な食文化の基本であるところの、食する人間にパワーを与えてくれる、日々の暴飲を癒してくれるといった要素を感じ取ることのできるこのメニューは特記して置きたいものなり。

子供の頃に好物だった「ハムカツ」を肴に一献の夜

地元の居酒屋で「ハムカツ」というメニューが目に付いた。1枚200円と安価でもある。

ところが考えてみれば、ハムカツを酒の肴にしたという記憶はほとんど無いのだ。豚カツ、串カツ、メンチカツは極めてポピュラーであり、レバカツなる地域メニューも注目されているのに、はてな、このギャップは一体何なのだ?

思えばハムカツという食べ物は、おいらが少年の頃にはよくおやつに食していたものだった。群馬の少年が食べているおやつとして有名なのが、具もほとんど無いくらいに水っぽい「もんじゃ」なのだが、それではお腹の足しにならないものであり、実際には菓子パン類やコロッケ、ハムカツなどの揚物が人気だったのである。おいらも好物のメニューであった。

子供の頃のおやつのハムカツが薄っぺらなものだったのに比べ、居酒屋メニューのハムカツのハムは厚く、5mm程度もあり、噛み応えもばっちりの満足度充分である。ハムの感触がしっかり味わえ、生肉にはない貯蔵肉の風味さえ漂ってきていた。

御多聞にもれず、おいらの自家製ラーメンの具などにはよく用いられるのがハムであった。すなわち極めて日常的な食材ではあった。

お馴染のハムもまた厚く切って揚物にして、しかも最近珍しくなったウスターソースなどをかけて頬張れば、意外に感動的な逸品の味わいなのでありました。

「シイラ」という魚の握り寿司を味わったのだ

魚介居酒屋に入ると、「シイラ」という珍しい名前のメニューが飛び交っていた。「シイラの刺身」「シイラの握り」……。まさかシイラカンスではあるまいな、どんな魚なのかいな? と若いアルバイト店員に問うても、納得する答えは返ってこない。まあアルバイト店員にそれ以上の答えを期待することが間違っているのだと、とにかく注文をしてみたのである。

出てきたその「シイラ」とは、一見すると普通の白身魚のようであった。初めての体験とばかりにゆっくりと口に頬張れば、う~む、それほど個性的な味ではない。地味な白身魚の一種といった印象なのである。

そして弐口目、う~むこれは大型の魚だな、蒲鉾に利用されるものよりも脂が乗っていて、けっして悪くない味だ。意外にいけるかもしれない……、等々の思いが頭の中を駆け巡っていたのだ。

実際に調べてみたところ、「シイラ」という魚類は2mにも達する大型の温帯魚である。シーラカンスとは直接的な関係はないらしい。頭がずんぐり大きく、頭でっかちな風体が特徴的である。

日本人にとってもある程度知られたポピュラーな魚類に属すると見え、その証拠に、各地域での特別な名称、地方名が存在する。秋田地方では「シラ」と云い、千葉の地方では「シビトクライ」等とも呼ばれているそうだ。全国的によく収穫されてはいたが、あまり食文化の王道の食材とはならなかったようなのだが、しかしながらこの食材には日本人に受け入れられる魅力があると感じ取ったのである。

余談ではあるが、ハワイ等の飲食店では「シイラ」は高級魚として供されるのだという話を聞いたことがある。ネットで調べたら同様の事が書かれてあった。ハワイと日本の食文化の違いや共通点が、これによって浮かび上がってくるかもしれない。もう少し調査を進めてみることにしようと思ったのだ。

コラーゲン豊富で味もいける「テール」の焼肉

焼肉店にて「テール」というメニューを食した。牛の尻尾の部位であり、中の骨ごとスライスして出された。直径10cm以上、厚さ1cmはあろうかという大振りの切り身である。韓国料理ではスープの出汁用途として使われる部位だが、これまで滅多に口にすることの無かった食材である。

炭火でじっくり火を通して口にすれば、やはりというか想像以上に硬い。しかも骨と肉とががっちりと絡まっているので、噛み切るのも容易ではない。久しぶりに食べ物との格闘をした気分になった。

これだけコリコリとして細胞が凝縮していて、しかもコラーゲン豊富なのだから、お気に入りメニューに登録しておこう。

ほとんどの哺乳類が持っているが人間には退化して無くなったという部位である。おまけのようでいて決してそうではなく、牛や豚などの動物には必須の組織であることを感じる。人間ばかりが哺乳類の進化形ではないのだ。